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2015.11.19 ツイッターから転載…中野幸一先生【源氏物語 道しるべ】展に行き、逗子で六代御前の墓に詣でたことなど

11月12日
車窓はすっかり秋色。今日は終日の外出だから深夜スロークッカーに角煮を仕掛けて寝て、今朝は充満する美味しい匂いで目覚めました。迷いの心を抱えたままでお見通しの方にお会いするのは嫌だから昨日のうちにきっぱり抜けて晴れやか。雲はどんよりだけれど車内でしばし菊池威雄先生『宗尊親王』を。

地元多摩を覆っていた雲を抜けてこちらは青空。こんなに厚い雲だったんだ〜と驚き。

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ダウンコートを着てるのだけど、乗り換えで待つホームの風が冷たい!

六代御前の墓@逗子 駅を出たら観光案内版に六代御前の墓! びっくりして急遽予定を変え先に回って手を合わせてきました。後で写真を追加します。これから鎌倉。

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中野幸一先生『正訳源氏物語』ご出版記念の「源氏物語 道しるべ」展を拝見してきました。至福の空間でした。中野先生の自筆原稿から初校、再校、など貴重な展示。ご愛用の万年筆はモンブラン! と。またモンブランの万年筆、使いたくなりました。

まもなく横浜…。と、意味もなく。帰りのつれづれです。

11月13日
これから昨日訪ねた逗子の六代御前の墓の写真をアップさせて頂きます。六代御前は正盛・忠盛・清盛・重盛・維盛・六代御前と続く平家嫡系最後の人。平家滅亡時、文覚により助けられ生きながらえましたが結局26歳で斬首されます。それが鎌倉とは知っていましたが具体的に知らなかったので驚きました。

逗子駅前の観光案内板。何気なく見ていて「六代御前の墓」の文字に目が点になりました。

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観光案内のボランティアの方に教えて頂いた道を15分ほど歩いて見えてきた田越川沿いに建つ碑。ここを入ります。

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裏に六代御前の説明が彫られていました。

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見えてきた六代御前の墓。といっても実際の斬首地はわかっておらず、墓も実際のではなく供養塔だそうです。

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階段を登ります。

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登りました。

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六代御前の墓です。供養塔とはいっても手を合わせつつやはり心のなかで涙しました。

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六代御前の墓から見渡す逗子の街。風景は変わっても思いは永遠に残るでしょう。

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降りてきて見た田越川の水の流れに自然とゆく川の流れは絶えずしてを呟いてました。

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昨夕の建長寺法堂内の千手観世音菩薩さまです。

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昨夜帰宅したらあるタウン誌に寄稿させて頂くコラム企画のデザイン原案が届いていて如何でしょうかと。私は怖がりなのですぐには開けず今やっと拝見。タイトル欄に素敵な料紙装飾をあしらって頂いて嬉しかったのですが、この変な恐怖症、なんとかならないかなあと。

11月14日
気分を「北条時頼と源氏物語」の原稿に戻すために人物叢書『北条時頼』を開き、ここでも最終章「臨終往生」を拝読しはじめたらいきなり千手観音像の写真。昨夕の法堂での仏さまに似てると思ったら、時頼の病気回復のために造られた千手観音像の説があるそう。昨日の今日というのもなにか不思議な気が。

いつもは仏殿でご本尊地蔵菩薩様を拝して帰るのに…

人物叢書『北条時頼』より。「心静かに臨終を迎えるため、ということで、被官の尾藤太景氏と宿屋左衛門尉に命じて、人々が見舞いに駆けつけることを禁止させた。」←これも昨日の講演で今野慶信先生が「宿屋は時頼の側近で嵐渓道隆が印可を授けたがったのを固辞したほどの本格的禅をした御家人」と。

原稿を早く書き進めようと思うのだけどなぜか所用で上手くいかず延ばし延ばしになっていて、やっととりかかれる状況になると、なぜか原稿の一番主要な部分の補助がくる。慌てて書いていたらこれは気づかなかったと思うこと度々で、急いで書いてはいけないなあと自戒します。

11月15日
慈光寺経展後期。三回目だけど、たぶん今日が最後。絵画(装飾経)は目にとどめ、記憶にとどめても、するっとすりぬけられてしまう儚さでつらいです。

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講演を拝聴して出たら表の案内板に夕陽があたってました。慈光寺経が大きく写っているのでご紹介。今日で一旦比企は収束。源氏物語と鎌倉に戻ります。

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大宮はいいですね。帰るのに埼京線新宿行きに始発があるから(笑)。今日の道中のお供は真鍋俊照先生『密教アート入門』。しばらく浸って帰ってからは時頼に専心。今日も車窓の夕陽が綺麗です。

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2015.11.14 ツイッターから転載…比企と万葉集の原稿「万葉学者仙覚・玄覚についての考察」と、「北条時頼と源氏物語」の原稿最終章にかかる件

11月3日
鶴見で行われた「わかりやすいZen」に行きました。理解したと思ったとたんに遠のく。瞬時瞬時が真実。それ以外にない…。高僧のお話を伺ってきました。鶴見で。鶴見は私には国文学の鶴見大学のイメージでしたが、総持寺の門前街だったんですね。鶴見大学も総持寺の大学だとか〜。凛としたコンセプトのある素敵な街でさすがでした。

11月4日
昨日の鶴見での禅フォーラム。僧侶で作庭家でもあり『禅と禅芸術としての庭』のご著書がある桝野俊明師も登壇されました。フォーラムはシャル鶴見文化事業協議会主催。「シャル鶴見」には桝野師作庭の屋上庭園があり、禅カフェがあるそうです。

久保田淳先生「権律師玄覚」再読。これは「北条実時と『西本願寺本万葉集』を発表した後、比企の方々と交流する中で教えて頂いたご論考。私が仙覚を比企の人と決めて書いたから、こういうのがあるのと。実時の論文では仙覚が比企の人の決定的な証拠を出せなかったけど、玄覚を通して今度こそ書けます。

久保田淳先生「権律師玄覚」より。「玄覚について従来知られていることを整理」する試みは「なお霧に包まれている点の多い仙覚その人の素描を試みる際に必ずしも無関係でもあるまい。」←本当にそうなりました。→さらに「玄覚に関する資料は博捜すればまだまだ現れる可能性があるのではないか…」も。

文中「佐佐木信綱博士が飛鳥井雅有の日記『春のみ山路』に定為と並んで玄覚の名が見えることを指摘された」とありますが、私も雅有について調べていた時春のみ山路の冒頭付近に玄覚の名を見て、こんなところに玄覚が!と驚き、即買ってしまいました。吉祥寺ジュンク堂にて。それがこれから役立ちます。

11月5日
昨夜は久保田淳先生「権律師玄覚」で紹介された玄覚の事跡を表にして就寝。図式化すると物事がよく見える。例えば権律師と権少僧都が入り混じっていたのがある時を境に律師から少僧都に変わっていてこの辺りで位が上がったのだとか、京にいたり鎌倉にいたり。その移動を仙覚と重ねたら浮上したものが。

11月6日
日本の古本屋に注文していた『万葉集大成 文献篇』が届く。目次を開いて武田祐吉氏「万葉集抄・仙覚・仙覚抄」の目にし、これをコピーしに都立図書館に行ったんだ~と懐かしさに潤う。図書館では目的の箇所しか得られないけど、入手したら全部読める。これが500円なんて・・・

今年の初クリスマスツリー@吉祥寺

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11月7日
おはようございます。昨日は所用で集中に至れなかったからこんな時間に起きてこれから。机に向かえなくても気持ちは持続しているから玄覚の論文のタイトルが浮かびました。「万葉学者仙覚・玄覚についての考察」。最初「〜の生涯」と思いついたのですが小説っぽいなあと思っていたら自然と考察に。

日本の古本屋でみつけた二冊目が届く。佐佐木信綱博士『萬葉集の研究 仙覚及び仙覚以前の萬葉集の研究』。開いてあまりの敬虔さに打たれてドキドキしています。図書館では必要な箇所のコピーにしか気持ちがいかなかったから改めて凄さに絶句。これも750円…。入手したこと自体信じられません。

空海があまりに完璧に成し遂げたのですることがなくなり真言宗では弟子が育たなかったということと、佐佐木信綱博士があまりに完全に仙覚研究を成し遂げられたのでその後仙覚の研究者が出なくなったということと同じ気がする…。なぜ今若い研究者さんに仙覚への関心がなく、必然的に仙覚研究が薄れて…

中野幸一先生『正訳源氏物語本文対照』ご刊行記念【源氏物語 道しるべ展】/11月10日~16日。於:逗子アートベース128。046-876-8277。展示一部:土佐光成「紫式部石山寺観月図」・土佐光信「源氏物語画帖」・正訳源氏物語本文対照直筆原稿・校正ゲラ。主催:勉誠出版。

『正訳源氏物語本文対照』刊行記念特別展【源氏物語 道しるべ展】のフライヤーです。 勉誠出版『正訳源氏物語本文対照』のパンフと一緒に鎌倉の方に送って頂きました。感謝!

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11月8日
今日は雨。道中のお供は佐佐木信綱博士のご著書から仙覚さんの項をコピーして。一冊持ってきてもよかったのだけど、昔の本は活字が小さくてびっしり詰まってるから集中して読んだら目を痛める。今の研究書と随分違うなあと思う。しばらくストイック生きよう。昨夜そう決意。論文を書き上げるまで。

慈光寺経の講演会、大宮からの帰り。もう少し踏み込んだお話が拝聴できるかと思ったのだけれど、ここまで踏み込んで考えているのはたぶん今は私だけだから仕方ないだろうな、と。慈光寺経を慈光寺経だけで、万葉集を万葉集だけで考えても何も進まない…。展示は後期。前期のほうが充実してた気が。

11月9日
今日は起きたら凄い目眩と吐気で寝てるしかなく過ごしてたのですが「目眩の治し方」で検索したらためして合点で対処法が出ててその運動で治ったみたい。スマホを見るにもやっとだったのですが。

目眩の原因。昨日の荷物が重かったのだと思う。カメラバッグの習慣でショルダー愛用者だったのですが、だんだん肩に食い込むのが辛くなり最近は止めてました。でも昨日は遠いし久々に颯爽とショルダーで決めたくなってしたのです。やはり肩に食い込んでこれはきっと何か反動が起きると危惧してました。

今日初めての珈琲。一杯の珈琲を美味しく飲める幸せ。そろそろ論文にかかる時期が来ている気がする。資料に新鮮味を感じなくなったから。まだしつこくシャルルアズナブールを聴いている。大きな原稿にかかる前の習性。必ず一曲を狂ったように聴いて自分を煽り日常から異次元への道筋をつけています。

武者震い。機は整った。新しくはじめる小さな連載の第一回を早く仕上げ、新月の12日から「万葉学者仙覚・玄覚についての考察」をはじめる…と、そんな気持ちになってきました。ここまで来るのが大変ですが、ここまで来たからもう不動。

11月10日
新しくはじめる小さな連載、原稿を送付し終えました。タイトルは「比企万葉幻想つれづれ」。慈光寺経展に行ったことからはじめ、これから比企と鎌倉の政治史・文化史を絡めて気軽な読み物として書いていきます。(というか、久々の連載、私自身が楽しかった!)

たまたま迷っていることをある方にぶつけたら「常に自分の目的を見つめるようにして下さい」とのお返事を頂いた。たぶん自分の中で自分の意識にこだわっている間はダメなのだと思う。それを抜けるのが大変なのだけど抜けたら清々しいだろうな。常の自分の目的は今はとにかく玄覚。締切は五月。

突然「北条時頼と源氏物語」最終章を仕上げようという気持ちになりそれまでの原稿を読み返してました。すんなり感情が入ってこれなら書けそう。締切は五月と書いたらまだ間があるし、今月の後半は多摩の講座も含めて源氏物語関係で目白押し。最終章にかかる機運が整ったかもということで今日は寝ます。

11月11日
お気に入りのメモ帖。丸善製です。20字×10行。近況報告を150字でと頂き、思いついてこのメモ帖を使ったら便利。初めて原稿用紙として使いました(笑)

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今夜から時頼と源氏物語の原稿最終章にかかるのだけれど、離れているあいだにすっかり忘れて宗尊親王と尾州家河内本のことを書けばいいくらいの気持ちになっていましたが、とんでもない! まず兀庵普寧と忍性を書かなければならないし、時宗と宗尊親王の確執を書かなければ。と、非常に不穏な章です。

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2015.11.10 ツイッターから転載…TAMA市民塾がはじまりました。「慈光寺経」展のことなど

10月22日
府中市の講座初日。無事に終わりました。お二人欠席で三十名の受講生さん。鎌倉ではもう何度も聴いて下さった方がいらしても多摩では初めて。そのつもりでお話しましたが、今まで繋がらなかった事が繋がってよくわかりましたと感想を言って下さる方がいてホッと。これから三月まで月一回頑張ります。

道中のお供はテクストの快楽。以前読んだ時、年配の方になんでまた今更バルトを?と不思議がられた。二次ブームだったよう。それでまたなんで今更?と言われそうだけど、断章という形式の勉強です。でもこの断章、動かせない「自分」を破壊するのにいいかも、など思う。文学上で。結構、楽しい。

緑色の車輌@京王線

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10月23日
昨日初日の府中市の講座。受講生さんのなかにネットで見て鎌倉文学館講座室をお借りしての【鎌倉の歴史を楽しむ会】を知り、行きたかったのだけど遠くてと諦めた方が三名いらしてそれで申込まれたと。多摩で鎌倉での活動が広まっているなんてと不思議な気がしました。多摩での普及活動にちょっと曙光。

10月25日
なんとなく蕁麻疹。府中市の講座が終わった途端…。安堵して?新人賞の重圧で文学に挫折し苦しんだ時からこの体質に。決戦の時となると出てくる。11月は毎年転機の月だからそれを感じているのだろう。タウン誌のお話を頂いた。たぶんもうはじまっている。今年はどんな転機になるのだろう、と。

ひとつ捨てるとひとつ入ってくる。維摩経みたいといつも思う。空白がなければ入ってこないのだなあ、と。鎌倉芸術祭の講演会に行き、ご挨拶したい方々もいらしたのだけれど遠慮して帰ったら鎌倉駅で知り合いの方とばったり。そこで記者さんを紹介されて…。人生って突っ込んでいくだけが勝負じゃない。

10月26日
昨夜の月は光が冷たく澄んで明るく思わず魅入られたのですが、十三夜だったのですね。今日から気持ちを厳しくもってとりかからなければならない諸々の事に専念します。原稿も含めて…。完成を待ってここまで導いて下さった方がたくさんいられるのに冗長に過ごした日々を悔いてもはじまらないから。

夢に私の本を待っていて下さる方が、その方も原稿を書いてらして、競争ですねとまで仰って下さってらしたのに、書き上げたら無理がたたって目が見えなくなりました。貴方の本が出てももう読めませんとお葉書を下さって、はっとして目が覚めました。正夢ではないことを祈りつつ、警告と受け止めました。

庭にホトトギスと思っていた一本がそうではないとわかり、では何だろうと思ったまま忘れていました。今見たら、なんと、ムラサキシキブ。小さな粒々の紫の実がなっていました。

10月27日
終日部屋を片付けて過ごした。深夜古いかもしれないけどシャルル・アズナブールを聴いている。歌う人の眼差しの奥にあるのは何だろう。全世界と独り対峙する覚悟。その覚悟を私もしなければと思う。はじめようとしている小さな連載。断章に浸って少し懐古したからもう前に。いっそ玄覚にかかろうかと。

気持ちが澄んで眠れないままに思い出したこと。遺跡の仕事に就いていた時出土遺物の経石2500個の分類を担当した。報告書に仕上げ、経塚研究で第一人者でいられた三宅敏之先生に送らせて頂いたら、それから時々ご論文をお送り頂く事に。ある時竹の皮に包まれた香木が同封されていて徒然にどうぞと。

たぷん私が戴いた中で一番の風雅で高貴な贈物。「涼しい香りのほうの香木です。つれづれにどうぞ」と。その時戴いたコピーは「藤原道長と彰子の埋経について」だったと思う。東博の館長をされてた方というのはこうも優雅なお人柄なのかと感じ入ったのでした。香木は惜しくて焚くなんてとても。

お目にかかる約束をしていながらそれからまもなく他界されて果たせませんでした。こうして果たせないでいることが時を重ねるとどんどん加速を増してきて、悠長にばかりしてはいられなくなったと気持ちを改める今日この頃です。

10月28日
六本木アマンドの角を曲がったらライトアップされた東京タワーが。低空に雲があるので光が反映して不思議な光景。この直後、突然大粒の雨になってコンビニに駆け込んでビニール傘を買うはめに。

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10月29日
今日から玄覚にかかります。玄覚の時代になると仙覚が築いた京・鎌倉の人脈が生きて、京での存在感が増します。冷泉家の方々との交流も。なので私の調査は鎌倉を抜けて京都が本流に!(と、家族がやっともとに戻ったねと祝福してくれてます 笑) ところで、玄覚って誰? と、そこを詰めていきます。

10月30日
夕景が綺麗です@大宮

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埼玉県立博物館で開催中の「国宝慈光寺経全巻展示」を堪能してきました。前期と後期に分かれていて、私が観たい書写次第が前期で明後日まで。やっと行かれてほっとしました。

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今日はいつも行く慈光寺の宝物を比企の慈光寺ではなく大宮の博物館で拝観して帰ったのだけれど、さっき開山塔の写真を出すのに行った日の一連の写真を見たら懐かしさが募ってかえって比企に行ったのではない寂しさがほうふつ。いつのまにか慈光寺が心の故郷になっている…。山岳寺院、慈光寺。

慈光寺は山岳寺院だから比企に行くと広い平野の遠くに必ず慈光寺のある山が見える。仙覚が万葉集註釈をなした小川町からも、岩殿観音別当だった人の館跡からも見えて、ああ、あそこに慈光寺があると必ず思う。故郷は遠くにありて思うものとはちょっと違うけど、今夜はそんな思いを噛みしめています。

明日から忙しくなるので慈光寺経について今夜のうちにツイートしておきます。というのも、たぶんこれが京都での公開だったら全巻一挙展示というのにあんなに空いているはずはないだろうし、平家納経だったらTwitterでもっと話題になっているだろうから。慈光寺経はもっと知られていいと思う。

平家納経•久能寺経と並ぶ日本三大装飾経の慈光寺経。なのに誰が制作したかよくわかっていない。文永七年に書写次第が書かれ、法華経一品ずつの制作担当者が記されているのだけれど、信解品の宜秋門院が後鳥羽院妃で九条兼実娘の任子ということだけが明白。そこから類推して序品の御所は後鳥羽院、

法性寺殿は兼実とされ、そこから兼実子息の後京極良経の急逝を悼んで九条家が制作したといわれます。なぜそんな九条家の宝物が関東の慈光寺に納められているか、それも謎で、恐らく九条家出身の将軍頼経が関係しているだろうと。そして慈光寺への奉納には、頼経の命で万葉集を校訂した仙覚が関わって

いるのかもしれないと、そこまでが研究されています。それで私はどうしても前期公開のその書写次第を見たかったのでした。筆跡が仙覚のものか否かを。書写次第は殆ど印刷物に載ってなくて、白黒の名刺よりも小さな写真でしか見てませんでした。それで何となくメモ程度のものと思っていたのです。が、

見てビックリ。メモ程度どころか慈光寺経本体と同様の装飾経仕立です。メモ書きでは仙覚の筆跡と比べようがないと思ってたのが、正式な楷書では一目瞭然。私なりの結論を得て帰りました。恐らく頼経奉納は間違っていないだろう慈光寺経。関東における九条家の宝に仙覚が関わったか否か。また考えます。

10月31日
演技かもしれないけど計算され尽くしたカメラの結果かもしれないけどシャルル・アズナブールの動画に嵌っている。不動という言葉がいつも浮かぶ。この人の眼差しは聖観音菩薩像のそれだと。写仏をしてた経験からこんなくっきりした菩薩の眼をした人が現実にいたという驚き。仏教はやはり渡来なのだと。

11月1日
慈光寺と小川町の位置関係。慈光寺は左下のときがわ町にあります。町の字の真上。仙覚律師顕彰碑は拡大図Aの左端中央。間に流れている川は槻川。仙覚は槻川のほとりに住んでいたとも。慈光寺に登るのは簡単です。小川町配布のロードマップより。

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違うかもしれませんが、槻川から見た慈光寺がある山(と思って撮りました)。違っててもだいたい位置関係はこんなです。

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慈光寺から歩いて降りてくる途中の山道で見る山並。この写真を出して見た時からまた慈光寺に行きたくて行きたくて堪らなくなってしまいました。

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11月2日
たぶん完全に私のなかで第二次比企万葉ブーム。「北条実時と『西本願寺本万葉集』」を書いて以来。『尾州家河内本源氏物語』と『西本願寺本万葉集』の関係を探る論文を書こうとして切口がみつからず苦しんでまず現地へとはじめて比企を訪ねたのが2010年。ここから比企の方々との交流ができました。

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