12月20日
今メールを見たら。はじめたばかりのちいさな連載。第一回を送っていて第二回の締切は当分先と思ってたら、事情で第一回をもう載せたので1月10日までに第二回を欲しいと。必然的に万葉集へ帰還。年内のんびり源氏物語と決め込んでいて万葉集に戻れない気分がどんどん追い込まれていってます(笑)
紅葉を掃いた落葉の山は紅…。どうということもないけれど。
12月21日
黄金色です!

今日は私が勝手に消えない夕焼けと名づけている空。

12月22日
昨夜ようやく『書物学』に読書が進み、日比野浩信氏「古筆切の世界」を堪能した後目的の小特集「清原家の官・学・遊」へ。これは六月に一日限定で開かれた慶應義塾大学での「清家展」を振り返っての佐藤道生・佐々木隆浩・堀川貴司のご対談。教隆が関東で活躍した由来などじっくりわかって満足でした。
溜まっていた所用が片づき多摩の講座の準備に気を向けられるようになったら、多摩の受講生さんたちには称名寺や金沢文庫はそれほど身近でないだろうなという思いに至り、本題に入る前に少し金沢文庫を特集しようとなりました。金沢文庫から始めたコラムがこんなところに影響してきています。原点回帰。
今度の回がいよいよ尾州家本源氏物語に実時が奥書を書く時代に突入なんですが、その実時がどれくらい優れた武将で、鎌倉幕府の中でどれくらいの位置を占めていた重要人物か知らなければ、いくら私が奥書を書いたとその感動をお伝えしても空回りになるでしょうから。
吉祥寺の映画館で。サンローランのポスターが貼ってあったので、いつから?と訊いたら、未定です、と。未定でもCOMING SOON…
孔雀草が咲いていました。野菊のようなこの花のどこが孔雀?と思ってたら、凄い長く茎を切って束ねて持つと孔雀の尾のように豪勢なんだそう。小川町の方から聞きました。小川町で改良品種されて広まった花のようです。

雲の上から月が昇ってきました。

温めたミルク珈琲が美味しい。こんなところで風邪をひくわけにいかないから。やっと多摩の講座の内容が動き出してひと安心。前に作ったパワポがあるからと油断してたらその後どんどん深まって見えてきたものがあり、それが全く反映してないことに気づいて焦りました。時頼の原稿を書いてきた成果です。
12月23日
むらさき通信№3、受講生さん用32枚プリントしました。展覧会情報に東海大学湘南校舎での【桃園文庫展―池田亀鑑の仕事―】を。「青表紙本源氏物語」・「河内本源氏物語」二大写本を提唱された方としてお伝えします。他にタウンニュース誌のコラムを。事務局では白黒コピー機しかないためカラーで。
金沢文庫は横浜市なので金沢文庫や実時のことを書いてもタウンニュース鎌倉版ではあちらの方々に見ていただけなくて残念と思ってました。でもお知らせしたら、金沢版があるらしく、その事務所に行って取り寄せてくれるよう頼んだと。お知らせするとさっと動いて下さる方々ができてきています。感謝。
12月24日
欅はすっかり葉が落ちました。機械を運んでいるので晴れてよかった。これから多摩の講座です。

12月25日
昨日の多摩の講座「鎌倉の万葉集と源氏物語」でようやく仙覚さんが登場。私がそうだったように一般の万葉集の読者に仙覚さんを知る人はほぼいないはずだから、鎌倉時代に鎌倉で万葉集を研究して、それが西本願寺本万葉集となり、現代の活字化されている総ての万葉集の凡例に載っていると説明。
鎌倉での講演でいつも鎌倉の方にお伝えしているのですが、そういう偉大な業績を残す仙覚さんを、鎌倉はもっと誇っていいと。誇るべきと。それを昨日多摩の方にお話したらニコニコとうんうんと頷いて下さってました。
人を待つあいだの和みの光景。

今日(昨日)中野幸一先生の『正訳源氏物語』第二冊が届きました。でもまだ第一冊を読み切ってないのでこれから少し帚木を読んで寝ることに。帚木の文章はいいと中村真一郎氏が言われたと知り大切に読みたいと余裕のある時間を見計らってたらこんな遅くに。でも年内の予定はもうないから大丈夫。
なんとなく帚木の巻は雨夜の品定めの気分が強く気が乗らないのだけれど、空蝉の巻でもあるんですよね。中村真一郎氏がいいと仰られた文章はたぶん空蝉のほうのことと思うけど、現代語訳でそれがわかるかしら…。空蝉のことは後半だから、いずれにしても雨夜の品定めを通らなければなりません。
12月26日
おはようございます。昨夜は雨夜の品定めで睡魔に負けてあえなく撃沈。私はほんとうにここがダメ。つまらないんです。
12月27日
中野幸一先生『正訳源氏物語』には巻末に「源氏物語をより深く知るために」という「付録」があり、第一冊では桐壺巻後記説が紹介され、第二冊は「かざり」という文章の中の本題と無関係にみえる段について。若紫と過ごした帰りの道筋でかつて通った女性の家の前を通ったら思い出して歌をやる光源氏。
これはこのエピソードがなくても若紫と会って帰ったとして繋がるけど、余韻としてこれがあるために文章が深まると。そういう挿入されたエピソードを古注釈書がかざりと言っているそう。中野先生もこれは現代の小説にもいえることと書かれてますが、文学の余韻ってこういうことなんだなあと頷きました。
源氏物語の先生にはいろいろなタイプの方がいらして、文法に厳しく本文に忠実に読み進まれる先生がいらしたり、私の先生は宗教観・自然観を深めて下さる教え方でしたが、中野先生は文章そのものについてのご洞察。興味深い付録に現代語訳本文の読み進みが間に合わなくても第三冊以降が待たれます。
12月28日
迫力ある雲でした。小笠原方向。

お茶の花が咲いていました。

横縞になった雲の間に月があり、絵になる風情だったのですが、スマホでそれは撮れず、悔しい思いを噛み締めながらのショット。なかなか月にいい具合に雲がかかるのってないから。

何だろうこの突き抜け感。月は有明にて光をさまれるものから、影さやかに見えて、なかなかをかしきあけぼのなり…、この文章がここにくるなんて。雨夜の品定めの直後のここ。紫式部はここで脱皮したんだぁ〜と思わずにいられない。帚木の文章がいいというのはここのことだろう。それにしてもこの文章、
前から感じていたのだけれど、誰の主観?、誰の目? まるで天上にいる人の目としか思えない超越感。こういう視点の文章って現代の文学にあるのかしら、謎。寝ようとして気軽に読み進んだ雨夜の品定めの直後のここに遭遇してすっかり眠気がとれてしまいました。もっと考えたいけどとりあえず寝ます。
12月29日
朝コラムの連載第一回のタウンニュース鎌倉版をお送りしたある方からお電話を頂戴して頑張るようにと励まして頂き、夜は写大の先輩からJPA(日本写真作家協会)展の今年の写真集を送って頂いたのを拝見し、途中高遠先生の怒涛のようなRTを遡って過ぎた時間に楽しく浸った素敵な今日の一日でした。
そうそう、今朝、道側から見た塀の奥に侘助が一輪咲いていました。あ、っと思って撮れる位置でも咲いていたらと期待したのですが、庭側はまだ全部蕾。でも、まもなく咲きそうな嬉しい発見。白椿、いいですね・・・