2017.5.31 ツイッターから転載…20日の腰越の講座前夜まで
*5月20日に迫った腰越の講座用パワポの編集過程でPCが壊れ、モバイルPCを出したり苦心の挙句になんとか二回目用まで編集したところでモバイルPCまで壊れて、しばらくPC無しの生活をしていました。作成したパワーポイントのデータはUSBに入れて幹事さんまで送り、無事に開けて当日の開講を待つまでとなりました。そこまでのツイッター記録をまとめて転載させて頂きます。
5月7日
第一回目用パワポ。ひとまず完了しました。あとは見直して完成度を。「尾州家河内本源氏物語」のこと→源氏物語写本について→道長→紫式部→源氏物語→夢浮橋巻の実時奥書→実時について→金沢文庫歴代当主→源光行による鎌倉の源氏物語の歴史。の流れです。
第二回目は今まで作ったことのない編集になるとわかったから心して始めます。頼経と九条道家のこと。竹御所のこと。時頼と松下禅尼。後嵯峨天皇即位と北条泰時。宗尊親王などなど。真観も入るでしょうか。もちろん、仙覚がメイン。
TLに流れてくる直虎が寺院に育ったから漢籍が読めたという話、仙覚が天台宗寺院に育ったから悉曇が読めたことに重なるのだけれど……、とずっと考えています。仙覚の件、まだこれを言っているのはこの世の中に私一人。こんなに当然の話なのに。
論文に書いても学会で認められるか否かは別として、例え認めて頂いたとしても一般の方に広まらないから小説にしました。早く完成させたいから5月の講座が終わったら専念します。そういえば論文だったら5月締切。すっかり思考から外れてました。
直虎と漢籍の件。どうしてこんなにこの件が気持ちに引っかかっているかというと、私は文献で読んで類推して「当然読めるはず」と私一人で確信して書き進めているのだけれど、寺院で育ってないから実際のところどうかは知らなくて自信が少し危うかったんです。なのに大河でそれをやられるとは!
ま、ともかく、仙覚は天台宗寺院岩殿観音で育って、円仁の悉曇章を見て円仁が書き入れた自筆の万葉仮名による読みに憧れ、やまとの言の葉の根源を知りたいからと八百万の神々に祈り続けて願いが叶って万葉学者になった、という展開で小説は進みます。願いを叶えたのが第4代将軍頼経。
5月8日
おはようございます。白い紫蘭が蕾を見せて、アーチにした白薔薇も蕾が幾つも。今日は第2回用パワポ作り。第4代将軍頼経からだから兼実に戻って九条家の説明から始めます。文学は、世の中すべてがそうだけど、物事には必ず遠因があって、頼経が仙覚に万葉集の校訂を命じたのも兼実に遠因があるから。
頼経は2歳で両親から離されて下向し鎌倉武士に囲まれて育ったのに万葉集の校訂に真剣。それは離れていても京の父九条道家と密接に連絡を取り合っていて、九条家の文学の伝統が伝わっているから。教科書で習うだけだと「頼経の命で仙覚が」だけだけどそこに至るまでの歴史の機微が人の世の面白さです。
そうっか、今気づいたのですが、頼経の万葉集も宗尊親王の源氏物語も、従来的には「権力を幕府が握っているから政治に関与できず文学をした」となるわけですね。私たちはそう教えられてきました。だからなんとなく歴史の世界で文学が侮られて脇へ追いやられて。でも文学はそんなものではないです。
5月9日
恐れていたことが現実に。PCが壊れそうでハラハラして使っていたのですが昨夜とうとう。年末くらいから予兆があり、それもあるから共著の原稿を先に仕上げるなど気を配っていました。昨日第一回目のパワポを幹事さんに送付し終わってここまでは無事に。第二回目のパワポをどう仕上げるか考慮中です。
ふっと思ったのだけれど、第二回目はパワポ無しでしようかなと。緻密な内容だから緻密に考えて構成してレジュメにして、それを見て頂きながらの講演に。パワポは視覚に訴えるからわかりやすくていいのだけれど、ちょっと最近懐疑的になっていました。その機を与えられたのかも。でもまだ決定ではなく。
5月10日
八木書店様のカレンダー「源氏物語の世界」、5月が尾州家河内本源氏物語。20日と27日が腰越の講座の日です。はからずも講座のテーマが尾州家河内本源氏物語。偶然とはいえ嬉しいですね。
5月11日
講座も迫っているし、PCが壊れて執筆はできないしで、ちょうどいいからこの2週間はたっぷり詩に浸って過ごそうかと。もう調べることは必要ないし、荷物の負担が体調に響くから、道中のお供も資料は止めてkindle版マラルメ詩集。なんか世界が広々。
5月12日
資料を整理していたら出てきました。オープンする扇ガ谷の「鎌倉歴史文化交流館」が建つ場所の発掘調査の新聞記事。2003.1.15朝日新聞です。廃寺とは安達氏の菩提寺の無量寺。タウンニュースコラム第9回に現地説明会の写真を載せました。
5月13日
白薔薇の最初の一輪が咲いたのに雨の朝。腰越の講座の応募が締切られて定員30名のところ54名だったので抽選し結果を通達しましたとの事。男性の応募が22名もあったそうです。コンセプトが源氏物語の享受の歴史ということを理解して下さったのでしょう。歴史を共有させて頂きます。
5月14日
白い紫蘭は清楚でいいですね。
5月15日
腰越の講座。第二回用パワポの編集がだいたい終わりました。この回は初めて取り組む内容でもあり、私自身じっくり考える機会にちょうどいいからパワポを止めてレジュメで講演形式を思ったのですが、慈光寺経がメインに絡んでくるので、これこそ映像でないと勿体無いですものね。考え直しました。
文永7年書写の「慈光寺経 一品経書写次第」です。慈光寺は埼玉県にあります。そこに豪華な九条家ゆかりの装飾経がなぜ有るのかは謎。文永7年は仙覚が慈光寺の麓の小川町にいた年です。仙覚の書写かともいわれます。第二回の講座のハイライトです。
慈光寺経は後京極良経の急逝を悼んで九条家が制作した装飾経で、平家納経、久能寺経とともに国宝日本三大装飾経の一つ。書写次第の序品「御前」は後鳥羽院。信解品「宜秋門院」は良経妹の後鳥羽院中宮。この装飾経が関東にあるのは良経の孫で四代将軍頼経と関係あるのでは。仙覚に万葉集を命じた人物。
慈光寺経のこと、すっかり忘れていました。一昨年秋に埼玉の博物館で修復完成一挙展示に行った時はあんなに興奮してたのに。その後急に仙覚は誰かの問題で研究発表することになり、それからそれを小説化に取り組み、をしてたら忘れて。パワポを始めたら思い出して、なんてことを!と呆れ返っています。
5月16日
今朝の閃き。昨夜まとめた腰越の講座第二回用パワポ。それにタウンニュース鎌倉版連載コラムを散りばめようと。今迄のパワポにコラムに書いたエピソードは入っていません。でも時代は重なる。ちょうどコラムの記事が小見出しになるかも。記事を読んで応募して下さった方が多いようだし。
パワポの編集。光行や親行の源氏物語の流れに、九条家の万葉集重視の歴史、頼経と慈光寺経の関係、仙覚の万葉集。そこにタウンニュースのコラムを重ねると時頼と松下禅尼。これらの人が全部同時代に鎌倉にいられたわけですから、パワポの編集が大変なことになっています。笑。まだこれから宗尊親王。
パワポの編集。慈光寺経の説明に慈光寺の紹介をしようと思い写真をかなり入れてたら、行った当時の状況がリアルに思い出され、中国の本当の仙人のような風貌だった先代のご住職様、慈光寺経の修復を成し遂げられた現住職様や奥様方が懐かしく甦りました。あんなに何度も気軽に行ったのが今は夢のよう。
こうして人は一つずつ狭められて個の中に追い込まれてその中で個というほんとうの自由を得ていくのだなあと思う。私にとってそれが書くことなのだけれど、そこにはもう誰も入り込めない。ただ真に心の中との対峙。世間というあらゆることの可能性を奪われて生きた仙覚にとってのそれが万葉集でした。
5月17日
パワポの編集。時代が松下禅尼の六波羅探題の妻としてファーストレディだったところに来ました。タウンニュース鎌倉版コラムの第四回を章立てに。青表紙本源氏物語はこの翌年に完成。夫妻は定家と親密に交際していますから見せて頂いたことでしょう。
とりあえず第一段階での腰越の講座第二回目用パワポの編集終了。あとは複雑過ぎる歴史を整理してわかりやすくする作業。でもとにかく今のままでも実際に使える仕様にはなりました。スライド130枚。殆ど解説なく流すしかない分量です。笑
息抜きに。我が家の白い紫蘭です。清楚な花を見るとほっと寛ぎますね。
寛ぎにエンニオ・モリコーネ。ラカリファを聴いてたら基子さんの現況が甦って辛くなり、早く書いてあげないとという思いが湧いて、パワポはもう殆どいいのだから、もしかしたら明日から基子さんに戻ります。
5月18日
上品な朝焼け雲。寝ていてふっとレースのカーテン越しに見える空の色が気になってベランダに出たら。
もうずっと、10年単位で源氏物語以外の講演会や催しに行ってなかったのだけれど、27日の講座が終わったら私は晴れてフリーになるから、ツイッターで見たイベントに積極的に申し込んだり振り込んだりしていて、今朝のポストにその一つのチケットが送られてきていて、漸くの思いが込み上げました。
大変なことが流れるTLに気が引けるのだけどと言い訳めいた書き出しをするのは我ながら苦笑ということ続きだから。昨夜パワポを離れいざ基子さんにとなった矢先にメールが届いてタウンニュースのコラムの今月分の校正。突然とはずがたりの書き溜めにかからなければということを思い出しました。
『とはずがたり』がなぜtodoリストに入っていないかというと、校正が来るから絶対忘れないという安心感から。果たしてそうなりました。来月分までは書いてあるのでこれから次の展開をどうするか考えます。来月分の最後に二月騒動を書いたら直後にマレーシアの事件があってギョッとしたのでした。
5月19日
タウンニュース鎌倉版連載コラム第17回「二条の縁戚 北山准后とは」の校正終わって送信しました。私の中には恐れ多いことですがずっと夢窓疎石という禅僧がいらして、その足跡に想いを馳せると救われるということなのですが、為相の論文を書いて夢窓疎石について調べたのがきっかけでした。
明日になれば皆様とお会いし楽しい一日になるのに私は天邪鬼だからひたすら底辺を這いつくばる心境に籠っていたくて仙覚のことばかりが浮かんでいる。素性を隠して生きている以上這い上がれないことがわかっているこれ以上はない絶望的境遇。でもこれ以上はない自由を手にしているのかもしれないです。