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2016.5.27日 ツイッターから転載…タウンニュース鎌倉版コラム第六回【精神の系譜 上東門院から第5代執権時頼へ】の記事。菊池威雄先生「万葉集東歌の成立」拝読のことなど。

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タウンニュース鎌倉版コラム第六回【精神の系譜 上東門院から第5代執権時頼へ】

http://www.townnews.co.jp/0602/2016/05/05/331256.html

5月21日
もういいのですが先日腰を痛めてから五月末締切の論文に間に合わないと諦めて時間の流れが変りました。比企に調査に通ってと考えていたのがダメになったので。もともとこの論文は八月の研究発表の後に来年度の号に送るべきもの。無理に書こうとしても仙覚のいう「道理」が働いたのだなあと自省。

今夜は月に雲がかかって紅彩が綺麗。

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5月22日
昨夜は村田正博氏「仙覚『万葉集註釈』の形成ー清輔『袋草紙』とのかかわりをめぐってー」を拝読。仙覚が万葉集註釈を成すにあたりたくさんの書物を参照した中に清輔の袋草紙があった。そしてその参照の仕方が万葉集註釈に書かれていて仙覚の万葉集に対する一途な思いが読み取れるとありました。

今まで仙覚の側からの人物史としてしか見ていなかった万葉集。八月の発表まで時間があることだし今は静養期間だからと呑気に万葉集の研究史を辿りはじめたら、仙覚が万葉集に興味を持った最初が自身の生誕地である関東の東歌の存在とか。それが万葉集註釈の詞書に書かれているそうです。

吉祥寺アトレのここが好きです。

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もう一枚。

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5月23日
入ってみました。地元吉祥寺で開催されていて、全国には来たくても来られない方がいるのにと。

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写真撮影OKのコーナーで。

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もう一枚。

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昨日も今日も満月が山吹色でした。昇り始めの月の色が濃くなるのは知っていますが、毎月同じ位置で昇りたての満月を観てるからそれとは違います。それと六本木ヒルズさんの満月の赤さ。こちらでは山吹色止まり。都心とのそういう違いよくあります。当地では赤く観測したことはありません。

月が赤いのは地震の前兆ということで先程ツイートしましたが千葉県北西部M4.2でした。都心より当地のほうが色が薄かったので震源は都心より東と思っていたのですが六本木ヒルズ様の月の赤さに比して小さい気がします。今日は一日中眠くて、これも多分前兆。

菊池威雄先生「万葉集東歌の成立」拝読。ほんとですかぁと悲鳴をあげたくなるほどの精密なご論。万葉集研究史の世界を知らないから信じていいかわからないのですが最初の五首の事、凄く納得。こんな大それたご論、東歌の存在で万葉集に入ったという仙覚も知らなかっただろうと思ってしまいました。

菊池威雄先生「万葉集の成立」より: 東の歌の採集は決して一個人の私的な興味なぞでなされるはずはありません。東の歌は朝廷の要望に答えて、東国各地から何らかの形で奉納された歌群だと考えたいのです。

5月25日
桜井満氏「万葉集巻十四成立の意義」より。万葉集が本来、大和の六御県を基盤にした天皇家集であり、集中に東歌一巻が編纂されたのは、東国が六御県と同様に大和朝廷の内廷直轄領だったからであらう…。←そうだったのかという思いで東歌、防人の歌の位置が私の中に入ってきています。

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2016.5.21 ツイッターから転載…都立図書館で仙覚『万葉集註釈』をコピーして来たこと。仁木宏・山田邦和編『歴史家の案内する京都』のこと。北鎌倉駅ホームの開削の危機にあっている洞窟トンネルのこと。

5月17日
滞っていた諸々を片づけてやっと気が通ってきました。

雨の有栖川宮記念公園

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雨の六本木ヒルズとツインタワーが見える風景

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と、呑気にツイートなんかしてないで帰った方がいいのだろうな、五時だもの。ラッシュを避けて。

どうやらラッシュに合わずに済みそう。道中のお供は仁木宏・山田邦和先生編『歴史家の案内する京都』。面白いです。以前京都でのシンポジウムに参加した時の現地踏査で、考古資料館の学芸員さんのガイドで白河を歩きました。「白河」を読むとその時を彷彿。実際に現地を歩いているようなリアル感です。

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『歴史家の案内する京都』。帰りの車内で「六波羅」を読んだのですが、今まで漠然と、六波羅って名前、何だろうとか、六波羅蜜寺も平家と一体の気がしていました。そうではなかったんです。最初に空也上人が開いた六波羅蜜寺があって、その後平家が邸宅を構えた。名称は六波羅蜜寺にちなんだそう。

5月18日
@sukemori_t 昨夜は六波羅蜜寺についてのツイートをありがとうございました。最初に平家の六波羅を知ったものですから六波羅蜜寺が先にあった認識がなく「なんで六波羅という地名なんだろう」と思ってました。「平家は新興勢力だから…」のお言葉は目から鱗でした!

昨日は雨のなかを広尾の図書館で仙覚についてのコピーをどっさりしてきました。気になっていながら目を通せないでいた『万葉集註釈』もやっとコピーですが入手。ある方に仙覚自身の声に耳を傾けなさいとアドバイスされていました。詞書に仙覚は自身の生い立ちや思いを綴っています。それを読みます。

蝶。こんなに近づいても逃げませんでした。

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六波羅についてのツイッター資盛様の「軍馬を伴う駐屯のための広大な敷地」に目から鱗。『歴史家の案内する京都』が面白いのは観光ガイド本が「今在るもの」を案内するのに対して、この本は概ね「既に無いもの」を想像させながら辿ること。読み手は自身の知識で想像を張り巡らしながら空想で歩む。その楽しみ。

これ、私が鎌倉で感じる事と同じなのでした。鎌倉文学散歩でご案内してもそこには何もなくひたすら解説から空想して楽しんで頂く。「こんなに何も無い散歩」と驚かれた事があります。笑

5月19日
日傘、持ってくればよかった……

昼間は直射日光で暑かったけど、夜は寒いくらい。さっきは日傘持って出れば良かったとツイートしたのに、今はスカーフ持って出れば良かった……

北鎌倉駅ホームの洞窟トンネル。もう開削はされてしまってるのかしらと見たら、休工中の文字。理解できなくて隣のスケジュール表を見ると、休止、休止、と。何が起きてるの?となりました。

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それで改札へ向かいながら、次々と現れるいろんな立札を撮りました。そのままアップさせて頂きます。

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開削に反対する学者の方々の緊急アピール。

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同じく緊急アピール。

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同じく緊急アピール。

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開削の危機にあっている洞窟トンネルのホームから見た全景。

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@hakaiso27 そういえば京都も鎌倉と同じく私が思う景観は残っていませんね。その分空想が膨らみます。(京都の応仁の乱以降の現在という景観は、鎌倉でいえば北鎌倉が景観として残っているのと同じになるのかな?その北鎌倉の洞窟トンネルなんです。)

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2016.5.17 ツイッターから転載…松下禅尼が上東門院を敬愛していたエピソードを記す『雑談集』の無住は時頼より一歳年上の同世代。というわけで『沙石集』も読むことにしました。

5月7日
おはようございます。夏の研究発表に司会してくださる先生も決まり、図書館に行ってその方のご著書を拝読させていただこうと思います。タウンニュース鎌倉版のコラム、今週第六回が掲載されてひと息ついたと思ったら第七回の校正が届きました。ひと月あると思って油断してたのでいろいろ緊張。

5月9日
小学館の全集で『沙石集』を借りてきて拝読中。『雑談集』を書いているコラムの校正で無住についてもう少しと頂いたため。だいたいに説話があまり好きでないから仏教説話集というだけで手にとったことがありませんでした。見たら当時の仏教事情が内側からわかる。楽しめそうです。先入観て怖い。

水菜の花。調理しようとしたら咲いていました。初めて見ました。お土産に買ったぐい呑みサイズの花瓶が初めて花瓶になりました。いつもはぐい呑み棚に飾られていて。

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仕事でよくこういう写真を撮っていました。陶磁器の撮影、大好きです。今でも撮りたくてたまらなくなります。これはただの蛍光灯下ですが、ライティングの工夫次第でどんなにも撮れて。

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大納言為氏卿、鎌倉にて陰れ給ひけり。葬の後、遺骨持ちて、子息たち、鎌倉を立ち給ひける朝、孫の十一歳の少人の歌に、名は受け給はらず、「亡き人の煙となりし跡をだになほ別れゆく今日ぞ悲しき」、(歌道の)家の事にて、哀れに侍り。←『沙石集』より。仏教説話集といわれる中にこういう逸話も。

5月10日
寄居では梨の花が咲いている頃? 先月寄居に行った時は忘れていましたが、今ある方とお電話してたら、寄居は梨の産地なのよと。私の講演を聴いて下さった方で、小川町から仙覚が鎌倉にいる実時に梨を贈った話を聴いて、寄居を通る度に思い出されるそう。当時からの梨の栽培が続いてるのでしょうか。

ようやく入手。連休や諸事情でネットでは公開されているのに誌面が入手できていませんでした。タウンニュース鎌倉版コラム第六回【精神の系譜 上東門院から第5代執権時頼へ】。私は書籍は紙の人派だからやはり誌面はいいです!

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5月11日
中野幸一先生『正訳源氏物語』第四冊が届きました。薄雲から胡蝶まで。玉鬘も入ってます。本文拝読は追いつきませんが、いつも巻末の「源氏物語をより深く知るために」を楽しみにしています。今回は源氏物語の短文表現。「御局は桐壺なり」のようなドキッとさせられる短文について。今回も素敵でした!

5月12日
料理とか研究とか集中できることは苦にならないのだけれど雑用になると捗らなくて時間を費やす。事務処理にに向いてないんだなあと達観してたらツイッターでこれは単にさぼっているだけと悟らされて目覚めました。さぼらなければすぐ終わるんだと。という訳で今日は滞っていた雑事に頑張りました。笑

大輪の真紅のダリア。思わず買ってしまいました。

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5月18日から23日まで、大阪阪急うめだ9階催事場で、鎌倉スローライフマルシェが開催されるそうです。それを、鎌倉にまつわる本をコーディネートして下さった方がツイート。取り上げて下さった出版社は、港の人、かまくら春秋社、銀の鈴社、アタシ社、ブックスモブロと地元感たっぷりの本が満載だそうです。そして、紹介されていたサイトを拝見したら、銀の鈴社さんからは私の『源氏物語と鎌倉』を選んで下さってました!
http://www.hankyu-dept.co.jp/honten/h/kamakura_slowlife2016/page01.html#sec-i

5月13日
タウンニュース鎌倉版コラム【第七回 一歳年上の同世代 無住と第5代執権・時頼】。校正終わって送信。これで無住から離れます。『沙石集』で有名な無住ですが今まで全く関心ありませんでした。『雑談集』に松下禅尼と時頼のエピソードが載っていると知り調べたら同世代。リアルタイムの情報ですね。

タウンニュース鎌倉版のコラム。第七回の校正を送った時に写真も添付したのですが、A案とB案と二枚送りました。そうするといつも私が望んでいる方でない案が使われてきたのですが、今回は私が推すA案に決定。素敵な写真ですね、とも。私にはまだまだ編集する立場での写真の選択がわかりません。

『沙石集』を返すにあたり小見出しだけでも全部と目を通して夜を明かす。梶原景時の妻が景時亡き後建仁寺で栄西に教導されて苦悩から解放される話、梶原氏出身とされる無住ならではの見聞かと。妻は供養に塔を建て、その塔は建仁寺の幾度もの火災を免れる。それは妻の信心の深さ故と。

栄西は鎮西の聖福寺、建仁寺、寿福寺で禅門を始めたが、当時の仏教界との摩擦を避けて純粋な唐風を避け、天台真言を兼修、時を待った。滅後50年に禅門を興すと遺言。その50年後に蘭渓が建長寺を建てた。建仁寺、建長寺は文字も相似ている。時頼は栄西の生まれ変わりなり←と、同世代の無住は書く。

無住は時頼と1歳年上の同世代です。自分は早くに両親を失って出家の身。方や時の執権の家系。同世代として時頼には格別の思いがあったよう。そしてそれが全部好意的なのは時頼の仏教信仰が本物だと認めていたからなのでしょうか。『雑談集』には時頼が仏像や仏堂を作って遊ぶ子だったともあります。

5月14日
これはテイカカズラとは違う…。似てるけど。

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ガードレールにこんなに満開です。

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*スイカズラだとはっきりフォロワーさんに教えて頂きました。最初にテイカカズラをスイカズラだと間違って覚えてしまったものですから、今でもそれがトラウマになって危ういんです。笑 もう大丈夫!

5月15日
京都は葵祭。何年か前に恩師の方の出版記念会にご招待頂いたのがちょうど葵祭の日でした。新幹線を降りてタクシーで御苑に行って歩きはじめの行列を撮って移動しようとしたら人ごみで地下鉄の駅に行くのも無理なくらい。記念会には汗だくでぎりぎり間に合った思い出。でも葵祭にはまた行きたい!です。

と、そんなことを思いながら今日はもうずっと溜まっていた郵送作業にかかりっ放し。ツイッターで作業が滞っているのは能力的に不向きなわけでなくたださぼっているだけと悟らされて以来奮起して片付けものに専念しています。どうやらやっと諸々こなせ終わりそう。これから本局まで行って出したら。

いづくにか船泊てすらむ安礼の崎漕ぎ廻み行きし棚なし小舟……、黒人の歌、好きです。やっと万葉集に戻りました。夕方本局に行ったついでに回って図書館で万葉集の本を数冊借りてきて少し気分を万葉集に浸らせようと。どんなふうな状況にあるのでしょうか、万葉集の研究世界。

もう一首。ぬばたまの夜の更けゆけば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く。赤人……、この歌を漆黒の深夜にあって明るい昼間の川原の千鳥を思う重層的な歌としたのは折口信夫だったでしょうか、それとも……。なんかひどく懐かしい。

5月16日
おはようございます。研究発表で司会をして下さる方のご著書をコピーに都心の図書館に行かなくてはと考えていたのですが、日本の古本屋で検索したらあったので注文して就寝。便利ですね。よく思いついたと満足。

昨夜来発表をパワポなしにしようか使おうか考えていたのですが、黒人・赤人の見事な叙景歌に接してやはりビジュアルは大切と。仙覚が万葉集に生涯をかけたのも大和言葉の根源を探りたい意味もあったでしょうけれど、その言の葉がこれだけ素晴らしい叙述性を持っている事への畏敬がその根底に?

深大寺水車館。この地域はかつて雑木林が茂り、豊富な湧き水を水源とする逆川が流れ、水車の回る音が響いていました、との事。最後まで残っていた水車だそうです。

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一面のシロツメクサ@調布市深大寺

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2016.5.16 ツイッターから転載…夏目漱石展に行きました→迷っていたのですが、万葉集に気持ちを絞って論文にとりかかります。

5月2日
今日はここに来ました。夏目漱石展@神奈川県立近代文学館。先日の川端康成コレクション展に引き続き近代! 私はいったい何をしようとしてるのかと自問。

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5月3日
歴史小説と小説は違うとやっとわかった。諸用を片付けて得た膨大な時間の広がり。論文を書こうか小説にしようか迷っても何かピンとこなくて彷徨ってました。漱石展に行ってもそれ程影響を受けたとは思っていなかったのですが、悩みに主体を置いたら突然理解できました。小説を書くとはということが。

「仙覚と竹御所」という小説を書こうとして文体を模索してました。単純に時代物だから歴史小説と思ってたのがどうしてもしっくりこなくて。素性を隠して生きた仙覚を書くには歴史小説ではないんですね。漱石展で感じた悩みが主体の小説。それなら行けそうと思ったのでした。

「仙覚と竹御所」は万葉集がテーマです。ダヴィンチコードみたいなのが書ければいいのですがそこまでの力はなく(泣)。とりあえず仙覚についての論文にかかろうという気持ちになってきました。夏に研究発表もしますし。その間に小説化への充電もできるでしょうから。

ほんとうは『薔薇の名前』みたいなのが書きたい。仙覚がテーマなら素材に充分。でも力不足ありありだから放棄してるうちに忘れてました。ダヴィンチコードと書いて思い出しました。初心忘るべからずですね。日本版ショーン・コネリー登場を夢見て!

5月4日
疲労が溜まって腰にきそうなのでたらたら過ごしています。いい休養。一昨年夏に「時頼と源氏物語」を書き始めて後少しで上梓という時にタウンニュース鎌倉版の連載が始まり上梓の必要がなくなって、それでできた膨大な時間の広がり。それで仙覚に専念できるようになり少しずつ狭まってきました。

@hakaiso27 ヒントをありがとうございます!

↑RT そうっか、鎌倉時代限定をはずせば『薔薇の名前』の壮大な世界感に近づけますね。仙覚は悉曇に通暁していて、その言語感覚でもって万葉仮名を読み解いたんです。

また腰を労ってたらたらとスマホ。頂いたヒントで展望が開け、門を読もうと思っていたのですが漱石は止めて万葉集に行くことにしました。ダビンチコードみたいな何かがみつかるでしょうか、というのは冗談で、仙覚が生涯をかけて臨んだ万葉集。夏の研究発表が終わるまで向き合って過ごすのもいい。

@hakaiso27 今日はありがとうございました。すっかり仙覚さんの気分を取り戻しました。こうなるまでが大変で。道家は時頼の原稿を書いていて影の主人公と気付きました。会ってはいないけど竹御所のお舅さんだし。このメンバーで書けると思っていたのですが、万葉集のヒントで広がりました。

@hakaiso27 ほんとうにありがとうございました。気分が集中するまでうだうだといつも路頭に迷うのですが、そういう時どなたかに相手をしていただくとある時突然道が見えてきます。昨日はそんな状態でした。京の春!素敵です。仙覚も後嵯峨院に『万葉集』を献上するなど京を見ている人です。

目の前に広がる時間が膨大過ぎて予定があったのに見えなくなって彷徨っていました。腰を労りながらツイートしてヒントを頂いて、忘れていた路線を取り戻しこれから始動です。5月締切の論文にかかろうと思います。やっと久しぶりに一極集中体制に入ると思うとわくわくしてきました。

5月5日
今月締切の論文に取りかかりました。気持ちが通ると自然に最初の一行が出てきます。あとはそれを芋づる式にたどるだけ。たぶん書けるでしょう。あと、書きたいと思っている「仙覚と竹御所」という小説。「ー鎌倉・万葉集訓読完成の陰でー」という副題が浮かんできました。

5月6日
夏の研究発表決定のお知らせが届きました。配布資料はA4サイズ。ホチキスで止めて150部。前回『源氏物語』のテーマで京都でした時ははじめてだったから緊張したなあと思い出しました。今回は『万葉集』。もう充分練ってあるから思い切って作ろうと思います。今回はパワポなしでする予定だから楽。

前回の『源氏物語』での発表。万葉集と源氏物語の写本についてだったのですが通例どおりに担当の先生がミリ単位の違いを突くなどして反論しようとされた時、ある方が挙手されて「私は非常に勉強になりました。状況証拠でしかないけどこれは国文学界にない手法です」と助け船を出して下さって事なきを。

今回またそんなに上手くいくなどあり得ないからそれこそ「気をつけて進め」と覚悟しているのですが、でもこれだけは発表しておかなくてはとの信念で臨もうと思っています。

タウンニュース鎌倉版コラム【鎌倉と源氏物語】第六回「精神の系譜 上東門院から第5代執権時頼へ」が掲載されました。無住『雑談集』に載る、松下禅尼が上東門院を敬愛して仏教を篤く信仰したという逸話の件です。 http://www.townnews.co.jp/0602/2016/05/05/331256.html

今回は上東門院の仏教信仰で、上東門院が残された雅な経箱について書きました。比叡山横川で円仁の経典を守るために埋経する事業に協力して作ったものです。発掘されて他の一式が落雷で焼失した中、経箱は展覧会に貸し出されていたので失われずに済んだのでした。

久しぶりというより何年ぶりかに論文に取り掛かっているのでこれがこんなに気分がいいとはと快調。やはり集中できるって嬉しいですね。一昨日まで路頭に迷った気分だったのが嘘のよう。でも、椅子にかけると腰に響いて辛い。いっそ母の文机を出して樋口一葉みたいに、など考えてしまいます (笑)

この花は何でしょう。漱石展に行った時、港のみえる丘公園で撮ったのですが。

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失われた時を求めてのサンザシに憧れているのですが、まだ、この花!、というのに出逢ってなくて、画像検索してそれらしい花を見ては、これ?、となっているのですが、どうも違う……。で、この花もそう思って撮ったのですが、葉の形が違う……。失われたサンザシを求めて、になっています 笑。

↑フォロワーさんからシャリンバイと教えていただきました。車輪梅だそうです。

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2016.5.12 ツイッターから転載…第二回鎌倉文学散歩【十六夜日記・とはずがたりを歩く】のことなど

4月25日
第二回鎌倉文学散歩が今週に迫ってきて今日からお配りする資料作りに入ります。古典を読むだけでなく実地踏査で感じられる楽しみをみつけたのですが、ここのところ無理をすると翌日大変で、もったいないけど文学散歩は今回で終わりにするつもり。たぶん執筆に集中するべく仕向けられているのでしょう。

先日応募したことも審査に通り確定しました。これからそのことに関連して準備、集中体制に・・・。目標はその先。書籍化です。

4月26日
おはようございます。というか私は徹夜明け。やっと思考が働くようになったのでこのまま一日を始めます。思考のキャパオーバーを感じて過ごしていると毎日が不毛。それで強引に仮寝して起きて快調になって届いていたコラム第6回の校正をようやく終了。そうしたら第7回分が自然に浮かんできました。

タウンニュース鎌倉コラム第6回の校正と一緒に、第7回「無住と第5代執権北条時頼」を書いて送信。ひと仕事終わり!です 笑。

ここに来ました。川端康成コレクション展@東京ステーションギャラリー。コレクションも凄いですが、東京駅創建当時の煉瓦の壁の展示室。なんか、ぞわぞわしました。

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4月28日
おはようございます。体調管理が大変だから鎌倉文学散歩はもう終わりにしようと考えていたのに、昨日資料の準備をしてたら突然思いついた事があって相手の方に打診して就寝。今メールを開けたらOKのお返事。私にしかできない事があってそれが皆様にはためになって楽しんで頂けるならした方がいい。

出がけに追加プリントを作ったりキャンセルのお電話があったりで昼食抜きでなんとか間に合いそう。雨の鎌倉、楽しんで下さいという応援メールも頂いて。

紫陽花の生花@成就院 両脇を飾る紫陽花は今は工事中で新しく植え替えられるそう。代わりにというのでもないでしょうけれど。

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桐の花! 鎌倉の文学散歩。傘が邪魔であまり撮れてないのですが、月影ケ谷に咲いていて、これは!と撮りました。

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4月29日
雨は人を淘汰するとそんなフレーズが浮かんだ今朝の起床。雨で17人だった参加者が12人になりガイドさんに申し訳なく思ったのですが、文学散歩を開始したら雨でもいらした方はそれなりにご自分を持ってらっしゃる方々。特に最後にお茶して歓談した時に強くそれを感じました。量より質は今後の課題?

昨日の鎌倉文学散歩を連続ツイートさせて頂きます。まず最初にテーマから。『十六夜日記』と『とはずがたり』で、これは講座で使った十六夜日記のスライド。参加者さんたちには記憶に残っているはずなので配布資料にも使いました。

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こちらは『とはずがたり』のスライドです。

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江ノ電極楽寺駅に集合して最初に向かったのが江ノ電線路脇に建つ阿仏尼邸旧蹟碑。ほんとうはこの奥の月影谷を登る予定だったのですが雨で止めました。登り切ったところの見晴らしをガイドさんから聞いてこれは是非訪ねなくては!思いました。

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次に行ったのが極楽寺。今は往時の面影もなくひっそりしていますが、極楽寺境内図による範囲をガイドさんから現地で見て感じながら教えられてその規模を実感しました。これは凄かったです。今度一人で行って周囲を巡ります!

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極楽寺開山の忍性は7月から奈良博で展覧会が開かれるというので、配布資料にその案内もいれました。そうしたら興味を持って下さった方がいて、奈良博へ行く気になられたと。いいな~、ってお答えしました 笑。

次は成就院。古典と特に縁がある寺院ではないのですが、高い場所にあるので鎌倉市街地を見晴らせて、それがちょうど『とはずがたり』二条が書いた鎌倉の描写にぴったりで、ご案内しました。この崖の上になります。そしてこの崖こそが極楽寺切通し。

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道の脇に極楽寺坂の碑が建っていました。以前もこの道は歩いているのですが、綺麗に舗装され過ぎて、切通しといえば朝比奈切通しのイメージだったので信じられずにいました。昨日やっと認識。(人に訊くのが苦手な独り歩きはいつもこうなります 笑)

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極楽寺切通し。下りきったところから振り返って。

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その後甘縄神社に行ったのですが今気がつきました。一枚も写真撮ってない! 雨だし、今まで撮ったのがあるし、と油断してました。ここに安達盛長邸跡碑があり、ガイドさんが丹後局の話をして下さってました。参加者さんたちは「松下禅尼と『源氏物語』」を読んで下さっているので実感されたでしょう。

最後が鎌倉文学館。ここは長楽寺跡でもあり、ガイドさんに長楽寺と鎌倉文学館の解説をして頂いたところで解散。開催中の萩原朔太郎展は各自で観て頂きました。はからずも悠久の時を超えて現代に戻って解散のようになりました。

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昨日の鎌倉文学散歩のコース地図。ガイドさんが作って下さいました。

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◆付記:こうして振り返ると、私が企画する文学散歩はいつも観光地鎌倉とは別! 派手さも華やかさも、見るものすらなく、ただひっそりしたその気配の奥に昔の人を、できごとを感じるだけ。だから、感じたい、知っていることを気配で確かめたいという人でないと全然面白くないでしょうね・・・笑。ガイドさんの説明で皆様、うんうんと楽しそうに頷いてらしたから、いらした方はみんなそういう感性の方ばかりでした。こういうお仲間がいられることが楽しい!

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2016.4.21 ツイッターより転載…夏目漱石が参禅した鎌倉円覚寺塔頭帰源院に。そして建長寺禅研究会に。

4月21日
今日は円覚寺様に。山門です。

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山門の脇の小径を、登ったところに円覚寺様塔頭の帰源院があります。夏目漱石が籠もって禅を学んだところです。

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帰源院は拝観禁止なので門の外からお庭を撮らせて頂きました。紅い牡丹が目に艷やかでした。

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紅い牡丹のアップ。今年は夏目漱石没後100年だそうです。神奈川県立近代文学館で記念展を開催中で、チケットを頂いたから、折角なら行く前に円覚寺様を訪ねておきたいと思ったのでした。

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夏目漱石がたどったコース。右上が帰源院。左下の小径を下りると山門が見えます。

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夏目漱石が見た山門のある光景。帰源院からの小径を下りきった所です。

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今日の本来の目的は建長寺様。境内は牡丹が真っ盛りでした。

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見事な牡丹ですが、今の吉田老師様がお好きで、京都の建仁寺から赴任されてから自らお植えになられたとか。周りの人は禅寺に華やかな牡丹なんてと半信半疑だったそうですが、咲いたらまさに中国の雰囲気で驚かれたそう。

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紫の牡丹をもう一枚。ほんとうはもっとシックな薄紫なのですが…

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今日は建長寺様の禅研究会。開山蘭渓道隆禅師のお像の修復に携わった方のお話を聴きました。今まで江戸期の修復で紅い漆を分厚く塗られていたのを剥がし、見事に製作当時の厳しいお方の風合いが。素人の私でも漆塗のお姿は異様でした。

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2016.4.7 ツイッターから転載…14日に熊本で震度7を観測する地震が起き、余震が止まりません。そして、北鎌倉駅ホームの洞門にかかる藤のこと。

4月18日
青葉はこんなに繁っているのに@井の頭公園

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4月19日
井の頭公園にて。

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たんぽぽの綿毛がこんなに。

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4月21日
あることを決意して応募したのですが、そのことでご相談した方からたった今メールが。「特に戦乱のなかで命を削る作業だったことを強く呼びかけて下さい」と。わかって下さる方の一番の応援です。

今日はルドンの誕生日だそうですね。ルドン、色彩が好きです。この写真はルドンではありませんがやはり色彩が凄く魅入ってしまいました。先週行ったある会場で。写真撮影OKのコーナーで撮りました。

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まもなく横浜です。

鎌倉からの帰りです。行きの道中で撮った写真を幾枚かアップさせていただきます。

北鎌倉駅ホームにかかる洞門トンネル岩盤を覆う樹木の中の藤。もっと全山を覆うくらいかと思っていたのですが、いろんな樹木に混じってひっそりと咲いていました。でも咲いているのを観られてよかった。

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例えばこんな感じです。

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北鎌倉駅の洞門トンネルがどんなになっているか気にしてられる方もいらっしゃるでしょうから揚げておきます。現在の状況です。

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2016.5.7 ツイッターから転載…鎌倉さくらの会に同行して慈光寺の桜を観るバスツアーに行きました。

4月10日
やっと慈光寺の桜を観にゆくバスツアー(実際は国宝慈光寺経を観るツアーです・・・笑)のルートを確認しているのですが、昼食は?と見たら、なんと、小川町のお食事処。え!、小川町に寄るの?となって驚いています。そんなだったら仙覚さんの万葉集顕彰碑もルートに入れて欲しかった・・・

鎌倉の古典文学散歩でも通常の観光ルートと違うコースを組むから楽しい。比企を巡るツアーもそんなふうに仙覚碑を組み込んだ文学主体のコースを作ったら面白いでしょうね。(鎌倉では、私の講演を聴いて下さったあと、早速小川町にいらした方が何人かいらっしゃいます。)

一つが片づきそうになると次にすることが見えてくる。慈光寺ツアーのメドがたちふっと湧いたのが「鎌倉の万葉学者仙覚・玄覚は誰かの問題について」。夏の大会に申し込むか来年に先送りするか迷っていました。でもこのタイトルならいいかも。…は誰かの問題について、は始めて浮かんだフレーズです。

私はいろんなことに手をつけ過ぎていて、それが重層的に畳み被さってきていて、どれもどれも片づけなければならないと思えば思うほど何も解決しなくなるのだけど、日程や締切が枷になって一つに取りかかると終わりそうな頃次が浮かぶ。こうやっていつもギリギリのところで間に合いながら進んでます。

4月11日
おはようございます。就寝前にチェックした地図で昼食処が仙覚律師顕彰碑に近くて驚き、これなら抜けだして行ける!などとよからぬ思いが湧くのと戦っています(笑)。バスの中でお話する最初を妙本寺境内の万葉研究碑とこの仙覚律師顕彰碑の関係から始めようと思ってたのに、まさか近くまで行くとは。

小川町の仙覚律師顕彰碑は、晩年の仙覚が「比企郡北方麻師宇郷」で『万葉集註釈』を成したとするその麻師宇が小川町の増尾と比定され、昭和3年に佐佐木信綱博士のご尽力で建てられました。(←と、今、その「昭和3年」を確認したところです。昭和だったっけ、大正だった?と曖昧でしたので。)

鎌倉にいますが、ダウンコートを着てても寒いです。

4月12日
おはようございます。寒い鎌倉の朝です。今日は慈光寺バスツアーの日。早朝の鎌倉発なので昨夜から鎌倉に。仙覚さんの苦難の人生と重ね合わせて何回も自分の足で訪ねて回った小川町と慈光寺…。それぞれに感慨深いです。バスの中でお話して仙覚さんの思いを背景に慈光寺経を観て頂けたらと思います。

バスの先頭から稲村ヶ崎が見えます。

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桜と国宝慈光寺経を観る慈光寺ツアー。山岳寺院だから慈光寺様は山頂にあります。着いて、バスを降りた所から撮った光景です。

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昼食は小川町の玉井屋さん?事前の下調べで、ここがなんと佐佐木信綱博士が建てられた仙覚律師顕彰碑のある山の真下。バスツアー会社の方も、仙覚さんの事をなんにも知らずに決められてのこの偶然にびっくり。玉井屋さんから眺めた碑のある山です。

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慈光寺様の桜。

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帰りのバスの車窓から、慈光寺開山堂。本物の開山堂は中にあり、見えているのは覆屋です。

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途中でツイートできませんでしたが、春の山里の桜の光景を堪能しました。

慈光寺様、般若心経の道は空海や良寛などいろんな方の般若心経が石碑や陶版?で飾られている小径。これは空海筆の般若心経の石碑です!

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般若心経の道に降りる階段の両脇にもシャガの群生。

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4月13日
おはようございます。昨日は鎌倉で4時に目覚めて早いとは思ったものの二度寝したらアウトになりそうでしたのでそのまま起きて始動。睡眠時間のサイクルには決まりがありそうで、昨夜は疲れて早々に寝たら今朝もこんな時間に起きてしまいました。徹夜型から早朝型に。このまま上手く移行できればいい。

大切なのは最後に残った152首の歌に訓点を点けて万葉集歌全部が読めるようになったという仙覚の功績。それが鎌倉で成されたという事。そしてそれを鎌倉の方々が誇りに思って下さる事。それを認識した昨日の慈光寺バスツアーでした。話終わって添乗員さんがまず仰った感想の最初の一言がそれでした。

添乗員さん「驚きました。全部知らないことばかり。万葉集が全部読めるようになったのが鎌倉でだったとは」。←私の話はまず「知らなかった」と受け止められます。私も最初そうでした。驚いて呟くと、専門家の方から「知らなかったのはお前だけ。専門家はみんな知ってる」と。一般との乖離が凄いです。

慈光寺ツアーと仙覚の関係は、「慈覚門人」と記した天台宗僧仙覚が出家したのが慈光寺ではないかと思っていること。慈光寺のご住職にお訊ねしたこともありますが慈光寺は戦火で焼けて過去帳が残ってないからわからないと。でも比企で出家するなら当時関東で最大規模の天台宗寺院だった慈光寺でしょう…

井の頭公園、柳と桜。

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オダマキが咲きました。背景は昨日小川町で購入した小川和紙の紅枝垂染め。

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4月14日
かつて寄居は桜の町でした。が、老木になり20年前に一斉に伐られて今は面影もありません。それを嘆く寄居の方々が「300品種1万本」の桜を植える活動を始められ反響を呼んでいます。先日のバスツアーで慈光寺に行く前に立ち寄ってお話を聴きました。まだ若木ですが取り組みの写真を数枚ご紹介。

一万本の桜は一箇所でなく、町の至る所に植えられています。まとめて桜の里として、川沿いに、街路に、個人のお宅にも一本等。それで町全体が花を愛する人達になって、これはバスを降りて目に入った個人のお宅の庭です。

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荒地だった所を開墾して若木を植えている一帯。何十年後かにはここが桜の山になります。今はミヤマツツジが満開。

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満開のミヤマツツジ。

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この季節、満開のミヤマツツジにぼんぼりのような枝垂桃の取合せがほんとうに見事です。

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壊れたリヤカーがあって目にとまりました。花に埋まって同化しています。紅い枝は花ではなく紅葉の若芽です。

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起伏のある里の風景はいいですね。のどか、の語がぴったりでした。桜の若木はまだ全然目立たないです。

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以上ですが、ここで午前が終わり小川町へというコースでした。花の里をあまりに堪能してしまって、もう慈光寺へ行かなくてもいいくらいの気持ちになりました(笑)。でも、慈光寺に行ったらそれどころではない感動の充実さ。歴史ある文化の重みは違います。(慈光寺ではあまり写真を撮ってません。)

バスツアーで配られた慈光寺のパンフ。くねくねした山道の参道を登って行った頂上に慈光寺はあります。その山道の両側に桜が植えられています。染井吉野は終わり今は八重が満開でしょうか。

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パンフの裏側は植樹されている桜の種類と植えられている場所の地図。

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パンフの裏側に「日本さくら歌十選 七」として光厳院御製が。

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