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2018.2.28 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(92)万葉仮名の原点を探っています

2月25日

おはようございます。昨日は茨城で笠間時朝シンポがあって行きたかったのですが遠いから無理と諦めていました。そうしたらFBで報告して下さる方がいてコメントしたら資料を送って下さるって。ご講演は野口実先生「京都の笠間時朝」。まさに私が知りたい部分。仙覚がいつどこで時朝と懇意になったかと。

 

時政から離れて万葉集を見るにあたりノートを変えようとしたら、万葉集を始める!という見出しの2009年のノートがまだ半分未使用だったので続ける事にして過去分を見ていたら、光能が定家と従兄弟と。忘れていてビックリ。父親が俊成の兄。光能は遠元娘を妻にしていて、基子さんの姉の設定。

 

比企の乱の後、仙覚を産んだ基子さんが京都に身を寄せる設定なのだけれど、基子さん、定家と合わせられるだろうか。基子さん、源氏物語を好きな文学少女に設定してあったけど……。古いノートを出すと時々こういう重要発見に出くわします。まずは年齢確認から。

 

2月26日

吾妻鏡を調べる用があって行った図書館で、国史大系に並んで『列島の古代史』という全集があり、6巻が『言語と文字』。これは〜と目を留めて借りて来て読んでいます。万葉仮名の原点に辿り着いた感。

 

2月27日

おはようございます。私はよほど「再読」がダメ。万葉集について小説で書くためにもっと勉強しなければと書棚から今までの本を出して再読しはじめたのですが面白くなくて。最初の未知の世界に踏み込むワクワク感がないんです。で、たまたま図書館で得た古代史の『言語と文字』に嵌っています。

 

先日日本女子大で開催されたシンポジウム「平安京出土「難波津」の歌の木簡と『古今和歌集』の仮名序」。行きたかったのですが体力的に無理で諦め。そうしたらここの講演者の犬飼隆先生が、昨日得た『日本列島の古代史』の著者のお一人。シンポジウムがなぜ「木簡」なのかわかりました。ふしぎな連環。

 

「従来古代史の資料は記紀万葉と金石文に依拠していたが、これらは利用できる本文が後人の手にかかるもので、その言語も特殊な位相に属する。1990年頃から7世紀の文字資料が続々と出土し、当時の日常の読み書きの状況を知ることができるようになった」のだそうです。

 

「訓で語を書きあらわすことが可能な場合でも、日本語の語形の表示を目的として書くときは仮借が用いられた。それが体系的に整備されて万葉仮名となる」「七世紀の後半に漢字で日本語文を書くとき、ことがらの記述は漢字の訓で、韻文の記述は万葉仮名による一字一音式で、という分担が成り立っていた」

 

それにしても「日本語が文字を持たない言語」だったから漢字を借りて日本語文を表記するようになり、それがすでに七世紀には整備されて使われていたってこと、遣唐使船の難破状況を考えるとそれまでにそれほど漢字が伝わってくる政治状況があったのが理解不能というか驚異です。

 

昨日のTLに見たデュラスの破壊ツイートが忘れられない。最近自分が変わってきていると感じていて、今まで私は良妻賢母の校風に従順な優等生だったから何も見えていなかったと痛感する経験をやっと積んで、私も「破壊」したくなってきているのを感じます。仙覚の小説はそうでなければ書けない。

 

玉川上水べりに水仙が。陽射しを浴びてのどかです。

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2018.2.25 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(91)時政の伊豆。駿河湾と狩野川と天城山系の材木伐り出しのこと

2月23日

伊豆に来ています。時政の伊豆。思いきり堪能しました。メドベージェワ選手の演技、リアルタイムで見守りたかったのですけれど……。気になっていて今TLを見てやはり見たかったと思いながらまだ結果を把握できてません。帰ったらノーカットで観れるでしょうか。

 

時政の伊豆。先週終わってしまったけど、パワポ編集前に行って写真を使いたかった。体調最悪で講演だけはやっと勤めてあげて、今更訪ねるまでもないのだけれど、なにかし残した感があって、思い切って出かけました。これで着地感つかみました。

 

沼津の海。この日のために用意したみたいなキャノンで撮って納得の写真も撮れたのですが、今までだったら大きなカメラを出すのが面倒でスマホで撮っていた分、帰りの車内のつれづれにアップできたのが、キャノンだと家にを帰るまでできません。WiFi設定、あえてしないから。

 

猛禽類が好きだからつい撮ってしまう。伊豆半島沖を撮りに行ったのにふいに現れたかと思ったらこんな具合に撮れていました。

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2月24日

時政が見ていた富士。否、時政を見ていた富士・・・。沼津港から富士がどう見えるか確かめたかったのでした。出発時の東京は雨で途中までずっと。ダメかなあと思っていたら三島から晴れて。でもまだ富士は雲の中。沼津港のこの写真を撮った一瞬だけ霊峰をのぞかせてくれました。時政の心にあった富士。

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富士が心にある時政というのはずっと鎌倉しか知らない人とは違うと思う。富士が地元の時政のスケール感を感じたかったのでした。ここのところ鎌倉という土地と歴史に申し訳ないけどなにか胡散臭さを感じていて、それが時政に気持ちが行った大きな要素となっています。

 

義時・政子の視点で描かれてきた『吾妻鏡』。その『吾妻鏡』でしか語られていない鎌倉の歴史。排除された人たちの歴史にはある意味当時のほんとうの鎌倉の歴史があると思う。排斥された比企氏や仙覚。追放された時政・・・。幕府の運営としては執権家は正しかったかもしれませんが。

 

昨日の目的にはもう一つ。時政がそれで財をなしたという天城山系の材木の感覚を確かめたかった。そんなの無理だろうなあ、せめて山深い伊豆半島の写真で諦めるしかないかなあと思っていたら、この一枚。車窓からの一瞬の一枚です。天城峠付近で。

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(私はよほど天邪鬼。鎌倉の歴史に入って鎌倉の皆様の善意に支えられてここまできているのにどうしても最近鎌倉の胡散臭さに嫌気がさしてきて、それを払拭すべく、やはりもう一つの鎌倉。排除された側の人たちの鎌倉を仕上げなければと思うのです。排除された人たちの歴史には「心」がある・・・)

 

天城山系から伐り出した材木を沼津港に運んだ水運が狩野川。昨日の目的のひとつ狩野川を見ることができたのは満足でしたが、車窓に狩野城跡とあって、?と気になって帰りました。狩野派絵師は義朝に仕えた鎌倉武士の末裔なんですね。びっくり。狩野川という名称に?とは思っていたのですが。

 

(ザギトワ選手の「わたしは世の中を見た。この世の中は悪なしにあり得ない、のコメントに」)悪なしにはありえない・・・。仙覚の小説。そうでしかあり得ない世界を書くのだけれど・・・。どこまでそう追いつめられるかといえば不安。自信がないとはいいたくない。人に譲る気もない。だから自分でかくしかない。自分ががらっと変わって、書けるか・・・。憑依するまでの猶予か。

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2018.2.24 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(90)ダヴィンチコードを拝読してまた万葉集写本の世界に

2月21日

ダヴィンチコード、読み終わりました。面白かった。鎌倉の中世史を扱った小説でこんなふうな知の面での歴史が書けたら…

 

たまたま雪国を読んでその気分を払拭したかった時にダビンチコードが100円で店頭にあったから読み始めて払拭が成功したばかりか時政気分からも抜けてこの本と薔薇の名前の世界観が好きだなあと思い、仙覚の小説も万葉集でなんとかできないかしらと思い始めたのでした。それで万葉集を検索したら・・・

 

なんと、薔薇の名前とダヴィンチコードの二冊をペダンティック小説とひとくくりにして日本では万葉集を謎として扱う人がいると・・・。私は私の気分でたどりついた世界なのに・・・となりました笑。そういうこととは別に、今まで日本史内での小説とばかり志していたのが国文学的気分になっています。

 

小説でもドラマのセリフでも説明的なものが嫌いだから仙覚の小説でも説明にならないために万葉集をあえて書かないことに決めていました。薔薇の名前でもダヴィンチコードでも謎解きの肝心の文書の部分は飛ばし読みでした。でも一応目に入ってくるから世界観が伝わってくる。万葉集も書かないといけない

 

と気がつき突然万葉集についての勉強再開笑。仙覚研究を始めてからお誘いを頂いて何回か○の花の万葉集講座も拝聴したのですが、その時の幸○先生の一首一首に対する歴史背景の深さが面白く感動しながら到底私が手を出せる世界ではないと痛感したのでした。だから小説で万葉集を解説しようなど全く考え

 

られず、書棚から『万葉集編纂の研究』を出して見たら編纂史も今更手が出せないと思い、じゃあ、どうする? となった時、そうだ、私には写本の世界があるじゃない! と閃きました。最新のご研究まで目を通させて頂いて仙覚の小説に生かさせて頂いています。ということで、また万葉集写本学入門です。

 

万葉集写本学の世界を、衒学的でなく、「写本は人が作ったもの→写本の動きは人の歩みの歴史」をモットーに、写本の観点で万葉集を書いて小説を動かして行こうと決めました。写本に戻って気分がとても新鮮。

 

2月22日

ディヴィッド・ルーリー氏『世界の文字史と『万葉集』』を持って出てきました。このシリーズ、(アナホリッシュ万葉集特集号も含めて)、いわゆる従来の万葉集研究と一線を画して新しい分野。たまたま私の関心がそこに向いた時に始まりめくるめくばかりに昂揚を覚えました。今日からまた拝読再開。

 

雨の横浜。駅ホームから。寒いです。

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つれづれに。昨日の椿です。毎日楽しんでいます。椿は造型がほんとうに綺麗。

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13歳で万葉集を志した仙覚。それを私は崇敬する円仁が悉曇章に記した万葉仮名を見ての発心と思っていて、小説もその構想で進めていたのですが、昨日の「ペダンティック文学」のはしくれ()を標榜するなら、もうすこしその万葉仮名について深めたく思います。

 

今日の建長寺様(1)今日は雨で境内は暗かったのですが、ふだんは乾いて桜の木肌に溶け込んで見えていなかった苔が晴れやかな緑になっていて素敵な風情でした。

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今日の建長寺様(2)三門前の早咲きの桜(緋寒桜?)はまだ蕾です。そして、梅は紅白で唐門の前に。

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2018.2.21 ツイッターから転載…『ダ・ビンチ・コード』拝読中です。庭の白い椿、蕾の枝を伐って室内に入れて咲き初めを楽しんでいます。

2月19日

今日の夕景@井の頭公園

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相模湾でしょうか。

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[気象庁情報]20日 01時35分頃 伊豆半島東方沖(N34.9/E139.3)にて 最大震度1(M3)の地震が発生。

 

とてもお茶室に活けられる一輪挿しの白椿と思えない写真ですが、侘助です。朝蕾がついている枝を十本ばかり束ねて活けていたら、夜になって開いてきました。雑然と活けられたまま花をつけているので、室内なのに山椿みたい。かえって素朴で素敵です。

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2月20日

おはようございます。ダヴィンチコード第2巻に入っているのですが一旦中断して朝の支度にかかろうとしたら栞の紐が使われた形跡がなくそういえば第1巻にはなかった帯もある。一緒に放出された方は第2巻をお読みにならなかったよう。話の筋、なんとなく思い出しましたが映画での結末を思い出せません。

 

新しく開き始めた侘助です。

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TVに吉永小百合さんが、深山幽谷の山門前の赤い反橋に立つ大人の休日倶楽部のCMが映って、あ、と思って調べたらやはり那須雲巌寺でした。奥の細道にもある黒磯も。雲巌寺は、後嵯峨天皇の皇子で、夢窓疎石の師で、鎌倉の建長寺住持も勤められた高僧高峰顕日が籠られた寺院です。貴重な映像。

 

高峰顕日様は、『とはずがたり』で二条を翻弄する後深草天皇や、鎌倉第六代将軍宗尊親王の兄君でいられます。ご兄弟なのに凄いご性格の違う方々です。

 

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今朝の侘助。この咲き具合が撮りたかったんです。庭に咲いていると気がつかないうちに満開になっていたり高い枝で撮れなかったり。室内に入れたら蕾の開き初めからだんだんに変化していくのが見えていて至福。椿はいいですね!

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おはようございます。ダヴィンチコード、第二巻を猛スピードで拝読中です。今日中には終わらせたいと限界設定を設けて読んでいるから没頭。この集中法はいいです。お蔭で時政から気分が一新。この本も薔薇の名前もみんな仙覚の小説への布石というか訓練です。仙覚も万葉仮名が基にあります。

 

昨夕眼も頭も朦朧とするくらいに没頭してダビンチコードを読んでいたら、第二巻は詩文の暗号解析でやたら解析表が。朦朧としているからそれに円仁の悉曇章が重なって見えたり、暗号の巻いた紙に平家納経が漠然とたゆたって感じられたり、仙覚の小説はほんとうに描きようによっては凄いテーマです。

 

ただ、「謎」ではないからそこをどうするか・・・。謎は、仙覚は誰か・・・

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2018.2.19 ツイッターから転載…講演のことやその後のこと

2月17日

中央線車窓で撮った空です。晴れていたのに家を出たらやたら風が強くなっていて、空気にざらざらした複雑な混濁感があり、気になっていたら地元を抜けたら晴れていました。車窓から見えるあの雲に巻かれていたのだとシャッターを。

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2月18日

おはようございます。講演が終わり今日から新しい活動に入ります。懇親会で皆様とお話して「こんな楽しい歴史の話はじめて」と。というのも皆様一流企業のエンジニアというキャリアをお持ちだから、私の論理の詰め方がご自身たちの研究の論理の詰め方と同じなのだそう。だから楽しかったのだそうです。

 

でも、二時間、パワポで紹介しながらお話していて、最後の頃「私はしつこいなあ」と内心自分で呆れかえっていました。それをしつこいと思わず楽しいと聞いて下さったのは、ある意味井筒俊彦の意識と本質的世界なんですよね。理系の研究されている方とお話するとよくそういう感じになります。

 

RTの夢枕獏さんのこと。昨日の講演はなぜ時政を追うことになったかの説明から始めました。仙覚を小説にしようと始めたら時房という歌も蹴鞠もできる光源氏のような子息がいる、これはただの田舎者ではない! となったと。懇親会で、今日のお話は面白かった、小説にしたらもっと面白いでしょうねと。

夏まで当分講演がないのでまずとはずがたりのコラムを書き終えて、早く仙覚にかかりたいです。体調が昨日の疲労もあって今日は休んでいます。もう本当に無駄に時間を費やしている場合ではないです。

 

頂いてきた胡蝶蘭が綺麗です。

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2月19日

おはようございます。昨日は体調が悪くダウンしていましたがよくならないのでここは気分一新にとばかりダヴィンチ・コードを読み始めたら面白くて朝方まで一気に第一巻を読み通してしまいました。もともと私の文学は洋のはずだったのですが、鎌倉の源氏物語から和になって、その挽回の気分もあります。

でも、ダヴィンチコードは映画を二回観ているのですが、内容をはじめて理解。覚えているのは俳優さんの表情だったりスピーディな場面転換。つまり映像部分。薔薇の名前も映画派と小説派といますよね。私は薔薇の名前も映画が先でそれから読んで内容を理解。映画化には何かが省略されているのですね。

ということは、まもなく公開される空海。夢枕獏氏『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』がどのように省略され映画として屹立していくのか、その辺も楽しみ。私は仙覚の壮大な映画化を夢見ているので興味津々です。まだ原作もできていないのに笑。(ずっと大河化を目指していたのですが空海に影響されて)

 

今日の胡蝶蘭です。庭の椿が蕾をたくさんつけていて、なかなかいい具合に咲いたところを見られないので、室内に入れても開きそうな蕾を伐って胡蝶蘭と並べました。白い花同士、なんとなくいい雰囲気。

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2018.2.18 ツイッターから転載…羽生結弦選手の金、おめでとうございます! 講演も無事に終了しました

2月14日

私は出かけるとダメだなあと痛感。体調にも響くし(昨日1日ダウンしてました)思念をかき乱される。たまには息抜きしたいし校閲のような勉強もしたいと、講演直前とわかっていて申込みました。結局かき乱されています。平野選手の禁欲的の語をTVで見て私もそうしなければと。もう仙覚一筋にしなければ。

 

鎌倉から集いのご案内や、時朝や難波津のシンポ、いろんな催しが次々あるけど行かれないと決めなくては。講演翌日の運慶シンポはもともと到底無理と申込みませんでしたが、凄い人気だそうですね。

 

少し前から白い椿がたくさん蕾をつけているのですがなかなかいいタイミングで咲いたところと出会えなくて。今日は少し茶色くなった花びらもいいかなと伐ってきました。

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2月15日

起きたらやはり立っていることに不安。喉の痛みはひいたけど。明日一日あるから講演までには大丈夫。いつもそう。いつもこうだから今度こそはと気をつけていてもいつも毎回やられてしまう。根を詰めてパワポをやっていたりの終了に付けこんできっと何か魔のようなものが忍び込んでくるのでしょうね。

 

今日ポストに入っていたご封書で今後の動きがあるのかも。想像もつかない世界だからお話に乗ることに不安かといえばそれはない。もともと最後の最後にはその方向でと考えていたことだから。実現したら、楽しい。

 

西の空。シマシマの雲は海洋性。

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サラ・ムーンが好きでもピントをはずすなんてとんでもない世界で仕事してたからサラ・ムーン的写真の撮り方がわからなくて検索してしまいました。今更だけど、そういう気分転換のゆとりが出たってこと。で、サラ・ムーンのカメラはレンズが割れていることもとあって仰天。やってみたい気も笑

 

2月16日

ただいま《朔》です

 

おはようございます。タウンニュース鎌倉版コラム第23回「第六代将軍宗尊親王の 『源氏物語』と更迭」を掲載していただきました。親王の更迭は思いがけない時頼の早世によると。時頼が生きていたら更迭などあり得ません。歴史は人の思惑で動きます。

 

https://www.townnews.co.jp/0602/2018/02/16/419951.html

 

明日は晴れるそうだから大丈夫。今日は新月で始まりの日。なんとか体調を無事に持ってきてようやく明日。講演なのに喉をやられて今回は重症でした。今度からはもう直前外出はしないことに。気をつけていてもやられるのだから。羽生くんを観てやはり背後の体調管理の壮絶さを思いました。

 

吉祥寺よみた屋さん店頭の100円均一の棚にダヴィンチコードがあって、体力が弱っていることもあり雪国の世界に侵食されて困っていたから、そうだ、この世界に入って払拭しようと買ってきました。仙覚の小説の書き方の示唆になるといいけど、今はまず雪国からの脱却。あの日に始まってひどい週でした。

 

2月17日

おはようございます。あとは出かけるだけと悠長に構えていたのが急にパワポの追加をしたくなって時計とにらめっこでPCに向かっています。一週間も前に完成させて送ったパワポ。あの時点では浮かばなかったこと。仕方ないです。あの時点ではトークで補充とばかり決め込んでいたのです。

 

パワポの追加修正終わりました。のんびり構えていたのにお蔭で緊張。宇都宮氏について入れました。時政と牧の方とのあいだの娘が宇都宮頼綱と結婚し、そのあいだにできた娘が為家と結婚しています。この女性は阿仏尼の出現で離縁させられ、訴訟のための十六夜日記の鎌倉下向の遠因になるのですが。

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無事に設営して頂きました。羽生くんの金、よかった!

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終わって、懇親会も出て、どっと疲れが出て、途中で失礼して、帰りの車内です。楽しんで頂けました。感謝

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2018.2.15 ツイッターから転載…校閲の講座に行ったことなど

2月12日

今朝は送ったはずの配布資料とUSBが届いていないとの講演先の担当者さんからのお電話で緊張。三連休だった関係での配達ミスでした。こういうこともあるといけないと思って追跡調査のできるレターパックにして正解。やっと入手のお電話を頂いてほっとしたら急に、時政で沢山集まるかなあと不安に笑。

 

2月13日

書き出すと予定通りに書けない。予定では惟康親王の更迭と久明親王の下向→安達泰盛と霜月騒動だったのに、先に霜月騒動を書いてしまいたくなっている。思念はどうしてこうも深いところの流れを汲みとれないのだろう。

 

今日の夕景@吉祥寺

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受講者さんはたぶん全員実際にお仕事されているか目指していられる方。私にとってあちら側の方です。匂いというか雰囲気でわかりますね、同業か否か。皆様さわやか。私は自分が書く立場としてどういうことが注意点になるか、それを知りたくて受講させて頂いています。

 

夜の地下鉄ホーム。電車を待つあいだのつれづれにフィルター加工しました。私が書く仙覚の小説はこれからどんな出逢いになっていくのでしょう。出版社さんの街を歩きながら思うこと。

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2月15日

 おはようございます。先日の外出に一番軽いからの理由で持って出た『雪国』。往復の車内で20分も読んでいないのに川端康成の思念が私のなかで位置を占めて、これは~、となっています。文章的には今流行の若い方たちのと違うし、小説の文章についての思考が離れてくれません。読まなければよかった。

 

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2018.2.12 ツイッターから転載…タウンニュース鎌倉版コラム第22回「後深草院二条と第七代将軍惟康親王」の紙面です&このコラムの今後の予定

2月11日

タウンニュース鎌倉版コラム第22回「後深草院二条と第七代将軍惟康親王」の紙面です。第23回「第六代将軍宗尊親王の『源氏物語』と更迭」の校正を終えて今送信。今週金曜日16日号に掲載して頂きます。

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2月12日

おはようございます。コラム「とはずがたり」シリーズの最終回までの概略を考えています。だいたい決まって、久明親王下向→執権貞時と平頼綱→松下禅尼の甥安達泰盛と霜月騒動→二条の帰洛と飯沼資宗→二条と親玄僧正日記の親玄と京極為兼→平禅門の乱と孔雀経→後深草院との再会と別れ。これで9月まで。

 

とはずがたりのこと。折角二条が滞在した鎌倉を書くのだから丁寧に本文に即してと思い昨夜読んだのですが、それは必要ないと思いました。私は国文学としてこの日記を紹介するつもりはなく、二条を通して鎌倉の歴史事情を書きたいのだと改めて痛感。とはずがたりは吾妻鏡がなくなった後の歴史史料です。

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2018.2.11 ツイッターから転載…時政のパワポ、終わりました!

2月9日

それにしても武田病院の写真。目指す武田病院が見えてきて嬉しかったので撮ったのですが、内心、これは現代の景観だから撮っても仕方ないのに、積翠園は中なのに…と思いながらでも記念にと撮ったのでした。まさかそれが数年後には失われる景観で貴重な法住寺殿跡の北限あたりを示す写真になるとは。

 

配布資料に入れようと思って印刷しました。時政と関係あった平家の人物表です。平家の時代の大番役は正規に平家に仕える御家人でないとなれなかったそうですから、時政が仕えていた平家の人って誰なんでしょう。頼盛でしょうか。

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配布資料を投函してきて後はパワポに専念。気がかりなことなく専念できる状態って夢のよう。

 

願成就院の仏像のことですが、完成は文治五年ですが、時政が発願したのは文治二年5月。時政は文治二年はその前年の11月から京都守護で上洛していて、文治二年3月まで。その二か月後に発願したことになるんですね。伊豆に帰ったのと運慶への依頼がこんなに密接な時期だったなんて。

 

2月10日

おはようございます。時政のパワポ、昨夜のうちに終わらせようと頑張ったら感情のほうが枯渇して事実の羅列みたいで面白くなくなってやめました。今朝起きたら「感情」で入れたかったスライドが幾枚か浮かび、それを処理して今日中に投函します。

 

あと一時間あれば時政のパワポたぶん完成。大詰めにきているから気持ちが引き締まっています。今日中に発送して不備な面はトークで補充。メールでタウンニュース鎌倉版コラムが来週掲載だそう。校正をと原稿が届いて、それもパワポが終わるから大丈夫。みんな終わったらとはずがたりを書き溜めます。

 

時政のパワポ、終わりました。一時間では無理だった。私は見込みが甘いなあと反省。時政は承久の乱より前に亡くなりますが、没後実朝の造船や和賀江島の築造など名越邸と関係ある事蹟も多く、牧の方による十三回忌まで入れました。よって為家も登場します。もう一回見直して投函の予定。

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誰にも関心を持たれない時政って思うのですが、こんなテーマをさせて下さった幹事さんに感謝。その後また何か追及しているのでしょうからご自由にどうぞと。やってみたら六波羅通史みたいになりました。時政が大番役で平家の六波羅に勤め、京都守護で源氏の六波羅、六波羅探題は承久の乱後の設置です。

 

鎌倉の方でも六波羅探題についてはよくご存じない方が大部分。かくいう私も今回のパワポで同じ大番役でも平家のと源氏のとがあることに初耳。六波羅と法住寺殿、魅力満載の地域ですが、ここに特化した文学なり読み物ってあるのでしょうか。

 

と、閑話休題的に寛いでこれから見直しの作業に入ります。

 

2月11日

おはようございます。起きたら右手が痛いです。時政のパワポのラストスパートが凄かったから。今日からとはずがたり。今まで記憶で書いてきたけど前回から本文に即した内容に入ったのでまず読むことから。悩みは文庫は目が疲れるから全集本にしたいのに全集本は重くて持ち歩けない。不自由です笑。

 

どこの塀かわからないのですが法住寺殿碑を撮った辺りのショットです。あ、これはパワポに使える! と思って背景画面的に撮りました。今思うと、六波羅で過ごした時政は朱塗りの塀の空間で生きたわけ。現代の私たち的には灰色の塀が趣味ですが。朱塗りの御所や寺院が林立する世界は凄いでしょうね。

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2018.2.9 ツイッターから転載…六波羅を歩いた時のこと、私は法住寺殿跡を歩いていたのでした!

2月8日

おはようございます。時政のパワポ作業をしているのですが、蓮華王院の写真を探したらこの一枚しか撮ってなくて、え~っとなりました。折角訪ねたのにその頃は歴史に興味なくて。中に入ってからの千体の御仏には圧倒され感動しましたが、興味がないということはこんな結果になるのですね。

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中央線がまた止まっているようですね。雪に地震に諸々世の中が大変な中、なにか悪い電磁波でも流れているのでしょうか。よほど注意喚起しないと。

 

私的には時政のパワポが建春門院滋子関連になって、もう華やかで華やかで。(哀しみの崩御もあるのですが、それはそれとしてその崩御もパワポには重要課題なのです)。地味な時政関連のパワポ画面がみやびやかになりました。(先ほどの蓮華王院の写真の悔しさと対照的に)

 

メモ: 時政のパワポの今後の予定。京都守護の時代と六波羅蜜寺→願成就院→永福寺→名越の浜御所と実朝誕生→比企の乱→牧氏の変→没と没後…、う〜ん、先のほうが長いです笑。亀の前事件はもともと入れるつもりなかったけど、後半の誰でも知っている吾妻鏡にある事件はスライド一枚ずつでスルーする予定。

 

息抜きに吉祥寺。時政のパワポ、面白くてたまらないのですが、根を詰めていると一日がもたなくて体力減退だなあとつくづく思う。でも気がついたら環境が変わって早朝型になったから夕刻にはぐったりしてもそれが当たり前かも。つい夜型だった時の習性で夜になってから仕事しようとしてしまうのですが。

 

法住寺殿跡の史蹟碑を撮っていたのを発見。2011年のこの時はすでに前年暮れに『源氏物語と鎌倉』を上梓していましたからなんとなくこの辺りは重要と思って撮ったのでしょう。なのに蓮華王院には立ち寄っていない・・・泣。先ほどのたった一枚だった訪問は2003年です。今から思うと惜しいことばかり。

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地図を見るのが苦手で、空間把握も苦手だから、あの一帯、智積院があり、三十三間堂があり、京都国立博物館があり・・・でそういう建物があったのは思い出せるのですが、どこがどうだか・・・、法住寺殿がどこからどこまでなのかまだ把握しかねています笑。

 

思い出しました。『源氏物語と鎌倉』を出してからTLで皆様が情報を寄せて下さるようになり、その一つに積翠園がありました。それで訪ねることにして建仁寺から歩いて六波羅蜜寺を経て法住寺の前を通ったのでした。当時積翠園は武田病院。そして積翠園は妙法院が売って武田病院になったそうで、妙法院は

 

法住寺殿の北限だそうだから、あの時の武田病院のあたりが法住寺殿の北殿だった場所なんですね。なんとなくわかってきました。文章で書くときは時間や空間の把握をそれほど認識しなくても書けますが、パワポはそれを許さない何かがあるようです。文章は案外恐いかも。武田病院は今はもうないですね。

 

2月9日

おはようございます。我ながら呆れるのですが今朝やっと得心。建仁寺から歩いたと昨日ツイートした件。私はあの時六波羅探題北庁→南庁→法住寺殿北殿→南殿→最勝光院跡をたどったことになるのですね。やっと当時の推定地図と現代の景観が重なりました。歩いている時に認識できていませんでした。歩いている時、私はなにか、ああ、これだ!、と納得する感動を得たいのですが、それは無理とわかっていて求めているんです笑。

 

ほんとうは昨日今日は時政のパワポの山場。仕上げて送る期限なのに昨夜からとはずがたりのコラムが脳裏に浮かんで講演が終わったら一気に全部書いてコラムから離れようと決めました。時政のパワポの終盤まで見通せているからです。とはずがたりのコラム、永仁元年の事件を入れられるか、やってみます。

 

2011年に歩いた時の武田病院です。六波羅蜜寺から南下して石垣が見えた時のショット。今はフォーシーズンズ京都になっているはずだから、このあたりの景観は一変しているのでしょう。

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平重盛邸の庭園が往時のまま残るとされている積翠園は、武田病院の中庭にあって、病院の受付で見せて下さいと頼んで待合室を通り、中庭に。ガラスのドアを開けて出たそこが平家の時代そのままの庭園でした! 撮っていたら鳥が一羽突然入り込んできて、なにか平家の人の魂が…などと思ったのでした。

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2018.2.8 ツイッターから転載…時政のパワポ編集継続中です。

2月7日

福寿草が咲いていました@井の頭公園

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クロッカスも咲いていました@井の頭公園

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野生のように咲いているのっていいですね! 井の頭公園の小さな梅林では梅一輪くらい咲いてるかしらと回ったら、咲いている木もありましたが、その下に可愛らしい花の群落が。

 

中央線が止まっているらしいですね。寒い中の帰宅時に、皆様大変と思うけど、お気をつけられて下さい。

 

配布資料用に完璧と思って作った時政の年譜。パワポを始めたら入れておかなければならなかった時政以外の歴史の事跡がたくさん出てやはりパワポは生きた思考をさせてくれるツールだなあと。年譜や文献資料は一見完璧に見えても有機的繋がりで見ると不備なところ多いです。写真は昼間のクロッカスと梅。

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梅は撮っても絵にならないですね・・・。桜より梅派の私にして苦心しています。離れて老木の枝ぶりとして撮るならいいですけど。(と、自分の技術不足を棚に上げて)

 

ただいま《下弦》です

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2018.2.7 ツイッターから転載…時政の講演のパワポ作成中です。

2月3日

時政の講演。配布資料のメドがたってパワポの編集に入りました。年譜を作成したからあとはそれにそって流れを組み立てていくだけ。私の講演は時系列の事蹟から見えてくる人間ドラマ。なのでパワポはそのまま梗概として仙覚の小説に生かせます。年譜は詳細過ぎるから配布資料には不向きと決めました。

 

時政の叔父または従兄弟が「日本一の悪僧」と称された興福寺の僧だったスライド。この縁故が運慶との関係を導きだしたのか、それを年譜の行間から探っています。信実というその僧は保元の乱で崇徳院側について頑張ったという気骨の人です。なのでパワポも保元の乱から始めます。

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平治の乱で流されてきた14歳の頼朝を監視下においた時、時政はまだ22歳だったんですね・・・。もっとオジサンっぽくなっている年齢に思っていました。14歳と22歳・・・、感情的にどういう関係になるのだろう・・・。思っていたようには「お父さん」ぽくなりませんよね。

 

ごめんなさい。頼朝が流されたのは平治の乱の翌年だから、時政は23歳でした。男兄弟がいないからこの年齢の関係が予測つかなくて困っています。

 

コメントで、「時政 22 頼朝 14 政子 4歳」と頂きました。

 

ということは、この頃はまだ時政の先妻(政子義時たちの母)の時代。牧の方も4歳くらいで、時政と結婚するのは政子が頼朝と結婚したのと同じくらいの時期。そこまでのいつかに政子たちの母はいなくなっている。頼朝はそういう時政家の歴史を見ていたわけ・・・

 

2月4日

今日は立春。

 

昨日TLで政子の存在を喚起して頂いて図書館で関幸彦氏『北条政子』を借りてきました。時政の本があるといいのに…と思いつつフロアを歩いていて、そうだ、政子! と思いついたのでした。でも、ほぼ知っていることばかり。4歳の政子のころの話がなくて残念です。それにしても4歳の政子、可愛くて!

 

『年中行事絵巻』を借りに行ったのでした。法住寺殿のために借りた時、内裏と比して法住寺殿は鄙だなあと感じたのですが、その内裏に時政が大番として勤務していたのならまた借りて来て見比べる必要が出て。絵巻の内裏が閑院か否かはともかくですが、時政が皇居護衛にあたっていたとして。

 

フロアをまわっていて彫刻の棚を見たら気のせいかも知れないけど本の傾向が変わっていて、初めて見る本が何冊か。前は運慶の本が多かったのですが展覧会が終わって入れ替えたりしたのでしょうか。図書館のシステム、わからないですけど。そこにこういう本が。山田泰弘氏『三十三間堂 護法神像の謎』。

 

時政のパワポを作っているから時政に関する歴史本があったらと思うのですがどれも知っていることばかりでつまらなくてもう時政に関しては調べなくていいくらいに思った時に三十三間堂のご本。美術関連本は知らないことだらけで刺激されます。時政を運慶の側から読み解く・・・、楽しいです。

 

2月5日

明日は集まってみんなで展覧会に行くという。私は疲れるから無理。そう言うと何年も根を詰めて研究してたから疲労が溜まってるのよ、そういう時はゆっくり休みなさいと皆様口を揃えて言って下さる。全部分かっていて見ていて下さるそういう方々のいる会って素敵と思う帰り。

 

2月6日

おはようございます。TLに見事な月暈の写真。昨夜は疲れで早々に休んだからもしかして夜空を見たら当地でも?と後悔。たまたま昨日HDDのデータをクラウドに移す作業をしていて2010年度分に撮った月暈をみつけたばかり。今度月暈がでたら公園へ行き雄大な自然の中での月暈に挑戦! などと思いました。

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時政のパワポ作業中です。牧の方の大岡の牧。頼盛領なのですが、その事と頼朝を預かっている時政との結婚が関係あるか否か、本筋とは関係ないのに気になってきてしまいました。牧の方の親族宗親が池禅尼の弟説は年齢考証で無理とする方の説に。おのずと宗親は父でなく兄弟に。頼盛が結構重要かも。

 

頼盛が出て俄然色めき立ってしまうのは予感していたこととはいえ、(スルーするつもりで年譜からは削除していました)、やはり私は京都関係の事跡が出ると俄然奮起してこだわってしまいます。(ということは、鎌倉だけやっていても気が乗らない…)、とそういう傾向。

 

起きたら忽然として閃きました。宗親のこと。愚管抄では牧の方の父で長年頼盛に仕えた。吾妻鏡では弟で亀の前事件の時髻を切られた。愚管抄説をとった場合、父の年齢の人の髻はいくらなんでも切らないだろうから吾妻鏡の宗親は弟で名前を間違って記述と。吾妻鏡説をとった場合、大岡牧を治めながら長年

 

根を詰めて終日パワポにかかっていたからやっとパワポが動き出しました。ここにくるまでが大変。もう楽しくなります。宗親のことがずっと引っかかっていました。それで寝てしまったのかも。いつもそう。なにかモヤモヤすると眠りに引き込まれます。怠けるみたいで気がひけながら。でも起きたら忽然。

 

こう考えて正しいなら、牧の方が池禅尼の姪説は成り立たなくなります。魅力的な説で、その線で行きたかったのですが。

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2018.2.6 ツイッターから転載…時政の講演のパワーポイント作成に入りました&荒木浩先生のご講演のこと

2月2日

雪の朝。おはようございます。私は自分が好きで写真家になったのでないのでずっと写真に対してもやもやしていたのですが、赤い月を撮りながらの終盤、3、40分も撮りながら合間合間に月を見ていて、ああ、撮ることは向き合うことなんだ、対峙することなんだ、と気づき気が楽になりました。凄く嬉しいです。

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昨夜年表に書き込んでいてやっと大番役の分別がつきました。大番役には平家の大番と鎌倉幕府での大番があるんですね。平家の時はきちんと平家に仕えている御家人でないと大番役につけなかったそう。時政が大番役についたのは高倉天皇の時代だからまさに閑院の護衛。時政は京の文化の中枢を見ています。

 

まだ降っているので公園に撮りに行きたくてうずうずしています・・・

 

時政の相関図、ひとまず終了。今日は年譜を完成させます。ついでに配布資料まで。

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ほんとうに時政と運慶は同世代。時政が少し先に生まれた分、運慶の没年が少し後。時政が大番役で在京したころはまだ南都焼討前だから運慶は奈良の造仏復興に携わってなくて在京中。運慶願経のあたりだから運慶と時政は平家の六波羅時代や後白河院の法住寺時代に生きていました。会ってたかなあ。

 

時政の年譜終了。疲れたというより眠くなりました・・・笑。早くパワポに移りたいです。

 

2月3日

おはようございます。先日の国際文化会館での荒木浩先生のご講演「源氏物語と仏伝の関係」、貴重なお話でした。紫式部は仏陀の伝記を知っていて源氏物語を書いたのではというご内容。詳細なご検証のお話に私は大いに肯きました。まさかそんなことと訝る方がいられるとしたら、私の鎌倉の源氏物語が最初

 

その「まさか」という驚きで受け止められていた事実があるから私は驚きませんでした。紫式部は漢文が読めたし経典も読んでいたはず。そこに仏陀とヤショーダラの関係を書く経典もあったはずだから源氏物語の下敷きにしたこともあっただろうというご内容。ラゴラがヤショーダラの不倫の子ではないかと

 

書く経典があって、それが女三宮と薫の造形に関与していると荒木浩先生は言われます。荒木先生はインドの大学に客員教授でいらしたご経験がお有りでそれで難なくそういう思考に入られたよう。平安時代の国粋主義的思考にからめとられていては無理な発想ですよね。しかも無理どころか反対しかねません。

 

事実そういうことが実際にあって、仏伝との関係は河内学派が『原中最秘抄』に書いていて、なので当時は割とふつうの発想だったようです。「河内本源氏物語」では仏陀の子にあたる人物の名前を正確に校訂しているのに対し、「青表紙本源氏物語」は意味不明の校訂。「河内本源氏物語」が流布した中世では

 

問題なく受け止められていたようですが、一条兼良が反論してそれ以降その説が消え去ったそうです。私はそこに定家への信奉とともに「青表紙本源氏物語」が流布し「河内本源氏物語」が歴史から消え去った事情があるとみました。「河内本源氏物語」が忘れられ人々の思考から消えたのと同様に仏伝との関係

 

も消え去ったのですね。質問者の方が「よく目から鱗が落ちるというが、私は今日のお話を聴いて目に鱗がはりつきました」と仰られたので可笑しかったです。一般人は知識人の方のおろして下さる知識で教養を積み重ねますが、その知識が偏っている場合が往々ある気がします。

 

それと、荒木先生が「源氏物語は玄宗皇帝と楊貴妃を桐壺帝と桐壺更衣のモデルにしているといわれますが、私は楊貴妃は藤壺でもあると思うんですよね。楊貴妃には清純な面と妖艶な面があって、それを更衣と藤壺がそれぞれ役割を果たしている」と仰られたのがツボでした!

長くなって済みませんが、最後に。荒木先生のご研究の最初は今昔物語で、今昔物語の冒頭部分に仏伝のことがあるそうです。だから紫式部も当然仏伝は知っていたでしょうと。そして荒木先生が生粋の源氏物語研究者から出発されなかったこともこのご発想の自由さになっていられるのだなあと思いました。

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2018.2.2 ツイッターから転載…鎌倉禅研究会FBに例会のご報告をアップ、時政の講演のための作業

1月31日

忍の宝たることは終始安きを獲る…、18日に行われた鎌倉禅研究会。そのご報告をまだFBにまとめていません。気になりながらどうしてもとりかかれなくていました。それは禅とは対極の文学の方に気持ちが行っていたから。昨日文学の予定を一応こなし終わり、今日中にはアップしようと始めたらすうっと。

 

鎌倉禅研究会FB。当日参加できなかった方や遠方で来られなかった方々がまとめを待っていて下さるのが痛いほどわかるから取り掛かれないでいる間ずっと自分を苛む気持ちがあります。でも文学と禅の両立はどうしても無理で、どちらかにかかるとどちらかの気持ちが失せる。毎回その拮抗の中にいます。

 

先日、白楽天を読んでいて、杜甫李白は五山文学になってから、白楽天は平安時代、というのを読んで、これだ! と私の中で得心してから取り掛かれなくても仕方ないと少し達観できるようになりました。やはり無理は無理。歴史も証明してくれました。

 

鎌倉禅研究会FB。1月18日開催の第137回例会 「釋宗演管長没後100年にあたって」のご報告をアップしました。釋宗演老師様は世界に「Zen」を広める活動をされた明治時代の円覚寺管長でいられます。現管長の横田南嶺老師様の温かく熱のこもったお話をまとめさせて頂きました。心が澄みました。

 

2月1日

おはようございます。昨夜の赤い月。撮りながら満喫しました。思ったのですが写真家の家に育ったから撮る行為が身体に染みついている。学生時代心酔していた小林秀雄の一節にカメラを通さず目で見なさいとあってショックでした。以降撮ることにうしろめたさがあったのですが、昨夜それが払拭しました。

 

とはいえ、撮れた画像はピントが合ってなくてブレていて不甲斐ないですが笑

 

昨日配布資料用の時政の年譜を作ろうと思い、すでに作成していた「運慶時政年譜」から時政だけを取り出そうとしたのですが、鎌倉幕府成立後の時政はどうも頼朝と義時に牛耳られて魅力なく、講演は運慶と絡ませた部分の方がメインになりそう。

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なんなのでしょうね、時政の鎌倉幕府成立後の目立たなさ。政子が御台所として力を持って義時と組み、時政後妻で継母の牧の方のでしゃばりを封じ込めようとしたのに対し、時政は牧の方優先の姿勢を崩さなかったから? 負けて伊豆に引き上げたのも、私にはさっさと鎌倉から出て行ったとも見えます。

 

時政は京都守護の時代は凛々しい・・・。私は鎌倉幕府自体に思い入れがないから、鎌倉の源氏物語でも幕府より将軍御所側に気持ちが入っていました。今度は時政。吾妻鏡を読んでも、吾妻鏡は政子義時寄りだから時政を貶めて書いていると思います。だから後世時政像が過小評価になってしまっています。

 

大地に雪の残る武蔵野の雑木林@井の頭公園

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高橋昌明氏「京都大番から見た平家と鎌倉幕府」再読。法住寺関連でコピーした一連の中、最初に拝読して大番について目から鱗だったのだけれど、更にいろいろ読んで再読したらさらにはっきりわかりました。法住寺について調べたことが時政に役立っています。なんか突然時政に気持ちが入りました。

 

私は常に文化の力の観点で歴史を見ているのですが、従来の鎌倉の歴史研究者さんにはその意識がなかったような。大番を勤めた時政は皇居警固という文化の中枢を知っていたわけです。京都を知らない政子義時とは格が違います。牧の方も京の文化を知る人だから。時政には鎌倉幕府は野暮に見えていた?

 

昨夜、昇ったばかりの満月が霞んだ大気の中で大きく黄色に輝き、思わず目をみはるほど綺麗だったので公園に撮りに出ました。18:30頃のことです。

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もう一枚。梢越しの満月です。近くに公園という環境があるのは恵まれています。「森」の雰囲気を撮りたいのだなあとよく思います。それも、夜の。

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パワポで北条時政相関図を作っているのですが、牧の方とのあいだに生まれた娘の一人が平賀朝雅と結婚して牧の方が朝雅を将軍につけようとして失敗するけど、そういう人物。もう一人の娘は宇都宮頼綱と結婚してそのあいだに生まれた娘が藤原定家息の為家の妻。牧の方関係の人脈が面白いです。

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2018.2.1 ツイッターから転載…1月31日、赤い月の皆既月食を撮りました。

1月31日

皆既月食がはじまっています@三鷹市 20:46

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21:14の月です@三鷹市

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21:28の月です@三鷹市

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月が赤くなってきました。21:43@三鷹市 赤い部分が暗い部分なのでピント合わせができなくて・・・。再挑戦してきます。とりあえずご報告にきました。

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21:54の赤い月@三鷹市

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まだうまく撮れませんが緊迫してきました。

 

赤い月がもとに戻り始めて縁が明るくなってきました。皆既月食は結局ピントをうまく合わせられなくて悔しい結果になりましたがアップさせて頂きます。デジタルズーム40Xです。22:22@三鷹市

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いつも満月はぴったしピントが合って撮れるから今夜も大丈夫と甘くみていました。皆既月食は暗かった・・・(ピントは合わないし、長時間露光だからブレるし、でさんざんでした。反省)。ずっと息を詰めて撮っていたので酸欠状態、笑。アップしたのは全部撮ったままで加工していません。

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