2016.2.22 ツイッターから転載…『薔薇の名前』を思い出して。そうしたら翌日ウンベルト・エーコ氏の訃報。それは私にとって小説か学術かを考えての狭間でした。 & ボッチチェリ展のこと
2月17日
鎌倉文学散歩で企画している扇ケ谷奥の浄光明寺周辺の一帯は、横須賀線で北鎌倉駅直後のトンネルを出るとすぐに見えます。ちょうど岩船地蔵堂が目印になってくれました。
この尾根の向う側が建長寺などのある山ノ内。尾根を背景にしてひっそり静まる美しい一帯です。この尾根を鎌倉の方が京都の東山みたいですものね、と。お公家さんたちも和んだでしょうと。
2月18日
『薔薇の名前』が心に浮かんだらとてつもなくそういう小説を書きたくなった。あの導入部は最大の憧れ。いつか書く、そんな小説。と心に思ってる。まだ学術でいくか文学でいくか迷走中だけど…。(というのも、夜、ある方から学術の分野でのお電話を頂戴して嬉しかったのだけれど…)
お電話で頂いた学術のお話の件は、実時の奥書についてでした。貴方があそこまでやるなら、もっとこんなふうにも、とのアドバイス。うーん、それをするとまた10年(まではかからないまでも、学生でない私には時間の捻出が大変)。いっそ小説にしてしまおうかとの意で薔薇の名前が浮かんだのでした。
尾州家本は時頼の没後だけど尾州家本を書かなくては鎌倉の源氏物語にならない。でもそれを書くには実時の奧書が自筆か否かを決めなければならない。私の手に負える問題ではないから信頼できる方に判断を委ねたらきっぱり自筆という方と一目で違うという方と。今日のお電話の方もきっぱり違うと。それを
今日のお電話の方は、貴方が自分で確信を持つまでにならなければいけない。そのためには、というアドバイス。奧書の件に決着がつかないから原稿が留まっていた。ここは覚悟して今日のお電話の方のアドバイスに従い自分で判断できるまでにならなければいけないのかもしれない。覚悟して…
お電話を切った直後は、そんな〜と反抗気味だったのですが、滞っている原稿の原因を考えたらまさにここ。阿吽の呼吸で頂いたアドバイスです。素直に受け入れる気持ちにだんだんなってきています。井筒俊彦氏神秘哲学の、あるところまで昇ると向こうから手が差しのべられるとはもしかしてこれかもと。
2月19日
今日は外出。車窓から暖かな陽射しが延びています。昨夜からずっと頂いたお電話を反芻。頭から離れません。貴方のしている事は歴史研究なのだから小説を書いていた事は忘れて自覚するべきと。そこまで来てるのだからと。その直後に私は『薔薇の名前』を思ったりして学術と小説のあいだをぐるぐる…
堪能しました@ボッティチェリ展・都美 昨年くらいからボッティチェリ関連の展覧会が続いて三回目。ボッティチェリにぐっと親近してしまいました。
ボッティチェリ展会場出口ではボッティチェリと並んで記念撮影ができます。
夜の遊園地@上野 なにかかきたてられるものがありますね。
遠くにライトアップされたスカイツリーが見えました。
2月20日
おはようございます。ボッティチェリ展会場を4時間近く鑑賞して回ってたので気分の高揚とは別に疲労が心配で早々に休んだらこんな時間に起きてしまいました。そしてすぐ考えたのがボッティチェリの【誹謗】。私はこの作品に知識がなくツイッターで【誹謗】が来る!と騒ぎになって知ったのでした。それ
で寓意の細かいところまで理解していたから絵の前に立った時に違和感なく寓話の世界に入り込めました。私も一応過去に小説の世界でこういう事件を経験しているから他人事でなく見入ってしまったのかもしれないと、起きてすぐ浮かんだのが誹謗だったことに感慨。それにしても誹謗が美しい女神だなんて!
でも、経験は人を強くしますね。一応経験した過去の誹謗のような事件がなかったら私はずっと「絵に描いたような幸せの構図の奥さん」でいたでしょう。どん底を知っているから今書いていられる。そう思います。
まだ誹謗が頭から離れません(しつこい! 笑) 。【誹謗】は無実の人をいじめる誹謗を中心とした女神達が【春プリマベーラ】さながらに描かれる左端に【ヴィーナスの誕生】のヴィーナスそっくりの真実の女神が立っています。面白いと思ったのは【ヴィーナスの誕生】のヴィーナスが両手で裸身を
隠すようにしているのに対し、【誹謗】の真実の女神は片手を高々と挙げている。さながら勝利の宣言のように。作品全体では無実の人は決して救われてないのに、それどころかこれから苦難の道が始まるのはありありなのに、作品全体が真実の勝利を予言している。それで作品が屹立していました。
◆『薔薇の名前』に触発されて小説を書きたくなってたまらなくなったのが18日夜でした。そうしたらその翌日、19日にウンベルト・エーコ氏死去の報が世界を駆け巡りました。以来、ずっとウンベルト・エーコ氏のことが頭から離れずにいます。『薔薇の名前』に傾倒していながら、作者のウンベルト・エーコ氏については何も知識がありませんでした。それどころか映画「薔薇の名前」の印象が強烈だから作者のイメージがショーン・コネリーになってしまっていました。訃報ではじめて小説家であると同時に哲学者でもいられたことを知りました。私が惹かれたのはたぶんそこです。単なる小説家でない歴史の深みを感じていたのです。18日夜にある方からお電話を頂き、私がさしかかっている「北条時頼と源氏物語」の最終章で問題になってくる北条実時の「尾州家河内本源氏物語」奥書の自筆か否かの問題に言及されました。「貴方がしていることは歴史研究なのだから、小説を書いていたことは忘れて歴史研究家として自覚しなさい」という、ある意味不甲斐ない現在の私へのご叱責でした。それで学術をとるか小説をとるかの問題が発生して『薔薇の名前』が思い浮かんだのでした。常々、こういう小説を書きたいなあ・・・と思っていたのが『薔薇の名前』です。もちろんウンベルト・エーコ氏ほどの作品は書けませんが、少なくともその系統に属する作品になるだろうとの目標になっていました。その原点が「小説家であると同時に哲学者でもあった」からなのですね。ある方から有難いご忠告のお電話を頂き、学術か小説かの二者択一を迫られた時に『薔薇の名前』が脳裏に浮かんだのは必然でした。なのに、まさか、その翌日氏の訃報を聞くなんて。思いがけない運命の巡り合わせに感じ入っています。