3月3日
冬に植えた球根のミニアイリスが咲きました。モネのアイリスに衝撃を受けてアイリスファンに。でも家であんなふうには育てられないからミニアイリスをと思ったら、ほんとうにミニでした。

3月5日
今日は暖かい予報ですね。でもまだダウンのコートで大丈夫。街で短い革ジャンの人を見かけるようになったから昨日私も着て出たら、帰りが寒くてヤバイと思って帰宅早々暖かくして本格的に休みました。お陰で疲れがとれ風邪もひかずに無事に今日の始動です。3月初旬は慌ただしく気が抜けません。
今日は鎌倉かるた大会@建長寺でした。4人一組で、今年の参加者は100組。トーナメント方式で争います。今年の優勝チームは準優勝を4回もとってるのに優勝はまだ。というわけで悲願の挑戦。大学生になってました。写真は開会式の様子。

かるた大会からの帰りです。お手伝いは審判。緊張したからいささか疲れ果ててます。でもこういう機会だからこそのお付き合いも。去年一緒に審判した方からお手製のマーマレードを頂きました。一年前を忘れずわざわざ持ってきて下さって。それから知らない方からブログ読んでますよと言われたり。
メモ: 書こうとして中断している仙覚・玄覚の論文。先日ある方にその話をしたら、それは成り立つと思うけど今書くのは早いと言われたからでした。待ってればきっと他に資料が出てくると言われ、まさかと思っていたのですが、今日の会場で何気なく頂いた情報が俄然今頃になって結びついてきています。 それは川島町の金剛寺について。その方は先日の妙本寺様密葬儀の場でそれをご入手と。
メモ:試案【万葉学者「仙覚・玄覚」と比企一族】
3月6日
鎌倉文学散歩の資料作りに必要な本を借りに図書館に行ったら仏教の棚にこの本をみつけて借りてきました。佐々木正氏『親鸞・封印された三つの真実』。これは親鸞が九条兼実娘の玉日姫と結婚していたかが歴史の真実か否かを知りたい私には見逃すことのできない本。そう直感して。比企に兼実ゆかりの月輪神社があり、それを地元の人は玉日姫の屋敷があったからといいます。が、玉日姫の存在は今まで否定されてきました。が、その後松尾剛次氏『知られざる親鸞』で実在を確認したのですが、佐々木氏のこの本はさらにもっと深くそれを読めそう。仙覚・玄覚の論文に気が向いてきた今親鸞とはと我ながら…
一日で読めそうと思って親鸞の本を持って出たのだけれど疲れが溜まっているからすぐ睡魔に引き込まれて進まないでいると、出先で戎光祥出版『足利尊氏』を戴く。鎌倉文学散歩の浄光明寺は尊氏ゆかりの寺院だから読まなくてはと思っていたからこちらを先にとの啓示かも。親鸞の本は後回しに。
3月7日
吾妻鏡を読む会の帰りです。親鸞本はともかく文学散歩の為の資料用に、多摩の講座では徒然草、実時奥書のための尾州家本関係、そして降って湧いた仙覚の論文…、とこれを数日単位で切り替えて読むのはきつい。出先で本の企画が決まったからよろしくとのお話も。糸が切れた凧みたいな迷走気分です。
いつもすぐにお返事下さる先生からなかったから変だなと思っていたら戴いたご著書に挟んであって、先月の会に私が風邪で休んだものだから教室の一人が借りて帰って先に読みましたと。道理で新著にしてはピリッとした感じがないと思ったのが納得。細かい事を気にしない先生らしいなと微笑ましく。
外に出たら霧が出ていました。いつもの街がまったく違って素敵でした。それとは別に、霧の中を歩くのは不思議だ、どの木も他の木が見えない、というフレーズを久しぶりに一人でつぶやきました。
結局、やはり、親鸞本が気になって、読み始めたらやめられなくなって、途中どきどきまでして、拝読中。たぶん、読み終えるまで突っ切るでしょう。
メモ: 比企では建久七年(1196)の兼実失脚を記す勢至堂があるのを玉日姫の館があったからと説明するけど、親鸞との結婚は建仁元年(1201)だから、失脚当時まだ親鸞と玉日姫は結婚していなかった…
3月8日
昨日帰宅したら届いていました。清水亮編著『常陸真壁氏』(戎光祥出版)。昨日の会のお一人が(私とほぼ同年)学生時代に書いた原稿が突然発掘されて載ったそう。「私の手元にさえ残ってないのに」とご本人が驚き。後輩が真壁氏を調べていて発掘したのが掲載に。素敵な大学だなあと。拝読が楽しみ。
ここはもうすっかり春!@井の頭公園西園

ヒヨドリが嬉しそうに群れてます。

吉祥寺の古本屋「よみた屋」さんに谷崎源氏物語の一式が出ています。和綴じ本ぽい、茶色く古ぼけた全集です。先日のシンポのご報告で「である」調は旧訳と教えて頂いたので中を見たら旧訳でした。一冊100円。全13冊。よほど買いたいと思ったのですが?
親鸞にとどまっているわけにいかないので駆け足で梅原猛『親鸞「四つの謎」を解く』拝読。これは私が読んで惹かれた三つの書、松尾剛次『知られざる親鸞』、佐々木正『親鸞・封印された三つの真実』、石丸晶子『式子内親王伝ー面影びとは法然』を総まとめにした内容。玉日姫の実在説派です。
親鸞の伝記の不可解についてわかったこと。それは親鸞の曾孫覚如『親鸞伝絵』と妻の手紙『恵信尼消息』が絶対的史料とされてきた為。でもこれは「東西本願寺・日野氏」の史料で、抹殺された史料に覚如の子の存覚『親鸞聖人正明伝』がある。こちらは仏光寺・九条家。玉日姫は九条兼実の娘だから、親鸞の
最初の妻が玉日姫だったというのでは日野氏側が主導権がとれないための抹殺。恵信尼は日野氏のゆかりらしいです。江戸時代までは両方共に受け入れられていたのが、明治以降決定的に潰され、玉日姫の実在までが疑われてしまったようです。九条家ゆかりの寺院には木造の玉日姫の彫刻が複数。
スケジュール表を見るのを忘れていて先程確認したら比企万葉幻想の締切があったのに気づき、何も書くことがない…と焦りました。が、じきに玉日姫を書けばいいと思いつき、もともと親鸞の最初の結婚にこだわったのは比企につきのわ駅があるのを不思議に思ったからだったのだと。親鸞本が役立ちました。
3月10日
多摩の講座の準備に取り掛からなくてはならない時期だから徒然草を持って出ようと思ったのですが気が乗らず、机上にあった岩坪健氏のご論考のコピーを持って出て車内で拝読していたら、兼好が青表紙本を書写したことが書かれていて俄然奮起。兼好と源氏物語の関係は楽しい! なんか不思議な展開と。