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2015.12.31 今年もお世話になりました。ツイッターから転載…BS1【羽生結弦×野村萬斎 表現の極意を語る】のこと。

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12月30日
凄かった。BS1。野村萬斎さんと羽生結弦さんの対談「表現の極意を語る」。私も気持ちを引き締めて正座する思いで魅入ってました。何回見てもいい、野村萬斎さんの安倍晴明の舞。何回でも見たい羽生くんのSEIMEI。型を追って型を極めた方々の世界でした。


ツイッターで「【羽生結弦×野村萬斎 表現の極意を語る】 BS1 今夜10時~」の情報を知って観ました。凄かったのひと言が上記ツイッターの呟きになりました。それに添えて少し書いてみたくなりました。

野村萬斎さんが羽生結弦に質問されて、「あれはどういう意味で手を揚げてるの?」と質問された時のこと。羽生結弦さんの「SEIMEI」冒頭は野村萬斎さんの安倍清明の舞の演技をそっくり踏襲されたものです。

野村萬斎さんは言われます。「僕の場合は高い烏帽子があって、白い装束の大きな袖があってのあの演技。だから僕の背中には大きな白い布があるわけ。羽生くんにはそれがないでしょ。」と。

映像を見るとたしかに野村萬斎さんの揚げた左手は高い烏帽子に沿った形になっているし、指は袖がめくれないように袖口をしっかり押さえている。羽生結弦さんの演技もそっくりそうなってました。指も袖口を押さえているかのように曲がってました。

野村萬斎さんは続けます。「型には意味があるのだから、意味もなく同じ型をしても演技が生きない。羽生さんは羽生さんなりのそれを考えたらいい。例えば、天地人とか・・・」

そして、世界最高点をとったNHK杯。羽生結弦さんの演技冒頭では高く揚げた左手はまっすぐ天を指し、手のひらは天に向けて天を支えるような形に。指はまっすぐ伸ばされ、細く長い指がそれはもう見事に生きて。ナレーション(これが可愛くて、なんとAKBの横山結衣さんでした)が「天地人になっています」と。

「天・地・人」が一体となったすっくとした形に変更した演技は中心軸がしっかり定まり、それはそれは凛として見ていて清々しいものでした。

中心軸が定まるってこういうことかと、目から鱗が落ちたかのようにびっくりしました。これは生きていく上ですべてに言えることですよね。しっかりと中心軸を定めて生きる。はからずも年末に頂いたこの自覚。最高のプレゼントです!

それにしても野村萬斎さんといい、羽生結弦さんといい、素晴らしい感性のお二人でした。(そこには厳しい修練があってのことなのですけれど・・・)

補足:最後のナレーションに「21歳の羽生結弦さん」と流れて、エッ!21歳でこの対談についていけたの!とびっくり。例えご自分で演技されてることだからにしても、深い受け止め方ができての野村萬斎さんとのやりとりはに驚き以外のなにものでもありませんでした。

今年ももう残すところあと何時間となりました。今年は数年間続けてきた「鎌倉の源氏物語」の普及に一つの決着がついて気分がとても楽な大晦日です。来年からは余裕をもってこの問題にさらなる進展を目指せそうです。応援してくださった方、ご支援下さった方々、ほんとうにいろいろとありがとうございました。そして、

どうぞ佳いお年をお迎えください!

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2015.12.30 ツイッターから転載…中野幸一先生『正訳源氏物語』には巻末に「源氏物語をより深く知るために」という「付録」があり…、他、年末のつれづれ…

12月20日
今メールを見たら。はじめたばかりのちいさな連載。第一回を送っていて第二回の締切は当分先と思ってたら、事情で第一回をもう載せたので1月10日までに第二回を欲しいと。必然的に万葉集へ帰還。年内のんびり源氏物語と決め込んでいて万葉集に戻れない気分がどんどん追い込まれていってます(笑)

紅葉を掃いた落葉の山は紅…。どうということもないけれど。

12月21日
黄金色です!

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今日は私が勝手に消えない夕焼けと名づけている空。

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12月22日
昨夜ようやく『書物学』に読書が進み、日比野浩信氏「古筆切の世界」を堪能した後目的の小特集「清原家の官・学・遊」へ。これは六月に一日限定で開かれた慶應義塾大学での「清家展」を振り返っての佐藤道生・佐々木隆浩・堀川貴司のご対談。教隆が関東で活躍した由来などじっくりわかって満足でした。

溜まっていた所用が片づき多摩の講座の準備に気を向けられるようになったら、多摩の受講生さんたちには称名寺や金沢文庫はそれほど身近でないだろうなという思いに至り、本題に入る前に少し金沢文庫を特集しようとなりました。金沢文庫から始めたコラムがこんなところに影響してきています。原点回帰。

今度の回がいよいよ尾州家本源氏物語に実時が奥書を書く時代に突入なんですが、その実時がどれくらい優れた武将で、鎌倉幕府の中でどれくらいの位置を占めていた重要人物か知らなければ、いくら私が奥書を書いたとその感動をお伝えしても空回りになるでしょうから。

吉祥寺の映画館で。サンローランのポスターが貼ってあったので、いつから?と訊いたら、未定です、と。未定でもCOMING SOON…

孔雀草が咲いていました。野菊のようなこの花のどこが孔雀?と思ってたら、凄い長く茎を切って束ねて持つと孔雀の尾のように豪勢なんだそう。小川町の方から聞きました。小川町で改良品種されて広まった花のようです。

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雲の上から月が昇ってきました。

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温めたミルク珈琲が美味しい。こんなところで風邪をひくわけにいかないから。やっと多摩の講座の内容が動き出してひと安心。前に作ったパワポがあるからと油断してたらその後どんどん深まって見えてきたものがあり、それが全く反映してないことに気づいて焦りました。時頼の原稿を書いてきた成果です。

12月23日
むらさき通信№3、受講生さん用32枚プリントしました。展覧会情報に東海大学湘南校舎での【桃園文庫展―池田亀鑑の仕事―】を。「青表紙本源氏物語」・「河内本源氏物語」二大写本を提唱された方としてお伝えします。他にタウンニュース誌のコラムを。事務局では白黒コピー機しかないためカラーで。

金沢文庫は横浜市なので金沢文庫や実時のことを書いてもタウンニュース鎌倉版ではあちらの方々に見ていただけなくて残念と思ってました。でもお知らせしたら、金沢版があるらしく、その事務所に行って取り寄せてくれるよう頼んだと。お知らせするとさっと動いて下さる方々ができてきています。感謝。

12月24日
欅はすっかり葉が落ちました。機械を運んでいるので晴れてよかった。これから多摩の講座です。

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12月25日
昨日の多摩の講座「鎌倉の万葉集と源氏物語」でようやく仙覚さんが登場。私がそうだったように一般の万葉集の読者に仙覚さんを知る人はほぼいないはずだから、鎌倉時代に鎌倉で万葉集を研究して、それが西本願寺本万葉集となり、現代の活字化されている総ての万葉集の凡例に載っていると説明。

鎌倉での講演でいつも鎌倉の方にお伝えしているのですが、そういう偉大な業績を残す仙覚さんを、鎌倉はもっと誇っていいと。誇るべきと。それを昨日多摩の方にお話したらニコニコとうんうんと頷いて下さってました。

人を待つあいだの和みの光景。

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今日(昨日)中野幸一先生の『正訳源氏物語』第二冊が届きました。でもまだ第一冊を読み切ってないのでこれから少し帚木を読んで寝ることに。帚木の文章はいいと中村真一郎氏が言われたと知り大切に読みたいと余裕のある時間を見計らってたらこんな遅くに。でも年内の予定はもうないから大丈夫。

なんとなく帚木の巻は雨夜の品定めの気分が強く気が乗らないのだけれど、空蝉の巻でもあるんですよね。中村真一郎氏がいいと仰られた文章はたぶん空蝉のほうのことと思うけど、現代語訳でそれがわかるかしら…。空蝉のことは後半だから、いずれにしても雨夜の品定めを通らなければなりません。

12月26日
おはようございます。昨夜は雨夜の品定めで睡魔に負けてあえなく撃沈。私はほんとうにここがダメ。つまらないんです。

12月27日
中野幸一先生『正訳源氏物語』には巻末に「源氏物語をより深く知るために」という「付録」があり、第一冊では桐壺巻後記説が紹介され、第二冊は「かざり」という文章の中の本題と無関係にみえる段について。若紫と過ごした帰りの道筋でかつて通った女性の家の前を通ったら思い出して歌をやる光源氏。

これはこのエピソードがなくても若紫と会って帰ったとして繋がるけど、余韻としてこれがあるために文章が深まると。そういう挿入されたエピソードを古注釈書がかざりと言っているそう。中野先生もこれは現代の小説にもいえることと書かれてますが、文学の余韻ってこういうことなんだなあと頷きました。

源氏物語の先生にはいろいろなタイプの方がいらして、文法に厳しく本文に忠実に読み進まれる先生がいらしたり、私の先生は宗教観・自然観を深めて下さる教え方でしたが、中野先生は文章そのものについてのご洞察。興味深い付録に現代語訳本文の読み進みが間に合わなくても第三冊以降が待たれます。

12月28日
迫力ある雲でした。小笠原方向。

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お茶の花が咲いていました。

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横縞になった雲の間に月があり、絵になる風情だったのですが、スマホでそれは撮れず、悔しい思いを噛み締めながらのショット。なかなか月にいい具合に雲がかかるのってないから。

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何だろうこの突き抜け感。月は有明にて光をさまれるものから、影さやかに見えて、なかなかをかしきあけぼのなり…、この文章がここにくるなんて。雨夜の品定めの直後のここ。紫式部はここで脱皮したんだぁ〜と思わずにいられない。帚木の文章がいいというのはここのことだろう。それにしてもこの文章、

前から感じていたのだけれど、誰の主観?、誰の目? まるで天上にいる人の目としか思えない超越感。こういう視点の文章って現代の文学にあるのかしら、謎。寝ようとして気軽に読み進んだ雨夜の品定めの直後のここに遭遇してすっかり眠気がとれてしまいました。もっと考えたいけどとりあえず寝ます。

12月29日
朝コラムの連載第一回のタウンニュース鎌倉版をお送りしたある方からお電話を頂戴して頑張るようにと励まして頂き、夜は写大の先輩からJPA(日本写真作家協会)展の今年の写真集を送って頂いたのを拝見し、途中高遠先生の怒涛のようなRTを遡って過ぎた時間に楽しく浸った素敵な今日の一日でした。

そうそう、今朝、道側から見た塀の奥に侘助が一輪咲いていました。あ、っと思って撮れる位置でも咲いていたらと期待したのですが、庭側はまだ全部蕾。でも、まもなく咲きそうな嬉しい発見。白椿、いいですね・・・

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2015.12.19 ツイッターから転載…宝塚劇場『新源氏物語』観劇とか、12月いっぱい『源氏物語』に浸るつもりで岩波『文学』を拝読など・・・

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タウンニュース誌鎌倉版コラム
http://www.townnews.co.jp/0602/2015/12/11/312396.html

12月13日
もう五時。雨戸を開けたら明るいのかしらと思いつつあえて開けずに夜を保つ。仮寝をしたから気分は爽快。この時間帯が私にはいい。岩波の『文学』源氏物語特集を堪能しています。増田繁夫氏「自尊心と主体性」、成る程でした。氏はこれが源氏物語の隠れた主題と。自尊心、たぶんこれは紫式部のこと。

王子様と出逢い我身の程も躊躇しない昔話と違い、源氏物語の女性は紫上も空蝉も大君も明石も、「この物語の女たちはいずれも強固な自尊心を内に秘めて、誇りを失わずに生きることを心がけている」←いいですね!誇りを失わずに…。「わが身の程を心得て対処するリアリズムを身につけている。そうした姿勢はこの物語の女性たち一般に共通する顕著な心性であり、この物語の書こうとしたものの一つであった。」

12月15日
宵の三日月。淡い色の暮れゆく空に細い梢のシルエット越し。綺麗です。

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宝塚劇場『新源氏物語』を観にきました。プログラムを見たらこの作品の初演は1981年。榛名由梨さんが光源氏でした。この時観ていて以来忘れられなくなっていて、今回の再演を楽しみにしてました。この時の藤壺が上原まりさんで、惟光・夕霧が大地真央さんだったとは。全く知らなくて、やはり宝塚はトップの威風が凄いです。

そういえば2008年「夢の浮橋」も観ていますが、これは宇治十帖の舞台化で主人公が薫とはいうものの匂宮も同等の扱いでしたから瀬名じゅんさんと柚希礼音さんは一緒に記憶。本編が舞台の源氏物語の華やかさ・求心力に欠けるのは『源氏物語』本編と宇治十帖の違いをそのまま表しているかのよう。

12月18日
八木書店様から送っていただいた『明月記研究』第14号出版案内のチラシ。目次を見て目を丸くしています。欲しい~、と。『歌道事』をテーマに文治4年~正治2年なんて!創刊号より20年間、ここで一旦の区切りだそうです。明月記研究…、どれくらいお世話になったことでしょう。

一緒に「尾州家河内本源氏物語」カラー版影印本全10巻のチラシも入っていました。いつ見てもわくわくします。鎌倉の方にこの実物を見ていただきたい、存在を知っていただきたい!というのが私の活動の本筋。「河内本源氏物語」問題が一応の決着をみたので今度は「尾州家河内本源氏物語」!

12月いっぱい源氏物語に浸ると決めて目下満喫中ですが、来年からかかる予定の仙覚さんの原稿をお知らせした方から今お便り。拝見して心待ちにしてくださるご様子に、う~ん、これはかかるしかないなあと。源氏物語があまりに豊饒なのでもう万葉集に戻る気分が吹き飛んでいるのです。

ようやく吉祥寺のジュンク堂書店に行って『書物学 6』(勉誠出版)を購入してきました。気になっていてなかなか出向けなかったのです。小特集「清原家の官・学・遊」が目的。実時の漢籍の師清原教隆についてもっと知りたいから。それとは別にこの書物学、贅沢で、創刊号から魅せられてます。

メモ: 岩波『文学』の中川正美氏「源氏物語の文体試論ー形容語の言いきり終止ー」…心にとめておきたいご論でした。言いきり終止とは「あはれなり、心にくし、のような形容詞や形容動詞の言いきりで終わる文構成」のことで、「語り手でも作中人物でも、他の誰でもない、彼方からの声と感じる」。

「作者・話主とは別に作品の背後に享受者がとらえる創作主体の存在」(根来司氏)、「次元の異なる叙述に膨張する」(渡辺実氏)。「享受者の頭の中に響く彼方からの声で、享受者はその声に共感する。そこに一瞬の感動が生じ、間が生まれる」。→いとあはれなり、のような語は源氏物語にあまりに溢れて

いるから、まさかこの語法でそんな異次元にまで飛翔するご論があって、しかも先行研究まであるとは! 熟読しても味わい尽くせないくらいに深いご文章でした。こういう文体論ははじめて。そのことに驚く。もう一度たどり直します。結局、紫式部の文章の人間離れした凄さというしかない、という感じ。

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2015.12.17 ツイッターから転載…『タウンニュース』鎌倉版にコラムの連載をはじめました。他に、鎌倉の会、紫式部学会のことなど。

『タウンニュース』鎌倉版に「鎌倉と源氏物語」のコラムの連載をはじめました。
12月11号の第一回「鎌倉の源氏物語との出逢い」です。
これから毎月一回、連載させていただきます。
ご覧頂いたら嬉しいです!

http://www.townnews.co.jp/0602/2015/12/11/312396.html

12月1日
徳川美術館で開催されている【国宝 源氏物語絵巻】展の図録を通販で入手。四辻秀紀氏の解説を拝読しました。それにしてもこの絵巻、絵でこんなに心理描写ができてるなんてと、その完成度に唸っています。私は宗尊親王が所持されていた二十巻本がこの国宝絵巻か否かを知りたいのですが…

12月2日
『リポート笠間』、松尾葦江氏「長門切問題 平家物語成立論の更新」拝読。たぶん、興奮。たぶんというのは出先で丁寧な読み込みでないからのため。でも、料紙の炭素14年代測定法という科学的方法により長門切の制作年代が明らかになりという現況は興味津々。考古の調査で馴染んでいた方法なので。

12月3日
称名寺境内にあった金沢文庫を壊して尾根ひとつ隔てた今の場所に新館をオープンさせたのが1990年。その記念企画展に尾州家本の巻頭「桐壺巻」が展示されていたのが私の「尾州家河内本源氏物語」との最初の出逢い。その美しい筆跡に魅せられて私の鎌倉の源氏物語が始まりました。連載コラムはそこからはじめます。

おはようございます。徳川美術館の蓬左文庫の展示で「尾州家河内本源氏物語」が展示されていていろんな方から情報を頂きます。15年間この写本を追ってどんなに展覧会を巡ったでしょう。大徳川展にも出ていたし、蓬左文庫では全巻展示も。それが国宝絵巻との同時展示でこんなに話題に。嬉しいです。

今日はある方を囲む会。はじめてお会いする方も何人かいられます。その方々に受け取って頂こうと『源氏物語と鎌倉』を持って出たのだけれど、いつもなら添える中野幸一先生に書いて頂いた書評を忘れたことに今頃になって気づく。今まで必死だったことがストンと抜けている。これも一応大団円で終わって後は作品を書くだけという自分の立ち位置ができたから?

鎌倉の帰りです。深く鎌倉に関わり各種団体の長をされている方々でも鎌倉の源氏物語には驚かれました。『源氏物語と鎌倉』、重たくって恐縮と思いつつお渡しさせて頂きました。たぶんまたひとつ、種を撒いたかも。

12月5日
紫式部学会。秋山虔先生への追悼のご挨拶からはじまりました。

紫式部学会。最初のご講演は加藤静子氏「栄花物語の誕生」。作者は赤染衛門とばかり聞いていたのですが、加藤氏は膨大な財力と力をもつ彰子の下で女房らのネットワークを生かして制作したというご説。新鮮でした。

紫式部学会。お二方目のご講演は高橋文二先生「光源氏晩年の悲しみの行方」でした。御法巻と幻巻の光源氏と紫上の心理を追うしみじみとした情趣のお話で余韻が残っています。

東大本郷キャンパス、赤門を入ったところの銀杏。陽に輝いていました。

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いつ行っても古い校舎には目を奪われます。

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冬の陽の輝きは半端なく綺麗。凛としてます。

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帰り。薄暗い回廊のような校舎。やはり目を奪われました。

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まだ諸用が片付かないので落ち着かないけど、今日の栄花物語の上東門院下での制作説には惹かれ、はじめて読んでみようかという気持ちに。上東門院については目下松下禅尼が同じ国母という立場の女性(禅尼は執権の母)として尊敬し見倣って生きた人として関心。間接的に時頼に影響を及ぼした人です。

それにつけても早く時頼と源氏物語の原稿を仕上げなければ…。一昨日の鎌倉でもそれを思って帰ったのでした。

12月7日
府中の欅並木。この先に大國魂神社があります。

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こんな寒風のなか、植え込みに水仙が。

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12月8日
第1回目ができたこと、とてもうれしく思います…記者さんからのメールに一瞬じんときました。連載のコラム。なんだか不思議なのですが今回に限り私より記者さんのほうがご自分のことのような熱意。こんなに使命に燃えて鎌倉の源氏物語を記事にして下さる方と巡り合えたなんてととにかく不思議です。

コラムを連載させていただくのは金曜日発行の「タウンニュース 鎌倉版」。6万部発行だそうです。月一回、回数無制限で書かせていただくことになっていて、今週が初回。鎌倉の方はお手にとる機会があるでしょうからどうぞご覧になって下さい。私は鎌倉在住でないので当日入手不可能。送って頂きます。

ツイッターのアイコンを変えました。

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2015.12.8 ツイッターから転載…中野幸一先生『正訳源氏物語』ご刊行記念講演拝聴・拝読してと、秋山虔・三田村雅子先生の対談『源氏物語を読み解く』を拝読してのことなど、12月いっぱい『源氏物語』に浸ります

11月23日
朝の始動前のひととき、マニキュアを塗る。疲労が溜まって昨夜できなかったから。怒涛の11月のイベントもあと二つ。今週で終わるからあとは籠って原稿にかかる。今までだったら徳川美術館の展示、行っただろうなあと思いながらその気が起こらない。ひと時代終わったとしみじみ思う今日この頃です。

11月24日
私の道のりはすんなり国文科に行ってたらとっくに学者になっていただろうけどそうしたら今のテーマに出逢ってなかったと恩師にいわれ、テーマに出逢ってからは多難でした。でも井筒俊彦さんが神秘哲学でいわれてたけどいつか向こうから手が差しのべられる時がくると。それを信じての道のりです。

と、なにかひと時代終わった感があることからの述懐(笑)

またお上りさん@内幸町 終演は9時。いつもより遅い…

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勉誠出版主催、中野幸一先生『正訳源氏物語』ご刊行記念講演。拝聴してきました。

中野幸一先生『正訳源氏物語』のご刊行。ちょうど『源氏物語』を読みなおしたく思っていた時でした。与謝野源氏で育ち、谷崎・円地とそれぞれに耽溺しましたが今は原文主義。でもこれでは進まないので『吾妻鏡』の現代語訳のような『源氏物語』の現代語訳を欲しいと思っていましたので楽しみです。

たまたま秋山虔先生のご訃報で秋山虔・三田村雅子先生の対談『源氏物語を読み解く』を拝読中。私としては近来になく読み耽って内側から揺さぶられているところへの今夜の中野幸一先生の現代語訳という外側からの揺さぶり。今は言葉にするのが惜しいような感覚で『源氏物語』に揺さぶられています。

11月25日
お便りをしたためていて、あれを書きましょうと準備していたことがあるのに書き始めたらどんどん相手の方とその周縁の話に深まっていって結局準備していたことは入れられなかった。でも深まった話の方が本来重要。手紙だけでなく文章ってこういうこととつくづく思う。昨夜の紫式部の話にも関連して。

11月26日
NHKBSプレミアムの国宝源氏物語絵巻、珍しく食い入るように観ました。というのも絵巻があれほど劣化していたとは思いもよらず、それが修復後にあれほど綺麗になっていることに驚いて。たまたま慈光寺経が八年かけての修復記念に一挙全巻公開展があり、講演で実際に修復された装潢師さんのお話を

拝聴した直後だったのが、それと同じことが期を同じくして国宝源氏物語絵巻にも行われていたのですね。具体的にどういうことをなさってられたかもよくわかって興味津津でした。慈光寺経に携わられた装潢師さんは半田九清堂さん。国宝絵巻は見逃したのかわかりませんでした。凄い忍耐力のお仕事です。

『源氏物語を読み解く』を拝読してやはり『源氏物語』は主人公が光源氏の章のほうが紫式部の筆が深いと実感。宗教とか哲学・心理学の領域。宇治十帖にそれはなく浮舟の悩みも社会的な段階なのだなあと。秋山・三田村両先生の分析がそうなっている・・・。浮舟の悩みに理論が深まらない事実に驚き。

11月27日
おはようございます。昨日で怒涛の11月のイベントが全て終わりました。最後が多摩の講座だったから不慣れで(反省!)どっと疲れて昨夜は不覚にも仮寝のままの就寝。で、早朝に目覚めていろいろ反芻しています。先月慈光寺経展と一遍聖絵展のご紹介をしたから、昨日は受講者さんから行ってきましたのご報告を頂く。甲斐あると嬉しいです。

11月28日
来月から月一回で連載させていただくコラム【鎌倉と源氏物語】。第一回「鎌倉の源氏物語との出逢い」の原稿がほぼこれでGo!となりました。記者さんの配慮が行き届いて源氏物語らしい雅なデザイン。編集長さんからも凄く面白いね!と頂いているそう。鎌倉の方にも新たな発見がたくさんある内容と。

夜の吉祥寺。昨夜、夜空に飛行機雲状の白い線が延びていて何だろうと思ってました。近づいたら吉祥寺のライトアップのレーザー光線?でした。幻想的な音楽とともに歳末の街を飾っています。

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11月29日
紅葉は日があたると映えます!@井の頭公園 一本の木の枝先にだけ日があたっていました。

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昨夜から中野幸一先生『正訳源氏物語』に。思ったより大きくて外出のお供にいい文庫版ならと恨めしい思いがしてたのに深夜開いたらこのサイズだからこその紫式部と同じ空間を共有できそうな親近感。後書きで寝落ちしてしまいましたがこれから静かに浸れそう。田辺源氏は読みやすそうだけど止めました。

中野幸一先生『正訳源氏物語』巻末「附録・『源氏物語』をより深く知るために」の「桐壺巻後記説」、面白く拝読。検索して吉岡曠氏「源氏物語『輝く日の宮』について」も。『源氏物語』に嵌まりだしたらきりがないのにしばし浸ろうと思いつつついこの前までは玄覚について思考していたのになあと感慨。

12月いっぱい、『源氏物語』に浸ります。

11月30日
中野幸一先生『正訳源氏物語』桐壺巻拝読。不思議でした。現代語なのに原文を読んでいるかのよう。時々、あれッ、これ原文?、と対照の本文を見ると明らかに現代語訳。それほど本文のセンテンスの長さ、息継ぎが忠実。覚えている本文が頭の中で同時進行してまさに書き手紫式部の書く呼吸そのままです。

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2015.12.2 ツイッターから転載…鎌倉の旧満鉄総裁山本条太郎邸見学と、吉川弘文館シンポジウム「鎌倉将軍権力を考える」@横浜開港記念館

11月21日
予定どおり道中のお供は秋山虔先生と三田村雅子先生の『源氏物語を読み解く』。読み切るのは量からして大変だけど、なぜ源氏物語を?は、コラムにかかる私にも重要になってきたから、しばし深読みしてみたく思います。鎌倉に向かっています。今日はイベントへの参加だから気楽。晴れてよかった。

今日の鎌倉の空。

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旧山本条太郎邸は鎌倉能舞台と同じ谷戸にあり、別荘の市中山居という理想を実現しています。鎌倉の関東大震災以前の別荘建築の希少な現存例で、普段は非公開。京都で表千家の数寄屋大工も務めた笛吹嘉三郎の設計だそうです。 この写真は玄関へのアプローチ。

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大広間からはこのように鎌倉の海が見えます。大広間は大正時代にも関わらず大きな硝子が嵌められた戸で、硝子は人が座ったまま外が見えるよう低い位置に嵌められています。高い位置には障子に見える白い曇り硝子。

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京都の表千家に携わった数寄屋師として表千家の残月亭と同じ欄間が。床の間も床脇に脇座を設けるなど、残月亭を意識しているそうです。風流の贅沢の極みでもどこか懐かしい気がしまし。笛吹嘉三郎は有名な数寄屋師笛吹嘉一郎の父だそう。

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照明の竹細工に風流にも彫刻の虫がとまっています。

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唐紙の襖。廊下にはずされて置かれてました。

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鎌倉の別荘は妾宅が多いそうですが、山本条太郎邸は本宅でした。帰り、野点の席を設けるなどする広い敷地を抜けて門に至るまでのあいだ、木の間から半月のような月が見えていました。

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11月22日
吉川弘文館シンポジウム会場横浜開港記念会館のステンドグラスです。

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今日はこのシンポジウムに。吉川弘文館『鎌倉将軍権力を考える』。『鎌倉将軍・執権・連署列伝』刊行記念です。ちょうど私が取りかかっている頼経以降の歴代将軍の時代の本。早速購入して拝読しています。2割引でした! 扉の上のレリーフが素敵でした。

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横浜に来たなら海を見なくては! と回りました。レンガ倉庫と観覧車。こういうショットも珍しいかな。

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2015.12.1 ツイッターから転載…鎌倉のタウン誌にコラムを連載させていただきます。その打合せに鎌倉に行きました→時頼邸跡の宝戒寺を訪ねて。

11月16日
物事のはじまりはいつも怖気づく気持ちが湧くから弱気。今日はそれを克服して出てきました。鎌倉に向かっています。道中のお供は小川靖彦先生『万葉集と日本人』。残念ながら鎌倉の源氏物語で読みたい本がなく。小川先生のご著書は専門的な内容でありながら一般に向けて易しく書かれています。

『万葉集と日本人』はずっと最近の道中のお供なのだけれど、大切なことが書かれ過ぎて覚えようとして覚えきれない。今も前に読んだところまで確認したのに初めて読むような新鮮さ。知っていることだけどもっと詳細にと思う焦り。それくらいこのご本は素敵。目下村上天皇の梨壺の五人のところです。

まもなく鎌倉。珍しく短時間で済む用なのでせっかくなら撮ってきましょうとカメラを持って出たから、重い! これで歩いたらまた明日目眩かもと要注意しつつの一日になります。一眼レフでもないのに…

少し前の若宮大路の空。今日は夕焼けするのかなあと眺めてましたが、しなかったよう。

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宝戒寺。時頼邸はここでした。宗尊親王が鎌倉に着いて最初に御所としたのも。

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宝戒寺に向かう道。たぶん鎌倉に着いた宗尊親王の行列がたどった道。たぶんというのは私は鎌倉在住でないので、文献からの推測です。道が当時と変わってるかもしれないし。

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宝戒寺が時頼邸跡というのは知っていましたが、鎌倉滅亡時の高時邸でもありなんとなく近寄るのを避けていました。今日やっと訪れました。なんかやはりおどろおどろしい感じがして、これが鎌倉なんだなあと。

宇都宮稲荷大明神。第四代将軍頼経の御所跡です。雪ノ下教会裏手です。

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妙隆寺。宗尊親王の御所は雪ノ下教会一帯で、東限はこの山門あたりまでとか。

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宝戒寺に向かう通りから見た妙隆寺山門。

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若宮大路幕府旧蹟碑。宝戒寺とはすぐ近くです。

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宝戒寺敷地内に建つ北条執権旧蹟碑。

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宝戒寺。本堂脇に建つビャクシン。一瞬時頼が植えたのかと思いましたが、久邇宮様お手植えとありました。

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今日は霜月騒動の日だったんですね。初めて読んだのは網野善彦先生のご著書で。網野先生が安達泰盛をいい武将と書いてらして、その時以来の安達泰盛ファンです。

11月17日
昨日は鎌倉でタウン誌の編集者さんと打ち合わせ。コラムを連載させて頂くことになりました。鎌倉の源氏物語の価値を理解して下さって。僕が新鮮な驚きでいっぱいなように鎌倉市民の方にもと。回数無制限。いったいどうなるでしょう。秋山ちえ子の談話室みたいになっていったら理想と夜中に思いました。

日本の古本屋に頼んでいた最後の一冊井上通泰氏『万葉集雑攷』が届きました。井上氏は柳田國男のご兄弟で鎌倉は妙本寺境内の万葉集研究碑の碑文を書かれた方。このご著書で仙覚を比企時員孫の員長としたいのだが年代が合わないと断念されました。でもこれ重要!ここから私の仙覚研究がはじまりました。

大輪の白薔薇が幾つも咲いたのに蔓薔薇で高いところに咲いて、忙しなく過ごしているあいだ、いつも地面に散った花びらで知った。蕾の時にみつけて切花にしたかったに。もう終わりかと思った今日、やっと手の届くところの蕾をみつけて切りました。

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11月19日
怒涛の11月も半分こなしてやはりきついからその度に翌日伏せってた。体力落ちてるなあと実感。でも締切ものは済ませたしあとは楽しい予定ばかりだから(多摩の講座があるけど…)余裕。思ったこと。これからはもう無理をしないで撮りに回るのもやめてゆったり過ごそう。予定に穴を開けないように。

11月20日
こういう世の中だからこそ心が飛翔するなにかが大切と朝から思いつづけて源氏物語のことなど考えています。こういう世の中だからこれは自粛しなければなどとともすれば心がしぼむのだけれど…

考えてみれば私がたどってきた源氏物語の写本に関わった人たちの歴史もみんな心が折れそうなことを懸命にくぐり抜けて、そういう中で源氏物語と向き合っていた。心が折れそうになるとその人たちを思い出して慰められるのが習慣になってしまったけれどこれって案外正しい。これも源氏物語の一つの意義。

気になって田辺聖子さんの源氏物語ってどんなのかしらと検索。現代語訳?それとも翻案?。というのも宝塚の舞台が田辺聖子さんの「新源氏物語」が原作というので。どうやら現代語訳でありながら大きく翻案もされていて独立した読物になっているよう。あさきゆめみしにも影響と。成る程でした。

連載させて頂くコラム。不慣れなので締切より大分間があるけど一稿を送らせて頂いたらお返事。編集者さんの意向がよくわかって勉強になりました。源氏物語の泰斗秋山虔先生のご訃報に接し、三田村雅子先生とのご対談『源氏物語を読み解く』を借りてきました。明日の道中のお供にしようと思っています。

11月21日
昨夜、蕾の薔薇が少し開いていい具合。現代は平たい薔薇が主流だけど、私は薔薇といえばまだこのクラシカルなとんがって咲く形に惹かれます。

K

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