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2017.11.14 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(78)運慶と法住寺、阿古丸のこと。証菩提寺の阿弥陀三尊像のこと。

20131103
2013年に使用したパワポのスライドですが、この仙覚の二つの碑を紹介する「文学碑めぐり」の校正が届いていて、目下とりかかっています。

11月12日

今日の道中のお供は日本詩人選・西郷信綱編『梁塵秘抄』。古書で買って長く本棚に並べていたままだった本。今頃になってむさぼるように読むことになろうとは。運慶関連です。ゆくゆくは仙覚関連になります。歴史は何が関係してくるかわからない!

 

11月13日

おはようございます。昨日のTLで証菩提寺のみ仏で岡崎義実の名前を拝見し、鎌倉禅研究会で高橋秀栄先生がなさった寿福寺のお話にたしか登場したはずと気にかかり、今確かめました。岡崎義実は義朝の菩提を弔うために亀ケ谷に堂宇を建て頼朝に宿老として重用された人物として登場していました。

 

岡崎義実が嫡男佐奈田与一義忠の菩提を弔うために建てたのが証菩提寺。佐奈田与一は石橋山の戦いで頼朝に従い25歳の若さで亡くなったのでした。証菩提寺はその後、北条氏の寺院となって泰時娘が阿弥陀堂を建立します。そこに東寺から戻った円顕が住しました。円顕は比企能員男で比企の乱の時は2歳。

 

佐奈田与一義忠を討ったのが長尾定景で、のちに捕えられて義実に身柄を預けられます。が、義実は斬首できず頼朝に赦免を願い出ます。その定景が実朝を暗殺した公暁を打ち取り、のちの上杉謙信の祖となる・・・、以前たまたま証菩提寺を調べていたらこんな歴史が。不思議でした。

 

もうほんとうにお願いするのが苦手で嫌でたまらないのだけれどそうは言ってもしなければ始まらないので今意を決してメールを送信。またお返事頂くまで気が抜けません。何度この思いをくぐってきたか…

金子啓明氏『運慶のまなざし』に運慶願経の阿古丸について書かれていて、以前私は阿古丸は女施主でなく子息説を先に読んでしまっていたのを金子氏が否定されていて、法住寺の今様を歌う傀儡女説をとられていて、それで嬉しくなって梁塵秘抄を読んでいました。今日根立研介氏の

 

「運慶と慶派・七条仏師を中心に」を拝読していたら運慶願経の書写所「唐橋末法住寺辺」は当時は法性寺の境内と。阿古丸がいた後白河院の法住寺にも近く、運慶は法住寺での華やかな今様の宴を知っていたことに。往時の寺域を正確に把握しないと見えてこないものがあります。

何日か前、日本の凄い技術者の番組に高野山で仏像を造ってられる仏師の方が出られて慶派を名乗られびっくりしました。巨大な不動明王坐像を製作中で、寄木造の雛型と、その雛型を分解し再び組み立てるところまで実演されました。運慶展関連で読んでいた雛型、驚異ですね。

 

思い出の勲章。ふとそんな言葉が浮かんだのでメモ。

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