2017.3.31 ツイッターから転載…小説『仙覚』覚書(23)。秋の講演会の発打合せのことなど。
3月21日
おはようございます。昨日は終日足立遠元関係のご論を拝読していました。金沢氏のご考察も前にコピーして持っていたのですがやっと目を通した次第。ここまで遠元に深まると思ってなかったから資料の山から掘り出しました 笑。ネットからプリントしたのもあって拝読したら、それも金沢氏のでした 驚。
どうも遠元の研究は金沢氏お一人のよう。この方の考察がなかったら、私は一歩も進めなかったわけで感謝です。
ご論考を拝読していて、そうかなあ、本当かなあと感じることが時々ある。論考は一つ一つの事柄の考察だからその時は不整合に気づかないけど、小説の文章にした時に、感情という人間の問題や、時間や空間の制約で、これはあり得ないとなります。研究者さんからしたら小説でなんてと憤慨されそうだけど。
遠元を書き込んだら整いました。なんか足りない気がして堂々巡りしていました。まさか遠元にいくなんて。それから、遠元は前に書いたような教養人というのでなく立派な武士。吾妻鏡に畠山重忠が礼節をもって正しい判断をする人に描かれていますが、平治の乱で遠元がそう描かれています。
今週中にも遠元の館跡を訪ねたく思ったのですが、検索したら足立氏館跡は桶川市や大宮市など複数あって、そのどれも街なかで、そこに立って往古を偲ぶふうにはいかない場所なのであっさり諦めがつきました。
大分前から遠元の娘の一人が光能と結婚しているのが気になっていて、ネタを明かしてしまえば員茂が上洛して順徳院の北面の武士になった時に世話になるのがその人かと。基子さんの姉だから員茂には伯母。ある方にそれを話したら、小説だから大いに膨らませなさいと。いつの世も包み込むのは女性だよと。
そういえば、一昨日の金沢文庫の真鍋俊照先生のお話も、私には久々の密教でしたが、胎蔵・金剛界曼荼羅で圧倒的に胎蔵曼荼羅のほうが資料が多く残っていると。包み込むのは女性性ですね。
基子さんの姉のキャラは私の中ではもうできていて、名前は遠子さん。遠元の娘だから一字をとって。基子さんは元子さんにしたかったのを身近な知人にいるので基子さんに。親子ほども年の離れた姉妹です。しかも、たぶん、生涯会っていない。京で生まれて結婚までした人と、吾妻に生まれた人と。
3月22日
ロバート・キャンベルさんの書評を読んで騎士団長殺しを、松浦寿輝さんの対談で名誉と恍惚を拝読したくなったのですが、それは作者の手法が私が目指しているのと同じだから。一昔前のある意味象徴的に詩人といった感性だった人たちが到達した地平という気がする。なんとなくエーコ的。
今日の円覚寺様。ちょっと立ち寄って撮らせて頂きました。
今日は秋に講演させて頂く会の幹事さんとの初打合せでした。鎌倉の詩吟の会で昨年までご自分たちで勉強していられたのを、今年は外部から講師をとなって呼んで頂きました。
帰り。体力温存に努めて交通機関利用。小町通りで用を済ませて鎌倉駅に戻るのは大変だから鶴岡八幡宮前から大船行きのバスに。建長寺様通過。円覚寺様も通過。大船は常楽寺様前を通るでしょうか。常楽寺様止住からから建長寺様開山へと上られた蘭渓道隆禅師の道を反対に辿っています。
鎌倉の郵便局。バスの車窓から。
大船常楽寺様参道前@バスの車窓から。
意味の変容だな、と思った。今日話していた方と。医学系のお話が私の鎌倉の源氏物語と噛み合う。医学系の個々の事象、鎌倉の個々の事象を知識として知る必要はなく、本質を辿れば言っていることは同じ。森敦さんの意味の変容を思っていました。
3月23日
又吉さんの小説に対する姿勢、真摯でいいですね。そして村上龍さんの「作家自身にも把握できていない、無意識の領域からの、未分化の、奔流のような表現」も。まさに阿羅邪識。筆の先をたどると阿羅邪識のとうとうとした流れに行きつく、って理想です。そこが森敦さんの意味の変容。と理解しています。
真夜中のクリスマスローズ。だいぶ雄蕊が落ちたり、茎を切って短くしたりしましたが、まだ華やか。
「写本が語る、」の原稿。2月いっぱいに仕上げて手放そうと思っていたのですが、まだ抱えていて、遠元の件が一件落着したので、ではと見直したら、4月からの金沢文庫の展示に気になることがあって、それでまだ抱えていたのだと思い出しました。原稿はできたからといってそれで安心ではないですね。
どういう結果になるかわからないけれど、本当にこの原稿、今だからこそここまで書けたの思い。最初にお話を頂いた3年前の時点で活字になっていたら『源氏物語と鎌倉』を踏襲しただけだったし、去年でもまだ仙覚は書けなかった。5月締切の直前の4月。それこそ今だからこそになるのでしょうか。
3月24日
昨夜は突然源氏物語を読みたくなって中野幸一先生の正訳源氏物語から柏木を。実は先日鎌倉に行った時に遠元は終わったし道家など読みたい本は書かれてないしで、道中のお供に四苦八苦。今の私が読みたい本は私の中にある仙覚なんですね。そうしたら突然源氏物語。すうっと入ってきました。
遠元の件が一件落着していよいよ基子さんが岩殿観音に入るのですが、それを別当を三人称の描写で書こうとして詰まっていました。源氏物語を読みたくなった背後にはその打開の意味もあって、やはり私が書くのは心理小説だなあと。心は奥深く果てしないから。
連投済みません。昨夜一件の決着のメールを書いて、そうしたら夢の中でもその方々のそれぞれに決着がついて、どうやら私は一つの立脚点に立ったみたい。社会的動きをしていると流されるしどれも大切である意味「切る」ことができないけど、切ることができた上でしか仙覚は書けないと決めました。
気になる雲。たぶん福島県沖方向からの発生。熊のジョンみたいな感じが伸びて細長くなっていました。
同じ雲の伸びた先端。茨城・千葉県方向です。