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2016.8.24 ツイッターから転載…鎌倉禅研究会「秋以降のスケジュール」のこと、解釈学会研究発表のことに関してなど。

8月16日
村瀬憲夫先生の顕彰論に接して伊藤博『万葉集の構造と成立』を昨日借りてきて拝読しているのですが、思いがけず成立論の学者仲間として仙覚がひっきりなしに取り上げられているので楽しい。今まで仙覚については外周を回るような接し方をしてたから初めて中に入って仙覚の生の学問を見ている思いです。

村瀬憲夫先生の顕彰論は、「伊藤博著『万葉集の構造と成立』の顕彰と検証」。ここではまだ仙覚が同じ学者仲間として揚げられているとは思わず、ただ成立論が展開するものだけと思っていました。村瀬先生の伊藤氏感自体熱くて、万葉集にこんな学者さんがいるんだあ…と関心を持ったのでした。

伊藤博『万葉集の構造と成立』より。「雄略御製の在り方に不審を抱いた最初の人は、おそらく折口信夫氏である」←「折口氏の成立論において注目すべきは、万葉成立論は、『万葉人の歌を作り、又、伝へた心持ちを考え』る文学史論として展開されなければならないという方法論的自覚に立脚してその論がくりかえされていることである。巻一、すなわち万葉集の冒頭になぜ雄略御製が据えられなければならなかったかというような、さらに重要な構造論を氏が事あるごとにくりかえしたのはこの方法論的自覚に基づくものであった」

なんか、この期に及んでこんなところに嵌ってしまいそうです、笑。仙覚さんの外周を辿っていた時が遠い過去のよう。(大丈夫か、発表準備…とは内心の声)

8月17日
台風一過。外は青空。蝉の鳴き声がします。風は爽やか。窓を開けて静かな室内でパワポを再開しました。

学会発表のためのパワポを進めているなか、先日各先生方にお送りさせて頂いた資料とご報告のお返事を数通賜る。学会の中の理事の方もおられ、また源氏物語で書評を書いて下さった方、歴史を指導して頂いている方等皆様お歴々といった方で、なんか、はじめて怖いといった気持ちが湧いてきました(遅!)

体調維持に夜型を禁じたのだけれどパワポをはじめたらまだ宵の口気分。結局夜型に戻りそう。日中お便りを戴いた方々は理事でいられるから大会に参加されるのは最初からわかっていて、なので発表のご挨拶をしたのだけれど「拝聴します」と戴いてあの方たちにお話するなんて…と楽しみになってきました。

8月18日
夕方お電話を下さった方は「比企に行かれたことあるのですか」と。2、3年前は年に数回行ってましたとお答えするとちょっと驚かれたよう。そうですよね。その方にとって私は鎌倉にばかり行っている人だもの。比企と鎌倉はちょうどどっちも我家から2時間。なんとなく行ったり来たりが仙覚さん気分。

比企の方々との交流があって今度の発表になりました。国文学の世界に少しは馴染んでいるからこそわかる価値。終わったら比企の方々にご報告にいきます。と、それ以上に仙覚さんの小説化に向けてロケーションに通います。今度ははっきり見るべきものが見えているから。ちょうど秋。いいですね!

終日パワポで仙覚さんと向き合っていると仙覚は絶対ということを掴みたかったのだと痛いほどわかる。アウトサイダーで生きるべく宿命づけられた人間が、社会の中で不動 というものを求めたら、それは自分の中にしかない。仙覚さんにはそれが万葉集との対峙だったのでしょう。万葉集という言語学。

8月19日
笠間書院様のメルマガで紹介されていました。「鎌倉の万葉学者仙覚・玄覚は誰かの問題について」を発表させて頂く解釈学会の大会。司会は村瀬憲夫先生です。今パワポの編集をざっと終えたところ。見直しつつ詰めていきます。ちょうど一週間後になりました。

比企といってもピンとこない方が多いでしょうから埼玉県の地図をスライドにしました。比企は埼玉県の中央に位置します。小川町と東松山市に仙覚さんの事跡があります。

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仙覚さんについてわかっていることは、あづまの道の果ての生まれ、建仁三年の誕生、比企氏のゆかり、天台宗の僧侶の4つ。その「あづまの道の果ての生まれ」についてのためのスライドです。実は小川町が仙覚さんの町として有名ですが今回の発表では触れてません。代わりに東松山市が浮上しました。

のんびり写真を撮ってまわりたいなあ、と発表準備のメドがたったから余裕。体力をつけて備えましょう。もうすぐ来る秋に。

8月20日
鎌倉禅研究会の秋以降のスケジュールを頂きました。素晴らしい講師の方々です。会場は従来通りの建長寺応供堂。一回だけ特別に円覚寺様で。できる限り今夜入力して、明日中にはFacebookページでお知らせさせて頂きます。

メモ:昨夜思いついて忘れないようにしているのだけれど忘れそうなので。玄覚の俗名「重頼」の「重」が今までずっと気になっていて何だろうと思っていたのですが、これは「シゲ」ですね。父員茂の「シゲ」。「茂」をカモフラージュするための「重」。仙覚の名自体、「仙」=山に隠れ住む人だもの。

8月21日
鎌倉禅研究会の秋以降のスケジュールを、鎌倉禅研究会Facebookページにアップしました。9月浅見隆介先生、10月岩橋春樹先生、11月菅原昭栄先生、12月川本慎自先生、1月小川隆先生・円覚寺管長横田南嶺老師、2月枡野俊明先生、3月舘隆志先生。FBをどうぞご覧になって下さい!

浅見隆介先生「東博の禅展前に」、岩橋春樹先生「禅の美術」、菅原昭栄先生「栄西」、川本慎自先生「禅宗と儒教」、小川隆先生「禅の思想史」・円覚寺管長横田南嶺老師「禅の教えに学ぶ」、枡野俊明先生「禅と庭」、舘隆志先生「鎌倉時代の禅」。研究会では第一講と第二講があり、第二講のご紹介です。

ドラマティックな夕暮れでした。でも写っているようなドギツイ色ではなく、綺麗でした。デジタルって、どうしてこうなんでしょうね。コントラストが強すぎて。

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8月22日
雨で届いたお葉書の万年筆の文字が消えそうなのを目を凝らして拝読。ご高齢でお年賀状にもう手書きは無理なので返礼を一切致しませんとあった方なのに仙覚さんの発表報告に対して下さいました。楽しみに伺いますと。この方のご専門は万葉集。しっかりお応えしたいです。

六代御前のスライドを追加しました。仙覚が比企氏のゆかりとされながら、従来それが意味する危険が殆ど考慮されてきてないので過去の事例として。これはそのまま比企氏ゆかりの仙覚の運命です。万葉集だけをたどっていては仙覚の人生は解けません。

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8月23日
昨日六代御前をスライドにするまで意識したことなかったけど、嫡系ということが重要なのだと今頃になって気づく。六代御前が三十歳近くまで生き延びても結局殺されたのは嫡系だから。私が仙覚とする員茂も比企能員の孫。単なる比企氏ゆかりではないんです。これをパワポの最後に入れようと思います。

発表も講演も余裕を持ってパワポを終わらせようと思うのだけれど、途中どんな不意の事故が起こらないとも限りませんし…、でも結局最後の最後の大詰めの日になって大事なことを思いつく。いつもこの繰り返し。でもこの思いついた時の開放感。だから早めに終わった余裕の準備を私は信用していません。

パワポの編集終了。大幅に変えました。前は事実報告みたいのだったけど、「嫡系」と「名前に隠された秘密」を入れて内容の深いものに。でも、文学じゃあないんだから…と怒られるかも。今夜一晩、そして明日一日、また温めてようすをみます。

8月24日
パワポの編集、終わりました。着地感有りです。昨夜の「名前に隠された秘密」を削除し、「員茂を仙覚とした場合の仙覚の人生」を入れて決着。スライドは全部で28枚。25分でこれを収めるのは無理かも。あとで確認。

きっと下さると信じていた方から賜りました。ご報告のお返事。国文学者さんで敬愛して止まない方です。解釈学会当日の御成功を祈申しあげます…。河内本源氏物語でも最初に喜んで頂きました。信じて下さる方がいるからここまでやってこられました。ますます御研究御進めになりますよう…。頑張ります。

台風に地震。気がかりは消えないけど今の私は明日の発表に向けて専念するしかなく予備に持ち歩く用のUSBメモリを買いに出ました。帰ったらPCが使えなくなった時に備えて自分用のレジュメにパワポを印刷。準備万端整えます。明日は学会でしかお目にかかれない先生方とお会いできるから楽しみです。

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2016.8.24 ツイッターから転載…鎌倉禅研究会FBのこと、万葉・仙覚の発表のことなど

8月8日
空がとても綺麗でした。台風が近くにあるとよく空全体がマゼンタ色になりますが、部分的にそれに近い空でした。

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今日の鎌倉禅研究会FBの記事。法堂脇の収蔵宝庫建設のための発掘調査現場の写真でした。それに幾つか、いいね!、を頂いているのですが、中に通常の手のマークのでなくビックリ顔のが。凄い!の意味だそうです。地味な発掘現場写真です。でも、二度と撮れない光景です。写真ってこういうものですね。

8月9日
今日の鎌倉禅研究会FBの記事は建長寺様の花祭。季節外れですが昨日載せた収蔵宝庫建設に伴う遺跡発掘調査の写真は花祭の日に行って目にしたのでした。建長寺様の華麗な法要。至福な面持ちになります。来年のご参考に。どうぞ行かれて下さい。

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暗くなるのを待って散歩に出たけれど少しも涼しくない。でも昼間TLで見た『書物学』称名寺の聖教特集号を欲しい一心でコピス吉祥寺まで来たのにまだ発売前でした(泣)。発売日は今月末だそう。なんとなく研究発表前に読んでおきたかったのにと気落ち。研究発表は今日会場や発表時間を確認しました。

久しぶりの夜のこんな時間。やはり、いい! 充実していた配布資料の作成が終わって次の発表準備にかかるまでの間に溜まっていた所用を片付けていたのだけれど、ちっとも充実感がないから一体何をして過ごしたか思い出せない。そして久しぶりのこんな夜。この充足。明日からまた頑張ります。

やはり『書物学』が早く読みたい。金沢文庫の仁和寺の聖教類から始まり、そんなところを渉猟してたら鎌倉の源氏物語問題に遭遇し、仙覚さんにまで行ったけど、もうこれも終わり。残るは実時の源氏物語問題。結局最後は金沢文庫。惑星の軌道のような気の遠くなるような大きな楕円でした。

8月10日
建長寺様といえば柏槇。私はこの柏槇の木が好きで行く度にカメラを向けるのですが、一枚として満足に撮れていません。蘭渓道隆様が宋から持ってらしたという柏槇。安易な撮影を拒む風格があるのでしょう。今日の鎌倉禅研究会FBの記事です。

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8月11日
鎌倉禅研究会FBに記事を書くために毎回記憶をたどり直して調べると案外思い込みで誤っていることが多い。研究発表の配布資料作成でもそうでした。記事を書く、資料を作るなど、文字に定着させる行為で新たに視点を捉えなおすいい機会になっていると思います。

8月12日
吉祥寺の夕暮れ。なんか、空がどんよりしています。バヌアツで大きいのがあったのに。

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8月13日
鎌倉禅研究会の秋のスケジュールが決まり、後は公開するだけになって、ここまで漕ぎつけたからFBは一旦休止。今日から残り2週間を切った研究発表に専念します。資料を眺めると膨大で焦るけどパワポにかかれば集中できるから安心。疲労が溜まって早々に寝たので快適です。眠りは再生への扉です。

建長寺様ご本尊地蔵菩薩坐像です。再掲かもしれませんが、ツイートがみつからないので。禅宗寺院は普通毘盧舎那仏か釈迦如来が本尊です。が、建長寺様は刑場跡に建てられているので亡者追善のためといわれます。

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鎌倉禅研究会FB記事ランキング。リーチ数700以上①8/5『建長寺ーそのすべて』947②7/20蘭渓道隆みずからの意志で渡来803③8/12(昨日)建長寺仏殿ご本尊地蔵菩薩坐像730④8/7建長寺三門二階709 →やはり王道といった感じの記事が皆様にご関心の結果になりました。

メモ: 密教聖教の表記法には特別な原理があるので、佐和隆研『密教辞典』付録の略字・略号一覧に親しむこと…。この一覧、知らなかった〜。縦棒一本みたいなの、たくさんありますものね。

と、必死になって仙覚さんの世界に戻るべく密教世界を渉猟中です。

仙覚さんは天台宗だけど。

メモ: でも、今度の研究発表には必要ないけど、仙覚は北条実時と想像以上に親しかった気がする。今までは実時の源氏物語ばかりで金沢文庫を見てたけど、仙覚さん関連で探しものをする時期がくるかも。

朝ツイートの鎌倉禅研究会FB記事ランキング。朝はまだ昨日upの建長寺ご本尊地蔵菩薩坐像はリーチ数730で三位でした。一位が947です。今見たら他の記事に変化はないのにご本尊様は1041でダントツトップに。海外の方にもシェアされてます。やはり建長寺ご本尊に関心は圧巻です。

8月14日
ライラックかと思いました。紫色のサルスベリは。見た目はもっと紫色です。

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8月15日
昨夕最後の投函を本局まで行ってして、机周りが万葉集に専念できる状況になって、今日から万葉集一色の生活にする予定です。

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2016.8.24 ツイッターより転載…鎌倉禅研究会FBのこと、万葉集・仙覚さんのことなど

8月4日
今日の鎌倉禅研究会FBには建長寺の庭園、?碧池(さんぺきいけ)を揚げました。庭園は国指定史跡で開山蘭渓道隆の作といわれます。2014年6月撮影のこの時が一番綺麗に撮れて気に入っています。

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この時の前後の写真を見たら土砂降りの雨の直後でした。雨で撹拌されてできた池のマーブリングだったんですね。これで納得。以後、同じような写真が撮れてません。

我が行きの息づくしかば足柄の嶺延ほ雲を見とと偲ばね…。男が旅に出てしまって苦しく切なくなったら、足柄の嶺にたなびく雲を見て私のことを、偲んでおくれと詠む、(村瀬憲夫『万葉びとのまなざし』より)。←防人の歌、切ないですね。仙覚が防人の歌をどう詠んでいるか、これから見ていきます。

昼にふとしたことで耳に入った旋律。知っているのに思い出せない。思いつく作曲者で検索しても違う。どうしても知りたくてさっき娘に調べて貰ったら、なんとシューベルト。まさかこんな時にシューベルトに回帰なんてと呆気にとられながら聴いています。アルペジョーネ・ソナタ。仙覚さんを読みながら。

村瀬憲夫先生『万葉びとのまなざし』にあった「筑波嶺のさ百合の花の夜床(ゆとこ)にも愛(かな)しけ妹そ昼も愛しけ」に対する仙覚『万葉集註釈』での註釈は「ユトコニモハ、ヨトコニモ也。カナシケトハ、カナシキ也。」で、今のところ仙覚さんの註釈のほとんどが語句にこだわっているように見える。

8月5日
今日の鎌倉禅研究会FBの記事は主宰者でいられる高井正俊前建長寺派宗務総長様が刊行された『建長寺ーそのすべて』について書きました。24年間鎌倉で建長寺のために尽くされた方の「報恩」のお気持ちで刊行されたご本です。

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展開がめまぐるしい。6月5日に配布資料作成にかかって7月24日に完成。その間6月28日に鎌倉禅研究会FBの作成にとりかかり7月1日に公開。配布資料は事務局に送って手放し、間もなくFBも秋のプログラム完成と共にひとまず使命が終わる。これからが私の本番で8月25日が研究発表の日です。

鎌倉禅研究会FB。たった今70件目の、いいね!、を頂きました。ほとんど知り合いもなく伝もなく始めて1ヶ月で70件。ほぼひとまず自分の役割を終えて素敵な引き際になりました。ありがとうございましたと感謝の思いでいっぱいです。(引き際)といっても止める訳ではありませんが。

メモ: 宮騒動で仙覚が帰洛させられる頼経に従わなかったのは、頼経お抱えの僧侶でなかったからでなく、頼経は誘ったのに仙覚が断った。それは校訂中の万葉集を放り出して去りたくなかったから。頼経はそんな仙覚の孤高の気質を理解していた。二人の会話には重要写本の名前が飛び交う。

メモ2: 仙覚の竹御所の菩提を弔うための鎌倉下向の陰に道家がいる。

鎌倉禅研究会FB。管理人だといろいろな内部の分析が読めて、今見たら人気の年齢層は、35~44歳。これ、わかります。いいね!を下さった方のお立場に副住職という方が多いんです。建長寺様や他の機会でお見かけした方も何人か。建学の気に満ちてられる凛とした素敵な方々です。

8月6日
おはようございます。仮寝して起きたら夜が明けてしまいました。外では鳥たちが囀りはじめています。今日はまだ滞っている書類の発送などとにかく片付けなければならないことをして、発表への体制を整えなくては!

メモ: もし仙覚が比企氏のゆかりということを知らずに九条家の方々(道家と頼経)が竹御所の菩提を弔うために住持として呼び寄せたなら、仙覚の内心の驚愕はどれ程だっただろう。同じ比企氏のゆかりとして生涯崇めて止まない理想の女性にこうした形で仕える事になろうとは、と。→この展開いいかも。

鎌倉禅研究会FB記事のリーチ数(見て下さった人数)上位ランキング。①7/20蘭渓道隆が自ら発願して渡来803②7/16普済寺出土経石の経典種類699③8/5高井正俊前宗務総長『建長寺ーそのすべて』683④7/23道元と時頼651⑤7/21蘭渓道隆常楽寺623⑥建長寺三門羅漢612

思いついてリーチ数600を越えた記事をアップしました。①の蘭渓道隆自ら発願して渡来のダントツトップは嬉しいです。中国僧というだけで日本の禅宗の歴史から除外されている(全集に入れられないみたいな…)蘭渓道隆の思いを少しでもお伝えできたかなと。③は昨日の記事なのにと感無量です。

8月7日
今日の鎌倉禅研究会FBには建長寺様三門二階の釈迦如来像と五百羅漢様を載せました。昨日のランキングで三門二階の十六羅漢様が6位に入っていました。やはり普段拝観できない二階には関心が高いんですね。

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タウンニュース鎌倉版コラム第8回「父・時氏の死 第4代執権経時と第5代執権時頼」です。7月8日号に掲載されてとっくに紙面が届いていたのですが、ブログにもアップしそびれていて今やっとしました。8月号のが間もなく出そうなので慌てて。笑

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8月8日
今日の鎌倉禅研究会FBの記事は建長寺様収蔵宝庫建設に伴う法堂脇の遺跡発掘調査現場写真です。7月に記事にしたのですが、その時に探していた写真が出てきましたので。地方のご住職様方がご覧下さっているので建長寺様の歴史の一コマとしてご紹介。

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2016.8.22 ツイッターから転載…鎌倉禅研究会FBのこと。解釈学会大会での研究発表用パワポにかかるまで。

8月1日
配布資料を作り終わったらすっかり気が抜けて、発表はこれからなのにもう小説にかかる思考にベクトルが変っている。昨日最初の一行が涌いたのだけれどまだ早いと思ってメモせず。そうしたら今朝はタイトルと構成が。構成を二章にしようとはもうずっと前に考えていたことだけれどそれを思い出しました。

↑ずっと前に呟いています。『比企の遺児ー仙覚と竹御所』。第一章 竹御所。第二章 仙覚。

鎌倉禅研究会FB。今日から2ヶ月目に入ります。1ヶ月、試行錯誤ながらなんとか続けられました。ひとえに皆様の暖かい励ましのお陰です。ありがとうございました。記念に私の好きな建長寺様の写真の1枚を。

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悲劇的な旋律が好きででも配布資料を作っている間は引きずられる訳にいかないから避けていたけど、今久しぶりに思いっきり聴いて浸っている。今度は逆に会合があったり音信があって人の心の度合いに引きずられる訳にいかないから自分という境地を保つために。私には書くということがあるのだけれど。

雷鳴が轟いている気がする。確かめに窓を開けたけど雨は降ってなくて雷雲もない。でも、遠雷というには大きく聞こえる。雨が来るのかしら。

8月2日
昨日鎌倉禅研究会FBの2ヶ月目に入った記念に建長寺様法堂の西陽の写真を載せたら西陽の光景が胸から離れなくなって、もう1枚。私は西陽の写真家になりたい、って感じ。

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発表要旨が載った号の機関誌が届いているのに今気づいたのだけれどちょっと開ける勇気がなく放置。笑。明日、要旨をコピーして大会プログラムに同封して今までお世話になった先生方にご報告します。国文学、仏教、歴史、文学、それぞれにほんとうにいろいろ導いて頂いた先生方にたぶん最後のご報告。

鎌倉禅研究会FBの記事に頂く、いいね!、は誰ひとり知り合いがなくほんとうにその記事に対して頂く、いいね!、だから、最初は一ケタもそれもほんとうに数個くらいだったところから始まり、建長寺FB様のシェアで拡がって今は自力で十数個はいくくらいになって、真剣勝負って感じです。笑

外に出たら遠く北の空が頻繁に光っている。それも凄い広域に。下にいる方々はさぞ不安で怖いことでしょう。あと、東に積乱雲が発生してたと思ったら、帰りはそれが拡がって当地上空まで。そして、その雲の中心部真下、東京湾方向の空が明るく真っ白でした。発光しています。

家の中にいても外かと思うくらいのひどさで雨だれの音がする急などしゃぶりでした。夜じゅう続いたら嫌だなあと思っていたらあっけなく止んでもう音はしません。雨雲マップを見たらもう大丈夫。移動した雲の下にいる方は今大変でしょう。今日の空模様、気象の変化は凄いですね。

気象庁地震情報を見たら、発光していた東京湾方向の先に、先程の千葉県北東部M4.2の震源地がありました。当地ー東京湾ー千葉県北東部の位置関係です。低空の夜空が発光して異様に明るいと、その後よくその方向に地震があります。

複数の地域からの異常を突き合わせると震源地の特定ができます。例えば、今夜の三鷹から東方向を、茨城の方が南方向に見ていたら、そのラインの交叉した所が震源地です。

8月3日
東寺金剛蔵第201箱20号悉曇章の成立を右のように考えると、朱をもって誤字を訂正し、且梵字の発音を万葉仮名で書き込んでいったのは円仁ということになってもよい。(馬渕和夫氏『悉曇章の研究』より)

今日の鎌倉禅研究会FBには夕陽を浴びて輝く建長寺様鐘楼の写真を載せました。蘭渓道隆様の渡来から建長寺建立まで辿った記事が終わり、次のテーマに移るまで撮り溜めていた建長寺様の写真をアップしています。

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考えたくないけれど新月の夜のこの日また新しい決別があるかもしれない気がする。いつもそうでした。ここにもう骨を埋めてもいいと思うくらいに心酔して師事してもいつのまにか自分から離れていっている。またそうかもしれない。でもこれが人生の行脚なのです。終着点は作品。それが見えてるから。

長岡の緑色の花火、綺麗でした。緑色の花火って、あまり見ない……

やはり二部構成だと気持ちが入っていかないから仙覚一本に絞ろうと思う。どんどん気持ちが仙覚に入っていって仙覚は私だみたいになっている。それは生涯をかけて万葉集に携わった仙覚の境涯がわかるから。発表が終わったらいろんなことを捨てて執筆にかかる。その布石がもう始まっている。

朔の日のうちにとりあえず作りました。発表に使うパワポ。そのタイトル画面です。明日から編集にかかります。

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2016.8.14 ツイッターから転載…研究発表する仙覚さんのことや鎌倉禅研究会フェイスブックの記事のことなど

7月27日
お早うございます。起きて仙覚さんの資料を整理しています。配布資料の作成にかかったのは6月初旬。あの頃はまだ仙覚が出家したのは慈光寺と思っていました。円仁との関係もこれ程とは思っていませんでした。それが今は全く違う。世界がすっかり変わって、次はこれをどうやったらお伝えできるかです。

どんどん私の中で仙覚が巨大なブラックホール化しています。万葉集の仙覚だった時は有の世界でした。今は無。仙覚は万葉集という有機的世界を生きていたのではなく、悉曇学の応用という言語学者的無の世界と向き合っていたのでした。私の中でどんどん求道者仙覚のイメージが膨らんでいます。

仙覚抄において仙覚が試みた注釈方法は、まず「漢字」で書かれた本文を定め読み解くことであった。そのために、万葉集の書き様について、全体的な見方をまず提示している。すなわち、仙覚抄奏覧状の中に、下僕見方万葉集歌、有四種書様。一者真名仮名、二者正字、三者仮字、四者義読也。(乾善彦氏)

乾善彦氏「仙覚『万葉集註釈』の文字意識」より。(これはもう、万葉集の歌を読むことでなく、万葉仮名をどう読み解くか、に主眼がありますよね。今までよく仙覚の読みは強引で間違っている部分もあるけどそれはそれ、みたいな感じの評価を読んできましたが、観点が違うってことだったのかと)

追記: 仙覚は、あくまで「書き様」つまり表記を問題とした文字使いの整理を行っていた…

7月28日
今日の鎌倉禅研究会FBの記事は、建長寺開山蘭渓道隆様が鎌倉に下向される直前数ヶ月間滞在されていた京都市泉涌寺来迎院について書きました。

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タウンニュース鎌倉版コラム第9回の校正を送信してすっきり。配布資料にとりかかった頃届いていてずっと気にしながら抱えていました。発表に使うパワポの編集に入る前にしておかなければならない幾つかのことをしています。

7月29日
窓を開けたらほっそりと白い有明の月が見えました。

窓から入る涼やかな朝の風の中で馬渕和夫氏『悉曇章の研究』を拝読しています。悉曇章に触れて仙覚が万葉集を志したのなら少しでもその秘密に近づけたらと。梵語に挑戦しようと試みた事はあったけれど、こういう体系的なものがあったことに驚き。「悉曇章は六世紀以後の梵語入門書といってよかろう」

鎌倉禅研究会Facebook。今日60件目の、いいね!、を頂きました。ありがとうございます。特に建長寺のツイッター様に感謝申し上げます。RTして頂いた後のリーチ数の跳ね上がり、ハンパないです! それと全国の僧侶、寺院関係者の方への浸透度が。こういう方々に見て頂いているのですね。

7月30日
今日の鎌倉禅研究会FBの記事は、京都を発って鎌倉に到着された蘭渓道隆様が最初に滞在された寿福寺様について書きました。ここから北条時頼と出逢っての大船常楽寺→建長寺建立まであと一歩です。

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鎌倉禅研究会Facebook。今日は鎌倉ではポピュラーな寿福寺様だからリーチ数はそれ程伸びないだろうと思っていたらいつもより○○%の伸びと。しょっちゅう自分が鎌倉に行ってるからといってこれでは寿福寺様に失礼だったと恐縮。FBは全国の方々に見て頂いているのですものね。迂闊でした。

鎌倉の帰りです。話し込んで終電に間に合わなくなる危機一髪でした。鎌倉ペンクラブ納涼会の後の席。ペンクラブもようやく慣れてこんなお付き合いにも参加させて頂いてます。ある方が、織田さんが企画する慈光寺を巡る会があったら参加するよと。何時何分何処に集合とかねと。う〜ん、やってみたい。

品川で乗り換えて山手線。なんと、こんな時間なのに、座れました。

7月31日
おはようございます。昨日の鎌倉禅研究会FBの寿福寺の記事。今朝見たらシェアが2件に、いいね!のリアクションの中に赤いハートマークが。蘭渓道隆が建長寺建立まであと一歩の緊迫感がよかったのでしょうか。記事を書く私の中での価値判断と頂いた反応のギャップに学ぶこと多しです。

今日の鎌倉禅研究会の記事は、いよいよ建長寺創建となったまとめを書きました。建長五年、北条時頼との出逢いで、はるばる宋から渡来され、博多→京都→鎌倉とたどった蘭渓道隆の旅が終着点を迎えての建立でした。もう諦めて宋へ帰ろうと思いつつも辿り着いた鎌倉。先が見えない果てしのない旅でした。

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2016.8.7 タウンニュース鎌倉版コラム【鎌倉と源氏物語】第八回「父時氏の死 第4代執権経時と第5代執権時頼」です。

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タウンニュース鎌倉版コラム第八回「父・時氏の死 第4代執権経時と第5代執権時頼」。7月8日号に掲載されてとっくに届いていたのに、研究発表の配布資料作成と、鎌倉禅研究会FBに全力集中していてすっかりこちらでのアップを滞らせていました。

やっと、二つともに手を離れて余裕ができた頃には、たぶんもう間近に第九回が載ります。それで慌ててアップします(笑)

といいながら、今回は笑ってなどいられない内容で、六波羅探題北方を無事に終え、鎌倉に戻る松下禅尼一家ですが、夫時氏が途中、愛知県のあたりで病にかかり、鎌倉に着く早々亡くなります。松下禅尼や、父第3代執権泰時の必死の願いもむなしく。

ここから出家して、京都でファーストレディの役割を務めた妻は松下禅尼の名前になり、経時・時頼ら幼い少年は母と祖父泰時に育てられていきます。

ここで興味深いのは、まだ華やかな一行の京都での出立を、藤原定家息の為家が早朝から見送っていること。高齢の定家の代理だったのでしょう。一家の定家一家との交流のほどが窺われます。

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2016.8.2 ツイッターから転載…研究発表用配布資料の作成と、鎌倉禅研究会FBのことなど。

7月20日
今日の鎌倉禅研究会FBの記事は、開山蘭渓道隆が宋から渡来された中国の方のため、建長寺では今も法要が中国の様式そのままに執り行われていることを書きました。開基である北条時頼が見た光景です。

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7月21日
おはようございます。研究発表の配布資料。呑気にしていたらいよいよ間に合わなくなりそうで今日中に作成を終えようと一念発起。明日からコピーに入りたいです。A3で4~5枚。閉じて半分に折って150部。結構時間かかりそうだから。

それとは別に鎌倉禅研究会FB。今朝も建長寺FB様がシェアして下さってたくさんの方に閲覧して頂いています。鎌倉禅研究会の主旨はたくさんの方に文化を知って頂くことだから有難いです。昨日の記事の開山蘭渓道隆様は鎌倉の禅の原点というより日本の禅の原点なのに殆ど知られてません。

時がきたらスキャンしようとして傍らに置いていた円仁のムック本がどうしてもみつからない。こういうことってよくある。思い出して都立図書館でコピーしてきた悉曇章の研究書から口絵をスキャン。この方がよくとれた。というのは結果論で一時は焦りました。仙覚の研究、悉曇学まできました。

霧雨でしたが吉祥寺を歩いてきました。うっかりノースリーブで出たら寒いくらい。失敗したと思ったのですがこれもいいと開き直って涼しさを満喫しました。鎌倉禅研究会FBはいいね!を50人の方に頂きました。建長寺FB様のお陰です。関心を持って頂けるとわかってほっとしてもいます。

今日の鎌倉禅研究会FBは大船の常楽寺様を書きました。建長寺開山になる前に鎌倉に着いて最初に入られたのが常楽寺様でした。宋に行かなくても本物の中国の禅僧に学べるとあって100人もの僧が全国各地から集まったそうです。

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7月22日
無事に辿り着きました。武蔵野市の図書館に来たら休館日で地元の図書館に移動。途中心配になってグーグルマップを見てたら何だかポケモンGOをしてる人みたいに。配布資料に引用する吾妻鏡。武蔵野市のなら国史大系。地元のでは全訳。どちらにするか迷っていたのが必然的に決まりました。

玉川上水べりの百合。毎年通っているけど気がつきませんでした。かなり大きい。

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鎌倉禅研究会FBに道元禅師と北条時頼の事を書きました。荒磯の浪もえ寄せぬ高岩に牡蠣もつくべき法ならばこそ。時頼の要請に応えた道元の歌です。

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7月23日
土曜日の渋谷。あまりの人出で折角見直そうと持って出た配布資料の下書きも座れなかったら無理と諦めたのだけれど無事に座れて鎌倉に向かっています。いつもそうだけど最初に根を詰めてしまうから結論の頃には一言でいいっていうくらい満杯。昨日不覚にもたっぷり仮寝してとうやらまた動き出しました。

鎌倉の帰りです。明るいうちに用が終わっていつもなら何処か撮りに回るのに今日は配布資料の仙覚さんの事で頭がいっぱいだから若宮大路を歩いても異邦人気分。そうそうに帰途につきました。停滞していた思考が動き出し自分でわくわく。大変な事を入れ忘れてた事にも気がついて。

あんなに思考が詰まってたのに動き出したら早く入力したくて順調に走っている湘南ラインももどかしい。たぶん、今夜、完成。(疲労でダウンしなければだけど)

7月24日
おはようございます。昨日やっと詰まっていた蓋が外れましたので配布資料、構成が整いました。新たにスキャンした画像も入れて完成が見えています。文章を整えるまでの気力が湧きませんでしたので就寝。今日はほんとうに完成させなくては!の朝です。

配布資料。最後に円仁の悉曇章の画像を入れて完成。A4が10枚になりました。印刷して一晩寝かせて手を入れながら、明日コピーにかかります。

ふと気になって気象庁震源情報を見たらひどいことになっていたのですね。「24日13時59分頃 伊豆大島近海 M2.5」を最後に、伊豆大島近海で昨夜日付が変った頃から12回も。最大は「24日13時54分頃 M3.8」ですが、この頻発は気を抜けません。

7月25日
鎌倉禅研究会FB。昨日は配布資料の作成にかかりきって投稿しませんでした。建長寺様では一昨日、昨日と、開山蘭渓道隆様の開山忌が執り行われ、建長寺FB様でそのようすをご覧になれます。私は今鎌倉禅研究会FBに平成26年に行われた蘭渓道隆様生誕800年の記念法要の写真を投稿しました。

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鎌倉禅研究会FBに投稿した写真は、平成26年に執り行われた蘭渓道隆様の生誕800年記念法要の日の、法要が始まる前の法堂の準備光景です。

昨日は配布資料を仕上げるために一日FBを頭から切り離して作業しました。集中ってこういうことなんだと圧巻の心地でしたが、先程またFBに投稿したら日常の時間が戻りました。嬉しいメールは頂くし、いいのですが、研究は集中しないと進まないということも実感。上手く切り分けないと。

配布資料。まだ一日抱え込んでいるつもりですが、(抱え込んでいるとふっと思いついて追加したり訂正することが多いので)、A3・750枚のコピー、自分でとるか頼むか悩み中。吉祥寺にいいプリントショップあるかしらと検索したり。

立川に来ています。キンコーズでコピーしてきました。配布資料150部、自分でとる気力が残ってなくて。あと一日抱えていて見直す気力もなくて。笑

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7月26日
おはようございます。早々に休んでたっぷり休養しました。仙覚さんの発表。私には預かった資料がありそれはまだ学者の先生方にもお目にかけていないということで私には発表しなくてはならない使命がある。配布資料を作りながら考察したら思いがけない結論に。ちょっと怖いのだけれど恐れず向かいます。

仙覚の謎は夏らしいミステリアスですねと、経緯を見守って下さった方にご報告したらお返事に。何が夏らしいかわからないけど、仙覚の謎、は本のタイトルにつかえるかなとふと思う。ダヴィンチコードに比べたらベタだけど。万葉仮名がダヴィンチコードと思ってましたが仙覚さん自体がそうでした。

今日の鎌倉膳研究会FBには頂いた舘隆志氏「鎌倉期の禅林における中国語と日本語」を下に、渡来僧蘭渓道隆様方の修行における言語の様子を書きました。写真は福岡市の鴻臚館跡の展示室で撮った当時の博多湾です。

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写真を撮った時はまだ博多には港湾都市という考古学的興味しかありませんでした。その後建長寺様を知り、蘭渓道隆様の足跡をたどるようになって、今頃になって宋の貿易商人で栄えた博多を回っておけばよかったと悔いています。

配布資料を宅急便に乗せて手放しました。発表を決めた段階で概略は整っていたから配布資料はささっとまとめればいいと考えていたのですが、取り掛かったら次々と新しい視点が湧いて結局最初の段階は序の口に過ぎなかったのでした。終わった今大変な結論になったと不思議な、感慨。でも、満足。

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2016.8.1 ツイッターから転載…研究発表のための配布資料作成のこと。鎌倉禅研究会Facebookページのことなど。

7月15日
おはようございます。昨日で必要な論文が揃ったので今日から本格的に配布資料の作成にかかります。150部作って送付だから呑気にしてたら間に合わなくなりそう。鎌倉禅研究会FBは昨日建長寺FB様にいいねして頂いて突然爆発的(大袈裟?笑)に。全体のリーチ709人。こんな数字初めてです。

久しぶりにしっかりと配布資料の作成にとりかかっています。この充実感が嬉しい。ずっとなんとなく蕁麻疹めいて薬を飲んでいたのですがFBの作成を終わりコントをまとめて書きあげ比企の締切分を消化したら、翌朝、あれ?、消えてる…となりました。ほんとうに大変なのはこれからなのに。笑

今日の鎌倉禅研究会FBの記事は、朝のうちに載せたのですが、立川市の普済寺様の本堂庫裡などの再建に伴う遺跡発掘調査で出土した大量の経石について書きました。反応をたくさん頂きありがとうございます。普済寺様は建長寺様に昨年完成した収蔵宝庫をご寄贈。10年前のご縁をまた頂いています。

7月16日
尾州家河内本源氏物語「桐壺」巻の絵葉書。整理してたら出てきました。蓬左文庫に行った時に買ったらしい。手帳に入れて携行しようかな、と。

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カサブランカが咲きました。

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カサブランカは3輪。奥の2輪は去年の球根から。花が終わった後、球根を土からあげておけばもっと大輪になったのですが昨年はできなくて。手前の大輪は新しい株から。球根は毎年倍になっていきます。山百合の花は終わりました。

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鎌倉禅研究会FBの今日の記事は普済寺様の発掘調査で出土した経石の経典の分類結果。写真は大正新修大蔵経から法華経のコピー。経石に書かれた経典をこうして仕分けしていきました。鉛筆の囲み1個が1個の経石。その上の丸印は経石№です。

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7月17日
上大岡で座れた。帰りの快特で座れなかったのはたぶん初めて。金沢文庫で永村文庫長の剱阿の文書を読むを拝聴してきました。面白かった。もっと聴きたい。金沢文庫の古文書の講座があったら通ってしまうかも。(たぶん無理だけど)。印信の古文書の読み方なんてそうそうあるものではないですね。

印信は普通、授ける師がその師から授けられたのを弟子が借りて書写して師に戻し、師は最後に署名するだけ。なのに審海から剱阿への印信は全部審海の筆跡。これはどういう事だろう、というようなお話でした。

道中のお供に万葉集写本学を持って出て、これは私も実際に拝聴したシンポジウムのまとめだから楽しいし、行きの車内では万葉集に気分がどっぷりだったのに、印信にもう心獲られて復活できません(泣)。やっぱ剱阿のあたりは私の原点だものなあと。早く戻りたいです。

今日一日外にいて鎌倉禅研究会FBを見ていなかったから、今開いて見て経石の内訳記事をたくさんの方がご覧になって下さっていることに驚き。私としては経石に書かれた経典の種類が一つの事例として広まるのは有難いけど、でも、これ、建長寺FB様がシェアして下さったお陰です。

7月18日
おはようございます。ほんとうは万葉集の配布資料に専念している時期なのにたまたま金沢文庫の講座に参加して忍性にまで話が進んで、鎌倉禅研究会FBでは経石の分類内訳結果記事に1100人以上の方がリーチして下さってそれがまだ続いていて、万葉集になかなか戻れません。

内訳は妙法蓮華経・観音経・金剛般若波羅蜜経・大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経巻七・千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経の陀羅尼部分、仏説熾盛光大威徳消災吉祥陀羅尼経の陀羅尼部分、普回向。経石の内訳です。これに千人以上の方が。さすが禅研究会FBに来られる方々ですね。

配布資料の作成に戻り気持ちがすっきり。なんか異国の地で彷徨っていて帰ったようなすがすがしさです。あづまの道の果てについての考察を終わりこれから第二段階。新たな気持ちで始めます。

配布資料の作成。核の部分に入ってきたからなんとなく緊張して力の入り過ぎ。少し散歩にでます。

鎌倉禅研究会FB。建長寺様の収蔵宝庫建設に伴う発掘の宮田眞先生のご講演にはじまった立川市普済寺様の一連の記事、今日が最後でメッセージでご挨拶の意味も込めて不備がないかお訊ねしたらご丁寧な励ましのお返事を頂戴し、心からほっとしたところです。明日以降、新しい記事をはじめます。

7月19日
おはようございます。しばらくしていなかったブログを更新。7月7日までをひとまず。考えてみると7月4日の鎌倉禅研究会鈴木大拙没後50年を記念しての会に向けてFBの作成から当日、またその後、とずっと禅の世界にいました。コラムも連載も配布資料もといっぱいいっぱい。やっと落ち着んですね。

今日の鎌倉禅研究会の記事は建長寺法堂の天井画「雲龍図」について書きました。雨を呼ぶ龍は、修行僧に法の雨を降らせる象徴として、古来法堂天井画に龍が描かれたそうです。

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私は「なぜ?」がわからないとダメは人だから、鎌倉禅研究会に行って毎回法堂に入って礼拝はしても天井画に興味ありませんでした。鎌倉禅研究会の方々と接しさせて頂く中で禅宗寺院にある「龍」の意味がわかってからやっと気持ちが入っていきました。知る、って大切です。

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