11月21日
謎が解けて腑に落ちる、霧が晴れて視界が明確になるっていいですね! 時政を追っている時は何が何だかわからないまま、それでも探る楽しさで夢中だったのですが、時政の「心」に入ることができて気が軽くなりました。仙覚の小説も「なぜ比企の乱がおきたか」が不可解で停滞していたのですが進めます。
でも、後から詰めますが、まだ光行が鎌倉に下向していないのにスライドがもう80余枚。だいたい120枚が持ち時間の90分なのに。笑
11月22日
おはようございます。小林泰三氏『後白河上皇 「絵巻物」の力で武士に勝った帝』を拝読しています。「デジタル画像処理技術で日本美術作品を復元し、立ち現れてくる事実を公表」されている方のご著作。文献の学者さんと全く違った視点がおありでこれは興味深いです!
棚橋光男氏『後白河法皇』が小林泰三氏『後白河上皇』の起点だったという。それまで後白河院は貴族社会から武士社会への過渡期に過ぎないと軽視されていたのを「直接我が手で王権の中世を引き寄せた人物」と。歴史って、軽視されている狭間に凄い面白い事実があるんですね。棚橋氏のご本、再読します。
パワポの編集。やっと光行が鎌倉に下向しました。今までと違うのは光行の下向が仕えていた平家が滅びたからでなく、後白河院宮廷と幕府を結ぶ使命を帯びての下向だったことを明記したこと。数年たってここまで進化しました。従来の研究では地下の役人。それを「源光行の鎌倉下向」で論証しました。

それにしても光行の下向は奥州合戦の後なんですね。今まで奥州合戦を省略していたから気がつきませんでした。光行の源氏物語という国文学的観点だけでは奥州合戦は必要なく、今回運慶を入れて永福寺に繋げる必要から奥州合戦を入れたのでした。
今朝、グローブ状の放射状雲が出ていました。東京湾ー九十九里浜沖かと思います。

昨日、文化園前で。夕陽が綺麗でした。

パワポの編集。頼朝が亡くなり、運慶が等身大のお像を造ったところまで来たのだけれど、あれ?、実朝が生まれていない、と気がついて遡って入れました。時政の名越邸で生まれているので私的に重要。鎌倉の源氏物語に特化していた今までの国文学的観点重視の編集とほんとうに違う。
ということは、光行の『原中最秘抄』のエピソードも、親行の楊貴妃のエピソードも、必要なくなってくるのかも。え~っ! まさか、という気分です。
結局私は、光行の源氏物語のために源平の争乱と清盛を、仙覚の万葉集のために比企の乱と時政を、延々とこだわって編集しているのだとわかってきました。実朝誕生を入れたら突然に。実朝が名越邸で生まれたその名越邸で比企の乱が勃発したことを思い出して。
今ごろになって? と呆れられそうですが・・・。済みません。(最後はきっちり辻褄が合うようにします)
11月23日
おはようございます。昨日TLで「冷泉家時雨亭叢書完結」のニュースを読んだ時の感動を目覚めと同時に思い出して感慨に耽っています。地元の図書館にあるので時々参照させて頂いていましたが、これから必要に駆られてでなくのんびり全巻目を通したいなと。文化を大切に継承することが大事と思います。
たぶん「冷泉家時雨亭叢書完結」の感動の余韻からだと思いますが、起きがけに、あ、パワポの最後に蓬左文庫の碑を入れよう、と思いつきました。尾州家河内本源氏物語の所蔵先として。鎌倉で作られたこの写本が今はここに納められていますとお話します。(平成25年に全巻公開で訪れた時の写真です)

それにしても、ほんとうに私は長い長い旅をしているなあと。紫式部からはじまり、白河院を経て清盛へ。源平の争乱が終わって鎌倉幕府の時代になって、比企の乱(パワポは今ここ)。これから将軍頼経の時代になって仙覚が登場して、宗尊親王の時代になって尾州家河内本の成立。そして、パワポ完成。
連ツイ済みません。パワポの編集をしていると、その時代時代の人物や事件、作品に影響されて、自分はもうずっとこれに携わってもいいと傾倒しまいますが、「冷泉家時雨亭叢書完結」のニュースでやはり私の原点はここなのだという尾州家河内本への思いが復活したのでした。