2018.2.28 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(92)万葉仮名の原点を探っています
2月25日
おはようございます。昨日は茨城で笠間時朝シンポがあって行きたかったのですが遠いから無理と諦めていました。そうしたらFBで報告して下さる方がいてコメントしたら資料を送って下さるって。ご講演は野口実先生「京都の笠間時朝」。まさに私が知りたい部分。仙覚がいつどこで時朝と懇意になったかと。
時政から離れて万葉集を見るにあたりノートを変えようとしたら、万葉集を始める!という見出しの2009年のノートがまだ半分未使用だったので続ける事にして過去分を見ていたら、光能が定家と従兄弟と。忘れていてビックリ。父親が俊成の兄。光能は遠元娘を妻にしていて、基子さんの姉の設定。
比企の乱の後、仙覚を産んだ基子さんが京都に身を寄せる設定なのだけれど、基子さん、定家と合わせられるだろうか。基子さん、源氏物語を好きな文学少女に設定してあったけど……。古いノートを出すと時々こういう重要発見に出くわします。まずは年齢確認から。
2月26日
吾妻鏡を調べる用があって行った図書館で、国史大系に並んで『列島の古代史』という全集があり、6巻が『言語と文字』。これは〜と目を留めて借りて来て読んでいます。万葉仮名の原点に辿り着いた感。
2月27日
おはようございます。私はよほど「再読」がダメ。万葉集について小説で書くためにもっと勉強しなければと書棚から今までの本を出して再読しはじめたのですが面白くなくて。最初の未知の世界に踏み込むワクワク感がないんです。で、たまたま図書館で得た古代史の『言語と文字』に嵌っています。
先日日本女子大で開催されたシンポジウム「平安京出土「難波津」の歌の木簡と『古今和歌集』の仮名序」。行きたかったのですが体力的に無理で諦め。そうしたらここの講演者の犬飼隆先生が、昨日得た『日本列島の古代史』の著者のお一人。シンポジウムがなぜ「木簡」なのかわかりました。ふしぎな連環。
「従来古代史の資料は記紀万葉と金石文に依拠していたが、これらは利用できる本文が後人の手にかかるもので、その言語も特殊な位相に属する。1990年頃から7世紀の文字資料が続々と出土し、当時の日常の読み書きの状況を知ることができるようになった」のだそうです。
「訓で語を書きあらわすことが可能な場合でも、日本語の語形の表示を目的として書くときは仮借が用いられた。それが体系的に整備されて万葉仮名となる」「七世紀の後半に漢字で日本語文を書くとき、ことがらの記述は漢字の訓で、韻文の記述は万葉仮名による一字一音式で、という分担が成り立っていた」
それにしても「日本語が文字を持たない言語」だったから漢字を借りて日本語文を表記するようになり、それがすでに七世紀には整備されて使われていたってこと、遣唐使船の難破状況を考えるとそれまでにそれほど漢字が伝わってくる政治状況があったのが理解不能というか驚異です。
昨日のTLに見たデュラスの破壊ツイートが忘れられない。最近自分が変わってきていると感じていて、今まで私は良妻賢母の校風に従順な優等生だったから何も見えていなかったと痛感する経験をやっと積んで、私も「破壊」したくなってきているのを感じます。仙覚の小説はそうでなければ書けない。
玉川上水べりに水仙が。陽射しを浴びてのどかです。