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2018.2.6 ツイッターから転載…時政の講演のパワーポイント作成に入りました&荒木浩先生のご講演のこと

2月2日

雪の朝。おはようございます。私は自分が好きで写真家になったのでないのでずっと写真に対してもやもやしていたのですが、赤い月を撮りながらの終盤、3、40分も撮りながら合間合間に月を見ていて、ああ、撮ることは向き合うことなんだ、対峙することなんだ、と気づき気が楽になりました。凄く嬉しいです。

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昨夜年表に書き込んでいてやっと大番役の分別がつきました。大番役には平家の大番と鎌倉幕府での大番があるんですね。平家の時はきちんと平家に仕えている御家人でないと大番役につけなかったそう。時政が大番役についたのは高倉天皇の時代だからまさに閑院の護衛。時政は京の文化の中枢を見ています。

 

まだ降っているので公園に撮りに行きたくてうずうずしています・・・

 

時政の相関図、ひとまず終了。今日は年譜を完成させます。ついでに配布資料まで。

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ほんとうに時政と運慶は同世代。時政が少し先に生まれた分、運慶の没年が少し後。時政が大番役で在京したころはまだ南都焼討前だから運慶は奈良の造仏復興に携わってなくて在京中。運慶願経のあたりだから運慶と時政は平家の六波羅時代や後白河院の法住寺時代に生きていました。会ってたかなあ。

 

時政の年譜終了。疲れたというより眠くなりました・・・笑。早くパワポに移りたいです。

 

2月3日

おはようございます。先日の国際文化会館での荒木浩先生のご講演「源氏物語と仏伝の関係」、貴重なお話でした。紫式部は仏陀の伝記を知っていて源氏物語を書いたのではというご内容。詳細なご検証のお話に私は大いに肯きました。まさかそんなことと訝る方がいられるとしたら、私の鎌倉の源氏物語が最初

 

その「まさか」という驚きで受け止められていた事実があるから私は驚きませんでした。紫式部は漢文が読めたし経典も読んでいたはず。そこに仏陀とヤショーダラの関係を書く経典もあったはずだから源氏物語の下敷きにしたこともあっただろうというご内容。ラゴラがヤショーダラの不倫の子ではないかと

 

書く経典があって、それが女三宮と薫の造形に関与していると荒木浩先生は言われます。荒木先生はインドの大学に客員教授でいらしたご経験がお有りでそれで難なくそういう思考に入られたよう。平安時代の国粋主義的思考にからめとられていては無理な発想ですよね。しかも無理どころか反対しかねません。

 

事実そういうことが実際にあって、仏伝との関係は河内学派が『原中最秘抄』に書いていて、なので当時は割とふつうの発想だったようです。「河内本源氏物語」では仏陀の子にあたる人物の名前を正確に校訂しているのに対し、「青表紙本源氏物語」は意味不明の校訂。「河内本源氏物語」が流布した中世では

 

問題なく受け止められていたようですが、一条兼良が反論してそれ以降その説が消え去ったそうです。私はそこに定家への信奉とともに「青表紙本源氏物語」が流布し「河内本源氏物語」が歴史から消え去った事情があるとみました。「河内本源氏物語」が忘れられ人々の思考から消えたのと同様に仏伝との関係

 

も消え去ったのですね。質問者の方が「よく目から鱗が落ちるというが、私は今日のお話を聴いて目に鱗がはりつきました」と仰られたので可笑しかったです。一般人は知識人の方のおろして下さる知識で教養を積み重ねますが、その知識が偏っている場合が往々ある気がします。

 

それと、荒木先生が「源氏物語は玄宗皇帝と楊貴妃を桐壺帝と桐壺更衣のモデルにしているといわれますが、私は楊貴妃は藤壺でもあると思うんですよね。楊貴妃には清純な面と妖艶な面があって、それを更衣と藤壺がそれぞれ役割を果たしている」と仰られたのがツボでした!

長くなって済みませんが、最後に。荒木先生のご研究の最初は今昔物語で、今昔物語の冒頭部分に仏伝のことがあるそうです。だから紫式部も当然仏伝は知っていたでしょうと。そして荒木先生が生粋の源氏物語研究者から出発されなかったこともこのご発想の自由さになっていられるのだなあと思いました。

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