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2017.5.31 ツイッターから転載…20日の腰越の講座前夜まで

*5月20日に迫った腰越の講座用パワポの編集過程でPCが壊れ、モバイルPCを出したり苦心の挙句になんとか二回目用まで編集したところでモバイルPCまで壊れて、しばらくPC無しの生活をしていました。作成したパワーポイントのデータはUSBに入れて幹事さんまで送り、無事に開けて当日の開講を待つまでとなりました。そこまでのツイッター記録をまとめて転載させて頂きます。

5月7日

第一回目用パワポ。ひとまず完了しました。あとは見直して完成度を。「尾州家河内本源氏物語」のこと→源氏物語写本について→道長→紫式部→源氏物語→夢浮橋巻の実時奥書→実時について→金沢文庫歴代当主→源光行による鎌倉の源氏物語の歴史。の流れです。

 

第二回目は今まで作ったことのない編集になるとわかったから心して始めます。頼経と九条道家のこと。竹御所のこと。時頼と松下禅尼。後嵯峨天皇即位と北条泰時。宗尊親王などなど。真観も入るでしょうか。もちろん、仙覚がメイン。

 

TLに流れてくる直虎が寺院に育ったから漢籍が読めたという話、仙覚が天台宗寺院に育ったから悉曇が読めたことに重なるのだけれど……、とずっと考えています。仙覚の件、まだこれを言っているのはこの世の中に私一人。こんなに当然の話なのに。

 

論文に書いても学会で認められるか否かは別として、例え認めて頂いたとしても一般の方に広まらないから小説にしました。早く完成させたいから5月の講座が終わったら専念します。そういえば論文だったら5月締切。すっかり思考から外れてました。

 

直虎と漢籍の件。どうしてこんなにこの件が気持ちに引っかかっているかというと、私は文献で読んで類推して「当然読めるはず」と私一人で確信して書き進めているのだけれど、寺院で育ってないから実際のところどうかは知らなくて自信が少し危うかったんです。なのに大河でそれをやられるとは!

 

ま、ともかく、仙覚は天台宗寺院岩殿観音で育って、円仁の悉曇章を見て円仁が書き入れた自筆の万葉仮名による読みに憧れ、やまとの言の葉の根源を知りたいからと八百万の神々に祈り続けて願いが叶って万葉学者になった、という展開で小説は進みます。願いを叶えたのが第4代将軍頼経。

 

5月8日

おはようございます。白い紫蘭が蕾を見せて、アーチにした白薔薇も蕾が幾つも。今日は第2回用パワポ作り。第4代将軍頼経からだから兼実に戻って九条家の説明から始めます。文学は、世の中すべてがそうだけど、物事には必ず遠因があって、頼経が仙覚に万葉集の校訂を命じたのも兼実に遠因があるから。

 

頼経は2歳で両親から離されて下向し鎌倉武士に囲まれて育ったのに万葉集の校訂に真剣。それは離れていても京の父九条道家と密接に連絡を取り合っていて、九条家の文学の伝統が伝わっているから。教科書で習うだけだと「頼経の命で仙覚が」だけだけどそこに至るまでの歴史の機微が人の世の面白さです。

 

そうっか、今気づいたのですが、頼経の万葉集も宗尊親王の源氏物語も、従来的には「権力を幕府が握っているから政治に関与できず文学をした」となるわけですね。私たちはそう教えられてきました。だからなんとなく歴史の世界で文学が侮られて脇へ追いやられて。でも文学はそんなものではないです。

 

5月9日

恐れていたことが現実に。PCが壊れそうでハラハラして使っていたのですが昨夜とうとう。年末くらいから予兆があり、それもあるから共著の原稿を先に仕上げるなど気を配っていました。昨日第一回目のパワポを幹事さんに送付し終わってここまでは無事に。第二回目のパワポをどう仕上げるか考慮中です。

 

ふっと思ったのだけれど、第二回目はパワポ無しでしようかなと。緻密な内容だから緻密に考えて構成してレジュメにして、それを見て頂きながらの講演に。パワポは視覚に訴えるからわかりやすくていいのだけれど、ちょっと最近懐疑的になっていました。その機を与えられたのかも。でもまだ決定ではなく。

 

5月10日

八木書店様のカレンダー「源氏物語の世界」、5月が尾州家河内本源氏物語。20日と27日が腰越の講座の日です。はからずも講座のテーマが尾州家河内本源氏物語。偶然とはいえ嬉しいですね。八木書店様のカレンダー「源氏物語の世界」、5月が尾州家河内本源氏物語。20日と27日が腰越の講座の日です。はからずも講座のテーマが尾州家河内本源氏物語。偶然とはいえ嬉しいですね。八木書店様のカレンダー「源氏物語の世界」、5月が尾州家河内本源氏物語。20日と27日が腰越の講座の日です。はからずも講座のテーマが尾州家河内本源氏物語。偶然とはいえ嬉しいですね。八木書店様のカレンダー「源氏物語の世界」、5月が尾州家河内本源氏物語。20日と27日が腰越の講座の日です。はからずも講座のテーマが尾州家河内本源氏物語。偶然とはいえ嬉しいですね。

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5月11日

講座も迫っているし、PCが壊れて執筆はできないしで、ちょうどいいからこの2週間はたっぷり詩に浸って過ごそうかと。もう調べることは必要ないし、荷物の負担が体調に響くから、道中のお供も資料は止めてkindle版マラルメ詩集。なんか世界が広々。

 

5月12日

資料を整理していたら出てきました。オープンする扇ガ谷の「鎌倉歴史文化交流館」が建つ場所の発掘調査の新聞記事。2003.1.15朝日新聞です。廃寺とは安達氏の菩提寺の無量寺。タウンニュースコラム第9回に現地説明会の写真を載せました。

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5月13日

白薔薇の最初の一輪が咲いたのに雨の朝。腰越の講座の応募が締切られて定員30名のところ54名だったので抽選し結果を通達しましたとの事。男性の応募が22名もあったそうです。コンセプトが源氏物語の享受の歴史ということを理解して下さったのでしょう。歴史を共有させて頂きます。

 

5月14日

白い紫蘭は清楚でいいですね。

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5月15日

腰越の講座。第二回用パワポの編集がだいたい終わりました。この回は初めて取り組む内容でもあり、私自身じっくり考える機会にちょうどいいからパワポを止めてレジュメで講演形式を思ったのですが、慈光寺経がメインに絡んでくるので、これこそ映像でないと勿体無いですものね。考え直しました。

 

文永7年書写の「慈光寺経 一品経書写次第」です。慈光寺は埼玉県にあります。そこに豪華な九条家ゆかりの装飾経がなぜ有るのかは謎。文永7年は仙覚が慈光寺の麓の小川町にいた年です。仙覚の書写かともいわれます。第二回の講座のハイライトです。

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慈光寺経は後京極良経の急逝を悼んで九条家が制作した装飾経で、平家納経、久能寺経とともに国宝日本三大装飾経の一つ。書写次第の序品「御前」は後鳥羽院。信解品「宜秋門院」は良経妹の後鳥羽院中宮。この装飾経が関東にあるのは良経の孫で四代将軍頼経と関係あるのでは。仙覚に万葉集を命じた人物。

 

慈光寺経のこと、すっかり忘れていました。一昨年秋に埼玉の博物館で修復完成一挙展示に行った時はあんなに興奮してたのに。その後急に仙覚は誰かの問題で研究発表することになり、それからそれを小説化に取り組み、をしてたら忘れて。パワポを始めたら思い出して、なんてことを!と呆れ返っています。

 

5月16日

今朝の閃き。昨夜まとめた腰越の講座第二回用パワポ。それにタウンニュース鎌倉版連載コラムを散りばめようと。今迄のパワポにコラムに書いたエピソードは入っていません。でも時代は重なる。ちょうどコラムの記事が小見出しになるかも。記事を読んで応募して下さった方が多いようだし。

 

パワポの編集。光行や親行の源氏物語の流れに、九条家の万葉集重視の歴史、頼経と慈光寺経の関係、仙覚の万葉集。そこにタウンニュースのコラムを重ねると時頼と松下禅尼。これらの人が全部同時代に鎌倉にいられたわけですから、パワポの編集が大変なことになっています。笑。まだこれから宗尊親王。

 

パワポの編集。慈光寺経の説明に慈光寺の紹介をしようと思い写真をかなり入れてたら、行った当時の状況がリアルに思い出され、中国の本当の仙人のような風貌だった先代のご住職様、慈光寺経の修復を成し遂げられた現住職様や奥様方が懐かしく甦りました。あんなに何度も気軽に行ったのが今は夢のよう。

 

こうして人は一つずつ狭められて個の中に追い込まれてその中で個というほんとうの自由を得ていくのだなあと思う。私にとってそれが書くことなのだけれど、そこにはもう誰も入り込めない。ただ真に心の中との対峙。世間というあらゆることの可能性を奪われて生きた仙覚にとってのそれが万葉集でした。

 

5月17日

パワポの編集。時代が松下禅尼の六波羅探題の妻としてファーストレディだったところに来ました。タウンニュース鎌倉版コラムの第四回を章立てに。青表紙本源氏物語はこの翌年に完成。夫妻は定家と親密に交際していますから見せて頂いたことでしょう。

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とりあえず第一段階での腰越の講座第二回目用パワポの編集終了。あとは複雑過ぎる歴史を整理してわかりやすくする作業。でもとにかく今のままでも実際に使える仕様にはなりました。スライド130枚。殆ど解説なく流すしかない分量です。笑

 

息抜きに。我が家の白い紫蘭です。清楚な花を見るとほっと寛ぎますね。

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寛ぎにエンニオ・モリコーネ。ラカリファを聴いてたら基子さんの現況が甦って辛くなり、早く書いてあげないとという思いが湧いて、パワポはもう殆どいいのだから、もしかしたら明日から基子さんに戻ります。

 

5月18日

上品な朝焼け雲。寝ていてふっとレースのカーテン越しに見える空の色が気になってベランダに出たら。

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もうずっと、10年単位で源氏物語以外の講演会や催しに行ってなかったのだけれど、27日の講座が終わったら私は晴れてフリーになるから、ツイッターで見たイベントに積極的に申し込んだり振り込んだりしていて、今朝のポストにその一つのチケットが送られてきていて、漸くの思いが込み上げました。

 

大変なことが流れるTLに気が引けるのだけどと言い訳めいた書き出しをするのは我ながら苦笑ということ続きだから。昨夜パワポを離れいざ基子さんにとなった矢先にメールが届いてタウンニュースのコラムの今月分の校正。突然とはずがたりの書き溜めにかからなければということを思い出しました。

 

『とはずがたり』がなぜtodoリストに入っていないかというと、校正が来るから絶対忘れないという安心感から。果たしてそうなりました。来月分までは書いてあるのでこれから次の展開をどうするか考えます。来月分の最後に二月騒動を書いたら直後にマレーシアの事件があってギョッとしたのでした。

 

5月19日

タウンニュース鎌倉版連載コラム第17回「二条の縁戚 北山准后とは」の校正終わって送信しました。私の中には恐れ多いことですがずっと夢窓疎石という禅僧がいらして、その足跡に想いを馳せると救われるということなのですが、為相の論文を書いて夢窓疎石について調べたのがきっかけでした。

 

明日になれば皆様とお会いし楽しい一日になるのに私は天邪鬼だからひたすら底辺を這いつくばる心境に籠っていたくて仙覚のことばかりが浮かんでいる。素性を隠して生きている以上這い上がれないことがわかっているこれ以上はない絶望的境遇。でもこれ以上はない自由を手にしているのかもしれないです。

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2017.5.10 パソコンが壊れました。

恐れていたことがとうとう。
昨年秋ごろから予兆があってはらはらしながら使っていました。
たまたまそこに原稿の依頼や講座の準備等が重なり、新しく買い替える気持ちの余裕もなく、運を天に任せての心境でした。
なので、最重要課題からこなしていき、依頼原稿を仕上げてまず一安心。講座のレジュメも二回分仕上げてまた安心。講座のパワポの第一回目を仕上げてまたまた安心。これで第二回目も大丈夫かなと思った矢先に、プツッと、突然の断絶。
まず思ったのは、よかった〜、の一言でした。
なのでまだ第二回目のパワポに取りかかれていませんが、なんとかなるでしょう。
締切に間に合わないといったものなく過ぎたことが何よりです。

というわけで、これははじめてスマホのニフティ画面から書いています。
今夜、モバイルPCを出して充電しました。ここにパワポのソフトが入っているので、明日から第二回目の編集にかかります。使えるといいのだけれど。

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2017.5.7 ツイッターから転載…鎌倉の夜光虫の青い海の夜に考えること。柏倉康夫先生訳の新刊書[新訳]ステファヌ・マラルメ詩集のことなど。

5月5日
花菖蒲、ですよね。(自信ありません)。井の頭線の線路脇に咲いていました。水辺でもないのに。でも豪奢!

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やっと心置きなく腰越の講座第一回目のパワポの編集に取り掛かりました。

そうっかとまた納得。私はわかるまで時間がかかります。岩殿観音の章、仙覚を産んだ基子さんが戸井田刑部に預けて去る、とそれを書く事が決まっているのに進まない。それだとリアリズム小説になってしまいそうで気が乗らなかったんですね。次の章を基子さんの独白で書くならベタな描写が回避できます。

こどもの日の井の頭公園の夕暮れ。特に意味はありませんが。

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ずっと、自分の心中でないツイートは、青い光、青い花、のRT。青い色ってどうしてこうもいいのでしょう。自分の心中ツイートはとてもこういうふうではないけれど、それは作品として昇華させるためへの途次だから。昇華し終わったら作品は青い花でありたい。もっと、青い光に。

とツイートして、決して「青」ではなく「青い」であることに気づきました。ここになにかある。

青い色は具象ではあるけれど、字面にもっと意味がある気がする。

私に今、体力と時間の余裕があったら、赤潮ツイートを見た昼間の時点で、鎌倉の海辺のホテルに予約して、今ごろは夜光虫の夜の海を堪能してるのに。

5月6日
柏倉康夫先生訳の新刊書[新訳]ステファヌ・マラルメ詩集を購入しました。新刊書かと思ったらkindle版。急遽スマホにアプリをダウンロードです。(まだ上手くいってません 泣)。ユリイカの連載でマラルメの読み方を教えて頂きました。かなり衝撃的でした。あの頃を懐かしく思い出して。

kindleのタブレット、放置状態で充電してなくて、これからします。タブレットでは何冊かもう購入していて…、あ、今スマホのアプリに同期成功。ライブラリは10冊。薄田泣菫『独楽園』が最初でした。それから、結構マラルメが入ってます。「エロディヤッド」とか。

kindle版書籍。タブレットに入っている10冊もスマホでは改めてダウンロードしないと読めないみたい。で、薄田泣菫の独楽園をダウンロードしました。こちらは解説が高遠弘美先生なのですがkindle版にはたしか入ってませんよね。それで今文庫本を出して改めて拝読。いろいろ懐かしいです。

と、ツイートしながらパワポの編集をしています。一区切りついたところで気分一新を。

作家は脱皮を繰り返して完成すると、朝から柏倉康夫先生のマラルメkindle版ご新訳出版を知っての余韻が消えない。というのも柏倉先生の評伝梶井基次郎を思い出して。作家の脱皮について最初に認識したのが紫式部でした。私も普通の小説から鎌倉の源氏物語を経ての今はまさにそれという気が。

パワポの編集。うっかりというと幹事さんに対して失礼だけれど、前半を実朝まで後半を頼経からとしたら、前半が膨大に。今までのやり方でいくと後半分が凄く足りなくなる。前半京都、後半鎌倉とすればよかったなど後悔しつつ、なんとなく、これ、後半に新たな展開が待っているよう仕組まれている気が。

感覚で前半実朝まで、後半頼経からとした時に、たぶん今までとは違う展開を私自身が感じとっていたからと思う。こんなふうにして今までやってきたから、たぶん今回もそう。打合せの時に単純に理で考えて前半京都後半鎌倉とできたはずなのに苦しんだ挙句にも浮かんでこなかった。

こういう失敗を人に話すと凄く呆れられたり諭されたり。でも、こういう理でない失敗って自分でどうしようもないもので、理性の向こうで何かが止めていたり発進させていたり。失敗を繕うつもりで四苦八苦で埋めていくと、案外それが新しい展開になっていて驚くことしばしば。仕組まれてるとしか。

腰越の講座のパワポの編集。第一回「紫式部から第三代将軍実朝まで」の最後はこのスライドにしました。二歳の頼経下向です。

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青い光の夜の海をよそにkindle版「柏倉康夫先生のマラルメ」を紐解いているのだけれど、ユリイカで拝読したあの時と今の私が全く違う地平にいるのをはっきり見て驚いています。マラルメを題材に自分を語るなんておこがましいけど、理想の書物について考えることの機になった貴重な体験でした。

高校の教科書に載っていたマラルメの詩に「理想の書物」の語があって、あたかもそれが現実にこの世の中にあって、それは誰の目にも見えない空の高みにあるのだなどと私の中にインプットされて、人生はその理想の書物に巡り会うための道程で、などと考えていました。書物とはそういうものですよね。

5月7日
今日も体力温存に予定を中止して家でパワポ。前半後半の分け方でやっとわかったけれど、今までは鎌倉に源氏物語をもたらした光行さんを追うのに必死で光行以降は深めてなかったんです。それが図らずもタウンニュースのコラムでやっていてそれが後半なのでした。初めてパワポとして取り組みます。

昨夜の理想の書物。尾州家河内本源氏物語と出逢った時、これが私の理想の書物という信念で取り組みました。鎌倉の源氏物語をライフワークと思っていたから。生涯かかっても普及は無理と思っていたから。なのにもう広まって手を引き、今は仙覚の小説にかかっています。理想の書物は自分で作るものかも。

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2017.5.5 ツイッターから転載…小説『仙覚』覚書(32)基子さんのその後の生涯について。高幡不動尊の峰岸純夫先生ご講演「亨徳の乱」を拝聴して。共著の原稿「写本は語る、」を終了。

4月29日
おはようございます。起きた時から頭の中で念彼観音力の語がぐるぐる。天台宗岩殿観音の法要で戸井田刑部にどの経典を読ませようか悩んでいたのですが、あ、観音経! となりました。基子さんに観音の慈悲を説きながら念彼観音力を唱えるよう教えさせようと思います。

戸井田刑部が岩殿観音の由来を説いたあと、一旦廃れていたのを再建したのが比企能員で、だから高坂の村人たちは恩人として能員を崇めていることをつけ加えるのを忘れないこと! ←一ヶ月近く原稿から離れるから。ここ、肝心!

体調が思わしくなかったのですがどうやら出て来られました。出がけにTheCaliffaのあの一節を聴いて自分で鼓舞して、いざ出陣! です。

ここに来ました。峰岸純夫先生ご講演【享徳の乱における分倍河原合戦 上杉憲顕の討死と高幡不動での供養】@高幡不動尊

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青空に五重塔が綺麗でした@高幡不動尊

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高尾山に沈む夕陽。素晴らしい光景に遭遇しました@京王線高幡不動駅

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享徳の乱は今は教科書に載っているそうですね。習わないから知らない世代は年配者と知ったのが今日の驚き。峰岸純夫先生の御説では応仁の乱は享徳の乱の一部。享徳の乱があって応仁の乱になったと。経緯をずっと辿って拝聴していると確かにそう。先生は今年講談社メチエで享徳の乱を出されるそうです。

会場で以前講義をさせて頂いた歴史の会の幹事さんにお会いし「鎌倉の源氏物語、随分広まりましたね。4年前はお話を聴きながら?と疑問だったけど、先日テレビの高校講座を聴いてたら源氏物語は鎌倉でもと言ってて、広まったなあと思ったんですよ」と。鎌倉で広まったのは実感してるけどそこまでとは。

で、その方は続けて「こういうのは時間がかかるんですよね。あれから4年経ってますものね」と。こういうふうに見て下さっている方がいるから嬉しい。実際、私の知らないところで、例えばシンポジウム等で取り上げられたり、そういうのを私にあえて知らせず見守って下さっている先生がいらしたり。

ワイルドな藤。都会にいたり観光としてばかり藤を見ていたから藤は藤棚にして観るものと思っていました。が、最近は山藤がある自然な景観に惹かれます。この写真は玉川上水沿いの民家の藤。荒れ放題の感じがいいです!(失礼)

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腰越の講座案内を載せて頂いたタウンニュース鎌倉版の紙面を送って頂きました。隣に鎌倉を舞台にしたアニメ映画「きみの声をとどけたい」の紹介が載っているので一緒に撮りました。

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5月1日
おはようございます。いよいよ5月。昨年初夏に頂いた講座のお話が迫ってきました。体調を崩さないよう昨夜から品行方正の時間に寝るよう心がけて、スケジュールも見据えて、まず第二回目のレジュメを作って、それから「写本が語る、」の原稿を仕上げて、それからパワポなど気持ちが定まってきました。

桐の花が咲いていました@三鷹市

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腰越の講座の一回目は紫式部から源家三代将軍期まで。二回目は4代将軍頼経から6代将軍宗尊親王まで。一回目のレジュメは尾州家河内本源氏物語や系譜等の資料に徹して光行さんの紹介が手薄。なのに二回目を作成しようとして何をメインにと考えたら、仙覚さん!となりそう。比企の乱とかを。

5月2日
おはようございます。昨日腰越の講座のレジュメを準備して仙覚一色になり、つくづく私はもう他に何も要らない地平に来てしまったのだと思いました。講座が終わったら普及活動も終わり。仙覚の小説に専念します。出かけるのも極力控えて。あと、鎌倉禅研究会は大切に続けるけど、これだけ。

そうっか、とはたと気づいてメモ: 基子さんをどうやって生き長らえさせようと考えていて、実家には戻れないし、どこか下働きに、など迷っていました。くつわ虫伝説では岩殿観音に到着した時点で既に出家していました。答は出ていたのです。一族の菩提を弔うための草庵に住まわせればいいということ。

建礼門院がそうだったように、承久の乱で夫を亡くした妻たちが明恵上人の下で出家して余生を過ごしたように、基子さんもそうさせればいいのかも。場所はどうしましょうか。京都に行かせようと思っていたのですが、なんか、関東に住まわせたくなりました。

腰越の講座のレジュメ、二回目分も送り終わりました。あとは「写本が語る、」を仕上げてパワポと思っていたのですがパワポを先にすることにして取りかかりました。なのに基子さんが……。感情移入してしまったから容易にはパワポに移入できなくて今日はもう諦め。

たぶん、基子さんが余生を過ごす場所が決まりました。生涯で一回だけ、素性を明かすことなく仙覚を基子さんに会わせようと考えているのですが、これだと、一回だけ、が不自然でなくできる。たぶんこの線でいく。6月に入ったら取材に。というわけで今日はここまで。それにしても切ないです。

5月3日
おはようございます。腰越の講座のパワポを先に仕上げてと思い昨日からとりかかったのですが、基子さんに気持ちが入っているからどうしても流れについていけなくて「写本が語る、」の原稿を仕上げて今日送ってしまうことにしました。こちらは『万葉集』で締めくくるから基子さんの世界です。

メモ:重要なことを書きそびれるところでした。基子さんは比企に逃れる時に時員の念持仏を持って来ていました。それが比企のある家に伝わっていて、そこから私は学会の研究発表の要旨を組み立てたのですが、小説で基子さんが赤子を置いて身を隠す時、その念持仏を残して去る。これを書き忘れない事!

「写本を語る、」の原稿を見ていたらその念持仏で締めくくられてあって、アッ!となりました。

「写本は語る、」の見直しほぼ完了。息抜きにきました。字数制限に合わせてあちこち削除。大まかに早めに仕上げていて正解でした。写真も選び、あと様式に合わせて送信して終わりです。

一日根を詰めたから吉祥寺に出てお茶をして寛いでいます。あと1、2回見直したら送信。そうしたらこれが完結。信じられないです。これが終わるなんて。考えるだけでもう身体の中からすうっと空気が抜けていくような気楽さ。残るはパワポのみになりました。

メモ:13日位までに二回目までのパワポを作ってUSBで送ること。20日の講座が終わったら「自著を語る」を書いて送ること。

5月4日
「写本は語る、」の原稿。送信しました。ほっと。共著の単行本になります。はじめて。年内には刊行されるでしょうか。あと、腰越の講座。10日締切なのですが昨日の時点で定員30名を越えるご応募とか。でも抽選ですのでご応募はまだ大丈夫。でもせっかく応募された方々の半数が残念になるのは……泣

共著の原稿を提出し終わってほっとしたらもう気持ちが基子さんに入っている。玄覚の回想録の形をとっているから今まで玄覚の独白という語り口で進んでいたけれど、なんか突然、基子さんの内面の呟きを入れてみたくなった。それこそ私の本来の独壇場。心理描写。心理小説。玄覚の独白を少し離れて。

5月5日
おはようございます。昨日は気持ちを入れ替えるために終日TheCaliffa。就寝前、何気に整理したコピーの中に時政と時房があって読み返すと忘れていた時政と吉田経房の関係等。どうも今までのイメージと違って時政はシャープ。時房はとにかく美しい。時頼といい、北条氏の血筋はなんか凄いです。

私たちは古くは吾妻鏡から、その後その吾妻鏡だけを基にした歴史学者さんの視点から、一方的に色付けされた偏った歴史や人物像を押し付けられてきた気がします。頼朝の舅としてとか、伊豆の田舎者とかのイメージ抜きにして時政を読んだら、ドラマで見ていた時政でない時政が浮かび上がりました。

時政は六代御前を殺した人だし見つけたら仙覚も殺す人だし、でもそれが武士の世なのであって、基子さんもそれは十分承知。時房もいずれ竹御所を殺す人として描いていくけど、基子さんの時はまだ若くて基子さんに思いを寄せていたから見逃すように描きます。密かに相思相愛だったとしたいのだけど。

わかった!結びつきました。書き始めた時から取材に行きたくてまだ叶ってない場所。次の章で仙覚をそこに連れて行く予定でした。が、草庵に住まわせる基子さんをその場所にしたから、そうしたら次の章は仙覚が生涯でただ一度母親と会うという大変な展開の章になります。昨秋行ってたら取材のポイントを外すところでした。

次の章は基子さんの独白でいけばいいですね。これなら十分基子さんの思いを書ける。比企の乱から十数年後になります。草庵に住んだ基子さんの思い。春の雪の聡子さんのような、建礼門院の灌頂巻のような。書けるでしょうか。書けると思います。楽しみです。

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2017.5.2 ツイッターから転載…小説『仙覚』覚書(31)岩殿観音信仰と基子さんのこと。タウンニュース鎌倉版コラム【鎌倉と源氏物語】第16回「朝廷と幕府の取り次ぎ役 西園寺実兼は『雪の曙』」の紙面。『鎌倉萌』募集要項。

4月23日
タウンニュース鎌倉版コラム【鎌倉と源氏物語】第16回「朝廷と幕府の取り次ぎ役 西園寺実兼は『雪の曙』」の紙面です。

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おはようございます。五月の腰越の講座は、タウンニュース鎌倉版コラムの連載をご覧になった幹事さんの企画です。鎌倉の源氏物語は別に私の発見でなく、国文学・歴史学界では研究者さんの間で周知の事実だったもの。ただ一般の方にまで降りてきていなかったから一般の方の驚きと喜びで広まっています。

文化は誰かがしないと広まらないんですよね。最近TLで登呂遺跡が流れてきて懐かしかったのですが、登呂遺跡もたしか毎日新聞だったと思うけど1人の記者さんが惚れ込んで記事を書き続けられたから有名になりました。私もそれで登呂遺跡のファンになった1人。鎌倉での活動の底にそれがあります。

擦り切れるほど使われた『「法華玄義」入門』の栞紐。なんか、感動しています。

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書籍自体は全然傷んでなくて、最初この本はあまり借りられてないんだと思ったくらい。なのに栞紐がこの状態って、自分で読んでいてわかったのですが、とにかく進まない!自然に栞紐の使用頻度が高まります。

紫式部や定家の時代に帰れたらとひそかに思う今日この頃。摩訶止観がふつうに知られていて仏会では講義も拝聴できて、それなら気の合った人と談義もできますよね。密教と禅宗と通過してきてそれなりに共有できる方がいて下さいましたが天台宗は未だに独り。静かに孤高を保つ宗派なのでしょうか。

と、愚痴ツイート。

あ、抜けるかも。佐藤明の作品に衝撃を受けて。

そうか、やはり法華玄義で自分を縛っていたのかも。作家は悟ってはいけません。と、いつも思います。そういえば密教の時、もっともっとと深まりたい探究心に燃えていたら、ある時ぴたっとそこから師の方が教えて下さらなくなって、「貴方には文学があるでしょう」と言われたのでした。

ここのところずっとエンニオ・モリコーネ「La Callifa」を聴いています。仙覚の小説は映画化するとしたらこういう曲でして欲しい。やっと思考が動き出しました。やはり、止観は停止。仙覚の思考の底流をつかんだからもう法華玄義は手放します。

4月24日
おはようございます。昨日登呂遺跡について呟き、登呂遺跡を舞台にした「青銅鏡物語」という映画脚本で賞を頂いたのを思い出したからか、仙覚の小説の夢は大河ドラマ化だったのに深夜突然映画化になりました 笑。小説も映画も目指せ! 『薔薇の名前』です。今日から仙覚の小説に戻ります。

例えステップアップでも終焉を見るのは寂しい。鎌倉の源氏物語を、これは広めなければと懸命になって講演を企画したり人脈を作って下さった方が、腰越の講座を喜んで下さりながら、私の手を離れてもきっと鎌倉レガシーとして確立するでしょうと。私の手を離れても。もうそうなっていたけれど、やはり。

4月25日
今日は意識して仙覚の小説に気分を浸す。遠のいているとやはり私自身が散漫。執筆は豊饒を取り戻します。で、基子さんが岩殿観音にたどりついて時房が……まで書いたところを印字して、その前に岩殿観音に基子さんが来た意味→観音信仰に助けられる暗示を書かなければならないと気づいたのでした。

岩殿観音は坂東三十三観音霊場の第十番。ここに匿われて仙覚が助かったとする研究発表要旨をある方に見て頂いたら、観音信仰の強さに感動したとご感想を頂き、はっとしました。どうしても現代の視点からだと信仰を疎かにしてしまうけれど、中世当時の人にあっては信仰は生きていたはずですものね。

ちなみに岩殿観音は坂東三十三観音霊場の第一番は鎌倉の杉本寺です。都幾川の慈光寺は第九番です。

戸井田刑部は観音堂に入ると二人のために護摩を焚いた←仙覚の小説。こういう文章が出てくるとは昨日まで思いもよりませんでした。護摩を焚く描写、これからします。まさか護摩の描写をする時がくるなんて!

4月26日
以前訪ねた時の江戸東京たてもの園の藤です。枝垂れるという語が好きだからこの写真はお気に入りの一枚。今年は桜を廻りそこねたから藤を訪ねて周りましょうか、など思う。

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源氏物語から人生の深い哀しみを教えられている基子さんが、戸井田刑部から苦難に遭ったら観音様におすがりなさいと教えを受けるところが上手く繋がって、そうしてたまたま休憩にLaCallifaを聴いたら、それこそ今後の基子さんの苦難の道への想いが溢れて涙しそうに。作者の感傷です 笑。

今まで理屈ではわかっていたけどここまで生々しく厳しい事だったとは。基子さんのこと。一族を殺されたった一人で鎌倉から逃げて、しかも臨月の身。例え無事に産んだとしてもその子は人に預けて自分は放浪の旅に出なければならない。我が子とは二度と会えない別れ。私だったら耐えられないと終日思う。

それを書く日が間近に迫っているのだけれど、どう書くか……。今まで、ただ凛とした基子さんを書けばいいとばかり思っていたのですが。

なんか今まで基子さんを単なるドラマのコマとしてふざけて書こうとしていた気さえする。気づいたからといって筆致は変わらないと思いますが。

4月27日
今日は突然私に用ができて鎌倉禅研究会に行かれなくなって、それでは例会の写真を撮れないし、Facebookの記事を書けなくなるから困って人に頼んで行って頂きました。今終わったと電話があってほっと。ここのところ種々ダブルブッキングになったり。執筆に専念せよと外部からの包囲網の気が。

到底無理くらいのよんどころない事情でないかぎり私は動いてしまうから。ここのところの種々の包囲網はそれを越えていて活動を自粛せざるを得ない。最後に残るのは仙覚の小説。それしかないというところに来たのでしょう。と、諸々残念や無念、申し訳なさを懐きつつ思う。

昨夜から岩殿観音縁起を読んでいて、今までこれは入れるつもりなかったのに、基子さんの観音信仰によって助けられた展開には重要と思い返して。でも鎌倉禅研究会に行ったらまた気分が禅に浸されるからどこまでこの縁起の気分が引き継がれるか危うかったのですが、行かれなくなったから続いています。

で、縁起によると岩殿観音は元正天皇の養老年中に一人の沙門が創って、桓武天皇の時代に坂上田村麿がここで悪龍退治をして、それはこの岩殿観音に念じたからと。その功労に桓武天皇が坂上田村麿に伽藍を造らせ、年月を経て廃れていたのを政子の力で比企能員が再興した。ということだそうです。

元正天皇って? と真夜中に検索したら、天武天皇と持統天皇の子の草壁皇子の皇女とあり、そんな時代に!となりました。次に文武天皇がでて又検索したら元正天皇の弟。そこに桓武天皇の時代の坂上田村麿とかで、昨夜は全くいつもと違う時代の検索で楽しみました。観音様のご利益です。

こういう古い時代の由緒が正しいかは別として、岩殿観音の前一帯には坂上田村麿が退治した龍を埋めた池とか諸々あって、基子さんがすがったのはこういう歴史ある深い土地。なのにこの言い伝えをあながち伝承とばかりに切り捨てて書く気が起こらなかった姿勢を反省しました。

4月28日
おはようございます。秋の講演の幹事さんからお電話。腰越の講座に申し込まれたとのこと。同じ『源氏物語と鎌倉』からでも幹事さんによってテーマが変わる。腰越は「金沢文庫発の源氏物語」。秋の講演は多分「平家ゆかりの源氏物語が鎌倉に」になると思う。お二方に通じるのは「鎌倉に広めたい!」。

昨日所用で鎌倉禅研究会に行かれず、代理を頼んで腰越の講座のチラシをレジュメと一緒に配布して頂くよう持って行って貰いました。主催者様がそれを「鎌倉で源氏物語の啓蒙活動をしている…」と紹介して下さったそう。いつの間にかそう言って頂くようになってきています。数年以上かかりました。

今日のタウンニュース鎌倉版に腰越の講座の募集を載せて頂いているそう。鎌倉の方のお電話で知りました。彼女は最初に私の講演を企画して下さった方。そして彼女を私に紹介して下さった方とこれからランチで、タウンニュース紙と腰越のチラシを持って出て彼に報告して下さるとのことでした。

鎌倉の情報誌『鎌倉萌』5月号の腰越の講座募集要項です。「源氏物語は紫式部が書きました。けれども紫式部自身の手になる原本は残っていません。私たちが読むことができるのは昔の人が書き残してくれた写本があるからです」と紹介して下さいました。

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仙覚の小説に専念したい気持ちが深まっているのだけれど、いろんな分野の広報さんが募集を掲載して下さっているからツイッターでお知らせしたいし、でも講座が終わったら今度こそ専念と考えているのに今朝頂いたお電話で「これから忙しくなりますよ」と。という訳で今日はまだ専念に入れてません。

いろいろ予定表を整理して確認したり申込を済ませたり連絡をして、その結果、仙覚の小説は一旦離れて腰越の講座準備に専念することに決めました。基子さんの岩殿観音信仰で、縁起を読んだら書くメドがたち一安心となっていました。もうじき5月。腰越の講座2回。締切原稿2本。心して粗相のないよう。

姫ウツギ。植えた時、ほんの10数センチだったのに今では茂って毎年見事に咲いてくれます。凄い繁茂力。

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木工薔薇。金色が綺麗だから毎年日に輝く光景を撮るのですが、今年はこんなふうにあえて日影でアップで撮ってみました。茂っているので花の香りがどことなく漂っています。

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もう一枚。木工薔薇です。

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