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2017.7.22 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(42)吉本隆明・小林秀雄「実朝」を拝読して→仙覚の小説に戻ります

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7月21日

吉本隆明・小林秀雄両氏の実朝論を拝読していて唯一隔靴掻痒なのは光行がまだ研究されていない時代の作品だから。といっても光行の研究というのは今のところ私一人ですが(従来単なる地下の役人として無視されてました)、光行は自ら書写した万葉集を持って鎌倉に下向し、実朝に仕えました。

 

光行は鎌倉を去るにあたり『蒙求和歌』を作って実朝に献上したといいます……光行万葉集を持って鎌倉に下向→頼朝逝去時、実朝8歳、光行37歳→実朝12歳、四代将軍就任→実朝二十歳の頃、光行『蒙求和歌』献上して帰洛→実朝『金塊和歌集』をまとめる→実朝22歳、定家より万葉集を贈られる。

 

実朝、陳和卿による造船25歳→暗殺、28歳。この時光行は57歳。京でこの報を聞き思いは如何ばかりだったでしょう。陳和卿の造船の前年、仙覚は13歳で比企で万葉集をめざす決意をしています。

 

仙覚はずっと比企で過ごし、将軍頼経の時代になるまで鎌倉と無縁。でも実朝の造船の風聞は耳にしていたでしょう。人の噂として小説に書くことに。実朝は兄頼家が殺された比企の乱で将軍になった人。その比企の乱で生まれたのが仙覚…。(吉本隆明「実朝」では頼家の死に方が実朝の人生観にと)

 

昨年8月に仙覚の研究発表をし論文でなく小説でまとめる決意で始めた『仙覚』。国文学の流れだけでなら仙覚はとっくに生まれています。なのに時代背景をきちんとしたくて時政やら実朝やら迂回しているからまだ生まれてません。でも実朝の陳和卿話題などが実際は仙覚の時代だったんだ~と私自身感銘。

 

それにしても、比企の乱で将軍になった実朝と生まれた仙覚。二人の出発にあるのは二代将軍頼家の死。その実朝が殺されて頼経が将軍になり、その頼経に仙覚は万葉集の校訂を命じられ、貸し与えられた3冊のうちの1冊が定家から贈られた実朝の万葉集。この人間関係、どこまで輪廻なのでしょう。

 

壮大な宇宙のなかの人の世の輪廻には、なにか壮大な必然がある気がする。

 

たぶんそれを書くのが文学で、それを解くのも文学。それがあの小林秀雄の一節。

 

今日はもうずっと吉本隆明、小林秀雄両氏の実朝論から仙覚が離れません。

 

7月22日

やっと仙覚の小説第三章「名越・浜御所」が動き出しました。今朝冒頭の1行が浮かんで。こうならないとダメ。頑張って書いていた今までの分は削除。頑張って書いていても、これじゃあダメだなあという思いが底にあるから、時政とか名越邸とか和賀江島とか実朝とかグルグル渉猟してました。

 

鎌倉で私の「鎌倉の源氏物語」を支援して下さる方から京都思文閣の図録に正嘉二年の具注暦が載っていたからと、「忘れもしない正嘉二年」というメールで画像を送って下さいました。北条実時が完成したばかりの河内本源氏物語を親行から借りて書写した年です。正嘉二年に反応されるなんて!

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