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2018.1.31 ツイッターから転載…チャプスキ『収容所のプルースト』拝読中です、荒木浩先生のご講演「光源氏と〈二人の父〉という宿命ーブッダの伝記が照らし出す『源氏物語』の視界ー」を拝聴しました。

1月29日

チャプスキ『収容所のプルースト』、届きました。思っていたより薄くてホッと。外出時に携行できます!

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1月30日

おはようございます。昨日は久々に『源氏物語と鎌倉』を数名の方に送らせていただくのにお便りをしたためて緊張。どっと疲れました。鎌倉の源氏物語の普及がある程度広まり私的には役割の完了を思っていたのですが、ペンクラブの新年会でお話する方の層が変わったら普及はまだまだと自覚したのでした。

 

それから、チャプスキ『収容所のプルースト』。待ちきれなくて夕方の吉祥寺に持って出て珈琲でくつろぎながらひもどいたのですが、読みやすい! です。講義の言葉をそのまま活字にしたものなので講義者の思念がそのまま言葉としてあふれ出ているのを感じます。話し言葉って、強い!。

 

連ツイ済みません。鎌倉の源氏物語でたまたま講演ということをを経験して(最初は普及活動として写真展のつもりだったのですが鎌倉には広い展示場がなくて講演になりました笑)講演で聴いて下さる方との以心伝心のような手応えを覚えたら文章を書いている時にもその感覚があって文章が変わりました。

 

1月30日

いつもの図書館コースだけれどその少し先。滅多に行かない街だけれど好きだから思い出はあります。今日の道中のお供はもちろんチャプスキ『収容所のプルースト』。今日のイベントは楽しみにしていました。

 

荒木浩先生の【日文研・アイハウス連携フォーラム】光源氏と〈二人の父〉という宿命ーブッダの伝記が照らし出す『源氏物語』の視界ー、を拝聴して終わって会館を出た時に見えた光景@六本木国際文化会館 濃密なお話でした!

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六本木の交差点から見えた東京タワー。ここをまっすぐ降りて行けばよかったのに迷いが生じて戻ったりして結局逆周りにたどり着いて遅刻寸前に間に合いました。帰りは東京タワーを目安に歩いて来たら、最初にこの写真を撮った所に出たのでした。笑

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2018.1.29 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(89)法住寺殿の位置。鎌倉ペンクラブ新年会でのことなど

1月28日

昨夜の鎌倉ペンクラブ新年会会場は若宮大路に面した山下飯店。ペンクラブに入会させて頂いて7回目の新年会。市民ではないけれど鎌倉の源氏物語研究者としてお声をかけて頂きました。当初は緊張続き。やっと昨年夏の納涼会くらいから和んで楽しくなりました。馴染むって時間がかかりますね。

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最近思うのですが、人との対話は自身の内が豊饒か否かによりますね。喋れないと思っているあいだは自身の内が満ちていないから。鎌倉の源氏物語研究者として認めて頂いても私のなかではまだそれほどでないのにという逡巡がありました。それがとれたのは自身でその自覚ができたからです。

 

文献にばかりあたっていて、やっと、そうだ、『院政・源平京都めぐり地図』を見ればいいのだと気がつきました。法住寺殿の位置。これを見ると智積院は南殿に、京都国立博物館は北殿にはいるんですね。文献から、南の園池は最勝光院。

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どうして今まで地図を見ることに気がつかなかったのだろうと唖然とするほどいろいろと詰まっていました。週末の集中できない気分一新に今夜は徹夜して読もうと決めたら地図を見ることを思いついて、今まで文献で四苦八苦していたことが一挙に解決。文献の推定位置を現代の地図に重ねたかったんです。

 

その後にまた文献に戻ったら、研究が進んで南殿の位置が蓮華王院の南に、最勝光院と園地を共有する形になっていました。智積院は南殿からは外れます。南に伸びて、私的には運慶願経の書写所「唐橋末法住寺辺」が近くなって納得。

 

やっと法住寺の位置に得心がいったので寝ます。おやすみなさい。

 

昨日のことを書きとどめたく。仙覚の小説を早くと心配して下さる方がいて、その方の紹介で話した方が「それ、面白いですよ」と身を乗り出されたので詳細に話したら「どうも聞いているとそれって漫画にするといい」と。「あ、私、そうしたいんですけど」となって、いつか実現するかも。

 

結局その為には早く原作となる小説「仙覚」を仕上げなければという結論です。笑

 

1月29日

一昨日新年会の前にタウンニュースの記者さんと打合せをしたのですが、とはずがたりシリーズがようやく本文に入ったのでこれから数回ほど本文をこなし、二条が鎌倉を離れたところでコラムの連載を終了する方向で決めました。いつまでも書かせて頂けそうですが今はもう一心不乱に仙覚に集中しなくては。

 

と、呟いて、気分転換に書きかけの仙覚のホルダーをのぞいたら、懐かしい文面。ここに戻るんだぁ~という気分が湧いてどきどきしました。戻ることが嬉しいところまできたようです。(その前に時政のパワポですが・・・)

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2018.1.28 ツイッターから転載…川端康成と源氏物語のこと、タウンニュース鎌倉版コラム第22回「後深草院二条と第七代将軍惟康親王」が掲載されたこと、鎌倉ペンクラブ新年会に行って、など

1月26日

今度の時政の講演は企業のエンジニア系の男性陣。知識欲旺盛な方々だから時政と並行して運慶を入れようと思って法住寺を見ているのだけれど、図書館でコピーして興味津々で拝読していたのに一週間ほど中断して別のことをしていたからまた一からの気分。「唐橋末法住寺辺」を地図に落とすのに四苦八苦。

 

以前に読んだ白楽天ムック本。入門的には堪能しましたが、ムック本って、危ういですね。この表紙の人物が私の白楽天像に定着していて、まさか長恨歌が若い時の作品とまでは読み込めず、長恨歌にも難しい歴史の解釈を付加させてしまってました。

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本を探していたらたまたま出てきました。映画空海で白楽天を全く白紙としてとりかかって、途中でもしかしてあのムック本の?と気がつき、それなら白楽天は知ってたのに…となりました。白紙でとりかかった岩波文庫『白楽天』の長恨歌に酔っています。

 

イメージって、こわいですね。

 

今日もアオサギがいます@井の頭公園 スマホでのズームはこれが限界。

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タウンニュース鎌倉版コラム【鎌倉と源氏物語】第22回「後深草院二条と第七代将軍惟康親王」を掲載していただきました。

https://www.townnews.co.jp/0602/2018/01/26/416990.html

 

先週の掲載予定が延びて今日になりました。「とはずがたり」シリーズ、二条が鎌倉に下向したことまでは今まで「下向に至った事情」「極楽寺との関係」「永福寺とのこと」など昨年一月からずっと書いてきましたが、この回からやっと本文の内容になります。やっと本格的に。私は前置きが長いです笑。

 

1月27日

おはようございます。と言ってももうこんな時間。週末の油断で雪かきの疲れから遅起き。午後出かけるので慌ててマニキュアを塗り替えたり。それが乾くまでのPCチェックです。昨日は寒くて吉祥寺から帰って風邪?と危ぶみましたが今朝は大丈夫でほっと。風邪と思ったら檸檬と林檎と蜂蜜。よく効きます。

 

檸檬を絞って、すりおろした林檎をガーゼで絞ったのと混ぜ、そこに蜂蜜を入れて飲みます。青森の方に教えて頂きました。よく効くし、美味しいです。ガーゼで絞るのは手間ですが肝心。

 

無事に出てくることができてひとまずホッとしたのですが、湘南新宿ラインが遅延でどうなることかと。やっと乗りました。今日の道中のお供は雪国。先日の雪の日に鎌倉の方とお電話していて川端の話に。権威の方から雪国を読みなさいと奨められたというので、それなら私もと文庫を買って読んでいます。

 

源氏物語の現代語訳は多くの作家さんが手がけていられるけど、川端学会で伺った話に川端も試みたけど放棄したと。発表者さんの話では川端の文体には源氏物語が染み込んでいるそうです。川端は横須賀線の往復時に湖月抄で源氏物語を読んでらしたそう。そんなことで川端をまた読みたく思ってました。

 

ちょうど長恨歌で文学的感性を揺り戻させられていたからその流れで川端。杜甫李白は五山文学以降、源氏物語は白楽天、と解説を読んで納得したのですが、鎌倉で禅の方々と接しているから、その両方の感性がとてもよくわかります。私はそのあいだを行ったり来たり。贅沢と思います。

 

車窓から青く丹沢連邦が見えました。その向こうに富士山が。まもなく横浜の車中です。

 

RTの辻邦生が実朝を書こうとしていた件。ちょうど今日は鎌倉ペンクラブの新年会で、その帰りの車内でご一緒だった方から伺ったばかり。鎌倉の小町通りを歩いていて取材に訪れていた辻邦生夫妻にばったり出会って、門という喫茶店でお茶を飲まれたそう。小説、完成させて欲しかったですね!

 

今日は寒いですね。乗り換えのコンコースを歩いていてもまるで外のよう。こういうのをシバレルというのかしらなど思いながら歩いてました。鎌倉は10時には乗らないと帰れないので最後は皆様へのご挨拶もあたふたで店を飛び出しました。文学に特化した話が楽しいひとときでした。

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2018.1.26 ツイッターから転載…東博で開催中の仁和寺展に行ったことなど

1月24日

仁和寺展に行きました。三十帖冊子全巻一挙公開、凄かった。目にした途端思わずワァ凄いと声を出してしまったのですが、全く同時に隣にいた女性が同じことを。空海が日本に帰るのにできるだけ書き留めて持ち帰ろうとしたその思いが一挙公開で観る人にどっと 押し寄せてきて泣きたいくらいです。

 

三十帖冊子、たぶん1、2冊ずつとかは今まで観ています。でも一挙公開はその意味が全然違います。とにかく、そこに、帰国を控えて、二度と来れない恵果のもとでの経典類をできる限り余すところなくノートに書き付けようとする空海の思いが溢れています。日本人として、これは原点とさえ思いました。

 

高倉天皇の宸翰、守覚法親王の書簡、子島曼荼羅、そして宋画のあの孔雀明王像…、帰宅してもまだ夢幻の境地の優雅さですが、思ったのはやはり称名寺が仁和寺領だったこと。というのも金沢文庫の近くの龍華寺で近年発見された脱活乾漆菩薩像がお出ましになられていて思いがけずの再会。嬉しかったです。

 

それから、これは帰宅して気がついたのですが、撮影可の再現された観音堂。仁和寺のあの観音堂は江戸時代のらしいですが、鎌倉時代の称名寺に同じ構造の壁画がありますよね。金堂の弥勒如来像の背後に。同じ構造だなあと思ったのでした。規模は仁和寺の方が幾倍も大きいですが。関連あるのでしょうか。

 

仁和寺展の撮影可の再現された観音堂の空間。先ほどツイートした壁画は、この仏像さま方の背後に、この舞台をぐるりと囲む秘密の通路のようにあって、白衣の観音像のさまざまなお姿が描かれています。興味津々で撮らせて頂きました。

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1月25日

おはようございます。昨日仁和寺展で再会した龍華寺の脱活乾漆菩薩像です。頻繁に金沢文庫に行っていた時期の発見でしたからその興奮の一端にまみえていました。称名寺が仁和寺領だったことは称名寺の歴史をとても雅に彩っていますね。

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ただいま《上弦》です

 

昨日撮らせていただいた仁和寺展再現観音堂の壁画。PCに取り込んで独り興奮しています。下絵にして写仏できたら・・・という気持ちで念入りに全壁画をカメラに収めてきました。

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大地にはまだ雪が残る夕暮れ@井の頭公園

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夕暮れの公園。今日は上弦の月です。キャノンカメラの縦横比。パワポの画面比率にしていたのですが、それだと縦位置の効果が曖昧。一昨日撮ったアオサギの写真で思いました。それで35ミリカメラの比率に設定しなおしました。

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2018.1.25 ツイッターから転載…白楽天「長恨歌」のこと。仁和寺展に子島曼荼羅が出展されていることなど

1月23日

おはようございます。路地際の竹林のてっぺんの積雪を排除してきました。50センチくらいの積雪。通る人の頭上に落ちたら危険だから深夜から気になっていました。続いて路地の雪かき。時政の講演が迫っているこんな時に腰痛になったら大変と思いながらでも無事に切り上げ。写真は昨日の井の頭公園で。

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白楽天は昨日で卒業。雪で気分が一新しました。ちょうどよかった。今日から源平盛衰記に入って時政にかかります。いよいよです。

 

仁和寺展、子島曼荼羅も出展されているんですか~

 

ふっと気になって検索。子島曼荼羅。曼荼羅としてばかり見ていたけれど、どうしてこれほどの曼荼羅が子島寺に? を考えたことがなかったので。ウィキですが「子島寺中興の祖とされる真興が一条天皇の病気平癒祈願の功により賜ったと伝わる」だそうです。

 

自分の不勉強は棚にあげてのことですが、仁和寺展、三十帖冊子の一挙公開に惹かれて行くことにしたものの展示作品はパンフレットでしか見てなくて、今見たら子島曼荼羅は載っていませんでした。国宝孔雀明王像も小さくしか。私の関心だけの問題かもしれないけれどもったいない気が。

 

それにしても運慶作大日如来像円成寺は後白河院の、子島寺は一条天皇のと、京都から離れたあまり知られていない奈良の寺院に朝廷に繋がる文化が残っているのは、歴史や文化史を学ぶだけでは見えてこない別の文化史がある気がする。たぶんそれは密教の修法史みたいなことになるのだろうと、そんな気が。

 

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今、ベランダの雪かきをしてきてはあはあいっています。

 

雪の井の頭公園はどうなったかしらと行ってみました。樹木に積もった雪は全部溶けてふつうの森林。池の端に薄氷の膜があっただけでいつもの公園に戻りつつありました。でも池にアオサギがいて、それを撮ってきました。

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もう一枚。薄氷の張った池の光景。今まで縦位置は滅多に撮らなかったのですが、なぜかキャノンにしたら縦の構図で撮りたくなる。不思議です。その代わり、パワポには使えません。

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同じアオサギと思っていたら違いました。それで、もう一枚。ズームなので目視では見分けつかず。

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1月24日

おはようございます。白楽天を追うのはやめたのですが長恨歌が身体に滲みついてずっとたゆたいっ放し。目で漢詩を、ユウチュウブで朗読を、和訳で意味をとっているから中国語もわからないのにまるで漢詩そのものが理解できているかのよう。長恨歌、これって引用云々の問題でなく桐壺巻そのものですね。

 

漢詩といえば杜甫李白。白楽天は一般にはあまりの感でした。疑問だったのですが、杜甫李白が好まれるようになったのは五山文学からと。成る程と納得。平安時代は白楽天。引用云々でなく紫式部は桐壺巻のテーマ自体を長恨歌からとったと思ってしまいました。漢詩の受容にも時代性があるなんて。

 

長恨歌が身体に滲みついて離れないというくらいに白楽天の豊饒な漢詩が媚薬のように感じられるから、紫式部も親行も同じくきっとこの媚薬にやられてしまったのでしょうと思われるのです笑。(白楽天には詩魂を震わせるなにかがあり、李白杜甫にはそういうことを拒否するなにかがあり、それが時代性に?)

 

そういえば昨日白楽天について考えていて、鎌倉時代になったらなぜ白楽天が紫式部の時代のようには受容されなかったのかは、紫式部が白楽天に感応したように、阿仏尼たちは源氏物語に感応してしまったから白楽天にまで手がまわらなかったのだろうと結論しました笑。

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2018.1.23 ツイッターから転載…白楽天「長恨歌」のこと、雪の井の頭公園など

1月21日

おはようございます。奈良絵本源平盛衰記を返却しにいこうと思い見直したら経房と時政が対面している絵があり、六代御前関連もたっぷり。これから時政のパワポにかかるのでちょうどいいから『源平盛衰記』を借りてきました。他に岩波新書『白楽天』。長恨歌が夢幻の境地でたゆたっていて離れなくて。

 

今頃になって白氏文集とは思うのですが、『源氏物語』に引用され実時が重視してとその存在に私の研究分野が大きくかかわっていると知ってはいても、詩文にあたるのはその時々に必要になった箇所のみの断片的でした。映画空海で俳優さんが実在の人物のように演じていられるからぐっと引き寄せられて。

 

今日は予定がないはずと思っていたのにスマホに通知がきて、なんだろう、なにか忘れてた?と見たら、「時政のパワポを始める!」でした。そうします笑。

 

長恨歌。「太液芙蓉未央柳 芙蓉如面柳如眉」で感慨。最近は「河内本源氏物語」を完成させた暁の親行の奥書から「七月七日長生殿」ばかりが心にあったものですから忘れていました。『原中最秘抄』で光行が子息親行に俊成のもとに質問に遣わしたのが太液の…でした。それにしても親行の思いは深いです。

 

親行の奥書は鳳来寺本『源氏物語』にあり、七月七日の暁、「河内本源氏物語」を完成させた旨を記したあとの感慨に、紫式部と楊貴妃を想うんです。『源氏物語』なのになぜ楊貴妃を・・・という初心者的疑問が解けて鎌倉の源氏物語研究第一段階が終わっています。

 

なんか、映画空海への興味と予備知識から白楽天に入り、長恨歌にはまって、それが鎌倉の源氏物語研究の一端でもあり、実時の「尾州家河内本源氏物語」研究への前哨戦になるだろう予感、というのは、文学的探究は全部意識のうちで繋がっていることなのかもしれないですね。阿頼耶識的に。

 

空海をしているのか、白楽天をしているのか、源氏物語をしているのか、実時をしているのか、なにがなんだかわからなくなっています笑。でも気分がとてもふくよか。(なのでまだ時政にはとりかかっていません泣)

 

久しぶりに見ました。Hi-net地震マップです。

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1月22日

おはようございます。白楽天、読んでいる途中で気がついたのですが、白楽天ってたしか杭州西湖の白堤を築いた人だと。琵琶行の時に調べたのでした。それはもう壮年期。だからイメージが映画空海の俳優さんと違って結びつかなかったのでした笑。長恨歌は若い時の作品なんですね。それが空海のいた時期。

 

夢枕獏さんは『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』を足掛け18年もの歳月をかけて完結され、その間何回も現地をロケハンに訪れられ、映画の企画が通ってからは長安の都の再現に6年間もかけているのを見守って待ち、なんか、その年月の長さに感嘆しつつ作家冥利に尽きるなあと思います。

 

朝の呟き。月曜の朝は家人を送り出しての緊張から解けた寛ぎ。岩波新書の白楽天を昨夜から拝読しているのですが、序文だけでもう文学の豊饒な世界に引き込まれて気分がたゆたっています。鎌倉の源氏物語で歴史にかかわって現実的にも随分大変だったけど文学に戻ってよかったとしみじみ思います。

 

早く『仙覚ー存在を消して生きた男』を完成させなければ! 映画空海のような世界を目指して。(そういえば『薔薇の名前』のような世界を目指して、だったのでした笑) いろいろ大変なことがあって気持ちが煩わされていて文学的な気分と乖離していたけど、多分もう大丈夫。

 

『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』を中野幸一先生『正訳 源氏物語』と並べました。空海、紫式部、白楽天、楊貴妃…、新しい棚。みんなひとつの世界です。

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現在の井の頭公園です(1)

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現在の井の頭公園です(2)

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現在の井の頭公園です(3)

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現在の井の頭公園です(4) 今、池はカイボリ中で干上がっています。なので写っているのはいつもの池の底です。七井橋から。

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公園では黒土や木肌に白く雪が積もっていますが、街ではしんしんと降りしきるそばから溶けて舗道に吸い込まれていっています。

 

ほんとうはキャノンのカメラで雪を初撮りとしたかったのですが、撮っている途中で電池切れ。慣れないと充電すらも気がまわらず、です。これも経験笑

 

帰宅して電池切れまで撮っていたキャノンの画像を取り込みました(1) なんの変哲もない写真ですが、昔、「森は生きている」が好きだったころを思い出します。こういう「森」の写真を撮りたい・・・

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(その2)森の感じは樹木の種類次第ですね。ヒマラヤ杉だとでるけど、桜の枝ではでません。

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2018.1.21 ツイッターから転載…鎌倉禅研究会での円覚寺様のこと、白楽天の長恨歌のことなど

1月19日

おはようございます。昨日の鎌倉禅研究会のテーマは「明治時代の円覚寺管長・釈宗演老師没後100年にあたって」でした。凄い濃密な時間を過ごさせて頂き、その酔いをまだ今朝も引きずっています。写真は会場だった円覚寺様山門。奥に見える坂道を登っていくと漱石が参禅した帰源院があります。

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円覚寺様は学問の寺院という雰囲気。鈴木大拙が帰源院に夏目漱石の先輩としていられたようですが、鈴木大拙よりも早くにZenを欧米に広めるきっかけをつくり出されたのが釋宗演老師様。1893年の米国シカゴ万国宗教会議に日本仏教の代表として出席されて以降世界各地を巡錫されています。

 

今私はデスクトップに白楽天「長恨歌」の「七月七日長生殿」の一節を貼っているのだけれど、漢詩と思っていた今までのは日本語に書き直した漢詩で、映画「空海」から白楽天の中国語の詩はこうなんだ~と驚いたものです。なのでこれを中国語で読んで頂いたらどんなに素敵かと思うのですが・・・

 

午前中ユーチューブでずっと中国語の長恨歌朗唱をBGMみたいにして聴いていました。(中国語がわからないから解説があってもわからないし、どこからが長恨歌? など最初は四苦八苦、笑)。夢枕獏氏の空海で知ったのですが楊貴妃が日本に逃れた説もあるとか。それで各地に楊貴妃観音が?

 

待っている徒然に。アトレ地下フロアのタイルです。昨日鎌倉に出し入れが便利なカード型のカメラを持参したら、いつもなら撮るスマホ写真を全然撮らないできました。なので、スマホからの途中報告ができなくなったことに今気づきました。

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1月20日

昨日、岩波文庫『白楽天詩選 上』を購入して「長恨歌」を読んでいます。長恨歌は「とわのかなしみの歌」と訳されています。投稿の写真は映画空海の宣伝スチールのものですが、表記が中国の漢字なだけで、日本語の漢字での漢詩と同じでした。

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武蔵野の雑木林の夕暮れ@井の頭公園

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2018.1.19 ツイッターから転載…校閲のお話を聞いてきました&鎌倉禅研究会のこと

1月16日

心に残った言葉。言葉を味わうには言葉をよく吟味することが大切。(ふっと流されて、もしくは勢いで書いてしまうけれど、ひとつひとつ丁寧に書いたら違う世界が広がる? そんな気が) ← ここのところ吟味するなどという地平から遠ざかっていたなあ〜とひそかに猛省。

 

矢来能楽堂がある駅。矢来能楽堂には思い出があります。

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1月17日

おはようございます。昨夜校閲のお話を拝聴しました。私は二冊、本を出していますが、小説のも研究書も校閲を経ていません。なのでこれから仙覚を執筆するにあたりどういうところに留意して書くべきか学びたく思ったのでした。行ってよかった。「言葉に対して真摯に向き合う」ことを感じて帰りました。

 

とてもシンプルなことなのですが、独りで書いていると迷うこと多いです。これは漢字にするべきか、漢字は統一するべきかなど。参考にと思って本を見てもそれぞれバラバラ。一番単純に「関わる」について。私は拘るを使っていましたが関わるが多い。でもこれは「拘る」か「かかわる」が無難でしょうと。

 

昨日道中のお供用に簡単な白楽天の本はないかと書店に寄って在庫検索したらその書店には一冊もなく全部取り寄せ。空海の映画に向けて白楽天入門など平積みされているかと思ったのに・・・。この際「長恨歌」をしっかり読んでみたく思っています。以前小説の必要から「琵琶行」は読んだのですが。

 

メモ: 保元の乱の時、時政は19歳。時政は興福寺の悪僧信実が崇徳院方についたことなどをリアルタイムで聞いていたことに。保元の乱がずっと昔と思っていたから時政はそれを過去の話として聞いていたものとばかり思っていました。その頃まで吉田経房が伊豆守だったから二人の関係は乱以前。

 

借りてきていた『年中行事絵巻』。大判なので開く余裕がなくそのままになっていたのを今日やっと目を通したら、法住寺殿が描かれている朝覲行幸はお正月の行事だから冒頭で、それ以降には内裏が描かれていて、法住寺殿は寝殿造りだけれど内裏の描かれ方と比べたらやはりどこか「鄙」の感じがしました。

 

今日やっと種々巣食っていた問題終了のメドがたって気分が軽くなり、年中行事絵巻を見る余裕も。運慶・時政の年譜に法住寺殿関連の事蹟を書き込んで全貌が私の中で落ちつきました。で、考えたら、仙覚の小説は昨年の今頃と進展が全く変わっていず、でもこの一年で時政と運慶が入って膨らんだのでした。

 

で、どうしてこんなことにと考えたら、比企に逃れた基子さんを書いていて時房が浮上し、そのあまりの光源氏ぶりに「こんな貴公子然とした子息をもつ時政がただの田舎者のはずがない!」となって時政にのめりこんでいったのでした。明日は鎌倉禅研究会。これが終わったら時政のパワポにかかります。

 

1月18日

雨上がりの舗道に川霧のような霧がかかっています。歩く人の吐く息も白く。雨を含む舗道の材質によるのかも。狭い舗道部分だけのすごく局地的。気温もゆるいのに。

 

試し撮り。無造作に投げ入れている窓際の造花です。

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新しいカメラを持っていくのは不安。古いカメラも予備になど躊躇。でも重いから軽いカメラを買ったのに二つ持って出たらまたまたかなり重い、です笑。

 

道中のお供は高橋昌明先生『平清盛 福原の夢』。これは鎌倉の源氏物語で光行さんを追っていた時にお世話になったご本。戻ってきました。今度は仙覚さんの小説のために。運慶と蓮華王院の箇所を読みます。

 

皆様と別れて独り珈琲。寛いだら帰ります。

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乗り過ごして新宿に来てしまいました。

 

吉祥寺に帰ってきてホッと。凄い遠回りした気分。

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2018.1.17 ツイッターから転載…タウンニュース鎌倉版コラム第21回「二階堂永福寺と 『とはずがたり』の作者二条」の紙面、金沢文庫「運慶展」のことなど。

1月14日

昨年128日掲載のタウンニュース鎌倉版コラム第21回「二階堂永福寺と 『とはずがたり』の作者二条」の紙面をご紹介していませんでした。第22回「後深草院二条と 第七代将軍惟康親王」を今週金曜日の19日に掲載して頂きます。

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金沢文庫で運慶作と判明した大威徳明王像を所蔵されていた光明院様です。赤門を入って参道を行ったところの左側です。仁王門のすぐ手前です。

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1月15日

道中のお供は金沢文庫運慶展図録です。

 

仁和寺展の前売りチケットを買いにきました。@吉祥寺。今頃は仁和寺展の内覧会というツイートを拝見しながら()。もう展覧会は諦めと決めていたから予定をしていなかったのですが、期間限定で前代未聞の全帖公開のツイートを見て、これは! となりました。明日から開催です。

 

金沢文庫の運慶シンポ。プログラムを見てなぜ唐突に阿部泰郎先生が?と謎でしたが図録を読んで氷解。『転法輪鈔』の研究をされたのが阿部先生だったのでした。阿部泰郎・松尾恒一編「中世における儀礼テクストの総合的研究 館蔵田中旧蔵文書『転法輪鈔』を中心として」(国立歴史民俗博物館研究報告)

 

このシンポ、普段なら躊躇なく行くのに時政の講演の翌日。疲れて無理と思っていたら、内覧会で『転法輪鈔』のことを知り、俄然奮起して行くつもりになったのですが、阿部先生のご研究を図書館で探して読んで、シンポは諦めようという気持ちに。行けばまた昂揚して引きずられるし……

 

図録が面白くてずっと読んでいたいのだけれど、もう辞めて後白河院の法住寺殿に戻ります。(時政に……、です)

 

1月16日

昨日、伊豆出身の方に韮山の国清寺を教えて頂き、国清寺自体は上杉の時代の創建ですが、そこに平安時代からの毘沙門堂があり、地元では文覚ゆかりのお堂と。ご当地では文覚が何々した…という伝承の場所がたくさんあり、もちろん後世のものが多いとはいうものの文覚が凄い親しまれているようです。

 

文覚は鎌倉でも文覚邸跡碑があるほどなのにほとんど重要視されてなくて一般にあまり知られていないから、歴史初心者の私は最初は何も知らない人物でした。でも頼朝に挙兵を進めた人、六代御前を助けた人、さらには運慶と親交のあった人、などかなりいろいろなところで要になっている。不思議な人です。

 

冬の薔薇。先日金沢文庫にでかける道筋で撮ったものですが、日当たりがいいと冬でも開くんですね。(たまたまズームの効くカメラを持っていたので)。

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そういえば、昨日、伊豆出身の方と話していて、韮山や国清寺やかんなみ仏の里美術館のことなどいろいろ伺って、到底今の体力では行けない!と諦めがつきました。金沢文庫のシンポ、昨日教えて頂いた講師の方のご講演等々、諦めることばかり。その代わり独りのなかに集中することにします。

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2018.1.15 ツイッターから転載…金沢文庫の「運慶 鎌倉幕府と霊験伝説」内覧会に行きました。

1月13日

金沢文庫「運慶展」内覧会の帰りです。終わって館を出たら尾根の木立の向こうにオリオン座が瞬いて。あ、と思ってトンネルを抜けて称名寺の境内に出たら、やはりそうでした。阿字池にかかる反橋の真上。綺麗な構図。持っていたキャノンで撮ってきましたけど、上手く撮れていたら素敵なのだけど…。

 

ちなみにスマホで撮るとこんな。夜景は無理です。レンズが引っ込んで平らになるからカード型に近い小型カメラは思いがけず便利。小さなバッグにしたからシステム手帳は諦めたけどこのカメラはするっと収まる。ズームもISOも何もかも呆れるくらい。

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東大寺南大門仁王像で知られる運慶ですが、本当は東寺南大門仁王像で有名だったのだそう。その仁王像が明治時代に焼失して東大寺仁王像の運慶となったそう。金沢文庫運慶展では東寺南大門仁王像の小さな模刻像が入ってすぐのケースに展示されていて、たしかにシャープで流麗で素敵でした。

 

乗り換えて乗り換えて、まだ地元線ではありません。今日の運慶展内覧会の感想。鎌倉の運慶研究は金沢文庫の史料でまだまだ始まったばかり。永福寺関連の史料の運慶はまだ世間には何も知られていないから。この研究が進んで明らかになったら、運慶像も、鎌倉の歴史観も、一躍一新する凄さの気がする。

 

(帰宅してカメラのデータをPCに取り込んで)夜の称名寺境内。阿字池にかかる反橋の上にオリオン座がかかっていました。こんな写真、二度と撮れない! というチャンスだったと思います。現場からスマホで投稿した時のは真っ黒でした。それが小型キャノンで手持ちでこんなに。

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もう一枚。私は滅多に縦位置には撮らないのですが。

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オリオン座がかかっていた称名寺境内の反橋。日中の景観はこうです。

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運慶展の開催がはじまった金沢文庫。テスト撮影をかねてキャノンを持参しました。結構いい味の画質です。これだったらFBに十分。

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おはようございます。昨夜の称名寺の阿字池反橋にかかるオリオン座。最初にみつけて撮った時の写真です。金沢文庫と称名寺境内を結ぶトンネルを出ると実時邸があった平場になります。そこから。撮っているとオリオン座の中を飛行機が通って過ぎました。黒い茂みの奥に阿字池が広がります。

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2018.1.14 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(88)『年中行事絵巻』より法住寺殿のことなど

1月11日

『年中行事絵巻』より法住寺殿。法住寺殿は信西の妻が後白河院の乳母だったことから信西の邸一帯に造営←朧谷寿氏「法住寺殿の文献学的考察」と照合しながら絵巻を見ています。信西邸跡の御所(北殿)の後に南殿が新造され、絵巻はその南殿。

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当初の御所(北殿)ではまだ建春門院は住人でなく、南殿ができてから後白河院はこちらを朝覲などに用いる御所とし、建春門院と住んだ。この時の朝覲行幸は、高倉天皇として即位する直前の八歳の東宮憲仁親王の行啓でした。

 

後白河院が今様の宴をした御所(建物)がどこかなど、認識したいことはたくさんあるけど、眠くて今日はここまで、でもやっと年中行事絵巻に入れて眼福至福。

 

追記: 運慶の父康慶が蓮華王院の造仏をしたのは後白河院がその時蓮華王院を造営したからなのですね。当たり前だけど、年譜にぴったし重なって納得。この時運慶は十代半ば。康慶が蓮華王院近辺に構えた工房で仕事をしたなら、運慶もそこにいて蓮華王院のできてゆく過程をつぶさに見ていたことでしょう。

 

1月12日

雪で列車が動けなくなったニュースで以前書いた短編を懐かしく思い出しました。小説のカルチャーで講師の先生のご著書からタイトルを『リエーブル』とした同人誌を発行することになり創刊号に載せて頂きました。「相聞……」。どこにしまったか、出てきたらPDFにしようと考えたりしています。

 

好きな光景。玉川上水べりの歩道です。

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三鷹市の夕暮れ

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こちらの方位も素敵

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RTの金沢文庫、シンポジウム「運慶と東国の宗教世界」。絶対行きたいと意気込んでも時政の講演の翌日。終了後の懇親会にもお呼ばれしてるし、なのにシンポジウムは朝から。たぶん無理。縁がなかったと諦めるべきでしょうか・・・

 

1月13日

おはようございます。家族の事情で朝型にしたら休日でも早起き。逆に徹夜がきかなくなってまだ執筆との関わりがうまく調整できず困惑中です。昨日の夕暮れの写真です。昨日アップしたのはスマホで。これは新しく買ったカード型のキャノン。スマホは綺麗に写り過ぎ。比べるのに両方撮りました。

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昨日アップしたスマホの写真と同じ構図のキャノンの写真を。比べたらスマホの画質がこんなに深みなかったとはと唖然。上がスマホです。

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昨日の夕暮れの写真で時政のパワポのタイトル画面を作ってみました。まだ決定ではありませんが。夕焼けの背景は結構歴史のスライドに使えます。戦や波乱万丈の人生に。

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時政といってもわからない方がいられるから(まさか・・・と思いますが、これが現状)幹事の方のご要望で「北条政子の父」を入れたのでした。

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2018.1.11 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(87)保元の乱のことなど

1月9日

メモ: 玄覚が聞いて育った仙覚の言葉、社会時評や人生観を、玄覚が書き残す構成。これだと、玄覚はその時代を見ていないけどリアルタイムにその時代が書ける。

 

メモ: 光行が下向してくる時に雲居寺で書写した万葉集を携えてきたことを書き忘れないこと!

 

新春の武蔵野の雑木林@井の頭公園 清々しいです。

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枯れ葉を浮かべて気持ちよく水が流れています@井の頭公園神田川の源流近く

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今日届いたお年賀状に源氏を極めましたねの文字。もちろん極めたなどという大それたことではないのを重々承知で感慨。少なくとも鎌倉の源氏物語では初期の望みを果たしたから。その方は一匹狼だった私を鎌倉に繋げて下さった方。昨年ご病気になられそれでもまだ私の鎌倉の源氏物語を案じて下さって。

 

1月10日

1月10日07時30分頃 千葉県東方沖 M5.2 1月10日07時21分頃 千葉県東方沖 M4.8。 嫌ですね。銚子からすぐ先の海域です。

 

おはようございます。昨日はいろいろ動き回って疲れたのかもしれないけど、とにかく眠くて、夕食の片づけものもしないで早々に休みました。疲労困憊なほど動いてないからこれは多分地震、明日大きめの地震があったらその体感、と思って寝たら銚子沖の連発。今朝はすっきり活動できています。

(追記 その後ホンジュラスM7.8がありました。)

 

まったく筆が進まず、今日は柚子の甘露煮を作って過ごしてしまいました。明日は柚子でポン酢を作ります・・・というメールを頂きました。差し上げたいほど柚子が余っているそうです。いいな、欲しいです・・・

 

今日は保元・平治の乱の本を読んだのですが、これって大河清盛を観ていなかったら全然わからなかったと思う。突出したヒーローとか魅力溢れる著名人がいない文章はこうなんだなあと。鎌倉の源氏物語で光行さんこそ今は少し広まったけど仙覚さんはまだ。私の文章が難しいといわれる所以の原点。

 

保元の乱は仙覚の小説に直接書くわけでないから難しいからといって特に焦らない。目的は時政の叔父といわれる興福寺の悪僧信実。崇徳院方について忠実を匿ったとか、そのあたりを詳しく知っておきたかったから。拝読したご著書には1か所だけ信実が登場しました。

 

1月11日

コンデジカメラのテストです。

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古いコンデジ。ニコンとオリンパスとほぼ同時に購入して、ニコンのシャープさにオリンパスが叶わない気がしてニコンばかり使っていたのですが、ニコンのコントラストが強すぎる気がしてきたら逆にまたオリンパスを使ってみたくなりそれでテスト。画質が柔らかいです。禅研究会が近づいているので。

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2018.1.9 ツイッターから転載…『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』のこと、タウンニュース鎌倉版コラム第23回を書きました、時政に戻りました、など

1月7日

おはようございます。昨日は私も初図書館。念願の年中行事絵巻を借りてきました。解説には後白河院と蓮華王院の文字が。楽しみです。他に目についたものとしてこの2冊。鎌倉禅研究会で学んでなければこの視点は開かれませんでした。つくづく学習も縁によって導かれるものだなあと思います。

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突然タウンニュース鎌倉版コラム第23回を書きました。調べるばかりしていても先に進まないのでもう執筆中の原稿に戻ろうと思った瞬間、コラムの冒頭が浮かんだのでした。これもきっと仙覚の小説にかかったらコラムを書いている場合でなくなるとの危惧からでしょう。宗尊親王の更迭について書きました。

 

幻日ができていたのですが、カメラを出しているあいだに雲が流れてなくなってしまいました。

 

1月8日

夢枕獏氏『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』拝読終わりました。あまりに広大な異質の世界に行って茫然自失。何も呟けません。映画がどうなるか、脚本がたのしみ。(解説では14年もかけての連載だったとか。そうだろうなという大変さと文体の変化でした)

 

(始まったばかりの大河ドラマに対するあるツイートに反応して) これって文章を書く時の基本と思う。大雑把な言い方になってしまうけど、リアリズム小説礼賛時代になってものごとの淵源を探る、見る、思考が薄くなっていると思います。リアリズムはあくまでも表層と思う。

 

なかなか淵源を探る、見る、文章に出逢わないから、逆に結構、読まないで済んで楽。その代わり、出逢った時にはのめりこみます。

 

建長寺FB様が鎌倉禅研究会FBページの新年のご挨拶と例会のお知らせをシェアして下さって、突然、リーチ数(ご覧下さった方の人数)がはねあがりました。感謝申し上げます。記事にも書きましたが新年の例会は来週木曜日、円覚寺様が会場です。ご参集、お待ち申し上げます。

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時政に戻りました。本当は中旬まで仙覚の原稿にかかるつもりだったのですが、年譜に拝読した論文からの事績を落としていたら、これはもう時政だ! と。治承三年の後白河院の蓮華王院・法住寺での修法は義仲調伏目的だったのですね。この時代を時政も運慶も生きた。運慶は法住寺合戦を見ていたことに。

 

法住寺合戦で武士が壁に仏画を貼って仏の力で義仲軍を討とうとしたことを嘲笑うような文章を見ましたが、私は『沙門空海唐唐の国にて鬼と宴す』を拝読した直後だから、唐で空海が対峙した道士の幻術の次元と変わらない気がして、この時代までそういう精神性が生きていたのを知りなんか感動。

 

『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』は一見寄り道に思えますが、深いところで慈雨となっています。

 

1月9日

ただいま《下弦》です

 

おはようございます。夢枕獏氏の『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』は長い連載だから書き進むなかで小説が動いてできた。映画はそれを原作にして脚本を作るわけだから当然テーマも登場人物も取捨選択・淘汰できて作品がまとまり完璧に。と、拝読した白楽天と映画予告での扱いの差が心を離れません。

 

仙覚の小説はもう何年も思考のなかで熟しているから最初から完璧な形態に仕上げたいな、とは夢。

借りてきてあった『源平盛衰記絵本をよむ』から、武士が築地に仏画をかけて義仲を迎え撃とうとした場面。ここに「戦仕度としてはかなりおかしい。愚か」のキャプションがありました。

 

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2018.1.6 ツイッターから転載…夢枕獏氏『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』を拝読中です

1月5日

夢枕獏氏『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』を拝読中です。分厚い文庫本で4冊。長いです笑。稲垣吾郎さんの陰陽師が好きだったから読んでみたい気もしていましたが、橘逸勢が博雅さんとTLで伺って想像つきました。ト書のような文体。そのまま映像が浮かびます。でも私的には慣れるまで苦心しました。

 

文体のこと。こうした作品を読むたびに私はよほどふつうの小説に接してないなあと思います。この作品も空海だから楽しく読み進んでいますが(たぶん陰陽師でも)、歴史ものでなかったら辛いかも。文体ということをずっと考えているのですが、ある意味書き手の立ち位置とか視点なのでは?

 

先ほど稲垣吾郎さんの陰陽師と書いたけれど、話の展開が壮絶になってきたら野村萬斎さんの陰陽師になりました笑。まさにあの映画。夢枕獏さんって、凄いですね。

 

1月6日

おはようございます。夢枕獏氏『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』を拝読していて、どうしてこう楽しく読み進めるのか気がついたのですが、鎌倉禅研究会で入宋した禅僧のお話を伺っているからなのでした。宋での禅僧の暮らしや寺院内でのシステムなど貴重なお話がこんなふうに役立つなんてと驚いています。

 

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知識はただの教養でなく背景の深い理解になるのですね!

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2018.1.4 ツイッターから転載…映画「空海」の公開が迫って

1月2日

ただいま《望》です

 

おはようございます。昨夜の満月。新しい小型カメラではどう写るかを試しに吉祥寺に出てみました。結果はともかく手に隠れる小ささなので気楽に街でカメラを出して撮れるのがいい。今まではどうしても「構える」感じがものものしくて嫌でした。大型を使っていた仕事時代のトラウマを引きずっています。

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ただ、画質は悪いです。これはデジタルズームで撮った時に今までのと比べて全然ダメと思いました。

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今日の満月はフルムーンです。

 

公開が待ち遠しい…、映画「空海」。中国では「妖猫伝」。

 

映画「空海」の公開が迫って詳細が見えてきたら、空海という高僧伝でなく、夢枕獏氏「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」の映画化で、中国タイトルは「妖猫伝」。それでポスターの副題「美しき王妃の謎」の謎が解けました笑。私が期待していたのは壮大な唐国のセットだったけど、映画自体面白そう。

 

ネットより。「遣唐使としてやってきた若き日の空海が、詩人の白楽天とともに唐の首都・長安を揺るがす巨大な謎に挑むなかで、遣唐使・安倍仲麻呂の足跡をたどっていく姿を描いた」映画なのだそうです。えっ、空海と楊貴妃って同じ年代だった? と焦りました笑。公開までに白楽天を読もうかと。

 

映画の紹介にあった白楽天の長恨歌「七月七日長生殿」は『源氏物語』桐壺巻に引用されていて、源親行が「河内本源氏物語」完成の暁を七月七日にこだわった重要な箇所です。

 

去年あるところから仙覚の本をここで出さない? とお誘いを頂いて、それは近しい知人が出したところなので辞退したのだけれど、今年頂いたお年賀状である方が去年その出版社から出されたというのを拝見して、あ、また…、となり、ほんとうにこの出版社さんの情報が頻繁に入ってくるのが不思議です。

 

1月3日

昨年は体調を崩した上にPCまで壊れ年末のお年賀状は住所録の作成から。投函できてほっとしたのが30日。新年が明けてお年賀状が届いてリストと照合していたら、お出ししたはずの何人かの方がリストにない! ということはお出ししていない! ということで焦っています。どうかしてました、昨年は。

 

年初早々の恐縮ごとを終えてほっと一息。これから拝読しっぱなしだった院政期の密教、後白河法皇の法住寺殿などのご論文の整理。年月を年譜に書き入れて前後確認をします。(年中行事絵巻を借りてきたいのに図書館がまだ開きません…でも、開いたら白楽天を借りてきてしまいそう…笑)

 

(コメントを頂いた方への返信)おはようございます。昨日夢枕獏氏の原作を購入して拝読にかかりました。白楽天がまだ出てこなくて待たれるのですが、陰陽師と同じ関係って、想像つきます。映画公開まで徹底して準備して臨もうって気になっています。

 

やっと西明寺に場面がなって面白くなってきました。空海は少し学びましたし、入唐は円仁の巡礼記で馴染んでいるし、白楽天も少し読んだし、楊貴妃まで関わってくるとなると私にとってこれは素敵な総まとめになりそうです。円仁も梵語を学ぶのに唐にいた天竺の人に通いました。

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2018.1.2 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(86)時政と運慶は六代御前を書くためのものでした。

2017年12月31日

東京で初雪を観測

 

年末なのに頭を離れない。定家が承久の乱の時期の明月記を破棄したことについて。他にも僧侶の日記が没収されその僧侶の知人らが検挙され斬首にあったとのこと。日記は危険な証拠品。で、思うのですが、頼朝が亡くなった年の『吾妻鏡』がないのは単純にたまたまなどあり得ないのでは?

 

一年の終わりに@井の頭公園

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2018年1月1日

あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いいたします。

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仮寝して起きて久しぶりの自分の時間。年末年始の混沌でリセットされ気持ちが突然仙覚の小説に向きました。原稿を見たら最後の更新が8月。それからずっと時政と運慶を追っていたのでした。で、わかったのです。時政と運慶は六代御前が生きた時代。なぜ時政を追ったかの原点に六代御前がいたのでした。

 

平家の嫡系六代御前は平家滅亡後一度は助けられますが結局は殺されます。比企氏の遺児仙覚がなぜ存在を消して生きなければならなかったかといえば、仙覚は比企氏における六代御前だったから。六代御前を殺したのが時政で、比企の乱を起こしたのも時政です。仙覚の生涯の前哨戦として時政から始めます。

 

硬いツイートをしたのでお花でTLを飾ります。

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書き忘れていました。仙覚は六代御前が殺された四年後に生まれます。仙覚は比企の乱の時母親の胎内にいました。乱が勃発した時に母親が身重のまま比企へ逃れたのも、六代御前斬首の記憶が生々しかったからでしょう、と私は推測しています。

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2018.1.1 あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願い致します。

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