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2018.4.30 ツイッターより転載…仙覚の小説覚書(118)引き続き冨島義幸氏『平等院鳳凰堂』拝読中&建長寺様の牡丹

4月26日

おはようございます。拝読中の冨島義幸氏『平等院鳳凰堂』が楽しいです。後白河院が訪ねた宇治平等院当時は本堂があって本尊は大日如来。鳳凰堂は密教の大日如来中心の宇宙のうちの阿弥陀浄土の堂でした。なるほどと納得。また当時は屋根は木瓦葺で緑色だったと。法成寺出土の緑釉瓦を思い出しました。

 

写真は深紅の蔓薔薇の蕾。大雪で枝が折れてほとんど幹だけになってしまったのですが、小枝が延びて蕾がたくさんついています。

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続) 平等院創建当時は土壁で、今のような板壁になったのは忠実の時代の改修で。川沿いなので地盤沈下が激しく土壁にヒビが入っての改修のようです。ということは、頼道の時代にあの板壁の壁画はなかったんですね。木瓦葺に土壁、壁画はなし…と、イメージが随分変わります。建築家さんのご論考です。

 

車窓から離陸して上昇中の旅客機が見えましたした。今日は晴れて眩い陽射しが旅客機にも。ほんのわずかな機体の角度の変化でキラリと光りました。今日は鎌倉禅研究会。ブラタモリ鎌倉版に出られた三浦浩樹先生のお話を伺います。一時から建長寺様にて。どうぞお気軽にご参集下さい。

 

鎌倉も陽射しが強いです!

 

お開きになって帰りの車内。建長寺様では牡丹がもう終わりに近づいていましたが、1輪、また1輪と、撮ることはできました。蘭渓道隆様お手植えの柏槇に牡丹。建長寺様ならではの光景だったけど、上手く撮れているでしょうか。

 

牡丹は、牡丹色だけでなく、白、黄色、赤…とさまざまだけれど、やはり牡丹色というように牡丹色で見事に咲いている花を探してしまう。

 

4月27日

昨日の建長寺様の牡丹。鎌倉禅研究会FBにあげた一枚をこちらにも。柏槙の根本にほのかに日をあびて咲いていて清楚で美しかったです。

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牡丹色の一枚はこれでしょうか。日に輝いた位置に咲く一輪がなくて。

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建長寺様の牡丹をもう一枚。柏槇の下に咲いていました。帰りがけにみつけた一株です。

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NEWS】北朝鮮の金正恩党委員長と韓国の文在寅大統領が板門店で対面、11年ぶりの首脳会談

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2018.4.27 ツイッターより転載…仙覚の小説覚書(117)宇治平等院と真言密教のこと。冨島義幸氏『平等院鳳凰堂』を拝読しています

4月23日

後白河院が建春門院滋子さんに寺院を造らせようとしてわざわざ滋子さんを宇治平等院に伴ったのだから、最勝光院は宇治平等院を規範にして造られたと思うのだけれど、院が当時重視していたのは真言密教。なのに寺院を造るときには本尊が阿弥陀様の浄土教。と、これが私には理解不能で逡巡していました。

 

) それで平等院関連の本を借りて読んだりしていたのですが、どれも豪華絢爛な浄土教美術の範疇。諦めてもう平等院を追うのは止めようと図書を返却しに行った図書館で冨島義幸氏「平等院鳳凰堂」に出逢ったのでした。なぜか惹かれて拝読していたらなんか密教の気配。不思議に思ってあとがきを見たら、

 

2) 「鳳凰堂の密教要素を評価する必要性を感じたのは、あるていど平安時代の密教の建築空間を見てきたからである」と。鳳凰堂の密教要素!& これには衝撃が走りました。俄然今まで抱えていた不可解の瓦解する予感。「鳳凰堂について多少なりとも論を述べることができたのは、黒田俊雄、平雅行両氏

 

3) をはじめ、近年の仏教史研究の進展に支えられてのことである」。と、平等院関連のご本でこのお二方の登場。俄然、やっと行き着きたかったフィールドに着地の感です。(なんとなく、ここにくるまで長かった。実は内心サボっているのではと自分を責める気持ちも)。それにしても平等院に密教なんて!

 

冨島義幸氏。https://www.tbsradio.jp/yumeyume/2012/11/20121110.html

 

建築って、面白いですね。あとがきに「恩師である山岸常人先生の仏堂空間を法会から読み解く研究」とあったので、ふつつかながらも、まさに私も! と思ったのでした。

 

4月25日

おはようございます。強い雨が降っています。写真は目下満開の姫ウツギですがこの雨で痛むか心配。昨夜は新潮社の漢字講座を受講しました。校閲の講座以来プロの方のお話を聴くのが精神の安定にとてもいいことに気づいて。昨日のお話でもやはり私の書く姿勢の安定感は上昇しました。

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新潮社の漢字講座の講師は小駒勝美先生。新潮社の漢字辞典を作られた方です。でも昨夜のお講義は国語辞典。教室には言海から広辞苑にはじまり、ほぼ全出版社の国語辞典が置かれてそれぞれの特徴のお話も。楽しかったです。校閲講座と併せて私の表記の仕方への疑問が少しずつ晴れていっています。

 

新潮社さんって面白いですね。校閲部のプロ中のプロの方が講師をされる講座を開くなんて。他の出版社でもされているのでしょうか。でも新潮社さんの校閲部は他を圧倒する規模らしいからきっと違うのでしょう。私は原稿を書いていても字面に凄くこだわるのでそれで迷いが生じること多くそれで受講。

 

タウンニュース鎌倉版コラム第26回「第八代将軍久明親王の鎌倉下向」の掲載日が5月4日と連絡を頂きました。いよいよ久明親王の鎌倉下向。自分を翻弄したご深草院の皇子です。二条も院の皇子を産んでいますから我が子とは異母兄弟。若宮大路で二条はその行列を見守るのですが、胸中さぞ複雑なことでしょう。

 

このコラムも第30回で終了することにしたから9月が最終回。7月が最後の将軍第九代守邦親王、8月は仙覚と『万葉集』、最後を鎌倉滅亡と北条実時の「尾州家河内本源氏物語」で締めました。鎌倉の源氏物語の歴史は、小侍所別当として11歳から歴代将軍に仕えた北条実時の見た歴史でもありました。

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2018.4.24 ツイッターより転載…鎌倉の山藤や桐の花など日々雑感

4月22日

鎌倉の山藤。この季節、鎌倉に行くと山藤を見るのが好きです。今年は間に合わないかと諦めていたら、咲いていました。極楽寺坂付近。近くに住む鎌倉の方のお話では、「今朝、鎌倉蝶が来たよ」。今年初だそう。鎌倉蝶とは鎌倉で見る黒揚羽の総称です。

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4月23日

おはようございます。先日図書館で毛利久氏「法金剛院の造営と阿弥陀像」をコピーできず代わりにみつけた「運慶様式の形成」形成を拝読しているのですが、面白いです。奈良仏師は天平彫刻に馴染んでいたから京の仏師と違う作風になったという歴史。その流れのなかでの円成寺大日如来像なんですね。

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写真は20日の盛りの時の撮影で我が家の姫ライラックです。

 

TLに紹介されてきたCiNii 論文。何回目かで以前から気になっていたのだけれどどうしても開けなくて見送っていました。ふと思い出して国会図書館で検索したらあったので遠隔複写で申し込みました。超!嬉しい。

 

そうっか、と気がついて毛利先生のご論考も遠隔複写で入手できそう。(でも、また複数の著者さんがいる論集だから著作権で無理と断られそう 泣)

 

桐の花が満開で、撮っていたら足下に花がたくさん散り落ちていました。割と大木で高いところに咲くから初めて触りました、桐の花。なんか、感動。

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見上げて、ズームで撮った桐の花はこうです。

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第140回鎌倉禅研究会のお知らせをFBにアップしました。4月26日(木)13時~16時半 建長寺應供堂。 第一講(題未定)長谷寺観音ミュージアム主席学芸員三浦浩樹先生。 第二講 達磨大師の二入四行説   駒澤大学名誉教授石井修道先生。詳細はFBにて。写真は2014年撮影です。

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ネットで建長寺様の枝垂桜やボタンが見頃と拝見してもなかなか鎌倉に行く機会がなく、私は今年見逃しました。でも、ほんとうに建長寺様の牡丹は綺麗です。そういえば、土曜日に行った鎌倉ではもう燕が飛び交っていました。

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2018.4.22 鎌倉に行って・・・極楽寺様の琵琶演奏会からペンクラブの方々の二次会に合流

4月21日

由比ヶ浜遠望@鎌倉 極楽寺様でのイベントを終えて談話して極楽寺坂切通を案内して頂いて見えた海です。今日は波が大きいです。

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江ノ電の線路を隔てて見る極楽寺様。抜けられないイベントだったのだけれど、同じ時間にペンクラブでのイベントがあって失礼してたら、駅でその方たちとばったり。そのまま合流して今まで喧々諤々のお話を聴いていました。まだ私は聴くだけ。

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鎌倉時代の極楽寺境内は大きく、現在の極楽寺は当時の参道くらいだったそう。本堂は今の極楽寺境内をずっとはずれた奥の稲村ヶ崎小学校あたりにあったとか。寺域を知りたくても地図を見るのが苦手だったのですが、今日地元に住む方に案内して頂いてやっとピンときました。

 

極楽寺坂切通の登りきったところに上杉憲方墓があります。以前案内して頂いたことがあったので、時間があったので参拝しました。右奥に入っていくとあります。

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上杉憲方公のお墓です。

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4月22日

おはようございます。昨夜たまたま合流した会でお話を聞いていて、それは熱い文学論だったのですが、ずっと私は歴史畑に埋没していたから、そういう本格的な文学論は久しぶりで眩しく、ひっそりと一人で今書いている仙覚さんの小説に自信があったのに、この方たちと乖離している気がしてしまいました。

 

FBより)昨日、極楽寺様における【薩摩琵琶と一弦琴 演奏会】に行きました。演奏者は、薩摩琵琶・坂麗水様、一弦琴・尾崎綾・森井くみ様(師匠と弟子で母子でいられます)、笛・福原道子様。皆様、白を基調とされた高雅なお召し物でのご登壇。京のご門跡がお泊りになられた際に使われたという、極楽寺様客殿の一段高いところがちょうど舞台となって、それは高貴な風雅なひとときでした。
 
極楽寺様は境内が写真撮影不可なので撮っていませんが、白藤が咲いていました。

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2018.4.21 ツイッターより転載…日々雑感

4月20日

おはようございます。花の季節は移ろって今は躑躅が加わりました。躑躅といえば吉永小百合さんの『外科室』。それまで躑躅にあまり目をとめることがなかったのですが、あれ以来毎年見るたびに映画のシーンを思い出します。写真は16日に行った広尾の図書館、都立有栖川宮記念公園にて。

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気がつかないでいたら、こんなところに筍が生えていました。これくらいだとまだ掘って食べられます。

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最近花の写真を撮るから思うのですが、携帯用に買ったカード型カメラのキャノン。画質がほわっと柔らかく繊細で、今までの一眼レフやニコンやスマホと一線を画していて(こちらはカチッとしてコントラストが強い)、見るたびに、あれ!、と目をとめます。ただ講演の人物撮影には向かないような。

 

スーパーに手頃な豚バラ肉のブロックがあったので買って昼ごろスロークッカーに仕込んだので、今、キッチンからいい匂いがしてきています。低温でゆっくり6時間。焦げないし、人参も馬鈴薯も崩れないし、なにより美味しい角煮ができあがります。

 

スロークッカーは熱がこもるので冬にしか使わないのだけれど、今日は人がいないし、ちょうどいいから出して挑戦。考えたらこの冬は昨年来の体調の悪さを引きずっていたから重い陶製の鍋を出すのも億劫で使えなかった。なんの差し障りもなく今日調理して、ああ、健康が戻ったんだあ〜と思ったのでした。

 

4月21日

おはようございます。最近夕食後に仮寝してもしなくても4時半に目が覚めるようになってTLを見てRTさせて頂いていたのですが、終わって寝なおそうかと思ったらいいねをして下さった方が。拝見したらRTしたばかりのもの。こんな時間に起きていられる方が何人も。なんか一体感を感じてしまいました。

 

枝野さんのツイートで、今、野党にも国民にも、できることはとにかく情報を集めて一体になって意志を表明することとはっきりわかったので、やはりツイッターは情報共有の場として大切なツールと思いました。できることを、意志をあげることを、とにかくしなくては。野党の方々だけの力では無理。

 

枝野さんのツイートより: 与党を動かすのは世論の力であり、野党にできるのは情報提供と世論喚起です。

 

(18日から福田次官のセクハラ問題で私もツイッターのタイムラインが占められました。この問題に関してはまだ全貌が明らかになっていませんので、引き続き関心を寄せていきます。気がかりがあって、一件だけ転載するとこうなります。

TVでの古賀茂明氏発言を受けて

・再度RT。昨夜の会見を受けてなぜこの方が女性記者さんをご存じなのか納得。このツイートを拝見した時に謎でした。そして会見ではこの「出て来い、出て来いという状況になって本人脅えている」が語られなかったような。この方は無念の思いで報ステを降板させられたのでしたよね。ちょっと不可解が。

RT 昨日ちょっと不可解とツイートしたことの現実。危惧していたのですが、やはり。

【どうもテレビ朝日の会見は額面通りに受けてはいけないようです】)

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2018.4.18 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(116)最勝光院と宇治平等院のこと&新潮社校閲講座実技編に行きました

4月17日

おはようございます。昨日一番にとってきたかったコピーがこれ。『守覚法親王の儀礼世界』から最勝金剛院で行われた法要の式次第です。これで法要の規模がどれほどだったかがわかります。コピーしながら鳥肌立つ思いが。今は無き空間であった儀礼!

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最勝光院の空間を調べているから、先例として昨日の道中のお供は宇治平等院。平等院の空間は方形と円形の二つの天蓋が凄いですね。そこに突き刺さるかのように阿弥陀様の光背が延びていて、天蓋から視線をおろすと下界を見守って下さる阿弥陀様の視線に重なる。二つの天蓋は他に例がないそうです。

 

今日もまた道中のお供に宇治平等院。借りてきたもう一冊だけど、『魅惑の仏像8 阿弥陀如来』。このシリーズの円成寺大日如来で仙覚の小説が開眼しました。

 

『魅惑の仏像8 阿弥陀如来』より。昼に呟いた類例のない宇治平等院の方形・円形の二重の天蓋は、円形は阿弥陀様を、方形は須弥壇を覆う天蓋なのだそうです。それにしても平等院はあの天蓋と阿弥陀様の光背の反りの円環のような流れが素敵です。あの流れこそ他に類例を観ない気がするのですが。

 

4月18日

精神の自浄をはかっている、昨夜ふとそう思った。仏師が制作の前に禊をするように。#新潮社の校閲講座、後期実技編を受講して。私は書き手のほうだから校閲の実技編は必要ないと思ったのですが、あの教室の清浄な空気、シンプルに正しいことのみを追求する中心軸のブレない空間が心地いいのです。

 

ここは私が今までかかわってきた空間のどれとも違う世界。ほんとうにシンプルに、正しいことは正しいを求める世界。文学はある意味個人主体で規律がない、またないことのほうが偉い(誤解を恐れずにいえば)。歴史は、写真は、宗教はと、個人主体だとどれもたった一つの中心軸が見えないから。

 

殺伐としたTLだからせめてと貼り付けようと思っていたのを忘れました。で、改めて。

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『訓読 玉葉』より。承安元年111日。又云はく、近日、院、建春門院平等院を歴覧玉葉を読みたくても無理と思っていてら、先日図書館で訓読が開架になっているのをみつけて驚きました。これなら読めそうだけど、手にできない分厚さ。

 

一連のRT。今度ばかりは怖かった。こんなおぞましい時代になってしまってそのまま突っ走られるのかと。声をあげても、こんなひとたち、の声は捻り潰されて終わるのかと。思いがけなく早い結果。声をあげることの大切さ。今はSNSがあるから以前と状況が違うのかも。これからもRTさせて頂きます。

 

細い三日月。周囲が茂みなので明星は隠れて見えません@井の頭公園 手前は池です

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2018.4.17 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(115)朧谷寿氏「最勝光院ー院政期における仏教行事の場」を拝読しました。他

4月16日

もう外は白々。手の届かない方への愛ほど崇高なものはないのだよ、と仙覚さんの声が降りてきました。第1章を仙覚さんが生まれる「比企の乱」として始めていましたが、それを語る玄覚の冒頭をプロローグに、第1章は「北条時政と運慶」とし、京都守護に上った時政が六代御前を斬るところまでにします。

 

仙覚さんは比企の乱における六代御前で、比企の乱を起こしたのが時政だからです。比企の乱だけで考えると時政は悪者ですが、この時代の武士の殺生は単純に一方が悪いというのではないことを、時政を追っていて痛感しました。第1章で時政の魅力と人間的な逡巡を書きます。

 

おはようございます。文章が動きだしています。やはりいくらプロットができていても映像が確立しないと人も文章も動かない。やっと動き出しました。最高に美しい建春門院滋子さんを書けると思います。Da3u2lvu8aeq0m6

神保町を通るから降りてまたブックカフェと思っていたのに何故か通り越して銀座。ブックカフェでも銀座でも何故かフォロワーさんがツイート。今日はそんな日? 結局誰ともお会いせずに一人喫茶。

 

小さな大日如来様を安置する円成寺キャンペーン中とTLで見て、来ました。

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今日は広尾の図書館でコピーしたら神保町で途中下車してブックカフェでお昼して、日本橋で円成寺キャンペーンの予定だったのに、どうして神保町に気づかず通過してしまったのか、謎。でも、コピーに時間がかかったから時間ギリギリ。ちょうどよかったのはたしか。

 

著作権の関係で国会図書館の遠隔複写不可だった朧谷寿氏「最勝光院ー院政期における仏教行事の場」をコピーしてきて拝読しています。我ながら迂闊にも結びついていなくて驚いたのは、建春門院に仕えた「たまきはる」の建寿御前は当然最勝光院で仕えていた訳で、当然定家も何度も最勝光院に行ってます。

 

せっかく苦労して明月記から最勝光院の記述の条をコピーしてきたのに、朧谷氏の論文にバッチリそれが引用紹介されていました。夜に明月記を翻刻しながらご紹介しようと思ってたのに……。後ほど朧谷氏の引用をご紹介させて頂きます。

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2018.4.17 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(114)最勝光院のことから運慶に

4月14日

山本勉先生の『サライ』に寄せられた「国宝・円成寺大日如来坐像」を拝読しました。取材を受けられたツイートの時から拝読したくて何の雑誌かしらと気になっていました。サライとツイートして頂きすぐに書店に。拝読して、この坐像に思っていた通りのことが書かれていて嬉しかったです。

 

改めて写真を見るほどに円成寺の大日如来様は写実的で生きた人間のよう。運慶の他の造像と一線を画してリアル。生きた女人のようです。円成寺の解説に、庭園が浄土式と舟遊式兼備の寝殿造系と。ここにも「舟が!」と思ってしまいました。案外、最勝光院と近いかも。

 

街路樹は花水木。出がけに見た玄関先では木工薔薇が満開。木蓮がまだ咲いているし姫ライラックが咲きかけて。もったいないくらいに綺麗。(鈴蘭は植えるのが遅かったからやっと蕾が)

 

やっと寒冷アレルギーと花粉症合併の喉の不調から解放されそうで出かけられます。

 

気管支が弱い人は寒暖の差で喉をやられるってTLで読んで、いつも頂く講演が冬なのでいつも喉の不調ではらはらで、なんとか気管支を強くしなければと考えています。気管支を強くする運動って?

 

TLで流れてきて興味もったのだけれど、神保町など滅多に行かないしと思っていたら、なんと、たまたま乗換駅が神保町。帰りに降りて立ち寄りました。神保町ブックセンター。流れてきたとおりの落ち着いた空間。気持ちよかったです。

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岩波文庫や新書がずらっと並ぶ本棚の壁を見ながら寛げるブックカフェなのですが、まさか他社の本を鞄から出して読む勇気はないから早々に帰途についています() 持って出たのは新潮社とんぼの本。運慶です。メドがたって建春門院滋子さんから運慶に移りました。

 

4月15日

おはようございます。昨日行った神保町のブックカフェ。忘れられない空間になりました。こういうのが私の空間だったはずと感じたのです。考えてみると文学に挫折してから放浪の〇十年間。ずっと家族の為誰かの為何かの為で動いて自分の為という空間がなかった。それを取り戻したのが昨日。また行きます。

 

でも、家族の為誰かの為何かの為で動いていたから自分の為ができなかったというのでなく、自分の為の空間を持つほどの自分ができていなかったということ。仙覚の小説を書き始めてどんどんそういう自分ができてきて屹立に向かって、そういう時に出逢ったのが昨日の空間だったということなのです。

 

街を歩くと藤があちこちで。藤の花はやはりいいですね。最勝光院に藤棚があったかわからないけれど、建春門院滋子さんの登場場面に藤を使いたいとは思います。

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後白河院と運慶を書こうと思い今様を調べたのが3月19日。そうしたら今様ではなく真言密教だとなって関心が移り、調べていたら最勝光院と建春門院滋子が浮上。それで建春門院滋子さんを調べていたら関心が最勝光院に絞られて龍頭鷁首のことにまで。この間映画空海を観て、ここにくるまで約一か月。

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藤の咲き誇る最勝光院の苑庭で龍頭鷁首の舟遊び、綺麗でしょうね!

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2018.4.15 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(113)最勝光院と龍頭鷁首の舟

4月13日

おはようございます。ご高齢で手術もされていた文学の先輩が元気になられて自宅に帰られるということ。仙覚の小説を二人三脚でここまで引っ張ってきて下さった方。扉に捧げますと記さずに済みそうでほっとしましたが油断できないからとにかく専心してしあげなくてはと覚悟の朝。写真は宇治平等院の池。

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最勝光院から新熊野神社まで、法住寺殿から最勝光院まで、後白河院と建春門院滋子さんが船で渡ったというのですが、宇治平等院を模したという最勝光院。その宇治平等院の池といっても小さいです。船で渡るというのも距離的な問題でなく、浮かべて風雅を楽しむ程度だったのでしょうね。

 

『京の古寺から9 法金剛院』を借りてきて読んでいるのですが、法金剛院の苑池でも龍頭鷁舟を浮かべて待賢門院璋子さんが乗ったりされていたんですね。驚き。あまり大きな苑池と思っていなかったから。

 

私が寡聞にして知らないだけかもしれないけど、流通している寺院案内とか観光名所は、花や紅葉といった目を引くことがメインで、歴史にまつわる人間や、その人達がそこで育んだ文化を疎かにしている気がします。もっと、龍頭鷁舟のことなど、文化として流布させるべきでは?

 

ちょうどインスタ映えで人が集まる世の中なんだから、宇治平等院とか法金剛院に顔出しパネルのような龍頭鷁舟の写真パネルを設けたら、若いお嬢さんや外国人の観光客の方々に、文化が、ダイレクトに伝わるでしょう。

 

龍頭鷁首とは書いていないけれど私は勝手にそう読んでいて、とはずがたりにもあったと、北山准后九十賀を読み返しました。二条は後深草院に「これから船に乗るから参れ」と誘われて乗船します。そして雅な管弦の描写のあとに「釣殿遠く漕ぎ出でて見れば…海の上に出た心地」と。北山は現金閣寺辺。

 

苑池をもつ寝殿造りの文化は釣殿から乗船して遊覧を楽しむ文化が通常にあったよう。そういえば平泉毛越寺にも船が一艘配置されているし、この文化、もっと広まったらイメージが雅です! 読み返して思ったのですが、この北山准后九十賀の描写、そのまま後白河院と建春門院滋子さんの場に使えます。

 

采女祭りで猿沢池に浮かべられていた龍頭鷁首の二艘の船。先日アップしたのは鷁首の方でこれは龍頭。この時は観光のために作った簡易版の小舟と思っていたのですが、案外法金剛院も最勝光院もみんなこの程度だったのかもしれないですね。猿沢池では10数人乗船できたでしょうか、管絃もその程度かも。

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龍頭と鷁首の二艘の船です。こういう舟を苑池に浮かべて貴公子たちが管弦を奏で、女房たちが華やかな装束で同船する・・・。最勝光院でも繰り広げられた光景ではないでしょうか。(采女祭りでこの船を観られるというので奈良に行って撮りました。それほど現代では見られない光景だけれど・・・)

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2018.4.15 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(112)藤原重雄氏「行事絵・名所絵としての最勝光院御所障子絵ー法金剛院とのかかわりー」を拝読しました

4月12日

苧環が咲きました。仙覚の小説はやっと建春門院滋子さんを書ける道筋が見えて最初の一行が降りてきました。今日から打ち込みます。TLを遡って見ていたらタティングレースの写真が。懐かしいからRT。文学に専念する前、していました。余生を送るころになったら続きをしようと思ったままもう・・・

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タティングレースは、シャトルという舟形の糸巻きを指にかけたレース糸に通して編んでいきます。続きをしたい夢はまだ諦めていないけれどいつになるか。

 

国会図書館の遠隔複写に申し込んだ資料が届いて、後ひとつ関西館のを待っていたら、関西館から著作権の問題で複写を受け付けられないとのメール。それが揃えば完璧と思っていたのにショック。やはり広尾に行くしかないです。()

 

一段落して今日届いた藤原重雄氏「行事絵・名所絵としての最勝光院御所障子絵ー法金剛院とのかかわりー」に向かう。久しぶりな気のする静かな時間。家族の時間との兼ね合いでしばらく朝型の優等生的生活をするのだけれど、いつかしら疲れはててしまう。こうして深夜の時間をもってやっと人心地が。

 

部屋によってPCだったりタブレットだったりスマホだったりするのだけれど全部流れているTLのツイートが違う。あれ? さっきあったのがないとか、ん? これって向こうのにはなかったなど。どうしても必要な情報というのではなくても、気になってしまうとつい遡って探してみたり余分な時間を費やします。

 

最勝光院障子絵ー法金剛院とのかかわりー、拝読畢。面白かった。今は無き空間の障子絵を語ることでその空間に居合わせる臨場感。障子絵制作を支持する璋子さんが語られることで実際に動き出す璋子さんの像。待賢門院璋子さんの研究は建春門院滋子さんよりふくよかですね。

 

円勝寺も待賢門院璋子さんの御願寺だから、最勝光院建立にあたって法金剛院とともに参考にされ、室内装飾が類似するそう。『帝王編年記』を探さなくては。それにしても、最勝光院建立にあたっての後白河院、母待賢門院璋子さん踏襲の意図のなんて強いこと!

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2018.4.13 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(111)建春門院滋子さんの最勝光院を調べています&タウンニュース鎌倉版コラム第25回の紙面他

4月10日

タウンニュース鎌倉版コラム第25回「後深草院妃東二条院と 鎌倉の後深草院二条」の紙面です。鎌倉の方から「読みましたよ」とお便りを頂いてその勢いでスキャンしました。なので今回は紙面掲載から大分Twitterアップが早いです。(いつもは忘れてのんびり・・・)

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4月11日

おはようございます。最勝光院への流れが見えてきました。法金剛院→宇治平等院→最勝光院。これはこの背後に『源氏物語』があるということ。後白河上皇の母待賢門院璋子さんは白河上皇とともに源氏物語絵巻を作ったとされていますよね。その璋子さんと長く一緒に暮らしていた後白河上皇においてです。

 

後白河上皇は建春門院滋子さんに母待賢門院璋子さんを重ねてみていて、建春門院滋子さんに、待賢門院璋子さんの法金剛院にならう最勝光院を贈りたかったのでしょう。仏像として、宇治の定朝作阿弥陀如来→法金剛院の定朝の弟子の阿弥陀如来→最勝光院も阿弥陀様のようですが、仏師はどなたでしょう。

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康慶と思いたいのですが、証拠がないですね。この時代、仏師はこういう有名どころの仏像を各自で旅して観に行っているんでしょうね。仏像制作に研鑽するには観なくては話になりませんもの。現代の私たちだって仏像拝観には寺院を訪れるか博物館の展示。とにかく仏師は歩いたのでしょう。

 

「最勝光院は、水閣式の寺院であった」と角田文衛氏 「建春門院滋子」にあるので調べたら、水閣とは「水のほとりにある高い建物」でした。

 

) 独裁者たる後白河法皇が全力を注がれただけあって、それは「土木之壮麗、荘厳之華美、天下一之仏閣也」と称讃された。→藤原定家『明月記』に書かれているそうです。定家が65歳の時で、「青表紙本源氏物語」を完成させた翌年です。最勝光院はこの時でも天下一之荘厳華美の仏閣だったんですね。

 

応仁の乱で京都市内は焼失したから源氏物語文化を感じさせる寺院は宇治の平等院しかないと読んできたけれど、定家が最勝光院を天下一華美とたたえたのを見ると応仁の乱以前にも宇治平等院的文化の寺院はなかったのでは? と考えて、定家の時代にあった寺院ってどことどこ? と考えてしまいました。

 

案外、後白河院は道長を意識して、宇治平等院の池に龍頭鷁首の船を浮かべ管弦をして遊んだ、を踏襲したのでは?(さすが待賢門院璋子さんの子。存在に源氏物語が浸み込んでいます)

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我ながら思いがけない深夜の連続ツイート。済みません。仙覚の小説だから万葉集だけを追うつもりだったのが、源氏物語がどこともなく絡んできて、ナレーション的に仙覚に語らせているから、この流れでいくと仙覚に源氏物語について語らせなくてはならなくなってしまいそう。笑

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2018.4.11 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(110)「建春門院滋子北面歌合」に関心&『吾妻鏡』の会で

4月8日

おはようございます。松野陽一氏「建春門院滋子北面歌合について」を拝読して滋子さんは感受性ゆたかな女性だったのだと思いました。実際は俊成たちが実行したかもしれなくても滋子さんの周辺には歌合をする感性の人脈があったということ。決して美貌や賢いだけで人を引きつけたのではないですね。

 

おはようございます。松野陽一氏「建春門院滋子北面歌合について」を拝読して滋子さんは感受性ゆたかな女性だったのだと思いました。実際は俊成たちが実行したかもしれなくても滋子さんの周辺には歌合をする感性の人脈があったということ。決して美貌や賢いだけで人を引きつけたのではないですね。

 

メモ: 松本陽一氏「建春門院滋子北面歌合について」より。本歌合は、後白河院中心の歌謡文化が主流を占める宮廷文化圏にあつて、親平氏派貴族によつて支へられる、文芸性を指向した高倉朝文化圏の確立を明示するものであり、その有力な一部面としての和歌の場を確保したもの。歌壇史的に言へば、それは、俊成をして清輔と拮抗せしめる基盤を提供したものであつたといへる。

 

ただいま《下弦》です

 

水色の夕暮れの空@井の頭公園

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この後、鳥取県西部で震度5強をはじめとする地震が未明までありました。

 

4月9日

親しい方たちと談笑していても私の思考を占めているのは建春門院滋子さんだから、その話題を振ろうとしても誰も、?、となるだけなのは目に見えているから目の前にある話題についていくだけ。道中のお供に角田文衛先生の「建春門院滋子」をもって出たから帰りの車内でそれを拝読して満喫。

 

国会図書館の遠隔複写で届いた建春門院滋子さんの資料を拝読。関西館は大阪とばかり思っていたら京都でした。どうやら的が絞られてきてこの線でドラマ化に。後白河院と法住寺殿と思っていたのが、建春門院滋子さんと最勝光院。滋子さんの花、宝相華のイメージで進めます。写真は今年初の藤。

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仙覚の小説です。どこに仙覚が? と我ながら思うのですが、比企の乱を起こした時政を追っています・・・、ん? これもまたどこに時政が? ですね笑。小説は論文と違ってほんとうに肉付けがたくさん必要。こうしてみると論文は骨子。

 

4月10日

おはようございます。昨日、比企遠宗系の比企氏の方(私は比企能員系)とお会いしたら、遠宗娘の姫の前が義時の正室だったからと義時邸の話がでて、あ、それも宝戒寺様……、と気がつきました。比企氏は遠宗系が姫の前ー重時となり、能員系が若狭局ー竹御所。まるで違う歴史の流れに。写真は初花水木。

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『吾妻鏡』に頼朝が上洛する際の宿舎を造営するにあたり「邦綱卿の東山の家々を」とあり、邦綱は東山六条末に別業をもっていたらしいのですが、検索してマップを見ると五条の次が七条で、六条通りが見当たらないのは気のせい? 「件の近辺は御領之上空地多く」とあり、私的に法住寺殿跡あたり?と。

 

今まで単純に平家滅亡の後、鎌倉幕府が六波羅の地を継承し、頼朝が上洛した折はそこに宿舎を建てた、と考えていたのですが、六条末となると六波羅より南、すわなち法住寺殿跡跡となり、頼朝の宿舎は六波羅に建てたわけではない・・・、では六波羅を幕府が継承したというのは? と一行の余地。

 

(佐岐えりぬ様のご訃報に接して)佐岐えりぬ様に二回ほどお目にかかりました。二回目には「今度いらっしゃい。いろいろな方にご紹介しますよ」とまで仰って頂いたのですが、まだそこまでの自信がなくそのままにしてしまいました。時々あの時に伺っていたら高遠先生とお目にかかっていたのかしらと思います。ご冥福をお祈りいたします。

 

ここにくるまでたくさんの出会いがありました。でも私は自分に自信がもてるものがなくていつも怖気づいて機会を逸してきたのかも。でも、自信がなかったのはほんとうで、仙覚を書いている今だからわかる。今ならどんな場でも気後れしないでいられますと、様々な方に感謝とお詫びの念の今日この頃。

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2018.4.8 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(109)建春門院滋子さんを調べています&タウンニュース鎌倉版コラム第25回が掲載になりました

4月6日

おはようございます。紹介して頂いたタウンニュースのコラム。最後を以前「一流の男性を恋人にもった二条の目の辛辣さ」とツイートしましたが変えました。新潮社校閲講座の先生に「二条はそんな辛辣な女性ですか」と赤ペンを入れられそうで。校閲を学んだらこんなふうに書く姿勢が変わりました。

 

タウンニュース鎌倉版コラム第25回「後深草院妃東二条院と鎌倉の後深草院二条」の紙面が届きました。実は朝文学通信[図書出版]様にご紹介頂いた時、今日が掲載日だということを忘れていて前回のだとばかり思ってました。後になって、今日だった!となりました笑 原稿にかかると現実感が薄らぎます。

 

改めてタウンニュース鎌倉版コラム第25回「後深草院妃東二条院と鎌倉の後深草院二条」です。時頼以降の執権邸は小町の宝戒寺様。萩の寺として有名ですが鎌倉滅亡後に足利尊氏によって創建されたそう。私も今回のコラムではじめて歴史を調べました。

https://www.townnews.co.jp/0602/2018/04/06/426866.html

 

今日はタウンニュースにコラムが掲載されて紙面が届いてその関連の事務的仕事で半日消化。映画空海で楊貴妃と玄宗皇帝に建春門院滋子と後白河院を重ね合わせて映像が浮かび書こうと思った矢先にこの中断。二年半、この中断が辛かったけどそれももう終わり。最終回までの書き溜めた分を入稿しました。

 

4月7日

おはようございます。今朝の山吹です。山吹といえば玉鬘。楊貴妃は牡丹。アントワネットは薔薇。と考えて建春門院滋子は? と。映画空海は観た時よりも後になってじわじわ。楊貴妃が滋子さんの立場なのだと気づいてから楊貴妃のあの眼差しが心に食い込んで、滋子さんもああいうふうに書けたらなあと。

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TLって、開いた時に最初に目にし後で見ようと思って戻るとその記事に限ってなくなっていること多いですよね。ほとんど確実なくらいの頻度で。見ようと思ったのは知っている方だからその方を検索してゆっくり拝見しますけど、不思議。と、今も同じことが起きたので。(目に留めた時点で隠されるとか…)

 

建春門院滋子さんの花が決まりました。天上の華。宝相華です。写真は奈良猿沢池の采女祭りでの龍頭鷁首の船ですが(二艘ありました)、建春門院滋子さんが後白河院と船で最勝光院から新熊野神社に渡ったというのは、こういう船だったでしょうと想像。

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映画空海のお蔭で字面でしかなかった船の記述が現実の映像化になりました。

 

国会図書館に申し込んだ遠隔複写、松野陽一氏「建春門院北面歌合について」が届いて拝読していたら、建春門院滋子さんの母は葉室顕頼女で、俊成は顕頼の養子だったとあり、ああ、だからたまきはるの作者が女房として仕えたのだと納得しました。この遠隔複写、便利です。あと栗山圭子氏「二人の国母」

 

国会図書館の遠隔複写。国会図書館のオンライン上で申し込みます。検索して探した資料をクリックすると「遠隔複写」のボタンがあるので、そこから。今回は3日夜に申し込んで7日の今日届きました。資料によっては大阪の国会図書館になるので、一緒に頼んだそちらのはまだ届いてません。

 

国会図書館に行くのは時間的体力的に大変。よほど必要な時か、何本も溜めた時にしか行かなくなって最近はご無沙汰していました。バイトで通った時期があるから懐かしさもあって行くのが楽しみだったのですが。遠隔複写なら利用が楽になります。

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2018.4.6 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(108)映画「空海」を観てきました。玄宗皇帝と楊貴妃が後白河院と建春門院滋子さんと重なりました。

4月3日

今日はまだコラムの最終回の時のようなノリには来ていないけれど、玄覚に滋子さんを語らせていたら仙覚さんの声が降りてきて、後白河院にとって滋子さんは母待賢門院璋子なのだと。生まれた時から孤児の仙覚さんの語る母像……。まさか仙覚さんの内なる母への思慕に滋子さんが関与するとは。

 

仙覚さんの母は基子さんですが、作中一回だけ二人を会わす予定。でも、基子さんは我が子と知って会うけれど、仙覚さんは気がつかない。後年、成長した玄覚を見て、この顔に似た女性にあったことがあると気づく。それほど母を知らない仙覚さん、ということを声が降りてきて私自身がやっと気づきました。

 

4月4日

いい映画でした。空海。六本木ヒルズの中国語版で観てきました。終始切なくて目尻に涙が滲みそうに。原作では点描だった楊貴妃がきちんと主役になっていたから? 監督はさすが原作の王道テーマを引き出してますね。何より復元された長安が凄くてまだ観足りない気分。日本語版も観ようかなんて考慮中。

 

映画空海。観た方のツイートを拝見すると猫話題か空海話題。私が感じたのは、これは白楽天の長恨歌ができるまでですね。こんなに長恨歌が鍵になっている映画なんて、さすが中国! と思ってしまいました。なのに白楽天の詩は朗読されず、されたのは李白の詩。なんかこのはぐらかされ感がおかしかった。

 

今朝カーテンを開けたら満開になった黄色い山吹の輝きが。隣の白山吹も満開に。ひととき庭が輝く季節です。六本木ヒルズに行くのだから毛利庭園を撮ってこようと思っていたのに、山吹を撮ったままその辺に置いてしまったのでカメラを持って出るのを忘れました。でもお蔭で映画の余韻を満喫できました。

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(明日吉祥寺の日本語版を観ようと画策中・・・笑)空海の映画、もう十回くらい観たい! シーンがとにかく綺麗だし、いつも読んでいる空海本とか唐詩とか、そういうものの歴史空間をリアルに体験できるわけだし・・・。(私は原作を読んで楊貴妃の墓は土葬のようにイメージしていたら違ったり・・・)

 

4月5日

昨夜レースのカーテン越しに透けて見える光がいつもの月より小さく、かといって星だとしたら巨大で謎でした。起きて空を見ると煌々とした月の隣に木星。TLで読んで観たいと思っていたので嬉しかったです。今夜なら綺麗に撮れると迷ったのですがそのまま就寝。たぶん今までにない好ショットでした。

 

一夜明けての映画空海の印象が阿部寛さんの阿倍仲麻呂。楊貴妃を愛する仲麻呂が打ち明けたくても言い出せないでいたのを、楊貴妃があの時なんて言いたかったの? と問う。それでも言い出せないでただみつめるだけの仲麻呂に、楊貴妃が、わかった、目をみていたらと。阿部寛さんの眼差しが最高でした。

 

そしてそこに誰かのセリフでナレーションのように、「あの時楊貴妃はすでに自分の死を知っていた」と入るのです。死を覚悟しての阿倍仲麻呂への質問。死を前にして人生でほんとうに自分を愛してると言ってくれる言葉を聞きたかったのだと。あの映画、決して猫の映画ではありませんでした笑

 

長恨歌は源氏物語で桐壺帝と桐壺更衣の愛の象徴として用いられた詩篇。その成立に白楽天が悩み苦しむその過程が映画「空海」です。空海とともに白楽天が楊貴妃の死の謎を解き明かし、それが詩篇の完成に至ると、そういう話ですから、とにかく見ていて切ない映画でした。

 

空海の映画のエッセンスを一夜明けて自覚したわけですが、この切なさを仙覚の小説に生かします。生かしたい。時房と基子さん、それが書けるといい。

 

吉祥寺で空海(日本語版)を観てきました。吹替は最初違和感あったけど最後には忘れて映画に没入。やはり阿部寛さんの安倍仲麻呂が登場したところから圧巻。楊貴妃の美しさも昨日より際立って胸が痛くなるほど。気がつくと妖猫の幻術の要素は何も気にならなくなっていました。二回目、観てよかった!

 

映画を堪能しながら私はずっとそれを自分の作品に置き換えて観ているのですが、いつも思うのだけれど、本筋は人の愛とか想い。それを探究する役割の空海や白楽天のような登場人物はある意味狂言回しになってしまいますね。仙覚をそうはさせたくないと必死です。

 

日比谷ではパンフレットを売っていなかったので今日ゲット。中国語版の日比谷は今週で、吹替版の吉祥寺は来週、終了のようです。

 

RTの円山公園のライトアップは3月26日のだけれど、映画空海で楊貴妃が立っていることの象徴としていつもこういう感じの桜の木の下。なにかとても日本的で、そういえば玄宗皇帝が贈ったという楊貴妃の衣装も西陣織のような雰囲気で、時々、あれ、これって中国人の監督さんだったよな・・・となりました。

 

映画空海も観たしようやく静かな境地で原稿に向かっています。ちょうど書いていたのが後白河院と建春門院滋子さんだったから、映画の玄宗皇帝と楊貴妃が重なり、後白河院の寵愛ぶりが映像で目に浮かぶように。国会図書館に依頼した滋子さんの北面歌合の複写も届きそうだし、これから原稿が充実します。

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2018.4.3 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(107)建春門院滋子は待賢門院璋子! やっと晴れて仙覚の小説に専念できる状態になりました。

4月1日

一昨日井の頭公園に枝垂桜はないとツイートしましたがありました! 七井橋をわたったボート乗り場のところに。そういえば昔、ここの岸辺に一本見事な枝垂桜があって毎年最初に満開になるので撮っていたのですが、何年か前に伐られてしまいました。その時に後ろの植え込みに若い枝垂れがあったような。

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ズームで撮ってきたのだけれど、アップしてみると枝垂桜ではない? 近々そばに行って確かめてみます。

 

横になったらレースのカーテン越しに明るい月が見えました。今日から4月。3月いっぱいで終わらしたものとは気分を変えてと思ったのに校正が届いてまだ引きずって、仕方ないので思考の中だけ滋子さん。そうしたら気づいたのです。滋子さんの美しさは後白河院にとって母君の璋子さんだったのだと。

 

それにしても法金剛院と最勝光院。璋子さんと滋子さん。こんなところで璋子さん。法金剛院の阿弥陀様は院覚作と。最勝光院の阿弥陀様の仏師は誰だったのだろう。後白河院は最勝光院を造るのに滋子さんを宇治にまで連れてって。運慶は最勝光院を見てたのだから、鎌倉の永福寺には感慨深かっただろうな。

 

璋子さんと滋子さん。と、並べるだけで華やか。そして宇治平等院と最勝光院と並べるだけでも豪奢。最勝光院も鎌倉の永福寺も残ってなくて、惜しいです。

 

唐突だけれど、体幹を鍛えなければ。これが4月になっての新たな決意です。朝の一人お花見の時に唐突に降って湧いたような思い。

 

仙覚の小説に専念する新しい自分になるために。

 

4月2日

ふうっと、心から。やっと肩の荷がおりました。タウンニュース鎌倉版コラムの連載【源氏物語と鎌倉】。最終回まで書き上げてほっとしたのもつかの間校正が届いて気分が抜けられなくなり四月に突入。あ~あと思いながら写真掲載許可のことで時間を費やして、今、完了しました!

 

第25回「後深草院妃東二条院と 鎌倉の後深草院二条」のタウンニュース鎌倉版掲載は今週金曜日の4月6日。挿入写真を執権貞時邸があった宝戒寺様境内の「北条執権邸旧蹟碑」にさせて頂きました。時頼以降、ここに執権邸が。境内には大きな柏槙があって、建長寺との繋がりをほうふつとします。

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4月3日

おはようございます。国会図書館の利用カードの有効期限が切れそうで、ログインすると自動で更新とあり、したついでに建春門院滋子と検索したら、なんと建春門院滋子北面歌合に関する論文があることを発見。しかも遠隔複写で申し込める→今度から論文を探す時はこの方法でと思ってしまいました。

 

今日から晴れて建春門院滋子! です。(正確には、仙覚の小説です!)

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2018.4.1 タウンニュース鎌倉版コラム【鎌倉と源氏物語】最終回の第30回まで書き切りました!

3月30日

ワォ! っと思わず感嘆して内心で声をあげてしまいました。コラム第30回万葉集。どう書こう、今までどおりの仙覚の紹介では芸がないし、と気が乗らなかったのですが、そうだ、実時! と思いつきました。仙覚は晩年実時と交流しています。それを書きます。そうするとコラム初回と綺麗な円環に。

 

コラム第二回「真面目な少年 北条実時」の紙面です。父実泰の病気で11歳の実時が幕府の重職小侍所別当に就任したことの記事です。11歳だった少年が、コラムの進展で最終回頃には四十歳半ば。コラムの陰で一緒に成長していました。この小侍所別当になったことが『源氏物語』とかかわってきたのでした。

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まさか、この記事の結末を最終回で書くことになるなんて。無理に考えたわけでないのに書くってこういうことなのですね! 自分のなかで何かが育まれていっていました。

 

今日の桜。井の頭公園に枝垂れ桜はない(知っているかぎりでは…)のですが、西園というジブリ美術館の脇に数本あります。今日はたまたま通りかかって撮ることができました。

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こんばんは。タウンニュース鎌倉版コラム第29回「『万葉集』の仙覚と 北条実時」を書きました。これであと一回、鎌倉幕府の滅亡を書けば完結です。しみじみとした思いでTLに戻ってみれば官邸前のデモの決壊。仙覚の歴史に翻弄された大変な人生を追っているから今の時代の危うさがわかります。

 

しばらくコラムに専念して充実していたからあと最終回を書くだけになってしみじみ感慨。このまま少し余韻に浸ろうと何日かぶりにミルバ。仙覚の小説にかかったら、コラムと違い小説だから気分が激しく揺らぐでしょう。大変な生活になるなあと。でもそれが醍醐味。そんなことを思いつつ聴くミルバ。

 

3月31日

おはようございます。未明のツイートの後寝たのですがなにか興奮していて眠りが浅かったです。というのもある企画のお話を頂いていて保留にしていたのを積極的に進めてみようという気にはじめてなって。コラムが完結しそうだから先に進む気持ちが湧いたのでしょうか。コラム最終回、今日書きます。

 

玉川上水の小径も桜の季節は華やか。

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タウンニュース鎌倉版コラム【源氏物語と鎌倉】の最終回、第30回「鎌倉幕府滅亡と 『尾州家河内本源氏物語』」を書きました。これで完結。不思議なのですがまとめて書こうと決めた当初は集中して疲労困憊したのに昨日からあっという間に書けてしまう。集中が身についたのかも。今日は満月。満願です。

 

三月尽。私的にはタウンニュース鎌倉版コラムの完結。ようやく落ち着いて昨年12月から手つかずだった一行十年日記に着手して終了。やっとほんとうに落ち着きました。先日30日に木蓮が咲いた写真をアップしましたが、昨年も同じ日に開花。ただ昨年は一、二輪。今年は一挙に満開風情。今夜は満月です。

 

タウンニュース鎌倉版コラム第25回「後深草院妃東二条院と 鎌倉の後深草院二条」の掲載が4月6日とのこと。最終回まで完結して気分が離れていたので一瞬、次を書かなくては!、みたいに煽られてしまいました。

4月1日

おはようございます。TLの花筏の言葉に誘発されて撮りに来たのですが、井の頭公園では不発。ここ何年か絶好の花筏が見られません。湧水の流れが変わったのでしょうか。前は神田川に流れ込むあたりで見事でした。そこに鴛鴦が泳いでいたりして。

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一人お花見の空。自販で缶コーヒーを買って。今日の池ではキンクロハジロが泳いでいます。

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野口雨情の碑@井の頭公園 撮っていたら脇を杖をついてゆっくり歩くお母様を見守りながら通る女性。何年か前に私がしていたこと。大切だった時間。Dzp_xlcvmaauowg

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