2016.12.27 ツイッターから転載…タウンニュース鎌倉版コラム【鎌倉と源氏物語】に新春から『とはずがたり』シリーズをはじめます。
12月17日
おはようございます。今朝はこれからいろいろあってゆったりした気持ちで呟いていられないのですが、写真を探してたらこれが出てきたのでアップ。慈光寺に登る参道の途中にある有名な青石塔婆板碑群です。慈光寺の山門跡に建つそうです。
やっと車中の人に。ここまで来れば安心、と呟こうとして乗り換えるのをうっかり忘れるところでした。乗り換えてもうほんとうに安心。今日は晴れているから富士山が見えるでしょうけれど、混んでいて窓外が見えない……
今の私の文学の基礎になっているのは現代詩を学んだこと。その時に読本でマンディアルグやプルーストやマラルメ等を読んで、そういう読本は古いざら紙だからもう黄ばんで、万年筆の線もびっしり書き込んであるし、到底古書には出せないし、でも一番大切。捨て難い本ってありますよね。
のんびり呟いていたらまた今度は乗り過ごしそうに。慌てて路線図を確認しました。笑
羽村の駅から見えた、たぶん、高尾山。山って、見えると嬉しい!
夕まぐれ。金星が見えています。
12月18日
おはようございます。昨日で予定をすべてこなしてほっとしているかと思いきやかえって緊張。しなければならないこと、したいこと、が溜まっていて上手くこなせるかが心配で。結局狙っていた取材にはまだ行けてません。行ってしまおうかなとも。とりあえずとはずがたりを仕上げたら楽になります。
12月19日
おはようございます。今日はジャン・ジュネの誕生日なんですね。綺麗な文学。こんなに綺麗な文学ってあるのだろうかと殆ど心酔したのに昨日も本棚の整理をしましたが、1冊も持っていない。私にはジュネは学ぶのでなく自分の中に収める作家。読んだ文庫本はしっかりまだ私の中にあります。
12月20日
おはようございます。コラムのとはずがたりを書くにあたり解説書に何冊か目を通しているのですが、私にはどうしても二条がスパイで鎌倉に送られて来たと読めない。昨日拝読した本も二条は実兼と知り合いだからそれで彼から命を受けてだろうとあった。いくら知り合いでも無理に繋げる必要ないのでは?
従来国文学者さんは殆ど男性だったから読みが女性の心に入ってない。訴訟に下った十六夜日記の阿仏尼を強い女と嫌う風潮があったのを岩佐美代子先生が毅然として麗しい王朝精神の持ち主と読み直された。とはずがたりも京都に居たくない思いの辛さがきちんと書かれている。私は素直に読みたい。
芸能人の方が別れたり離婚すると一生相手の活躍をTVで見る度に辛いだろうなと、私などは思う。まして自分が零落してたら。後深草院宮中を追い出された二条の京都にいたくない辛さはそういう類のものでしょう。除目などを聴く度にとあります。
鎌倉のとはずがたりを書くと平頼綱が出る。すると私は平禅門の乱を書きたくなる。永仁元年のその年にはもう二条は帰洛してるから関係ないのに。永仁元年を書くと為兼を書きたくなる。為兼を書いたら京極派歌壇を書きたくなる。京極派歌壇の永福門院は実兼の娘…連鎖が果てしないです。笑
12月21日
おはようございます。昨日からタウンニュース鎌倉版コラムのとはずがたりシリーズに取りかかりました。一般の方にあまり知られていない古典のようなので王朝女流日記の系譜としてその説明から開始。文学は文学をする人たちの中での普遍性とそうでない世間とで凄い乖離。コラムが橋渡しになるといい。
「日本には王朝女流日記という素晴らしい文学の一分野があります」。コラムの冒頭です。たった数百文字のコラムに大上段な出だし!と我ながらおかしいのですが。最初の思いつきでは金沢文庫の展示にあった極楽寺の指図から入ってとはずがたりに繋げる予定でした。自分が王朝女流日記が好きで……。笑
鎌倉に関係ないから書くつもりなかったけど浮かんだら頭から離れなくなって。勘仲記の会に参加していた時に鷹司兼平が出てとはずがたりを読んでいる私には立派な公の描写に苦笑。善勝寺大納言も出て、それを歴史の先生にお話したら面白がられて論文書いたら史学に載せてあげますよと仰られたのですが。
12月23日
おはようございます。何回読んでも、そうだった〜となるのですが、昨夜も全集の白い本の解説に目を通していてとはずがたり二条が具平親王の末裔で通親の曾孫で太政大臣通光の孫というところで目が点。後深草院や周囲の人の扱いの軽さで二条を侮ってみてしまいますが、二条のプライドはそれが原点です。
昨日はとはずがたりシリーズの初回で極楽寺が京都と違わず立派だったと書いて、それはなぜかというと北条重時が長く六波羅探題として京にいたからを書きたくなって、そうすると後嵯峨院の時代に戻ってしまいとはずがたりに戻れなくなる……、でも書きたい……とうずうずして夕方まで相克しました。笑
今日は雲に迫力あります。風も強いです。
RTの六本木ヒルズ展望台様の虹、太い株虹ですね。以前に一度私も似た虹を観ました。それから、糸魚川。やっと鎮火したよう。糸魚川は翡翠峡を訪ねた駅。言葉がありません。
12月24日
皆様にはおはようございますなのでしょうけれど、これからおやすみなさいのツイートです。笑。タウンニュース鎌倉版のコラムを二回分書いて送信しました。第13回「極楽寺と 『とはずがたり』の作者二条」、第14回「後深草院二条は 『源氏物語』の若紫」です。
第14回「後深草院二条は 『源氏物語』の若紫」で、二条が鎌倉に入った時の、「東山から見るのと違い、袋の中に物をぎゅうぎゅうに詰めたように住んでいる鎌倉」という印象の項を入れました。若紫のように華やかに育った二条の目に映った鎌倉の侘びしい光景、という展開です。
タウンニュース鎌倉版コラムのとはずがたりシリーズ、初回と第二回の原稿、ひとまずOKが出てほっとしました。
12月25日
おはようございます。昨日タウンニュースのコラムを読んで、定家の鎌倉武士との交流は他にもありますよと明月記を引用したお便りを下さった方にお礼状を書きながら、やはり明月記は目を通したいなあと思いました。わかってはいても実行できずにいます。明月記、個人で揃えられる本が出ないかしら。
気紛れに日本の古本屋で明月記を検索したら明月記人名索引があって、そうっか、私はこの1冊があればいい、と思いつきました。吾妻鏡でそうしているように。人名で検索して、その条を読んでいます。
今朝は空気が冷たい。ポストに投函に出たら侘助に蕾がついているのをみつけ、切って一輪挿しにしました。
解釈学会機関誌『解釈』に載せて頂いた文学碑めぐり「順徳帝行宮御遺蹟碑」の本文です。表紙の写真をアップしてから遅くなりましたが、スキャナーが壊れてできずにいました。なのでこれは写真にとってのアナログで不鮮明で済みません。
年収めにいろいろし残したことの片付けをしています。昨日は大量にお便りを書いたのですが、ずっと見ていて下さっている方へのご報告として仙覚の小説にかかったことを書いて「ここにくるために鎌倉の源氏物語からの今までがあった気がします」と。そう書いて、ほんとうにそうだと思いました。
@hakaiso27 ありがとうございます。私の場合は原稿の進行に即してその人名の動向が必要ということですので、原文はご隠居さんになってからのお楽しみとしてとっておきます。人名を抜き出してその人の分だけの流れを通しで読むというのはムダでなく却って何人分もが重なると面白いです。
私の吾妻鏡の読み方です。人名索引から調べたい人の条だけを全巻からコピーして一冊に。これは安達景盛編。二条教定編、竹御所編、将軍頼経編などもう随分溜まりました。吾妻鏡を通しての時代にそれぞれの人の人生が重層しています。
白椿。蕾が開きかけてきました。
@harasougyatei 自分専用のテキスト、いい言葉ですね。ありがとうございました。
12月26日
茨城の地震で目が覚めたまま眠れないでいたらチリにM7.6の地震があったことを知りました。一昨日六本木ヒルズ展望台様のツイートで大きな株虹の報告があり、私も以前同じ虹を見たと呟きました。その時にチリでM9の地震があったのでした。また無ければいいなあと思っていたのですが。
起きているとずっと頭の中はぐるぐるとタウンニュース鎌倉版コラムとはずがたりシリーズの次の回を何にしようか考えているのですが、三回目は「『とはずがたり』二条と第7代将軍惟康親王」にしようとたった今決まりました。惟康親王は第6代将軍宗尊親王の皇子です。母は宰子さん。
早く仙覚の小説に戻りたいし、一生かけてもできるかしらと思うくらいの大作を考えているのですが、とりあえずとはずがたりシリーズを終わらせてしまわなければ仙覚には戻れないと、たった今悟りました。笑
タウンニュース鎌倉版コラムの第13回の校正が届いて早過ぎてびっくりしたのですが掲載日はまだ決まっていないというから新春からのようでほっと。せっかくならとはずがたりシリーズ初回は新春からがいいですよね。惟康親王の回を書いて一緒に返送しようと思います。
タウンニュース鎌倉版コラム第13回の校正をして、第15回「後深草院二条と第七代将軍惟康親王」を添付して送信。これで年内の原稿を終了にし、年賀状や年末の片付けものにかかります。
蕾が開きました。白椿。清楚です。