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2017.11.21 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(79)時政と六波羅蜜寺のことなど

11月19日

編集中のパワポ。やっと頼朝の奥州合戦にきました。これは今までの講演で除外していた部分。奥州合戦にその後の鎌倉永福寺建立や時政の伊豆韮山願成就院建立が絡んできます。運慶も。ちなみに源氏物語の光行はまだ下向してません。今までとがらっと趣が変わります。

 

今までの源光行が鎌倉に『源氏物語』をもたらす編集に時政を投入したら、それぞれ別々にわかっていたつもりの事件がぴったり正確な年代の入れ子状態にはなっていなかったことに驚いています。例えば頼朝が政子と結婚したのは鹿ケ谷の陰謀年頃だったとか…。

 

11月20日

おはようございます。パワポの編集、六波羅蜜寺が動き出して楽しくなってきたのだけれど、六波羅関係はほんとうに鎌倉の方の関心外だなあと。鎌倉の歴史は源家三代が人気で北条氏になってからはマニアックなファンしか。六波羅探題はもっと知られるべきと思う。

 

昨日スライドで六波羅蜜寺の清盛公の塚の写真を使ったのだけれど、撮ったのは私もまだ歴史を知らない時だったから滅びた清盛の塚があるのが謎でした。六波羅蜜寺には清盛像も。どうもここには平家追悼の思いがあって、それが鎌倉幕府の気に障ってないらしいのが不思議です。

 

私見ですが、六波羅の地を管理した時政も、六波羅蜜寺に工房を構えた運慶も、活躍したのは源氏の世になってからだけど、若い時に感性を磨く恩恵を受けたのは平家の人たちによって。私は、時政も運慶も清盛を知っていて、内心崇めていたのではと思っています。

 

28日は詩吟の会のイベントだから私が参加者様を募る必要はないのだけれど、今までお世話になった節目節目の方にお知らせしたら久しぶりだからとどの方も来て下さるとまるで同窓会。鎌倉の源氏物語は何回も聴いて下さっている方々だけど時政運慶の新しい視点を聴いて頂きます。

 

パワポの編集。11月に入った時からとりかかる決意をしていたのに諸事が次々あってそれをこなしているあいだにと思っても集中できない。金曜日に運慶展に行ったのを最後に諸事終わったからもう専念と決めたら六波羅が動き出して楽しくなりました。兼務は無理な体質のよう。

 

武蔵野の雑木林です。

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Tで流れてきてプリントした元木泰雄氏「院政期興福寺考」。まさに私が知りたくて探していた内容。興福寺悪僧信実がメインで、時政の叔父とも従兄弟ともいわれる人物です。保元物語ではなぜそうなったかが不明。それが如実に説明されている論文でした。目を疑いました。タイトルからは期待していなかったから。

 

11月21日

おはようございます。目覚め時に閃いたこと。頼朝が唯一心を許して相談していた人物、それが時政だということ。どうしてこんなに時政から離れられないのか今一つ自分で理解できていなかったのですが、ここですね、原点は。頼朝にとって舅時政だけが頼れる相手だった…

 

これから比企の乱に向かうのですが、時政が比企能員を滅ぼすのが比企の乱。それは頼家が二代将軍になり比企氏が外戚となると北条氏がその地位を奪われるからという構図ですが、時政にはそれだけでない思いがあったということ。幕府は頼朝と自分が築いたものだから。

 

時政が京都守護として上洛した時のスライドです。28日の講演はネットもメールもなさらないような高齢の方が多い詩吟の会と伺っているので、わかりやすいように画面をとにかく見栄え優先文字サイズ巨大にを心がけて作っています。そうしたら今まで守ってきた品位のタガがはずれてちょっとヤバイ。笑Dphq1qyuqaa9wuz

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