2018.3.30 ツイッターから転載…タウンニュース鎌倉版コラム【源氏物語と鎌倉】を全30回としての最終回までを急ピッチで書いています。
3月29日
おはようございます。タウンニュース鎌倉版コラム、第25回東二条院を入稿し、第26回久明親王と第27回平禅門の乱を書き終わりました。残り、第28回守邦親王、第29回万葉集、第30回鎌倉滅亡と尾州家河内本源氏物語のその後を書いて完結。ここにきて一挙に整ってきました。蓋が開くってこういうこと?
2015年12月に始めた時は延々と続けていいとのことだったので気ままに書き進めていたから終わりに対する見通しはありませんでした。昨年1月からとはずがたりシリーズに入っても次にまた別のシリーズを始めるつもりでした。仙覚の小説にかかって気持ちが緊迫してきて止めることにしたら一気に終盤です。
タウンニュース鎌倉版コラム第24回「将軍惟康親王の更迭と 第九代執権北条貞時の内管領・平頼綱」の紙面です。更迭される惟康親王が数日滞在された佐介谷がどこか、ピンポイントでどこかがまだ特定されていません。誰か要人の屋敷だったとして常盤では?と思ったりするのですが・・・
どこからともなくはらはらと桜の花びらが舞い降りてきています。近所に桜の大木はないのに、どこから?
力を振り絞って書いているから、疲れる。と、今は休憩。1日1コラムとしてあと3日は、3月も終わりでちょうどいいとさっき気がつきました。となると、なんとしてでも4月にずれこまないようにしたい。今後仙覚の小説にかかったらこんな風に根を詰めて書きたく思っていたけれど、思いがけずその前哨戦。
井の頭公園は冬の間カイボリという水を抜く作業をしていて、池の周りがずっと工事中のオレンジ色の柵がめぐらされて殺伐した光景でした。桜が咲いてもそうだったのでお花見に無粋だなあと思っていたら、満開に合わせて外されていました。昨日の撮影。
月に桜。綺麗でした!
3月30日
おはようございます。というか徹夜明けです。コラム守邦親王を書いていました。鎌倉幕府最後の将軍です。滅亡後の将軍については何も伝わっていないのですが、比企に結構リアルな伝承が残っていて、それがかなり錯綜しているので後嵯峨天皇まで遡って年譜を落としました。私なりにすっきりしました。
なんで唐突に比企が? と思いますよね。比企といえば仙覚さんだし、小川町で仙覚さんは万葉集註釈を成した。守邦親王の伝承が残る比企は、小川町。私が守邦親王の伝承に出逢ったのも仙覚さんからの縁です。かねてからここが気になっていましたのでちょうどいいからモヤモヤを解消したいと思います。
木蓮がいっせいに咲き始めました。
「伝承の真偽はともかく、私が気になるのは小川町という地と、宗尊親王の血筋の皇子のこの地の滞在です」と第28回コラム「守邦親王」の回を閉じました。今日は第29回仙覚と『万葉集』。たぶん、順調です。
第28回コラム「守邦親王」の挿入写真を、小川町に伝承を残す守邦親王にちなんで「小川町遠望」にしました。
ここで仙覚さんが文永6年に『万葉集註釈』をなしたんですよね! 「『万葉集註釈』第十巻奥書 文永六年孟夏二日於武蔵国比企郡北方麻師宇郷政所註之了」→比企郡北方麻師宇郷が現・小川町増尾に比定されています。
麻師宇は猿尾とも書き、土地の豪族猿尾(ましお)氏による地名のようです。猿尾が現在は増尾になっていますが、伝承の守邦親王は猿尾氏に厚遇されて住んだということです。
とはずがたりだったコラムが俄然万葉集になってきました。30回の連載にして最後の最後に登場。一度も万葉集についてはあえて触れないできて、最後までそれで押し通すつもりだったのに。