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2016.7.27 ツイッターより転載…鎌倉禅研究会FBのこと。仙覚さんの研究発表のための史料が揃ったことなど。

7月7日
しばらく禅の世界に埋没してたからこの世的に浮き上がるのに時間がかかっていてTLで校正の文字を見て慌てて思い出して明日必着の校正を送ったり…。タウンニュース鎌倉版のコラムも掲載はともかく次を書かなくてはとデスクトップのアイコンを開きっ放しにしているのですが。禅は結構要注意。私的に。

吉祥寺に出ました。この世的感覚に早く慣れようと。禅の方々と交わっていて思うのは精神がというのか背筋がというのかとにかく凛としていられます。私は結構そういう事に気を使って生きていますが本物の方々の中に入ると恥ずかしいくらい中途半端で情けない。でも文学をしている限り仕方ないです。

7月8日
おはようございます。タウンニュース鎌倉版コラムの第9回を書いて寝ようとしたのにどうしても書く気にならず半分寝たような半分起きていたような夜を過ごして起きたら、ふっと「江ノ電長谷駅を降りて」と最初の一行が浮かびました。もう大丈夫。今日中には送れるから写真許可の申請に入ります。

タウンニュース鎌倉版コラム第8回「父・時氏の死 第4代執権経時と第5代執権時頼」が載った紙面が届きました。勢いで第9回と第10回の原稿を書いて、第9回の写真を添付して送信。まだ頭がはたらかないのですが、これで8月の研究発表まで安心? 後一回分書いた方がいい気が…

タウンニュース鎌倉版コラムに載せる写真。以前撮った発掘調査現場の写真を使いたいのだけれど許可申請をどこに…など悩んでいたら思いがけない偶然の繋がりで解決。今連絡がとれてお話したら私が撮った写真なら問題ないとのこと。緊張してたのでほっとしました。

7月10日
選挙の日ですね。私は夕方涼しくなってから行くことにして今日はこれから比企の締切分を書く事に。タウンニュースのコラムを書いたら松下禅尼から気持ちが離れなくなって結局昨夜仕上げる予定ができませんでした。でも比企を書けばそのまま仙覚に移行できるからそうしたら今度こそ配布資料作りです。

鎌倉禅研究会6月の定例会では講座終了後に建長寺三門に登らせて頂きました。三門回廊から撮らせて頂いた仏殿の写真をアップしています。一度この角度で撮ってきたいと思っていた願いが叶いました! 鎌倉禅研究会FBにアップしました。

7月11日
鎌倉禅研究会のFBはいろいろな方が見て下さるから禅に素人の私が運営しているのは危ういけど人の繋がりが思いがけない方に進んだりして凄いとは思うのだけれど、私は仙覚研究とその後の執筆という課題を抱えているのだから拡がり過ぎないようにしようと、またいつもの癖でしり込み。と、昨夜就寝前。

7月12日
建長寺法堂脇の収蔵宝庫です。2013 年に発掘調査が行われて、2015年に完成しました。先月の鎌倉禅研究会はこの発掘をされた鎌倉考古学研究所の宮田眞先生のご講演でした。今日のFBの記事はこれを書きました。

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仙覚研究に戻りました。図書館にきて万葉集の論文をコピーしていたら防人歌の五首についてのご論を最近拝読したのが思い出され、どなたのだったかしら?と。じきにわかって、いやだ、こんな事を忘れてたなんてと。鎌倉にお住まいの研究者さんだから多分近々お会いする。その前に思い出してよかった。

都立有栖川宮記念公園。なんだか物凄い気分が楽になっていつもと反対側の道から降りて帰ったら見えた光景。私も子どもの頃細川家別邸後の戸越公園を遊び場に育ったから懐かしい光景でした。

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物凄い大きな丸い夕陽に見えました@渋谷スクランブル交差点

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7月13日
おはようございます。雨が降って朝の冷たい空気に和みながらコピーしてきた資料を拝読。肥爪周二氏「悉曇要集記奥文の音図をめぐって」。これはほんとうに仙覚はダヴィンチコードが書ける素材と唸る。悉曇に通暁してたらだけど。梵語。一度は試みたこともありました。あの時やっておけばよかった?

鎌倉時代の学僧仙覚の『万葉集註釈』が、万葉集註釈史上、或いは国語学史上極めて重要なものであることは周知のことであるが、悉曇学史の側から見た時も、注目すべき記念碑的著作である。すなわち悉曇学の他分野の学問(ここでは歌学)への応用という点で、江戸期の契沖と並び称される業績である。この仙覚の著作が、『悉曇要集記』の奥文と密接な関係があることは、既に竹田鉄仙氏によって指摘されている。←肥爪周二氏「悉曇要集記奥文の音図をめぐって」より。う〜んと唸る気持ちを抑えられない。なんか、仙覚の万葉集への取り組み姿勢が覗かれて。安易な今までの万葉学者仙覚のイメージと違う。

悉曇学の祖で平安時代後期の天台宗の僧に明覚という人がいるそうなのだけれど、慈光寺は八高線の明覚駅で降りる。気になって調べたら明覚駅の名前はそこがかつて明覚村だったからと。仙覚と関係ある慈光寺の裾の村が明覚村。何かあるのかどんどん気持ちが膨らんでいます。またいつもの習性で脇道…。

昨日鎌倉禅研究会のFBに載せた建長寺収蔵宝庫。寄贈されたのは立川市の普済寺様。私は以前放火で全焼した本堂再建に伴う発掘調査に携わらせて頂きご住職様から建長寺で修行された時のお話をよく伺ってました。今日の鎌倉禅研究会FBはそんな不思議なご縁の普済寺様。朝了解を戴くお電話をしました。

鎌倉禅研究会FBに立川市普済寺様の写真をアップしたいのですが、何か不具合でできずに四苦八苦。多分PCの調子でしょうから一旦諦め。こちらは本堂。開山の物外可什和尚様は建長寺37世を勤められた方です。

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7月14日
おはようございます。昨日の八高線明覚駅の件ですが、悉雲を旨とする天台宗の関東における最大の別院だった慈光寺の裾に明覚村があって当然と呟いてすぐ理解しました。見えているのは氷山の一角だったのです。繋がっている底の方まで降りていくのが研究。なにか仙覚に関係するのか考えたのでした。

仮寝して起きたら鎌倉禅研究会のFBが大変なことになっていて、建長寺様FBから、いいね!、を頂いていました。最初私自身運営に自信がないから様子をみながら作っていました。やっと軌道に乗ってきた感じで、いざ、これから!です。昨日は記事にする為に久々に普済寺ご住職様ともお話しました。

昨夜からスマホのメールができなくてショップで見て頂き治ったついでにこれから図書館まで足を延ばして多分最後になる資料のコピー。PCのFBの写真投稿もできなくなっていて、昨夜はiPadで記事を書きました。iPadからが慣れたら便利かも。

多摩の都立図書館で多分最後になる資料の論文を一本コピーしてきました。ざっと目を通してまさに「最後にこれが来た」なのですけれど、そして私が見ているのとベクトルが一緒なのですが、結論も一緒だったら大変だからはらはらしながら目を通して、結論は従来の方々どおりだったのでほっと一安心。

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2016.7.19 ツイッターから転載…7月4日の鎌倉禅研究会特別例会【鈴木大拙没後50年を記念して 於円覚寺】の他に、山百合が咲いたこと、研究発表の配布資料を作成のことなど

6月30日
『吾妻鏡』九月三日、能員の与党等を捜し求めらる、或は流刑し、或は死罪、多く以て糺断せらる、妻妾並びに二歳の男子等は、好有るに依りて、和田左衛門尉義盛に召預け、安房国に配せらる…これは比企の乱によって比企一族が滅ぼされた翌日の記事。仙覚が生まれた年の状況。←配布資料の作成中です。

比企の乱の年の生まれで比企氏ゆかりとされる仙覚が未だに「誰か」特定されないのは、この比企氏残党と知られると殺される運命にあったからと考えています。系図でも足跡でも、本名や真実を明かしているはずがないから。

7月1日
おはようございます、夢で『万葉集註釈』と格闘していました。悉曇学……、いよいよそこに突入です。昨夜悉曇学についての論文をはじめて読んだ時にはビビりました(笑)。ここを追及されたら立往生と思って。でもそれは切り抜けるしかありませんね。頑張ります。

7月2日
RTの「沈黙の苦しい勤めのなかで感じとっていった責任感」…、いいですね!(沈黙からしかほんとうの事は見えて来ないと思っています。だからなんとなく沈黙の苦しさが好きでなんとなく自虐的な気がします。笑)

このまま起きていることにして庭に面した窓を開けたらぷんと朝の草いきれの匂いがしました。

ひょっとしてと、私が仙覚と思っている人物と仙覚の事跡を並べた年表を作ったら案の定でした。見事な入れ子状態。これをどう解するか。私なりの結論は出ています。(ここのところ別件に気をとられていて、この年表を作るのを忘れていた事に朝気づいてヒヤッとしました。注意してかからないと!)

なんという展開と思う。悉く従来の意に反していく。でも私の気持ちのなかではやはりという思いがあるのは従来の意の中に微妙にそぐわないものがあったから。その微妙にそぐわない小さな違和感。それはほんとうに小さなものだけれど突き詰めていくと物凄い過ちだったりする。源氏物語の時もそうでした。

7月3日
百合の匂いがすると思ったら開いていました。球根を買ったまま植え付けられなくて遅くなったからどうかなあと危ぶんでいたのですが。山百合は祖母が玄関の脇に群生させていて思い出の花。これも群生までもっていきたいです!

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7月4日
今朝の百合。全部で6輪咲いています。蕾があと2個。とにかく花びらに透明感があり、こんな百合、見たことない!と感嘆ため息。2

今日は昨日より少し風があって涼やか。車内は冷房が効いてもっと。快適に鎌倉に向かっています。多摩の講座の方にもお知らせしたから何人の方がいらして下さるでしょうか。急だったから全く織田先生は無茶苦茶なんだからと苦笑されてるでしょう。私はこれから鈴木大拙『禅堂生活』で付け刃のお勉強。

鎌倉禅研究会特別例会鈴木大拙没後50回忌を記念しての会が終わり、打ち上げの会もお開きになって鎌倉駅近くで一人喫茶して寛いでいます。Facebookページを担当するにはこれはもう広報担当と同じと覚悟して重いからと禁じた一眼レフを持参。思い切り撮ってきました。後程連投させて頂きます。

メモ:ご講演のなかで松ケ岡文庫長の石井修道先生が鈴木大拙の思想を完結に表しているとして引用されたのが西田幾多郎宛書簡の文面。本になっているかとお伺いしたら全集に入ってます、と。それも鈴木大拙から西田幾多郎へ、そして西田幾多郎から鈴木大拙へと文面が違うから読み込まないと、と。

今日の鎌倉禅研究会特別例会開始前のようすです。会場は円覚寺大玄関二階。その為に横田南嶺円覚寺管長様のご挨拶に始まりました。今日は会場が円覚寺様だからその後も横田老師様が「ガイド」に勤められて国宝の舎利殿の中まで。凄い会でした。

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東慶寺の半夏生。見事でした。鎌倉禅研究会のFacebookページに昨日の記事をアップしなければならないから、でも石井修道先生の鈴木大拙についてのご講演を要約するなんて、なんて無謀!と思いながらしていたら夜が明けてしまいました。

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7月5日
思い出したこと。昨日隣に座ったご婦人から「禅は文学に役立ちますか」と訊かれ「全く相容れないですね。だから私は切り分けてます」と答えました。そしてふっと思いついて「密教は文学に入ります」と言ったのですが、そんなところにこの二つの宗教のそれぞれの性質が見えている気がします。

7月6日
まもなく七夕。鎌倉禅研究会のFBで2014年7月の七夕講演を聴いて下さっていた方とコメントを交わしました。不思議な展開。七夕は鎌倉の源氏物語の日、と訴えた講演でした。私が動けばついてきて下さる人もいる気配なのだけれど今は万葉集。でもいつか愛と哀しみのボレロみたいになる日は来ます。

タウンニュース鎌倉版連載のコラム「鎌倉と源氏物語」第8回が8日の号に掲載と連絡を頂きました。それで第9回の原稿をお待ちしていますと。鎌倉禅研究会のFBにかかっていて仙覚研究に気分が戻らないから先にこちらを仕上げることに。比企の連載も中旬締切でそれが済んだら仙覚に戻ります。

7月7日
嘉禎二年二月三日ニ校書ヲ始メ、建長七年七月七日、其ノ篇ヲ果ツ。時ニ雁字終点ノ朝也。更ニ紫式部ノ往情ヲ暗ンズ、牛女結交ノ夜也。遥カニ驪山宮ノ昔ノ契リヲ思ヒ、翰ヲ染メ、牋ヲ操リテ、慨然トシテ記ス。朝儀大夫源親行 (花押)←(建長七年七月七日の朝に、源親行が「河内本源氏物語」を完成)

連ツイ失礼します。この日が来ると私は感慨深いのですが、国文学の専門家でない私には何故親行が七夕にこだわるのかわからずこのTLで呟いたら長恨歌を教えて頂きました。そこから鎌倉の源氏物語の研究が一挙に深まって今に至っています。七夕は鎌倉の源氏物語の日。この祝典をいつか実現したいです。

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2016.7.2 「鎌倉禅研究会」のFacebookページを作りました。「いいね!」を押して頂けたら嬉しいです。

Facebookb

鎌倉禅研究会のFacebookページを運営させていただくことになり、一度止めたFacebookですが復活しました。 鎌倉禅研究会は鎌倉の建長寺で平成16年に始まり、この平成28年6月で第120回を数える講座です。

禅の研究会というと禅を学ぶ特殊な場所のように思って敬遠されがちですが、私はこの会で二回《鎌倉の源氏物語》について講演させていただきました。このように、第1講では「開山蘭渓道隆禅師の語録を読む」という講義を拝聴しますが、第2講以降、主に歴史や考古学など一流の先生方の興味深い掘り下げたお話を拝聴することができます。

平成26年に蘭渓道隆禅師生誕800年を記念して、それまでの成果が『東アジアのなかの建長寺』(勉誠出版)の一冊にまとめられました。今後の活動とともに、それら過去の成果を「鎌倉禅研究会」のFacebookページに載せていきます。

「鎌倉禅研究会」に、いいね!、をよろしくお願い致します。

(平成28年7月2日記)

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