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2016.2.7 ツイッターから転載…『源氏物語大成』『尾州家河内本源氏物語開題』を古書で入手して再読、コラムや松下禅尼の原稿のことなど。

1月30日
「松下禅尼と『源氏物語』」という小文を書きました。一晩おいて明日送る予定です。

真夜中の源氏物語大成。面白いのは一言に注釈書といっても作者によって色合いが違う。源氏釈の伊行を定家は主知的として批判的な眼差し。その定家はといえばやはり歌人としての感性が向かうところの注釈だから芸術的といえるだろう。と、青表紙本まで読み進んで、今夜から河内本です。

光行の研究態度を読み進めていて、なんか仙覚みたいと感じ、いや、これは仙覚と同じだと思った処にこの一行。「先ず光行は万葉集の研究に着手した」。そして「この光行本は親行に伝えられ、親行本は仙覚校本の根源をなした」「特に光行の所持本が仙覚本の基礎をなしたことは注意されなければならない」

さらに、「この事実からみても光行が万葉集特にその本文研究に著眼してゐた事情を知ることができ、将軍実朝が光行によつて万葉の歌風に導かれたのではないかとの推定を可能ならしめるのである」。←光行における万葉集研究の重要性は池田利夫氏作成の光行の年譜によって知っていて気になっていました。

光行の事跡と年代を追っていて、私は光行は実朝の家庭教師的存在だっただろうと推定し、実朝の歌の万葉調は光行によるものではないかと、講演でお話してきました。なんとなく自説で気後れしながら。でも、池田亀鑑先生がすでにこう書いていられるのなら、これからは堂々とお話します。

メモ: 光行の文章は国文学の伝統に立ち、古典の用例・故実に基づき、これに加ふるに漢文学からの豊富な語彙・事実・文体を以てし、所謂和漢混淆の流麗な新文体を創造した。戦記文学や紀行文学に見られる文章の彫啄等は、中世文学の一特色をなしてゐるが、これらの文学を発展せしめた功績の重要な部分は、光行やその友人たる長明等に帰せらるべきものである。海道記・東関紀行・平家物語等の作者もしくは関係者として、光行が擬せられてゐるのは謂れないこよではない。

1月31日
相模湾の方から分厚い雲が広がって来ています。

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「松下禅尼と『源氏物語』」の原稿、送付。朝になって松下禅尼の祖母丹後局について少し書き足しました。

また古書でとんでもない本をみつけてしまいました。源氏物語大成とか仙覚研究とか今までこの購入方法を知っていたら遠くまで図書館に通わなくて済んだのに・・・。とりあえず注文確定のメールが来たので、あとは書店の在庫調べ待ち。私にはどれも凄い価値の本ですが、どれも三千円はしてません。

2月1日
風邪をひいて欠席の電話を入れました。少し寒いと感じると必ずひくから注意してたのだけど、考えてみると講座や講演のあとに必ず体調を崩すからほっとした気の緩みにつけこまれるのかも。注意してもムダという気もします。さらに考えると籠って書こうという意志が尊重されたとも。籠って集中します。

終日頑張って寝て、というか起きられなくて、やっと寒気がとれました。もう大丈夫。(なのにまたもう深夜・・・。これから大成を読もうかななどと。)

あれから大成を読んで就寝しましたが、河内本の章はコピーで持っているのでおさらい。でも発見がありました。「俊成・定家等は古典作品に対して知的尺度を以て測定する態度をかたく戒めたが、しかし奧入の発展を考察する場合、何人も定家が親行の学究的態度に刺激されてゐることを認めざるを得ないであらう」…。私は青表紙本が完成したのは伊賀氏の変で上洛していた親行に刺激を受けてだろうと推測しています。親行が上洛したのが夏。定家が家中の女子を集めて書写を思い立ったのが冬ですから。個人の感想でしかなかったのですがあながち荒唐無稽の推論ではないと我が意を得ました。

古書で入手しました。『尾州家河内本源氏物語開題』。私が鎌倉の源氏物語問題に携わる事になった最初の最初の本。広尾の図書館の書庫から出して貰って恐る恐る開いた…。その本が我家に。でもこれは非売品で岩波での刊行はこれからとか。

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池田亀鑑先生の『源氏物語大成』とか、この山岸徳平先生の『尾州家河内本源氏物語開題』とか、凄すぎます。一旦一巡りして終ったと思っていた鎌倉の源氏物語。そういう時に次々と入手できて。心して読み返そうと思います。

『尾州家河内本源氏物語開題』目次。光行・親行親子の業績は池田利夫先生に詳細な年譜のご研究がありますが、奥書を書いた北条実時についてはこの山岸先生のご著書でほぼ網羅されています。

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2月4日
タウンニュース鎌倉版のコラム「鎌倉と源氏物語」。第五回を書きました。といっても二月に載るのは第三回。だからこの若く美しい松下禅尼が源氏物語を読んでいたという第五回はまだまだ先。早く徒然草絵草紙で松下禅尼が障子張りをするお婆さんのイメージを払拭したいから載るのが楽しみ。

タウンニュース鎌倉版のコラム「鎌倉と源氏物語」。第六回を書きました。ひとつ書くと連鎖的に次から次へ。コラムは要領をつかんだら早いですね。次のテーマが明確に一つしかない時や、選択肢が複数あって考える時も。選び方次第で連載の流れ自体が変わってしまうから面白くもありでも慎重に。

2月5日
【気象庁情報】5日7時41分頃 神奈川県東部にて 最大震度4(M4.6)の地震が発生。 震源の深さは30km
神奈川県東部はほぼ隣接。地鳴りがしたと思ったら揺れたのですが突き上げるでもなく、横揺れでもなく、一瞬の不思議な揺れでした。三鷹市は震度3とでていますが、横揺れでないのでそんなに揺れた気もしません。地鳴りが走っていくのをはじめて耳にしました。

風邪はたいしたことないと思ってもやはり症状を一巡しないと終わらないらしく発熱もしたし今は咳。日曜日に行く予定の講演会を諦めるしかないかと思案中。寒いと思うと必ず風邪をひくのを不思議に思っていたのですが、寒いと身体の免疫力が落ちるからなのだそうですね。納得してから注意してたのに。

2月6日
昨夕、六本木ヒルズ展望台様が「今日は薄雲で柔らかな日暮れでした」と美しい夕景の写真を揚げてられましたが、私も吉祥寺でその空を見て「なんだか怪しいなあ。地震があるのかしら」と危惧していました。こういう空の時よく海外で大きな地震が起きます。今回は桜島の噴火でした。(昨夜、桜島噴火)。何か因果があるのでしょう。

『尾州家河内本源氏物語開題』読了。これで古書で得た『大成』『開題』から離れ、現実に戻ります。その前に記録として『開題』から尾州家河内本源氏物語の変遷をまとめておきます。ほぼ十年ぶりの再読は楽しかった。当初の四苦八苦ぶりと打って変わってのスラスラは十年の間に身についた蓄積でしょう。

メモ: 尾州家本は実時以来その家の文庫に秘蔵されていたに違いない→足利義満によって京都に持ち出されたのでは無からうか→義満は源氏物語研究家として特に著名な人をその環境の中に有していた→それは河海抄の作者四辻善成。義満の祖母が善成の姉。母は善成の姪→尾州家本は義満から子息義教に→義教から義尚に→途中経過は推測すら不可だが、結局は関白豊臣秀次に→これが豊臣家に伝来して、大阪の役後、徳川家康の手に→家康が関東下向の時、一時尾州家に預け置いたものが、其の儘、尾州家の什物となった。

台湾地震 台湾南部の台南近郊でM6.4の大地震
地震が起きてしまいました。昨日の夕刻のような空の時、ほんとうに「決まって」といっていいほど海外で大きな地震が起きます。昨日は桜島の噴火があったのでそれかと思って安心したのですが…。自然は空も大地も連動して形象が現れます。空を観ているとそれを感じます。

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