5月28日
鎌倉の帰りの車内。夕陽がホームに射して綺麗です。
鎌倉に行ったらいつも私のなかで生きている松下禅尼や丹後局や竹御所の影も形もなくて、ご挨拶する方々の話題にものぼらなくて、家にいるほうがよっぽど鎌倉にいる気分。変なの……
そういえば、竹御所。竹御所の菩提を弔うために建てられた比企谷新釈迦堂がどこか。ずっと妙本寺様のある谷戸とされてきていたのになんか近年違うとの噂。どうなのだろうと気にしてたのですが、先週ある方からご論考を送って頂き、そこにはっきり妙本寺様のある谷戸で確定と書かれていました。ほっと。
5月29日
おはようございます。疲れが溜まっていたから前後不覚に寝てすっきり目覚めました。今日はまず最初に買って洗っておいた和歌山の梅の処理をしなくては。氷砂糖と塩とでそれぞれのエキスをとります。氷砂糖でとったエキスはドレッシングに入れると美味。塩の梅エキスは胃の不調に物凄いよく効きます。
あちこちに薔薇が咲いてツイートに薔薇が散見してるからうっかりBGMにバラの咲く庭なんぞをかけてしまったらプレベールのあのあたりを読んだ楽しみが甦ってもうこのまま文学に浸りたい気分。戻るしかない多摩と鎌倉だけど。シャンソンは毒。
引き続きバラの咲く庭を聴きながら。切なさを文章にできたらとふと思う。竹御所ならその文体が似合う。そうか、竹御所なら仏語訳に値する小説に書ける。目指そう、セーヌ河畔の書店のウインドウ。などと大それた思いに飛躍。笑
母の作り置きの梅エキス。平成20年6月23日作る、のラベル。梅1キロ、塩200gで作る、とあります。毎年母が作っていたのを見ていたので見様見真似でこれから作ります。(これは胃の不調時にほんの軽い杯程度飲むだけで本当に効きます。)

作るには、梅を洗ってよく乾かして、竹串でプツプツ穴をあけてから、梅酒ビンに梅と塩を交互に重ねます。毎日時々瓶を振って常温で置いておくとじわじわとエキスが出てきます。
@tukubasioda これ、テキーラのボトルなんですか! 作り置きのビンは母が丁度いいと思ったものをとっておいて使ってました。ブランデーのとかいろいろ。こういうお酒のビンは父が亡くなってからは家にあるはずないから、父がいた時代からのだと思います。
氷砂糖の方の漬け込み終わり。これは梅酒と同じ方法で、ただホワイトリカーを酢にするだけ。いわゆる梅酢。我が家ではこれを使ってドレッシングを作ります。

5月30日
1キロの青い梅の実に竹串でプツプツと穴をあけながらバラの咲く庭をひたすら聴きつつどうしてこの曲がこうも胸を抉るのか思いを巡らしていたらフランドルへの道に到達しました。そうか、仏語訳に値する竹御所の小説にはこれだ! とばかりに本棚から出して解説を読んだら余計に懐古に浸ることに。
梅の実にプツプツとひたすら穴をあける作業って、結構狂気に近い……笑。でも、そのお陰で竹御所を失い、自身も将軍職をはぎとられ、京都に送り返される頼経の無念と哀しみの心に近づけたかも。
ほんとなら腰痛さえ起こさなければ今日明日あたりに論文が書けていて投函となったところ。あそこで諦めたから今の余裕と思うと結構これも時宜なのだろうなと。8月の大会まで3ヶ月、間があります。どう過ごすか。ずっと論文を引きずった気分でいこうと思っていたから方向転換です。
憧れの六本木ヒルズからの夜景。晴れてなくて残念だったけど、夜景は格別。ポンペイ展に来ました。

5月31日
おはようございます。八月の大会までテーマに集中しようと五月締切の論文にかかったのに腰痛であえなく挫折。それでまた何をすべきか路頭に迷っています。そんな時にバラの咲く庭で仏文学に回帰。そして昨夜のポンペイ展。鎌倉の源氏物語以降日本の歴史に埋もれていたトーンが少し変わってきました。
昨日のポンペイ展。会場に入るなり壁画の前に立ち尽くしました。これは通常の展覧会ではないと直観。歴史的価値の高名な絵画の前でも敬虔さに震えますがポンペイ展の壁画はヴェスビオス火山の火砕流に遭って埋もれて発掘されてイタリアから日本に来て今自分の目の前にある…、何といっていいのか。
今朝気づく。今とても敬虔なことに立ち会っていると。鎌倉で随分いろんな経験をした。多分これは空蝉や夕顔しか書けなかった紫式部が道長に抱えられて藤壷が書けるようになったことに近い。でもこれはなかった。竹御所を失った頼経の悲憤に寄り添う経験。不思議と最後にこれが来た!という思いなのは?
6月1日
思いというのは思念の中にあるものだからそれを言語化できる人の思いは深い。だから私は作品を残さない人より残した人の人生に気持ちが寄り添う。慈円が歌集を残してなかったら…。最近ある方の文章を読んでいて読まないでいた今迄よりその方への思いが深まる。文章って、そういうもの。文学も。
西の方からおかしな雲が発生して来ています。

これは南の空。西の発生の雲が届いてこんな空になっているのか、南でも発生しているのかわかりません。南は伊豆諸島方向。西は福岡県沖方向です。

西も南も発生していたおかしな雲はすっかり消えて、南東に見事な積乱雲が夕陽に輝きました。先程のツイートの訂正です。

夜、火星が見えてます。
火星。ベランダから手持で撮りました。火星が最大に地球に近づいて、肉眼でこんなにはっきり見えるのなら、三脚を持って公園に行けば森の中のいい写真が撮れるのにと思いながら、気力がありません(泣)

今日は高橋慎一朗先生「竹御所と比企谷新釈迦堂」を拝読してたら竹御所の菩提を弔う為に頼経が建てた新釈迦堂が将軍家の御願寺としての扱いだったとありイメージが膨らむ。その後またフランドルへの道に思考が戻り、竹御所の小説にそれを当て嵌めるとしたら「ある夜の数時間」をいつ・誰のにするかと。
例えばの一案。仙覚の・将軍職をはずされた頼経が京に送り返された夜の数時間、とか。もしくは、仙覚の・万葉集の訓点の点けられていなかった最後の152首を完成させた夜の数時間、とか。とするとそれは寛元四年……。8月までの2か月挑戦してみる?
6月2日
昨夜小説の教室で共に学んだ方に竹御所のフランドルへの道的小説化を話す。原点を共有してるからすぐ分かって、三枚つづきの絵じゃないのねと笑われた。三枚つづきを二人してどんなに四苦八苦して読み通したか。何度も何度も戻っては進みの苦難の連続。フランドルはそれに比べたらまだ普通の小説です。
「年代記的順序にしたがって巧みに展開された筋、終始一貫統一がとれ輪郭のはっきりした作中人物、人間の心理も因果関係も社会のメカニスムもすべて見通す力をもった神の視点からなされる分析や描写、そういった約束ごとから成り立ついわゆる《伝統小説》」フランドル解説より。
解説を引用させて頂きました。いわゆる伝統小説でないフランドルから小説作法を出発しましたので、鎌倉の歴史に入って一生懸命ふつうに時系列的に書こうと頑張っていたのですがなんか窮屈で、フランドルが閃いたら自由になりました。笑
6月2日
おはようございます。いつのまにか朝型が定着。昨日は机周りの資料を整理。源氏物語にするか万葉集に行くかどっちつかずだったので資料が混在。竹御所と決まったから万葉集を 残して源氏物語関連のものを遠くに。これなら気分的にも夏の大会 に向けて違和感ないし。今日は必要な論文を探しにの予定。
6月3日
紫陽花と立葵@井の頭公園

タウンニュース鎌倉版連載のコラム。第七回が今日刊行になったのだけれど、紙面は届いているけどネットの確認ができない。もう少ししたら記者さんに連絡しようか考えていたらメールを頂いて、その件ではなくもう第八回の校正。記者さんの熱意に煽られるなんて有り難いですね!
今日届いたタウンニュース鎌倉版連載のコラム第七回です。無住と時頼の関係を書きました。後ほどきちんとブログにアップします。
