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2016.11.8 ツイッターから転載…小説『仙覚』覚書(11)比企氏残党狩りが厳しかっただろうことに思いが至る→平家の六代御前が仙覚の人生に重なることなど

11月4日
仙覚の小説。しばらく中断してたので昨夜は今まで書いた分の読み直しに専念して気分を同化させて寝ました。その場で続きを書こうとしても「理」でしか書けないから。今朝やはり動き出して影の進行役である戸井田刑部が出現。セリフが浮かんできました。この人を見人として描きたいと思っています。

比企の乱の後処理で比企の能員館の人達がどうなったか、戦とかそういう世界を避けて本を読んできたからどう書いていいかわからない。ただ基子さんが助けを求めて来たので匿った事しか考えてませんでした。でもいざ書くとなるとやはりそれは流れで無視できず…、となって秀次切腹後を思い出してたらツイッターで秀次切腹後の一族処刑の絵巻が展示されてると。

北条氏の比企氏残党狩りは厳しかったはず。例え比企という離れた地であっても。そこに基子さんが助けを求めて行く。それを戸井田刑部が匿う。1日それをどう描くか考えてたら、今まで浮かんで来てなかった時房が出てきました。彼が基子さんを放っておくわけがない…、と。時房、考えなくては!

時房は頼家に接近して蹴鞠の仲間にもなっている。でも乱後はスパイだった説も。その後竹御所が産所に入って亡くなったのも時房邸。時房をいい人に書くのは難しい…

なんか、そんなことでほんとうに書けるの?、というようなツイート。笑

なんとか短いけれど顛末を文章にしました。これからプリントして、しばらくそれを眺めて推敲します。

ちょうど時房についてのご論考を送って頂いたばかり。秀次のことにしても、なにかタイムリーにヒントが降りてきてくれてます!

11月5日
おはようございます。昨夜戸井田刑部が慈光寺に行ったと書いて慈光寺の説明に畠山重忠の名を出したら、そうだ比企の乱にも畠山重忠を書いておかなくては!となりました。書き進むと逆に振り返って過去に書いた分が膨らみます。戸井田刑部が乱の勃発を知って基子さんを心配しています。

そうっかと、ここまで書いて気づく。岩殿観音の古い地図に比企能員邸跡があるのに疑問視されていて、やっと最近(といっても10年とか以上前)ここが能員邸跡説が出たくらい。でもまだ比企での比企能員邸がどこだったか特定されてません。でも、昨日から書いていて、歴史では岩殿観音に頼朝と政子が

帰依して能員に岩殿観音の再興を命じたとありますが、私は能員が邸を構えていて地元の観音の再興を頼朝に願い出たとしました。地図に邸跡があるのに疑問視されるまでになったのは、比企の乱で邸の人達が斬られて根絶やしにされ荒廃したからなんですね。秀次の切腹後の凄惨な一族処理を思いつくまで邸はまだあって、基子さんが能員邸があるのに戸井田刑部に助けを求めるのは不自然ではないかと悩んでいました。

歴史は残った史実の断章だから初めに頼朝ありきで考えるけど、小説は人の心と時間の流れだから自然と整合性を炙り出します。なぜこんなところにぽつんと頼朝政子の帰依があるのと不思議でした。

メモ:連ツイ済みません。時房は頼家の蹴鞠の仲間だったから、同じく蹴鞠仲間の能員子息時員の妻が身籠っていることを知っていた。だから基子さんが比企に逃れても徹底的に探し出されて殺される危険があった。←昨夜時房が思い浮かぶまで基子さんの危険がこれほどまでの認識がありませんでした。

道中のお伴は峰岸純夫先生監修『東国武士と中世寺院』。この本をまた取り出す日が来るとは思っていませんでした。たしか比企尼の長女丹後局を調べていて比企に目が行った頃購入。そういうのがみんな役立って今。今日が終わったら今度こそ仙覚に専念できる(はず)。しっかりと取り組みます。

目立たないけど紫の花の群落@鎌倉浄智寺様前

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こちらは石蕗。鎌倉長慶寺様前。今日は久々の鎌倉

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鎌倉の鉢の木さんで集まりがあって談笑しての帰りです。仙覚を書き始めたのを知ってられる方が700枚は行くでしょと。一冊で済ませたいと思っていても内容的に二冊にしなければならない分量の歴史。私よりその方の方が現実を把握されてるかも。

11月6日
昨夜仙覚の小説に関心を持って下さる方に竹御所は途中で亡くなるけど仙覚の心にずっと理想の女性としてあるとお話したら、源氏物語みたいですねと。彼は私を鎌倉に繋げて下さった方で源氏物語の王権論にも詳しくその面から私の活動をみてられる。その方の源氏物語みたいですね、に驚きました。

改めておはようございます。起きて昨夜の名残を反芻して源氏物語の話を思い出しました。彼が700枚と言った方ですが、完成したら膨大になると予測されている。仙覚が源氏物語になるなんて考えたこともなかったけど、仙覚も光源氏のように理想の女性を心に抱えて生きるのか〜と、彼の発想いいな!と。

11月7日
昨夜は峰岸純夫先生監修『東国武士と中世寺院』から落合義明氏「比企の観音霊場をめぐる武士たち」を再読。以前読んだ時には細部まで理解できてなかったこともすんなり。そしてその後比企の方々との交流で得た知識があるから別の角度からの理解もできて、深まってるなあと感慨。

岩殿観音に古い板碑が残されていてそれが善光寺式阿弥陀三尊の図像板碑。これを落合氏は比企能員が信濃守護で善光寺再興に勤めたことと関係していると見る。なるほどと思い、そうだとすると岩殿観音の参道を抜けた所にある阿弥陀堂跡も能員邸の一部だったとみていいのかもとなりました。

とにかく比企氏は比企の乱で壊滅的になったんですね。だから未だに能員邸がどこかわからない。比企氏の菩提寺、川島町金剛寺は中山村で、ここは能員の娘婿。この中山村でさえ比企の乱で荒廃したというのだから北条氏の比企氏狩りは徹底していて、能員ゆかりの岩殿観音一帯が安穏だったはずないです。

平家の落武者狩りは知っていましたが、比企氏が平家に匹敵するなんて思ってもいませんでした。夏に仙覚が平家の六代御前の立場だと気がついたというのに比企氏そのものとまでは。なんか今頃になって歴史の実態に踏み込んでいます。

岩殿観音参道を出た所の一帯にある阿弥陀堂跡から弁天池を眺む。足利の樺崎寺のように鎌倉の御家人は、館の前に池を造る浄土式庭園の形式をとっており、比企能員もそうだったかとされます。岩殿観音は奥の山の谷合に。

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愛書家日誌@aishokyo フィクションとは真実を語るための嘘だ。 アルベール・カミュ

↑おこがましいけど、真実を語る嘘、って仙覚の小説がこの境地です。

仙覚が比企氏ゆかりで、もしほんとうに能員の孫だったら、平家の六代御前と全く同じ嫡系。それはもう名前を隠して生きるしかないわけです。で、六代御前が仙覚の時代にどれ位重なるか調べたら、ウィキだけど、享年27歳で斬られたのが比企の乱の三年前。それは基子さんが危機感抱くの無理ないです。

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