2017.1.30 ツイッターから転載…小説『仙覚』覚書(18)、タウンニュース鎌倉コラム・とはずがたりシリーズ第一回掲載、五月の腰越の講座名が決まりました「鎌倉と源氏物語―その華麗な歴史絵巻―」。等
1月20日
タウンニュース鎌倉版コラム【鎌倉と源氏物語】の第13回「極楽寺と『とはずがたり』の作者二条」が掲載されました。 とはずがたりシリーズの第一回で、私自身楽しみにしていた号です。http://www.townnews.co.jp/0602/2017/01/20/366451.html
昨日伺ったメモ: 円仁の『入唐求法巡礼行記』は、兼胤という70歳を越えた老僧が1291(正応4)年に書写した写本が最古で国宝。兼胤は40代の頃にも書写していて、それが鎌倉に於いてだった? だとするとちょうど宗尊親王の時代のころ。
仙覚は円仁の『入唐求法巡礼行記』を読んでいたはずと申し上げたら教えて下さったのでした。
1月21日
おはようございます。窓から見える月が煌々と輝いて綺麗。少し離れて大きく輝いているのは金星でしょうか。まだ真っ暗な夜空。開けたら綺麗な星空なのでしょうけれど。TLにたまたま一昨日五台山だけは行った方がいいと勧められたその五台山が。仙覚も行きたかったと思う五台山です。
一昨日腰越の講座の幹事さんからFAXを頂き「鎌倉と源氏物語ーその華麗な歴史絵巻ー」と講座名が決まりました。一回目が紫式部から実朝まで。二回目が頼経から宗尊親王まで。まさに華麗な歴史絵巻のパワポ編集にしようと思います。2,3日少し寄り道したから今日は源氏物語の歴史に戻りたい。
空が白ずんできました。黄色い半月が見えています。
鎌倉禅研究会FBページの編集(ご講演内容)に結局終日かかってしまいました。FBは文字間隔がきちんと編集できなくて辛い…
ふう~っと、やっと鎌倉禅研究会FBの小川隆先生のご講演【「ありのまま」に生きる者と「ありのまま」を超える者―禅の思想史】の要約をアップし終わりました。禅の素人の私が禅とは無ということを文字を尽してまとめている理不尽さに恥じ入りながら。それ以上にFBの字面揃えの不具合が大変でした。
1月22日
今日も時間のあるかぎり鎌倉禅研究会FBの編集。昨日第一講小川隆先生の項終えて、今日は第二講円覚寺管長横田南嶺老師様を。素晴らしいご内容だったので少しでもそれが来られなかった方々のお目にとまるといいと思って頑張っています。横田老師様は学生時代に西田幾多郎を愛読されていたそうです。
1月23日
タウンニュース鎌倉版コラム【鎌倉と源氏物語】第13回「極楽寺と『とはずがたり』の作者二条」の紙面です。
タウンニュースコラムの紙面。たくさんのRTをありがとうございました。そうなんですよね。後深草院二条が鎌倉に滞在したことがあるって、それはもう物凄いことと思うのですが、案外鎌倉で知られていないんです。鎌倉は吾妻鏡の記述までで語られ過ぎています。とはずがたりはその後の歴史を埋めます。
1月24日
鎌倉禅研究会一月特別例会のFBページの編集を完了しました。円覚寺管長横田南嶺老師様の若き西田幾多郎宛にあった滴水禅師の「無」の語の意味を臨済録からたどられて最後に下のツイートの「無とは大慈悲心」に至る円環! 素晴らしかったです。どうぞ「鎌倉禅研究会」で検索してご覧になって下さい。
ひとつクリア。昨日頂いた300字のコメント。さすが達文とのお返事。最近いろんなことでいっぱいいっぱいでタウンニュースのコラムもほとんど書きなぐりで、「書きなおしますから」と添えて送信するのだけれどいつもクリア。文章を書けないどん底の30年があっての這い上がった今だから?地下生活者だったもの。笑
1月26日
メモ: 源氏物語に漢籍訓読が、原漢文の訓読語のまま忠実に引かれたことは築島裕博士によって解明された。源氏物語の訓読語は菅原家の訓法であることがわかる。此は、紫式部の父為時が、菅原文時の高足であった事と密接な関係がある。(小林芳規『平安鎌倉時代に於ける漢籍訓読の国語学史的研究』)
私は源氏物語も万葉集も享受の歴史として、人と人が?をした、のような追い方をしているから、本文自体に立ち入ることはないと決め込んでいたのだけれど、源氏物語は清原家の、万葉集は円仁の悉曇章の、と本文どころか読みの問題に携わらなければならなくなって、一から始めるしかなくなりました。
小林氏より…帚木巻「わかきものはかたちかくれず」は秦中吟の一節の引用であるが、藤原家の訓法は「イトケナキ者ハ」である。奥入所引の漢籍が菅家の訓読に従っているのも、源氏物語本文の制約によるものとして改めて首肯出来るのである。
携わらなければいけないこと、片付けなければいけないことがたくさんあって、結果として自分のことが何もできずに心がざわざわして、それなら片付けやすいことからやっていこうと始めても心はかさついたまま。これは簡単には無理と後回しにしていた訓読に入ったら、落ち着きました。