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2017.6.30 新しいPCを設置しました。

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ご無沙汰していましたが、ようやく新しいPC環境を手に入れ、これから少しずつ以前のペースにブログも更新していきます。

その間、鎌倉の人工築造港である和賀江島を訪ねたり(写真)、いろいろしていました。仙覚の小説は順調ですといいたいところですが、思いがけない展開になってまだ仙覚は生まれていません。

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2017.6.15 ツイッターから転載…高遠弘美先生のご講演「プルースト」拝聴してとても心がゆたかです。

5月29日

新宿はいろんな思い出が交差する街。写大生時代からの。今いる喫茶店はある詩人の方と打合せした懐かしい店。ブリキの太鼓の話なんかしてました。今頃高遠先生はサイン会を終えられて紀伊國屋書店を出られたでしょうか。プルーストのお話、楽しかった!あえてご挨拶しなかったけれどいつかの楽しみに。

 

プルーストのお話はとても豊かで深くて堪能させて頂き、もう今日はこのまま浸ってツイートもしないで寝ましょうと思ったのですが、その前にとつい見てしまったTL。いらした方の呟きが載っていて思い出しつつ拝読させて頂きました。プルーストはやはり、いいです!

 

5月30日

写大生時代の新宿には東口に老舗のさくらやがあり、西口にヨドバシカメラがあって、私は先輩に連れられて最初に行ったのがさくらやだったから義理堅くさくらやに通っていました。印画紙や現像液の薬の購入に。さくらやがなくなったのは知っていましたがそこがビックカメラになっていたのが昨夜の驚き。

 

おはようございます。紀伊國屋書店にはいつも地下街を通って行くのを昨夜は気まぐれに夜の新宿を観たくなって外に出て、そうしたら一瞬迷いそうになって、熟知していたはずの新宿駅東口で迷うなんてとびっくり。新宿の変遷を楽しみました。こういうのも久しぶりの醍醐味。一夜明けて改めて堪能。

 

昨夜の高遠弘美先生のプルーストは人が生きる道としての文学論が味わい深くどれもご紹介したいくらいなのですが、失われたの具体的な読みとして、マドレーヌにはキリストの磔刑を見て復活も見たマグダラのマリアが入っていて、それが死んでしまった記憶の甦り、というそれを拝聴できたのが至福でした。

 

原文ではマドレーヌの箇所は大文字なのだそう。大文字には特別な意味があり、それは鹿島茂先生も仰っていられますがと、こんなところで鹿島先生のお名前が出て楽しかったのでした。その大文字のお話からマドレーヌへのプルーストのこだわりに進まれたのでした。マドレーヌ、奥が深いです。

 

帰ったらこれだけは呟かせて頂こうと走り書きのメモに重要マークしたもの。【プルーストの小説は個人的な体験小説を書いたものでなく、文学の中で響き合う】ものです。

 

高遠先生のお母様は日本文学に造詣が深くいらして、中学の時何を読んだらいい?と質問されたところ、源氏を読みなさいと仰られたそう。中学生に源氏をですよと高遠先生は笑ってられましたが、私は先生のプルーストと同じように源氏物語を通して世の中を見ているから源氏物語もプルーストもやはり同じ。

 

マドレーヌの箇所の大文字の件。ご翻訳では?とスワン家のほうへを開いたら「」になっていました。マドレーヌへのプルーストのこだわりは数ページ前の、お母さんがジョルジュ・サンドの小説を朗読するところから始まっていて作中の女性の名がマドレーヌ。書いてないから小説を知る読者なら気づく企み。

 

今日はツイート多めです()。というかプルースト三昧。ずっと鎌倉の講座に関わっていて文学から離れていたから、紀伊國屋書店の日が講座が終わった後なのでラッキー!とばかりに奇跡的に拝聴させて頂けました。もうなんのしがらみもなくまだ少しプルースト三昧を続けます。こんな日が来るなんて。

 

プルーストは井上究一郎氏個人全訳で読んでいるから先を焦る気持ちはないものの、高遠先生訳でやっと花咲くを終えてこれから!という時になってまたマドレーヌに逆戻り。一巻を読み返したくなってしまいました()←一巻を何度読むの!って、これでは一巻しか読んでない人みたいな気分。

 

5月31日

昨日の薔薇です。

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腰越の講座が終わってからとても気持ちがのどかです。如何に1年間責任を感じて過ごしていたかということですね。家族にも申し訳なかったくらい家族ものどかです()。高遠先生のプルーストも終わった後だから申し込めました。気持ちがふくよかになってこれから仙覚の小説に戻るのですが、楽しみ。

 

) 基子さんと時房の関係。光源氏と朧月夜のようなシチュエーションを書きたくてたまらないのですがどこまで踏み込んで書くか思案中。でもそれは書いていく中でおのずと決まります。プルーストのお話にも文学は文学の中で響き合うと。紫式部も自分の知識をフル活用して源氏物語に活かしました。

 

吉祥寺に出ています。池にカイツブリの巣があってヒナは5羽います。今日は緑の水鏡が綺麗。先ほどのどかな気持ちで仙覚の小説に戻るとツイートしたのに、その前にコラムを書き溜めなければならなかったことを思い出してが〜んとなりました。()

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丁寧に文学を読み込むことが人を深くする。イベントで配られた高遠弘美先生「素白の目、素白の耳」を拝読してそう思いました。常々仏文の先生の日本の随筆へのご憧憬の深さに謎を覚えていたのですが、プルーストによって深まった感性が素白や泣菫の随筆に夢中になったのはむしろ当然、で理解しました。

 

エンニオ・モリコーネのラカリファはNHKルーブル美術館のテーマ曲。悲劇的で荘厳な澄んだ旋律が仙覚の人生にぴったりでBGMにしていて、講座とかの別次元にひととき過ごした後はひたすら聴いて気分を取り戻します。でもそうすると書きたくなってコラムのとはずがたりに中々気持ちが向かなくて……

 

6月1日

今日から葉書が10円値上げ。5月中旬に届いた往復葉書では丁寧に返信を出す時6月に入ったら10円切手をお貼り下さいとあって、そのことが強烈にインプットされました。で、5月最終日の昨日届いた往復葉書。欠席なのでまさか受けとってすぐには投函できず10円覚悟で保留にしてあります。笑

 

シャセリオー展。行きたかったけど結局無理でした。ミュシャ展も講座が終わったらと考えていたけどたぶん。以前と違って色々諦めることばかり。でも私よりも芸術に造詣深い方が高齢になって何もかも行かれなくなったのをみてきたから、人生ってそうやって諦めていくものだという達観がすでにあります。

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207.6.14 ツイッターから転載…腰越の講座を終えて。浄光明寺の赤橋流のことなど。

5月28日

一夜明けて受講生さんたちのキラキラ目を輝かせて旧知の仲のような感じになった笑顔が思い出されています。講座の一回目は皆様隣同士でもよそよそしい感じだったのに、二回目の昨日は教室全体が一つになった感じ。鎌倉の源氏物語を鎌倉市民の方がご自分たちの問題として楽しんで下さって行かれそう。

 

【七夕は鎌倉の源氏物語の日】という2013年に書いた一文を私は講演講座の度に毎回配らせて頂いています。源親行が河内本源氏物語を完成させたのが77日の未明でした。その時親行の胸をよぎったのは紫式部と長生殿の詩。いつか市民の皆様の力で実現して下さいと力説してマイクを置いてきます。

 

オレンジの薔薇が好きだから。

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紅い蔓薔薇がこんなに。

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私の蔓薔薇は昔に植えた樹だから、そして手間をかけてなくて伸び放題だから、今の可愛らしくてエレガントな薔薇のお庭ふうでなく、画像をアップするのもちょっと躊躇。白薔薇とこの紅薔薇の二本あって、両方とも樹幹がとても太く成長して強いです。今風でないのはこの紅の色もですね。

 

ラカリファを聴いて必死に気分を基子さんに戻そうと努めています。

 

5月29日

ほっとして気が緩むとかえって風邪をひいたりするから、家族がゆっくりすればと気を遣ってくれるのを振り切って()、昨日は広尾の図書館に。日本の古本屋にもなかった本をコピーしてきて読みながら就寝しました。講座でも思ったけど鎌倉の後半の歴史は本当に一般化していませんね。赤橋流って!

 

昨夜拝読のご論考にあった系図。重時ー長時ー義宗ー久時ー守時。鎌倉幕府最後の執権守時が重時の血筋だったなんてと目がテン。守時の妹が足利尊氏室より私にはこちらが重要。比企氏の血を継いでいるんですね。歴史になにか痕跡を残してるかしらとしばし見入ってしまいました。

 

扇谷にある浄光明寺は真言宗泉湧寺派で創建当初から泉湧寺と関係あったらしい。開基の長時は長く六波羅探題で京都にいたから泉湧寺の僧侶と親しい関係でもあったのかしらなど思う。鎌倉には珍しい泉湧寺派。こういう謎が六波羅探題を間に入れると無理なく納得。それにしてもこの頃泉湧寺話題が身近。

 

オレンジの薔薇が今日も綺麗です。

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メモ: 宗尊親王に近侍した長時が比企氏の血を継いでいるのだとしたら、宗尊親王に万葉集を献上した比企氏ゆかりの仙覚をどう見てたのだろうと検索しました。仙覚が献上したのは文永二年。長時の没年は元年。う〜ん、どうなんだろうとなっています。この辺りを書くまでに泉湧寺等膨らんでいるかも。

 

紅の蔓薔薇も綺麗です。紅の蔓薔薇も綺麗です。紅の蔓薔薇も綺麗です。紅の蔓薔薇も綺麗です。大輪だから一輪でも咲くと窓を開けると薔薇の香りが入り込んできます。

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2017.6.2 ツイッターから転載…5月27日の腰越の講座二回目終了まで

5月25日

先程ポストに有難いご研究の抜刷が届いているのを手にして感慨に耽っています。先日お会いして名乗らせて頂いた時に「知ってます。ブログを拝見しています」と仰られてドキッとしたのですが、今日拝受した抜刷で今後も無事に行かれそうでほっとしたのでした。

 

今にして思えば、あの本、後輩に差し上げてしまうのではなかった〜、となっています。またあの本の一帯が研究の対象になりそうで。(何もかももう終わったと思って、後は仙覚の小説に籠るのみの覚悟だったのに……)

 

日本の古本屋さんに一冊も無く(まさか!)、アマゾンで在庫切れで、都立図書館にはあったから仕方なくいつかコピーしに行きます。きっとこうなるというくらい貴重な出版だったのに、もう私は考古学から手を引いたのだからなど思い込んだのが間違いでした。()

 

拝受した抜刷、拝読しました。驚いたことにぴったし私の関心領域で興奮しました。不思議ですね。自著を語るの原稿終了直後にこの抜刷が届く。一番最初に書いた冷泉為相の論文を『源氏物語と鎌倉』に入れなかったのは、もしかしてまたこの原点に回帰するのかも。しばらくすることがないと思ってたのに。

 

先程のご論考。私もこのあたりのこと書いたはずだったのだけれど何処に?と思い出せなくて、でも書いたから明解に事情が把握できるわけでと記憶を振り絞ったら、なんと、「北条時頼と源氏物語」を執筆、中断だったのでした。これを書いていたからタウンニュースの松下禅尼が書けて、また為相も……

 

北条時頼は書いてみてわかったのだけれど真面目だからドラマにならなくて。でも鎌倉の後半の歴史に通底する人で、頼経にも松下禅尼にも建長寺にも蘭渓道隆にも道元にも、はたまた実時や叡尊、忍性にも、みんな背後に鎮座しています。だから時頼を書いていたから鎌倉禅研究会FBもこなせているわけで…

 

と、こんな大切な原稿を失念していたこと自体我ながら呆気にとられています。第九章「兀庵普寧と時頼」での時頼の開悟まで書き終わっていて、これから病に伏して臨終の章を残すだけ。今日頂いたご論考が何か忘れていたこの原稿の後押しになるのかも。原稿の完成も運命的な時宜があるのかもしれない。

 

特に意味ありませんが撮りたくなって。大切な夢窓疎石関連の4冊。古田紹欽氏は鈴木大拙の愛弟子さんだったんですね。高幡不動尊の参道にあった古書店で買った禅僧の歌。とても古い時代の方と思ってたら鈴木大拙展でお写真を見てお若くてビツクリ。

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5月26日

鎌倉文学館講座室をお借りした連続講座の第4回【『十六夜日記』と浄光明寺周辺】のチラシです。昨日頂いたご論考は人伝に私のこの活動を知られて資料を送って下さったのでした。この分野の研究をされている方がいらしたなんてと目が醒める思いです。

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昨夜熟考させて頂きわくわくしました。今までこの分野は為相や十六夜日記などの国文学関係で推し測るしかないと思っていたのですが、考古の資料で裏づけられるなんて。私も遺跡発掘調査をしていましたからご論の展開の鮮やかさが手に取るようにわかります。今後一層極められるとのこと。楽しみです。

 

考えてみれば私が考古学に携わったから、そうでない文献資料だけの研究者さんの見えない視点が見えたわけですね。たぶん石井進先生と網野善彦先生がなさった石和シンポのお陰です。(あの時は歴史の文献学と考古学のコラボでした。国文学の方は入ってなかったです)

今日は新月。昨年の初夏に腰越の講座のお話を頂き、夏に仙覚は誰かの研究発表をし、それから仙覚の小説にかかって籠って書いて、暮れに共著の原稿依頼を頂き、書いて、自著を語るも書いて、ようやく明日腰越の講座が終了。1年間、長かった。我ながらよくこなしたと思う。収穫は計り知れません。感謝。

 

いつもよりマニキュアを念入りに塗ったから、いつもより乾く時間を念入りにとって、しばしの無聊の時を楽しんでいます。

 

5月27日

無事に出て来られた今日の日に感謝。歩いていたら未央柳が咲いていました。長恨歌に太掖の芙蓉未央柳とあって、調べてこの花をスライドで紹介したら、これは江戸時代に入ってきたものと教えて頂き、またもっと調べたら長恨歌の未央柳は違う花でした。源氏物語の解説書にもこの花が紹介されてたような。

 

今日の道中のお供はドゥルーズのプルーストとシーニュ。宇波彰先生は写真論で傾倒させて頂きました。楽しい方です。でもこのプルースト論、従来のプルースト論とちょっと違う。全部読みきれるか怪しいですが、徒然に。

 

今日は自作の尾州家河内本源氏物語のレプリカと通常サイズの源氏物語の写本を持って来ました。改めて比べても尾州家本は異常に大きい。従来それは「さすが鎌倉武士が作った写本は野暮」といわれてましたが、そんなことはありません。宗尊親王が更迭されて京で作った中書王御詠も似たサイズです。

 

私はそれを冷泉家展で観て、その時もたしか宗尊親王は鎌倉にいたからと、暗に野暮を感じさせるキャプションでした。でも私はその中書王御詠で?となり、尾州家本は宗尊親王による制作?となったのでした。始めての講演用パワポの編集をしていた時です。だからまだ恐る恐るの提案でした。

 

愛される者は、ひとつのシーニュとして、《魂》として現れる。(宇波彰先生訳ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)。←面白いです。ドゥルーズが源氏物語を書いたらどうなんだろうと思ってしまいました。

 

講座二回目が終わって。はじめての湘南モノレール。

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湘南モノレール。終点は大船。大船観音が夕陽に輝いています。

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昨日和風総本家でかまくらカスターが紹介されて、たまたま今日鎌倉だから買えるかなと思ってたら、大船駅に出店していて、買ったよとメールしたら、赤いハートマークの絵文字いっぱいで返信されました。笑 美味しいですよ、ほんとに。

 

ドゥルーズのプルーストが面白くてしょっちゅう引用ご紹介したいくらいなのですが、車内だし、荷物があって不自由なので耐えています。笑

 

腰越の講座は無事に終わりました。1年間幹事さんが詰めて下さった経緯を拝見しているからとにかく無事に終了できたことが何より。参加者さんも二回目でも減ることなく目をキラキラさせて聴いて下さって、鎌倉にこんな歴史があったなんて知らなかったと。今日のメインは九条家と鎌倉の関係でした。

 

腰越で来年もお願いできますかと仰っていただいて、仙覚の小説に専念したいから今後はもう講演講座はお引き受けしないと決めているのだけれど、腰越の幹事さんは別。1日だけの会にして、鎌倉の蹴鞠をすることになります。たぶん。

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2017.6.1 ツイッターから転載…腰越の講座の第一回を終えて。タブレット入力に挑戦。

5月20日

おはようございます。今日は暑いですね。弱冷房車を避けて座りました。体調管理が大変だったから無事に出て来られたことに何よりの感謝です。昨夜パワポの練習をしようとしたらとうとうPCが徹底的に使えなくなって、編集している時はあんなに難なく使えてたのにとヒヤッとしました。奇跡的でした。

 

5月21日

おはようございます。しばらくラカリフィアを聴いて浸っていました。講座は無事に終えて皆様との交流も楽しかったのですが、思ったのは私にとって普及活動は本当に終わったのだなあということ。以前のような反芻が湧かないんです。そして早く私個人の世界に帰りたいということ。個の世界は豊饒です。

 

車で会場から江ノ電の駅まで送って頂いた時、あ、ここ人気のスポット、と思ったら果たしてそうでした。踏切のある道の先に海が見えます。人がたくさん集まっていて江ノ電が来るとみんな一斉にスマホのカメラを向けて。中国や台湾からの人達だそう。

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鎌倉は本当に狭いですね。昨日それを実感しました。普通なら会場から藤沢なり大船なりに送って下さってもいい距離なのですが、渋滞があるので江ノ電かモノレールを使った方が安全なのだそう。実際朝行く時も大船から腰越に向かうタクシーで渋滞を経験しました。幹事さんもそこまで気を使われて。

 

iPadに文章作成用アプリを入れました。仙覚の小説を四六時中手元において書くためにタブレット型のPCが欲しい等思っていた矢先にPCが壊れ、いよいよ本格的に新しいPCの購入を考えなければならなくなったのですが、昨夜ふっと気がついてアプリを。とりあえず8000字の原稿で試してみます。

 

iPadに入れたアプリで原稿を試しに書いているのですが、結構いけるかも。ただのノート状罫線に入力していくのだと気が入らない不安があったのですが、原稿用紙仕様にできるので試したら全然違う。きちんとした原稿を書いている充足感が出ました。感情を移入する小説にどうかはまだわかりませんが。

 

これ、怖いかも。PC の前に座って腰が痛いのを我慢しつつ入力していたのよりずっと楽。それにどこにでも持ち運べます。PCもノートを使っていたのですが、HDDと繋いだりしていると結局動かしませんものね。書きたいのにPCと離れているから書けないフラストレーション解消の一大革命の予感。

 

ここから窺えるのは、実時と親行が非常に親しい間柄だったということです……、こんな文章初めて。写本の側で書いてきたことを人的交流で書こうとしている。入力がタブレットという自在感溢れるものになったから?

 

5月22日

おはようございます。iPad入力があまりに楽で楽しくて興奮して止まらず朝の5時半までしていました。起きたら昨夜は考えてもいなかったことが次から次へ思い出されて、昨夜書いたのと別の切り口でまた始めます。こんなふうに思考の芋づる式が可能なら、このアプリ、本当に使えるかもしれません。

 

アプリ入力がいいのは文字数が簡単に確認できるところ。入力中の原稿は8000字という指定です。で、時々確認すると、あ、まだまだ導入部。ああ、これならこの数倍膨らませても大丈夫など、予定がたちます。クリックすると一瞬で文字数がわかるなんて夢のようです。

 

5月23日

タブレット入力は万年筆がワープロになって以来の筆記用具革命かもしれない、など思いながら終日持って歩いて執筆。PCでは夜一人になって自分の時間を確保してからしかできなかったのを終日。原稿がどんどん進みました。そして終日そればかり考えていられるから思念が切れない。生活まで変化します。

 

朝からとても気持ちが静か。それは、昨日一日タブレット入力していたから。つまり、ユーチューブを聴くことができないから、終日BGM無しに過ごしていたから身体が音楽を必要としなくなっているのです。こんなことは始めて。終日のタブレット入力は殆ど瞑想に近いです。ずんと心が鎮まっています。

 

柏葉紫陽花が咲き始めました。

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壊れていることもあるけれど、PCがない生活に慣れて、もしかしてこのままずっとPCは要らない心境になりそうなくらい静か。フォトショップとか画像系の仕事をするには必要だから買わないわけにいかないけど。少なくともタウンニュースのコラムは今後タブレット入力でします。

 

古書店で購入。円仁の図録(まるで私のためにあったかのような)。承久記(近々必要になるから)。宇波彰先生訳ジル・ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』。ほんとうは持運び用とはずがたりはないかしらと入ったのに。人の意向なんてこうして難なく崩されるのですね。でもドゥルーズのプルーストって?

 

今日の夕暮れ。

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5月24日

タブレット入力した原稿。プリントして校正しているのですが今まで書いたことのない展開。もしPCが壊れなくて書いてたらこれは書けなかっただろうとどこかで震撼としています。単に筆記道具が変わったからだけなのか、終日持って歩いて思念が途切れなかったから意識が深まっての結果か、不思議です。

 

環境次第で如何様にも人は変わるのだなあと怖い気がするのは、どの時点が正しいかの判断不可だから。万年筆からキーボード入力に変わった時、作家さんたちが文体が変わったと嘆いてらした。私は最初からキーボード入力なので指先から文章を繰り出す感覚はタブレットも同じと思うのだけれど。

 

少し前にTLで回ってきた透過光と反射光の集中力の問題。ほんとうにそうですね。タブレットで入力し、何回見直しても完璧と思った原稿が、昨夜印刷して推敲したら細かい箇所で赤い書き込みがいっぱい。三回目の印刷でようやく完成しました。単に昔人間だから紙派というわけでなかったなんて。

 

二回目の講座用パワポも無事に開けたとメールを頂いたからもう安心。一回目、論文で読んだら古色蒼然の難しい話なのだけれどパワポのお陰で皆様にこにこと「楽しかった。来週も楽しみ」と。二回目は頼経将軍以降。それこそ皆様に馴染みのない世界ですが、慈光経など映像が綺麗だから大丈夫です。

 

タブレット入力していた原稿は自著を語るのテーマで『源氏物語と鎌倉』について書きました。所収の「北条実時と『異本紫明抄』」「北条実時と『西本願寺本万葉集』」「『源氏物語』二大写本に秘めた慰謝」の三本の論文がどういう巡り合わせでできたかです。

 

『源氏物語と鎌倉』は、もうほんとうにいろいろな方との出逢いの中でできました。私個人の力や発想だけでは到底ここまで漕ぎ着けられませんでした。そんなことを振り返っていたらタイトルが「その輪廻の旅」に。そしてその輪廻の旅はまだ終わってなくて、仙覚の小説の完成でもって「完」となりますと。

 

昨夜todoリストファイルから自著を語るの予定を抜こうとしたら、忘れないためにとりあえず書いていた冒頭の文章を読んであまりの陳腐さに唖然。絶対にタブレット入力した今度の方がいい。意識の掘り起こしが単に入力の環境設定によるものか集中できたからか、自分が何かを乗り越えたのかは謎です。

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