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2017.4.23 ツイッターから転載…小説『仙覚』覚書(30)越後の女性、『「法華玄義」入門』のこと。腰越の講座の募集が始まりました&タウンニュース鎌倉版コラム第16回が掲載されました。

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腰越学習センター講座【鎌倉と源氏物語ーその華麗な歴史絵巻ー】のチラシです。
5月20・27日(土)午後2時〜4時。場所:腰越学習センター。無料。往復ハガキにて応募。5月10日必着。問合せ:0467-33-0712

4月20日
『法華玄義入門』を読むほどに仙覚が大変な生涯だったにも関わらず万葉集に精魂傾けられたかがよくわかる。仙覚はやはりただ万葉集を好きだったからとかでなく、天台宗僧だったのですね。これは国文学的観点からだけでは見えて来なかった問題。仙覚の小説、万葉集研究史でなく精神史になりそう。

疲れたので早々に就寝し3時から起きて読んでいました。読むほどに私も心が澄んでいくのですが、これって久しぶり。というか、初めての気がする。天台宗。空海の密教から仏教に入ったから一番対局的な宗派として一生ご縁がないものと思っていたのですが。これからまた寝ます。おやすみなさい。

改めておはようございます。天台宗の祖智ギは法華経の薬王菩薩本事品二十三まで読み進んで「突然身心がからっとして静かに禅定に」入られたそう。私は遺跡発掘調査で経石に書かれた法華経を読んでいるから大体の内容は知っているけど物語的内容の経典で智ギがご悟った事に驚きました。教義でないのに。

法華経は具体的な物語形式で綴られていて、それがどういう教え(教義)かは書かれてない。しかも智ギは読んでいたのであって坐禅をしていたのでもない。このあたり、私の今までの仏教に見ていたものと全然違って、???、です。修行が足りない! 笑

4月21日
おはようございます。タウンユース鎌倉版コラム【鎌倉と源氏物語】第16回「朝廷と幕府の取り次ぎ役 西園寺実兼は『雪の曙』」が掲載されました。http://www.townnews.co.jp/0602/2017/04/14/379481.html

『とはずがたり』で書くことがあるなど思ってもいなかったから、京都を訪ねても写真を撮ってなくて掲載の写真に悩みました。でも、ふと気がついて、鎌倉に特化したとはずがたりなのだから、実兼が関東申次時代に建立された円覚寺様なら時代がよくわかっていいかな…、となって撮らせて頂きました。

『「法華玄義」入門』の本の栞紐。平織りの先が磨り減って細くなった先端が辛うじて本からはみ出す長さしかない。平織りでさえなくなっていて使いたい気が起こらないでいたのだけれど、今ふっと使ったら、あっ!、となりました。丁寧に何度も何度も繰り返し同じ頁を読む頻度が高い本だからなのだ〜と。

天台教学の根本構造は、三観によって三惑を破り、三諦を観察し、三智を完成することです……。というような文章が並んでいるのですが、不思議と心が落ち着きます。智ギが教義でなく物語で悟りを得たことが脳裏から離れず、いわば人の振り見てみたいな、頭で理解することの対局にあることなのかと。

こういう心の落ち着きを仙覚が持っていたとしたら、それは強いわ〜、と納得。万葉集 に生涯をかけた精神力は天台宗寺院 に育ったからですね。単に悉曇という具体的な示唆を得ただけではなかったんです。定家が摩訶止観に法名をとるほど傾倒したのもわかります。

4月22日
おはようございます。玄覚の母という人は越後の女性。史料に全く登場しないから悩んでいました。が、昨夜、越後の人なら書けるじゃない〜という気が。律子さんという名前にしようかとも。母の母。祖母です。名前の通りの人だったと聞いています。人間は科学で滅びるよと言ってたそう。明治の人なのに。

と、そんなことを考えていて、仙覚は律子さんに素性を明かしただろうかと考えて、明かさなかったとすることに。仙覚は一生例え心を許した人でも明かさなかった。ただ玄覚一人を除いては。律子さんはそれを感づいてはいるけど黙認。越後の女性の強さを書きます。為兼の遊女初君もそうでしたものね。

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2017.4.20 ツイッターから転載…小説『仙覚』覚書(29)玄について。「広報かまくら」に応募要項が掲載されて、腰越の講座【鎌倉と源氏物語】の募集が始まりました。

4月16日
おはようございます。白い山吹も咲きました。滝のように枝垂れる黄色い山吹が入り込んできています。シロヤマブキは山吹とは別属らしいですね。枝垂れずに立木のままです。花弁が4枚。山吹は5枚。

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4月17日
おはようございます。昨夜船越英一郎さんの京都の極みで善峯寺を観てやっとほっと。山寺なんですね〜。ガイドで読んではいたけど。都幾川の慈光寺に似た雰囲気でした。とても。山寺の上に学問道場的な場だったことが同じだからでしょうか。桜が全山覆っているところも。伽藍は新しいそうで残念でした。

善峯寺までタクシーで行けるとしても、境内に入ってからもあの石段。船越英一郎さんも最後には足が疲れて躓かれてました。山頂からの眺めの京都市内は見たいけど行ったら一ヶ月は疲労困憊になりそう。(カメラが重いし)。気持的にもう諦めています。行かなくても敦煌や水駅の例もあるしと。

自著を語るという寄稿のお話を頂いてパワポの後と思っていたのに朝から冒頭が湧いて今日書くことに。『源氏物語と鎌倉』。刊行から数年も経っているのに鎌倉の方が大切に思って下さるのが嬉しい。源氏物語と万葉集は世界に関する文学ということをこれから強調しようかな!鎌倉を抜けて。世界的視野に。

『源氏物語と鎌倉』は2011年12月の発行。それから鎌倉で普及活動をして数年になります。フォロワーさんの中には飽きてしまわれた方もいられると思いますが、文化の普及には時間がかかります。当初3年は見たのですが数年たってやっと曙光が見えたところ。一般市民の方に拡がるまでまだまだです。

その間に仙覚が私のライフワークになりました。なので気持的に今は『万葉集』に以降。活動と並行して。

通りすがりの小学校に鬱金の桜が。午後の授業開始のチャイムとともに。

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今日は自著を語るを書いてしまう予定だったのに、道中のお供で持って出た『『万葉集』における帝国的世界と「感動」』を拝読したらのめり込み、それから悪天候予報の対処にDIYめいたことをしたらすっかり気分が拡散。夜になって書き出してみたのですが核心が見えない。明日から多分パワポです。

4月18日
おはようございます。一番ひどい予報だった3時から6時を気づかずに眠っていたのでどんな状況だったかわからないのですが、庭は荒れてません。昨夜の自著を語るが書けなかった愚痴ツイートをくだらないから削除しようと思ったらRTされていて、?。理解不能になりました 笑。今日からパワポです。

腰越の講座のパワポ編集に入りました。最初に時間をかけて金沢文庫の紹介をします。鎌倉の源氏物語は金沢文庫から始まるのに、鎌倉の方がほとんどご存じないので。当主は3人。こちらは創設者の北条実時。尾州家河内本源氏物語に奥書を残されました。

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金沢文庫第2代当主北条顕時です。少年時代から宗尊親王に近似しているから優しい文人タイプの方。後に禅宗に帰依します。霜月騒動では妻が安達泰盛娘だから下総に配流されますが、復帰後は人柄で幕府内で頼られる人に。個人的に私は1番この方が好き。

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金沢文庫第3代当主北条貞顕です。長く六波羅探題に就任し、その間に京都中の名園を見て回り、それを生かして鎌倉に帰ってから称名寺の庭園整備に着手。それが現在の称名寺の浄土式庭園です。鎌倉滅亡時には高時らと東勝寺で自害して果てました。

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と、三人の金沢文庫当主の方々をご紹介させて頂きましたが、三人の生涯をたどると鎌倉時代後半の政治情勢や人間関係、文化等が具体的に見えてきます。それほど金沢文庫は鎌倉と密接な関係にありました。三人の方々の肖像画は国宝で、4月28日からの特別展「国宝 金沢文庫展」に出展されます。

追記:別に私は金沢文庫の回し者ではないのですが、私と金沢文庫の関係はたまたまで、文学に挫折して苦しんで仏教に救いを求めた時、その講座の講師の方が金沢文庫の主任学芸員(後に文庫長)でいらして多くを教えて頂いて、そうして展示毎に通うようになったら名品展で源氏物語をみつけたのでした。

メモ:「玄」は奥深くてよく見えないことを意味します。特に『老子』において道を指す言葉として使われたことから道家思想において重視される言葉となったようです。したがって「玄義」は奥深い思想内容といった意味と捉えることができると思います。(菅野博史氏『「法華玄義」入門』より)

4月19日
パワポの編集は、冒頭に金沢文庫歴代当主の紹介を入れようと思って始めたのですが、やはり最初に【鎌倉に「尾州家河内本源氏物語」という『源氏物語』の写本がありました】と、いつもの雅な流れで始めたくなり、「夢浮橋」巻に北条実時の奥書がある→金沢文庫の紹介、の順にしました。

定番になった講演の冒頭のスライド。ここから源氏物語の写本のドラマが始まります。最後は「鎌倉の滅亡時に流出して、現在は蓬左文庫の所蔵になっています」と。原稿的に考えている時は主人公は光行さんなのですが、パワポでは写本が主役です。

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メモ: 道教まで遡らなくても、玄覚の玄は『法華玄義』の玄でいいかも。『摩訶止観』と並ぶ天台三大部のひとつというし仙覚は読んでいたはず。なんとなく仙覚に摩訶止観の匂いが感じられないでいたのだけれど、法華玄義には感じる。摩訶止観は実践、法華玄義は教義。そんなところにあるのかも。

4月15日号「広報かまくら」に応募要項が掲載されて、腰越の講座【鎌倉と源氏物語】の募集が始まりました。定員30名で市内在住の方優先だそうです。もうお問合せが数件きているそうです。鎌倉も源氏物語も、漢字で見るだけで華やかですものね。

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通常は講座名だけのところを、広報の担当者さんの特別のはからいで、「鎌倉の河内本源氏物語写本に関わった人々についての講座」と内容も入れて頂いたそう。ありがとうございます! 特に「写本に関わった」がいいですね!

しつこく済みません。以前、多摩の交流センターの日曜講座でした時、徹底して写本メインでお話したら、終了後に「展覧会に行っても写本は地味だから飛ばしてたのに、写本にこんなに深い思いが込められていたなんて。今度から写本を見ます」とご感想を頂いて嬉しかったです。

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2017.4.16 ツイッターから転載…小説『仙覚』覚書(28)時房とジバゴ。渡辺麻里子氏「天台仏教と古典文学」より『源氏物語』と天台宗。腰越の講座のレジュメ作成など

4月13日
おはようございます。昨日は時房の父時政について読んでいてイメージ一新。なんと伊豆の館では京都系の手づくねのかわらけが出土していて、それが頼朝の幕府開創以前のものという。つまり時政はこの時期すでに京と交流してその文化があったんです。

さらに15,6歳頃、同世代の伊豆守吉田経房と親しくしていて、それで京都守護として在京した時、経房を介して後白河院との折衝も楽にいったと。頼朝から何の地位も授けられない伊豆の地方武士と、どこか侮った見方をされている時政でしたが、それは発表されている学者さん達の偏った見方なのでした。

光源氏のような時房が何故突然変異的に生まれたかが謎で、それは京都の女性が母親だったからとしか思えないとして、時政の在京時期を調べたらこういう結果に。時房がこの伊豆の館で生まれ育ったかなど、時期や位置の整合性はまだ探っていませんが、一般に普及している歴史上の人物のイメージが学者さん方の上から目線ということは仙覚や光行で経験済です。

先週お知らせ頂いたタウンニュース鎌倉版コラムの掲載。14日の予定でしたが延期になりました。関東申次西園寺実兼で関東申次を調べたら吉田経房が初代とわかり、その吉田経房が仙覚の小説にも関係してきてさらに昨夜時政にまで。まるで縦横無尽の網の目状。人と人、時間との繋がりが歴史ですものね。

昨日の井の頭公園です。花びらが散って花筏ができていました。風が吹くと花吹雪になるのですが、もう花びらが足りないからブリザードみたいにはならず残念でした。

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仙覚メモ: 「似ている……」と、時房は思った。← 成長した仙覚に会った時房が呟く。時房は比企時員の蹴鞠仲間だから仙覚の素性をその時直感する。← と、これは重要。超重要。どこで会わせるか、それはずっと先だけれど。← ドクトルジバゴのラストが浮かんだら突然この発想。仙覚=トーニャ。

時房と基子さんをずっとどのようにしようか考えていて、なんとなくドクトル・ジバゴが浮かんだのでした。ということは、基子さんはラーラ?

何かがはじけてしまいました。やっと本業の作家に戻るのでしょう。長かった。ここに来るまでの道。

4月15日
おはようございます。仙覚の小説、今まで私は20年来二人三脚のようにして文学を共にしてきた先輩の方がいるのですが、彼女が昨年手術をされて回復が思わしくなく心配していました。彼女に捧げる本にだけはしたくないから存命中に仕上げないとと悲壮な覚悟をしています。先週彼女から大丈夫ですと連絡があって、心からほっとして書き出している仙覚の小説をお送りしました。

今朝メールを頂いて、毎日絵のようにして読んでいますと。絵のようにというのは人物相関図のこと。『源氏物語と鎌倉』のように系図があるといいと。薔薇の名前のように1冊になれば一気に読めるでしょうけれど、まだ無理ですね。

青空に木蓮が映えています。

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プランターに自生している菫も咲きました。

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滝のように枝垂れる山吹が綺麗です。

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今武蔵野の雑木林の中を歩くと菫が群生しています。菫はほんとうにいいですね。なんか感動します。我が家のプランターの菫はそういう野の菫がふとしたことで自生するようになって、毎年咲いてくれます。

たしか今日は善峯寺の船越英一郎さん京都の極み放映日。「桜の花びらがぽっと現れ、私は突然書く決意をした」で始まる玄覚回想録形式の仙覚の小説。桜の季節には訪ねたいと願いながらまだ叶っていないのですが、考えてみたら春に書き始めたのだから完成は五月とかで、訪問はその頃でいいとなりました。

大いなる勘違い。今日がてっきり16日の日曜日だと思ってのツイートでした。だから放映は明日。本局に郵便物を出しに行って、明日届きますかと尋ねたら、明日は通常配達がないのでと言われ、?、となって帰りました。明日が日曜日なら配達がないくらい知ってたのに。速達にしました。

笠間書院様のツイートに触発されて『『万葉集』における帝国的世界と「感動」』を購入しました。万葉集は今でも世界的文学ですが、もっともっと世界に広まればいいと思います。トークイル・ダシー氏は『アナホリッシュ国文学』創刊号の万葉集特集号でもお馴染みの方。いいですね!

用があって久しぶりに取り出した始めて書いた論文「冷泉為相と武州金沢称名寺」。参考文献の五味文彦先生『明月記の史料学』が科になっていて、それをご指摘頂いたのが『蹴鞠の研究』の桑山浩然先生。もう亡くなられて何年になるでしょう。何も知らないで書いていた頃の懐かしい思い出です。

図書館に行ったらあったので借りてきたのですがこういう本をじっくり読みたいのですが…。摩訶止観と共に天台三大部のひとつ。ほんとうは仙覚の精神を知るにはじっくり読まなくてはいけないんですよね。仙覚の小説、早く出したいとどこか焦ってます。

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慈光寺の桜はどうかしらと以前訪ねた時の写真を見たら、これが2012年4月24日。今頃が最盛期? 去年は4月12日でもう咲いていました。慈光寺、なんか懐かしくて胸がきゅんです。仙覚を調べ出して訪ねるようになって何回行ったでしょう。

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「賢木」では、雲林院に参籠した時のことに、「六十巻という文読み給ひ」とあり、智ギの三大部に加え、湛然の『法華文句記』『法華玄義釈籤』などを読んでいる場面が記されている。また「橋姫」の一節で宇治の大姫・中君が琵琶を合奏した折「扇ならで、これしても月はまねきつべかりけり」と述べる場面には『摩訶止観』巻一上の一節を利用していると指摘されている。このように、『源氏物語』には、天台思想を反映した箇所が多く見出される。(中略)ここまで見てきたように、平安貴族や王朝の女性たちの『法華経』や天台三大部の理解はかなり深く、天台の教学にも精通していた。なぜそこまで深めることができたのであろうか。清少納言や紫式部が天台の教えに詳しいその理由として、実際の生活の中で、作品内の世界同様に頻繁な公私の法会があり、法華八講などで経文の講説を聞く場面が多くあったから知識が備わっていた。(渡辺麻里子「天台仏教と古典文学」)

腰越の講座の第一回目の配布資料を作って送付完了。今日からパワポの編集。しばらく仙覚の小説にはかかれないから、ちょうどいいからその間天台の教学などぱらぱらと拝読することに。天台宗の僧侶の方がほんとうに身近にいられなくて、天台の教義の中心てなんだろうとそればかり考えています。

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2017.4.13 ツイッターから転載…小説『仙覚』覚書(27)基子さんのキャラ設定と時房。広尾の図書館に行ったことや桜のこと等

4月9日
メモ: 光能が福原京にいた時光行と知り合っている。光能亡き後、遠子は光行と交流して源氏物語に深まる。平家滅亡の後、鎌倉に下った光行は遠子の妹の基子を知り、基子が京の遠子から源氏物語を贈られて読んでいるのを知って仲が深まる。と、こんな関係が書ける? 祖父・父・娘くらいの年齢差。

仮寝して起きました。執筆にかかるとこの時間帯になるのはたぶん身体がそれに慣れているから。前後不覚に仮寝を要求してきて起きた後はサッパリ。源氏物語ファンの基子さんを書いたら俄然話が膨らんだのですが、今これを岩殿観音の章に入れたら比企の乱の悲劇が中断されてしまう。いつか入れたい。

おはようございます。ボードレールの誕生日だそうですがほんとうに文学の力は大きいです。昨夜基子さんが源氏物語に憧れる少女だったと書いて、繰り返し繰り返し読んでいるうちに人生を知ったと自動筆記的に書いたら、続けて、それが基子を生かし、父仙覚を生かしたと。玄覚の回顧録で構成しています。

摩訶止観。図書館に行かれず入手できないまま原稿にかかったらもう余念がいらなくなってそのまま原稿に没入。遠子さんを陶子に変更。基子さんの身体的キャラに迷い中。昨夜ついに基子さんが岩殿観音に到着しました。次の段落で時房を書きます。複雑な役割で重要なキャラになる予感。想定外の展開。

緊急に岩殿観音にロケに行きたいのですが、体力が。今週中にでも行かなかったら原稿が先に進んでしまう……。岩殿観音はもう何回も行ってるのですが、書き始めたら行ったことのない一画。盲点でした。

たおやかなお人じゃ、と刑部は感じた。←基子さんのキャラに対して初対面の相手にそう呟かせることにしました。で、意味を間違っているといけないので確かめたら、姿・動作の美しいこと、とありました。

伊豆大島近海のところに複数の地震が重なっています。 (複数重なっているから黒い丸の一つに見えています)

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気象庁地震情報を見たら、9日18時9分M2.5が最初だったようです。

4月10日
おはようございます。といっても私はこれから就寝。昨日書いた基子さんのキャラが不満で終日考えていたら、たおやかな人の語が浮かんで、そうしたら流れが合わなくなって基子さんの段は最初から仕切り直し。時房について調べたら容姿端麗、所作優美と。これはますます想定外に時房が膨らみそうです。

仙覚の小説なのにまだ仙覚は生まれてません。なのに時房が膨らんでしまって、どうするの! とは内心の声。時房は竹御所の臨終にも関係してきます。鎌倉は若宮大路脇に時房邸跡碑がありますよね。もっと知名度の高い他の武将の方々のは無いのに、なぜ時房だけ? とずっと疑問。

とんでもない展開を思いついてしまいました。それは刊行するまでここには書きませんが、もともと仙覚は誰かの研究発表を論文でなく小説の形態で書こうとしていたものだから真面目すぎるとは思っても、それでいいとしていました。が、ここにきてこの展開。これぞ小説というところに来たと思います。

これだと、たおやかな人の基子さんが書ける……。やはり小説を進めようとしてプロットどおりに書いても無理。結局自分で面白くないんです。

たおやかな人、の語に誘発されて昨日までとはまったく違う描写で文章が進んでいます。崖、まで登場して。

若宮大路沿い、鶴岡八幡宮に向かって左側にある北条時房邸跡碑です。小町通りに抜ける路地を入るとすぐにありました。割と鶴岡八幡宮寄りの場所です。

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明日は満月なんですね。カレンダーを見てふと気づく。私は今月何を充実したのだろうと考えて、今書き進めている基子さんと時房の関係の構築がそうだ! となりました。今日は全身全霊をあげて没頭。それほど進んでいませんがいい手応え。疲れました。

4月11日
深大寺の近くの公園にある枝垂桜です。今年はお花見に行かれないから過去の写真を。2015年撮影です。2008年から毎年、毎日近辺の桜を撮りに行っていました。なので勢いの変遷がわかります。この頃が最盛期でした。

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深夜に浅田真央さんの引退を知って見ていたTVでのどなたかの発言。記録は薄らぐけれど記憶は消えない。ほんとうにそうだと思います。

時房のことで観念の想起ということを考えているので真央さんに向けた記録と記憶の違いの言葉が心に沁みました。私がプロット的に書き進んだ時の文章は記録。時房についてとんでもない思いつきをしてそれを考えていたらじわじわとセリフやシーンが浮かんで、これが想起。心に深く入り込んでいます。

雨の有栖川宮記念公園の枝垂桜。

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広尾の都立図書館で時房と天台宗の教義についてコピーして来ました。

4月12日
おはようございます。昨日図書館でコピーした時房の資料を読みながら帰ったら、時房は母が足立遠元の娘となっていて、え、遠元娘は妻じゃないの? と衝撃。それでは仙覚の小説の構想が成り立たなくなります。心を落ち着けて深夜今迄見ていた資料や系図等をあたり、私なりに決着をつけました。

原因は足立系図の遠元娘の項に「修理権大夫平時房朝臣遠江守時直等母也」とあること。これは時直の母と解釈すべきで、時房朝臣の次にあるべき「妻也、」の文字が抜けているのだと思います。系図を見て年齢的に不具合と思ったら確かめてから論文なり活字なりにすべきですよね。

ということで仕切り直しですが、内心焦ったからすっかり昂揚していた気分が抜けてしまいました。が、ここで書いておくと、時房は思った以上に光源氏的魅力のある武人でした。政子に従って上洛した際、後鳥羽院の蹴鞠に子息の時村と参加したりしています。これから時房の雅の原点を探します。

半日陰ならフォスタがいいと以前mixiで教えて頂いていろいろな種類のフォスタを集めました。まだ芽が出ないのもあるのに、こちらはこんな。

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土筆が出ていました@井の頭公園

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今日は『源氏物語と鎌倉』を出して下さった銀の鈴社さんが、今年の刊行カタログに紹介して下さって、それが届きました。「紙の本への感謝」。心を込めて書きました。こちらが研究書として出して下さっての今の活動があります。

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最初私の講演が写真が綺麗だからムック本のようなガイドブックで出しませんかとのお申し出でした。でも折角出すならと溜めていた論文三本を持参したらその場で研究書でいきましょうと。それが学会の理事の方のお目に止まって、建長寺様の研究会でも語らせて頂いて。という流れです。

井の頭公園の夜桜を観に行って来ました。

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2017.4.9 ツイッターから転載…小説『仙覚』覚書(26)。庭仕事が終わったらすっかり健康的になって気分が変り、仙覚の小説を書き進めています。

4月6日
茂みに茂った木工薔薇の茂みを切って空間を作ったらこの家に来てすぐ植えた蔓性の白薔薇の幹が見えて、こんなに逞しくなっていたのか!と感動。延びた枝をいろいろ引っ張ってアーチを作りました。咲くのが楽しみ。

昨日くらいまで庭仕事を早々に終えて仙覚の小説にかかると悲壮な覚悟をしてたはずだったのに……泣。気持ちもたしかに仙覚に入っていたはずなのに庭仕事という健康な作業が作業の完了とともに心身ともに健康をもたらしてしまいました。この勢いで腰越の講座の準備をするのが正しいのでしょう。多分

小さな小さなブルーベリーの花の蕾。蜜蜂が一匹移植したばかりのブルーベリーの木の周りをずっと飛んでいるので、まだ花も咲いてないのにと目を凝らしたらこんなに小さい花の蕾が。自然は凄いなあと朝から感動。蜜蜂が教えてくれました。

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今咲いているのは紫の色がとても綺麗なこの花。冬の間放置していたのですが、冬も葉の緑が保たれていて強いなあと思っていました。蔦の茂みに混じって咲いてくれています。(どうも私は蔦とか蔓性とか、茂るのが好きで……)

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おはようございます。というわけですっかり仙覚の悲壮な境地から離れてしまった最初の朝です。仙覚は自分が不幸でなければ書けないから必死になって大変な境地に自分を追い込んでいたのですが。昨夜はもう歴史ものにも気が向かず考えて手にしたのが円仁。小説に入ったらすぐ必要になるから準備です。

この世界にだけは足を踏み入れたくなかった。道教。順調に書けるとばかり思っていた仙覚の小説の岩殿観音の章が先送りされて、その間に準備するよう仕向けられたのがまさかこれだったとは。円仁が唐に向かう途中に新羅の人から道教の示唆を得て帰国後も比叡山に。仙覚の仙はまさか神仙思想の仙?

昨夜突然円仁が復活して、そうしたら朝になって、道教だ!、となりました。久々の地元の図書館に円仁の入唐求法巡礼行記を借りに来て道教関連の本も物色。今まで仙覚の仙は素性を隠して生きる、すなわち身を隠して仙人のように、の漢字選択と思っていたのですが、もっと積極的なのかも。

円仁『入唐求法巡礼行記』より。承和5年(838)7月23日。円仁ら三人の僧はぜひとも天台山に行きたい一心で、赤山院にふみ留まっている。何度も旅の行程を聞いたところでは、天台山目指して南に向かって行くにはその道のりはとてつもなく遠いという。しかし、聞くところによると北に向かって巡礼するなら五臺山があり、この地から行くと二千余里ばかりであるという。いつも五臺山の聖跡について聞いてみるのだが、非常にすばらしいものがあり、こういうことを聞くと、いま滞在している赤山が五臺山の聖境に近いことを大変喜ばしいことと思った。

円仁は日本に帰る船に置いて行かれて茫然として赤山院に居住することになり、そこで五臺山の話を聞き天台山を諦めて五臺山に。←これ、実際に円仁が書いている文章。こういうものが読めるなんてと驚きです。鎌倉時代でも読まれていて日蓮が言及した文章も。仙覚も読んでいたと私は考えています。

でも入唐求法巡礼行記では円仁は道教については書いてられませんでした。赤山院は新羅の張宝高が建てた道教の聖地。中国山東省にある。円仁が遺言で弟子たちに無事に求法の成果を得て帰国できたのは赤山神の守護によるものだから勧請するように言い、弟子たちにより創建されたのが比叡山の赤山禅院。

ということは、円仁自体に道教信仰があったわけでなく、仙覚がそれを知ったのは求法記からでなく、後に上洛した時に比叡山に登って赤山禅寺を詣でて道教との関係を知った、ということにする?

4月7日
庭仕事ですっかり健康的な気分になったから辞退申し上げようと思っていたお約束も行っていいかなとなっていたのですが、やはりここは外界との遮断は守ろうと今お詫びのお便りをしたためました。道教も、仙覚はそれより天台宗だなとなって摩訶止観を読みたくなっています。これぞ仙覚の境地かと。

私は、何があっても動ぜず万葉集という学問の探究に生涯を捧げ尽くした仙覚という人の、透徹した人生が好きです。その根幹を書きたい。

最初の一輪。我が家の山吹です。茂る木が好きで繁茂するのも愛でて忙しい間放置してたら庭が荒れ放題。それでも花はこうして咲いてくれます。山吹は茂ると凄いです。滝のようになります(と、どれくらい放置? これから順次整えていきます)

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気がつくと桜の封緘シールを貼れる季節になっている。先週はまだと見送ったのに。そしてうっかりすると来週はもう遅い。桜は一年中使える図柄とはいうけれど。

やっと晴れやかな桜が撮れました@井の頭公園

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各宗派の僧侶の方と割と密接にお話させて頂く機会があるのだけれど、ここにきて天台宗寺院の僧侶の方が身近にいられないと、仙覚の関連で天台宗を調べていて思ったのだけれど、つい先程、そうだ、慈光寺があるではないの…、と思い出したのですが、和尚様にお話を伺いたくても都幾川は遠いです。泣

タウンニュース鎌倉版コラムの今月回は来週の14日と決まったそう。外界と遮断して生活しているつもりでもこうして社会と繋がっている。ありがたいと思います。それから今日はもう一つ、自著を語るのテーマで書く機会を頂きました。『源氏物語と鎌倉』について。どう切口を持っていくか考えます。

4月8日
やはり私は道教はだめで図書館に返しに行った帰りに岩波文庫の摩訶止観を購入しようとしたら、パルコの書店になくてアトレの書店にもなく、啓文堂に至っては改装中で地下の仮店舗には当然その種の文庫があるはずがなく、検索したらあったので明日はまた図書館。道教を読んだら反面教師的に摩訶止観。

摩訶止観を読もうと思ったところですでに頭の中がリセットされたらしく、詰まっていた岩殿観音の章がすらすら書き進めています。雑念まったく無し。比企の乱から逃げて岩殿観音に匿ってもらう壮絶な章なのてすが、別当の思い出とした過去の明るい基子さんを書いたら更級日記の作者みたいになりました。

基子さんは源氏物語に憧れる文学少女だったという設定。それが突然の悲劇に見舞われ、自分の判断で即座に比企へ逃げるのですが、源氏物語を読んでいると光源氏の栄枯盛衰、人の心の不変さと移ろいやすさ、政権の下での人生の変わりやすさなど、みんな経験済になるから若くても人生を見ています。

ある意味源氏物語を好きな女性はどんなことがあっても、どんな状況下でも、その場その場で源氏物語の中の同じような状況に即座に反応できて、自分が主人公になったつもりで動けるのではないでしょうか。悲劇ですらヒロインになった気分がどこかにあって、源氏物語を読まない人より深刻でないとか。

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2017.4.7 ツイッターから転載…小説『仙覚』覚書(25)六代御前に関連して文覚のこと。ロバート・キャンベル氏書評に刺激されました。

4月1日
おはようございます。昨夜井上靖『後白河院』、経房と兼実の章を読んで読了。経房の院を見る目の深さに敬服。井上靖氏の創作ではあってもだからこそ頼朝の信頼を得たのでしょうと頷く。実務処理に優れた公卿だから頼朝に選ばれたそうですが、源光行も実務処理に秀でていました。経房の配下の光行です。

TLで頂いた「或る人が障礙を払えると、世の中が改善されるのもまた真」を時々ふと思い出しては考えています、だと思うんです。みんなで真剣になって全体になるようにと。

蔓延している沈滞のムードを変えなければ社会は変わらないと思う。でもそれは面と向かって振りかざす運動ではない。それは文化の力。刀剣乱舞がそれまで誰もできなかった若い女性に刀剣の真の美しさを目覚めさせたように。そういう力が今の社会に本当にないと思う。文学の力がその一端にあるとも思う。

己をみつめていく生き方が、そのままにおいて、永遠なるものとかかわるものであることを、教観の思想は教えている。(『大乗仏典6 摩訶止観』村中堯生解説より。 ↑Facebookの仙覚の小説取材ノート頁にいいねを下さった通知があったので見たら、この記事に。改めていい言葉と思う。

4月2日
おはようございます。昨夜は平家物語の維盛が高野山に入ったところから六代御前が文覚に助けられるところまで拝読。平家物語は久しぶりで堪能。経房の後室が六代御前の母だから頼朝に助命嘆願して文覚が動いたという説があるそうで、それだと再婚の時期と六代御前が捕まった時期が合わないので気になっ

ていました。平家物語では文覚が六代御前を弟子にしたくて頼朝に助命嘆願の流れ。文覚が光能を介して後白河院から平家追討の院宣を受け取り、それで頼朝が旗揚げできた。その功で文覚は頼朝から今後どんな望みでも聞くと言われていたそう。この方が時期的に納得。仙覚の小説はこの流れでいきます。

平家物語はさすが名文ですね。ここのところ調べものばかりでこういう堪能する文学から離れていたからまた平家物語を読み返したくなりました。それにしても私は何も知らないで読んでいたから光能や経房や、そんなふうな今書いている人たちが平家物語や吉記で人物像を辿れるなんてと今更に感動。

追記: 足立遠元の娘が結婚した光能に文覚が院宣を仲介して貰った後、光能はまもなく亡くなります。その蔵人頭を引き継いだのが経房だそう。こんなところにも、そうなんだ?、と感動しています。他愛なさすぎますが。笑

ミュシャ展のマスキングテープとチラシ。行きたいのですが今はまだ。間に合ったら行きます。だからこのお土産が嬉しい。

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ミュシャ展。出品リストを見せて貰ったら全20点が小さな写真で一覧になっていて、一々の絵自体は何が書いてあるかわからないのだけれど、代わりにあの大きな作品の画面での構図における光の部分のとり方が鮮明に。ほぼ全点画面いっぱいの洞窟のような暗い中に暖かい光の部分がある。唸りました。

4月3日
おはようございます。なんとなく寒い朝。井の頭公園の桜は?部咲きといった程度。(5分位?)華やかさにはまだまだです。昨夜は仙覚の小説に文覚がなぜ六代御前を助けたかの三行を入れて就寝。比企の乱の章はある意味プロローグだからここをきっちり書いておかないと気持ち悪くて進みませんでした。

たまたま比企系図の話になったらある方が比企系図は信じられないんですってねと。よく聞く話だけどここまで比企氏を多角的に追って見えてきたのは歴史はみんな勝者の側の論理や見方ということ。敗者のは残っていないし民間に残ったものは信じられないと。これを払拭するのは不可能とつくづく思う。

タウンニュース鎌倉版コラム【鎌倉と源氏物語】第16回「朝廷と幕府の取り次ぎ役 西園寺実兼は雪の曙」の校正を送りました。写真は円覚寺様。実兼が関東申次の任にあった時期に建立されました。(で、先日打合せで鎌倉に行った時に、先に北鎌倉で下りて撮ってきたのでした)

コラムに書きましたが、実兼が関東申次の任にあった時に二度の蒙古襲来があり、円覚寺様が建立され、安達泰盛が滅びた霜月騒動がありました。後深草院二条を通して時代をみると思いがけないところでいろいろなことが見えてきます。

4月4日
ふう~っと、やっとTLを追い終わり。数日かけた園芸も今日で締め。最後にここは四季咲の薔薇を植えると決めて残して。今日はデュラスに始まりデュラスに終わった感のTL。思うことはいろいろあるけど今は仙覚。だんだん外界を閉ざしていっていてそれが心地いい。園芸で動いたから体調も戻りました。

4月5日
国文学研究資料館の館長にロバート・キャンベル氏! なんとなくびっくりしました。今まで恩師のご友人とかいろいろあって個人的にある種の古典的色合いを感じていたのですが、これから新鮮! 遠のいていたのを再開したい気持ちになりました。

気になってお気に入りしていた記事をやっと拝読。「良い物語を書けば、ある種の力を持つと思っている。僕は物語の力を信じています」。村上春樹さん、いいですね! 騎士団長殺し。先日のロバート・キャンベル氏、石原千秋氏お二方の書評以来拝読したいのですが今は仙覚に籠る時だからいつか。

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2017.4.5 ツイッターから転載…小説『仙覚』覚書(24)。タウンニュース鎌倉版コラ厶第15回【二条の恋人 関東申次西園寺実兼】。関東申次、吉田経房のことなど

タウンニュース鎌倉版コラ厶第15回【二条の恋人 関東申次西園寺実兼】の紙面です。

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3月25日
桜はまだ。辛夷が咲いていますが控えめ。でも井の頭公園周辺のお店はもうお花見モード。快晴の気持ちのいい土曜日です。

今日はほんとうは前々から楽しみにしていたイベントを辞退して図書館に。お断りのメールに私はもう核となる仕事だけに集中しますと打ったら了解しましたのお返事。そこに一抹の寂しさを覚えながら、これが仙覚が生涯抱いていた境地と思う。華やかな周囲と隔絶されて生きた人。万葉集だけが支え。私も。

昨夜も未明まで岩殿観音の章とにらめっこしていたのですが手帳を見たら、玄覚を語り手にすると閃いたのが昨年の9月20日。途中他事に時間をとられて進まないのを反省しての「核となる仕事だけに」の決意。私にとっての核は仙覚です。論文は割とすぐ戻れるのですが小説は気持ちを入れるまでが大変で。

水ぬるむ、春@都立有栖川宮記念公園

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図書館でたっぷりコピーして来ました。コピーが切れると禁断症状的なのでこれからしばらく穏やかです。笑 岩殿観音関係と関東申次関係。タウンニュースコラムの西園寺実兼が関東申次だったから調べて書きたかったのを、コラムでは一行で済んで通過。でも今日コピーしてきたからこれから勉強。

仙覚の小説で、仙覚が将軍頼経に万葉集を命じられるから、頼経の父道家が重要人物で、道家も関東申次。道家を書いたご論があまりなくて困っているのですが、関係申次のような政治史にぽろぽろと名前が散見できるから楽しみ。仙覚は道家と面識あるのかなあ。と、そこを思案しています。

昨日図書館でたっぷりと関東申次についてのコピーをとってきました。道家もそうだったとなるなら、仙覚ととはずがたり二条はどのような時代関係になるのでしょう。まだ把握できていません。仙覚は執権時頼や時宗の時代。二条は時宗の子の貞時の時代。仙覚は兄の宗尊親王に、二条は弟の後深草院に。

3月27日
木蓮がもう……

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蕗がこんなに@三鷹市 蕗の薹は終わったみたい。

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玉川上水の桜がほころび始めました@三鷹市

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図書館でコピーしてきた関東申次関係の資料を読んでいます。面白いです。こんな分野の研究があったとはの驚き。世の中は深まるとまたさらに深まる領域が現れて楽しみは尽きないですね。(タウンニュースのコラムで西園寺実兼が関東申次だから少し勉強中)

頼朝と後白河院。そのあいだを取り持ったのが吉田経房。という状況で通史では展開しますが、なぜ、いつ、吉田経房がその役になったかなどは今まで見えてませんでした。表舞台の通史の裏にもさまざまな人間関係が。読みながら模索しているとまた何かの鉱脈に突き当たりそう。

3月28日
おはようございます。関東申次という正式の役職は西園寺実氏からですが頼朝の時代からその役割の人はいてそれが吉田経房。経房は福原京時代から光行を知っていてそれで光行は経房の配下として鎌倉に下ったらしい。と「源光行の鎌倉下向と一時上洛」で考察したのだけれど、関東申次的だったとは。

今まで吉田経房ってなんだろうとまるで雲の中の人みたいにつかみようがありませんでした。ただ朝廷と幕府のパイプ役としか書かれてなくて。関東申次は知っていたけど西園寺家のことと思っていたし。コラムの実兼で突然関東申次の語が湧いて調べたら吉田経房が。こんな処で謎が解けるなんて。

@sukemori 資盛様、ありがとうございます! 六代御前をどうして文覚が延命したか、目下仙覚の原稿で考えて悩んでいたのです。そうっか、経房か〜ってなりました。六代御前のお母さんが再婚したお相手ですものね。また考えてみます。

呟いてみるものですね。『源氏物語と鎌倉』の時もこんなふうにしてどんなに資盛様をはじめ、京都の方、国文科出身の方に助けて頂いたか。ツイッターがなかったらこの本は生まれてません。確実に。感謝してます。

朝から驚きの展開のツイッターでした。ありがとうございました。

井の頭公園の桜の開花状況。でもこんなに咲いているのはたぶんまだここだけです。毎年ここが一番早く咲きます。

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3月29日
母が逝って三年。今日から四年目。やっと肩の荷が下りたように感じられるのは母を看ていて送ってその必死だった記憶から解放されたのかも。朝からなにか憑かれたように掃除をしたり移動させたり。父が私の中学2年の時に早逝しているからそれから私は母と一心同体で生きてきました。これからは1人。

3月30日
おはようございます。ここ2、3日夢見が悪くて、それは個人的なことの根本問題を解決しなければとの意識から来ているのだけれど、夢の中で政治が絡んで出てきて、政治も例の喚問から浮かび上がったことへの反論は誰々の問題ではなくもっと奥の大変な問題でしょうという怒り。私も自分を変えなくては。

我が家の木蓮も咲きました。高枝バサミで伐ったところに通りかかった方が「素敵ですね」と。差し上げたら喜ばれました。咲く時はいっぺんに咲くからまた伐って。

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朝伐った木蓮。素敵に咲いています。

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木蓮。違う角度で。(朝のはiPAD。これはスマホ。木蓮は撮るのが難しいですね。ストロボを使ってスタジオできちんと撮りたい)

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今日は朝から覚悟を決めて高枝切り鋏作業。繁茂してどうにもわからなくなった茂み。最初から不用の枝を伐ればいいのだけれどその枝も見えない。上の方から簡単に切り落とせる枝を順次伐っていったら空間ができてその枝が見えてきました。混迷を深める物事を解く時も同じかも、となんか実感。

木蓮が好きだから嬉しくて何度も投稿。現在の木蓮です。

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3月31日
おはようございます。昨日は終日庭作業だったから就寝前にTLで教えて頂いた井上靖『後白河院が』を拝読。4人の語り口って、兵範記・たまきはる・吉記・玉葉の作者だったのですね。たまきはるに光能や経房が出たり、私はこのあたり本当に読んでないなあと思ったのでした。吉記・玉葉の章はこれから。

昨日の後片付けもあって引き続き庭仕事。雨が降らないうちに。空間ができた茂みの下の方に大きな鉢が出てきて、何の木だったかしらとなり、取りあえず枯れているので切ろうとしたら、あ、夏萩だったと思い出してヒヤッと。柏葉紫陽花も枯木だし、切るのに要注意です。

TLで頂いた「或る人が障礙を払えると、世の中が改善されるのもまた真」を時々ふと思い出しては考えています。(遠い昔、こういうことを純粋に考えていました)。

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