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2016.12.27 ツイッターから転載…タウンニュース鎌倉版コラム【鎌倉と源氏物語】に新春から『とはずがたり』シリーズをはじめます。

12月17日
おはようございます。今朝はこれからいろいろあってゆったりした気持ちで呟いていられないのですが、写真を探してたらこれが出てきたのでアップ。慈光寺に登る参道の途中にある有名な青石塔婆板碑群です。慈光寺の山門跡に建つそうです。

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やっと車中の人に。ここまで来れば安心、と呟こうとして乗り換えるのをうっかり忘れるところでした。乗り換えてもうほんとうに安心。今日は晴れているから富士山が見えるでしょうけれど、混んでいて窓外が見えない……

今の私の文学の基礎になっているのは現代詩を学んだこと。その時に読本でマンディアルグやプルーストやマラルメ等を読んで、そういう読本は古いざら紙だからもう黄ばんで、万年筆の線もびっしり書き込んであるし、到底古書には出せないし、でも一番大切。捨て難い本ってありますよね。

のんびり呟いていたらまた今度は乗り過ごしそうに。慌てて路線図を確認しました。笑

羽村の駅から見えた、たぶん、高尾山。山って、見えると嬉しい!

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夕まぐれ。金星が見えています。

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12月18日
おはようございます。昨日で予定をすべてこなしてほっとしているかと思いきやかえって緊張。しなければならないこと、したいこと、が溜まっていて上手くこなせるかが心配で。結局狙っていた取材にはまだ行けてません。行ってしまおうかなとも。とりあえずとはずがたりを仕上げたら楽になります。

12月19日
おはようございます。今日はジャン・ジュネの誕生日なんですね。綺麗な文学。こんなに綺麗な文学ってあるのだろうかと殆ど心酔したのに昨日も本棚の整理をしましたが、1冊も持っていない。私にはジュネは学ぶのでなく自分の中に収める作家。読んだ文庫本はしっかりまだ私の中にあります。

12月20日
おはようございます。コラムのとはずがたりを書くにあたり解説書に何冊か目を通しているのですが、私にはどうしても二条がスパイで鎌倉に送られて来たと読めない。昨日拝読した本も二条は実兼と知り合いだからそれで彼から命を受けてだろうとあった。いくら知り合いでも無理に繋げる必要ないのでは?

従来国文学者さんは殆ど男性だったから読みが女性の心に入ってない。訴訟に下った十六夜日記の阿仏尼を強い女と嫌う風潮があったのを岩佐美代子先生が毅然として麗しい王朝精神の持ち主と読み直された。とはずがたりも京都に居たくない思いの辛さがきちんと書かれている。私は素直に読みたい。

芸能人の方が別れたり離婚すると一生相手の活躍をTVで見る度に辛いだろうなと、私などは思う。まして自分が零落してたら。後深草院宮中を追い出された二条の京都にいたくない辛さはそういう類のものでしょう。除目などを聴く度にとあります。

鎌倉のとはずがたりを書くと平頼綱が出る。すると私は平禅門の乱を書きたくなる。永仁元年のその年にはもう二条は帰洛してるから関係ないのに。永仁元年を書くと為兼を書きたくなる。為兼を書いたら京極派歌壇を書きたくなる。京極派歌壇の永福門院は実兼の娘…連鎖が果てしないです。笑

12月21日
おはようございます。昨日からタウンニュース鎌倉版コラムのとはずがたりシリーズに取りかかりました。一般の方にあまり知られていない古典のようなので王朝女流日記の系譜としてその説明から開始。文学は文学をする人たちの中での普遍性とそうでない世間とで凄い乖離。コラムが橋渡しになるといい。

「日本には王朝女流日記という素晴らしい文学の一分野があります」。コラムの冒頭です。たった数百文字のコラムに大上段な出だし!と我ながらおかしいのですが。最初の思いつきでは金沢文庫の展示にあった極楽寺の指図から入ってとはずがたりに繋げる予定でした。自分が王朝女流日記が好きで……。笑

鎌倉に関係ないから書くつもりなかったけど浮かんだら頭から離れなくなって。勘仲記の会に参加していた時に鷹司兼平が出てとはずがたりを読んでいる私には立派な公の描写に苦笑。善勝寺大納言も出て、それを歴史の先生にお話したら面白がられて論文書いたら史学に載せてあげますよと仰られたのですが。

12月23日
おはようございます。何回読んでも、そうだった〜となるのですが、昨夜も全集の白い本の解説に目を通していてとはずがたり二条が具平親王の末裔で通親の曾孫で太政大臣通光の孫というところで目が点。後深草院や周囲の人の扱いの軽さで二条を侮ってみてしまいますが、二条のプライドはそれが原点です。

昨日はとはずがたりシリーズの初回で極楽寺が京都と違わず立派だったと書いて、それはなぜかというと北条重時が長く六波羅探題として京にいたからを書きたくなって、そうすると後嵯峨院の時代に戻ってしまいとはずがたりに戻れなくなる……、でも書きたい……とうずうずして夕方まで相克しました。笑

今日は雲に迫力あります。風も強いです。

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RTの六本木ヒルズ展望台様の虹、太い株虹ですね。以前に一度私も似た虹を観ました。それから、糸魚川。やっと鎮火したよう。糸魚川は翡翠峡を訪ねた駅。言葉がありません。

12月24日
皆様にはおはようございますなのでしょうけれど、これからおやすみなさいのツイートです。笑。タウンニュース鎌倉版のコラムを二回分書いて送信しました。第13回「極楽寺と 『とはずがたり』の作者二条」、第14回「後深草院二条は 『源氏物語』の若紫」です。

第14回「後深草院二条は 『源氏物語』の若紫」で、二条が鎌倉に入った時の、「東山から見るのと違い、袋の中に物をぎゅうぎゅうに詰めたように住んでいる鎌倉」という印象の項を入れました。若紫のように華やかに育った二条の目に映った鎌倉の侘びしい光景、という展開です。

タウンニュース鎌倉版コラムのとはずがたりシリーズ、初回と第二回の原稿、ひとまずOKが出てほっとしました。

12月25日
おはようございます。昨日タウンニュースのコラムを読んで、定家の鎌倉武士との交流は他にもありますよと明月記を引用したお便りを下さった方にお礼状を書きながら、やはり明月記は目を通したいなあと思いました。わかってはいても実行できずにいます。明月記、個人で揃えられる本が出ないかしら。

気紛れに日本の古本屋で明月記を検索したら明月記人名索引があって、そうっか、私はこの1冊があればいい、と思いつきました。吾妻鏡でそうしているように。人名で検索して、その条を読んでいます。

今朝は空気が冷たい。ポストに投函に出たら侘助に蕾がついているのをみつけ、切って一輪挿しにしました。

解釈学会機関誌『解釈』に載せて頂いた文学碑めぐり「順徳帝行宮御遺蹟碑」の本文です。表紙の写真をアップしてから遅くなりましたが、スキャナーが壊れてできずにいました。なのでこれは写真にとってのアナログで不鮮明で済みません。

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年収めにいろいろし残したことの片付けをしています。昨日は大量にお便りを書いたのですが、ずっと見ていて下さっている方へのご報告として仙覚の小説にかかったことを書いて「ここにくるために鎌倉の源氏物語からの今までがあった気がします」と。そう書いて、ほんとうにそうだと思いました。

@hakaiso27 ありがとうございます。私の場合は原稿の進行に即してその人名の動向が必要ということですので、原文はご隠居さんになってからのお楽しみとしてとっておきます。人名を抜き出してその人の分だけの流れを通しで読むというのはムダでなく却って何人分もが重なると面白いです。

私の吾妻鏡の読み方です。人名索引から調べたい人の条だけを全巻からコピーして一冊に。これは安達景盛編。二条教定編、竹御所編、将軍頼経編などもう随分溜まりました。吾妻鏡を通しての時代にそれぞれの人の人生が重層しています。

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白椿。蕾が開きかけてきました。

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@harasougyatei 自分専用のテキスト、いい言葉ですね。ありがとうございました。

12月26日
茨城の地震で目が覚めたまま眠れないでいたらチリにM7.6の地震があったことを知りました。一昨日六本木ヒルズ展望台様のツイートで大きな株虹の報告があり、私も以前同じ虹を見たと呟きました。その時にチリでM9の地震があったのでした。また無ければいいなあと思っていたのですが。

起きているとずっと頭の中はぐるぐるとタウンニュース鎌倉版コラムとはずがたりシリーズの次の回を何にしようか考えているのですが、三回目は「『とはずがたり』二条と第7代将軍惟康親王」にしようとたった今決まりました。惟康親王は第6代将軍宗尊親王の皇子です。母は宰子さん。

早く仙覚の小説に戻りたいし、一生かけてもできるかしらと思うくらいの大作を考えているのですが、とりあえずとはずがたりシリーズを終わらせてしまわなければ仙覚には戻れないと、たった今悟りました。笑

タウンニュース鎌倉版コラムの第13回の校正が届いて早過ぎてびっくりしたのですが掲載日はまだ決まっていないというから新春からのようでほっと。せっかくならとはずがたりシリーズ初回は新春からがいいですよね。惟康親王の回を書いて一緒に返送しようと思います。

タウンニュース鎌倉版コラム第13回の校正をして、第15回「後深草院二条と第七代将軍惟康親王」を添付して送信。これで年内の原稿を終了にし、年賀状や年末の片付けものにかかります。

蕾が開きました。白椿。清楚です。

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2016.12.18 ツイッターから転載…小説『仙覚』覚書(17)悉曇学を仙覚が玄覚に教えるシチュエーションに。タウンニュース鎌倉版コラム第12回【北条実時と風光明媚な六浦・金沢八景】掲載。鎌倉禅研究会12月例会に参加して等

12月13日
おはようございます。今年度の漢字発表を受けてイギリスの今年度の流行語大賞は【Post-truth ポスト真実】というニュースを見ました。オックスフォード辞書によると「客観的な事実が重視されず、感情的な訴えが政治的に影響を与える状況」とのこと。多分この流れ、止められないのでしょう。

EU離脱の問題からトランプ現象までいろいろ含めての流行語大賞だそうですが、昔は真実を写すから写真だったのが今は加工するから信じられない。SNSも個人が簡単に書きこめるからうっかり信用したら大変…、真実などということ自体が遅れているような感覚になります。でも、私は真実を追いたい。

今年の漢字発表を受けて私の今年の漢字は「禅」かなあと。春に鎌倉禅研究会のFBページを作成させて頂き、秋の東博での禅展まで、私の中は禅一色でした。去年までは源氏物語だったから「源」。これからは万葉集で仙覚。来年は「仙」になるよう頑張ります。

12月14日
紅葉の雑木林も素敵です@武蔵野

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一旦寝たのですが眠れなくて。今夜は満月。そんな夜に頂いたメール。仙覚が円仁の悉曇章に触発されて万葉集を志したとしても悉曇自体は小説に関係ないと思っていました。が、たぶんメールに興奮して冴えかえったから、あ、仙覚が玄覚に悉曇を教えるシチュエーションでなら書けると思いついたのでメモ。

↑ 満月の夜の満願。

悉曇について書くシチュエーションを思いついたのはいいけれど、それだとやはり悉曇について勉強しなければ……となりました。笑。今更勉強したって追いつかないことにばかりいつも挑んでいます。

ただ、これだと玄覚の回想だから玄覚の内面の声で書ける。目下滞っているのは他にいろいろあって取り組めないこともあるけれど、回想でない部分の客観的描写は私にはつまらなくて、玄覚の声の発露を待っていた気がします。内面の声は深くて広がりが無限です。

12月15日
鎌倉禅研究会FBページを始めてから帰ったらどう記事にまとめようか、要旨を選びながら拝聴しています。その分理解して聴いているけど以前のような気楽さがないのは辛い? と自問するけど別に辛くはない。でも体に力が入っている感じで疲れるかな? たぶん慣れれば自然体になるでしょう。

今日の道中のお供は松本寧至氏『中世宮廷女性の日記 とはずがたりを読む』。新書版です。ゲルマントにゆっくり浸っていたいけど年内にとはずがたりの件を済ませてしまおうと思って。ゲルマント、少し読んではクスッと笑ってしまいます。プルーストの筆が辛辣で。この楽しみから離れるのは辛い。

建長寺様の今日の一枚。仏殿に射し込む陽射しに神々しさを感じました。

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12月16日
おはようございます。昨夜帰宅したら鎌倉と源氏物語のコラムを送らせて頂いた方から定家と鎌倉武士の交流ならもっとありますよと『明月記』の記事を引いたお便りが届いていました。目下、鎌倉よりも京都のこの方々の研究グループのほうが鎌倉における私の関心範囲に詳しく京都に移りたいくらいです。

昨夜の会は珍しく大船でした。酒席が終ってエレベーターを降りたらそこに以前鎌倉文学散歩をした時にガイドをして頂いたガイド協会の理事さんグループにバッタリ。どうしてここに? とお互いびっくり。世間は狭いですね。それにしてもあの賑やかな大船の繁華街でピンポイントでその店先でとは。

タウンニュース鎌倉版コラム第12回【北条実時と風光明媚な六浦・金沢八景】が掲載されました。「とはずがたりのシリーズ楽しみに」と一筆添えられて紙面も届きました。昨日はからずもとはずがたりの準備に入ったのは以心伝心でしょうか。
http://www.townnews.co.jp/0602/2016/12/16/362477.html

タウンニュース鎌倉版コラム第12回【北条実時と風光明媚な六浦・金沢八景】の紙面です。金沢文庫に残る華麗な宋風文化の名残り。私は好きなのですがあまり六浦にこだわっても鎌倉版なので『とはずがたり』に移ろうかと。

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ブログを更新して気づく。昨夜呑み会でなんか皆様が以前より親しく接して下さっていると感じられたのは、ブログやツイッターを読んで下さっているからなのですね。鎌倉禅研究会FBも楽しんで下さっているご様子。凄い拡散力とまで仰って頂いてるのに私一人実感がないから他人の話みたいでした。

鎌倉禅研究会FBページに川本慎自先生の「禅宗と儒教」をまとめました。昨日は打上げに参加した10人程の全員に川本先生が東京大学史料編纂所のカレンダーを下さって、みんなで感激。凄いカレンダーです。

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2016.12.16 ツイッターから転載…シンポジウム・日本女子大会場「謎の万葉集 九十余首なき本の話」にて田中大士先生のご講演を拝聴しました。

12月10日
日本女子大会場「謎の万葉集 九十余首なき本の話」を拝聴。九十余首なき万葉集、これが仙覚本と関わるのです。万葉集は仙覚本と非仙覚本に分かれるのですが、ここに九十余首なき本と従来通りの完本の分類が加わって面白い展開に。複雑ですが。笑

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これは田中大士先生がどこかに書いてらして拝読したのですが、今日はその田中先生直接のお話。平成五年の広瀬本発見から見えてきた仙覚校訂本の底本のご研究。まさに謎解きの醍醐味。平仮名訓本と片仮名訓本。昨年の青山でのシンポジウムの続き。仙覚研究は楽しいです。

今日の興奮のお裾分け。というか私自身が忘れないために。平成五年に発見された広瀬本の新聞記事の写真を見て田中大士先生は題詞が歌より高い事に驚愕。万葉集で題詞が高いのはより古い本とされていたから。が、その後広瀬本は4432番までは題詞が低く4433番から最後までが高いと判明。低い方に

は訓があり、高い方はないことも判明→広瀬本は系統の違う写本を使った取り合わせ本だった→何故こんなことがと調べたら、文献だけで知られていた九十余首がなく終っている写本(4422まで)が広瀬本の発見で実際に確認されたことに→仙覚も文永本4422の注記で「或本この歌を以て終わりとなす。

不快なり」と記している。と、こういう展開なのですが、ここに平仮名訓と片仮名訓の問題を絡めたら仙覚が寛元本に使った底本がわかり、それが親行本だとわかり、それは光行本で、それが非仙覚本系統の片仮名訓の本だったとわかり、仙覚は非仙覚本は見ていないとされていたのが見ていた事になりました。

後尾の九十余首がないというのは、万葉集が聖武天皇によって作られたとするには、4423以降の歌は聖武天皇崩御後の年代の歌なので都合が悪いから誰かが削った本を作ったもののようです。そこに顕昭や俊成の俊頼随脳や古来風軆抄などの研究史が絡んでます。

今日は道中のお供にゲルマントのほうを持って出ました。歴史から離れ本格的な小説を持って出たのはもうほんとうに何年かぶり。道中が短かったから読めなかったけど当分お供にします。というか、昨夜も浸って拝読してたら少しずつだけど鮮やかに甦って、そうだ、こういう世界だった!となりました。

12月11日
おはようございます。今年のノーベル賞の大隅良典さんは愚管抄を読むの大隅和雄先生のご兄弟と知って勝手にいつになく親近感で授賞式報道に関心。遺跡発掘調査の事務所にいた時に週刊朝日百科だったかの連載で大隅先生の愚管抄の紹介を拝読して一気に慈円のファンになったのは懐かしい思い出です。

大掃除をしています。積読だった谷崎潤一郎訳『源氏物語』をようやく棚に収めました。1冊100円で古書店にあったもの。中を開くと白描のような十二単の綺麗な絵入の豪華なページです。いつかゆっくり読む日を待って。

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昨日の田中大士先生。初めて拝読したのが2012年刊『アナホリッシュ國文學』創刊号の「万葉集仙覚校訂本の源泉」。仙覚が何を底本にして寛元本を成したかのご論でわくわくしました。今改めて出して見たら、昨日のご講演の主旨はもうここに。1993年の広瀬本の発見から始まっていたのですね。

次に田中大士先生のご論に接したのが青学で開催された上代文学会夏季セミナー。これは笠間書院『萬葉写本学入門』の1冊になりましたが、田中先生は「万葉集仙覚校訂本のはじまりー仙覚寛元本の復元に挑む」。一貫して寛元本にこだわってらっしゃいます。改めて通しで拝読し直してみます。

仙覚が寛元本の底本にした親行本は光行本で、光行が京都雲居寺で書写したもの。昨日のシンポで田中大士先生が親行は源氏物語もした人でと説明された時、語られ方が逆だから可笑しかったです。私からすると光行も親行も万葉集もした人です(笑)。雲居寺は高台寺のあたりにあった寺院で忠兼本をそこで。

笠間書院さんの『萬葉写本学入門』はインパクトあったのだなあと思ったのは、私が夏に仙覚のことで研究発表した学会で、当日新幹線でいらした万葉集研究者の方が読まれて田中大士先生の寛元本に凄く興味を持って話しかけて来られたこと。私も同じだったからお話できて楽しい思い出になっています。

硝子のいたずらで蜃気楼な世界の出現@銀座

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銀座のクリスマス

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2016.12.16 ツイッターから転載…来年五月に腰越の鎌倉市生涯学習センターで講座を持たせて頂くこと、高遠弘美先生訳『失われた時を求めて』第5巻「ゲルマントのほう」発売のことなど。

12月6日
逆光の陽射しに輝いているホームのタイルに枯葉がたくさん散っている。どこから来た枯葉? と見ると線路を隔てた向こうの街路樹。こんなところまで舞って来たなんて。そんなに風が強かったのかしら。

12月7日
おはようございます。昨日腰越の鎌倉市生涯学習センターで来年5月にさせて頂く講座の打合せをしてきました。全2回です。タウンニュースのコラムをご覧になってのお話なのでテーマはそのまま「鎌倉と源氏物語」。鎌倉時代を源家将軍時代までと北条氏の時代の2つに分けてします。募集は来年4月です。

タウンニュース鎌倉版コラム、来春から『とはずがたり』シリーズにしたい件。これは鎌倉の方にほとんど知られていないから記者さんには冒険らしくてとりあえず先に10回ほど書いてみることに。というわけで昨日が終わったら仙覚に専念できると思っていたのがまた延期。

ほんとうは物凄く薔薇の名前のような硬質で広大な世界に入りたいのだけれど、今度ばかりは鎌倉での位置のとはずがたりの命運にかかっているから(笑)しっかり取り組まなければと、とはずがたりを持って出ました。専門の研究者さんはいられるのにこれほど普及していないのは何かが欠如しているとしか。

そうっか、明日、光文社古典文庫『失われた時を求めて』「ゲルマントのほうへ」が発売だったと、今気づく。ゲルマント公爵夫人(何か間違ってるかもしれないけど……)は好きな章。薔薇の名前を諦めて失意(笑)の後の昂揚。やっとリアルタイムに拝読できる余裕ができてよかった。

12月8日
今日は早くに吉祥寺に出て『失われた時を求めて』「ゲルマントのほう」を得ていたのだけれど日付が変わってやっと開くことができ今読書ガイドを読了。ゲルマントが何故こんなに楽しみなのか、わかってどきどきしています。「この小説のほんとうに根幹的な部分は、むしろこれからはじまる」のですね。

高遠先生が「ここは何としても引いておかなくてはならない」と揚げて頂いた新潮社版のあとがき。これ、凄いですね。「自己省察にほとんど自己を没してしまうかにみえた作者の目はいまや外の世界にむかつて」。興奮しました。楽しみに拝読させて頂きます。

新潮社版グループ訳全訳って、私が読んだのは何だろう。白い箱入りの全集。あれも個人完訳ではなかった。階下に行けば本棚にあるからわかるけど。明日調べてみます。あれがそうでないとしても、ゲルマント公爵夫人Ⅰのあとがきも読んでみたくなりました。私はやはりゲルマントが好き。

12月9日
陽にかがやいて素晴らしい紅葉@三鷹市小鳥の森

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紅葉した枯葉が流れているから、いつもよりはっきり水の流れがわかります@三鷹市玉川上水

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@Thouartmore 高遠先生、ありがとうございました。私の全集は井上究一郎氏訳でした。そういえば初の個人全訳に惹かれて購入したのだったと思い出しました。当時まだ新潮社刊も書店に並んでましたのに。先程図書館で借りてきて生島遼一氏あとがきを拝読し、これからにわくわくしています。

私が学会発表などで集中できなくて捗らないと思っていた「花咲く乙女たちのかげで」。昨夜その訳がわかって気分一新。私には少年主人公の内省の言葉に共感するゆとりがなかったからなのでした。でもゲルマントからの外へ向かう大人の思考には付いていける、というよりもう私も気持ちが前向きです。

今日図書館で『農耕詩』がありシモンはたいてい持っているのにこれはないとパラパラと見たらなんか字面が違う。後書きに平岡先生にとあって、あ、平岡先生訳でないから買っていないのだと思い出す。冒頭に提示される謎解きの構成。仙覚の小説の為に読みたいけど今はプルーストと思い棚に戻しました。

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2016.12.13 ツイッターから転載…小説『仙覚』覚書(16)真観の鹿島社詣でのこと。『吾妻鏡』奥州合戦最大の決戦地阿津賀志山のこと、千葉城郭シンポに。

11月28日
メモ: 『前長門守時朝入京田舎打聞集全釈』より。再読なのに何もわかっていない時期に読んだから本当に何もわかっていませんでした。時朝と真観が京都で交流あったのでは?と思いつつ読んだら、宇都宮頼綱の甥だから従兄妹の頼綱娘が為家の妻。御子左家と縁戚関係であれば真観と知り合っていて当然。

先にも呟きましたが真観の鹿島社滞在は3ヶ月にも及んでいます。志村氏は時朝が鹿島社に宋版一切経を奉納したのと関係あるにしても長いと書かれていますが、私の今のところの感じでは京都で歌人同士息があって時朝が誘い真観が遊興の旅に応じた…。3ヶ月、のんびり遊んで帰ったのではないでしょうか。

『東国文学圏の研究』をみつける→仙覚は鹿島社の社僧説の方だから鹿島社についての詳細がわかるかもと期待してコピーして帰途→車内で読んで真観の鹿島社詣では3ヶ月にも及んだと知る→京都のお公家さんがわざわざ常陸に、本当に何の為に?…と、昨夜はここまで。これから続きを拝読します。

志村士郎氏『東国文学圏の研究』に真観の鹿島社詣での時の歌が約30首載せられています。『とはずがたり』二条が善光寺に詣でて武蔵野の風景を描写したのと似ています。3ヶ月も滞在したなら真観は常陸の風景に馴染んだでしょう。仙覚は真観と親密です。仙覚も時朝と交流していますから仙覚も或いは

鹿島社詣でをしたかもしれません。仙覚は常陸の人説の背景に『万葉集註釈』での常陸の地理の詳しさがあります。が、真観のように長期滞在して時朝から土地を案内して貰ってたら当然詳しく書けます。私は仙覚は比企の人説です。今まで常陸の地理の詳しさが比企の人説のネックでした。払拭できました。

メモ: 次のコラムの予定。「極楽寺と『とはずがたり』の作者二条」。二条は「極楽寺は京に劣らない」と書いていますが、現在の鎌倉ではイメージ不可。でも金沢文庫の忍性展に指図があって「桁行七間の仏堂に中門廊が付けられた正式な密教建築。京都と同様の伽藍」とあり実証されました。

11月29日
仙覚の小説。藤原光能に嫁した基子さんのお姉さんの名前を遠子さんにしました。院の近臣光能が藤原京にいる時文覚が訪ねてきて後白河法皇の平家追討の院宣を受け取る。その文覚が六代御前を助けるが結局は殺される。我が子仙覚の運命を六代御前にみる基子さんには他人事でなくまさに身内の話でした。

メタセコイアの秋@井の頭公園

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11月30日
おはようございます。昨夜は『前長門守時朝入京田舎打聞集全釈』を読みながら就寝。時朝の最初の上洛は第四代将軍頼経の最初の上洛の時だったのですね。

仙覚の小説を書いているとお知らせしたらお返事にキャストは誰でしょうと頂いた。歴史に馴染みのない方の楽しみ方として好きな俳優さんをイメージして読むとわかりやすいとお伝えしてあったから。仙覚のキャラは実は私もまだ未定。小説も構想が雄大すぎて執筆が追いつかず仙覚はまだ生まれていません。

と呟いて思い出しました。仙覚のキャラはジョルジュ・ブラッサンス。アルバムジャケットの写真に惹かれたのでした。もうずっと前に呟いてますよね。その風貌というか印象はもう原稿に書いていて、なのに忘れていました。笑。子息玄覚の回想録だから生まれていなくても風貌の描写は終わっています。

12月2日
11月は私の勝負月で毎年今年は何があるかなあと楽しみにするのですが、月初に1つありでもまだ何かあると待っていたら月末にまたあって、なのにその頃身辺にいろいろあってバタバタしてたらすっかり忘れて気がついたら12月。やはり月末のが本命だったよう。講演を頂けそう。たぶん決まるでしょう。

流れは不思議なものでここまでくると運ばれているとしか思えなくなりました。鎌倉の源氏物語の普及に努めていた時は年に10回前後も講演をさせて頂き、たぶん普及の第一段階が終わってそれが絶え、丁度いいから学会の研究発表で時を過ごして、発表が終わったら講座と講演のお話。第二段階始動です。

12月3日
スカイツリーが目の前で思わずパシャッと。

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たぶん初めての線でこのまま行ったら房総。行ってしまおうか、海を見になどと徒然。

次は市川のアナウンスでこの線前に乗ったと思い出しました。真間の手児奈の史跡を訪ねて。

千葉開府890年。

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今日はここに。シンポジウム「関東の城郭と猪鼻城 ー千葉館の所在と猪鼻城時期について」。年配の男性ばかり……

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峰岸純夫先生「関東の城郭形成とその画期」。始まりました。

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今日の道中のお供は平雅行氏編『公武権力の変容と仏教界』から井上幸治氏「九条道家」。いきなり、みなし子、ではじまってドッキリ。そうか、道家は早くに母を亡くしているし(後京極良経室の一条能保娘)、父良経急逝時は14歳。後年の鎌倉幕府との応酬だけみていては分からない道家の悲しみでした。

千葉駅を降りて歩いた大通りにミシン屋さんがあって珍しいなあとしみじみ懐かしく眺めました。ショーウインドウに飾られたミシンは大正時代のとかアンティークのとかとりどり。

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12月5日
おはようございます。今日は温かいですね。タウンニュースコラムの校正が届いているのですが、吾妻鏡の発表担当準備で手が回らず帰ったら頑張りますと送信。これは12月号。そうしたら次はもう来年の1月号と気づき、とはずがたりは華やかでちょうどいいと思う。しばらくとはずがたりシリーズに。

いろんなことがきちんきちんと片付いていくからこれからだなあという思いが強くする。吾妻鏡の発表担当もこれであと半年回ってこないし(笑)。ほんとうに余裕なかったけどもう大丈夫。なんか、夏の学会発表を機に次元が変わった世界に入ってしまったみたい。なんか、よくわからないけど。

そういえば、帰宅したら、学会機関紙『解釈』。文学碑巡りシリーズ写真の表紙、投稿した順徳帝行宮御遺蹟碑を採用して頂いた号が届いていました。

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いろいろ詰まっていたからひとまず片付いた気分の打ち上げにスーパーに行ってそれこそとめどもなくのんびり商品の陳列を眺めて回って今帰りました。職場からならこういう時居酒屋でいっぱいとかになるのでしょうけれど。たらたらと普段買わないような細かなものを買い揃えて今後の料理レパートリーに。

12月6日
おはようございます。昨日使ったレジュメの写真ですが、阿津賀志山なんて私は初めて聞く山なのに会の方の中には何人も訪ねた方がいて、さすが歴史をやる方たちは違うと思いました。手前が堀で奥の小さな山が阿津賀志山。奥州合戦最大の決戦地です。

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