« August 2016 | Main | October 2016 »

2016.9.28 ツイッターから転載…小説『仙覚』覚書(3)構成を玄覚による回想録にする。玄覚が京都善峯寺の一室で過去を回想しながら父を語る…

9月18日
地質学の本を返却にきたら薔薇の名前があったで借りてきました。先日紹介して頂いた電子書籍をまだ見てないまま、済みません。前に辿った紙の本で、ああ、これだ、と確認しています。「山腹に沿って曲がりくねった険しい小径を攀じ登ってゆくと、あの僧院が姿を見せた」。やはり、いいですね。

9月20日
メモ:これは大切。仙覚は比企にいた時、万葉集を見ていなかった。彼が見ていたのは円仁の悉曇章の万葉仮名で、それが仙覚にはヤマトの言の葉の源と映り、それで書かれた万葉集といつ書物がこの世の中にはあると知って13歳で万葉集を志し、16歳で万葉集を訪ねて京に上った。

一つ謎が解けました。13歳の最初から仙覚が万葉集を志したというのはどうしても不可解で、この展開ならわかります。比企に万葉集があり、13歳の仙覚がそれでは足りず、もっとたくさんある写本を見たいと志して京に上ったなんておかしいとずっと思っていました。一冊あれば充分なはず。

9月21日
新しいBGMを探して来生たかおに。長雨。かつて繰り返し聴きました。音楽は精神の状態を左右するから音楽があると思考できない時もありますが、小説に入ると無いとダメ。それもクラシックではダメで思い切り感情を引きずられるのがいい。というわけで来生たかお。煽られて原稿に活かします。

これは惨めな日常身辺の些事を取り扱う物語てはなく、あくまでも数々の書物の物語であって、これを読めば私たちはあの一句を唱えたくもなるであろう…アラユルモノノウチニ安ラギヲ求メタガ、ドコニモ見出セナカッタ。タダ片隅デ書物ト共ニイルトキヲ除イテハ…恒例の吉祥寺散歩読書。薔薇の名前です。

9月22日
メモ: 光俊。順徳天皇に近侍し承久の乱で筑紫に配流。←不覚にも知らなかった。仙覚との接点はここ。

おはようございます。昨日一つ区切りをつけたら気分が変わり突然玄覚が浮上。善峯寺を検索して光俊に。薔薇の名前がアドソという侍者の目で見た語りで書かれているのにヒントを得て玄覚による手記を思いつきました。その設定をいつにするか。案外善峯寺あたりがいいかも、という思考の流れです。

そうすると、円仁の生誕地岩船→比企の岩殿→順徳天皇の京都→佐渡→比企に戻って→将軍頼経の鎌倉→後嵯峨院の京都→宗尊親王の鎌倉→比企小川町→岩殿→その後玄覚が善峯寺。となるから、「いつ」は仙覚について語り合える相手の誰かを探せばいい?誰でも読める簡単な本にしたいけど無理そう…

自分は京都は西山の善峰寺の一室でこれを書いている。父仙覚のことを書こうと思う…。未明にツイートしてでもあまりに早いのでまた寝ようと横たわったら吐いた息とともにこの一節が吐き出されて、玄覚があの世で喋り出したかとぞお~っとなりました。玄覚の風貌まで浮かんできました。玄覚、鍵かも。

今日の道中のお供は玄覚の資料。突然こうなりました。笑。薔薇の名前を持って来ようとしていたのをバッグから出し、積んだ資料の中から玄覚の分を探し出して。玄覚の登場は仙覚の晩年だから小説も後半になってのはず。なので一番底に入ってました。今日は雨風が酷いですね。

道中徒然ツイート。玄覚の語りにすると決めて思い出されたのが金沢文庫にある乗一という僧侶の図像集『覚禅抄』の奥書。春から夏にかけての書写だったから、一巻終わる毎に記された窓から見える季節の自然が素敵でした。そうっか、玄覚もそれをと思って、書出しの季節と終わりの季節を何にしようか考えています。

メモ: 玄覚は弘安年中に八雲御抄を書写。八雲御抄、私はこれが仙覚の順徳天皇との接点の証と思っているのだけど、それを玄覚が書写とは!

今日は金沢文庫。称名寺聖教国宝指定記念の連続講座四回目。文庫長をされた高橋秀栄先生「称名寺の学僧と聖教の書写活動」でした。なのでここに乗一も紹介されて先の訂正となりました。秀栄先生のお話は味わい深く、裏話も聞けていつも楽しい。

曼珠沙華の咲く称名寺境内は初めて。今まで何度となく通っているのにと驚きました。

20

9月23日
今日は玄覚の年譜を完成させて、回想録を書くなら「いつ」が適格かを探します。あることに一つ区切りをつけてスッキリしたのでようやく溜まっていたお便りのお礼状やお返事も書けるところに。学会の発表から1ヶ月になりますがやっと動き出せます。

連載の比企万葉幻想つれづれ。仙覚の謎を追ってえんえんと続くと思っていたのに研究発表したら突然全貌が見えて小説化にまで気持ちが進んでしまいましたので、六回になる今回を突然最終回に。今書き終わったところです。これから玄覚の年譜。

9月24日
メモ: 玄覚が善峯寺にいたのは弘安4年と5年。3年には飛鳥井雅有の『春のみやま路』に登場するからこの頃京都にいたらしい。弘安元年に父仙覚が亡くなって上洛したのだろう。50代半ば。弘安の役の年で、鎌倉では円覚寺が創建された年。比企谷で『万葉集註釈』を書写したのは仙覚の生前。

21

|

2016.9.25 ツイッターから転載…小説『仙覚』覚書(2)天台宗学僧仙覚の心にあった天台宗とは?→『摩訶止観』などを探す。そして鎌倉蝶のこと。Facebookページ【仙覚取材ノート】を作りました。

9月12日
歌誌『月光』48号届く。ふと目にとまった一首。この土地の蝶であること どのような午後の夢にも低く飛ぶこと。佐久間章孔氏の作品。この土地の蝶であること…、不思議な感じがして脳裡から離れません。

9月13日
今年は臨済禅師没後1150年ということで、鎌倉禅研究会主宰者の方が中国に行かれてゆかりの寺院で記念法要をされてきたというご報告を頂きました。中国といえば円仁の五台山。いいなあ、私も行きたいとは思うものの、行かれなくていいんだ、仙覚は行かないまま円仁をずっと思慕し続けたのだからと。

臨済禅師没後1150年にふっと気になって調べたら円仁より後の人。なんか意外な気がして私は仏教の歴史(禅宗の位置)をまだ把握してなかったと気づきました。円仁は武宗による会昌の廃仏毀釈にあって帰国するのですが、臨済禅はその会昌の廃仏毀釈の後。禅って新しいのですね、というのは変かな。

仙覚もきっと入唐求法巡礼行記を読んで円仁の五台山に憧れを抱きながら生涯をおくったのだろうと思う。遠い視野、遠い思慕をもつ人は素敵。

五台山をウィキで見たら、雪を頂く五台山、という写真があって、う〜ん…もう、と絶句。

https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Wutai_Shan_from_the_air_-_p-ad20080116-10h51m49s-cdr1b.jpg#mw-jump-to-license

9月14日
昨日図書館に行ったのでついでに薔薇の名前があるかなと思って検索したらまだ貸出中。よほど、見なくていい、と拒絶されてるようで可笑しかったです。冒頭の岩場の文章を確かめたいだけなのに。

いろいろと暗中模索しながら確信に迫っていくのだけれど、対象が生半可な覚悟や知識や時間で済むものでなく、呟くのも憚られるのですが、皆様温かいからほっとしました。笑。生半可ついでに、昨日行った図書館の目的は『摩訶止観』。昨日からぐるぐると本の周りを様子を伺いながら巡ってます。

連ツイ済みません。天台宗僧仙覚の根底にある天台宗の思想を知りたいのですが、どうも私は一般書的な解説本が駄目みたいで読んでも入ってこなくて、もっと根本の書が読みたいとなって摩訶止観になりました。読めるかはこれから。前から気になっていた本だからいよいよか〜という思い。

藤原定家の法名「明静」は『摩訶止観』からと聞いていましたが、冒頭にいきなり「止観によるこころのあらわれは明や静のすがたをもつ(止観明静)という教えは、」と始まりました。

今まで天台宗に縁がなかったのは私が密教から仏教に入ったためで、その時に空海と最澄の対立を刷り込まれたから。(勝手に私が、だけど)。どうしても人はテリトリーとかライバルとか、敵味方の対立事項で考えて奮い起つけど、これはいけないと、今頃になって痛感しています。

摩訶止観は、はやく平安時代の貴族の最高の教養の書として読まれたことが知られているのである。なかでも、源氏物語の文学としてのこころばえの背景に、摩訶止観やひろく天台教学の思想が時代思潮となっていた時代の趨勢を読みとることの重要さが指摘されている…。摩訶止観、村中祐生氏解説より。

己をみつめていく生き方が、そのままにおいて、永遠なるものとかかわるものであることを、教観の思想は教えている。←摩訶止観中村祐生氏解説。これが存在を隠し幾つもの動乱に翻弄されて生きながらも決して万葉集の研究を諦めなかった天台宗学僧仙覚の真実なんだろうなあ、と思いました。

それをつかみたくて本を借りてきたのだけれど、この心が小説に通底するものとして書くなら、もう摩訶止観は読まなくてもいい…、とはしません。笑。摩訶止観。遠ざかっていた宗教の純粋な気持ちが呼び起こされました。なんか、とても綺麗です。

9月15日
中秋の名月の日に。Facebookページ【仙覚取材ノート】を作りました。仙覚の小説の執筆にあたり、ロケや取材したこと、資料についてなど、これからここに記録として残していきます。ふっと思いついて突然作ってしまいました。笑
https://www.facebook.com/#!/仙覚取材ノート-1586406228329044/仙覚取材ノート-1586406228329044/

9月16日
建長寺様鎌倉禅研究会と羽村の宗禅寺様土曜講座のスケジュールを資料を添えて多摩の講座の方に一昨日送付。もっと早くしなければならなかったのだけど私の手が回らなくてぎりぎりに。でも今朝もうお一人参加のメールが届いてやはり嬉しい。金沢文庫忍性展の文学散歩も考えていてそれもこれから。

9月17日
天台大師智ギによれば、釈迦が仏教を説いた目的は法華経を究極としたそう。法華経は生きとし生けるものすべてが仏陀になれる、仏陀はさとりを得た理法そのままに永遠であると説かれていると。釈迦は華厳経、阿含経、維摩経、般若経の順に説法をしたが理解が得られなかったので法華経と至ったそう。

今更ですが天台宗の概略をみています。法華経は出土経石の分類で手がけたから文言は熟知しています。なんか普通の経典と違うと思い、私もまだ未熟だったから華厳経などに比して崇高さがないなどと軽く考えていました。その軽さにこそ深遠があったんですね。天台宗、ほんとに初心者です。

智ギの法華経を中心におく教理体系は、『法華文句』と『法華玄義』とに説かれ、法華経に立脚した実践観法の体系は『摩訶止観』にみられる。最澄が天台宗を知ったのは鑑真がもたらした智ギの著作による。桓武天皇の側近和気氏が氏寺の高雄山寺で智ギの研究会を催し最澄を責任者とした。この高雄講座の後

最澄は還学僧に任命され、中国から天台宗を伝えてくるよう命じられた。帰国後、最澄は天台宗の創設を申請。天台法華宗として二人の年分度者が認められた。二人の年分度者の一人は『摩訶止観』と定められ、円仁は弘仁五年の年分度者として得度し、専攻は『摩訶止観』であった。

メモ: 天台宗の二人の年分度者は、智ギの『摩訶止観』専攻と、もう一人は『大毘廬遮那経(大日経)』←「たしかに止観は言語や思慮を超越したものである。このように天台の教義・修業内容のうち遮那業に対する難解の論理としての止観」という真鍋俊照先生のご文章に触れ、振り返って納得。

僧が悟りに近づいて行く行程などというものは、美を追求する絵仏師にとって、その僧の内なる部分を表現することは不可能に近い。しかし空海の「密蔵は幽玄にして」という解釈を根底にすえれば、描いてみなければわからないし、彫ってみなければわからない部分が、天台の教義にもあるような気がする。

『大乗仏典17 最澄・円仁』月報の真鍋俊照先生「最澄・円珍・円仁の肖像画」より。真鍋先生は密教の方ですが、やはり大日経の遮那業には密教の方の解説がピンときました。これについてまた振り返って思うことがあったのは、木内堯央氏「最澄」の解説で、長くなりますがメモとして引用します。

学者はさまざまに円仁の密教優先の受法態度を評価しているが、仲尾俊博氏が指摘する、空海没後、ついに密教を学ぶすべを失った比叡山の教団の付托にこたえることが、円仁の入唐の目的のひとつであったという意見に注目したい。最澄と空海の交際は、あたかも弟子の泰範が空海のもとにはしったこととか、

『理趣釈経』の貸与を空海が拒んだことから、両者の間柄が冷えてしまい、途絶したといわれる。しかし、天長八年円澄ら三十数名の比叡山のものたちは、連署して空海に受法を請うている。しかもこの申し出が、空海に聞きとどけられた。空海の死は、天台の密教にとっても大きな痛手で、円仁の命をかけた

密教求法がうなずかれるのであり、…。←泰範のこととか貸与のことで解釈するのは世俗の立場からすればわかりやすくて受け入れられたのでしょうけど、これは宗教者といえども生々しいことよと興味半分でみてはいけなかったのであって、やはり命を賭けた求法にこそ真実があったのだと、今日の発見です。

長々ツイートしてしまいましたが、私自身自分がいったいどこに向かおうとしているのか自問自答しながらでした。密教の真鍋先生のご文章はとても感覚的で論理でなく入ってくるので分かりやすいのですが、今度も助けられました。こんなところに密教?の驚きが契機でした。やっと天台宗から離れられます。

9月20日
雨が強くならないうちにと吉祥寺に散歩に出ました。執筆にあたってとにかく歩け歩けです。インスピレーションが湧くんです。さっきも駅まで向かいながらふと鎌倉蝶という言葉が湧きました。そうか、仙覚を導く蝶。いいな、これ使おう、という感じ。蝶は魂ですものね。

0165

|

2016.9.23 ツイッターから転載…地質学のこと、旧満鉄総裁山本条太郎邸のこと

9月8日
iPadの壁紙を青い蝶のイラストに変えました。今までこれをする余裕もなく入っている壁紙で気に入ってはいないけど妥協して使っていました。昨夜ふっと思いついてカメラロールの中を手繰ってああこれならというのに巡り合って変更。気分いいです。孔雀にしたかったけど、孔雀は壁紙には重い…。

母が使っていた部屋の暖色系のカーテンをかねて憧れだった深海色の青いカーテンにしたら、カーテンを閉めるとまるで夜のよう。カーテンの色で部屋がこんなに変わるんだ〜と驚いたのですが、iPadの壁紙で今朝また同じ経験。まるで人生が変わったよう。ついでにスマホまで青い蝶にしてしまいました。

9月9日
ロバート・ヤーハム『自然景観の謎 地形・地質の持つランドスケープの新たな発見』より。一見変化しないように見える岩石という景観要素は、実は数百万年を超える時の流れの中で熱せられ、成形され、破壊され、そして再成形されるという経緯をたどり現在なお…。←この文章で満足して閉じました。

おはようございます。『自然景観の謎』、昨夜引用の文章は14頁。それで「閉じました」。というのはそこで岩石の項が終わり、それから褶曲とか風化になっていくから。川や平野になって最後は海。私が景観と思って震撼してたのは結局岩石だったのでした。笑。「岩石」の言葉だけでもう震撼です!

繊細さ。それを写真で表すのは可能だろうか、と昨日変えた壁紙の絵の繊細さを見ながらつくづく思う。写真に望むものが違うのだろうな。私の感性と、と。一度でいいから作ってみたかった。そういう写真。

PCを修理に出しました。見積に一週間位かかるそうで、半月か1ヶ月PC作業ができません。学会の発表が終わって当分せっぱ詰まった用はないからいいかもと覚悟しました。急だったからバックアップもとってなくてそれもいいかもともう投げやり的な諦観。本当にもうどうでもいい処にきました。笑

PCのメールを当分見られないのでドコモショップでEメール設定をしてきました。帰ったらタウンニュース鎌倉版が届いていて、源氏物語の連載コラムが今日の紙面に載ったよう。まだ確認していませんがネットにも載っているのでは? 第9回は「甘縄はどこ?」。松下禅尼の実家についてです。

【タウンニュース鎌倉版】松下禅尼が戻った実家の場所とは townnews.co.jp/0602/2016/09/0… ”「武士の都」として知られる鎌倉ですが、『源氏物語』と深い関係があることはあまり知られていません。文化薫る歴史を辿ります。”
http://www.townnews.co.jp/0602/2016/09/09/348256.html

9月10日
今日の道中のお供はライシャワー元駐日大使の『円仁唐代中国への旅』。ライシャワー元駐日大使は円仁の研究者でいられ、日本に円仁の功績を広められた方。『入唐求法巡礼行記』を西遊記、東方見聞録と並ぶ世界三大紀行の一つとされました。

鎌倉能舞台の手前に旧満鉄総裁山本条太郎の別荘だった建物が関東大震災の影響もなくそっくり残っていて、今日はそこで数寄屋造りのあ話などを聴く会です。今年有形文化財に指定されたそうです。

4

海が見えます。鎌倉の海。ここはかつて別荘でした。さっきの広場では野点の園遊会も。

3

旧山本条太郎邸に登る入口あたりにこの碑が。桑ケ谷療養所跡。忍性の施薬院跡だそうです。

5

旧満鉄総裁山本条太郎邸玄関の木洩れ陽です。鎌倉も私がしているような鎌倉時代だけの文化ではないので、こうした近代の別荘地だった時代の文化を知るとまた変わった風情を楽しめます。でもこれも源氏物語を通して知り合えた方からのお誘いです。

6

|

2016.9.23 ツイッターから転載…仙覚の小説に関する覚書(1)在唐記、岩山の章、八雲御抄など

9月1日
おはようございます。昨日コピーしてきた円仁の『在唐記』です。円仁が唐にいた時の記録と思いきや全頁この状況。梵字の読みを中国の大唐音、和の本郷音で記したもの。これが悉曇学なのだそうで、昨夜幾つか論文を拝読しつつ寝落ちしました。笑

1_2

凄い世界に入り込んでしまいました!

仙覚はこの『在唐記』に取り組んだのでしょう。和音は万葉仮名で書かれているようです。(まだ確証はありませんが)。さらに読み進めます。わからないけど面白い。これを幼い仙覚に教育した師がいるはずで、それを奥深い精神性を持つ仙人のような人物像に仕上げられたら成功かも。

『在唐記』は馬渕和夫先生の『影印注解悉曇学書選集』(勉誠社)に収められています。その馬渕先生を検索していたら「松岡正剛の千夜千冊」に辿りつきました。1000ya.isis.ne.jp/0544.html

9月2日
おはようございます。昨日から仙覚が自分の出生の秘密を知るのはいつにしようか考えています。研究発表前は比企の乱の時に生まれるところから始める構想だったのが、円仁で始めるとすると十代の少年からとなる。やはり京に出立する時に打ち明けられる、かな? 構想が大幅に変わりました。

そして、この構想だと、仙覚が竹御所を知るのがいつかも考えなければならない。みずからの出生の秘密を知って暮らす京で、遠く鎌倉の情報を耳にしながら、九条家あたりから聞かされるのがいいかも。始めて知る同じ境遇の比企の人。しかも同じ年生まれ。そこから仙覚の彼女への憧れが。

第一章を岩山の章にするといいかも。薔薇の名前が離れないのは仙覚の小説にあの冒頭が彷彿とするから。もちろんミニ版です。一昨日改めて確認に薔薇の名前を借りに行ったら貸し出し中で拒否されてこれはもう見るなという事と解釈。代わりにダ・ヴィンチ・コードを借りて来て読んだのでした。

と、そんなこんだでずっと温めていた比企の乱からの年代記的書き方が大幅に変わりサスペンスの要素を取り入れる事になりました。笑。円仁と出逢ってなかったらこうはならなかった…。円仁が核です。

仙覚は、私よりもっと理系かサスペンス能力に勝れた人が書いたら薔薇の名前に匹敵する作品にもなる素材と思う。なにしろ万葉仮名の世界だもの。しかも中世。提供するから誰か書いてと言いたいくらい。でも、心は、私以外絶対書けないと自負。

ノウゼンカズラ。解釈の表紙に歌碑の写真の投稿をと仰って頂いて無いと思ってたけど、思い出しました。仙覚の足跡を追って訪ねた寺泊。そこに順徳院の歌碑が。それを見てたらこんなに鮮やかなノウゼンカズラがありました。

2

思いがけない展開が重なった一日でした。最初に朝呟いた第一章は「岩山の章」。これがほんとうに第一章の核になりそう。円仁の生誕地に岩山があるんです。そしてそれを記す最古の文献が順徳院の八雲御抄。何気に歌碑で思い出した日にまた順徳院…。偶然とはいえ不思議でした。

メモ: 八雲御抄のどういう文脈で円仁の生誕地が書かれているか調べること。

9月3日
小説にかかると人格が変わるから外出も大変。ギリギリまで読んだり考えているから何も用意してなくて靴を磨いてない、あ、マニキュアも…。自己中心になるから初めての方には失礼があったら恐縮と思い予め説明してお詫びしたら鬼になって書いてる織田さんを想像してしまいましたとお返事頂きました。笑

道中のお供は鎌田茂雄『天台思想入門』。これからいよいよ仙覚さんの天台宗です。

鎌田茂雄先生の天台宗の本を拝読してるのだけど、数ある宗派の中で天台宗だけが発生地の天台山からついた名前という。他は意味とか形からなどらしいのに。山が意味をもつ宗派…。私は今、岩殿、岩舟、と仙覚・円仁の生誕地の岩山に意味を感じているので、ここでも、また山!、となりました。

薔薇の名前の冒頭が、間違っているかもしれないけど岩山に向かって進んでいるようなのだった。小説がか映画がかかも忘れたけど。岩殿観音をネットで見てその背後の岩山に魅入られたのは薔薇の名前の後だったか逆か。物凄く曖昧だけどとにかく私の中で岩石の地質に惹かれるものがあります。蛇紋岩とか。

9月4日
昨日は金沢文庫の国宝指定記念連続講座に。昨日の講師は津田徹英先生で「美術史料としての称名寺聖教」でした。津田先生は私が金沢文庫に通っていたころ文庫の学芸員でいらして、ちょうどその頃東京文化財研究所に移られたのでした。とにかく面白い論文をよく書かれていて多く学ばせて頂きました。

今日図書館で借りてきた本『地形と人間』の序。「人間は自然の中で生かされている。人間諸活動の中心舞台は地表である。地表の形態である地形はつねに変化し、場の条件によって固有の変化の特性をもっている」。岩殿観音を最初に見た時に感じたのはここに育った人間はふつうの感性ではない、でした。

険峻な岩山に囲まれて育った人間と、のどかな平野に育った人間…、違うと思います。もちろん、影響のない人もいるでしょうけれど。(私は自分が険峻な岩山が好きなものだから、考え方の淵源にそれがあるのかなあと思うんです。ヒマラヤ、好きです。←新人賞を頂いた小説のテーマでした。回帰かも)

9月5日
杉崎泰一郎氏『沈黙すればするほど人は豊かになる ラ・グランド・シャルトルーズ修道院の奇跡』。拝読しました。

修道院の奇跡と裏腹に静かにいらいらが募っています。これはもう調べるのは止めて書き出しなさいの合図。書き出しさえすれば内側から満ちてくるものがあるのにまだ何を求めようというの!の自分への叱咤。

9月6日
昨夜拝読した『ラ・グランド・シャルトルーズ修道院』。終始頭の中で建長寺僧堂(だけでなく本や写真集で見ている円覚寺とか永平寺)が重なりました。建長寺では3年の僧堂での修行を経ないと僧侶の資格を得られないそう。禅の僧堂も修道院も外部から見て憧れても手が届かない奥にあります。

秩父山地の特色は山地の東部に断層によって生じた秩父盆地が存在すること。秩父盆地は大三紀に生成し、その後の地盤隆起によって盆地床は浸食され、丘陵が連なっており…。秩父山地の地質は秩父古生層が広く分布し、北東部には長瀞系結晶片岩があり…。山地東麓付近を蛇紋岩の露頭が所々に存在する。」

9月7日
おはようございます。岩殿観音の岩石について知りたいのですが、百科事典の下の記事くらいにしかつきあたらず、前は『○○県の地質』みたいなシリーズが揃っていたのに…と図書館の検索で不満な状況です。いつものとおりに検索下手で四苦八苦しています。笑。

地質学の本を調べに別の図書館に行ったのに振替休日でした。思いついて吉祥寺ジュンク堂書店に。ここは大学の図書館並に本が揃っていて見てたら地震。ちょっと怖かったです。ロバート・ヤーハム『自然景観の謎 風土を読み解く鍵。地形・地質の持つランドスケープの新たな発見』という本を買いました。

やっとやるべき方向が見えてきてするべきことができるまでに気持ちが整理つきました。決然として向かいます。仙覚さん研究のことです。

|

2016.9.21 ツイッターから転載…心機一転、急展開で「仙覚」の小説を書くことにしました。

8月29日
おはようございます。台風が心配ですけど私は昨夜『仙覚』の最初の一行を記しました。研究発表前には思ってもいなかった展開。ただの歴史小説になるところを発表の下調べで新しい視野が見えてきて、こちらの方が私らしい!です。義務や使命で書くのでなく真に書きたくて書くという方向が定まりました。

私の円仁履歴…仙覚が後嵯峨院に万葉集を献上した時の「仙覚律師奏覧状」に記された「慈覚門人権律師仙覚」の署名→ダイヤモンド社『慈覚大師円仁と行くゆかりの古寺巡礼』→中公文庫『入唐求法巡礼行記』→『古代日本人と外国語』。そしてこれからまた中公文庫『入唐求法巡礼行記』に入ります。

ダイヤモンド社『慈覚大師円仁と行くゆかりの古寺巡礼』から円仁が唐から持ち帰った悉曇章。朱で万葉仮名の書き入れが。背後の黄色いマーカーを引いたコピーは『古代日本人と外国語』。「読誦音は、仏教の真理と一心同体である」が突き刺さりました。

13

過日の発表要旨を何度も読み返して観音信仰の有難さを感じ取った次第です。とお葉書を頂きました。生まれたばかりの仙覚が岩殿観音に預け入れられ別当の養子となって育ったという発表要旨。天台宗寺院岩殿観音。私は学問として追究するあまり信仰ということを忘れていたなあと猛省。曹洞宗の方です。

8月30日
仙覚に直接関係ないのに円仁から離れられない。悉曇学。円仁のそれの唐での摂取の仕方など。円仁の悉曇章を仙覚が見たとして論をたてましたが、中世においてどれくらい円仁を読める人がいたか不安でした。が、日蓮が立正安国論で『入唐巡礼行記を見ますと…』と書いているそう。割と広まっていたよう。

ということは、仙覚も『入唐求法巡礼行記』を読んでいたとしていいのですね!

たぶん私だけでしょうけれど、印刷技術がなく図書館も書店もない鎌倉時代に仙覚や日蓮がふつうに円仁を読めていたのが不思議。足利学校や金沢文庫がそうだったように寺院が文化の中枢センターとなって各地から集まってそういう本を読めたのだろうとは思っても。仙覚の岩殿観音もそうだったのでしょう。

8月31日
台風の被害と泉田知事、今はそれが大変と思うけど私は私のなすべき事に向かって図書館へ。仙覚が円仁の入唐記を読んでいたとしたら、彼があの大変な人生において絶対にブレなかった意味がわかる。円仁でさえ唐であのような目に遭っているのだからという心柱があったのでしょう。入唐記、読み返します。

入唐求法巡礼行記。「本書は慈覚大師円仁が五台山から長安に至り唐武宗の廃仏に遇って帰国するまでの苦心十年の日記四巻」。中公文庫裏表紙より。

友に仙覚の小説にかかったとメール。続けてH先生も認めて下さる小説になると思うと。僕が翻訳した貴方の本がセーヌ河畔の書店に並ぶ日を夢見てとパリから書いて下さった先生はすでにこの世の方ではないけれど…。きっと天国で見守っていて下さる。何より高齢の友がまだ在世中に仕上げたい。

図書館の帰り。円仁の『在唐記』他、悉曇学関係をコピーしてきました。まさかこんな展開になるなんて。四月に研究発表に応募した時点ではまだ仙覚が岩殿観音の人の確証は私の中でなかったし、円仁の悉曇章も浮上してなかった。発表の後、学会の先生方との触れ合いで突然爆発。機が満ちてたのでしょう。

|

2016.9.21 ツイッターから転載…解釈学会の研究発表「鎌倉の万葉学者仙覚・玄覚は誰かの問題について」が終わりました。

8月24日
きっと下さると信じていた方から賜りました。ご報告のお返事。国文学者さんで敬愛して止まない方です。解釈学会当日の御成功を祈申しあげます…。河内本源氏物語でも最初に喜んで頂きました。信じて下さる方がいるからここまでやってこられました。ますます御研究御進めになりますよう…。頑張ります。

台風に地震。気がかりは消えないけど今の私は明日の発表に向けて専念するしかなく予備に持ち歩く用のUSBメモリを買いに出ました。帰ったらPCが使えなくなった時に備えて自分用のレジュメにパワポを印刷。準備万端整えます。明日は学会でしかお目にかかれない先生方とお会いできるから楽しみです。

8月25日
無事にこの日を迎えて最後の乗換線に乗ったから後は会場に着くだけ。といいながらパワポが無事に映るかそれが心配でちょっと胃痛。パワポはこれだから嫌です。スライド28枚は脱線しないで読むだけなら時間内に収まりました。なのでそうする事に。あとは、楽しみ。

懇親会開けてひとり珈琲。発表は無事に終わったけど、朝から待っている時間が長いのと、同じくらいに懇親会まで待つ時間があったのとでぐったり。懇親会は楽しかったけど一人になったらどっとまた疲労が復活しました。これで研究は終わりのつもりが先生方にまだまだ続けて下さいと。楽しいからと。

解釈学会はいわゆる学問の学会でなく、学問をどう「解釈」するかを評価して下さる学会。なので私みたいに学閥に属さない人でも受け入れて下さる。今日の発表も、貴方みたいな研究しているひとはいないからと。新幹線で帰られる方が、いい発表でした。懇親会に出られないから帰って手紙に書きますと。

帰りの道中の徒然です。こんな時間なのに座れて。ある方が私の発表が終わった後私の席までいらして、よかったですよ、これ、あげます。と出たばかりのようなご監修の辞書を下さいました。ご自分でも重かったでしょうにわざわざ持ってらしたなんて。そして今私が重くて座れてラッキー。

横浜の馬車道駅前のドームがある西洋建築の建物。開港資料館でしょうか、こんなプロジェクションマッピングをしてました。

10

もう一枚。

11

8月26日
おはようございます。第二ステージに入ったというのが今朝の気持ちです。仙覚さんの研究、学会で発表したら自分の役割は終わりとして個人の活動に入るつもりでした。が、昨夜の懇親会でその気持ちが砕けました。何より今後の仙覚さん探究が楽しそう。一緒にして下さる方をみつけた気がします。

このツイートを書くまで今後の探究が楽しいなど自覚していませんでした。発表後、学会のそうそうたる方々から「楽しかった」とニコニコ顔でご挨拶を頂いて「もっと続けて」と仰って頂いて、私の中で楽しみが芽生えたようです。「仙覚の研究は誰もしていないから楽しみ」なのだそうです。

昨日解釈学会で研究発表した「鎌倉の万葉学者仙覚・玄覚は誰かの問題について」の発表要旨です。

12

私の発表を担当して下さったのは村瀬憲夫先生でした。それを知らされた時、こんな大家の方に…と絶句したのですが、会場で村瀬先生の方からお名刺を持って私の席まで来て下さり、「楽しくやりましょう」と。「楽しい」はその時から始まった気がします。解釈学会の先生方は皆様お心が広い!です。

@sanpendo ありがとうございます。第一段階が終わりました。皆様のお陰で私の中の覚悟も決まってこれから第二段階に入ります。楽しくもなってきたのは余裕というよりご理解下さる方が増えたからでしょうね。いつも本当にありがとうございました。

@san_minamikawa ありがとうございます! だんだんこんなことになってしまって自分でも思っていなかった展開です。原点に写真があるからは強みですね。写真を撮って歩くフィールドワークが変わった国文学の視点になりました。南川様はそれの世界規模のご活躍なんですよね。

@musashinoshoin リツィート、ありがとうございました。

今日は終日昨日の整理。頂いた辞書は古語辞典で久しぶりに辞書を開く。ネットで検索するのと違い紙のページにぎっしり活字が並ぶ。その懐かしさと豊饒さ。忘れてました。やはりいい! 頂いたご著書『万葉歌の構文と解釈』にも目を通し、荷物を整理したりしてたらお礼状にまで手が回りませんでした。

8月27日
昨夜画材を探す娘につき合ったユザワヤで薄くて軽いB6版の黒いメモ帖をみつけ、これならモンブランと上手く合わせられると思って購入。今まで携行するメモ帖と筆記具と合わなくて困ってました。で、今日からこのコンビでお出かけ。仙覚さんの小説にかかるのでこれからこれに書きとめていきます。

朝から薔薇の名前がぐるぐる。小説に行こうか論文を書くか迷っていたのですがどうやら気持ちは小説に向いているよう。でも比企の遺児では当たり前で地味だし、薔薇の名前に倣うようなタイトルはないかと考えてある案が浮かんでいます。とりあえずそれをメモ帖に。最初のメモ。立川で乗り換えました。

今日会った方は研究発表にいらして下さったのですが、楽しかったよ、と言われて最初何のことかわかりませんでした。離れてからわかって、私、研究発表したんだけど…と。何か、皆様、ニコニコと楽しかったと仰られるけど…。なんかだんだん講談でもした気分になってきそうです。笑

そういえば、今思い出したのですが、某会社で講演させて頂いた時、比企氏と聞いて急遽参加しに来られた副社長さんが、終わった途端、ああ、楽しかったって、万歳みたいな手をあげて喜んで下さった。比企氏は敗者の歴史で決して楽しい話ではないのだけれど波乱万丈の中での高度な文化性が魅力なのかも。

8月28日
おはようございます。昨夜の比企氏の話ですが知的好奇心の満足ということだとやっとわかりました。どうしてそうそうたる学者の方々が皆様あんなにニコニコされ、昨日も楽しかったよと言われ、と謎だったのですが。私自身それに突き動かされてしてますものね。高度な文化性、仙覚の小説は大変かも。

仙覚の小説、全体の輪郭はつかんでいるのですが、発表に必要な部分は全部調べ尽くした感があるから呑気にしてました。が、いざ小説にとりかかると決めたら、真観!、この人との関わりを全く追究してなかったことに気がつきました。難題です。(真観。この方の筆跡は素晴らしかった!)

円仁の本を借りに来た図書館で探して借りました。鎌田茂雄『天台思想入門』。私はよくこれだけいろんな宗派の僧侶の方々とご縁がと驚きつつ感謝しているのですが、天台宗の方だけまだいられませんでした。天台宗僧仙覚を書くのに天台宗を知らなくてはと思い、まずここから始めます。

こんなぴったしな本があるなんて! 湯沢質幸氏『古代日本人と外国語』。かなりのページを費やして円仁の唐での梵語の習得についてが書かれてる。『入唐求法巡礼行記』のそれを読もう思って借りに行ったらこの本があった。しかもそれが詳細に解説されて。嘘みたい。勉誠出版様ありがとうございます!

|

« August 2016 | Main | October 2016 »