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2017.3.8 ツイッターから転載…小説『仙覚』覚書(20)。「写本が語る、鎌倉の『源氏物語』と『万葉集』享受の歴史」がほぼ終わり、仙覚の小説に戻りました。

3月1日
「写本が語る、鎌倉の『源氏物語』と『万葉集』享受の歴史」。注を入れてほぼ終了。最初文字数いっぱいに書いてしまい、依頼書を見直したら図版を一枚は入れることと。それも文字数に含めるとのことで削って削って頑張りました。笑。使わせて頂きたい写真の使用申請をしなければならなくなりました。

日付が変って三月なんですね。新年が明けたと思ったらもう二ヶ月が過ぎて。あっという間の二ヶ月でした。いろいろあって濃密で苦しかったかといえば苦しかった。でもなんとか乗り越えて、原稿もできて。春になって、取材の遠出もしたいし比企へも行きたい。そう、比企の方にこの原稿のご報告をします。

今日のクリスマスローズです。

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3月2日
外は雨。でも3月に入ってどことなく暖かです。さすがに雪景色の壁紙は合わないからとりあえず探して変えました。ほんとうは真夏でも雪景色で通したくその時は思ったのですが。

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日蓮が鎌倉小町に辻説法を為した時、仙覚はその附近で万葉に親しんでをり、……、就中、仙覚をしてその万葉学を大成せしめる機縁となつたのは、水原抄の著者なる源光行の子の親行である。(佐佐木信綱博士『仙覚及び仙覚以前の万葉集の研究』より)

佐佐木信綱博士の仙覚にかける情熱の強さ、思いの深さがほんとうに好きです。大正末から昭和初期と思うですが、その頃すでに今ある仙覚についての研究がほぼし尽くされていることに驚きます。これはもう、これ以上後人がすることはなかったのも肯けるなあと。拝読し直していますが新鮮!

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玄覚。『仙覚抄』は仙覚が晩年近くなって比企の小川町で成した『万葉集註釈』の別名です。その仙覚自筆の本を玄覚が人に教えて書写させたという奥書が残っていて、従来、玄覚は仙覚の弟子とされてきました。でも私は仙覚の子と思っています。

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ご参考までに鎌倉比企谷の歴史を。建仁三年比企の乱(比企能員滅ぶ)→竹御所の菩提寺新釈迦堂建立(竹御所は比企能員の孫)→仙覚が住持としてそこに住む→仙覚が寛元本万葉集を完成……→玄覚が仙覚抄を書写。と、こうして並べると一目瞭然のものがあります。

山中智恵子さん『「明月記」をよむ 藤原定家の日常』。私の大切な一冊です。

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今朝のクリスマスローズ。別の蕾も開きそうです。

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クリスマスローズ。たくさん咲いて素敵。まだ蕾、あります。

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今日から仙覚の小説に戻ろうと決めたらもうわくわく感が。歴史と文学はほんとうに違う。鎌倉の源氏物語で慣れない歴史探索をしていたから文学的感性からすっかり遠ざかっていて、今その感性が枯れていないことを確認して、楽しい。歴史探索はあと金沢文庫関係。4月になったらお邪魔させて頂きます。

長かったです。鎌倉の源氏物語問題に携わって。当初専門の方からは物凄い反発で大変でしたが、市民の方が「私たちに源氏物語があったなんて!」と驚かれ、これは絶対普及させるとの固い信念の下で何回も講演をさせて下さって、いつのまにか一般認識になりました。なので任務終了気分の鎌倉撤退です。

1月17日に入力したのが最後の原稿。打ち出してみました。タイトルを仙覚とするのは地味すぎると仰って下さる方もいるのですが、たぶんこれでいくことになると思います。万人向きというよりも歴史と国文学の学生さんに読んで欲しい。

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鎌倉文学館に展示されていたのを古書で入手したのが今日届きました。キャプションにあったこのお歌、字数が足りなくて何度も見なおしたのですが。届いたご本で調べたら「むち」が抜けていました。改めて、「比企が谷いにしへ人の精進つよき心おもひてむちうつ我に」です。

谷戸は、奥が行きどまりの狭い空間だから、はけ口のない空気が溜まって知らず知らずしてひとつの生命体となり往時のままの時間を風化させずにとどめている。その谷戸のひとつひとつに固有の歴史が刻まれており、比企谷はそういう谷戸のひとつである。(『仙覚』より)

打ち出した原稿を読んでいて勝手に昂揚。笑。こういう文章、歴史では書けませんものね。陶酔とか自己満足とかいわれても仕方ありませんが、彫塑していく醍醐味が創作にはあります。

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3月3日
おはようございます。昨日任務終了気分の鎌倉撤退と呟いて、ああ、これが本心なんだなあと認識。そしてよくして頂いた鎌倉の方々を思った時に街と一緒にその方々が浮かんで、これは仙覚がそうだった感覚だと気づきました。仙覚に寄り添う気持ちです。

仙覚は宮騒動で仕えていた第4代将軍頼経を失い、鎌倉を離れます。そして第6代将軍宗尊親王に万葉集を献上して順調に滑りだしたと思ったら親王が更迭されて帰洛。再び仕えていた人を失い、鎌倉を離れて比企に。自分の居場所が鎌倉ではないことを痛感しながら鎌倉を去ったのではないでしょうか。

といっても鎌倉とのご縁はずっと続いていますし、明日は鎌倉。建長寺様の鎌倉禅研究会もあります。5月には腰越の生涯学習センターの講座。どれも大切にしていきます。ただ私の本分はあくまでも文学で、それだけが中心になったということです。ここまでにさせて頂いた鎌倉に心から感謝しています。

昨夜は岩殿観音について読みながら就寝。調べることができてきました。

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