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2018.3.30 ツイッターから転載…タウンニュース鎌倉版コラム【源氏物語と鎌倉】を全30回としての最終回までを急ピッチで書いています。

 3月29日

おはようございます。タウンニュース鎌倉版コラム、第25回東二条院を入稿し、第26回久明親王と第27回平禅門の乱を書き終わりました。残り、第28回守邦親王、第29回万葉集、第30回鎌倉滅亡と尾州家河内本源氏物語のその後を書いて完結。ここにきて一挙に整ってきました。蓋が開くってこういうこと?

 

201512月に始めた時は延々と続けていいとのことだったので気ままに書き進めていたから終わりに対する見通しはありませんでした。昨年1月からとはずがたりシリーズに入っても次にまた別のシリーズを始めるつもりでした。仙覚の小説にかかって気持ちが緊迫してきて止めることにしたら一気に終盤です。

 

タウンニュース鎌倉版コラム第24回「将軍惟康親王の更迭と 第九代執権北条貞時の内管領・平頼綱」の紙面です。更迭される惟康親王が数日滞在された佐介谷がどこか、ピンポイントでどこかがまだ特定されていません。誰か要人の屋敷だったとして常盤では?と思ったりするのですが・・・

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どこからともなくはらはらと桜の花びらが舞い降りてきています。近所に桜の大木はないのに、どこから?

 

力を振り絞って書いているから、疲れる。と、今は休憩。11コラムとしてあと3日は、3月も終わりでちょうどいいとさっき気がつきました。となると、なんとしてでも4月にずれこまないようにしたい。今後仙覚の小説にかかったらこんな風に根を詰めて書きたく思っていたけれど、思いがけずその前哨戦。

 

井の頭公園は冬の間カイボリという水を抜く作業をしていて、池の周りがずっと工事中のオレンジ色の柵がめぐらされて殺伐した光景でした。桜が咲いてもそうだったのでお花見に無粋だなあと思っていたら、満開に合わせて外されていました。昨日の撮影。

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月に桜。綺麗でした!

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3月30日

おはようございます。というか徹夜明けです。コラム守邦親王を書いていました。鎌倉幕府最後の将軍です。滅亡後の将軍については何も伝わっていないのですが、比企に結構リアルな伝承が残っていて、それがかなり錯綜しているので後嵯峨天皇まで遡って年譜を落としました。私なりにすっきりしました。

 

なんで唐突に比企が? と思いますよね。比企といえば仙覚さんだし、小川町で仙覚さんは万葉集註釈を成した。守邦親王の伝承が残る比企は、小川町。私が守邦親王の伝承に出逢ったのも仙覚さんからの縁です。かねてからここが気になっていましたのでちょうどいいからモヤモヤを解消したいと思います。

 

木蓮がいっせいに咲き始めました。

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「伝承の真偽はともかく、私が気になるのは小川町という地と、宗尊親王の血筋の皇子のこの地の滞在です」と第28回コラム「守邦親王」の回を閉じました。今日は第29回仙覚と『万葉集』。たぶん、順調です。

 

28回コラム「守邦親王」の挿入写真を、小川町に伝承を残す守邦親王にちなんで「小川町遠望」にしました。

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ここで仙覚さんが文永6年に『万葉集註釈』をなしたんですよね!  「『万葉集註釈』第十巻奥書 文永六年孟夏二日於武蔵国比企郡北方麻師宇郷政所註之了」→比企郡北方麻師宇郷が現・小川町増尾に比定されています。

 

麻師宇は猿尾とも書き、土地の豪族猿尾(ましお)氏による地名のようです。猿尾が現在は増尾になっていますが、伝承の守邦親王は猿尾氏に厚遇されて住んだということです。

 

とはずがたりだったコラムが俄然万葉集になってきました。30回の連載にして最後の最後に登場。一度も万葉集についてはあえて触れないできて、最後までそれで押し通すつもりだったのに。

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2018.3.28 ツイッターから転載…タウンニュース鎌倉版コラム第25回から最終回まで一気に書く予定です

3月27日

「後深草院や西園寺実兼など一流の男性を恋人にもった二条の目の辛辣さです」とタウンニュース鎌倉版コラム第25回「後深草院妃東二条院と 鎌倉の二条」の最後。これを書きたくてとはずがたりシリーズを続けてきたようなところがあります笑。久明親王の下向まで書きたかったのですが無理でした。

 

仮寝して起きました。今日はコラムを仕上げたあと心にかかっていたある方へのお便りをしたためて終わってからずっしりと疲労。眠いのはそのせいと思っていたのですが東海沖で地震があったよう。昨日から腰痛気味で地震を疑っていたのですが治っています。コラム、次を書くか滋子さんに行くか迷い中。

 

3月28日

おはようございます。昨日コラムを仕上げたらあまりに疲労困憊したので滋子さんに戻りたく思っていたのですが、第26回「第八代将軍久明親王」を書き始めてみたら楽に進んで、やはり昨日は地震前兆の体感で辛かったよう。二条は後深草院の皇子を産んでいるから久明親王は我が子とは腹違いの兄弟です。

 

コラム第26回「第八代将軍久明親王」を書いたのですが、ふっと気づいて、鎌倉と源氏物語、というコラムなのに最近源氏物語が書かれてない!と。それで為兼の予定をはずして『十六夜日記』の阿仏尼を入れました。阿仏尼の子の為相の娘が久明将軍の側室になっています。つまり藤原定家の曾孫が側室に。

 

久明親王を書いたら俄然連載の終わりが見えてきて構想が絞られました。次回に平禅門の乱を書いたらこの時はもう二条は鎌倉を離れているからとはずがたりシリーズの最後。その次が鎌倉最後の将軍守邦親王で、ここに比企との関連を。最終回が鎌倉の滅亡と尾張家河内本源氏物語・西本願寺本万葉集の結末。

 

これだと第29回が連載の最後になるから切りよく守邦親王の次に仙覚は誰かを入れて全30回にするのがいいですね。

 

井の頭公園のカタクリ

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一人静だそうです。まだコモにくるまれているような感じですが、伸びると葉が出てくるようです。

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井の頭線線路脇に土筆が出ていました。

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2018.3.27 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(106)吉田金彦氏『万葉語源』より『名義抄』を知る&井の頭公園の桜開花状況

3月26日

夢に語らく、酒に浮べこそ。旅人の歌。吉田金彦氏『万葉語源』を拝読していたら素敵な歌に遭遇。たぶんこの種のご本でなかったら着目していない。昨日図書館の棚にみつけてなぜか気になって借りた本。校閲講座とか万葉集の表記の問題とか、なんか最近読む本が変わってきている。仙覚が心にあって。

 

『その日本語、ヨロシイですか?』がずっと余韻を引いているのは言葉に対する真摯な姿勢と校閲というお仕事での謙虚さとに感動しているから。まだ何かわからないけど言葉に対する気持ちが変わりました。

 

仙覚が終生かけて万葉集と向き合ったのってこういうことかな、という姿勢を少しながら追体験している気がします。

 

今拝読中の語源のご本。私には学問的に何が正しくて何が間違いかわからないけれど、語源を知らずに素人判断や感覚で訳すことの危険をドジョウとオタマジャクシに例えて、見かけは同じだけど、成長したらドジョウはドジョウ。オタマジャクシはカエルになるんだぞとあって、ぞっとしました。

 

井の頭公園の桜の今日の開花状況です。

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井の頭公園の桜、もう一枚。公園の一番奥のお茶の水の橋から。奥に見える七井橋が皆様が通る橋。渡ると吉祥寺駅に。ご覧のように混んでいます。その向こうが池の両岸に桜が植えられる名所。もう満開気分でいいのでしょうね。

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ハロが出ていました。桜と。

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タウンニュース鎌倉版コラム第25回を「後深草院妃東二条院と 第八代将軍久明親王の鎌倉下向」として書き始めたのですが、まだ気持ちが乗らない……。建春門院滋子と万葉語源と同じくらいの比重。滋子に行きたいし、語源も読んでしまいたい。でも書き出しはいつもこう。もうちょっとしたら乗ります。

 

メモ: 吉田金彦氏『万葉語源』より。『名義抄』はいうまでもなく、平安時代末期の完存する最大の漢和辞書で、その中には日本語が約三万五000余り収められ、それが漢字対訳の形で記入されているまことにありがたい文献である。

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2018.3.26 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(105)建春門院滋子と最勝光院と冷泉家時雨亭叢書のこと

3月25日

おはようございます。というか今日は日曜日だから家族が寝過ごしても安心なので角田文衛氏「建春門院」を拝読して夜明かし。後白河院と滋子が修された真言密教の法会を知りたかったのですがここに書かれていて年譜に落としました。最勝光院は宇治平等院を模範として、院は滋子に見学までさせてます。

 

メモ: 建春門院滋子を伴った後白河院の厳島御幸。光能が奉行を勤めている。その7年前に光能には基子さんの姉とのあいだに長男をもうけている。基子さんの姉からそれを語らせることもできるかと。

 

最勝光院が頭から離れない。寺院はどんなに栄華を誇っても現存しないと忘れされれるのですね。鎌倉の永福寺と同じ。永福寺もつい先ごろまでは存在さえ知られてなかった。今でこその金沢文庫ですが、称名寺にしても一面の藪でまさか絵図のような寺院があったなど誰も信じていなかったそう。

 

RT平野社 昨夜建春門院滋子が参詣と読んだばかり。角田文衛氏「建春門院」より、「承安二年四月、公卿たちも扈従したが、舞人を勤める10人の公達、女房たちも行列に加わり、社前において奉拝をすませ、舞を奉納された」

 

建春門院滋子が『建春門院滋子北面歌合』を主催と。滋子は歌合を行うような志向の女性だったのですね。ただ美しく賢いだけでなく文化的要素も。参加者に実定や俊成、通親が。この三人は光行さんの源氏物語研究に貢献した四人の内の三人(通親はその子の通光ですが)。でもこの時光行さんはまだ8歳。

 

『建春門院滋子北面歌合』は冷泉家時雨亭叢書巻九十五巻に所収とのこと。行くなら都立図書館かな、地元の図書館にはなさそう。

 

なんと、ありました! まさかと思っていたのですが。

 

借りてきました。『冷泉家時雨亭叢書』第95巻。「建春門院滋子北面歌合」所収です。

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3月26日

おはようございます。地元の図書館、凄いです。昨年全100巻完結したばかりの冷泉家時雨亭叢書が揃っていました。鎌倉の源氏物語研究を始めた当初からこの全集にはお世話になっていて、地元の図書館に開架でありました。その後地下の書庫にもぐって気づかなかったのですが、まさか全巻揃えてるとは。

 

昨日のクリスマスローズです。気づかなくてひっそり咲いていたのを切ってきて飾りました。

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2018.3.26 ツイッターから転載…新潮社の校閲講座講師の井上孝夫先生『その日本語、ヨロシイですか?』が楽しくてたまりません!

3月22日

おはようございます。そういえば昨日川霧がでていたと思い出しました。池なのにと思いつつシャッターを。治ったと思ってはぶり返す喉の不調。風邪か花粉症と思っていたら日々の寒暖の差で気管支をやられるのだそうですね。温かくしても吸う空気が冷たいから防ぎようがないです。皆様もどうぞお大事に。Dy2wriyu0aa40g4


100カ国以上も言語をマスターされている校閲の先生が毎回訳詞されて曲を聴かせて下さった最後の回のミルバ。講座の時から旋律に懐かしさ以上のものを感じて聴いているのですがさながらプルーストのマドレーヌ状態。湧いてくるものがあって体調が戻ったからそろそろこういう煽る音楽もいいなと。

 

3月23日

おはようございます。新潮社校閲講座の講師井上孝夫先生『その日本語、ヨロシイですか?』を拝読しています。面白おかしく書かれているのに重要な事柄。私が抱えていた揺らぎが解決されていっています。受講記念のノートと一緒に。

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私は割と文章に自信があったのですがそれは文章というより文体の問題で日本語とか漢字とかの正確性には自信はなく、それがずっと心中で卑屈感になっていました。で、この講座を知ってそれが克服できるならと受講したのですが、正解でした。何より「言葉を大切にする」姿勢。

 

常用漢字って当用漢字が出発点だったんですね。いつのまにか常用漢字という語が使われていて、? となっていたのですが馴染んでいた語は当用漢字だったと思い出しただけでも霧が晴れた思い。でも「常用漢字という気まぐれルール」の章。愉快そうなタイトルですが新字旧字正字俗字略字等々内容は大変。

 

鎌倉禅研究会FBに15日の例会報告をまとめ中です。例会が終わったらすぐにすればいいのだけれどなかなか環境が整わなくてやっと。今、第一講高橋秀栄先生の禅門詩文集を終わったところ。保存にして第二講舘隆志先生を入力したら公開。今日中に終わらせたいです。

 

玉川上水の桜も先染めました。画面左上に水仙が咲き残っています。

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3月24日

おはようございます。後白河院に早く戻りたいのにできず、せめて関連論文を拝読したりしているのですが、今週はタウンニュースのコラムを書かなくてはならないし……と思っていたら、昨夜、これだけ離れてしまったら、そうだ、いっそコラムを今週中に最終回まで書いてしまおうと思いつきました。

 

タウンニュース鎌倉版コラムを最終回まで書くと決めたら構想が湧きました。次回は平頼綱と東二条院→将軍久明親王の下向→久明親王と鎌倉(為兼が登場)→平禅門の乱→鎌倉最後の将軍守邦親王と比企(最終回)。これで8月まで。一回くらい延びるかも。最後の比企で、なんと仙覚に繋がります!

 

親行に手伝わせて作った定家の下官抄。その後どうなったのかしらと気になっていたら井上孝夫先生『その日本語、ヨロシイですか?』に答えが。江戸時代に契沖が出るまで定家仮名遣として普及していて、契沖以降は契沖仮名遣と併存。明治政府が契沖仮名遣を採用してそれが現代の「旧仮名」だそうです。

 

私的に思うのは、また契沖! と。万葉集研究で仙覚のあとに契沖がしていて、客観的に契沖の方が評価されているっぽい(あくまで主観的です)。万葉集全20巻が揃っているのが仙覚本だけだから仙覚が重要になっているけど、契沖のもあったらと思うと定家仮名遣と同じ運命になりかねませんでした!笑

 

このまま行けば六本木。気楽な身だったら空海を観に行ってるだろうな。昨日から中国語版が始まって。『その日本語、ヨロシイですか?』があまりに楽しくて車線を間違えて乗り換えて戻って遅刻、なんていう今日のできごと。その帰りです。なんか、この世的に生きてる気がしない充実。

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2018.3.23 ツイッターから転載…新潮社の校閲講座最終回でした&雪降りしきる井の頭公園

3月20日

吉祥寺パルコ前の小さな時計修理屋さん。先月で閉店と知ってショック。私はいちいちリューズで時間を合わせる古い腕時計を使っていて、壊れた時に持って行ったら珍しがって凄く懸命に直して下さった。以来、頼りにしてたのに。と、東西線車内でリューズを巻きながら思い出しました。

 

この景色ともしばしお別れ。三回通った新潮社校閲講座。編集者さんのための講座だけど、書いていると漢字とか一字下げとか、表記のことで専門知識がないから迷っていて、TLでこの講座を知って申し込みました。楽しかったです!

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講師の井上孝夫先生のご著書。なんと100以上の言語をされていたとは。毎回ご自身で訳された英語や仏語の歌詞を配って下さって、でもあまり疑問に思わなかったのですが、今日はスペイン語やラテン語。とんでもない方でした。

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神楽坂駅前のベローチェでしばし余韻に浸ってツイート。これから帰ります。

 

新潮社校閲講座。3月までの前期が終わって4月からは応用編。4月が漢字の新字体・旧字体、5月は文芸作品の校閲に必須な知識の旧仮名遣い。両方とも行きたいくらいだけれど、自分の文体は? を考えたら字体も仮名遣いも旧のほうは使わないなあとなりました。

3月21日

おはようございます。昨夜の校閲の講座。以前初校で「この漢字、別の頁ではひらがななのでどちらかに統一を」と校正の方に書き込まれたことがあり、それがずっとひっかかっていました。小説の全編その統一をしなければいけないならと、紛らわしい漢字を使うたびに表を作って確認しながら書き進めたり

 

していたのですが、でもこの頁ではふつうに使うけど、ある頁では字面が漢字だらけになるのでひらがなにしたいということがでてきますよね。そんな悩みを昨夜講師の先生にぶつけて相談に乗って頂きました。気持ちが晴れてすっきり。基本は自分の文体の確立。中心軸ができたのでぶれずに行ける思います。

 

基本はとにかく自分の中の中心軸。それを持てるかどうかにかかっているのですが、と思う、の気がする、のような責任回避的言い方から離れようと思っていることも含めて今はひとつの転機。断定の言い方をすれば反論も浴びるでしょうけれど、それに動揺しない強い自分を作らなければ! です。

 

(最後の締めくくり。うっかり、と思います、で終わろうとして頑張って、です!、にしました笑)まだ頑張らなければ文体も変わりませんが、仙覚の小説で書き進めているうちに整ってくると思います。仙覚の小説を書きはじめてからこういう自覚が生まれたのでした。

 

昨夜校閲の講座で聴かせて頂いたミルバの愛遙かにを聴いています。外は雪。立憲の集会が気になりますが、立憲の方も参加者様も大変と思いますが心から応援させて頂いています。私はといえばミルバだけれど、これは宮騒動で将軍頼経が帰洛させられても残って万葉集の校訂をしていた仙覚の心境そのもの。

 

降っても夜だったり体調悪かったり講演前だったりで諦めていた雪。今日撮らなくていつ撮るのと、重いからと封印していた一眼レフをもって出てきました。一枚くらい撮れてるかな。お気に入りが撮れていたら後ほどアップさせて頂きます。シャッタースピード優先ができないカード式キャノンは置いて。

今日の雪。とりあえずの一枚です@井の頭公園

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雪が降る@井の頭公園(1)池の岸辺の桜が蕾でピンク色です。そこに雪が降りしきって・・・

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雪が降る(2)一番最初に咲く木だから花がもうたくさん。そこに雪が降って・・・。撮ったら雪が花びらみたいに

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雪が降る(3)さみどりの柳の新芽の奥に咲き初めた桜の木。そこに雪が降りしきって

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以前TLで雪が降りしきる東京駅の夜景をアップして下さった方がいて、私はそういうふうな雪の写真を撮ったことがないのでいつか真似して撮ってみたいと思っていました。で、今日、やっとそれが叶いました。データは、シャッタースピード優先でストロボを焚くこと。そしてホワイトバランスを晴天に。

上手いショットではないのですが、ツグミがいました@井の頭公園Dy0pmalvwaaxnl

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2018.3.22 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(104)後白河院と運慶と真言密教

3月19日

おはようございます。仙覚の小説。後白河院の今様を調べるところに入ってきました。前に調べていてコピーをとってあるのですが、まさかこういうかたちで入ってくるとは思わなかったので再読が必要に。なのに図書館が休館日でがっかりしています。時房の誕生と運慶願経発願が同じ年でした。

 

運慶願経発願の翌年、建春門院滋子が崩御します。そして円城寺大日如来の完成。鹿ケ谷の陰謀。時政の大番役上洛。と、この辺り、慌ただしいです。伊豆では頼朝が政子と結婚。

 

『後白河院』より馬場光子氏「今様」拝読中です。「もとより院は年中行事絵巻を描かせ、本棚の書籍を悉く集めしめ、千載和歌集の撰集を命じている。これらの事業に院みずからの今様編纂の行為を並べてみるとき、公的事業としての一局面が浮かびあがるのである」

 

後白河院の今様。法住寺殿で行われていた日常としてさらっとやり過ごそうと思ったのだけれど……

 

運慶と後白河院って、もしかしたら同じ熱情の人かも

 

井の頭公園の桜。毎年1番最初に咲く木です。今年は池のカイボリ中で近くまで寄れません。

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後白河院の今様を読んでいたらそれよりも後白河院の真言密教が重要な気がしてきました

 

手元にある真言密教系のコピー。田中文英氏「後白河院政期の政治権力と権門寺院」、上川通夫氏「院政と真言密教」、上川通夫氏「後白河院の仏教構想」、横内裕人先生「密教修法からみた治承・寿永内乱と後白河院の王権」。ざっと拝読してあったのを見直させて頂いています。

 

なんだろう。この興奮。私は小説に関係のある資料として読んでも関心がないと燃えなくて枝葉のように湧いてでた別分野に嵌るとそちらに全精力を集中させてしまう。でもそれはいつもたいていそちらの枝葉のほうに主流があって物語が展開していく。本筋と思っていたのは結局表層だったってことに。

 

というか、単に今様が好きか、真言密教が好きか、の問題だったりして。少なくとも馴染んでいるのは真言密教のほう・・・

 

3月20日

おはようございます。昨夜は後白河院と真言密教系のご論を拝読しながら寝落ち。後白河院なら今様を書かなくてはと始まった今回の渉猟。結局真言密教に落ち着いて、これって何か意味ある?という気に。 真言密教における後白河院に今様で書かれる院のすがたは皆無。深いです。

 

ある線で書こうと思っていて、どうやったらそれを書けるか無理難題と思っていたのが、真言密教を探ったら自然にその線でストーリーが流れてきました。場面も浮かぶし声も聞こえて。

 

今日は年譜でそれを確認して書いてみます。

 

今様の線で書こうとして図書館が休館日なのを昨朝嘆いたのですが、真言密教になったので必要なくなりました。雨だなあ、雨だと図書館に行けないなあ、そういえば昨日行かなくてはと思っていたのだった、行かなくて済むようになったのも休館日のお蔭、行って今様の本に振り回されていたら…という思考笑

 

大河清盛の松田翔太さんの後白河院のイメージが強いので歴代のドラマでは誰がされたのだろうと検索したら、尾上松緑さん、滝沢修さん、平幹二朗さん。やはり凄みのある方ばかり。観たかった。というか、この方々のイメージで書くだろうな。

 

書いているとおのずとその人物のオーラがわかる。後白河院。日本一の天狗とかで凄い人物とは思っていたけど、そういうのでない深みが感じられて興味津々。昨日運慶と後白河院は同種の人間と呟いたけど、いくら時政に本質を見る目を備わらせてもそこまでいかない。頼朝も。その人の中の文化の有無?

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2018.3.20 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(103)古橋信孝氏『誤読された万葉集』を拝読しました

3月18日

おはようございます。古橋信孝氏『誤読された万葉集』を拝読しました。神野志隆光氏『万葉集をどう読むかー歌の「発見」と漢字世界』を拝読したから内容が予測できて。あとがきに氏は「私は三十年近く万葉集にかかわってきた。その成果を本書には込めたつもりである」と書かれます。「気づいてみると、

 

なぜ今までこんなこともいわれていなかったのと思うことが多かった。固定的な万葉集評価からしかみられてこなかったからだろう。その意味でも、私は本書に自負をもっている」と。拝読していて気持ちよかったのですが、それは氏の文体が「に違いない」「のはずである」と小気味よかったからです。きっと

 

それは自負をもって書かれたご著書だからでしょう。最近「と思う」「の気がする」調の文章に疑問をもつことが増えて、私は以前から文章の風合いとしてあえて使っていたのでそれとは違う主旨の使い方の出現に辟易していたので、古橋氏の断定語調に喝采感。私も今後強い書き方をしたくなりました。

 

強い語調は自分に自信がないと書けませんね。以前の私は風合いとして使っていたと書きましたが、考えてみるとそんなに私のなかに自信はなかった。でも、今は、鎌倉の源氏物語から仙覚は誰かの問題にまでいって、古橋氏のいわれる「固定的な」従来の論と違う世界にたどりついて強くなりました。

 

古橋信孝氏『誤読されてきた万葉集』より:万葉集には東歌と防人歌を除いて、方言の歌がほとんどない。万葉集の歌は都人の歌を基本としている。しかも、俗語がなく、整った歌がほとんどだから、貴族とその周辺の人々、および役人たちの歌で、庶民の歌はほぼない。そういう層の歌に対して、東歌と防人歌

 

が、地方の歌、庶民の歌として選ばれているのである。ということは、東歌と防人歌以外の旅の歌は、まず貴族や役人などの都人の歌であるということが確認できる。かれらは当時の日本を導いていった人々である。歌にしても、歌とはかくあるべきだという方向を示したものであったに違いない。そもそも、

 

歌集を編むとは、ある基準に従っていい歌を集める作業である。中略。これは旅の歌だけの問題ではない。万葉集の他の歌にも、こういう場合はこういうように詠むという約束がある。古今和歌集は観念的で、万葉集は生活実感が表現されているなどとよくいわれるが、万葉集もすでにして観念的なのである。

 

このような美意識の成立は和歌の成立と言い換えることができる。和歌だけでなく、文学は単に自分の感じたことを表現するものではない。われわれの観念すべてにかかわっている。そして何かを評価する時、必ずその社会の価値観が拝いている。個性、自分らしさが過大な価値を与えられているのが現代だが、

 

それも時代的なものにすぎない。時代的ということは、いずれ変わるということである。中略。和歌の美意識が変わるのは近代になってからである。正岡子規の「歌よみに与ふる書」が古今和歌集を批判し、実感に即した歌を主張したのが、近代短歌の始まりといっていいだろう。近代では、古今和歌集が批判さ

 

れ、万葉集がもちあげられたが、『古今和歌集』の世界は万葉集と地続きであった。ただし、万葉集は和歌的な美意識を作りだしていく時代の歌であって、『古今和歌集』はその確立期のものとはいえる。

 

私自身が記録にとどめたいメモとしてツイートさせて頂きました。

 

昨今の情勢は私が鎌倉の源氏物語から仙覚は誰かの問題にかかわってみてきた絶対と思っていた研究世界が絶対ではなかった思いに共通するものがあります。万葉集にしても固定化された観念がありそれが普遍的に信奉されている時代があっても、たった子規の登場で変わったり茂吉の万葉集感に左右されたり…

 

自然の造型。椿はほんとうに「反り」が綺麗

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昼に万葉集で呟いたけど子規の写生主義が好きでなくてむしろ弊害にさえ思っていたら、考えてみたらリアリズム小説というのも同じで、私はリアリズムでなければ小説でないとの中傷から挫折したようなものだけど、以来それがトラウマ。で、仙覚の小説はもうそのトラウマから離れてと思って書いています。

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2018.3.19 ツイッターから転載 タウンニュース鎌倉版コラム第24回「将軍惟康親王の更迭と第九代執権北条貞時の内管領・平頼綱」を掲載して頂きました&鎌倉禅研究会で

3月16日

先に文学通信様にご紹介して頂きましたが改めて。タウンニュース鎌倉版コラムに第24回「将軍惟康親王の更迭と第九代執権北条貞時の内管領・平頼綱」を掲載して頂きました。鎌倉に来て懇意になった相手が平禅門の乱で討たれるという歴史的事件にかかわる二条って不思議です。

 https://www.townnews.co.jp/0602/2018/03/16/424094.html

 

馬酔木と沈丁花、今が盛りなのですね@井の頭公園

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皆様にならって沈丁花をアップで撮ってみました。今まで芳香だけの地味な花とばかり思っていました。ごめんなさい。

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径山寺は読めなくても金山寺味噌なら読めるでしょ、と昨日の鎌倉禅研究会で舘隆志先生。「キンザンジ」は南宋時代の読みだそうです。中国では文化大革命で破壊された径山寺を復興しその落慶記念の学会に招かれて舘先生は講演されてらしたとのことでした。天目山は二つの山頂が天から目に見えるからと。

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面白かったのは、復興するのに中国ではかつての径山寺の規範にする例が残ってなく、日本の東福寺を参考にしたそう。スライドで映されるとたしかにそうでなぜ中国に東福寺そっくりの寺院が?となりました。つまり屋根の反りがあまりない日本風。所謂中国風の反り返った屋根は明清時代で新しいのだそう。

 

金山寺味噌は、径山寺では読めないのでふつうに読める金山寺になったという経緯だそうです。

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菫がこんなに。

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3月17日

おはようございます。あと10人で364000。特に意味はないけれどキリ番って楽しい。私はツイッターを閃きの備忘録として使っていて、話題が一段落するとまとめてこんなふうにブログに移しています。「仙覚の小説覚書」も100を超えました。

 

仙覚の小説は、時政が運慶を見初めました。時政27歳、運慶14歳、です。が、今日はそこにもっと凄い出逢いを入れるべく案を練っています。

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2018.3.16 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(102)再び法住寺殿と運慶が登場&鎌倉禅研究会でした

3月14日

昨日のクリスマスローズです。

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TLも私の関心も改ざんだけど、思うのはこのツイッターがなかったら私は仙覚を書けなかった。ツイッターを始めて3.11があり、近くは立憲の立ち上がりがあり、そういう社会の動きと怒りや正義感など、ふつうの生活をしていたら体験できないことを沢山学んだ。仙覚の小説にはみんなそれが生きているはず。

 

改めて時政。時政の大きな上洛は大番役と京都守護。大番役の時は平家全盛時代で六波羅には平家の邸宅が立ち並び、法住寺殿で後白河院が今様を楽しんでいた。京都守護で再上洛した六波羅は平家が火を放って都落ちした後で、木曽義仲の法住寺合戦で法住寺殿も焼失。時政の心中を考えてしまいます。

 

(先のツイートに対して、そこで時政と運慶が出会うのですというコメントを頂いて)あ〜、また山本先生に「嵌められた」(済みません)みたいにして運慶熱が再燃して、仙覚の小説に仙覚がなかなか生まれないで、時政と運慶の小説になってゆきます笑 (でもこれが去年一年の逍遥の成果)

 

3月15日

おはようございます。今日は鎌倉禅研究会の日。興味ある方はどうぞご参集下さい。3月15日(木)13時~16時半 建長寺應供堂 第一講禅門詩文集の蘭渓回書(高橋秀栄先生) 第二講兀庵普寧の来日と日中禅僧の交流( 舘隆志先生)。舘隆志先生のご研究は楽しいです!

 

空海の映画。観られないでいるうちに日が経って終わってしまうかとはらはらしてたら、なんと、24日から中国語版上映と。当然こちらに行きます! 白楽天の詩の中国語読み、楽しみ。

 

仙覚さんの生涯なんて、空海の映画に匹敵する劇的なのだけれど、プロットだけで書くならもう仕上がってるのだけれど、時政や運慶に膨らんだり、これからこの伝でいくとたぶん九条兼実も。10年とはいわなくても数年かかってもおかしくない遅々さ。夢枕獏さんの空海も10年とかかかったみたいだし。

 

鎌倉禅研究会の帰り。時政に気が行ってるからよほど今日は失礼して帰りたかったのだけれど、旧知の仲のように接して下さる方々のお顔を見たら言い出せなくて参加。でも、蘭渓道隆のこととか研究の姿勢についてなどいいお話ばかりで、気持ちよかったです。お隣が坐禅で背骨がまっすぐのお坊様で恐縮。

 

今日の建長寺様。三門前のオカメザクラが満開でした。

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降りる駅に近くなってやっと道中のお供の『万葉集隠された歴史のメッセージ』を。万葉集に入って最初の頃に拝読したご本。初心者的に役立ちました。でも今見るともっと凄いことが書かれている様相。初心者にはこの凄さがわからなかったんです。TLが小説より奇なりだけど万葉集だって負けません。

 

鎌倉から帰り、体力の消耗が激しいので仮寝して起きて楽しかったことの呟きをするつもりでPCに向かったらTLに流れる社会情勢の凄まじいこと! 怒りでとうてい呑気なツイートをする気になれなくて、明日も早いから寝ることにします。おやすみなさい。

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2018.3.14 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(101)仙覚の原稿、まだまだ時政が続きます。六代御前捕縛へと

3月13日

昨日のクリスマスローズです。クリスマスローズは下を向いて咲くし、無造作に活けてあるから、カメラにちょうどいい向きに咲いているのを見て撮ります笑 (ゆっくり花を生ける気持ちの余裕が欲しいです。いつになったら・・・)

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仙覚の小説、比企氏残党の仙覚が命を奪われる危険は、その前例として平家の六代御前があるから、そこをきっちり書いておかなければと昨日平家物語六代御前斬られの事を呼んだのですが、時政のまあ残虐なこと! でもこれは平氏も全盛時代はそれをしてたのだし、現代の感覚で読んではいけないのかも。

 

時政と時房と基子さんの話がふくらんだら比企谷での頼家の蹴鞠のシーンを書き、参加している時房と、それを見ている比企時員の新婚早々の妻基子さんを書かなくてはという気に。基子さんが妊娠していることをその時に時房が知り、比企の乱でその子が生まれて男子だったらの仮定で捜索する時房。

 

今まで書き溜めていた原稿では「比企の乱の時基子さんは身ごもっていて、その体で比企に逃げた→そこに時房が捜索にきた」からはじまっていました。

 

蹴鞠の描写も書くことになるとは・・・。蹴鞠とは? がわかるようにちょうどいいかも。(比企の乱で仙覚がなぜ存在を消されたかを十分納得して頂けるようにとその前哨戦を書いているのですが、ふくらむばかりでどんどん乱から遠のきます泣)

 

3月14日

おはようございます。六代御前は時政の京都守護の上洛時。それを書いていて大番役の上洛を書けてなかったと気がつき補充したら法住寺殿がでて、これを書こうとするとまた運慶に…と笑。運慶も入らないと諦めていたんです。京都守護の上洛は鹿ケ谷陰謀の年。大番役の時に建春門院を書けば繋がります。

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2018.3.13 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(100)仙覚の小説、順調です&井の頭公園の梅林は満開です。

3月12日

仙覚の小説は研究発表や論文の内容を小説文にするだけと高をくくっていたのにはじめたら、時房にひっかかって時政に迂回して。そして研究では男ばかりの世界で、こんなに地味で難しそうな小説面白いかしらと疑問に思っていたら、書き始めたら基子さんがでて遠子さんもでて三姉妹に。違うものですね。

 

源氏物語はそういう物語なのだ。人の世の死と別離、人の心の移ろいやすさと不動、政権によって運勢が簡単に変わること、それでも人は生きねばならないということ、そして諦観。戦乱に明け暮れる武士の娘基子は現実世界で人の世の有為転変を知り、物語からもそういうことを学び、人の世の悲劇に対して耐性を身につけ、若くしてすでに知らずして対処を身につけていた。結局、それが基子を生かし、父仙覚を生かしたのだが……(以前に書いたこの文章を入れることができました。比企の乱の勃発を知りとっさに比企に逃げた基子さんの判断の底に源氏物語があったとして)(玄覚の回想として書いています)

 

玄覚は仙覚の息子で、仙覚の学問を継承し、のちに冷泉家の人とも親しくなって、時雨亭文庫に玄覚の自筆書状(筆跡)を見ることができます。

 

朝考えていた名前。今ふっと浮かんで園子さんに。遠元娘の三姉妹だから、遠子、園子、基子となり、O音で揃っていいかもで決めました。

 

辛夷の花のツイートを見て撮りにきたのですが、井の頭公園の辛夷はまだ満開には程遠いです。柳が芽吹いてきています。

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井の頭公園の辛夷の現在の状況です。

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ミツマタの花が満開でした@井の頭公園

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井の頭公園の小さな梅林は満開なのですが、ほんとうに小規模。

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一本だけ枝垂れ梅があって一番人気@井の頭公園

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2018.3.12 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(99)仙覚の小説、時政を書いています。

3月11日

おはようございます。今日は3.11。あの日のことを思うと今も胸が潰れる思いです。今日は一日心して過ごします。仙覚の原稿、時政の項に経房がすんなり入ってきて自分で驚いていたのですが、今見たら在庁官人の辺りで荘園・国衙・目代等が存分に理解できていなかったことに気づき、直しました。

 

時政が在庁官人だったことを証明した森幸夫氏「伊豆守吉田経房と在庁官人北条時政」を昨日再読して在庁官人だったことまでは確認したのですが、目代との軋轢が何だったかのあたりが不明だったけど、目代が遥任伊豆守の配下と理解したら見えてくるものがありました。

 

200810月に訪ねた時の末の松山。まさかその三年後にほんとうにそんな津波が起こるとは夢にも思いませんでしたが、その時に歩いた土地の高低差を思い出して心から納得しました。塩釜神社も高いところにあり、無事だったろうと思いつつそれでも階段の真下まで津波が押し寄せたと知ってぞっとしました。

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2008年撮影の塩釜神社境内から眺めた三陸の海。今日一日、そしてこれからもずっと海が、東北の皆様のお心が平穏でありますように。被災され命をおとされた方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。

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ウィキより: 正字体および略字と俗字と別字の間で、分野によって以下のような表記揺れがあります。

 鹽竃神社(正・俗・正・正、歴史的な表記)

 鹽竈神社(正・正・略・略、鹽竈神社が使用)

塩竈神社(略・正・略・略、主に報道が使用)

塩釜神社(新・別・新・新、誤用)

とのことです。

 

突然、こういう文章が書けました。「時政にはそういうところがある。本質を見る目をもっているのである」。昨日までは意識下にあっても書くなど思いもよらなかったこと。3.11で心が澄んでいるのだと思います。

 

3月12日

おはようございます。仙覚の小説は時房に入りました。光源氏のような時房をもつ時政が田舎者のはずがないと一年間時政探訪になってやっと戻りました。そうしたら思いがけず時房妻で基子さんの姉が浮上し今朝から名前を考えています。光能妻の遠子さん、時員妻の基子さんと、まるで細雪。広がってます。

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2018.3.11 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(98)「仙覚―存在を消して生きた男― (エピグラフ)それは世をしのぶ仮の名だった」を最初から入力し直してはじめました。

3月9日

仙覚の小説。玄覚の回想録という額縁をはずそうと思って今まで書いていた分を見直しているのだけれど、玄覚の部分の完成度は捨てがたく残すことに。で、文章を見ていたら時房が出て、自然に「そこには時房もいた」を「そこに時房がいた」と直していた。あの時は点景だったのに一年たったら主役級に。

 

ちょうど一年前、点景として時房を入れたら俄然光り出して、「こんな貴公子然とした子息をもつ時政がただの田舎者であるはずがない!」となり、そこから時政調査がはじまり、願成就院から運慶が入り込んできて、たまたま上野で運慶展が開催されて、六波羅蜜寺から時政と六波羅の関係になったのでした。

 

「仙覚―存在を消して生きた男― (エピグラフ)それは世をしのぶ仮の名だった」。これをペンクラブの二次会で喋ったら、たったこれだけなのにさすがペンクラブの方と思ったのは皆様突然、おお! となって身を乗り出して関心をもってくださったのでした。今、改めて最初から入力し直しています。

 

最初から、というのはワードの設定からということ。保存してあった原稿が気がついたら古いバージョンのワードだったので。

 

3月10日

おはようございます。仙覚の原稿。以前は時政が書けなくて停滞していたのが、たまたま先日伊豆に行ったから韮山が書けています。二月の講演の準備に行きたかったのを体調不良で諦め、それでも行きたくて行ったのでした。それが現地を見た強さ。特にどう描写するというのでないのに、書けてます。

 

今まで詰まって書けないでいた時政がさくさく書けています。一年間の成果。

 

クリスマスローズを伐ってきて花瓶に挿しました。(いつもこの一輪だけ上を向いてくれます 笑)

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タウンニュース鎌倉版コラム第24回「将軍惟康親王の更迭と第九代執権北条貞時の内管領・平頼綱」の掲載が3月16日号とのこと。この回の写真は佐助トンネルの辺り。いつかこういうふうに使う時もあるだろうと撮っていたのですが、惟康親王の上洛を二条が目撃した佐介がどこかまだわかっていません。

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2018.3.10 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(97)神野志隆光氏『万葉集をどう読むかー歌の「発見」と漢字世界』拝読のまとめ。とても重要

3月8日

神野志隆光氏『万葉集をどう読むかー歌の「発見」と漢字世界』より。「『万葉集』の問題としていえば、防人の歌は、東歌に対応して律令国家における歌のひろがりのおなじ平面にあるものです。それは、防人の立場の言立て的なものと、「わたくしごと」としての父母・妻との非別とあいまって、私情までをもからめとる歌の世界をあらしめます。歌は、そのように歌われるべきものであったということです」「要は、『万葉集』において、防人歌はあったということです。あくまで『万葉集』においてあらしめられたもの──より丁寧にいえば、あったものとしてあらしめられたもの──として見るのだと」

 

神野志隆光氏『万葉集をどう読むかー歌の「発見」と漢字世界』より。「巻十三は、長歌集です。短歌、旋頭歌もふくまれていますが、それらはすべて反歌としてあります」「述べてきたことは、長歌の可能性の追求ということに帰されます。長歌が、短歌とおなじようにありうることを、雑歌、相聞歌、譬喩歌、挽歌の部を立ててしめし、長歌のつくりかたも、反歌のありようも、さまざまなこころみをもって示すのです」「巻十三は、歌という文芸形態の可能性をたしかめ、新様式の開拓をさえ企図したきわめて注目すべき遺品(太田善麿)は、巻十三の本質を衝くものとして、それをうけとめたい」

 

神野志隆光氏『万葉集をどう読むかー歌の「発見」と漢字世界』より。「巻七〜十六の全体は、歌の世界の可能なひろがりということに帰されます。それによって、律令国家の歌の世界として、自分たちの固有のことばによる文芸を確信しえたというべきです。そうした見渡しをもったとき、巻一〜六の「歴史」世界に対応するものとして、巻七〜十六の位置づけは明確になります。端的に、「歴史」世界と、その基盤としての歌の世界のひろがりということにつきます」

 

神野志隆光氏『万葉集をどう読むかー歌の「発見」と漢字世界』より。「『万葉集』の最後の四巻、巻十七〜二十は、大伴家持の歌日記といわれます」「留意したいのは、歴史の問題として、寧楽宮の終焉にたつことが歌日記の入口になるということです。巻一〜六の歴史世界をうけ、そのさきに進めるように歌日記を始めるということを受け取るべきなのです。歴史日記をつなぐわけです」「端的にいえば、歴史として構築するのではなくなった歌の世界を、個において生きられるものとして構成するのが歌日記であったということです。ここにさまざまな、ありとある歌を開示して見せるのは、『万葉集』があらしめた家持です」「そうして個において生きられる歌の世界まで見届けて『万葉集』は完結するのです」

 

神野志隆光氏『万葉集をどう読むかー歌の「発見」と漢字世界』より。「固有の言語世界を前提とすることは、出発点から根本的に考えなおすことがもとめられます。固有の言語世界の擬制に立って口誦の世界から連続的発展的に見るのではないはじまりであるべきなのです。はじまりは漢字世界なのです」

 

長々神野志隆光氏『万葉集をどう読むかー歌の「発見」と漢字世界』を引用させて頂きましたが、それはきっとここに今まで掴めずにもどかしかった仙覚の万葉集に対する姿勢があると感じていたからです。最後の「はじまりは漢字世界なのです」はまさにそれで、感動しました。

 

追記: 神野志隆光氏『万葉集をどう読むかー歌の「発見」と漢字世界』のあとがきより。「テキストは、文学研究であれ、歴史研究であれ、そこから出発する、出発点だ。その学的態度を考えたい。もちあわせの自分の目線で、たとえば『源氏物語』を論じるような(所詮感想文でしかない)研究もおおいが、テキスト分析は、テキストの論理に即して、テキストがもつもの(どのようにして成り立ったか、成立の事情はどうであれ、いまあるものがもつもの)を析出しなければならない」

 

それにしてもこうしたご本があるなんて。今まで私なりに仙覚の研究姿勢を求めて万葉集研究のご論文を拝読してきたのですが、いずれも核心が見えてこなくて、膨大なそれこそ衒学的とさえいいたいくらいな研究の歴史に触れるばかりで、隔靴掻痒的にもどかしく思っていました。ダビンチコードに感謝です。

 

クリスマスローズが咲きそうです。奥の白いのはもう開いているようだけれど葉に隠れていて撮れません。明日も雨だけど、伐って花瓶にさそうかな。(今日は庭に出る気がしなくて)

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雨の吉祥寺。久しぶりにのんびり寛ぎに出てきました。こういうことができるようになって、ようやく日々の暮らしを取り戻す気分。何をしてたんだろうと考えても思い出せないくらい大変だった。でもその間も仙覚については忘れたことがなく、書けないでいる間かえって醸造期間になったと思う。

 

解釈の文学碑めぐりをお送りした方から竹御所に気を留めて頂いたお便りを頂戴したので、その方に資料を投函して吉祥寺に。ポストが駅前にあるんです。資料からその方がその先を研究してご教示頂けたら嬉しい。

 

世情がとても不穏。仙覚はこういう世情のなかで生を受けて生きていたんだなあとひしひしとその思いを感じる。

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2018.3.8 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(96)引き続き神野志隆光氏『万葉集をどう読むかー歌の「発見」と漢字世界』を拝読中です&タウンニュース鎌倉版コラム第24回「将軍惟康親王の更迭と 第九代執権北条貞時の御内人・平頼綱」を書きました

3月4日

ヒマラヤに登りたいとは思わないけれど、遠望でヒマラヤを撮りたいとずっと思っていたけれど、まだ状況が許さないし体力的にも無理。でもTLにヒマラヤの写真が流れ、TVにヒマラヤの雪解け水を引く雄大なイランの世界遺産を観て、心が晴れる。凄い時代と思うけど、イランの世界遺産のもっと凄さ。

 

仙覚に籠もったらますます独りの狭い世界になるけれど、以前と違うのはTLで外と繋がり、そへ向けて開かれていること。

 

でも、ヒマラヤの雪解け水を引いて、岩盤をくり抜いた水路に流して、巨大なダムを造って、砂漠を緑の大地にして、巨大な都市を造ったなんて。ペルセポリスの時代らしいけど、ペルセポリス、懐かしい。松本清張、夢中になって読みました。

 

3月5日

時政と運慶についての発表を終え晴れて仙覚の小説に向かえるといいたいところだけれど、タウンニュースのコラムを書かなくては。一回分だけとにかく書いてしまうしかないです。時政のこと、6ヶ月前に引き継いでの今日だけど、始まる前から楽しみと期待して頂いて、時政の魅力、結構伝わっています。

 

六波羅を正確に把握している人は少ない。平家の時代→鎌倉幕府の時代→承久の乱後の六波羅探題の時代。それぞれに平家の王朝文化の時代から源平の争乱があって鎌倉幕府の所有となり、それが時政と運慶の時代。後白河院の御所法住寺殿はそこに並行してあった。そんな雅な記憶を有するのが六波羅。

 

六波羅という地を通して人間関係や文化を見ています。そんなことを今日お話ししたから、漠然と、六波羅・・・と知っていたような知らなかったような方々が、面白い!と目覚めて下さって、時政、小説にしてよ! と。頑張ります。私も、早く書きたい。

 

3月6日

おはようございます。タウンニュース鎌倉版コラム第24回「将軍惟康親王の更迭と 第九代執権北条貞時の御内人・平頼綱」を書きました。新将軍久明親王の下向まで書きたかったのですが、恐怖政治を敷いた頼綱を書いたらもういっぱいで次回に。なので次回が楽しいゴージャスな頼綱邸の紹介になります。

 

平禅門の乱で貞時に打たれる平頼綱には宗綱・資宗の兄弟がいるのですが、一人は父と不仲で貞時に密告。一人は父と一緒に討たれる。とはずがたり後深草院二条は弟の資宗と続歌をし合う仲になりますが、どっちがどうだったかしらとしょっちゅう混乱するので入稿にあたり確認。資宗が討たれるのでした。

 

平禅門の乱の時には二条はすでに鎌倉を離れていますが、おそらく京でそれを聞いた時、どう思ったでしょう、とよく考えます。怪しい仲と噂までたてられた相手が討ち取られたと聞くなど。

 

3月7日

『吾妻鏡』に法橋の語が出たので僧位は「法印(大僧正・僧正・権僧正)―法眼(大僧都・権大僧都・少僧都・権少僧都)―法橋(大律師・律師・権律師)」となっているとご紹介したら喜ばれました。私がここに関心を持ったのは仙覚が権律師だから。で、改めて仙覚が出家して早々に権律師?となっています。

 

神野志隆光氏『万葉集をどう読むかー歌の「発見」と漢字世界』より。「要は、東国にも定型の短歌が浸透しているのを示すということです。それは中央の歌とは異なるかたちであらわれて東国性を示しますが、東歌によって、東国までも中央とおなじ定型短歌におおわれて、ひとつの歌の世界をつくるものとし

 

て確認されることとなります。そうした歌の世界をあらしめるものとして東歌の本質を見るべきです。それが『万葉集』における巻十四なのです」「方言要素を有し、在地性をつよく負うというよそおい──そのための一字一音書記──が必須であったと納得されます」

 

さっき、外で仕事していてふと顔をあげたら侘助がちょうどいい高さと向きで咲いていました。滅多にない条件です。椿の蕾はまだたくさんついています。

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ご高齢の文学の友からお便り。メールで仙覚の小説はダビンチコードのようなペダンティック文学になるかもよと伝えたから。二人の間では衒学的の語は一刀両断のもとに切り捨てる最悪の評価なのになぜかこのペダンティック文学三部作構想が面白く嵌ってしまったら、彼女も全く同じ感想で戻ってきました。 

でも、最後には、やはりどうしてもペダンティックという言葉、好きじゃないのよね、と書きながら、でもダビンチコードが薔薇の名前とともにその範疇の文学としてくくられると、それもそうだなあと妙に納得と(笑)。彼女も映画を見たそう。私も見たけど、DVD、買ったままなのを忘れてました。

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2018.3.5 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(95)引き続き神野志隆光氏『万葉集をどう読むかー歌の「発見」と漢字世界』を拝読中です

3月2日

井の頭公園西園の白梅。梅はやはり枝ぶりですね。

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先日撮った画像ですが、日本無線が社屋を解体した後に二本のヒマラヤ杉が。いつもは狭苦しく建物が背景にあった光景です。いつまで観られるでしょう。

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白梅をもう一枚。近づいて。

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近づいたらもっと近くで白梅が撮れました。

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河津桜は満開です@井の頭公園西園

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玉川上水べりにも白梅

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3月3日

今日は鎌倉で大きなイベントがあり参じる予定だったのが目眩で断念。申し訳なさとは別に私はこうして外部との接触を断たれて仙覚に専念するよう仕向けられているのだなあと感じる。ここにきて急にそういうことが増えました。神野志隆光氏『万葉集をどう読むかー歌の「発見」と漢字世界』厳粛に拝読中。

 

ポストに綺麗な宇治平等院の切手が貼られた私信のようなご封書。いつもは茶封筒でご論文をお送り下さる方だから何かしら出版記念パーティーのご案内でも?と楽しみに開封したら、解釈に載せた仙覚は誰かの問題への感謝状のようなご内容でした。『吾妻鏡』にある記事の比企氏関連の齟齬の謎が解けたと。

 

神野志隆光氏『万葉集をどう読むかー歌の「発見」と漢字世界』を面白く拝読しているのは、ここでも従来の研究の齟齬が新しい研究で解明されていっているから。仙覚は誰かの問題に取り組んで従来信奉されてきている学説の齟齬が疑問もたれていないことに鬱憤を覚えているのですが、同じようなことが。

 

神野志隆光氏『万葉集をどう読むかー歌の「発見」と漢字世界』を拝読し終わったら、仙覚がどのようにこの問題を処理していたか、仙覚の万葉集研究とその結果はどうだったのかを確認します。二条天皇の時代の万葉集研究が鍵の気が。

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2018.3.4 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(94)神野志隆光氏『万葉集をどう読むかー歌の「発見」と漢字世界』、拝読中です。

3月1日

神野志隆光氏『万葉集をどう読むかー歌の「発見」と漢字世界』が面白いです。万葉集にこんな切口の研究があったなんて。今までは歌人論とか編纂史とかばかり。仙覚を追っているとそれでは把握しきれず写本に行ったのですがでもまだ処理できず、表記の問題になって仙覚が寄り添ってきて感じられます。

 

自分の知っている範囲で万葉集研究の本を渉猟しても見えてこなかった漢字表記の歴史世界。仙覚の小説もただの歴史小説的にしか考えていずそれで安定していました。が、たまたまダヴィンチコードに触発されて万葉仮名が仙覚の小説には重要課題と気がついて表記の世界に。がらっと世界が変わりました。

 

そういえば、とやっと雲間から月光がさしてくるような感じなのですが、仙覚は最初から万葉集の例えば柿本人麻呂とか大伴家持とかは言ってないんですよね。万葉集というとつい慣習で歌や歌人世界を思ってしまいますが、仙覚が関心を持ったのは表記の問題でした。例えば題詞を高く書くか低くかなど。

 

仙覚が万葉集の何に惹かれて13歳の時に志をたてたかをずっと考えていたのですがとっかかりがなくて行き詰まっていました。奈良に行った形跡もないからどうも歌や歌人世界ではなさそうと思ってはいました。学者として「正しい形態の万葉集」を作りたかったのですね。たぶん、この方向です。

 

やっと流れが見えてきて「声」が降りてきました。天台宗寺院に預けられた仙覚は幼児期から悉曇を学んでいます。それで円仁の悉曇章に触れ、円仁が書き込んだ万葉仮名を目にします。そこから万葉仮名に興味を持って万葉集を知り、どうにかしてそれを見たい! となったわけ。最初に円仁ではなかった。

 

と、書いてわかりました。仙覚は最初から万葉集を見て「もっと知りたい」となったのでなく、全編万葉仮名で書かれた万葉集を見たかった。ということは、比企で万葉集に出逢ったと書く必要はなく、あくまでも比企では万葉仮名に執着。上洛して万葉集に出逢って「正しい表記の形態を」となった・・・

 

三月に入ったので花桃の写真を。祝・仙覚の気分です。

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今一つ仙覚の万葉集に対する立ち位置が掴めなくて彷徨っていましたが、万葉仮名の表記の世界に到って明確になって私の中で固まりました。仙覚の小説、タウンニュースのコラムを仕上げたら一気に加速して書こうと思う。なんか、武者震い気分笑

 

3月2日

おはようございます。仙覚の小説にとりかかる準備が揃ったら早く書きたい衝動が生じて昨夜はタウンニュースのコラムを書きたくなくて、それをしたら折角の仙覚の小説の霊感が萎えてしまうのは必定という思いと戦って過ごしました。起きたらコラムは書き溜めずに一回分ずつやり過ごそうという気持ちに。

 

一回分だけならそれほど引きずられずに済みます。で、今朝はもう第24回のタイトルが浮かんで「惟康親王の更迭と 執権貞時の乳母父平頼綱」。できたら今日中にでも仕上げて仙覚に戻りたい気分。もう冒頭の部分が浮かんでいます。頼綱がとはずがたり後半の主要人物です。

 

ふっと思った。仙覚の小説は上下巻になるだろうなと。いつか700枚にはなるねと言われたけど、その時はできるなら一冊の本にしたかった。でもこの内容で一冊は無理と今は自然に思ってるみたい。で、どこで分けるかって、仙覚の鎌倉入り前と鎌倉入り後。とりあえず鎌倉入り前まで仕上げたい。早く。

 

西表島付近が群発しているようです。1日22:42M5.7から始まり、M3.1、M4.3、M2.7。2日になって先ほどの11時19分M3.2までに深夜から、M3.0、M2.7、M3.3、M4.2、M3.2、M2.9、M3.0、M2.9、M3.2、M3.4。

現在のhi-net地震マップです。西表島付近は地図からはみ出ていてわかりませんが、駿河湾沖というのか紀伊半島南東沖というか、深海で大きな発震があったんですね。(体調悪かったのはそのせい?)

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2018.3.1 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(93)犬飼隆氏「日本語を文字で書く」より万葉仮名と万葉集の表記の問題で渉猟中です&タウンニュース鎌倉版コラム第23回「第六代将軍宗尊親王の 『源氏物語』と更迭」の紙面

タウンニュース鎌倉版コラム第23回「第六代将軍宗尊親王の 『源氏物語』と更迭」の紙面です。Dxhdkwnvaaa4ci_

 

201512月に始めたタウンニュース鎌倉版コラム。昨年1月から「とはずがたり」シリーズにしてやっと二条が鎌倉入りしたのだけれど、これを続けていても仙覚の小説がのびのびになるばかりだしと思い、二条が鎌倉を離れるところまで書いたら連載を終えることにしました。だから残り数回。頑張ります。

2月27日

メモ: 七世紀後半には訓よみが体系的に整備されていた/七世紀後半から八世紀はじめ、漢字が全国に普及し、訓が整備され、漢文訓読が行われ、字訓をあつめた辞書がつくられていた/源順が編纂した和名類聚抄に養老年間以前に辞書があったと記述され、引用がある。辨色立成と楊氏漢語抄という辞書。

 

メモ: 木簡の多くは、現代で言えば役所の部署間でメールを送ったり伝票をやりとりするような機能であった/この木簡のような文を書いた経験の積み重ねが、日本語の散文を文字で書く技術の発達を促したのであろう。古事記の独特の文体もその発達の過程に位置付けられる。助詞・助動詞等を詳しく文字化

 

メモ: 日本書紀に新字という字書の編纂を命ぜられたとある。日本の律令体制を整備するにあたり、漢字も最新の知識による規範を示そうとした文教政策。命ぜられた境部石積は留学帰りの知識人。このとき輸入された中古音の体系が日本の漢音体系に反映。それ以前に伝えられた音が呉音。

 

メモ: ほかに古韓音がある。上古音が朝鮮半島を経由して日本列島に伝えられたものらしい。平仮名・片仮名の字源となった万葉仮名は、この音よみを基盤にしていた。

 

連続ツイートのこと。なんか、今までにも感じたことがあるのですが、鑑真の渡来や遣唐使船の難破など仏教の大陸との交渉の大変さに比して、連続ツイートに見たそれ以前の時代の「留学帰りの知識人」のような現代の留学と全く乖離のない実情。とてもギャップがあるのですが…

 

メモ: 万葉集の和歌の万葉仮名には漢音系と呉音系の漢字音が入りまじっている。これらに対して、一般社会では古韓音系の漢字音による万葉仮名も使われ続けていた。(連続ツイート終わり)

 

追加メモ: 筆者は、和歌が天武朝の文教政策によって中国の楽府に相当するものとして成立し、官人たちのたしなみとされた事情にかかわると考えている。(以上、犬飼隆氏「日本語を文字で書く」より)

 

2月28日

おはようございます。古の文教政策に驚いた深夜ですが、はからずも万葉集に関係なく古代の日本語表記の原点を知ることになり興味津々。仙覚とどう結びついていくかまだ先行き不透明ですが、昨日みつけた神野志隆光氏『万葉集をどう読むか―歌の発見と漢字の表記』がまた木簡後らしく面白そうです。

 

神野志隆光氏のご本、辿り着くべくして辿り着いた感。行かれなかったけど関心があった日本女子大の難波津シンポ→犬飼隆氏「日本語を文字で書く」→遠藤耕太郎氏「万葉仮名は日本語表記のための発明か」(勉誠出版、未明に拝読)→神野志隆光氏のご著作。はからずも自然な流れ。みんな木簡後の世界。

 

メモ: 仙覚は万葉集や同時代の文献の確定例を拾って万葉集を訓んだ人物であり、時代の下る仙覚の訓み(新点)が古点・次点よりも妥当である場合が多いのは、そうした理由による…(新沢典子「本文批評における仮名万葉の価値」より)←そうなんだぁ~、と感動。小説の主人公としてよかった・・・

 

2月28日

(ブログを紹介して頂いた方へのお礼ツイート)こんばんは。ご紹介ありがとうございます。ダヴィンチコードから思いがけず薔薇の名前との「ペダンティック文学三部作」を目指すはめになって(笑)仙覚の万葉仮名について調べはじめたら面白くて嵌っています。仙覚は万葉仮名のどこに惹かれたのでしょうね。その謎が解けてくれるといいのですが。

 

追記:ペダンティックは、じつをいうと私と30年来の文学の友とのあいだでひそかに一刀両断のもとに相手を切り捨てる最高のけなし言葉なんです。ただの衒学的なだけよ…と。それがまさか薔薇の名前に冠されるなんてと目をみはり、ならば私も…と便乗して面白く使わせていただいています。

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