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2017.11.29 昨日、無事に鎌倉生涯学習センターでの講演【源氏物語の歴史と鎌倉の文化】を終えました。

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昨日11月28日、鎌倉の生涯学習センターにて、詩吟の会「公益社団法人日本詩吟学院 翔風吟道会」様主催の講演【源氏物語の歴史と鎌倉の文化】を無事に終えることができました。

詩吟の会の皆様はふだんから歴史文化になじんでいられるから、タイトルからをご覧になっての講演を楽しみにして下さっていて、開始前に私が講師と知ると、「楽しみにしているんですよ」と、何人もの方にそう言って頂きました。講演中も、皆様目をきらきらさせてくいいるように聴いて下さっているのがわかりました。

会場は280人入るらしいのですが、ぎっしりで立見の方も出られたほど。主催の方が「会員だけでは埋まらない。どういう方がいらしてるのかしら」と首をかしげられてました。特に宣伝はされていられなかったようだし、もしかして私がツイッターやブログに書き込んでいるから、それからいらして下さった方が? と思っています。ありがとうございました。

私がこのテーマの講演を続けるのは、今まで鎌倉は武士の都の一辺倒で、公家文化もあったのに、それは鎌倉を研究される歴史学者さんや、『源氏物語』は京都のものにしか価値を認めない国文学者さんのために、一般市民の方々に知らされてこなかったことへの義憤からでした。

昨日は私に最初に鎌倉でこの講演をさせて下さって以来、二人三脚で歩んできた鎌倉の方もいらして下さっていて、しみじみその方とお話したのですが、2010年11月の最初の講演から、昨日は2017年11月ですから、ちょうど丸七年。集大成ね、と感慨に耽りました。写真はその方が撮って下さったものです。

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2017.11.27 ツイッターから転載…運慶展が閉幕しました&明日、鎌倉の生涯学習センターで「源氏物語の歴史と鎌倉の文化」という講演をします。午後1時からです。

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11月26日

運慶展最終日。晴れてよかったですね。凄い展示を見せて頂いて心から感謝しています。ありがとうございました。(それにしても関係者の皆様の誰もいないフロアで北円堂空間の無著像など全体を撮られる機会があったことに羨ましさを・・・写真に感嘆しながらも・・・)

 

おはようございます。たった今小林泰三氏『後白河上皇 「絵巻物」の力で武士に勝った帝』読了。凄い本を読んだという感じで茫然としています。絵巻物をデジタル復元されている方の後白河院の読み。これは学者さんの視点では到底見えない院周辺のリアルな世界。何かが覆されています。

 

これを拝読したら、歴史は歴史学者さんだけの見方では固定的過ぎるか上から目線的か、一種学問の枠にはまってしまっていて、事実はもっと流動的なのだと思わざるを得なくなりました。後白河院の今様狂いにしても、それを「狂い」と片付ける従来の後白河観から、庶民を味方につけた劇場型の覇者と。

 

パワポの編集でなぜこれを読み始めたか忘れてしまっていたのですが、運慶が後白河院の法住寺殿の活況を見ていたか、あるいは参加していたか、を探り、それをどう感じていたかを知るためでした。運慶が見た後白河院、そんなところをこれから考えます。ちなみに昨夜パワポの編集は終わりました。

 

「絵巻物の力で武士に勝った帝」より。庶民たちの後白河にたいする人気はすごいものだったという。後白河に相当するのが小泉純一郎である。普段勢力として機能していない圧倒的多数の人々を焚きつけ一大ムーブメントを起こしたとき、世の中は変わってしまう・・・なにか今も重要なことがここに・・・

 

頼朝はその後白河の力を感じ取っていたと。さすが、頼朝!ですね。笑

 

運慶展。あり得ない空間ですよね。運慶という一人の仏師が占領する空間。そのことが包摂する歴史。私も28日の講演がなければやはりもう一度とこの最後の日を惜しみつつ思います。関係者様ほんとうにありがとうございました。

 

棚橋光男『後白河法皇』を拝読中です。

 

今日は終日パワポをいじらないで過ごして後白河院に嵌っていました。後白河法皇、今頃になって近づいてくるとは。棚橋光男氏のご著書、遺跡発掘に従事していた時に一度拝読していたのですが、なんにもわかっていませんでした。なのに一応、読んだ、のですよね。読書って不思議です。

 

創造性とは感受性にささえられた明晰さ、すなわち文体のことだ。(辻井喬『深夜の読書』)←棚橋光男『後白河法皇』より

 

11月27日

ただいま《上弦》です。

 

おはようございます。晴れてすがすがしい朝ですね。講演前日。私は今日は家に籠って過ごします。外に出てなにかを貰って帰ったりしたら大変だから。当日より前日のほうが緊張。無事に体がもちますようにと。笑

 

明日の講演のパワポ。155枚だったのを今朝132枚まで減らし、これから120枚くらいにまで減らしたら完成にします。そうしたらもう後は明朝出かけるだけ。今日はのんびり。先ほどまでテレビを見ながらマニキュアを乾かしていました。

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2017.11.25 ツイッターから転載…講演「源氏物語の歴史と鎌倉の文化」用パワポの編集中。来年八月に講演させて頂くことに。

11月24日

おはようございます。詩吟の会の講演は逗子支部も共催に入って下さっているからこれを入れようと思っていたことを忘れていました。六代御前のことです。逗子市で斬られたのでした。このスライドは学会の発表に使ったものですが、これから時政が捕縛して最後には斬ったと編集し直します。

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パワポの編集。思いついて比企を示す地図を入れました。比企といってもご存じない方がほとんどでしょうから。

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ずっと来られなかった美容院終了。これでまず一安心、笑。昨日TVIKKOさんの美容意識を拝見したけど、素晴らしいですね。私は書くことに専念したら美容意識なんて吹っ飛んでしまうから少しは意識しようと思ったのでした。体調を整えるために玄米に変えたり、だんだん体調も整ってきています。

 

『リポート笠間』№63、拝受しました。ありがとうございました。いつも恐縮しつつ手にとらせて頂いています。

 

来年講演させて頂くお話を頂いて、私なんかでいいかしらと躊躇しつつ一応その旨をお伝えしたら日程はこの日で如何ですかと返ってきて、結局躊躇いながら承りましたとお返事。で、もうその講演のテーマを絞るべく頭の中で試案がぐるぐる。28日の講演も来年2月の講演もパワポすらまだ終わってないのに。

 

11月25日

おはようございます。昨日喪中のお葉書を頂いた方や諸々の所用の溜まっていたお知らせなど手紙を書いて投函してすっきりと思っていたら、今TLで手紙を書かねばの呟きを拝見して一件忘れていたことを思い出しました。こちらは気が楽な楽しい手紙だから今日書きます。気づかせて下さったことに感謝。

 

スマホでFacebookを更新するよう出ていたのでしたら応答しなくなって何度試してもダメ。気がついて、そうだ、スマホにFacebookは必要なかったとアンインストールしました。これでスッキリ。

 

なんか、スマホからFBが消えただけでこんなに身が軽くなった気分だなんて。今だってスマホは離れたところに置いてあるから関係ないのだけれど気分がこんなに。FBは必要に応じて夜チェックすればいいとは私の対処の仕方。自分から向かうのはツイッター。ほんとうにFBとツイッターって違いますね。

 

やっとある一つの言葉が浮かんでたぶんこれで決まり。昨日頂いた講演のタイトル。内容については今朝早々にOKを頂いていました。言葉は浮かぶまでが大変。家事をしながら考えていたからお陰でシンク周りがピカピカになりました。笑

 

タイトルもOKを頂きました。

 

パワポの編集。あの方が来て下さるから建長寺建立を。あの方がお見えになるから頼家の蹴鞠をなど思い入れて編集してきましたが、最後の実時と尾州家河内本にまでようやくたどりつきました。今回は時政をきっちり入れたからその分後半が省略形になったけど時政の怖さを知って仙覚を見るから却って完璧。

 

そうだ、時政の材木海岸の延長で和賀江島を入れるのを忘れてたと思い、入れようとして年代を見たら和賀江島は実朝暗殺よりずっと後。竹御所が将軍頼経と結婚して幸せに暮らしていた時代でした。和賀江島築造の二年後に竹御所が難産で崩御します。執権泰時の時代とは知っていたけれど認識不足です。

 

連ツイになりますが、今回の聴衆の方のほとんどがご高齢の方々と伺って、とにかくわかりやすく字を大きく楽しくを心がけて作っていたら、今までのがかなり学術的にこだわっていたことが判明。これは私自身が研究の真っ最中でそのこだわりにこそ意味があるとばかりに突っ張っていた結果なのだと反省。

 

建長五年の建長寺建立のスライドです。鎌倉の源氏物語ブームの主役になる宗尊親王は時頼の招聘。11歳で両親から引き離されて下向した少年宗尊親王を時頼は慈しみ崇めて仕えます。親王にとっては異国の地鎌倉で唯一頼れる父のような存在でした。時頼が生きていたら宗尊親王の更迭はなかったでしょう。

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2017.11.24 ツイッターから転載…28日の講演「源氏物語の歴史と鎌倉の文化」用パワポの編集にかかっています。

11月21日

謎が解けて腑に落ちる、霧が晴れて視界が明確になるっていいですね! 時政を追っている時は何が何だかわからないまま、それでも探る楽しさで夢中だったのですが、時政の「心」に入ることができて気が軽くなりました。仙覚の小説も「なぜ比企の乱がおきたか」が不可解で停滞していたのですが進めます。

 

でも、後から詰めますが、まだ光行が鎌倉に下向していないのにスライドがもう80余枚。だいたい120枚が持ち時間の90分なのに。笑

 

11月22日

おはようございます。小林泰三氏『後白河上皇 「絵巻物」の力で武士に勝った帝』を拝読しています。「デジタル画像処理技術で日本美術作品を復元し、立ち現れてくる事実を公表」されている方のご著作。文献の学者さんと全く違った視点がおありでこれは興味深いです!

 

棚橋光男氏『後白河法皇』が小林泰三氏『後白河上皇』の起点だったという。それまで後白河院は貴族社会から武士社会への過渡期に過ぎないと軽視されていたのを「直接我が手で王権の中世を引き寄せた人物」と。歴史って、軽視されている狭間に凄い面白い事実があるんですね。棚橋氏のご本、再読します。

 

パワポの編集。やっと光行が鎌倉に下向しました。今までと違うのは光行の下向が仕えていた平家が滅びたからでなく、後白河院宮廷と幕府を結ぶ使命を帯びての下向だったことを明記したこと。数年たってここまで進化しました。従来の研究では地下の役人。それを「源光行の鎌倉下向」で論証しました。

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それにしても光行の下向は奥州合戦の後なんですね。今まで奥州合戦を省略していたから気がつきませんでした。光行の源氏物語という国文学的観点だけでは奥州合戦は必要なく、今回運慶を入れて永福寺に繋げる必要から奥州合戦を入れたのでした。

 

今朝、グローブ状の放射状雲が出ていました。東京湾ー九十九里浜沖かと思います。

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昨日、文化園前で。夕陽が綺麗でした。

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パワポの編集。頼朝が亡くなり、運慶が等身大のお像を造ったところまで来たのだけれど、あれ?、実朝が生まれていない、と気がついて遡って入れました。時政の名越邸で生まれているので私的に重要。鎌倉の源氏物語に特化していた今までの国文学的観点重視の編集とほんとうに違う。

 

ということは、光行の『原中最秘抄』のエピソードも、親行の楊貴妃のエピソードも、必要なくなってくるのかも。え~っ! まさか、という気分です。

 

結局私は、光行の源氏物語のために源平の争乱と清盛を、仙覚の万葉集のために比企の乱と時政を、延々とこだわって編集しているのだとわかってきました。実朝誕生を入れたら突然に。実朝が名越邸で生まれたその名越邸で比企の乱が勃発したことを思い出して。

 

今ごろになって? と呆れられそうですが・・・。済みません。(最後はきっちり辻褄が合うようにします)

 

11月23日

おはようございます。昨日TLで「冷泉家時雨亭叢書完結」のニュースを読んだ時の感動を目覚めと同時に思い出して感慨に耽っています。地元の図書館にあるので時々参照させて頂いていましたが、これから必要に駆られてでなくのんびり全巻目を通したいなと。文化を大切に継承することが大事と思います。

 

たぶん「冷泉家時雨亭叢書完結」の感動の余韻からだと思いますが、起きがけに、あ、パワポの最後に蓬左文庫の碑を入れよう、と思いつきました。尾州家河内本源氏物語の所蔵先として。鎌倉で作られたこの写本が今はここに納められていますとお話します。(平成25年に全巻公開で訪れた時の写真です)

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それにしても、ほんとうに私は長い長い旅をしているなあと。紫式部からはじまり、白河院を経て清盛へ。源平の争乱が終わって鎌倉幕府の時代になって、比企の乱(パワポは今ここ)。これから将軍頼経の時代になって仙覚が登場して、宗尊親王の時代になって尾州家河内本の成立。そして、パワポ完成。

 

連ツイ済みません。パワポの編集をしていると、その時代時代の人物や事件、作品に影響されて、自分はもうずっとこれに携わってもいいと傾倒しまいますが、「冷泉家時雨亭叢書完結」のニュースでやはり私の原点はここなのだという尾州家河内本への思いが復活したのでした。

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2017.11.21 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(79)時政と六波羅蜜寺のことなど

11月19日

編集中のパワポ。やっと頼朝の奥州合戦にきました。これは今までの講演で除外していた部分。奥州合戦にその後の鎌倉永福寺建立や時政の伊豆韮山願成就院建立が絡んできます。運慶も。ちなみに源氏物語の光行はまだ下向してません。今までとがらっと趣が変わります。

 

今までの源光行が鎌倉に『源氏物語』をもたらす編集に時政を投入したら、それぞれ別々にわかっていたつもりの事件がぴったり正確な年代の入れ子状態にはなっていなかったことに驚いています。例えば頼朝が政子と結婚したのは鹿ケ谷の陰謀年頃だったとか…。

 

11月20日

おはようございます。パワポの編集、六波羅蜜寺が動き出して楽しくなってきたのだけれど、六波羅関係はほんとうに鎌倉の方の関心外だなあと。鎌倉の歴史は源家三代が人気で北条氏になってからはマニアックなファンしか。六波羅探題はもっと知られるべきと思う。

 

昨日スライドで六波羅蜜寺の清盛公の塚の写真を使ったのだけれど、撮ったのは私もまだ歴史を知らない時だったから滅びた清盛の塚があるのが謎でした。六波羅蜜寺には清盛像も。どうもここには平家追悼の思いがあって、それが鎌倉幕府の気に障ってないらしいのが不思議です。

 

私見ですが、六波羅の地を管理した時政も、六波羅蜜寺に工房を構えた運慶も、活躍したのは源氏の世になってからだけど、若い時に感性を磨く恩恵を受けたのは平家の人たちによって。私は、時政も運慶も清盛を知っていて、内心崇めていたのではと思っています。

 

28日は詩吟の会のイベントだから私が参加者様を募る必要はないのだけれど、今までお世話になった節目節目の方にお知らせしたら久しぶりだからとどの方も来て下さるとまるで同窓会。鎌倉の源氏物語は何回も聴いて下さっている方々だけど時政運慶の新しい視点を聴いて頂きます。

 

パワポの編集。11月に入った時からとりかかる決意をしていたのに諸事が次々あってそれをこなしているあいだにと思っても集中できない。金曜日に運慶展に行ったのを最後に諸事終わったからもう専念と決めたら六波羅が動き出して楽しくなりました。兼務は無理な体質のよう。

 

武蔵野の雑木林です。

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Tで流れてきてプリントした元木泰雄氏「院政期興福寺考」。まさに私が知りたくて探していた内容。興福寺悪僧信実がメインで、時政の叔父とも従兄弟ともいわれる人物です。保元物語ではなぜそうなったかが不明。それが如実に説明されている論文でした。目を疑いました。タイトルからは期待していなかったから。

 

11月21日

おはようございます。目覚め時に閃いたこと。頼朝が唯一心を許して相談していた人物、それが時政だということ。どうしてこんなに時政から離れられないのか今一つ自分で理解できていなかったのですが、ここですね、原点は。頼朝にとって舅時政だけが頼れる相手だった…

 

これから比企の乱に向かうのですが、時政が比企能員を滅ぼすのが比企の乱。それは頼家が二代将軍になり比企氏が外戚となると北条氏がその地位を奪われるからという構図ですが、時政にはそれだけでない思いがあったということ。幕府は頼朝と自分が築いたものだから。

 

時政が京都守護として上洛した時のスライドです。28日の講演はネットもメールもなさらないような高齢の方が多い詩吟の会と伺っているので、わかりやすいように画面をとにかく見栄え優先文字サイズ巨大にを心がけて作っています。そうしたら今まで守ってきた品位のタガがはずれてちょっとヤバイ。笑Dphq1qyuqaa9wuz

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2017.11.19 ツイッターから転載…運慶展後期に行きました。ある講座に申し込んでQRコードのチケットに四苦八苦。

11月17日

おはようございます。昨夜から寝ている間も密教のことを考えています。人生ってこんなふうに突然転機の時が訪れるのですね。鎌倉に関わってずっと禅宗かと思っていたら突然密教回帰。でもそれは深いところで執筆の筆先がそうあらしめているのだと今気がつきました。必然でした。

 

運慶を書こうとしていたから密教が浮かび、でもまだそれが核心とも思わず呟いたら山本先生からのご教示で一気に本丸突入。たった半日の出来事でした。鎌倉に関わって禅宗に入った時、密教が遠くに行ってしまいました。今度は禅宗が原稿が時頼の時代になるまで遠い存在に。

 

家人を送り出して改めておはようございます。今日は資料館に籠ってコピーの予定。RTのビジュアル版京都1000年地図帳を調べたら地元の図書館にないのでこれもリストに。今日に向けて体力を備えてきたのだけれど夜まで持つかなあ。阿古丸の論文も探します。

 

昨日文学碑めぐりの校正を投函して、今英文タイトルをメールで送信。これですべて完了。たぶんもう学会の投稿はしないでしょう。仙覚は誰かの役目を果たしたから。学会に入会・発表させて頂いたご恩返しにもなったから。今後新しいフィールドで頑張ります。文学という古巣。

 

運慶展の帰りです。夜間開館を狙って、それまで資料室でコピーをしていました。なのに暗くなっても訪れる人が絶えずずっと30分待ちくらいでした。でもとにかく凄い空間の連続です。浄楽寺、興福寺など寺院空間が展示されてるから。

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東博の秋。ゆりの木です。

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帰りの近道、西洋美術館を通ります。地獄門がライトアップされていました。Do055oevoaayvy5

初日に行った時に拝せなかった、浄楽寺阿弥陀三尊像、瑞林寺地蔵菩薩像、重源像。二度目でも目が釘付けの円成寺大日如来像、六波羅蜜寺地蔵菩薩像、滝山寺聖観音像…。二度目だからやっと康慶と運慶の違いがわかりました。こんなに準備して観た展覧会ははじめて。

11月18日

おはようございます。昨日の秋晴れがこんなに綺麗に写るんだったらもっと撮ってくればよかったと後悔している朝です。昨日はとるコピーのこととその後の夜間開館で並ぶ待ち時間のことで頭がいっぱいいっぱいでした。運慶展の余韻、まだ浸っています。

 

ただいま《朔》です。

 

11月19日

おはようございます。昨夜比企の方からのメールに外は猛烈な木枯らしと。我が家では違ったけど比企とこんなに違うんですね。隣の埼玉なのに。今日は新月だしちょうどいいからある方にお手紙を書こうと思う。六波羅蜜寺のことで。いろいろ巡りが戻ってきています。

 

運慶展に行くとお知らせしたら運慶展の図録はたくさんあるから買わないできて下さいとのお返事。帰ったら、ごめんなさい、あるのは運慶展でなく国宝展の図録でしたとのメール。国宝展の図録でも送って下さればいいのにね、とは家人の言葉。笑

 

運慶展が開催されてよかったこと。興福寺様が身近になりました。今度奈良に行ったら訪ねさせて頂きます。今までほんとうに通り抜けるだけでした。(門がないからだったとは・・・。結構、門に囲まれた寺院空間・異空間という意識、重要ですね)

 

QRコードのチケットを受信しさて保存をと思ったら、スクリーンショットでとあり、今度はさてどうやったらスクリーンショットをとれるの? などと四苦八苦。やっとスマホに収まってほっとしたところです。いつも何かの拍子にスクリーンショットがとれてしまって謎だったのですが、こうだったんだ~と。

 

QRコードのチケットは三回目。一回目は受付でスマホから画面を出せなくて失敗。二回目は万全を期して成功。でもスクリーンショットで保存しておくのは知らなかったから今度こそ安心、です。笑

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2017.11.18 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(79)運慶と密教の関係について、など

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11月16日

谷戸は奥が行きどまりの狭い空間だから、はけ口のない空気が溜まって知らず知らずしてひとつの生命体となり、往時のままの時間を風化させずにとどめている。その谷戸のひとつひとつに固有の歴史が刻まれており、比企谷はそういう谷戸のひとつである←前にもご紹介したけれど執筆中の「仙覚」の一説。

 

昨日谷戸のご本が出るとTLで拝見しました。こちらの研究者さん方は私の鎌倉探求とテーマが重なっているから私が知らないところで私の活動を知ってらして不思議だったのですが、鎌倉禅研究会の打ち上げで実際の方々と懇親するようになって謎が解けました。このご本も待たせて頂いています。

 

昨日谷戸のご本の発売を拝見して比企谷について書いた時の文章を思い出し、今朝また善峯寺様のツイートで「はじめに」で書いた玄覚を思い出し、心が仙覚の小説に回帰しています。きっと戻るのが早い。というか、私には文学しかないの気持ちが強いです。

 

仏像彫刻史に疎いので漠然としか書けませんがなにか引っかかっていて、それは運慶の最初の彫刻がなぜ大日如来像だったのだろうと。同時期興福寺では法相宗系の造像が進んでいたわけだし、運慶だけなぜ密教?と。後年の無着像のカツラ材使用に覚禅抄が関係とか。これも密教。

 

28日講演当日夜の申し込んでいた講座。応募多数の場合は抽選とあったのが無事通過したみたい。受講証が届きました。講演の後なので大丈夫かなあと思いつつ意を決して申し込んだのですが。頑張ろうっと!

 

山本先生、ありがとうございました。後白河院とは思ってもいませんでした。納得です。このあたり、もっと追及し甲斐がありますね。今日のお講座、よほど拝聴させて頂きたかったのですが体力的に無理で諦めて残念でした。でもまた楽しみができました。(時代はまさに密教。蓮華王院と関係あるとご教示頂いて)

 

運慶。これで終わりと思ってもまた課題が浮かびあがる。しかも遥かに魅力を増して。しばし運慶と空海になるのだろうか。

 

再掲になるか忘れましたが再掲させて頂きます。今FBに載せたついでで済みません。11月28日(火)1時~。鎌倉生涯学習センターで「源氏物語の歴史と鎌倉の文化」という講演をさせて頂きます。これが済んだら晴れて私は仙覚の小説に専念できます。でも、本当にそうしないと小説が完成しない・・・

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今までの鎌倉の源氏物語に時政と運慶を加味してと考えていましたが、ついさっき山本先生からコメントを戴いた運慶と密教の関係も模索したく、時間があってもあっても足りません・・・(と、嬉しい悲鳴)

 

運慶と密教の件。最初に運慶を認識したのが真如苑の大日如来像だったからか、運慶は私にとって最初から密教の人でした。なのに人生をひもどいていったら興福寺の僧侶。考えを改めてその方向で考えていたのですが、無著の唯識とかいろいろ思うとどうも運慶の中に密教があるとしか思えず謎でした。

メモ: 大日如来は宇宙の真理で、というセリフを誰に言わそうと思案。密教的思考からしばらく離れていたからそのあたり、書けるかなあ。なんとなく運慶は空海の虚空尽き涅槃尽き衆生尽きなばを実践している気がする。

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2017.11.16 ツイッターから転載…日々の雑感

11月14日

昨夜ご高齢で闘病中の文学の先輩にお電話したら思った以上にお元気でついつい以前のように長電話。失意の時どれくらいこの方の声に慰めて頂いたでしょう。思いがけず彼女、運慶が好きと聞いて、資料を送って下さるのを待ってるのよと言われ、吉祥寺に別冊太陽を買いに出ました。

 

昨夜運慶の他に仙覚の話をしていて、貴方ってもう10年も仙覚をしてるのねと。あの頃は知識として精一杯だったけど、今は人間として感じられると二人で一致。で、キャスティングを誰に考えてるの?と問われて私はまだ。すると彼女がある俳優さんの名前を。ピッタリで驚きました。

 

2013年に講演した時のスライドです。仙覚には二つ、鎌倉市妙本寺境内と埼玉県比企郡小川町とに顕彰碑があります。妙本寺境内は『万葉集』奥書に、小川町は『万葉集註釈』に、それぞれゆかりの地と記されています。妙本寺境内の碑は井上通泰氏、小川町の碑は佐佐木信綱博士のご尽力で建立されました。

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学会の機関誌表紙用「文学碑めぐり」に応募した「仙覚の二つの碑」はこれをもとに書きました。主な内容は「仙覚は誰か」になってしまいましたが。明日校正を発送して手が離れます。

 

28日の鎌倉学習センターでの講演は詩吟の大会での記念講演ですが一般の方のご参加も自由です。今まで鎌倉の源氏物語か、鎌倉の万葉集か、で特化してお話していましたが、今度はそれに時政と運慶を加えて壮大な歴史絵巻にしたいと試みています。長くやってきたから私の中でもこなれてきて。

 

11月15日

昨夜私の鎌倉の活動に産声をあげさせて下さった方と長電話。話している中で私の活動は不思議な縁の繋がりで運ばれているけど、なんか一番最初のこの方の設定で講演させて頂いた鎌倉投信邸での床の間に飾られた黒川真頼の絵の掛け軸からオーラが発されているみたいねと。黒川真頼に守られているなんて。

 

黒川真頼は江戸時代の国文学者で、この方の家に真頼が描いた業平風の掛け軸があって、源氏物語の講演に花を添えるよう飾って下さったのでした。その真頼の黒川本がノートルダム清心女子大学に文庫になっていてそこに私の最初の論文異本紫明抄が。それを知ったのはずっと後だったから驚きました。

 

運慶展の待ち時間。こうなる前に行かなくてはと思っていて、どうしても行かれなくて、やはりこんな。立って並んでいられる体力の自信がないのだけれど。(夕方になっても待ち時間40分の記事を見て)

 

運慶展。初日に観た時にはお昼過ぎに出て来たら、さぞ行列ができていることと思っていたのに玄関先に一人も並んでなくて、内心大丈夫かしらと主催者でもないのに青ざめたのが今では夢のよう。あの頃の感じでは後半になってもそんなに並ばずに済みそうだったのに。

 

玉川上水に白鷺がいました。

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玉川上水。土手の白菊が野菊の風情で素敵。Doqqpv3u8aawimg

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2017.11.14 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(78)運慶と法住寺、阿古丸のこと。証菩提寺の阿弥陀三尊像のこと。

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2013年に使用したパワポのスライドですが、この仙覚の二つの碑を紹介する「文学碑めぐり」の校正が届いていて、目下とりかかっています。

11月12日

今日の道中のお供は日本詩人選・西郷信綱編『梁塵秘抄』。古書で買って長く本棚に並べていたままだった本。今頃になってむさぼるように読むことになろうとは。運慶関連です。ゆくゆくは仙覚関連になります。歴史は何が関係してくるかわからない!

 

11月13日

おはようございます。昨日のTLで証菩提寺のみ仏で岡崎義実の名前を拝見し、鎌倉禅研究会で高橋秀栄先生がなさった寿福寺のお話にたしか登場したはずと気にかかり、今確かめました。岡崎義実は義朝の菩提を弔うために亀ケ谷に堂宇を建て頼朝に宿老として重用された人物として登場していました。

 

岡崎義実が嫡男佐奈田与一義忠の菩提を弔うために建てたのが証菩提寺。佐奈田与一は石橋山の戦いで頼朝に従い25歳の若さで亡くなったのでした。証菩提寺はその後、北条氏の寺院となって泰時娘が阿弥陀堂を建立します。そこに東寺から戻った円顕が住しました。円顕は比企能員男で比企の乱の時は2歳。

 

佐奈田与一義忠を討ったのが長尾定景で、のちに捕えられて義実に身柄を預けられます。が、義実は斬首できず頼朝に赦免を願い出ます。その定景が実朝を暗殺した公暁を打ち取り、のちの上杉謙信の祖となる・・・、以前たまたま証菩提寺を調べていたらこんな歴史が。不思議でした。

 

もうほんとうにお願いするのが苦手で嫌でたまらないのだけれどそうは言ってもしなければ始まらないので今意を決してメールを送信。またお返事頂くまで気が抜けません。何度この思いをくぐってきたか…

金子啓明氏『運慶のまなざし』に運慶願経の阿古丸について書かれていて、以前私は阿古丸は女施主でなく子息説を先に読んでしまっていたのを金子氏が否定されていて、法住寺の今様を歌う傀儡女説をとられていて、それで嬉しくなって梁塵秘抄を読んでいました。今日根立研介氏の

 

「運慶と慶派・七条仏師を中心に」を拝読していたら運慶願経の書写所「唐橋末法住寺辺」は当時は法性寺の境内と。阿古丸がいた後白河院の法住寺にも近く、運慶は法住寺での華やかな今様の宴を知っていたことに。往時の寺域を正確に把握しないと見えてこないものがあります。

何日か前、日本の凄い技術者の番組に高野山で仏像を造ってられる仏師の方が出られて慶派を名乗られびっくりしました。巨大な不動明王坐像を製作中で、寄木造の雛型と、その雛型を分解し再び組み立てるところまで実演されました。運慶展関連で読んでいた雛型、驚異ですね。

 

思い出の勲章。ふとそんな言葉が浮かんだのでメモ。

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2017.11.23 ツイッターから転載…今年の湘南邸園文化祭はロシアから亡命して鎌倉でバレエスクールを開いたエリアナ・パブロバさんの七里ヶ浜でした。

11月11日

春先、体調を崩していた時ずっとヒーリング音楽を聴いていた。良くなって好きな音楽を聴き始めて少したってまだ体調が万全でないと気づきヒーリング音楽に戻した。やっと最近クラシックを聴けるまでになったのだけれど、今日またヒーリング音楽に戻しました。

 

クラシックを聴けるまで快復して嬉しかったのだけれど、やはり音楽は体力が万全でないと体調に響きますね。感情が振り回されたり。今日ヒーリング音楽を聴いて、ああ、しばらく私はここにいようと思ったのでした。もしかして体調に関係なく孔子が正しい気も。

 

横浜の証菩提寺はたしか円顕がいた寺院。ネット検索でもたしかそういうご本尊があったような。仙覚とこんなところで昨日のみほとけが関わっていたなんて。(品川区荏原専修寺との関連で)

 

11月12日

昨日の世界不思議発見。スフィンクスの前で写真を撮った日本の侍がテーマで、その写真を撮ったのがナダールだったと聞いてビックリ。さらに乾板の現像まで再現して見せてくれて。写大卒だけど乾板の現像風景なんて見たことなかった。さらにナダールが航空写真の最初なんて、知らなかったなあと。

 

江ノ電。下りたい駅が次々。でも通過。

 

鎌倉の海です。

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帰りの江ノ電。今日の江ノ電のコースです。

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七里ヶ浜から見る江の島。みるみる後光が広がりました。

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今日は湘南邸園文化祭鎌倉地区主催の「日本のバレエ発祥の地」の七里ヶ浜に。ロシア革命で日本に亡命したバレリーナ、エリアナ・パプロバさん一家のお話を拝聴しました。白鳥の湖にちなんで特注で用意して下さったスワンのシュークリームです。

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湘南邸園文化祭は私の鎌倉の源氏物語活動の原点。201011月に初めて講演をさせて頂いたのがここ。鎌倉の大御堂橋近くにある鎌倉投信様の社屋でした。歴代ポスターが飾られていて懐かしいので撮りました。もうあれから数年がたちます。

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今日の道中のお供は日本詩人選・西郷信綱編『梁塵秘抄』。古書で買って長く本棚に並べていたままだった本。今頃になってむさぼるように読むことになろうとは。運慶関連です。ゆくゆくは仙覚関連になります。歴史は何が関係してくるかわからない!

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2017.11.11 ツイッターから転載…学会の機関誌に応募していた文学碑めぐり「仙覚二つの碑」の校正が届きました、など。

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鎌倉禅研究会が終わったあとの法堂で。もう閉門後だから境内には私たち以外に誰もいません。法堂では何かの法要のあとだったのでしょうか。ぽつんと椅子が。いつもは一人の獅子がびっくりしつつ嬉しそうに話しかけているかに見えました。

11月10日

学会の機関誌「文学碑めぐり」に投稿していた「仙覚の二つの碑」。掲載が決まり校正原稿が届いて一安心。仙覚は誰かの問題が学会機関誌で活字になるうえに、これは大会で発表した時以上に踏み込んで書いたのでボツになるかもと心配していました。これで論文はパスし小説に専念しても大丈夫に。

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タウンニュース鎌倉版コラムに添付する写真の掲載許可を申請中なのですがまだ返事が来なくてどうするか思案中です。

 

『源氏物語と鎌倉』を出した時、出版社さんが「次は『万葉集』ね」と。オーナーのお父様が高名な万葉集の学者さんなんです。それが呪縛になって、するつもりもなかったのに『万葉集』に関わって、とうとう仙覚は誰かの問題にまで。先ほど投稿の文学碑めぐりで呪縛が解けたから晴れてこれから時政です。

 

「次は時政だね」とはまだ誰も私に呪文をかけてこないから、もう、思いっきり創作の世界に分け入ります!

 

ただいま《下弦》です

 

11月11日

おはようございます。一週間、11月に入ってから変わった環境に不慣れな緊張で疲れがたまってさすがに昨夜は昏睡状態だったよう。起きてもなんだか頭がぎっしり重いです。そのぼうっとした頭でTLを眺めていたら、今朝は素敵な記事が多め。RT多めになりました。気分も高揚。Twitterに感謝の朝でした。

 

FBで。鎌倉禅研究会の報告をしたらコメントで当日のレジュメを欲しいと仰る方が。お送りしてもいいのだけれど、私のは詳細をFBにまとめる用に「ここが重要!」などの書き込みが激しく粗野な本性露呈で恥ずかしいと返信したら、今朝、他の方がそれを読まれて、私が送りますと。SNSの便利さに感嘆!

 

そのレジュメ。従来日本史は歴史史料をもとに研究されてきましたが、そのご講演はそこに禅語録を加味されてのご発見。禅語録は皆様敬遠されているから今後もこうした発見があるでしょうとの講師の方のお話でした。たしかに。蘭渓道隆禅師をはじめ渡来僧の方々の禅語録は中国語ですものね。

 

禅語録。私だってふつうなら敬遠していたはず。なのになにかの拍子で鎌倉禅研究会の方々に接しさせて頂いているうちに、わからないながらも親しみを感じるようになりました。環境って、大切。そこに交わることが大切。

Facebookページに鎌倉禅研究会例会の報告をアップしました。

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2017.11.10 ツイッターから転載…金沢文庫図録『唐物』をご恵送頂きました。昨日は鎌倉禅研究会でした。

11月8日

秋色。水面に散り敷いた落葉。右端の紅はメタセコイアです@井の頭公園

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11月9日

金沢文庫「唐物」展の図録。表紙がとても美しいです。白衣の観音様はやはり綺麗。でも宋の時代だから唐物って、ちょっとびっくり。宗教画なのに。図録、昨日ご恵送頂いて拝読しています。かなり私の世界です。実時の原点に立ち返って。

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そういえば昨日山茶花が満開でした。

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止まっていた横須賀線。運転再開して40分遅れで到着。乗って発車。ほっとしました。

 

道中のお供は『運慶のまなざし』です。

 

唐橋付近とは読んでいたけれど、書かれているとおりの儀礼を行いながら写経したのなら、そこは相当な寺院空間だったのでは? の疑問。ただの写経工房ではない気が。

 

乗換が面倒だから帰りは直通を待って乗ります。到着までまだ時間がたっぷり。夜風に吹かれてしばしの鎌倉。

 

今朝ふっと体力ついたなと感じ、これならもう建長寺様まで北鎌倉から歩けるかもと。北鎌倉から歩くのは疲れるから先月まで鎌倉に出てタクシーで向かっていました。今日はどうしよう、歩く?と決めかねてたら横須賀線が止まって結局北鎌倉から歩きました。でも本当に体力ついたみたい。なぜだろう。(内心の声。玄米食にして、長葱を毎日食すようにしているから?)

 

鎌倉の時代区分の件で『源氏物語』の二大写本を止める話があったことを思い出しました。それは同系統の写本だから一つにするという話。私は冗談じゃないと一人怒っていました。なぜならそれでは「鎌倉の河内本源氏物語」の存在意義がなくなるから。学問上正鵠を射た良案でも大切な何かを失う危険が。

 

11月10日

おはようございます。やはり起きたら目眩っぽい。体力はついてきているけど虚弱の部分はまだまだ要注意と警戒した朝。月末の講演に向けて今体調を崩すわけにいかないし。明後日も鎌倉だから明日の品川は諦めました。写真は昨夜の鎌倉駅ホームから。

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私は所属先をもたないから目下昨日の鎌倉禅研究会の方々との会合が唯一の心の拠り所。でもこういうことで注意しなければならないのは、いくら受入れて頂いているからといってそこで安易に安心したり慢心したりしてはいけないと。いつでも手放す覚悟が大切と自戒しています。私は中の人でないから。

 

昨日の円覚寺様門前での紅葉です。北鎌倉駅を降りて歩いたから撮れました。気がついたのですが、対照的に建長寺様境内には一本も紅葉の樹木がなく墨絵のような黒黒とした光景が広がっていました。

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畑に行ったら茄子の木を倒すところで、我家では採りたての子茄子を塩漬にして夏の間じゅう楽しんできたから惜しむと、採りたいだけ採っていっていいよと。で、数個のぎっしり一杯のビニール袋。いくらなんでも処理しきれません。今も塩漬に。

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2017.11.9 ツイッターから転載…日々の雑感

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11月7日

これだったんですね。少し前の爆音。いつものヘリの音と違い何倍も凄かったから何があったかと思いました。一瞬にして通過しました。←日本を離れて韓国に向かうトランプ大統領追跡のヘリが移動の記事をツイッターで読んで。

春に書いた共著の原稿。もう校正が来る頃と思っていたらまだ提出していない方がいて延びているとか。書けない時は書けないもんなあと、以前「北条実時と『西本願寺本万葉集』」の時に切口が見出せなくて困った時を思い出しました。論文はとにかくたくさん書きなさいとはある方からのお言葉。

とにかくたくさん論文を書きなさいというのはそういうふうにして引き抜かれていった学芸員さんたちがいるから。私が書く目的はそうではなく論を定着して残したいだけだからマイペースで申し訳なく思っています。で、残る一つが源氏物語。私の最後の論文は「北条実時と『尾州家河内本源氏物語』」です。

でも、まだ、機が熟してません。

今日、書店で立ち読み。ある方がある方の書評を書いてらして「美しい文章である」と。引用されていたその文章、私も美しいと思いました。書評された方、こういうふうな評価で書かれたことないと思います。書評を書いた方の感性、瑞々しいと思いました。私もこの方に「美しい文章である」といつか・・・

RT 言語の分節。懐かしいです。こういうことを経たから今の文体があります。←「井筒はなぜ世界各国の言語を一生懸命追い求めたのか。それは一つの言語には一つの文化があるということ、地理的風土的条件よりも、むしろ言語こそが人間文化の、そして人間意識の構成要素に他ならないと考えたからだ」という文章をツイッターで読んで。


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2017.11.7 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(77)運慶の心の荘厳性と、峰岸純夫先生『享徳の乱』を拝読して

11月5日

NHK総合「薬師寺金堂再建の記録」を観ています。

 

薬師寺、綺麗でした。滅多にTVに時間をとらないのですが、運慶展で来年興福寺再建の落慶供養がと知ってなんとなく身近な感じで観てしまいました。白鳳天平の時代はずっと過去のものと思っていたのに、運慶のお陰でこんなにしたしく感じられるようになるなんて。時政が見た興福寺、と思いを馳せて。

 

吉祥寺はもうクリスマス@アトレ

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峰岸純夫先生『享徳の乱』拝読し終わりました。最後にきて驚愕。享徳の乱が金山城で終わるんですね(全くの最後ではないけれど)。妙印尼まで出て。金山城に行った一泊二日の中世史セミナーも峰岸先生のお誘いでした。私は新田足利から金山城まで享徳の乱の舞台を辿ったことに今頃になって認識。

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人と人の出逢いほど大切なものはないと思う。そうして人は自分だけでない世界を見せて頂くのだから。たった一人で恣意的に例えば源氏物語を読んでいるだけだったらここまで来ていない。いろんな分野で活躍される方が思いがけず手を差しのべて下さってここまで上がってこられました。

 

11月6日

おはようございます。環境が変わって楽になったのですがこの自由をどう使いこなしていいのか、まだ不自由なままでいます笑。今日は穏やかな快晴。車窓から富士が見えてもいい気もするのですがそれは中央線でした。と、なんとなくボケています。笑笑

 

それにしても、六波羅蜜寺のこと、もっと知りたい。読みたい。先月まで行かれなかったから明日あたり図書館にでも行こうかなとなんとなく。

 

仏師をただ仏像をつくる人、彫刻家のような人、と捉えると運慶という人物を誤ってしまう気がする。と、このあいだ拝読した小説をまだ引きずって。そこには荘厳という意識が欠けているから。と、副島弘道氏『運慶』を拝読しつつ。もうじき到着。

 

TLで「運慶は都の貴族達より鎌倉の人達に共感していた」と。こんな優しい視点、今まで聞いたことがなかった気が・・・

 

これ、小説に生かさせて頂きます。はじめて運慶の心の奥に入れました。

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2017.11.5 ツイッターから転載…28日の講演用パワポの編集にかかっています。北条時政が上手く入りました。→六波羅へ

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11月3日

おはようございます。私事で頭が詰まっているとどうやっても純粋無垢に文章が書けないから滞っていたお便りの類も昨日までにこなし気持ちも澄んでたぶんこれから純粋無垢に仙覚の文章にとりかかれると思って静かに興奮しています。たぶん私はたった一人の境地にきています。小説の境地として。

 

11月4日

おはようございます。11月は毎年私の転機の月。今年も早々転機が訪れ思考が滞りなく進むようになりました。感謝!の朝です。昨日は図書館に返却に行ったついでに『薔薇の名前』を借りてきました。書架にたまたまあったのが目に入って。読みながら寝てやはりこの文体いいなあと心洗われ心機一転です。

 

ただいま《望》です《現在の月齢 15.42

 

11月5日

おはようございます。パワポはほんとうに考えるツールですね。北条時政が上手く入るか心配していたのですが入って、そうしたら突然今までのパワポで入れたことのなかった六波羅の地の紹介を入れなくてはということに気がついて俄然展開。講演は平家の栄華と滅亡とその結果の諸々ということになりそう。

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2017.11.3 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(76)小説の文体について。11月28日の講演会告知など。

10月31日

小説をみつけて、ふつうなら参考にも読まないのですが、でも今回は違うことを期待して読み始めたらふつう以上にふつうの文体で、私はふつうの文体がダメで、あ~あと。ざっと一冊目を通すべきか迷っています。(もっと刺激を受けるかと思った・・・。これからに期待?)

 

先ほど呟いた小説。ざっと一読させて頂きました。読んでよかったのかやはり読まなければよかったか。いわゆるふつうの小説ってほんとうに苦手な思いを新たに。思念はあるけど意識の流れがないのかも。あ、あの論文をもとにここはこう膨らましている、とか。これが人間を描くことなら私のは何だろう。

 

11月1日

おはようございます。昨夜拝読した一冊の小説を頭から払拭しようと頑張っている朝です。結局小説は描かれている主人公の話ではなく、描く作家自身の思念なんですね。だからその思念は小説や主人公と関係なく現実にこの世の中に存在する。読むということはそれを受け入れるということなのでした。

 

私は、思念を羅列する小説でなく、思念より深いところで自動的に生み出される文体の流れで記述したいのだけれど・・・

 

11月に入ったので告知させて頂きます。日本詩吟学院翔風吟道会主催・鎌倉市と鎌倉市教育委員会後援【詩吟 文化講演会】。11月28日(火)13:00~。会場:鎌倉生涯学習センターホール。一部が私の講演で「源氏物語の歴史と鎌倉の文化」。二部は詩吟。会員でない一般の方のご参加も可です。

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チラシ、可愛いですよね。伺ったら会員の方のご親族が描かれたとか。詩吟の会の方向けにとのご要望で平家の忠度のところとか、そういう個所を強調してお話させて頂きます。会場は大きいのですが会員で埋まるかもという不安があるから一般の方への告知はあまりされないそう。でも大丈夫と思います。

 

メタセコイアの紅葉@井の頭公園

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凄い! ↓RT「特別国会の会期は野党が協力し粘り強い交渉の結果、12月9日までの39日間になりました。与党が折れた背景には国民の声が大きかったこともあると思います」

 

11月2日

おはようございます。「源氏物語と鎌倉」の講演はもう数年続けているから知人の殆どに普及し終わっているのですが、その後に知り合った方はご存じなく関心を示して下さった方数名に28日のチラシをお送りしました。やはり是非行くと深いご関心。私はこれからパワポもそうですが何より風邪に注意です。

 

一昨昨日寒かったから風邪ぎみに。ここでこじらせたら大変と二日間着込んだりカイロを貼ったり汗ばむくらいにしていたら今朝は回復。感染したからでもないのに何故寒いと風邪をひくのか不思議だったのですが、TLで免疫力が落ちるからと読んで目から鱗。以来とにかく暖かくいるようにしています。

 

晴れたのでコピスガーデンに。うっかり写真をさわったら加工のフィルターが出て試してみました。でも、加工のできる写真って曖昧な気がします。その人の感性次第ってことですものね。

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時間がたって思うこと。この世界は知識で書くと漢字だらけの黒い字面になってしまう。それをふつうの文体で書いたらもっとカクッカクッとした固い文章文体字面になってしまう。白いページ、流動体の平がな文学を目指そう。(一昨夜拝読した小説で見えたもの)

 

記念日。立憲民主党立上げの2日は覚えているのに古典の日の1日は失念。前日にTLで見ていたにもかかわらず。鎌倉の源氏物語を普遍にするべく活動していた時によもやこんな日が来ようとは思わなかった。ある程度普及してもう私は手放そうと決めたにしても、心の中ではずっと守ろうと思っていたのに。

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