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2017.2.27 ツイッターから転載…「写本が語る、鎌倉の『源氏物語』と『万葉集』享受の歴史」、ほぼ完成しました。

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井の頭公園の梅林です。

2月22日
おはようございます。昨日は実時の漢籍について深入りしたくなる気持ちをぐっとこらえて「写本が語る、」の原稿に戻りました。仙覚が登場して、竹御所も書いていたら気分がすっかりこちらの世界に入っていい気分。このまま小説に入りたいくらいです。久々に薔薇の名前的気分。

以前キラリナのエスカレーターで流れていた音楽がゴーンという沈み込むような包まれるような、あ、地球の音、と思ってまた聴きたいと探したのだけれどわからず、あれがヒーリング系の音楽と今頃になってわかって聴いているのですが、深い瞑想に入っていくような気分。怖いくらいに何か治癒されてます。

地球の音というのは、チリでM9の地震があった時、地球の反対側の日本に地中を伝ってゴーンという音が届いたというのを読んで以来、地中深く走るゴーンという音に神秘なものを感じて惹かれているんです。ひれ伏して地中の音に耳を傾けたい気分。

「写本が語る、」の原稿。宗尊親王の時代の源氏物語と万葉集のドッキングまでと思ってたから玄覚は書かないと決めてたけど、比企谷で仙覚の本を書写してるのだから、写本が語るテーマでは書かなくてはと気付きました。構成を少し変更。

2月23日
おはようございます。「写本が語る、」の原稿、やっと求心的になってきました。理で考えて構成したものはやはり表層でしかないことが書いてみてはじめてわかる。書くと自ずと行間から、ここが足りない、ここを埋めろ、と声が湧き上がってきます。

いい加減に書くではないけれど、この枚数なら簡単とたてた構成も書き始めて深まると、あら、足りないかもとなって、これを書く予定はなかったというのが次々湧いて出る。面白くなってきました。

大詰かも。このまま続けたら多分終わる。でも家事に戻って団欒までしたらいつものように疲れが出て仮寝。のパターンでしょう。そして未明に起きて、書いて、完成。となればいいのですが。笑

大詰を迎えているから疲れているのに少しも眠くなく、休んだほうがいいのに横になっても眠れません。笑。私がしたいことって何だろうって余分なことまで考えて、結局私はストイックな学問的な男の世界が好きなんだなあと。ストイックといっても姿勢の話で、急にプルーストが読みたくなってきました。

仙覚を考えていてプルーストが浮かんだのは初めて。仙覚の学究的な長い人生が急にプルーストの失われた時を求めての長い創作人生と重なって感じられて。そしてどこの章だったか主人公が石畳の夜の街を奥に入っていくその街角が心に浮かんでそれが仙覚の姿と重なって。奥に入っていく感覚、凄い。

2月24日
おはようございます。「写本が語る、」の原稿。尾州家本と西本願寺本で終わりにしようか、仙覚は誰かの問題解決で閉じようか迷っています。両写本の成立で終わると玄覚が入って来られなくなります。入れたい気持ちが強いです。

「写本が語る、」の原稿。最後の件。どんどん玄覚で終わらそうという気持ちが強くなってきています。学会で発表したら論文にまとめなくてはならないのですがその締切が5月。今年はパスしてというより、論文でなく小説にする事にしたから、今頂いたこの原稿が公の発表の場として貴重だと気づきました。

『万葉集註釈』の写本が仙覚は誰かを教えてくれている…、で締めました。「写本が語る、」の原稿。まさに写本が語ってくれているんだなあと一入。玄覚を入れたらこうなりました。一応、完了しました。

昨夜は原稿が一段落しそうなのでプルーストに浸って就寝しました。モーブ色は失われたではじめて知った言葉の色だから実際には知らないのですがたぶんと推測してプルーストを象徴する色になっています。昨夜見たモーブ色のルビがふられた薄紫色の文字。以前読んだ本ではどうだったかな?となりました。

紫の上は樺桜色だから薄紫ではないし、若紫も薄紫のイメージではない。藤壺が藤の色で薄紫かな。はじめて読んだ失われたでモーブ色に惹かれたのにはたしかに源氏物語を感じてのこと。私のなかでどこかプルーストと源氏物語が響き合っています。

2月25日
おはようございます。仮寝して起きて原稿のチェックをしていました。写本が語る、我ながら凄いと思います。尾州家本で宗尊親王を語って、続けて仙覚の小川町での万葉集注釈を書いたら、小川町にある古墳に宗尊親王の名が刻まれていた事実が思い出され、私はこの解明をしたいのだったと思い出しました。

いずれ仙覚の小説の晩年になったら否が応でも取りかからなければならないから先のこととして放置してました。小川町の古墳の宗尊親王の名前の件は新編武蔵野風土記稿にあります。小川町といえば仙覚。宗尊親王といっても仙覚。きっと何か繋がりがあるはずなのですが、まだ繋ぐ糸が見えてません。

つくづく運ばれていると思う。「写本が語る、」の原稿は3,4年前にお話を頂いた。鎌倉の源氏物語をテーマにと。それが諸事情で延びて昨年末に正式の依頼になった。最初のまま実現していたら『源氏物語と鎌倉』をなぞるだけでした。昨年だったら仙覚を入れられなかった。今だからこそ書けた原稿です。

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2017.2.22 ツイッターから転載…白い世界を眺めているとふと無になる瞬間がある、と「禅の庭」の影響大きいです。

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2月17日
白い世界を眺めているとふと無になる瞬間がある。ただPCの壁紙なのに。禅の庭の白砂の部分が一番大切と伺い見方というか気持ちが変わった。禅の庭は考えるということをさせるためだそう。白砂の余白の部分にその余地ができるのだそう。何もないところに生まれる無。そうっか、そういうことなのか。

ここのところPCの壁紙に雪景色の写真を置いていて、時々薔薇の写真とかに入れ替えるのですが、やはり雪景色が落ち着く。冬の季節的なものかとも思っていましたが、今またその写真を見て、目をとめた部分が昨日までと変わり、被写体をではなくそれを覆う雪の白い部分だということに気がついて。

昨日の桝野俊明先生「禅と庭」のお話に思いの外感銘を受けている。桝野先生も高峰顕日を取り上げられ、深山幽谷を力説された。禅僧の中には深山幽谷があると。都にいてそれは叶わないから庭を作り、水を引けないことから枯山水になったと。高峰顕日から始まる禅の庭。まさに御意!でした。

2月18日
今日は大変。鎌倉禅研究会第127回例会のFBを仕上げます。枡野先生がパワポの画像だけで講演されてレジュメを配布されなかったから、必死でメモしてきたのをまとめる作業です。復習になりますね!

鎌倉禅研究会FBページに、第127回例会、枡野俊明先生のご講演「禅の庭」をまとめさせて頂きました。「禅の庭の特徴は余白を限りなく微妙に造りだしてゆくことです」というお話。禅の庭についての本質、真髄のようなお話と思います。拙い要約で恐縮ですが鎌倉禅研究会で検索してご高覧下さい。

2月19日
やっとプルーストの動画を見ました。他が皆黒い正式の服装なのに対しプルーストはグレー。光源氏が右大臣家の花の宴だったかに皆が正装で行った中、光源氏だけ華やかな襲の色目の装束で行ったのを思い出したら、記事にも人目をひく優雅な所作と。本質的にプルーストは源氏物語なんですね。

文体とかの、そういう文学的な意味だけでなく。洒脱ということでしょうか。感性の余裕? でもそう考えれば考えるほど、紫式部って凄い!

今まさに下弦の瞬間。外は月が見えているでしょうか。中断していた「写本が語る、『源氏物語』と『万葉集』享受の歴史」を読み返していました。『源氏物語』が終わり『万葉集』に入るところで中断。これから「寛元元年、将軍頼経は親行に『万葉集』の校訂を命じた」と始めます。2月中に完成予定。

その3年後に今度は仙覚が命じられて「寛元本万葉集」を作るのだけど、今までだったらそこはそれだけで通過して宗尊親王時代の文永本に移るのだけど、今回は寛元本万葉集の復元が見えてきているから、そこに少し文字数を費やすことになると思う。楽しみ。

2月20日
床前月光を看る 疑うらくは是れ地上の霜かと。昨夜は、まさにこれ、と思いつつレースのカーテンを突き抜いて射し込む月光を楽しみながら就寝しました。月の光って案外強いんですね。紫式部の雪の夜景の描写も絶品だし。やはり雪は、月は、いいです。やっと我が世界に戻ってこられて何か満喫。

2月21日
おはようございます。昨夜は小林芳規氏『平安鎌倉時代に於ける漢籍訓読の国語学史的研究』から「金澤文庫本群書治要巻四十所収三略の訓點」を拝読して就寝。堪能しました。ある意味払拭、と思って寝たのですが、起きたらまたよからぬ欲望が湧いていて、これからどうなるかわかりません。笑

どこかに糸口が潜んでいる気がする。書いたら見えてくる気もする。なのに、今書くのは早い、そこで書くのが普通の人、少し置いて待ちなさい、必ず新しく資料が出てくるから、と去年言われたある方の声が脳裡でぐるぐる。仙覚の研究。待っていたら本当にそうなった。多分今書いてはいけないのだろう。

最後の最後に一転してどんでん返しのようになる、そんな気がしているのだけれど。まだそれには多分時期尚早。

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2017.2.17 ツイッターから転載…タウンニュース鎌倉版コラム【鎌倉と源氏物語】第14回「後深草院二条は『源氏物語』の若紫」が掲載されました。そして鎌倉禅研究会2月例会枡野俊明先生「禅と庭」のことなど。

タウンニュース鎌倉版コラム【鎌倉と源氏物語】第14回「後深草院二条は『源氏物語』の若紫」が掲載されました。

http://www.townnews.co.jp/0602/2017/02/17/370971.html

2月14日
窓を開けたら星空が綺麗でしょうか。寒いから開けないけど。とはずがたりシリーズを書き切って燃え尽き症候群的無聊の一日。早々に寝たらこんな時間に起きて。タウンニュースは自分で撮った写真を載せているのですが、宮廷ドラマのとはずがたりに相応しい写真があるかしらというのが目下の悩みです。

カーテンの隙間から月光が差し込んで絨毯に影を落としてるから、あ、外は月夜、と思って覗くと煌々と輝く月が見えました。アンデルセンみたい。笑。いいですね、こういう夜。写本の原稿を少し読んで、気分を万葉集に戻して、寝ます。

2月15日
やっと用が終わったらこんな時間。途中仮寝したからだけど。結局この時間帯が私にはいい。笑。FBに仙覚取材ノートという記録のためのページを作っていて長く、いいね、が私一人だったけど、先程一人、いいね、を下さった方がいて、あら、となりました。お一人でも公になったら更新の義務を感じて。

2月16日
鎌倉に向かっていますとメールしたら鎌倉の方がお待ちしておりますと返信して下さった。以前京都に向かう新幹線の車内で、京都に向かっていますとツイートしたら京都の方がおいでやすとツイートして下さった。こういうの、いいですね。

鎌倉は若宮大路。ぽかぽかと暖かく人出が多いです。 鎌倉禅研究会に建長寺様に向かっています。

今日は間違って上野東京ラインに乗らないようしっかり見極めました。笑。鎌倉の帰りです。 (湘南新宿ラインだけだったのに、上野東京ラインができて、気づかずに乗って品川経由の遠回りで帰ったことが重なって 笑)

どうしてこういうお席に連ならせて頂いてるのか訳がわからないのだけれど慣れて僧侶の方々のお話についていけてる自分がおかしい。前は密教世界だったのに今は禅宗。そして私だけいつも異端で源氏物語的世界からいろんなものを見させて頂いてます。

鎌倉禅研究会。枡野俊明先生「禅の庭」のお話は凄かったです。最初、私はパワーポイントだけでレジュメはありません、と仰られた時には、えっ、FBの記事どうしようとなって必死にメモをとりましたが、撮影も合間にしてるから、枡野先生だけでなく画面もメモ代わりに撮っていけばいいと気づきました。

印象に残ったお話の一例。天龍寺の庭。奥の塀と配置された石の手前に広がる何もない白砂の広い部分。これが余白で、禅の庭ではこの余白が一番大事なんです。と、いうことでした。沈黙が語るとか。

今日の建長寺様。仏殿に続く柏槇が陽に映えて。建長寺様には古い指図が残っていて、蘭渓道隆禅師作の北庭は残念ながら現在違う姿になっていますが、この柏槇の一帯はそのままです。と、今日の枡野俊明先生のお話にもありました。

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蘭渓道隆禅師の頃の宋では作庭が盛んに行われていて、だから蘭渓道隆禅師は建長寺開山になられた時に庭を造られた。それが日本で最初の禅の庭。この建長寺に学んだのが夢窓国師で、国師はこの作庭に魅入られ作庭するようになった。そして京都で金閣寺、西芳寺、天龍寺と手がけた。というお話でした。

夢窓国師はほんとうに作庭が好きだったようで、どんなに偉くなって監督してればいい立場になっても自ら土木工事をされてたそう。枡野先生が金閣寺の庭を調査された時、「この石は夢窓国師がじかに触れた石だから動かさないよう絶対に触らないで」とお寺の方に言われたそうです。

夢窓国師の石組は上品で力強いと枡野先生。これはもう他の追随を許さない上品な力強さで、よほど感性がいいとしか言えないそうです。

これは蛇足の私的追記ですが、上品で力強いという言葉にまでは自覚していませんでしたが、私も夢窓国師の石組の上品さは他と違うなあと思って見ていました。やはりそうだったのですね。凄い大雑把に言って夢窓国師の石組は上面が平ら。なのでと思っていましたが。

2月17日
TLを眺めていたら、ふっと円仁のことが甦った。源信の文字が目に入って。そうか、気分が仙覚の小説に戻ってるのかと思う。昨秋から取材に行きたくて行かれてないこと、春になったら善峯寺にと思ったこともまだ無理。でも用がだんだん片付いて可能になってきそう。そんな気分。春が近いですものね。

それと、昨日の鎌倉禅研究会での枡野俊明先生のお話で中国の五山の写真をパワーポイントで観せて頂いたのが凄く気分に影響している。日本の禅の庭の歴史は中国の五山のうち第二位の寺院の系統からきているそうです。でも、現在そこを訪ねても観光地化されて面影はないし、地元の人も何も知らないそう。

五山とは中国南宋の第四代皇帝寧宗が始めたそうです。つまり官営にしたということ。日本では北条時頼が。最初は鎌倉と京都が一緒に、第一位建長寺と南禅寺、第二位円覚寺と天龍寺、第三位寿福寺、第四位建仁寺、第五位東福寺浄智寺、でした。

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こう見ても北条時頼、凄いですよね。時頼が建長寺を建てて蘭渓道隆を開山にし、蘭渓道隆が南宋で流行っていた禅の庭を建長寺に日本で初めて作庭し、そして建長寺で修行した夢窓国師がその庭に感化されて天龍寺や西芳寺などの名庭を造ることになった。禅の源流、作庭の源流は鎌倉から始まります。

昨日の建長寺様の庭。蘭渓道隆禅師作庭当時の庭は壊されて今は面影を偲べませんが、水の色がとても素敵でした。それととても澄んで。碧という漢字がまさにこういう感じかと思って魅入ってしまいました。

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2017.2.14 ツイッターから転載…タウンニュース鎌倉版コラム【鎌倉と源氏物語】のとはずがたりシリーズ。それをさらに絞って二条の恋人実兼の流れでするように。

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2月12日
メモ:とはずがたり。北山准后の後半後嵯峨院を書いて、その時たしか二条は六波羅探題の時輔が襲撃されて燃え上がる二月騒動の煙を見ていたはず。前後関係を確かめること。六波羅探題が鎌倉幕府側の京とのパイプ役と。→その次、後嵯峨院の即位についての背景へ。後深草院の父帝。

2月13日
昨夜読み返して。後嵯峨上皇の崩御が迫り嵯峨離宮に移った時、六波羅探題も見舞いに訪れ、その時の南方が時輔。それが9日。15日に「都の方におびただしく煙立つ」と二条が書いて時輔が打たれたことを知る。上皇の「今日とも知らぬ御身に先立ちて」二条は「あへなさ申すばかりなり」と記しています。

二条の時の証言者的役割の『とはずがたり』、凄いですね。タウンニュース鎌倉版コラムでとはずがたりシリーズを始めようと思い立った時は、鎌倉に下向してからのことを書けばいい程度だったのですが、こんなところに二月騒動が。後半の後深草院崩御では金沢文庫三代当主南方の貞顕も出ますものね。

時輔は和泉元彌さんが演じられた大河時宗では渡部篤郎さんが演じられた。あのドラマを観てなかったら時輔も二月騒動も知らず、『とはずがたり』のこの部分に留意してないと思う。事実始めて読んだ時は読み飛ばしてました。笑 。北村一輝さんが演じられた頼綱とも二条は接して詳細に書いてます。

コラムは余分な文章を入れる余裕がないから、よほど渡部篤郎さんがとか北村一輝さんがとか入れたいのだけれど、観ていた方にはわかるでしょうね。問題はその後に大人になった方々。鎌倉の北条氏時代の大河、そろそろやって欲しいです。松下禅尼あたり、如何でしょう。ファーストレディから始まる…

タウンニュース鎌倉版コラム第17回「二条の縁戚北山准后とは」を書きましたが、時輔を入れられませんでした。泣。いつもこうで、鎌倉よりも華やかな京の宮廷事情に引きずられてしまいます。書いたのは北山准后の娘の一人が後深草天皇中宮東二条院で、二条を宮廷から追い出すキーパーソンとなると。

メモ: 次は「後嵯峨天皇と鎌倉」にしようかと。即位の背景から、松下禅尼の兄義景が使者にたったこと。そして崩御の時のとはずがたりの記事。(考えてみれば、この始まりと終わりの間の膨大な在位在院期間に鎌倉の源氏物語や仙覚がはいっているのだなあと、今更ですが)

タウンニュース鎌倉版コラム。第18回「後嵯峨天皇と『源氏物語』と鎌倉」を書きました。今夜一晩置いて明日送信します。これでたっぷりプールしたからやっと「写本が語る、」の原稿にかかれます。真摯な仙覚の気分に戻るでしょう。とにかく華やかでした、とはずがたり。その原点が後嵯峨天皇。

2月14日
タウンニュース鎌倉版コラムの第17回「北山准后」と第18回「後嵯峨天皇」を送信しました。で、これでひとまずコラムから離れて万葉集写本の原稿に戻ろうと思っていたのですが、記者さんに第18回に書いた時輔の二月騒動の説明を添付してたら、第19回はこれにする?って気に。お返事を待ちます。

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2017.2.12 ツイッターから転載…タウンニュース鎌倉版コラム【鎌倉と源氏物語】で新春から始めた「とはずがたりシリーズ」を実兼を通して時の政治史を書こうと!

2月8日
おはようございます。やはり薔薇はいいですね。昨日娘が買ってきた小さな花束です。

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啓蒙活動はもうやめて研究に専念しなさいというある方の声が甦りました。笑。出版社様経由で講演のお話を頂いていて今日そのお電話で「私たちを啓蒙して下さい」と仰られて。『源氏物語と鎌倉』を熱心に読んで下さって、それで講演をと。11月だそうなのでほっとしました。きらら鎌倉が会場です。

本は一人の人格者として 末永く世の中を旅していくはず…、出版社さんから頂きました。刊行から数年ちょっとたってようやく曙光が見えてきた感の昨今。『源氏物語』も『万葉集』も私の知らないところで研究者さん方のお目にとまっているらしいことが見えてきて、そのご報告に頂いた返信です。

『源氏物語と鎌倉』を出した頃は電子書籍化の機運真っ只中でした。もちろん私も憧れました。でも電子書籍でない「紙の本」が頑張ってくれて、名刺がわりにもなってくれて、今はもう紙の本さえあればの思い。活動はインターネットで広まっているらしく、私の知らないところで何かが起きてます。

2月9日
突然「二条の恋人 関東申次西園寺実兼」でタウンニュース鎌倉版コラムの記事を書きたくなり、送ってあった第15回と入れ替えようと思って読み直したらこれはこれで重要となり逡巡。鎌倉に特化して書くので実兼は外していたのですが、関東申次なら。

今は水仙の季節なんですね。昨日井の頭公園を歩いたら桜の木の下の囲みの中に水仙がたくさん植えられて咲いていました。

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梅が咲いたと思ったら今日は雪、源氏物語的風情の季節ですね、と冒頭に記しました。お相手が源氏物語をなさっている方だから。一日、朝ツイートの実兼が頭から離れず、やはり書こうと思う。それで少し関東申次を調べなければ。ちょっとしたコラムのはずが結構勉強や確認になります。

タウンニュース鎌倉版コラム。送ってあった第15回の差し替えとして「二条の恋人 関東申次西園寺実兼」を書いてしまいました。これに引きずられたらいろいろ差し支えるから後にするか迷ったのですが気分が昂揚しているうちにと。笑。やっと落ち着いて、明日から鎌倉の万葉集と源氏物語に戻ります。

2月10日
おはようございます。タウンニュース鎌倉版コラム。昨夜実兼を書いて、今日から鎌倉の源氏物語と万葉集に戻ると思って就寝したのに、その直後から「西園寺実兼は雪の曙」のタイトルが浮かんで、でもそれは時が来たら書けばいいと思うのに、今朝はもう文章が浮かんで途切れないので書いてしまいます。

「西園寺実兼は雪の曙」。書いて送信しました。実兼の流れで継続させて頂けるか、記者さんに委ねて、これから鎌倉の源氏物語と万葉集。

それにしても『とはずがたり』の世界は今更に凄い。華やかです。ずっとストイックに鎌倉の源氏物語と万葉集の古色蒼然とした研究世界に埋もれていたから目が眩むよう。笑

まだ寒々しい冬枯れの井の頭公園。今日は特に。

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メモ: 『珊瑚秘抄』奥書に「保行法師素寂」と池田利夫先生の光行年譜に。

メモ2: 『珊瑚秘抄』は四辻善成が『河海抄』に入れなかった秘説を収めたもの。河海抄について昨年秋の中古文学会で発表があったらしいけど、レジュメを入手できないか思案中です。今検索したら、河海抄は靑表紙本と河内本が対等に扱われているのだそう。そういう時代だったのでしょうね。

続。全くの個人的感想だけれど、四辻善成は順徳天皇の曾孫の子。『仙源抄』は長慶天皇。この時代まで河内本源氏物語が優位だったし、対等だったのかも。連歌師の台頭で定家の神格化が進んで靑表紙本一辺倒になったらしいけど、やはり源氏物語は皇室ゆかりの文学だから皇室の方々の扱いは違う気がする。

タウンニュース鎌倉版のコラム。とはずがたりシリーズを実兼の流れで進めることのGO!が出ました。ヨッシ、やるぞ! って感じ。楽しんで進めさせて頂きます。

2月11日
仙覚の小説と対極の世界に来てしまいました。おはようございます。タウンニュース鎌倉版コラムのとはずがたりシリーズ。昨夜実兼の流れでいくことの許可がでて、ではあと少しの鎌倉の源氏物語と万葉集に戻り完成させてしまおうと読み返したら、世界が違い過ぎて気持ちが入っていかない。驚きました。

鎌倉の源氏物語と万葉集は2月末までに終わらせようと予定を組んであるので、しばらく実兼シリーズに専念します。今朝浮かんだタイトルは「二条の縁戚 北山准后とは」。送ってある原稿が北山准后で終わっているので。二条は実兼から贈られた装束を父に北山准后から貰ったと偽って着ます。

記者さんにもお伝えしたのですが、二条の生涯を通して書くと、この時代の政治史が凄くわかりやすいです。昨夜送った原稿で恋人実兼の関東申次という役職から、朝廷と幕府の関係を書きました。今度は北山准后から、西園寺家の人脈や歴史を書いてみます。鎌倉の方にはかなり新鮮なはず。

満月@吉祥寺

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2月12日
昨夜の満月です。月の周りに一番外側が虹色の暈ができていました。月虹はこういう色なのでしょうね。撮ってもそれが撮れなくて残念。ただ何もない普通の日の満月ではこんなハレーションは写りません。

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メモ: とはずがたり。北山准后の後半後嵯峨院を書いて、その時たしか二条は六波羅探題の時輔が襲撃されて燃え上がる二月騒動の煙を見ていたはず。前後関係を確かめること。六波羅探題が鎌倉幕府側の京とのパイプ役と。→その次、後嵯峨院の即位についての背景へ。後深草院の父帝。

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2017.2.11 ツイッターから転載…共著の中の原稿「写本が語る、鎌倉の『源氏物語』と『万葉集』享受の歴史」、羽村宗禅寺様の節分会、比企の方に仙覚ゆかりの比企のお写真を頂いて、のことなど

2月2日
おはようございます。未明にポメラで打った原稿は「写本が語る…」のタイトル。うっかり鎌倉の源氏物語と万葉集の歴史がテーマと決め込んでいて、昨夜戻って、写本がテーマだったと思い出し、尾州家本源氏物語と西本願寺本万葉集がメインだったとなったら拘っていた光源氏物語抄には言及できなさそう。

2月3日
今書いている原稿は共著の中の一つなのだけど、これ、一冊の単行本にしたら面白いと思えてきた。もともとこれは小説『仙覚』の全くの学術的背景なのだから面白くて当然なのだけれど、仙覚と関係なく、この「写本が語る、鎌倉の『源氏物語』と『万葉集』享受の歴史」で一冊書かせて頂けないかしら。

うららかな陽射しの節分。明日の立春もこうだといい。毎年この季節になると立春の語が一年で一番好きだと思う。

羽村で節分の豆まきの撮影をさせて頂いての帰りです。撮影は終わってしまえばなんということないのですが、機材がいつ何があるかわからないから怖い。それが嫌でカメラマンを辞めたようなところがあるのに、結局こういう機会を頂きます。緊張にはどうしても慣れません。

2月4日
昨日の羽村宗禅寺様での節分です。子どもたちが幼児、低学年、高学年と分かれて全員舞台で豆まきを。楽しそうでした。赤鬼青鬼に扮した檀家さんが子どもたちにお菓子を配って歩いて、中には怖がってママにしがみついてお菓子を貰いに行けない子も。笑

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左下に青鬼さんが写っています。

「写本が語る、」は鎌倉における『源氏物語』享受の歴史が終わり、いよいよ『万葉集』の章に。でも、結局これを書いてみてわかったのは、私にとって「尾州家河内本源氏物語」が原点で、そこに仙覚が入ってきて「西本願寺本万葉集」となり、ドッキングして諸々のことが見えてきたのでした。

胸が熱くなりました。比企の方が比企の仙覚ゆかりの地を訪ね歩かれて写真を送って下さったのです。仙覚が敬慕した慈覚大師の足跡は比企にもっとあるとお手紙を添えて。春になったら案内しますと。嬉しいです。

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2月5日
自然体でいろいろしたいことをしてきたわけなのだけれど今までは頂くご縁がそのまま財産になっていました。でも今頂くものよりも自分の中から繰り出すことが重要になって自分のことだけに籠りたい。それは為すべきゴールが見えてきてその道程が大変ということが見えてきたから。

2月6日
おはようございます。以前ある方に仙覚の小説は700枚くらいいきますかと問われてそうだろうなあと納得。以降そんなつもりになっていました。でもそれだと2冊になってしまうと気づいて1冊がいいと思い返しています。1冊のほうが手軽にとって頂けますものね。先は遠いけど枚数で書き方も変わるし。

ずっと仙覚の小説に集中していたのに年末から講座や「写本が語る、」の準備に入ったら鎌倉の源氏物語の歴史に気分がいって仙覚が遠のいていました。そこに比企の方から写真が届いて、ちょうど「写本が語る、」が万葉集の段になって、仙覚さんが私のなかで復活しています。

2月7日
おはようございます。昨夜は京都の和久伝から取り寄せた合鴨の鍋で貴重なひとときを頂きました。私はまだ何ほどの者でもありませんからこういうお席は苦痛でしかないのですが、一夜明けた今頃になってその価値を噛みしめています。認識がいつも遅い!

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節分で節が変わって私も第二ラウンド。年末来切羽詰まって体調まで優れなくてそれこそ今年を無事に乗り切れるかまで心配したけど、今日から心機一転気を取り直して頑張ります。と覚悟したら、年末来の心配事を一掃するお便りが届き、タウンニュースコラムの校正まで。与えられた事を忠実に励みます。

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2017.2.2 ツイッターから転載…『源氏物語』の享受で漢籍関係の資料を拝読、清原家の家学のこと等。鎌倉ペンクラブ新年会。ポメラで執筆復活へ。

1月27日
素晴らしくいいお天気。スカイツリーと東京タワーが見えてます。東京タワー、こんなところから見えましたっけ……。初めて気がつきました@都立図書館

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もう一枚。いつもはこの左端の六本木ヒルズにばかり目が行ってました。

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1月28日
昨日コピーしてきた源氏物語の享受についてのご論考の中にウンベルト・エーコ『薔薇の名前』の引用から始まる方のがあって、やはり言語学者エーコの存在は大きいと可笑しかった(私がそうだから、というだけですが)です。今日は、というより昨夜からコピーの束を拝読中。

窓外のオレンジ色に輝いて沈む夕陽が綺麗……。今日はこれから鎌倉ペンクラブの新年会です。

1月29日
大手の元編集者さんでペンクラブでの私の講演を聴いて下さった時から竹御所が面白いと仰って下さる方が、昨日も早くあれを小説にしなさいと。鎌倉はあの時代の小説がないからと。論文で発表したって誰も見ない。広まらない。時間がないよ。死ぬ気で取りかかれ、と新年会の昨夜終始言って頂きました。

野性動物の生態系を壊すという壁や入国禁止問題。心痛めてもどうしようもなく見ているだけだけど、私はやっと着地した「小説を書く」という地平に立って与えられた任務を遂行するだけ。昨夜はいろんな方にそれをお伝えしました。単純に、鎌倉は遠いから体力がなくなってきているし、とも添えて。笑

連ツイ済みません。竹御所は仙覚と同い年の生まれなので、書き始めている『仙覚』ではもう誕生しています。真田丸のナレ死的にいうとナレ誕生。成長過程は、これも真田丸的に語り手の玄覚が見ていないから「書かない」。イメージとして『敦煌』の西夏(だった?)の姫みたいに登場させたい。

1月30日
ブログを更新。ツイッターの呟きをまとめて載せているのだけれど、小説『仙覚』覚書が№18。№17はいつだっただろうと遡ってみたら12月18日。それくらい仙覚から離れていました。いろいろあるにしても私には仙覚の小説が悲願。もう引きずられないようにしなければと強く思う。

1月31日
漢文訓読。白文に訓点をつけることの大変さ。親行や仙覚や実時や、みんなこういうことをしてたんですね。と、今だから思う。今まではこういう人たちが鎌倉の源氏物語や万葉集を牽引していたという歴史を巡っているだけでしたが、最近清家の家学等を読んでいるから実感して拝読しました。

そういえば光行の『蒙求和歌』。私が『源氏物語と鎌倉』を書いた時はまだ翻刻本がなく、目を通したかったけれど諦めました。先日都立図書館に行った時、気まぐれに検索したら、なんと刊行されてました。異本紫明抄も発表した後に翻刻本が。私は古いことをしている気分でしたがそうでもなかったみたい。

2月1日
おはようございます。大切な問題でお便りしなくてはならないことを抱えていて、その為に資料を読んだりして、やっと一昨夜一通したためて昨朝投函。それからまたずっと考えていて気持ちがまとまったらお便りしようと昨夜決めて寝たのですが、今朝起きたら、あ、書こう、となって書き終わりました。

お便りも原稿も書くまでの思考の時間が長くて、それでも書く時には気持ちの整理がついているのですが、いざ書き出してみると筆先(キーボード先?)から思いがけない展開が広がって、やっと本心とか本題が見えてくる。書く段にならなければダメだし、書き始めなければダメということですね。

三日月と金星とその中間に小さく赤い火星が見えています。地球照もくっきり。

夜空は澄んで、明るい群青で、綺麗。

清原氏が著われたのは頼業のときである。頼業は頼長の講座に列し、信任を得て、頼長の没落後に兼実の知遇を得た。兼実は頼業を認め、良通・良経の師とし、家司として信任。清原氏の隆運は実にこの頼業のときから。←鎌倉に下り北条実時に漢籍を教えた教隆は頼業の孫。(和島芳男氏・中世の儒学)

漢籍の側から兼実を読んだことはなかったから新鮮でした。光行も10歳の頃から漢籍を学んでいるし、その間のどこかで良通と知り合っているから、光行が後年良経を源氏物語研究の恩恵に預かった4人のうちのひとりにあげているのは、こういう地盤があったからと思っています。

久しぶりのこの時間。ようやく自分の原稿に戻ることができたから試しに書きかけの鎌倉の源氏物語と万葉集の原稿と仙覚の小説とを読み返したら、自分の原稿なのに受ける度合いが全然違う。原稿では楽しみが広がったのに小説だとど〜んと重い。普通の文章と小説ではこんなに違うんだ〜となりました。

それで仙覚は見るのを止めて鎌倉の源氏物語と万葉集を仕上げることに。寒いからPCに向かう気がせず久しぶりに放置していたポメラを出して布団に潜ったまま入力作業。電池の入れ替えからしました。ポメラ、もう使わないと思っていたのだけれどやはり入力はキーボードがいい。折り畳み式のです。

真夜中の徒然にポメラのご紹介。古い機種です。キーボードが折り畳み式になっていてこれだと新幹線の座席でも膝に載せて打てるなんて意気込んだのですが、やはり持って歩くのは重いから挫折して放置。でもこれからは活用するの、いいかも。

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