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2017.12.31 ツイッターから転載…年末、藤本孝一氏『国宝『明月記』と藤原定家の世界』を拝読しています。

12月30日

おはようございます。今年は年明け早々からひどい体調の乱れで年を越せない覚悟をしたほどでした。精神的なものが原因とわかっていたのでとにかく無理をしない、気ままにやり過ごすをモットーにここまで無事に。でもまだ無理すると危ないので気まま生活続行中。で、お年賀状もやっと終わりそうです。

 

私の人生でこんなに気ままを標榜する時があったかしら・・・と、無理をしない生活の有難みをかみしめています。

 

まだスマホの写真の整理をしています。ようやく終わりが見えてきました。写真は円仁の故郷岩舟を訪ねた時のもの。万葉集の歌にもある三毳山です。順徳帝と仙覚を結ぶ山と思っています。

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ネットから引用。『万葉集』の三毳山の歌です。「下野の三毳の山の小楢(こなら)のすまぐはし児ろは誰が笥(たがけ)か持たむ」

 

暗くなったし寒そうだったけれど出てきた吉祥寺。さぞ混雑しているかと思ったらどちらかといえば閑散。大晦日でないから? のんびり気ままに動いているから年末のなにか買い忘れし忘れがある気がして、歩けば何か思い出すかと思ったけれど閑散にはなにも刺激されなくてつまらないです。

 

現在の吉祥寺パルコ前です。

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12月31日

おはようございます。年末の諸々で思考が中断してつまらないので定家の明月記の世界を読んで寝ようと思ったら面白くてそのまま夜を明かしてしまいました。第一部総論を終わって従来言われてきたことに随分間違いのあることに驚き。又承久の乱に関する部分がないのは危険回避の為の破棄とのことにも。

 

私が写本を好きなのは決して書誌学としてでなく、写本くらいに携わった人の、その人の属した時代の歴史の、その人のいる空間の人間関係や思惑が見える世界はないからだと、最近思えてきていましたが、定家の明月記の世界はまさにそういうご本。もちろん綺麗な料紙の写本それ自体も好きですが。

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2017.12.30 ツイッターから転載…スマホの写真の整理をしています

12月28日

おはようございます。昨日撮った昼の月。上弦です。以前からこういうショットで撮りたかったのですがスマホでは無理で諦めていました。アンセル・アダムスの月夜の写真に心酔しているからそういう写真を撮りたくて憧れているのですが、少し近づけそう…大分無理だけど笑 ほんとうは夜公園で撮りたい。Dsf5izbu8aab7pk


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「文学碑めぐり」をお送りさせて頂いた比企の方から「比企一族を世に問うて下さい。全国の比企氏が望むところです」と。歴史の先生からは「仙覚の北条氏との関わりがよくわかった」と。別の方からは「小説で世に問うとのこと楽しみです」と。通説の学問を離れて真摯に考えれば素直に読んで頂けるはず。

 

スマホの写真を整理していたらこれがあったので。称名寺の実時邸があった平場です。奥に阿字池に紅い橋がかかる浄土式庭園が見えています。左手のこんもりした木立の繁みにかつて三重塔がありました。復元されたら景観が変わるのにと思います。

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称名寺と金沢文庫を繋ぐ隧道です。実時は鎌倉市内の本宅で火災にあって大切な典籍を失った教訓から、金沢文庫を称名寺とは尾根一つを隔てて建立。この隧道を通って行き来していました。以前は通れたのですが、今は崩落の危険から塞がれています。

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金沢文庫です。先のツイートの隧道奥に見えています。私が通い始めた頃は最初にツイートした実時邸があった平場にありました。その旧館が壊されて現在の新館に。そのオープン記念の展示で私は実時の奥書がある尾州家河内本源氏物語に出逢いました。

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称名寺の秋は裏山が全山紅葉して綺麗。この日は水鏡がまして綺麗でした。実時の墓はこの裏山の上に。二代顕時と三代貞顕の墓は実時邸があった平場の奥にあります。貞顕は六波羅探題の在京中に京の名園を巡り鎌倉に戻ると称名寺の庭園を整備しました。

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12月29日

昨夜スマホの写真を整理していて金沢文庫の旧館について書き、旧館を私は撮っていないと改めて思う。旧館は新館のようには開放感がなく歴史初心者だった私には聖域。カメラを向けるのさえ憚られ、取壊されると知っても目に焼きつけたまま撮らないで見送りました。それ位金沢文庫は畏怖の対象でした。

 

旧館の木の階段は人の足の踏みつける部分がすり減っていて上るのが怖いくらいで、踊場には現在新館でガラスの展示ケースに安置されている十一面観音菩薩様が無造作に置かれていて、そういうところを多賀宗隼先生が風呂敷包を手に研究に通われていたというお話を聞いたり、懐かしいです。

 

と、昨夜来金沢文庫の懐古に浸っていたら、それが誘導したわけでもないでしょうけれど、運慶展内覧会のお葉書が届きました。嬉しい。ありがとうございます。

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2017.12.28 ツイッターから転載…藤本孝一氏『国宝『明月記』と藤原定家の世界』のこと、新しいカメラの初撮りなど

12月26日

新しいカメラでの初撮り。ほんとうは人物を撮らないとわからないけど、風景だけならこれでいい。吉祥寺のできたばかりの小さな映画館。コピスの前の通りにあります。カード型に近い小さなカメラは一眼レフと違いポケットに入れておけるから出し入れが楽。手のひらに隠れるから撮っている違和感もない。

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田中文英氏「後白河院政期の政治権力と権門寺院」を拝読中。後白河院政政権による寺院統制策の強権ぶりに目を丸くしています。

 

12月27日

夜空や絶景などSNSで世界各地の写真を見られて最初は驚喜していたのですが見慣れてくるとカラー補正がきつい気がして柔らかな色彩が欲しいと思うようになりました。で、使っていた自分のコンデジまで気にいらなくなってなって調べたらニコンはコントラストが強くキャノンは柔らかい傾向とクチコミに。

 

それでカード型の機種を探す時にキャノンに絞って選んだのでした。昨日初撮りした画像を見てもたしかに色調が深い。ワンランク上のだともうズシッと重く、小さく軽量が目的だったから一番下の機種にしました。ポケットに入れて歩けるのは出す時定期券感覚の気軽さです。

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キャノンにしたかったそもそもの理由が父が主宰していた写真クラブにキャノンのレンズを造ってらしたおじ様がいて、それでキャノンのレンズの良さを聞いていたんです。もう亡くなって久しいけど、〇〇さん、やっとキャノンのレンズを手にしました!

 

本日12月27日は『マレーネ・ディートリヒ(1901-1992)』の116回目の誕生日

 

マレーネ・ディートリッヒさんのお誕生日。大阪万博での公演を終え帰国される時のタラップ写真を撮らせて頂きました。私の写真人生で一番の思い出。一人だけと厳命されたところに現れたカメラマンが若い女の子だったからびっくりされたみたいで一瞬目が合ってなんとなく心が通いました。

 

久しぶりにカバーをかけて持ち歩きたい本に出会いました。昨日買った藤本孝一氏『国宝『明月記』と藤原定家の世界』。調べものでなく自分のための読書。読み通す長い時間のためのカバー。

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また写本学。万葉集も写本学だった。鎌倉の源氏物語も尾州家河内本源氏物語という写本学。藤本孝一氏の『国宝『明月記』と藤原定家の世界』も序を読んだら「写本学を提唱」と。このご本、ほんとうに楽しみ。

 

新しい機械がくると生活が変わる。カード型の小さなカメラがスマホの撮影機能を使わなくしようとしている。それで改めて撮りためていたスマホの写真を見たら、ほんとうに忙しかったのだなあこの2,3年…。貴重な記録もかなりあるのにデータ保存をしないままになっていました。今それをしています。

 

気がついたのはある写真を必要になってHDDを見たらどこを探しても、無い! あんなに気に入っていたのに保存のし忘れかと焦りました。しばらくして気がついてスマホを見たら入っている。ということでこの際全部HDDに保存してスマホ写真を卒業することに。たった一台のカメラによる革命です。

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2017.12.27 ツイッターから転載…高橋昌明先生『平家と六波羅幕府』を拝読して。新しいカメラの初撮りなど

12月25日

文末の「仙覚はその名を名乗った時から世を超越して生きていたのです。その結実が『万葉集』でした」にほっと救われた感じです。と文学碑めぐりを送らせて頂いた方から。いつもご丁寧な料紙のお便りを下さるのですが今回はいつもに増して綺麗な料紙。仙覚への思いを読み取って頂きました。

 

清々しい冬の青空です。公園を通ったら昨夜の雨で湿った杉の落ち葉の匂いがしました。

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もぐら? でしょうか。

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源流に近い神田川ですが、空が映って綺麗です。

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高橋昌明先生『平家と六波羅幕府』から平家の館を拝読していたら泉殿の復元図があって興味津々で読み進んでいたら、邸内に徳子のお産の祈りとして八女の田楽が行われた総社があったと。これは光行の父が神主代を務めたのでした。こんなところで光行父のいたリアルな空間がわかるなんてと驚いています。

 

安産祈願のための田楽奉納ってどこでしたのだろう、まさか厳島などというわけはなくても石清水とか、そういう由緒ある大きな神社を想像していたから、邸内の一画にある総社でだったとはとびっくり。凄い私的な行事だったのですね。『源氏物語と鎌倉』にはこんなリアルな空間認識が生かされてません。

 

この前コピーしてきたご考察の数々。今まで調べてきたことと風合いが違う。中に入っていっている。今まではセオリーの解き明かしで必死だったからそれはそれで仕方なかったのでしょうけど、今は生きた人の動きと空間で歴史を見ていっている感じ。そうっか、小説の必要からとってきたコピーだからかも。

 

12月26日

予定外に玄関周りのハランの茶色く枯れた葉の整理をしていたらこんな時間。始動が遅くなったけど、ま、いいか、と始めます。

 

今日は予定外が多い。別の方の新刊を購入させて頂くつもりで吉祥寺ジュンク堂書店に行ったらこちらがあって、建春門院滋子推しに買ってしまいました。いつか購入とは思っていましたが今日の予定ではなかった。で、予定の新刊は先送り。

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それともう一冊。冷泉家御文庫はいずれ仙覚の小説で重要になります。で、二冊も予定外に買って出費まで予定外でした。笑

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吉祥寺。新しいカメラを持って出てきました。昨夜やっと電池を充電したりして撮れる状態に。慣れるまで毎日持って出ることにしました。で、歩きながら撮っていたら、なんか写大生になった時に被写体を探して街に繰り出した時を思い出しました。でも最新鋭の小型カメラは抜群に使いやすい!ズームも楽。

 

後は仕上がり。でももう写真展を開くこともないし、ネットに揚げられさえすればいいのだから大丈夫とは思うけど。

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2017.12.25 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(85)法住寺殿のことから大番役のことなど。小さな普通のコンデジを買いました。

12月23日

昨夜ふと思い出したこと。京都で学会があった時、京都在住の学者さんと話していて、京都はラディカルだからと言ったら、わかりますか? そのとおりですと。で、昨夜考えたのは鎌倉は保守だなあと。法住寺殿関係のご論文を多数コピーしてきてやはり京都の学者さん方の熱さを感じ、思ったのでした。

一昨日、昨日と、やたら疲労感に苛まれていました。フル回転しているから仕方ないとして早めに休んだりしていたのですが、今朝起きたらすっきり。休んだ甲斐があったと思っていたのですが違ったみたい。小笠原付近でM5規模が連発してたのですね。あったばかりでまさかそんなこと考えてもいませんでした。

12月24日

おはようございます。昨夜は元木泰雄先生「王権守護の武力」を拝読して目から鱗。楽しみました。通史で大番とか北面の武士と呼んでも実態がわからない。辞書で調べても役割的にしかわからない。???とずっとフラストレーションを引きずっていました。私はどうも空間がイメージされないと不満のよう。

大番とか北面の武士を調べたくてこのワードで検索してもこのご考察を読みなさいと教えてくれることなどなく、ここにたどりつくまで大変でした。一挙に氷解。時政が大番役で京に上っていたのなら、どうしてそれを単に「田舎者が行って帰ってきた」で済ませられましょう。イメージが変わりました。

懐かしい方に手紙を書きました。昨夜ふっと思い出して。これが今年のお便り収め。来年に繋がりますように。

雑木林にはまだ紅葉が紅く残っています@井の頭公園 昨夜ブラタモリで紹介された玉川上水の地点はこの近くです。左手を行くとあります。

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コピスガーデンのクリスマス仕様はどうなっているかしらと寄ってみましたが、ふつうのこちらのほうが素敵。

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たまたまクリスマスイブの日になってしまいましたが、吉祥寺にムール貝を買いに出たついでにカメラを買いました。先日持ち運びに軽いカード型が欲しいと呟いてから機種選びをしていたのですが、結局カード型ではなく小さな普通のコンデジ。憧れのキャノンです。ニコンで育ったから冒険。ある意味反逆笑

クリスマスイブの日の吉祥寺は賑わっています。どこへ行っても人とぶつからないでは歩けない。でも、これが平和というものなんだ! と思うとぶつかることさえもが人の営みとして愛おしい。この平和が未来恒久に続きますように。

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2017.12.24 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(84)後白河院の密教についてご論文拝読など。

12月21日

現在のHi-net地震マップ。地震の発生状況です。

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横雲みたいな見慣れない雲が吉祥寺上空まで延びているので、もしかしてと思って浅間山方向の見える場所に行ったら、やはりその方向が発生地点でした。で、検索したら浅間山が活発なよう。下にライブカメラ画像を2RTさせて頂きました。

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数分前より広がっています。

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西の空にとても細い三日月。スマホなのでズームが効かなくて残念。

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12月22日

ジュリアン・グラック、まだ没後10年なんですね。私が読んでいたころは在世してらしたんだ~と驚き。半島という言葉の響き、ずっと影響されました。

 

朧谷寿先生「法住寺殿の文献学的考察」拝読中です。他の論文目的で書庫から出して頂いた『後白河院』に入っていて一緒にコピーしてきました。徳子入内の日の様子とか、今までこういう視点で京都をみたことなかったから新鮮。『年中行事絵巻』が法住寺殿の南殿だったなんて。絵巻、改めて見てみます。

 

たくさんとってきたコピーのうち、どれを最初にと思いつつ、1番関心の遠いものから始めて核心に迫っていこうとしていたのに、何気なく手にしたのがこの朧谷先生のご論考。いきなり法住寺の核心に入ってしまいました。何か、こういう時、自分の意志でない力を感じます。

 

年中行事絵巻やたまきはるは教養色が強く何度試みても表面的になぞるしかないのが苦痛でした。なのに昨夜の朧谷寿先生「法住寺殿の文献学的考察」を拝読したら、年中行事絵巻もたまきはるも法住寺殿という空間で描かれているのだそう。俄然イメージが膨らんで描かれている中の人物が動き出しました。

 

京都在住の方や人文系の方たちは法住寺殿という存在も身近なのでしょうけれど、私は東国人だし一々の歴史はその都度必要にかられて確かめるしかないから、それまで観光のガイドブック的知識しか持ち得ない。後白河院陵があっても、あの一帯がまさか広大な法住寺殿だったなんて。私も歩いてました。

 

なぜ法住寺殿を調べているかって、運慶がどのような空間で動いていたかが知りたかったから。昨夜、突然、運慶も法住寺殿の中で生き始めました。

 

横内裕人氏「密教修法からみた治承・寿永内乱と後白河院の王権ー寿永二年法住寺殿転法輪法と蓮華王院百壇大威徳供をめぐってー」を拝読しました。広尾の図書館にコピーをとりに行った最大目的のご考察。やっと拝読できてほっと。後白河院の密教、興味深いです。←奇しくも修復なった三十三間堂での修法

 

先ほど鎌倉の方とお電話で話していて、研究には研究者の円熟っていうことが必要なのよねと言われ、ほんとうにそうと思いました。

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2017.12.21 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(83)後白河院と運慶のことで図書館にコピーをとりに行きました。

12月20日

おはようございます。一昨日ギックリ腰になりそうな感じだったり体調が悪くて、これが病気のほうだったら嫌だなと注意していたのですが昨日は普通で、やはり一昨日のは気圧か電磁波。今日あたり大きな地震があったらそれと思っていたらありました。八丈島付近でM5規模。地震前兆はすぐ体調に響きます。

(12月20日2:52頃 八丈島東方沖M5.0)

 

高尾山のポスター。黄色い銀杏並木は八王子の街道でしょうか。昭和天皇の大喪の礼の時に銀杏並木の話を聞いたような。八王子に住んでられると陵墓が身近でいられます。

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今日は空が青かったから水鏡が綺麗でした@都立有栖川宮記念公園

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向かう先は都立中央図書館。有栖川宮記念公園内にあります。

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コピーをとって、出て来たらもう夕刻。欅はすっかり葉が落ちています。気になったままとりに来られなかった資料のコピー。やっとホッとして家に籠れます。

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反対側です。先程のは青山六本木方面。こちらは広尾方面です。この木立の下が有栖川宮記念公園。築山のある回遊式大名庭園です。図書館は築山の上だから階段が大変。

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低空の茜色の光景をアップ。それにしても葉が落ちた梢のシルエットは清々しいです!

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12月21日

おはようございます。念願の論文、コピーをとってくることがきて至福。読みたいのに拝読できないから詰まっていた状況でした。Bagを空けて行ったのに帰りは重くてこんなにたくさんとったのも久しぶり。メインは院政期の密教、そして法住寺殿。たぶん一挙に世界が展開します。

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2017.12.20 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(82)後白河院と運慶のこと、鎌倉禅研究会の来年のスケジュールをFBページに載せました、来年二月講演の「時政」のパワポ開始等。

12月17日

昨夜は美川圭氏『後白河天皇』のコピーした分を拝読して就寝。鎌倉禅研究会でよく聞く阿育王寺。その舎利殿の木材を後白河天皇が調達した件。栄西と重源が入宋した寺院で帰国して重源が木材の件を伝えたこと。木材は船底の重みにされた?このご著書、文化の面もしっかり描いて下さっていて楽しいです。

 

ご論文を送って下さる若い研究者さんやお世話になっている編集者さん等年齢が似ている男性の印象がみんな一緒になってしまって困惑。26歳くらいの若い運慶を描くのに、それくらいの年齢ってどんな感じなのか、これから若手俳優さんをラインナップして研究。荒々しい運慶の印象はありません。

 

後白河院と運慶。だいたい構図が見えてきました。あと、都立図書館に行って資料で確かめます。今日はその準備。明日行かれたら嬉しい。

 

金子啓明氏『運慶のまなざし』に戻ったら円成寺寛遍も後白河院の密教もみんな書かれているではありませんか~。最初に目を通した時には価値がわからず素通りしていました。『魅惑の仏像28大日如来』に巡り合って自分なりにその辺りを渉猟して素地ができたからこその「今だからわかる」なんですね。

 

『運慶のまなざし』、今日から思いっきりマーカーを引かせて頂いて拝読しています。宗教者運慶のこのご著書に「荒」の運慶はありません。本は巡り巡ってわからない時にはわからず、でもわかってくると自然に。受け入れる体制の問題のよう。

 

12月18日

吉祥寺駅に向かうバス通り。陸橋を渡った向こうが文化園のある御殿山。先日の打上げで古建築士の方とお話してたら、御殿と名のつく場所は家康がお鷹狩に訪れた所と。家康のお鷹狩の目的は御殿を建ててその地域の人達との謁見をする事だったそうです。Drte1anueaakwlx

 

三鷹の地名もお鷹狩から。井の頭公園内にはお茶をたてたというお茶の水という湧き水もあります。家康ほどあちこちにお鷹狩に行った人はいないそうですが、目的がそうだったのなら納得。で、御殿というと江戸。鎌倉での御所とはどう違うのかなど盛り上がりました。異分野の方とのお話楽しかった。

 

雑木林のなかの木の柵の小径@井の頭公園

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ちょうど吉川弘文館様からパンフレットが届いていて目に留まりました。『古建築を復元する』。著者は私がお話した方とは違いますが同じ世界。私がお話した方も聞けばわかる復元、再建をされていて面白かったです。

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ただいま《朔》です。

 

今日は新月ということで何をはじめようか考えて来年二月の講演「鎌倉初期 北条時政の世界」のパワポに着手しました。パワポは考えるツールだからこれに向かいながらじっくり時政の世界を解き明かしていきます。ちょうど運慶にかかっているから六波羅蜜寺まで二人一緒の路線です。

 

万葉集や源氏物語を離れ、北条時政に特化して考察するパワポははじめて。生涯を追うのだから年代順の並べ方でいいのだけど、初めて見る世界が広がると思う。血が騒ぎ始めました。

 

12月19日

鎌倉禅研究会例会の来年度のスケジュールをFBページにアップしました。鎌倉禅研究会で検索してご覧頂けたらと思います。(お手数をおかけして恐縮ですが、どういうわけかここにURLを引用しても入れなくて。苦心惨憺したのですが諦めました。)

 

建長寺様が鎌倉禅研究会の来年度のスケジュールをお知らせしたFBページをご紹介して下さいました。これで検索なさらなくてもクリックでご覧になれますよね。ありがとうございました。(私も後で家に帰ったらURLを確認してみます。)

鎌倉禅研究会例会の来年度のスケジュールです。 https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=2044670392440034&id=1744773429096400 (建長寺様のツイートに貼られていたURLから行ったFBページでURLをコピーしたものです。次の記事の時には語尾の部分が変わるのかな。でも、そもそもどうやったらこのURLが入手できるのでしょう・・・。まだまだ試行錯誤)

 

鎌倉禅研究会のFBページ。出かける前はまだリーチが100名人に達していなかったのに、建長寺様がシェアして下さったからすでに300人越えていました。TwitterのみならずFacebookも。建長寺担当者様、ほんとうにありがとうございました。

 

今日はもう時政に専念して行かれるなら韮山にもと密かに画策していたのに次々と所用ができて昼過ぎまで。そのうちに校正を送った記者さんとメールで話が盛り上がって、気がついたら頭の中でタウンニュースコラムとはずがたりの次回原稿の構成がもうぐるぐる。時政が吹き飛びました。泣

 

じつは密かな画策をもう一つ。一眼レフが重いのは仕方ないとして、鎌倉禅研究会はFacebook用だから一眼レフまでの精度は不用と割り切りコンデジで撮っていました。が、最近それも重く感じられ、それにバッグにやはりかさばるし、いっそカード型のカメラにしてしまおうかと思いヨドバシで見てきました。

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2017.12.18 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(81)運慶と後白河院のこと等

12月15日

美川圭氏『後白河天皇』を拝読していて気づいたのですが、円成寺の両界曼荼羅。後白河院は誰に描かせたのだろうと気になっていました。でも蓮華王院宝蔵にあれほどの絵巻を制作収蔵したくらいなのだから、仏画の絵師の調達もできたはずですよね。曼荼羅が輸入物でないとしてですが。

 

円成寺の宝物の由来など、やはり現地に行かないとと思うのだけれど・・・

 

円成寺のHPを見たら両界曼荼羅の制作は鎌倉時代とあり、やはり後白河院制作と思っていいのでしょう。そのままスクロールして見ていたら収蔵文化財に貞慶上人真筆があり、鎌倉禅研究会で極楽寺住職の田中密敬様がお話されていたけど…と気になってFBで確かめました。叡尊が貞慶の建てた院に入ったと。

 

中国四川省の塔の火災。落雷で焼失したという法勝寺九重塔がああだったのでしょうね。今まで想像するしかなかった映像をまさかリアルに見るなんて。

 

12月16日

おはようございます。美川圭氏『後白河天皇』。ずっと外出時に携行して拝読していたのですが、図書館の本なのでマーカーを引けないから目でなぞるだけ。昨夜必要な章をコピーして思い切りマーカーを引きながら読んだら都立図書館に行かなくてはと思う文献複数に目が届きやはりコピーで読むと違います。

 

COMING SOON。吉祥寺の映画館に貼られていました。楽しみだけど「美しき王妃の謎」って?

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映画はドラマ的にも映像的にも大胆な脚色をしなければ見栄えしないから、空海もきっとそうなのでしょうね。堺雅人さんの鎌倉物語も漫画の愛読者だったので、妖怪ものになっていてビックリしています。小説を創作するのもある意味脚色だから視点が陳腐だったらつまらないし、文学はその狭間。

 

タウンニュース鎌倉版コラム第22回は「後深草院二条と第七代将軍惟康親王」。春先に書いていて展開が性急過ぎると気づき、中を補充するために保留にしていたもの。やっと『とはずがたり』世界の中に入ります。添付写真を送ってあったことも忘れていたりで、校正が届きそうになって気合の入れ直しです。

 

タウンニュース鎌倉版コラムの校正が届いて読んだら最後の締めの文章が惟康将軍更迭の予告。ここに「惟康将軍の父宗尊親王と源氏物語」を入れたら間延びしてかえってよくない気が。宗尊親王はあとに回してこのままとはずがたり世界を貫通していったほうがよさそう。

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2017.12.16 ツイッターから転載…羽村の臨済宗建長寺派の宗禅寺様に行きました等

12月14日

ほのかに夕陽がかって茜色の空。中央線高架からは奥多摩の山々が見えてます。先程は富士山も。シルエットでした。青梅線。立川を過ぎると自分でボタンを押さないと降りられなくなるので緊張します。今日は打上げ。そして今日が終わればいよいよ運慶に専念できる。というか、仙覚にというべきだけど。

 

福生駅前のイルミネーション。送って頂いてこれを撮りたいから皆様とお別れしました。記念です。いい宵でした。仏像研究者さんや建築家さんがいらしたから自然に、運慶でなくても類推でわかる興味深い会話の連発。お酒も回ったけど無事にお開きです。

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羽村の臨済宗建長寺派の宗禅寺様山門です。

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羽村の宗禅寺様、その二。創建400年を記念されて本堂を改築されました。春頃からかかっていられて、私はその間伺ってないので完成した本堂を今日初めて見ました。西陽を浴びて輝いていて思わずスマホを出して撮りました。

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鎌倉で私のツイートを楽しみに見て下さっている方がいられるので、その方のためにアップしました。ご覧になって下さるといいなあ。

 

12月15日

昨夜RTの「ノーベル賞作家の文章を送ったら全部の出版社に断られた」を面白く読みました。? と思って読んだら作家がなんとクロード・シモン。それはそうだろうなと一瞬にして納得。「文学作品を出版するにはすでに有名な作家である必要がある」というプルーストの言葉の引用にも深く納得しました。

 

今、夫が寝ながら読んで休みました。織田さんのファンなので喜んでいます…「文学碑めぐり 仙覚の二つの碑」掲載の『解釈』をお送りした方からのメールにこうありました。こういうご感想、心和みます。私的な親しみが籠っていて。ご主人様、講演によくいらして下さいます。

 

とはいうもののお送りしたのはまだ数冊。比企にゆかりの親しい友人にだけ。お手紙を付す必要ないから簡単に投函。お世話になった比企の方や先生方にはこれからです。昨日でイベントが終了したからやっととりかかれます。

 

冬枯れ近い井の頭公園です。

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ベンチのある光景はなんとなく和みます。

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こちらにはまだ紅葉が残っていました@神田川の上流

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2017.12.14 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(80)運慶と後白河院が繋がりました! 円成寺大日如来像をめぐって

12月12日

やってきてよかったと思うことがあって、ものごとはこうして整っていくのだなあと。実現したらそこに関わっていた人がみんなが集結して喜び合う。ここにくるまで大変だったしこういう結末を(まだ終わりでないけど)見るとは夢にも思っていなかったけど、何かを続けているとこういうこともある。

 

TLで教えて頂き大佛次郎「源実朝」を拝読。物凄い筆力に圧倒されながら新鮮さも。私は日本の歴史小説を殆ど読んでなく実朝を書いたものでは評判でしか知らなくて大佛次郎は初めて。通史的表現と人間への洞察力とに感嘆しました。ただここには私が知る「当然いるべき人」が一人も登場していません。

 

当然いるべき人とは、源光行。仙覚の小説では実朝はまだ全然前哨戦だけれど、私が目指す文学としての小説はこうでないなあと感じました。それにしてもさすが鎌倉に住んだ方の鎌倉市中の描写の凄さ。これがなぜもっとポピュラーになっていないのか考えてしまいました。もったいないです。

 

昨日図書館に実朝を借りに行ったらこちらが目に入って借りてきました。目下の私の関心事はこちらだから自分に帰る感じで今も目に入って嬉しい。『魅惑の仏像28 大日如来』。運慶のデビュー作「円成寺大日如来像」のご本です。

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12月7日に行われた鎌倉禅研究会例会のご報告をFBページにアップしました。今月の講師は蘭渓和尚語録の現代語訳の彭丹先生と、極楽寺ご住職様の田中密敬師でした。鎌禅研究会で検索してご覧いただけます。

 

宮坂宥勝先生『空海曼荼羅』に「一般仏教が釈尊を教主とするのに対して、大日・金剛頂系の密教が大日如来を教主とする」とありました。

 

先ほどRTの『蒙求和歌』は源光行が実朝に、自分が帰洛するのに際し心を込めて贈ったとされます。光行は鎌倉に下向する折にも京の雲居寺で『万葉集』を書写して持参していて、私はそれが実朝の万葉調になっていると考えています。この師弟愛が大佛氏の小説には省かれているなあと昨日思った次第。

 

光行の『蒙求和歌』跋文に込めた思い、文章は、美しいです!

 

12月13日

昨夜は『魅惑の仏像28 大日如来』をしみじみ眺めて休みました。円成寺という寺院についても詳細が書かれていて役立ちました。今まで数々のご論文で運慶の思想を拝読しても今一だったのはこの円成寺についての知識が欠けていたからとわかりました。写真は東博の展示の再来みたいにいろんな角度から。

 

それにしても運慶が最初に手がけたのが大日如来ということの凄さ。縁のなせる技なのでしょうね。技術を評価されてだけではないと思う。なぜ二十歳をでたばかりの若者が大日如来を?というのがずっと心にひっかかっています。

 

『魅惑の仏像28 大日如来』から西村公朝氏。「仏師が仏像を造るときどの仏名の像でも真剣です。ところがこの大日如来ということになりますと、一体の像を彫りながらその内面は仏界全体の仏を一尊に表現しようとしているのです。だから大日如来の造像は仏師にとって精神的には大変厳しくむずかしい」

 

メモ:円成寺HPより。「仁平3年(1153)、広隆寺別当、東寺長者、高野山管長、東大寺別当を歴任した京都御室仁和寺の寛遍上人が忍辱山に登り、真言宗の一派忍辱山流を始めるに及び当山の基礎が築かれました」

 

メモ2:円成寺HPより。「円成寺でまず目に入るのが、楼門前に広がる美しい庭園です。平安時代末期に寛遍上人のころに造成されたと見られています。平安から鎌倉時代にかけて貴族住宅に流行した寝殿造系庭園に類似し、寺院としては阿弥陀堂の前面に広がる浄土式庭園として、奥州平泉毛越寺と共に貴重」

 

メモ3:円成寺HPより。「寛遍は京の都で後白河法皇の側にお仕えし、密教の修行僧として世の平安・静謐を祈り、仁和寺大僧正としての要職を歴任されたあと高野山に上られます。そこで浄土信仰の聖地であった当山の阿弥陀如来の霊夢をお感じになり静かに修法するため当山に入られ真言宗を開かれました。

 

メモ4:円成寺HPより。「金剛界曼荼羅(左)胎蔵曼荼羅(右) 奈良市指定文化財共に220×145 鎌倉時代後白河法皇の御寄進と伝えられています。」

 

円成寺HPよりの一連のメモ。運慶の大日如来造仏と後白河法皇が繋がりました! たぶん、運慶の大日如来は後白河院の・・・

 

円成寺。運慶は行ってますね。私も行きたくなりました。(奈良の中心地から離れた奥にあるというふうなキャプションばかり読んでいたので、こんなに開けた雅な寺院とは思ってもいませんでした)

 

不自然なことの背景にはなにか特殊な事情がある。仙覚の時と同じ。『万葉集』の校訂を一度親行がしているのに仙覚が二度目を拝命した。この不自然。運慶の大日如来。ふつうなら三か月でできるのを一年近くかかっていた。ふつうではあり得ないそういう背景にはそれが許される事情があったとしか。

 

今すぐにでも都立図書館に行って入手したい論文があるのだけれど、明日も外出だし疲労を残せないからぐっとこらえて家で作業。

 

12月14日

『魅惑の仏像28 大日如来』の円成寺沿革史を拝読したら、運慶作の大日如来像が安置された多宝塔は後白河院の寄進なんですね。つまり、多宝塔に収めるべく運慶が造らされたなら、注文主は。これ、もの凄く重要と思うのですが、今まで読み落としてたのでしょうか。

 

円成寺を真言宗にし庭園を作った寛遍は、具平親王の孫、源師忠の子で、祖母は道長の第六女尊子。

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2017.12.12 ツイッターから転載…密教の本を読みたくて宮坂宥勝先生『空海曼荼羅』を。

12月9日

おはようございます。やはり一日出かけて過ごすとあとの体力回復が大変で昨日は体調を整えるのに終日費やしました。で、伊豆の韮山。年内に行きたいと思って検索してたりしたのですが、これは諦めるしかないと結論。行ったあとに残る疲労が大変そうだから。こんなわけで今日も鎌倉だけど打上は失礼を。

 

だんだん自分の内部だけがすべて、自分の内部の宇宙を探るだけがすべて、と整っていっているのだと思います。仙覚の小説のことです。

 

気持ち的メモ: いつも突進して何かに打ち込むけどあるところまでくると深める作業に入って迷妄的に進まなくなる。そうした時に何かの出会いがあって、それがきっかけで一気にまとまる方向に入っていく。自分の中ではもう十分に整ってきているから一気の駆け込みは凄い。そんな機にきている気がする。

 

今日の道中のお供は宮坂宥勝先生『空海曼荼羅』。密教の本を読みたくて書棚に並んだなかから選んできました。

 

『空海曼荼羅』にカラーの口絵で宮坂先生が描かれた両界の種子曼荼羅が。線を描かれるのに一回だけでは薄いから重ね塗りしましたとお話頂いて成田山新勝寺を訪ねて拝観しました。ここに載っているのに気づいてなくてビックリ。感慨深いです。

 

『空海曼荼羅』を拝読していたら泣きたくなってきました。今でこそ密教は曼荼羅を主体とするアート的世界観でブームですが、宮坂先生はそのブームの前の方なんですね。密教に対する邪教的誤解に対する純粋なお怒りに溢れていて。以前拝読した時私も密教初心者だったからこの違いに気づきませんでした。

 

というか、初心者だから、ブームになる前の純粋な密教入門書としてまっすぐに入れたのかも。

 

今にしてわかった気がする。私が密教を読み始めたのはブームの最初期だから宮坂先生や金岡秀友先生方のご著書が本屋さんに並んでいました。それしかなかった。だから純粋に密教の教義を学べたんですね。ブーム以後、それに影響されたり脚色された概説書が溢れてそれしかなくなってしまいました。

 

ちょっと開けた車窓から地球影が見えました。今日はそんな夕刻。鎌倉の帰りです。こんな時間だと横須賀線の車窓から丹沢山系が見えるんですね。ほんの一瞬でしたが。

 

車窓から。シルエットになった富士山が見えました。

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12月10日

おはようございます。早々に就寝して起きたらこんな時間。疲れを引きずることだけは避けようと思っての結果です。宮坂宥勝先生『空海曼荼羅』はやっと原始仏教等の範疇が終わって空海の密教に。運慶が接した密教は空海でしょうから気が引き締まっています。運慶と空海はぴったりですね。

 

宮坂宥勝先生『空海曼荼羅』は清々しいです。昨日密教ブームに関して書きましたが、昨今はブームに載るブームに載せることが最初の目標のような流れの中で、この真摯さ静謐さには心洗われました。難しいことはわからないけど、書かれている先生のお人柄が伝わってきて。文章は人が繰り出すものだから。

 

まだ早朝の真っ暗な室内。PCの僅かな灯りだけで撮りました。宮坂宥勝先生『空海曼荼羅』から金剛界の種子曼荼羅。種子曼荼羅はたくさんのほとけ様方が並ぶ絵の曼荼羅とは異質世界。改めて知りました。凛として感じられます。

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12月11日

今日の井の頭公園雑木林。紅葉の赤が例年になく濃い気がするのですが。

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今日は予定外に時間を費やし忸怩たる一日で終わりそうだったのですが、メールを開いたら素敵なお知らせが舞い込んでいてすっかり元気になりました。鎌倉で私の活動をわざわざ「鎌倉の隠れた歴史を知る会」と銘打ってまで作って下さった方の活動に今度は私が役立てたみたい。いいな、こういう関係。

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2017.12.10 ツイッターから転載…文学碑めぐりを寄稿した『解釈』が届いて比企研究を終わりにします&鎌倉禅研究会でした&タウンニュース鎌倉版コラム第21回「二階堂永福寺と『とはずがたり』の作者二条」が掲載されました

12月7日

寄稿のお話を頂いても書けなくて詰まって打開策にはじめて比企に行ったのが慈光寺。そこで慈光寺経と出合って俄然閃いて書いたのが「北条実時と『西本願寺本万葉集』」。それから何回比企に出向いただろう。たくさんの人と知り合って、まだ国文学研究者さんにも見せていないという史料をご提示頂いて。

 

それから「仙覚は誰か」が研究テーマになり、比企の方々の応援の中で頑張って。「文学碑めぐり」でそれを総括して書いた『解釈』を20冊購入したのが今日届きました。比企の方々と、ここまで見て力づけて下さったいろんな分野の先生方にこれをご報告としてお送りして、比企研究を終わりにします。

 

歴史的史料は地元の方が持っていらしてもそれをどうしたらいいかわからずにいられます。過去帳に「玄覚」の名があるのを見せられて、玄覚! とびっくりしたのですが、私は専門の研究者ではないけど、解釈という学会に属しているから、これを活字にしてさしあげるのが使命と思って頑張りました。

 

快慶論を拝読していますが、慈円、明恵、後鳥羽院、といった目も眩むような人脈。運慶とのあまりの違いに驚愕しています。仙覚は運慶とは時期的空間的に会っていない気がするけど、快慶は見ているかも。それよりか、快慶の人脈は全くの私の範疇。運慶が時政というある意味敵方の人脈だったのに対して。

 

メモ: 快慶と東福寺

 

今日は鎌倉禅研究会で極楽寺ご住職様のお話だったのだけれど、真言律宗という宗派は馴染みが薄いから丁寧にそこからお話されて、とても丁寧な方と改めて律宗という宗派を思わされました。宗派の宗は本山の西大寺では衆なのだそう。同じ真言律宗でも西の西大寺と東の極楽寺とは微妙に違うみたいです。

 

酔が回ってもう帰ったらそのまま寝たいくらいだったのに、近づいたら醒めてきてしまぃした。無念笑

 

愚痴ではないのだけれど、本音。楽しい宵を過ごしてくると仙覚の小説の緊迫感から遠のき取り戻すのが大変。だからお断りできるものはだんだんすべてお断りしてきているのだけれど、禅研究会はFBを担当させて頂いているからそれができない。で、結局楽しい宵を過ごして結局今は小説の境地からほど遠く。

 

12月8日

タウンニュース鎌倉版コラム【鎌倉と源氏物語】第21回「二階堂永福寺と『とはずがたり』の作者二条」が掲載されました。

http://www.townnews.co.jp/0602/2017/12/08/410720.html

 

昨日鎌倉禅研究会で「蘭渓道隆和尚語録」の現代語訳をされている彭丹先生が杜甫の詩を紹介して下り、その時杜甫が成都に住んでいた時の「き州」という漢字をホワイトボードに。満語の解説は「清の時代から漢民族でなく女真民族になり、それが満語」。中国では漢民族の漢語の発音の減退に危機感がと。

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鎌倉禅研究会FBページはたくさんの方に見て頂いているようで、昨日も私が知らない方なのに旧知のような感じで話しかけられて、とっさに何が起こっているのか理解できない場面が何回か。休んでも読ませて頂けるから安心とか、講義は難しいけど写真が楽しみなど。ネットって凄いですね。

 

というか、なぜ私を見て私がFB担当者と知っていられるのかがわからない。先月ではまだそんなでなかった気がするのだけど。でもそれより実際に作っていて思うのは、関心があっても鎌倉にまで足を運んで来られない遠方のご住職様方がリアルタイムで鎌倉や建長寺様を肌で感じて下さるのが嬉しいです。

 

昨日、建長寺様に金沢文庫の運慶展ポスターが貼られていました。チラシもあったので頂いて来たのを見たら、保寧寺阿弥陀如来像、修禅寺大日如来像が。東博のと併せてなんてラッキーな運慶展開。

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2017.12.7 ツイッターから転載…タウンニュース鎌倉版コラム特別編「運慶との関わり 東国と源頼朝と北条時政と」の紙面など

12月4日

ただいま《望》です《現在の月齢 15.17(at 00:47)

 

こんばんは。たまたまTLを眺めていて、只今ぴったり望です、の月齢君。そうっか、望だったから今日は何もする事がなかったんだと妙に納得。11月はかなり突っ走ってました。何がメインでハイライトだったかわからないくらい。とりあえず来年1月に申込んである講座を楽しみに年内はゆっくり過ごします。

 

(家康についてのTLを読んで)感情を表さない家康の大物感。わかる気がする。なにか暖簾に腕押しみたいなのだけれど暖かく泰平、って感じ。慣れると大きな掌にいる信頼感に繋がるのでは? 対話や関係を重視し過ぎる現代に稀有かも。

 

感情、感覚、感性、といった領域と違う次元に、理知、透徹、達観、といった地平があるかも、など家康の件をまだ引きずっています。でも、もう寝ます。おやすみなさい。

 

おはようございます。もうずっと、これからもずっと、中世鎌倉の一人の学僧の精神世界に埋没するから、せめてTLはリアルな世界で飾らせていただこうと楽しい写真をたくさんRTさせて頂いています。TLに感謝。

 

今日の道中のお供は金子啓明氏『運慶のまなざし』。途中まで拝読して、その後手にする余裕もなく過ごしていました。

 

『運慶のまなざし』。マーカーを引いて読みたくてたまらないのだけれど、今までそうしてきた本を今見ると、なんてもったいないことを、と最近反省することがあり、もう決して引かないと決めたばかり。でも引かないから入ってこなくて頭の中で整理がつかない。コピーをとってするには膨大だし…。泣

 

最初に「食べてしまいたいくらい」と感動した本がロラン・バルト『明るい部屋』。それから1,2冊そういう本に巡り合ってはいますがみんな薄く小さめの本。(食べてしまうのが可能くらい笑)。『運慶のまなざし』は重く分厚いからさすがにそれは不可能。やはりマーカーを引くしかないかも。続

 

本はただ読むのと自分のものにするのとでは読み方が違う。考えて見ると詩を網羅して読みかつ学んでいた時は本を綺麗に残そうなど思わず青インクで線は引くしびっしり書き込みも。だから身について今があるのだと思う。もったいないから綺麗に読もうと思った途端、『運慶のまなざし』が遠のきました。

 

東博の運慶展は終わりましたがタウンニュース鎌倉版コラムで特別編として書いた「運慶との関わり 東国と源頼朝と北条時政」の紙面を。知人の方々にお配りしたのですが、昨日お話を聞いてたら結構皆様行って下さってました。校正をお煩わせしてしまった経緯もありまして改めてありがとうございました。

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先日鎌倉歴史文化交流館の永福寺展を拝見して出土遺物の小さな仏像の腕に再会しました。発掘調査時に現地説明会で一度見たまま忘れられない焼けただれた小さな小さな腕。宇治平等院の雲中菩薩くらいです。凛々しく丸みを帯びた美しい彫りがもしかしたら運慶作かも、なのですね。今は。

 

運慶展は終わったのに運慶熱が冷めるどころか募る一方。どうしてこうなっているのかわからないのですが(いずれおのずとわかる時がくる)、とりあえず時政の講演に運慶を加味できるからそれを目的に。願成就院の阿弥陀三尊さま方。奈良で造ったとされますが、運慶は韮山に行ったことがあるのでしょうか。

 

運慶は展覧会が開かれるのを知っていても関心がありませんでした。それが7月の段階です。その頃仙覚の小説関連で時政を調べていて願成就院の仏像のことでツイッターで山本勉先生にアドバイスを頂き、それから滝山寺像を教えて頂きとびっくりするような急な展開。それをコラムに活かさせて頂きました。

 

鎌倉禅研究会12月例会のお知らせをフェイスブックページにアップしました。12月7日13:00~、於建長寺。彭丹先生「建長寺開山蘭渓和尚語録の現代語訳 」/ 極楽寺住職田中密敬師「極楽寺のすべて」です。詳細は鎌倉禅研究会で検索してご覧頂けますよう。

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12月5日

吉祥寺のクリスマス@アトレ

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12月6日

おはようございます。昨夜ふっと気づいてしまいました。仙覚の小説。快慶も登場させることになると。もともと運慶だけで済むはずはなかったのでしょうけれど、人的交流がなければ登場させなくてもいいと決め込んでいました。が、あったのです。人的交流が。仙覚は運慶よりも快慶に精神性が近いかも。

 

運慶は承久の乱の2年後の没。快慶もその頃か。承久の乱の時、仙覚は19歳。

 

真鍋俊照先生『仏教美術と歴史文化』を見ています。2005年刊。「北条実時と『異本紫明抄』」初出誌。この頃は何もわかっていなかったから、「はじめに」で頼経の時代の密教寺院について書かれていたことに今気づきました。頼経の時代、仙覚の万葉集の時代です。いろいろ重なって驚くことばかり。

 

雑木林の井の頭公園です。

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2017.12.3 ツイッターから転載…「文学碑めぐり」が載った『解釈』2017.11~12月号が届きました。タウンニュース鎌倉版コラム「とはずがたり」シリーズのことなど

12月1日

物事の背後は時間がたつと明確に見えてくるものだなあと、TVを見ていてふと思う。

 

講演が終わったらしようと思っていたことの一つにHDDのデータをクラウドに。そして年賀状。PCが壊れた時に住所録も消えたから今年は住所入力から。一つずつ解決していくしか。といいながら、なんか気分はのんびり。(HDDのデータ。必死に保存してきたけれど仙覚の小説に専念するから今後はもうあまり)

 

それから、年内に伊豆韮山に行きたいと思っています。できるかなあ。いつも予定は延び延びになっていくから。これは2月中旬の某企業様での講演「鎌倉初期 北条時政の生涯ー北条政子の父時政の人となりー」のため。

 

来年の講演。二月に時政。八月に時頼。十月に飛鳥井雅経。と、こう並べるとそんなに呑気にしていてはいけない気がしてきました。笑

 

地震でした。ちょうどツイッターを見始めたところでした。(茨城県北部)

 

タウンニュース鎌倉版コラム。後深草院二条が鎌倉入りしたところで中断し、特別編に「運慶と鎌倉」を入れ、次が「二条と永福寺」。これが第21回で校正が終わっています。次の第22回として以前第15回分として書いて保留にしていたのがちょうど入る頃と思い、記者さんに打診したらOKになりました。

 

保留にしていた第15回は、数回分を流れで一気に書いたために二条があっけなく鎌倉に下向してしまい、なぜ二条が鎌倉に下向したかを入れなくてはと気がついたからでした。それで大宮院など京都の事情を数回入れて、保留していた「後深草院二条と第七代将軍惟康親王」が第22回に。やっと本題です。

 

12月2日

おはようございます。昨夜タウンニュース鎌倉版コラム「とはずがたり」シリーズのツイートをしたついでに少しまた書き溜めることにします。ようやく二条が鎌倉に入って執権貞時や平頼経らと交わり、将軍の更迭や新将軍の下向など、とはずがたりシリーズを始めた本来の目的にたどり着きました。

 

仙覚律師の業績を顕彰する二つの碑について書いた「文学碑めぐり」が載った『解釈』2017.1112月号が届きました。昨年夏の大会で発表した「仙覚は誰か」の問題の要約のような内容です。これでこの問題は終わりにして離れ、心置きなく小説にかかれます。

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「文学碑めぐり」の件である方とお話したのですが、その方は国文学研究者さんでないから、仙覚、と申し上げても私がなぜそれ程まで関わるのかご理解頂けませんでした。が、二つの碑が、井上通泰・佐佐木信綱両氏によるものとお話した途端、それ程の方が顕彰しているのならと俄然納得されたのでした。

 

仙覚は誰かの問題は、大正末年頃の「常陸の人」説が学界であまりに定説化して崩せないために今は誰もとりあげもしません。それに対して私は比企の方からの新出史料を提示して「比企の人」説を出したのですが、まだ私一人の孤軍奮闘状態。でもめげないで今後は小説で普遍的になるべく勝負します。

 

12月3日

おはようございます。昨夜やっと二回目の運慶展に行った時に資料館でとってきたコピーの束を拝読。大日如来像や運慶と六波羅蜜寺の関係についてがメインのコピー。この辺り都立図書館に行かなければならないのもあるのですが、このまま運慶にとどまるか「とはずがたり」に移行するか迷いが生じました。

 

今日のスクランブル交差点@渋谷 あざやかな落葉樹の紅葉が目にはいって

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とはずがたり。後深草院二条が鎌倉に下向したのは第七代将軍惟康親王の時。二条は下向早々惟康親王の更迭にあって帰洛させられる様子を目にします。タウンニュース鎌倉版コラムでそれを書く段階にきたと思ったら、そうすると父君でいられる第六代将軍宗尊親王がすっぽり抜けることに気がつきました。

 

第六代将軍宗尊親王こそ鎌倉の源氏物語文化の主役。「尾州家河内本源氏物語」もこの方の時代にできたわけだし。この方を抜かして【鎌倉と源氏物語】のコラムはあり得ないですよね。1,2回、「宗尊親王と源氏物語」を書こうと思う。(また、二条の鎌倉物語が遠のきました)

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2017.12.1 ツイッターから転載…詩吟の会の講演【源氏物語の歴史と鎌倉の文化】於鎌倉市生涯学習センターを終えて

11月27日

BS-TBS後白河上皇。観ましたけど通史のおさらいで新味がぜんぜんなくて面白くありませんでした。小林泰三氏がツァラトゥストラとまで言っている人物なのに。結局歴史を学問的に事象だけでみるとああなるんですね。

 

小林泰三氏が「絵巻物で武士に勝った帝」で井上靖の『後白河院』と五木寛之の『親鸞』に登場する後白河院を、棚橋光男氏『後白河法皇』の出版前と後と位置付けていられますが、それくらい研究の進展は文化に変革を及ぼします。今日のBSはなぜ未だに出版前? 親鸞の後白河院、凄い!です。

 

今日はパワポをUSBに入れてバッグに詰めて出かける支度さえすればいい日だったから、マニキュアをしながらテレビを見たり、衣服にアイロンをかけながら後白河院を見たり、結構終日テレビを見ていた気がする。たまにはこんな日があってもいい。

 

11月28日

戸塚駅ホーム下を流れる川に白鷺が二羽いました。

 

生涯学習センターでの講演は無事に終わりました。今は今日の予定の2つ目。鎌倉歴史文化館での永福寺の講座に来ています。まもなく開始。安達氏の菩提寺無量寿院跡に建つ会館。夜の光景は貴重です。

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鎌倉の帰り。まもなく地元の駅に到着です。

 

11月29日

おはようございます。生涯学習センターでの講演を無事に終了。素敵な会でした。詩吟の会主催だから皆様情緒というものを知っている方達で講演を楽しみにして下さっていて、講演中も目をきらきらさせて聴いて下さってました。仙覚が訓点の最後に残った152首に付けた功績をお話したら拍手される方も。

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会場は280名入るのですが立見を余儀なくされた方も多く、主催者さんが「会員だけでは満席にならないからどういう方がいらしたのかしら」と謎がってられました。Twitterからいらした方にお一人ご挨拶を頂きましたが、私の発信でいらした方が他にもいられるなら、ありがとうございました。

 

昨日はさすがに疲れて夜の鎌倉歴史文化交流館での永福寺の講座は拝聴しながら時々眠りそうに。鎌倉の講演は2010年11月に初めて昨日がちょうど七年目。最初の活動から支援して下さっている方も来て下さって、写真はその方の撮影です。二人で「七年たってここまで来たのね」と感慨に耽りました。

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連ツイ済みません。ふと思い出して。ある男性が、「写真が綺麗で眠る暇なかった。次から次へ写真が繰り出されるのでそれに気をとられて見ている間に終わってしまい、短かった」と。写真を背景にキャプションを書き込んだスライドを132枚用意して、お話し終わって時間を見たらぴったし90分でした。

 

飛鳥井雅経は頼家に蹴鞠を教えた人だから、来年秋の講座「鎌倉の蹴鞠物語」の重要人物。講座の幹事さんもいらして下さっているので雅経のスライドをたった二枚入れました。そうしたら全く別の人が「飛鳥井雅経って魅力ありそうな人ね」と。雅な魅力というのはなにか不思議な芳香を放っているようです。

 

平家の都落ちに際し、父俊成のもとには薩摩守忠度が、定家のもとには同世代の行盛が、歌を預けて去ったほど、定家たちは平家の方々と親密でその栄華の恩恵を受けていたとお話しました。それが「青表紙本源氏物語」など『源氏物語』の写本をつくる思いにつながったと。そのスライドです。

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「流れての名だにもとまれ」の歌は、何回講演しても、読むたびにぐっと詰まって涙ぐみたくなります。

 

明遍僧都様、RTをありがとうございます。『源氏物語』の二大写本は定家と光行の平家の方々を追悼する思いから制作されたというのが私の原点ですが、この視点からみると最近時政も運慶も、この時代の人たちはみんな心に平家への哀惜を持っているのだということが見えてきています。

 

メールボックスを開いたら、昨日の講演を聴いて下さったという方から頂いていました。存じ上げない方です。講演に備えて事前に『源氏物語と鎌倉』を読んで下さってのご参加で、講演を聴かれてよくわかったと。嬉しいお知らせですが、どこで情報を入手されたのでしょう。

 

昨日鎌倉の方と歩いていたら刀匠正宗工芸所前を通ったので、この近くに運慶の邸宅があったそうとお話したら、その方が「そうよ、だって運慶の子孫を名乗る方がいるもの」と。私は運慶の邸宅が鎌倉にあったと知って驚いたばかりなのに、鎌倉に住む方の歴史感覚は次元が違います。

 

先ほど仙覚の小説が完成したらと書きましたが、講演も終わり、もう私はほんとうにそこに邁進だなあと思います。体力に不安を感じて以来諸々のこともすべて譲って残すのは私一人の世界。なにものにも侵害されない楽しい世界。今日はそんなことを考えながら机周りを整理しています。

 

「私は20分しか拝見できなかったけど、貴方が丁度万葉集の残りが鎌倉で訳されていたというくだりを聞けましたのでラッキーでした。拍手が出た理由良く分かります」と講演に来て下さった鎌倉の知人からのメール。先ほどの「なにものにも侵害されない世界」こそ仙覚の万葉集への思いだったんですよね。

 

久しぶりになんにも追われていない終日。のんびりしているから呟き多めで済みません。

 

だけど、私の仙覚の小説は現代に通用する文学として書いているから時代小説とは違うなあ・・・とは思うのだけれど。

 

今更ですが仙覚が鎌倉で最後に残った152首に訓点を付け終わったということをお話する時に使ったスライドです。(編集したパワポなどデスクトップ上にある今回の講演用のものをHDDに入れる作業をしています)

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