2017.4.23 ツイッターから転載…小説『仙覚』覚書(30)越後の女性、『「法華玄義」入門』のこと。腰越の講座の募集が始まりました&タウンニュース鎌倉版コラム第16回が掲載されました。
腰越学習センター講座【鎌倉と源氏物語ーその華麗な歴史絵巻ー】のチラシです。
5月20・27日(土)午後2時〜4時。場所:腰越学習センター。無料。往復ハガキにて応募。5月10日必着。問合せ:0467-33-0712
4月20日
『法華玄義入門』を読むほどに仙覚が大変な生涯だったにも関わらず万葉集に精魂傾けられたかがよくわかる。仙覚はやはりただ万葉集を好きだったからとかでなく、天台宗僧だったのですね。これは国文学的観点からだけでは見えて来なかった問題。仙覚の小説、万葉集研究史でなく精神史になりそう。
疲れたので早々に就寝し3時から起きて読んでいました。読むほどに私も心が澄んでいくのですが、これって久しぶり。というか、初めての気がする。天台宗。空海の密教から仏教に入ったから一番対局的な宗派として一生ご縁がないものと思っていたのですが。これからまた寝ます。おやすみなさい。
改めておはようございます。天台宗の祖智ギは法華経の薬王菩薩本事品二十三まで読み進んで「突然身心がからっとして静かに禅定に」入られたそう。私は遺跡発掘調査で経石に書かれた法華経を読んでいるから大体の内容は知っているけど物語的内容の経典で智ギがご悟った事に驚きました。教義でないのに。
法華経は具体的な物語形式で綴られていて、それがどういう教え(教義)かは書かれてない。しかも智ギは読んでいたのであって坐禅をしていたのでもない。このあたり、私の今までの仏教に見ていたものと全然違って、???、です。修行が足りない! 笑
4月21日
おはようございます。タウンユース鎌倉版コラム【鎌倉と源氏物語】第16回「朝廷と幕府の取り次ぎ役 西園寺実兼は『雪の曙』」が掲載されました。http://www.townnews.co.jp/0602/2017/04/14/379481.html
『とはずがたり』で書くことがあるなど思ってもいなかったから、京都を訪ねても写真を撮ってなくて掲載の写真に悩みました。でも、ふと気がついて、鎌倉に特化したとはずがたりなのだから、実兼が関東申次時代に建立された円覚寺様なら時代がよくわかっていいかな…、となって撮らせて頂きました。
『「法華玄義」入門』の本の栞紐。平織りの先が磨り減って細くなった先端が辛うじて本からはみ出す長さしかない。平織りでさえなくなっていて使いたい気が起こらないでいたのだけれど、今ふっと使ったら、あっ!、となりました。丁寧に何度も何度も繰り返し同じ頁を読む頻度が高い本だからなのだ〜と。
天台教学の根本構造は、三観によって三惑を破り、三諦を観察し、三智を完成することです……。というような文章が並んでいるのですが、不思議と心が落ち着きます。智ギが教義でなく物語で悟りを得たことが脳裏から離れず、いわば人の振り見てみたいな、頭で理解することの対局にあることなのかと。
こういう心の落ち着きを仙覚が持っていたとしたら、それは強いわ〜、と納得。万葉集 に生涯をかけた精神力は天台宗寺院 に育ったからですね。単に悉曇という具体的な示唆を得ただけではなかったんです。定家が摩訶止観に法名をとるほど傾倒したのもわかります。
4月22日
おはようございます。玄覚の母という人は越後の女性。史料に全く登場しないから悩んでいました。が、昨夜、越後の人なら書けるじゃない〜という気が。律子さんという名前にしようかとも。母の母。祖母です。名前の通りの人だったと聞いています。人間は科学で滅びるよと言ってたそう。明治の人なのに。
と、そんなことを考えていて、仙覚は律子さんに素性を明かしただろうかと考えて、明かさなかったとすることに。仙覚は一生例え心を許した人でも明かさなかった。ただ玄覚一人を除いては。律子さんはそれを感づいてはいるけど黙認。越後の女性の強さを書きます。為兼の遊女初君もそうでしたものね。