2016.8.24 ツイッターから転載…鎌倉禅研究会「秋以降のスケジュール」のこと、解釈学会研究発表のことに関してなど。
8月16日
村瀬憲夫先生の顕彰論に接して伊藤博『万葉集の構造と成立』を昨日借りてきて拝読しているのですが、思いがけず成立論の学者仲間として仙覚がひっきりなしに取り上げられているので楽しい。今まで仙覚については外周を回るような接し方をしてたから初めて中に入って仙覚の生の学問を見ている思いです。
村瀬憲夫先生の顕彰論は、「伊藤博著『万葉集の構造と成立』の顕彰と検証」。ここではまだ仙覚が同じ学者仲間として揚げられているとは思わず、ただ成立論が展開するものだけと思っていました。村瀬先生の伊藤氏感自体熱くて、万葉集にこんな学者さんがいるんだあ…と関心を持ったのでした。
伊藤博『万葉集の構造と成立』より。「雄略御製の在り方に不審を抱いた最初の人は、おそらく折口信夫氏である」←「折口氏の成立論において注目すべきは、万葉成立論は、『万葉人の歌を作り、又、伝へた心持ちを考え』る文学史論として展開されなければならないという方法論的自覚に立脚してその論がくりかえされていることである。巻一、すなわち万葉集の冒頭になぜ雄略御製が据えられなければならなかったかというような、さらに重要な構造論を氏が事あるごとにくりかえしたのはこの方法論的自覚に基づくものであった」
なんか、この期に及んでこんなところに嵌ってしまいそうです、笑。仙覚さんの外周を辿っていた時が遠い過去のよう。(大丈夫か、発表準備…とは内心の声)
8月17日
台風一過。外は青空。蝉の鳴き声がします。風は爽やか。窓を開けて静かな室内でパワポを再開しました。
学会発表のためのパワポを進めているなか、先日各先生方にお送りさせて頂いた資料とご報告のお返事を数通賜る。学会の中の理事の方もおられ、また源氏物語で書評を書いて下さった方、歴史を指導して頂いている方等皆様お歴々といった方で、なんか、はじめて怖いといった気持ちが湧いてきました(遅!)
体調維持に夜型を禁じたのだけれどパワポをはじめたらまだ宵の口気分。結局夜型に戻りそう。日中お便りを戴いた方々は理事でいられるから大会に参加されるのは最初からわかっていて、なので発表のご挨拶をしたのだけれど「拝聴します」と戴いてあの方たちにお話するなんて…と楽しみになってきました。
8月18日
夕方お電話を下さった方は「比企に行かれたことあるのですか」と。2、3年前は年に数回行ってましたとお答えするとちょっと驚かれたよう。そうですよね。その方にとって私は鎌倉にばかり行っている人だもの。比企と鎌倉はちょうどどっちも我家から2時間。なんとなく行ったり来たりが仙覚さん気分。
比企の方々との交流があって今度の発表になりました。国文学の世界に少しは馴染んでいるからこそわかる価値。終わったら比企の方々にご報告にいきます。と、それ以上に仙覚さんの小説化に向けてロケーションに通います。今度ははっきり見るべきものが見えているから。ちょうど秋。いいですね!
終日パワポで仙覚さんと向き合っていると仙覚は絶対ということを掴みたかったのだと痛いほどわかる。アウトサイダーで生きるべく宿命づけられた人間が、社会の中で不動 というものを求めたら、それは自分の中にしかない。仙覚さんにはそれが万葉集との対峙だったのでしょう。万葉集という言語学。
8月19日
笠間書院様のメルマガで紹介されていました。「鎌倉の万葉学者仙覚・玄覚は誰かの問題について」を発表させて頂く解釈学会の大会。司会は村瀬憲夫先生です。今パワポの編集をざっと終えたところ。見直しつつ詰めていきます。ちょうど一週間後になりました。
比企といってもピンとこない方が多いでしょうから埼玉県の地図をスライドにしました。比企は埼玉県の中央に位置します。小川町と東松山市に仙覚さんの事跡があります。
仙覚さんについてわかっていることは、あづまの道の果ての生まれ、建仁三年の誕生、比企氏のゆかり、天台宗の僧侶の4つ。その「あづまの道の果ての生まれ」についてのためのスライドです。実は小川町が仙覚さんの町として有名ですが今回の発表では触れてません。代わりに東松山市が浮上しました。
のんびり写真を撮ってまわりたいなあ、と発表準備のメドがたったから余裕。体力をつけて備えましょう。もうすぐ来る秋に。
8月20日
鎌倉禅研究会の秋以降のスケジュールを頂きました。素晴らしい講師の方々です。会場は従来通りの建長寺応供堂。一回だけ特別に円覚寺様で。できる限り今夜入力して、明日中にはFacebookページでお知らせさせて頂きます。
メモ:昨夜思いついて忘れないようにしているのだけれど忘れそうなので。玄覚の俗名「重頼」の「重」が今までずっと気になっていて何だろうと思っていたのですが、これは「シゲ」ですね。父員茂の「シゲ」。「茂」をカモフラージュするための「重」。仙覚の名自体、「仙」=山に隠れ住む人だもの。
8月21日
鎌倉禅研究会の秋以降のスケジュールを、鎌倉禅研究会Facebookページにアップしました。9月浅見隆介先生、10月岩橋春樹先生、11月菅原昭栄先生、12月川本慎自先生、1月小川隆先生・円覚寺管長横田南嶺老師、2月枡野俊明先生、3月舘隆志先生。FBをどうぞご覧になって下さい!
浅見隆介先生「東博の禅展前に」、岩橋春樹先生「禅の美術」、菅原昭栄先生「栄西」、川本慎自先生「禅宗と儒教」、小川隆先生「禅の思想史」・円覚寺管長横田南嶺老師「禅の教えに学ぶ」、枡野俊明先生「禅と庭」、舘隆志先生「鎌倉時代の禅」。研究会では第一講と第二講があり、第二講のご紹介です。
ドラマティックな夕暮れでした。でも写っているようなドギツイ色ではなく、綺麗でした。デジタルって、どうしてこうなんでしょうね。コントラストが強すぎて。
8月22日
雨で届いたお葉書の万年筆の文字が消えそうなのを目を凝らして拝読。ご高齢でお年賀状にもう手書きは無理なので返礼を一切致しませんとあった方なのに仙覚さんの発表報告に対して下さいました。楽しみに伺いますと。この方のご専門は万葉集。しっかりお応えしたいです。
六代御前のスライドを追加しました。仙覚が比企氏のゆかりとされながら、従来それが意味する危険が殆ど考慮されてきてないので過去の事例として。これはそのまま比企氏ゆかりの仙覚の運命です。万葉集だけをたどっていては仙覚の人生は解けません。
8月23日
昨日六代御前をスライドにするまで意識したことなかったけど、嫡系ということが重要なのだと今頃になって気づく。六代御前が三十歳近くまで生き延びても結局殺されたのは嫡系だから。私が仙覚とする員茂も比企能員の孫。単なる比企氏ゆかりではないんです。これをパワポの最後に入れようと思います。
発表も講演も余裕を持ってパワポを終わらせようと思うのだけれど、途中どんな不意の事故が起こらないとも限りませんし…、でも結局最後の最後の大詰めの日になって大事なことを思いつく。いつもこの繰り返し。でもこの思いついた時の開放感。だから早めに終わった余裕の準備を私は信用していません。
パワポの編集終了。大幅に変えました。前は事実報告みたいのだったけど、「嫡系」と「名前に隠された秘密」を入れて内容の深いものに。でも、文学じゃあないんだから…と怒られるかも。今夜一晩、そして明日一日、また温めてようすをみます。
8月24日
パワポの編集、終わりました。着地感有りです。昨夜の「名前に隠された秘密」を削除し、「員茂を仙覚とした場合の仙覚の人生」を入れて決着。スライドは全部で28枚。25分でこれを収めるのは無理かも。あとで確認。
きっと下さると信じていた方から賜りました。ご報告のお返事。国文学者さんで敬愛して止まない方です。解釈学会当日の御成功を祈申しあげます…。河内本源氏物語でも最初に喜んで頂きました。信じて下さる方がいるからここまでやってこられました。ますます御研究御進めになりますよう…。頑張ります。
台風に地震。気がかりは消えないけど今の私は明日の発表に向けて専念するしかなく予備に持ち歩く用のUSBメモリを買いに出ました。帰ったらPCが使えなくなった時に備えて自分用のレジュメにパワポを印刷。準備万端整えます。明日は学会でしかお目にかかれない先生方とお会いできるから楽しみです。