2016.1.30 ツイッターから転載…東海大学湘南校舎図書館【桃園文庫展―池田亀鑑の仕事ー】のことなど
1月15日
小田急線ロマンスカー。以前よく箱根に行ってたから乗っていた。鎌倉に行くにも藤沢経由で江ノ電。湘南ラインができて遠のいたけど久々の小田急線でロマンスカーを思い出しました。時間があったら途中下車になっても乗ってみようかななど思わないでもなかったのですが。
ロマンスカーに抜かれました。しっかり眺めてしまいました(笑)。以前はメロディーが鳴ったのに周辺住民の方の騒音になるから廃止されてだいぶ経ちます。でも、あのメロディーが旅行気分を盛り上げて楽しかったなあなどと。勝手ですが。道中のお供はプルースト第三巻です。
大山です。伊勢原駅直前はもっと大きな全貌で見えていたのですが、気がつくのが遅かった……
これは絶景。たぶん、伊勢原市街地。
今日(正確には昨日)はこちらを観てきました。【桃園文庫展 ー池田亀鑑の仕事ー】展@東海大学湘南校舎図書館
池田亀鑑先生は源氏物語の写本を青表紙本と河内本とそれ以外の別本系統とに分けられ、青表紙本と河内本を二大写本とされました。青表紙本は藤原定家の校訂で京都で成立。河内本は源光行・親行親子の校訂で鎌倉で成立しました。が、国文学界では近年この両者の本文が似ているから二大写本に分ける必要がないという動きになっているようです。
両者が似ているのは定家と光行は一歳違いで共に俊成から源氏物語を学び、諸本を見せ合う仲だったから当然。でもこれも従来国文学界ではあまり言われてなく、かえってライバルのような対立の構造で語られてきました。国文学界のように本文だけで考えたら二大写本に分ける意味はないのでしょうけれど、それでは鎌倉で成立した源氏物語があるという歴史が消えてしまいます。
そうでなくても源氏物語は京都の文化として、鎌倉で成立した河内本が無視され一般の方に知らされていないのが現状なのに。私は池田亀鑑先生の偉大なご業績を変えて欲しくない一心でいます。
なぜ東海大学に桃園文庫があるのか不思議でしたが、行ってみてわかりました。当時の図書館長だった方の妹さんが池田亀鑑先生の奥様で、池田亀鑑先生が亡くなられた後の桃園文庫の所蔵先を探すのを委ねられたそう。それを会議の席で図ったら、学長さんが即決で購入を決められたのだそうです。凄いです。
私のように写本から歴史を読み解いていると、池田亀鑑先生の『源氏物語大成』にはそれはもう大変な恩恵を頂きます。その展示の桃園文庫展。胸いっぱいで、感動などというひと言では片付けられない思いを抱いて帰りました。なにしろ原稿用紙の肉筆原稿も展示されているのですから。
先程のツイートで国文学界が、のような言い方をしたので誤解されるといけないので追記させて頂きます。池田利夫先生は『河内本源氏物語成立巧』というそれはそれは詳細な源光行の年譜を作られて、私はそこで光行さんの動向の一切をご教示頂きました。そこから鎌倉の源氏物語の世界が広がりました。
1月17日
冬枯れの林。椿の花も終わって。でも、どことなく春の気配。暖かな日差しのせい?夜から積雪の予報なのに。
いろんな事が片付いて、大団円という言葉がどことなくする昨今からか、手入れが行き届かないならもうしないと決めた園芸にも気持ちが向き、野菜を買いにきてつい買ってしまいました。好きな這うような枝ぶり。ローズマリーです。
1月18日
雪が積もって薄明るい未明。昨日借りてきた『源氏物語大成』を見ています。持っているコピーには2004年6月11日の走り書き。あの頃は必死で必要な箇所しかとっていないから、見落としがないか確認の作業。もう終わったと思った鎌倉の源氏物語。粛々とまだ終われないの気に。
「北条時頼と源氏物語」の原稿。あと最終章を書けば終わりなのに滞っている。これは昨年末までに出す枷がなくなったこともあるけど、こういう時はたいてい何かの見落としやあるいは新たな発見があって、今最終章を書いてはいけないとストップされている時。桃園文庫展がその何かのきっかけかも。
雨で雪もだいぶ溶けてきました。今日のポストには鎌倉からのお便りが二件。二通とも嬉しいお知らせ。一通は「北条時頼と源氏物語」の原稿について。もう一通は先日出版された佐藤文子さんの『筆蹟のテツ』の講演会情報。時頼の原稿は未明から考えているのですが、やはり早く最終章を書きあげようと。
1月19日
昨日は雪かき。今日は部屋の片付け。春を迎える心地です。大寒もまだなのに…(笑)