12月12日
やってきてよかったと思うことがあって、ものごとはこうして整っていくのだなあと。実現したらそこに関わっていた人がみんなが集結して喜び合う。ここにくるまで大変だったしこういう結末を(まだ終わりでないけど)見るとは夢にも思っていなかったけど、何かを続けているとこういうこともある。
TLで教えて頂き大佛次郎「源実朝」を拝読。物凄い筆力に圧倒されながら新鮮さも。私は日本の歴史小説を殆ど読んでなく実朝を書いたものでは評判でしか知らなくて大佛次郎は初めて。通史的表現と人間への洞察力とに感嘆しました。ただここには私が知る「当然いるべき人」が一人も登場していません。
当然いるべき人とは、源光行。仙覚の小説では実朝はまだ全然前哨戦だけれど、私が目指す文学としての小説はこうでないなあと感じました。それにしてもさすが鎌倉に住んだ方の鎌倉市中の描写の凄さ。これがなぜもっとポピュラーになっていないのか考えてしまいました。もったいないです。
昨日図書館に実朝を借りに行ったらこちらが目に入って借りてきました。目下の私の関心事はこちらだから自分に帰る感じで今も目に入って嬉しい。『魅惑の仏像28 大日如来』。運慶のデビュー作「円成寺大日如来像」のご本です。

12月7日に行われた鎌倉禅研究会例会のご報告をFBページにアップしました。今月の講師は蘭渓和尚語録の現代語訳の彭丹先生と、極楽寺ご住職様の田中密敬師でした。鎌禅研究会で検索してご覧いただけます。
宮坂宥勝先生『空海曼荼羅』に「一般仏教が釈尊を教主とするのに対して、大日・金剛頂系の密教が大日如来を教主とする」とありました。
先ほどRTの『蒙求和歌』は源光行が実朝に、自分が帰洛するのに際し心を込めて贈ったとされます。光行は鎌倉に下向する折にも京の雲居寺で『万葉集』を書写して持参していて、私はそれが実朝の万葉調になっていると考えています。この師弟愛が大佛氏の小説には省かれているなあと昨日思った次第。
光行の『蒙求和歌』跋文に込めた思い、文章は、美しいです!
12月13日
昨夜は『魅惑の仏像28 大日如来』をしみじみ眺めて休みました。円成寺という寺院についても詳細が書かれていて役立ちました。今まで数々のご論文で運慶の思想を拝読しても今一だったのはこの円成寺についての知識が欠けていたからとわかりました。写真は東博の展示の再来みたいにいろんな角度から。
それにしても運慶が最初に手がけたのが大日如来ということの凄さ。縁のなせる技なのでしょうね。技術を評価されてだけではないと思う。なぜ二十歳をでたばかりの若者が大日如来を?というのがずっと心にひっかかっています。
『魅惑の仏像28 大日如来』から西村公朝氏。「仏師が仏像を造るときどの仏名の像でも真剣です。ところがこの大日如来ということになりますと、一体の像を彫りながらその内面は仏界全体の仏を一尊に表現しようとしているのです。だから大日如来の造像は仏師にとって精神的には大変厳しくむずかしい」
メモ:円成寺HPより。「仁平3年(1153)、広隆寺別当、東寺長者、高野山管長、東大寺別当を歴任した京都御室仁和寺の寛遍上人が忍辱山に登り、真言宗の一派忍辱山流を始めるに及び当山の基礎が築かれました」
メモ2:円成寺HPより。「円成寺でまず目に入るのが、楼門前に広がる美しい庭園です。平安時代末期に寛遍上人のころに造成されたと見られています。平安から鎌倉時代にかけて貴族住宅に流行した寝殿造系庭園に類似し、寺院としては阿弥陀堂の前面に広がる浄土式庭園として、奥州平泉毛越寺と共に貴重」
メモ3:円成寺HPより。「寛遍は京の都で後白河法皇の側にお仕えし、密教の修行僧として世の平安・静謐を祈り、仁和寺大僧正としての要職を歴任されたあと高野山に上られます。そこで浄土信仰の聖地であった当山の阿弥陀如来の霊夢をお感じになり静かに修法するため当山に入られ真言宗を開かれました。
メモ4:円成寺HPより。「金剛界曼荼羅(左)胎蔵曼荼羅(右) 奈良市指定文化財共に220×145 鎌倉時代後白河法皇の御寄進と伝えられています。」
円成寺HPよりの一連のメモ。運慶の大日如来造仏と後白河法皇が繋がりました! たぶん、運慶の大日如来は後白河院の・・・
円成寺。運慶は行ってますね。私も行きたくなりました。(奈良の中心地から離れた奥にあるというふうなキャプションばかり読んでいたので、こんなに開けた雅な寺院とは思ってもいませんでした)
不自然なことの背景にはなにか特殊な事情がある。仙覚の時と同じ。『万葉集』の校訂を一度親行がしているのに仙覚が二度目を拝命した。この不自然。運慶の大日如来。ふつうなら三か月でできるのを一年近くかかっていた。ふつうではあり得ないそういう背景にはそれが許される事情があったとしか。
今すぐにでも都立図書館に行って入手したい論文があるのだけれど、明日も外出だし疲労を残せないからぐっとこらえて家で作業。
12月14日
『魅惑の仏像28 大日如来』の円成寺沿革史を拝読したら、運慶作の大日如来像が安置された多宝塔は後白河院の寄進なんですね。つまり、多宝塔に収めるべく運慶が造らされたなら、注文主は。これ、もの凄く重要と思うのですが、今まで読み落としてたのでしょうか。
円成寺を真言宗にし庭園を作った寛遍は、具平親王の孫、源師忠の子で、祖母は道長の第六女尊子。