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2018.5.30 ツイッターから転載…運慶と建春門院滋子さんの短編覚書(104)たまきはる・玉葉を読むなど

5月27日

本当にもうこういう時間ではないけれど おはようございます笑 昨日まで私は運慶が東寺に通って伝真言院曼荼羅を観て仏さまが生きてるような作風を学んだということで書こうとしていたのですが 円成寺大日如来像が講堂の立体曼荼羅の影響下なら 伝真言院曼荼羅は書く必要がなくなったことが判明

 

私は文章の人だからどうしても発想が二次元 運慶を東寺に通わせても立体曼荼羅をあえて避けていました 昨年夏以降 時政との関連で運慶に入って 様々なご論を拝読する中で彫刻という三次元世界の見方・楽しみ方を知ったのですが いざ原稿にかかったら思考はまだ二次元にしか気が向かなかったんですね笑

 

でも結局私の世界は真言密教 後白河院を書くなら今様をと調べて始めて 違う 今様は必要ない 真言密教! となり そこから運慶自身を真言密教の人とするまで こんなに時間がかかりました

 

九条兼実本がいつもと違い分館にあったので行って ついでに運慶本を見たら『院政期の仏像―定朝から運慶へ―』という大型本があって 今朝から拝読 必要な箇所をコピーしてきました(重かった…) 平等院鳳凰堂の阿弥陀呪のこととか 康慶とか 今までたどってきたことのおさらいになりました

 

5月28日

「たまきはる」に戻りました 熟読している余裕はないので 目を通し終わったら原稿にかかります 東寺講堂の立体曼荼羅で決着がついて ようやく動いてきています たまたま先日運慶を巡るツアーで行った最初の寺院が東寺 円成寺が目的だったからおまけの気分だったのに こんなに重要になってくるとは

 

おはようございます 昨夜たまきはるを読了して就寝 法住寺殿最勝光院法金剛院後白河院建春門院兼実光能経房修正会 みんなここのところじっくり育ててきた原稿の世界 そこに建春門院滋子さんの生の声が入って 健御前と滋子さんの関係は紫式部と彰子中宮 やっとたまきはるの世界が入ってきました

 

5月29日

おはようございます 鹿さんのRTをさせて頂いたので私も鹿さんを 昨日は創造的なことの一切できない一日でした でもコピーはしたかな そんな日でも頭の中はずっと思考が持続 かえって醸造になっていいというのは長年の経験 ツアーでは軽く考えていた東寺講堂 今頃になってひしひしときています

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慌てて飛び出るのに道中のお供は と探して一番手っ取り早くそこにあったコピーを 現代語訳玉葉 ほんとうにこの玉葉 通しで全部読めたらいいのだけれど 経房の吉記も

 

帰宅しました どういう方たちがいらしてるのだろう と不思議に思う新潮社の漢字講座 私みたいな表現者の側の人間ではない気がする かといって校閲の講座のような編集者さんとも違う 学校とか塾の先生? 今日は漢和辞典 マニアックな世界! と思いながら楽しんで受講してきました

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2018.5.29 ツイッターから転載…運慶と建春門院滋子さんの短編覚書(103)運慶と真言密教と東寺

5月25日

7月の鎌倉の講演 タイトル案をそのまま受け入れて頂きpdfでチラシが届きました 会員様だけの聴講だったらここでのお知らせも意味ないと思っていたのですが チラシを作ったということは…となっています 公募するのか訊ねてみます 【源氏物語の歴史と鎌倉の文化~鎌倉の公家文化をひもとく~】

 

5月26日

おはようございます の時間でもないけれど 家族に使う時間がなければもっと調べ物も原稿も進むのに と思うことしきりだけれど この相克や葛藤があるから原稿に血が通ってくる体験を今していると思う 以前はこうではなかった 文学は生活を超越してありたいと思っていました でも 今の方が大切

 

もう蔵書を増やさないと決めてから運慶に入ったので 上野の図録も買わずに我慢していたのだけれど 円成寺で大日如来像の脇に置かれているのを参加者の一人の女性がご覧になっていて 大日如来像があまりに綺麗で でも撮影禁止だからこの本でもいいから買いたいと仰って 私もついに買わなければかも

 

昨夜 毎日新聞社刊の『魅惑の仏像28 大日如来』をネットで買ってしまったばかり 大日如来のタイトルですが 円成寺の大日如来像だけの特集です まさかまさかの勢いで蔵書を増やさない覚悟がなし崩しになっていく・・・

 

緑が深くなってきました@井の頭公園の雑木林

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運慶が空海を と書こうとしてどっちも同じひとりの人に感じ 一瞬こんがらがってしまうことしきり 似た漢字の二文字の人だからというより なんか似ている気のするこのふたり

 

ミネルヴァの九条兼実を借りてきて拝読中なのですが 最勝光院辺りの事情を必要箇所だけピックアップしてと思うのに 著者の方が国文学者でいられるから 歴史学者の方の文章と違いほわっとしてられて 箇条書的な把握ができず こんなところで文学と歴史叙述との文章の違いを考えさせられています

 

ミネルヴァの九条兼実を諦め 一緒に借りてきた塩澤寛樹氏『仏師たちの南都復興』を開いたら 兼実の寺院への関わりが詳しくありました このご本 刊行後すぐに購入したのですが後輩に差し上げてしまっていて もう私はいろんなことを諦めたとその時は思っても 人生ってどう動くかわからないものですね

 

『仏師たちの南都復興』をざっと拝読したのですが 私が知りたい最勝光院辺りの運慶は 南都焼討以前だから知りたいことの解決にはなりませんでした  次に移った山本勉先生『運慶にであう』に衝撃的なことが 円成寺大日如来像について「この像が平安時代初めの密教彫刻を意識して造られた」と 平安時代

 

初めの密教彫刻って何? と俄然色めきたってしまいました それまで私は運慶と東寺講堂の立体曼荼羅の関係については ずっと後年の修理に携わったことしか読んで来なかったので まさか東寺講堂のこととは思いもよりませんでした でも その東寺講堂の項で 山本先生はこう書かれています 「東寺講堂の諸像

 

は、日本に密教をもたらした空海の構想で造られた立体曼荼羅です」「円成寺像以下の一連の大日如来像も東寺講堂像を意識したものだったと考えられるのです」 びっくりして眠気が吹き飛んでしまいました 私は勝手に若い運慶があれほどの大日如来像を造るには相当な真言密教への学びがあったはずとして

 

運慶は東寺に通っていたと原稿で書き進めていたのです そして講堂の立体曼荼羅を見たり曼荼羅を見たりして 定朝風とは違う立体的な作風を身につけたとしていました それが日中の「運慶が空海を」と書くとこんがらかってしまうという呟きでした 円成寺の大日如来像 そういえば帝釈天様に似てられるかも

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長い長い1日でした 図書館に行って 借りてきた本を渉猟して とにかく書き進めている原稿の裏打ちを掴みたくて そうしたらまさにそのものズバリの手ごたえを得ることになって 頑張って読んできた甲斐がありました 感謝して寝ることにします(と言いつつ 興奮して眠れそうにないかも)

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2018.5.27 ツイッターから転載…運慶と建春門院滋子さんの短編覚書(102)運慶を巡るツアーのこと

5月24日

運慶を巡るツアー(1)京都市・東寺 運慶は40代後半に一門を率いて講堂の立体曼荼羅像を修復と。運慶の年譜に東寺はそうでてきますが、最近私は運慶はもっと若い頃に東寺に通って真言密教に(特に曼荼羅に)親しんでいたのではないかという見解をもっています。証明はできませんが。

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運慶を巡るツアー(2)奈良県天理市・長岳寺 最初の玉眼技法の御ほとけとして上野の運慶展にもおでまし頂いた阿弥陀三尊像の寺院です。ご住職様のお話に「円成寺の大日如来像に似ている」とあり、上野ではそうは気づかなかったので驚きました。そう言われて拝観するとたしかにお顔の輪郭が・・・

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運慶を巡るツアー(3)奈良市・興福寺 南都焼討のあと奈良仏師の活躍の場となった興福寺。でも、それ以前の運慶は父康慶とともに京都に基盤があったんですよね。運慶14歳ころの蓮華王院とか。さらに法住寺殿に隣接してあることの法性寺。兼実との関係が気になっています。

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運慶を巡るツアー(4)奈良市・東大寺 小学校のころ「仁王像の運慶」をインプットされて知ったから運慶は好きではありませんでした。なので東大寺に行ってもこの南大門仁王像に興味なくて…。今回はじめてです。気持ちを込めて拝観したのは。デビュー作の大日如来像とのあまりの違いが不思議です。

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運慶を巡るツアー(5)奈良市・円成寺 運慶作の大日如来像が納められていた後白河院寄進の最初の堂は失われ、その後茅葺屋根のお堂にいらしたそうですが、大正時代に現在の多宝塔が造られ、茅葺屋根のお堂は鎌倉の長寿寺に移築。大日如来像が長くましまされていたそのお堂に近々行きたく。

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昨日の運慶を巡るツアーで拝観させて頂いた寺院を、訪ねた順にアップしました。たぶん運慶は全部の寺院に足を運んでいるはず。そう思いつつそれらの地を踏みしめて歩きました。

 

5月25日

おはようございます。興福寺国宝館に信円像があって、あ、信円さま、と立ち止まってしまったのですが、南都焼討後の興福寺復興に尽力された別当でいられます。九条兼実の異母兄弟。兼実も興福寺復興には信円を応援して尽力。そんなことから兼実と運慶の父慶派との関係をもっと追求したくなっています。

 

奈良仏師慶派というけれど、康慶や運慶が奈良とかかわるのは南都焼討後の復興から顕著で、私にはそれ以前は京都との関係のほうが深く見えてならなくて・・・。いよいよミネルヴァの九条兼実を読まなくてはかも。

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2018.5.24 ツイッターから転載…運慶と建春門院滋子さんの短編覚書(101…今までの分を100としてこれからシリーズ化)『たまきはる』の再読&円成寺に行きました!

5月22日

おはようございます 昨夜から『たまきはる』を この古典が建春門院滋子さんを描写しているのは知っていましたし 何度か目を通してもいましたが 今回滋子さんを書くにあたり 滋子さん像が影響されるのを回避したく もう読まないと決めていたのです でも今様について書かれていたか否かの確認に

 

読み始めてびっくり 今までこの古典は苦手でした 何回読んでも面白くなくて中断 紫式部日記や和泉式部日記と違い この作品は筆者の感情がないんです でもここのところ法住寺殿や最勝光院について調べてある程度熟知したから 再読に入ったら 文章のなかが俄然生きて映像が目に見えるよう

5月23日

帰宅しました 「うましうるわし奈良」の円成寺に行ってきました TLで運慶を巡る旅というツアーが流れてきてそれに便乗 新幹線で京都に集結したあとは貸し切りバス 東寺→長岳寺→興福寺→東大寺→円成寺 大日如来像とも再会 夢のようなツアーでした のちほど詳細をアップします

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5月24日

おはようございます 昨日はほんとうに長い距離の移動 円成寺が最後でした その最後に撮ったのがこの写真 円成寺は花と文化財の寺らしいのだけれど 花が終わって青葉の季節 残っていた花が枯れた花に混じって 病で早世した建春門院滋子さん崩御の年に造られた大日如来像を象徴しているようでした

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円成寺は舟遊式浄土式庭園 往時はもっと苑池が大きかったようですが それでも往時の優雅なを感じることはできました 考えてみると結局わたしは浄土式庭園のある寺院が好きみたい 称名寺にはじまって知った浄土式庭園 そこから宇治平等院→平泉となって 円成寺がそうと知った時には驚きました

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興福寺の鹿さんたち 鹿さんって動きが優美ですね 眼差しが穏やかで・・・ 東大寺で鹿にみとれて鹿ばかり見ながらツアーのあとをついて行ったら 道を見てなくて覚えてないから 帰ろうとして道がわからず 危うく迷子になるところでした

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極楽からもどった気分の日常 日々の片づけものをしながら ぼちぼちと昨日の成果をまとめます

 

メモ:円成寺ご住職様のお話 本堂の阿弥陀堂にて 柱に聖衆来迎二十五菩薩の絵 ご住職様が円成寺は極楽なんですよと 苑池をはさんであちら側が此岸 こちらが極楽 と言っても往生したわけでなく 真言密教では空海様が生きたこの身自身がほとけだと 極楽に行きたいと思ったらまたいらして下さいと

 

そういえば、同じく浄土式庭園をもつ称名寺でも同様のお話を伺ったことがある 学芸員の方からです 鎌倉は地獄の責め苦を得て滅びた 朝比奈峠を隔てたこちら側は極楽で残っていると 浄土式庭園をもつ寺院には浄土という浄化された思想が底にあるのかもしれない

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2018.5.21 ツイッターから転載…小駒勝美先生『漢字は日本語である』を拝読して他

5月19日

おはようございます RTのエリザベス女王の王冠の予告 昨日もRTして なんで王冠が好きかって考えたら王冠そのものでなく 王冠を見ると歴史が見えるからなのよねと言ったら 家人に 当たり前だろ 誰もフェイクの王冠を見て感動するわけない と呆れられました それはそう フェイクの王冠なんて笑

 

滋子さんの短編 後白河院を書くなら今様も入れなくてはと始めたら突然トーンダウン 調べていた時もそうだった 今様を調べはじめてつまらなくなり 真言密教! と思いついたら詩神が降りてきて展開した どうも私は芸事が苦手 院と今様 切り離せないみたいになっているのは単に梁塵秘抄のせい?

 

梁塵秘抄 国文学的には重要だけど 文学的にも院の個性がでるから必要のようだけど 不思議なことに滋子さんに絡んでこない それより滋子さんは院が熊野詣に行っている留守に俊成が判者の北面歌合を開催したりして 滋子さん 院の今様狂いをどう思っていたのでしょう

 

いつもと違う道を通ったら

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5月20日

おはようございます 昨夜はTVエリザベス女王の王冠を堪能 昨日から新潮社漢字講座の講師小駒勝美先生『漢字は日本語である』を拝読しています そうだったのか~と 今まで抱えていた私のなかの「揺らぎ」がみるみる解消 書いていて辞書を調べても納得できない漢字の表記にやっと納得がいきました

 

私は以前は辞書を調べてもいたのですが あるとき仙人掌が読めなくて調べた時にどうやってもサボテンとでなくて諦めたことがあり 「おなか」を漢字で書こうとしても「お腹」だとルビを振らなくてはいけないのかしらと悩んだり だんだん辞書不信になって調べなくなっていました そういう謎が全部氷解

 

TLで校閲講座をみつけて通おうと思ったのは 私のなかに巣食っているこうしたしつこい揺らぎが解決できるかの望みを得て申し込んだのですが 校閲の講座では文章に対する真摯な姿勢を学びました そこで漢字講座もあることを知り 受講して このご著書に出逢い やっと当初の望みを果たした感

 

坐と座 私はどちらを使うべきか時々迷っていたのですが 坐は常用漢字でないから この字の意味はすべて座を使うことと でも座は「すわる位置」の意だから座席など 坐は「すわる行為」だから坐禅 こんなに明瞭な違いがあるのにいっしょくたに座を使えとは・・・(『漢字は日本語である』)

 

葛飾区の葛 先日も鎌倉禅研究会FBの入力をしていて 中が「ヒ」になっている葛ができなかった それも『漢字は日本語である』で謎が解けました 奈良葛城市のHPを確かめると 「葛」の文字は公式の表記と異なる可能性があります とあり公式の漢字が私のPCでは出ない JISコードのせいらしいです

5月21日

TLの呟きの世界の広さに反してなんと私の世界は小さいのだろうと思いつつ 一つ一つの漢字の迷いが払拭され 晴れて壮大な世界を手に入れたような爽快感 表記の揺らぎが一つ一つの漢字の迷いだったからなんて 脳裏にするか脳裡にするか 坐にしたいのだけれど座が正しいみたい の呪縛から解放されて

 

 

小駒勝美先生『漢字は日本語である』を拝読して でした

 

 

山本先生、ありがとうございます。常用漢字のこと、ひどいことになっているのですね。少なくとも坐と座はこれほど崇高性が違うのだから、両方使えて使い分けできるようにすべきと思いますし、そういう漢字がほかにも散見されることを憂えました。

 

 

山本先生、私は書く者としての立場としてなにか釈然としないものをずっと抱えていました。それが何に起因するのかわからず、迷いがある自分を不甲斐なく思い、それで校閲の講座を受講したりしたのですが、その結果として見えてきたのが常用漢字の問題でした。もう少し取り組んで考えてみます。

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2018.5.19 ツイッターから転載…滋子さんの短編のこと&新潮社校閲講座のこと&鎌倉禅研究会FBをアップしました

5月16日

時政と運慶、いいテーマです。筆録されてこなかった歴史の一コマを如実にあぶり出すことができるのは・・・小説家の独自な発想。おしみなく御提示下さい、とお便りを頂きました。いつもこんなふうに支援して下さる方がいるから励まされ書き進んでいます。

 

タイトルが、書くたびに日々変わっていたのですが、今日原稿に向かおうとしてふっと思いついたタイトル、今までの「理」で進めていた試行錯誤と違ってこれでいい! となりそう。

 

校閲の講座の事を呟いたら文学関係の方がRTして下さったりして、ずっと文学を離れて歴史や鎌倉の世界に埋没していたから、なんか、社会に甦ったような感覚で楽しく、フォローさせて頂いてしまいました。書くことはひとりの世界ですが、棲む住人として文学に戻りたい・・・

 

5月17日

おはようございます 柏葉紫陽花が咲き始めました 滋子さんの短編 書き出して順調だったのに昨日私事で気の抜けないことがあったら動かなくなり 今朝になってやっと段落冒頭の一行が浮かんで今日は書き進めそう 日常の苦しみはできることなら免れたいけど それがあるから原稿に命を吹き込めます

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5月18日

素敵なお便り 私が小説が原点なことを知ってらして鎌倉の源氏物語も推して下さった方に 鎌倉の源氏物語が一段落し今は長編「仙覚―存在を消して生きた男―」にとりかかっているとご報告したら お仕事で大役を果たされたあとなのに さらなる大役をお引き受けされとりかかっていられるとのこと 驚き!

 

「仙覚―存在を消して生きた男―」は一時中断で今は建春門院滋子さんの短編に入っているけれど ほんとうにこの仙覚さんも滋子さんも 私が書かなければまだ誰も書いていない世界だから闇に埋もれてしまう 必死でとりかからなければの思いは強いのですが・・・(日常との葛藤です)

 

滋子さんの短編 昨夜 後白河上皇の即位のあたりの事情を書くのに二条天皇を登場させたら 二条天皇こそ万葉集の研究を進めて仙覚に影響を与えた方ということが思い出され 滋子さんの小説に万葉集は関係ないのにどうしようとなっています 文化は生きた人間の紡ぎ出すものだからあちこちで繋がります

 

5月18日

語彙の彙はハリネズミが語源! とは知りませんでした 新潮社校閲講座の井上孝夫先生が紹介されている『日経 おとなのoff』6月号 特集「おとなの語彙トレ」 を買ってきました 講座の復習もかねて 結構私言葉に対して曖昧だったと反省することしきり 遊び感覚でまじめに読みたいと思う

 

鎌倉禅研究会第141回例会の詳細をアップしました。高橋慎一朗先生が最近出版された『鎌倉の歴史―谷戸めぐりのススメ―』についてお話しして下さいました。「谷戸の地形は中世以来ほとんど変わらずに残っていて、それは鎌倉武士が入ってきた時、大胆な変え方をせずに…」

https://www.facebook.com/kamakurazenken/?section=DRAFTS&sort[0]=edited_by_descending

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2018.5.16 ツイッターから転載…短編のことで、運慶の仏教観について&新潮社校閲講座実技編

5月15日

おはようございます 昨日は終日真鍋俊照先生『空海の言葉と芸術』を拝読 大日経について知りたくて 教義を丸写しでなくどう書いたらそうなるか悩んでいたのですが 本棚から空海の本を出そうとしたら最初にこのご本が出て これだ! とすぐに読み始めました 何度読んでも震えがきます このご著書は

 

真鍋俊照先生『空海のことばと芸術』より:結局、体とことばと心、この三つのはたらきが一体になる。いってみればこれはインド以来の伝統的な考えであり、『大日経』の有名な教えです ←まさか短編の冒頭から空海を書くことになるなど思ってもいませんでしたが、考えてみればこれは必定でした。

 

「密教では、こういう脈絡をすべて宇宙的生命の根源におき、一体感としてとらえる。つまり体の中にあるはたらき、それから相対する仏とのはたらきということを想定しまして、それを生仏不二、仏と私は一体なのであると教えております」「これはどういうことかといいますと、密教では宇宙と自己の本体を

 

とらえて、そのつながりを、体の中にある身体自身のありよう、ことば、心という三つのはたらきを通して、哲学的に宇宙というものをとらえようということなのです」(『空海のことばと芸術』)…これはまさに冨島義幸氏『平等院鳳凰堂』にあった阿弥陀呪のドラマティックな連環!

 

運慶という仏師の造仏のリアル感。技術力もあるのでしょうけれど、仏教観に平安仏師との違いが大きくある気がしてきました。運慶は東寺の曼荼羅を観ていたでしょうね。法住寺殿辺りから東寺は近いし。

 

大きくいって、平安仏師は「ほとけを彫る」。運慶は「人間を彫る」。なぜなら、もし大日経を読んでいたとしてですが、大日経においては人間はほとけと同一だから。人間主体の仏教観あっての後年の無著像の気がします。法相宗も人が主体ですものね。

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5月15日

新潮社の校閲講座。実技編第二回目が終わり帰宅前に一人珈琲中。今日は素読みとかで何も校正されていない印刷物を配られて挑戦。たぶん他の受講生さんは皆様校正をお仕事にされている方たちだから迷わないでしょうけど、書き手の立場で参加している私は不安。でもやってみたら大体できてました。

 

書き手は原稿を入稿して校閲さんに委ねればいいのでしょうけれど、世の中に校閲という世界のあることを知ってしまったら、どういうことを注意して書くのが作家としての正しい姿勢か、それを知りたくて入門編を受講。そうしたら正しい姿勢というのが心地よくて実技編まで笑

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2018.5.15 ツイッターから転載…最勝光院滋子さんの短編のこと…冒頭の一行が決まりました

5月12日

速攻で決まりました、という感じで7月に講演させて頂くことが決まりました。朝にメールで拝見して了承のお返事をしたら、もう日程と会場が決まったメール。で、タイトルをどうしましょうとあって、「源氏物語の歴史と鎌倉の文化 ~鎌倉の公家文化をひもどく~」は如何でしょうと、今返信しました。

 

それまでのあいだに短編を仕上げなくては!

 

鎌倉の公家文化をひもどく。これが私のメインテーマのはずなのに、仙覚の小説で時政に絡んで運慶という人物を登場させたら最勝光院という寺院の魅力に嵌って泥沼のように抜け出せない。それを禅研究会の打ち上げの席でぼやいたら、皆様鎌倉の歴史の重鎮なのに、そうなんだよなあ、結局京都・・・と

 

5月13日

おはようございます。吉祥寺の小さな映画館でまもなく上映と。観たいけど。ずっと短編のことを考えているから昨日ふっとこんな文体にしたらという文章が湧きました。御法巻の影響。惹かれて、でもまだ書き始めてません。

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南廂。廂というと外の気がして、でも寝殿造りでは中なのは知っているけど、となって源氏物語図典を確認。修二会で院や滋子さんは南廂ですが、源氏物語でも高位な人は南廂。修二会は法会だけれど、源氏物語の女楽もこの廂を割り当ててるんですね。

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南廂の障子を取り払って、という障子は中の間との間を仕切る障子でしょうか。ほかに障子はないですものね。法会など、主催者、参会者が廂の間とはわかりましたが、法会の場合、一般市民は外から眺められたのでしょうか。御所と違い、寺院だから開放されていたでしょうね。など、いろいろ思考中。

 

そうえいば、寺院の法会も、法会がある時の寺院は一般拝観ができませんね。最勝光院での修二会もおそらくそうで、一般市民は見られなかったでしょう。

 

冒頭の一行が決まったかも。おのずと文体もこれに沿います。

 

タイトルも以前浮かんだのとテーマが違うので変えます。

 

雨の吉祥寺。母の日商戦のデパ地下に同情。カメラマンだった父早世の後父の副業だった写真店を継いで母と二人で頑張った身には、晴儀の日の雨が辛いのは何十年たった今も他人事ではない。世の中はいろいろ苦しいこと多く、そんな思いが冒頭の一行に。華麗な最勝光院を書くのに苦しみから始めようとは。

 

ほんとうに、仏師はどうやって仏教を学んでいたのだろう。図書館のない時代、空海の秘蔵宝鑰など、手元に抱えて読めるとは思わないのだけれど。と、こんなところで執筆が停滞しています泣

 

でも、仏師が読むとしたら、空海の書は何だろう。ふっと今秘蔵宝鑰と書いたけれど、それは私が一番好きだからだけのことで、正式に学ぶ人は何から? と、種々迷うこと多しです。

 

明日になったら、本棚から、奥まってしまった空海の一連の本を出してみます。

 

5月14日

まさか短編がこんな展開になるなんて すべては鎌倉禅研究会で田辺聖子さんの『絵草子源氏物語』を頂いたことから 御法巻に紫の上が法会を執り行ったとあり それを紫式部がどう書いているのか原文で確かめたら 源氏物語が苦しみを基盤とした文学だということが思い出されて冒頭の一節に そこから空海に

 

表記を模索しているのですが、TLで句読点を全く使わずただ一マス開けるだけのツイートを拝見して惹かれ、試したら結構お気に入り。他に会話の後の、と言った、を次の段落として一字サゲと習ったのですが、私は下げたくない。昨夜正訳源氏物語を拝読していたらサゲてなくて、やはりサゲない方が綺麗。

 

やっと繋がりました なんて頭の固いこと! あんなに中世の文化センターとしての役割の金沢文庫に行ってたのに 図書館がなかった時代は寺院が地域の文化センターの役割を担っていました だから仏師もたぶん寺院に 図書館で借りて自分の家で夜更かししながらという固定観念をはずすのが大変でした

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2018.5.12 ツイッターから転載…タウンニュース鎌倉版コラム【鎌倉と源氏物語】第26回「第八代将軍久明親王の鎌倉下向」の紙面&最勝光院での法会のこと

5月11日

タウンニュース鎌倉版コラム【鎌倉と源氏物語】第26回「第八代将軍久明親王の鎌倉下向」の紙面です。

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最勝光院における修二会と理趣三昧を、ご論考から行われた仏堂を絵図にしてみたらこうなりました。(雑で稚拙過ぎますが笑)。修二会は宇治平等院鳳凰堂で言ったら中央の阿弥陀堂。理趣三昧は翼廊で繋がれた南の持仏堂。間違ってるでしょうか。

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5月12日

おはようございますという時間でもありませんが笑。たまたま田辺聖子さんの『絵草子源氏物語』を拝読した時だったので、御法巻に紫の上が法華経供養の法会をすることが書かれていたと気づき、昨夜原文を読みました。紫式部がどんなふうに書いているかを知りたくて。さすがでした。こなれていて、視点が

 

しっかり地に足ついていて。よく見る法会の状況報告とは全く一線を画していました。感動。でもそれは紫式部が実際に道長の宮廷で内側から法会の準備を見ていられたからなんですよね。運慶の短編で最勝光院での修二会を書くのですが、とにかく状況の羅列にしかないというふうにはしたくないです。

 

それにしても、御法巻は何回読んだかわからないくらいなのに、法会については全然興味が湧かなくて、読み飛ばしたわけでないのに記憶にとどまっていませんでした。熟読して、この法会の描写にも紫式部や紫の上の思いが溢れて、文章が生きていて感動。読み手のレベルでこうも読めたり見落としたり。

 

源氏物語は今のレベルでもう一度読まなければいけないかも。

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2018.5.11 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(122)最勝光院滋子さんと運慶の章を短編に仕立てたくなってきました&鎌倉禅研究会のことなど

5月8日

鎌倉禅研究会FBに、いいね、をして下さった方が200名になりました。ありがとうございます。10日(木)の5月例会、高橋慎一朗先生『鎌倉の歴史 谷戸めぐりのススメ』は反響が大きいです。

 

寒いですね。なので思い切り窓を開けて部屋の空気の入れ替えのついでに念を入れて掃除。冬の朝みたいな清々しい部屋になりました。

 

映画空海をまた観たいと時々思う。そんな時目に浮かぶのは空海が娼窟で踊る麗香の手をとってさり気なく誘導しつつ踊るところ。びっくりした麗香が時々ちらちらと空海を見上げたり振り返ったりしながら、それでも仕方なくさり気なく踊り続けるおかしさ。白い法衣の空海が優雅で、忘れられない場面です。

 

5月9日

おはようございます。まだ冒頭の一行が降りて来ないので運慶の章を書き出せないのですが、そのあいだに読めないでいたご論考が見つかったりして、たぶん新しい展開が準備されているのだと思う。ここだけ回想録でなく劇中劇のような掌編に仕立てたく思っているのですが、ふっと源氏物語的に! と。

 

と、呟いたら、運慶の章を飛び越えて、それを受けた時政の章の冒頭が湧いてしまいました笑。( あえて書き分けていますが、降りてくると、湧くは、作品における文体の質が決定的に違います )

 

昔、野坂昭如さんが誰か別の作家の文体をそっくり真似て小説を書くのが天才的に上手いと読んだ記憶があるのだけれど、こんな時のために源氏物語を筆写して文体のエッセンスを身につけておけばよかった……などと( こういう時に浮かぶのは必ず冬の霜夜の月光の一文……)

 

ついさっきTVで山辺の道散歩で長岳寺さんを。東博で拝観した阿弥陀三尊像の本堂に納まった本来のお姿を観ることができました。運慶と最勝光院滋子さんの章がだんだん劇中劇では収まらず短編になっていく予感が。そうした方がいいかも。というのは、そうした方が仙覚さんが進むかも。

 

5月10日

おはようございます。寒い朝。さっき突然、短編のタイトルが浮かびました。このことをメモ的に記念にツイート。いつもは書き終わる寸前くらいになって決まるのですが、今回のは仙覚の小説のなかで存分に熟していたからと思います。

 

雨に濡れる仏殿@建長寺様 鎌倉でも時々稲光

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会が終わって部屋を出たら眩しい陽射しにびっくり。雷雨に土砂降りだったのに。今は打ち上げもお開きになって一人珈琲。帰りの建長寺様では雨に洗われた緑の境内がはつらつと輝くようでした。とっても、よかった。

 

最後に突然、では谷戸を書いて苦労している織田さんに、何か質問ありますかと指名されて、打ち上げの席ででもお訊ねしようと思っていた疑問が吹っ飛んで、「頭のなかが真っ白になる」という経験をはじめてしました笑。今まで講演で緊張したこと等なかったのに核心ど真ん中の直球には心を乱されました。

 

そういえば昨夜毛利久氏「法金剛院の造立と阿弥陀如来像について(間違ってたら済みません)」を拝読。法金剛院がより身近に感じられてきました。ここにはかつて3つ阿弥陀堂があって、今本堂に祀られている阿弥陀像がほんとうに従来いわれているような由来かのご論。私は納得。

 

今日の一枚@建長寺様 帰ろうと通用門を出て振り返って見た山門の清々しさ。土砂降りで塵がすっかり洗い流され、そこに射した西日で神々しいくらいに綺麗でした。

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昨日広尾の図書館で玉葉と吉記の最勝光院の条をコピーしてきたのですが、目を通したいのにできずにいて、やっと今それをしています。玉葉は落慶供養、吉記は修二会。どちらも詳細な事実の羅列。目を通すだけでは把握できないので筆写してみようと思う。それにしても両者のこんな翻刻本があるなんて。

 

谷戸は、経時の墳墓堂の笹目谷にはじまり、教定の泉谷、為相の藤谷、叡尊の清涼寺谷、仙覚の比企谷、時政の弁谷と、一人で熱中してかなり回った。谷戸のご本ができて拝読したら私にはもう谷戸は遠い過去。こうしてまとめて頂いた以上心置きなく離れられると思いました。私なりの思いは封印します。

 

5月11日

おはようございます。鎌倉禅研究会8月例会に第一講を担当させて頂くのですが、昨日ある方に第ニ講は誰?と問われ、◯◯先生とお答えしたらその方が絶句。前にも同様に絶句されたことがあり、私は禅の世界の人でないから怖いもの知らずですが、なんかこのプログラムは作った方の陰謀?となっています笑

 

映画空海の反応。TLで高野山でご婦人が怒ってらしたと読んだのですが、昨日の禅研究会でもガッカリしたというご感想。私はもっともっと何度でも観たいというほど惹かれていて、宗教の世界の人と文学者の精神構造の違いを思います。禅研究会にいても私は「今悟る訳にいかない」と必死に抗っています笑

 

文学者は危険な匂いに惹かれ、宗教者は危険を回避する術を追うのだから違って当然。昨日、帰りの車内でちょうど会である方に頂いた岡野嘉夫絵・田辺聖子文の絵草子源氏物語を読もうとパラパラ見て、女三宮の一連を読んでしまいました。これぞ文学と堪能したのでした。その方によく源氏物語を頂きます。

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2018.5.8 ツイッターから転載…5月10日の鎌倉禅研究会は高橋慎一朗先生の『鎌倉の歴史 谷戸めぐりのススメ』です!

5月5日

おはようございます。深夜今まで書き溜めた原稿を通しで読み返して文意が通っているのを確認。段落ごとにあまりに主役が変わっているので大丈夫かなあという気がして。仙覚、時政、運慶、までは達観していましたが後白河院、建春門院滋子さんとなったらもう…笑。それからある方にお便りを書いて就寝。

 

鎌倉禅研究会5月の例会が10日で、『鎌倉の歴史 谷戸めぐりのススメ』を編纂された高橋慎一朗先生のご講演です。それに備えて先ほどジュンク堂で購入してきたのですが、比企谷の章で仙覚について「近年では伝承を具体的に跡づけ、仙覚は能員孫の員茂という説も」と私の説を紹介して頂いていました。

 

参考文献に、《織田百合子 2011年「北条実時と『西本願寺本万葉集』―「尾州家河内本源氏物語」との関係をめぐって―」真鍋俊照先生古稀記念論集『密教美術と歴史文化』法藏館》と。紹介して頂きありがとうございました。

 

5月6日

おはようございます。昨日購入した高橋慎一朗先生編の『鎌倉の歴史 谷戸めぐりのススメ』、カバーの写真が建長寺境内絵図で、この絵図の大きなコピーを頂いてあったので並べて撮りました。(並べてというより置いて、ですね笑) 如何に大きいかわかって頂けると思います。

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南からレンズ雲のような雲が発生してきています。

 

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なんだか、レンズ雲らしき雲の発生が止まらない気がします。先ほどは左右に振り分けられて小さな雲が二列になっていたのに、だんだん大きな一列になりました。

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15:04に八丈島東方沖M6があったようですね。ちょうどその方向からの発生です。

 

『鎌倉の歴史 谷戸めぐりのススメ』から比企谷の項を拝読。埼玉県比企郡の歴史と合体させて比企谷を見ている私には自明の理に見えることが、鎌倉の歴史だけで読み解くと不明なままの感が。妙本寺の日朗上人のことで気になりました。

 

コピーで頂いた大きな建長寺境内絵図。実物大だそうです。

 

5月7日

第141回 鎌倉禅研究会のお知らせをFacebookページにアップしました。5月10日(木)13時~。建長寺應供堂。 第一講「建長寺開山蘭渓和尚語録の現代語訳 」彭丹先生。第二講「『鎌倉の歴史 谷戸めぐりのススメ』出版にあたって」高橋慎一朗先生。予約不要です。https://www.facebook.com/kamakurazenken/

 

鎌倉禅研究会のユーザーネームを今までどうやっても「不可」と出てとれなかったのですが、先日久しぶりに試してみたら呆気なくとれて、今までは何だったのだろう…と。それで下のお知らせもURLでご紹介できるようになりました。覗かれてみて下さい。https://www.facebook.com/kamakurazenken/

 

JPA日本写真作家協会がツイッターを始められたとのこと。フォローさせていただきました。父が会員だったからいつか私もと目指していた時期もありました!(まだ諦めていないけどもう無理かな。二兎を追ってはいけませんものね)

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2018.5.6 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(121)最勝光院の項、書き終わりました&タウンニュース鎌倉版コラム第26回「久明親王の鎌倉下向」が掲載されたことなど

5月2日

おはようございます。最勝光院と宇治平等院の関係もなにもかも調べることが終わってすっきりした朝。身も心も軽くなるってこういうことだなあと鏡を見たり・・・笑。これから一途に書く生活に入ります・・・と宣言したいところですが、日常には諸々かせが。時間奪取に頑張ります。

 

今更ですが、後白河天皇の即位は待賢門院璋子さんの崩御の10年後だから、璋子さんは最愛の息子後白河院が天皇になるのをご存じなく亡くなられたんですね。今様の様子を観に行かれるなどしてらしたのに。

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5月3日

おはようございます。仙覚の原稿に戻って、まだ書き始めるまでに至ってなく前の続きに目を通しているのですが、最勝光院のことで滋子さんに寺院を作らせようとした後白河院を考えていたら、ふっと、「あの方は立派だ」という仙覚さんの声が。そうっか、仙覚さんは後白河院をそう捉えていたのだと納得。

 

久しぶりに未明から原稿に取り組んで疲労困憊の感がしたところに家人が起きはじめて朝食の支度にかからなければならないのだけれど、寝たい! です。

 

物凄い人と時間の交差する歴史空間を物語って顔をあげるといつもの日常。しかも原稿に入り切っていたから日常の雑事をなにもしていないすごいギャップ。久しぶりです、これくらい原稿に入り込んだのは。たっぷりと平等院の密教空間を読み込んでとりかかったからの充実。最勝光院の項、終わりました。

 

空が。綺麗な夕焼けです。

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修二会ってたしか東大寺のお水取り・・・と検索。それもそうだけれど、寺院毎に修されていてお水取りに限らないみたい。最勝光院完成後に盛大な修二会が修されていて、まさかお水取りのような松明ということはないだろうと思ったのですが、寺院毎に法会のようすも違うみたいだし、また図書館です。

 

5月4日

おはようございます。今日から運慶。昨日書いた最勝光院は運慶や時政が見ていた風景です。これから時政の京都守護上洛を書いて平家の残党狩り→六代御前を斬るところまで書けば、やっと比企の乱の基子さんに戻れます。チラチラ今まで書いてあった文章を眺めると、時房が散見。時房をどう描くか…。

 

後白河院は建春門院滋子さんを伴って厳島神社に行っているのですが、随行した公卿のなかに光能。基子さんの姉の旦那様です。基子さん、関東にいて、こういう情報を聞いて知っていたでしょうか。光能が頼朝の旗揚げに重要な役割を果たすのだけれど、それはまだ私の文章には入りきれない。入れたいけど。

 

それにしても、どうやって運慶は真言密教を学んだのだろう。真言密教に限らず仏師はどんなふうに仏教を学ぶというか、身につけたのだろう。教義を理解していなかったら仏像のそれぞれの教義に合った形を彫り出せるわけがない。仏師の教義への理解は僧侶と全く変わらないと思うのだけれど。

 

【タウンニュース鎌倉版】鎌倉と源氏物語〈第26回〉 第八代将軍久明将軍の鎌倉下向

https://www.townnews.co.jp/0602/2018/05/04/430381.html

 

タウンニュース鎌倉版コラム【鎌倉と源氏物語】第26回「 第八代将軍久明親王の鎌倉下向」が掲載されました。久明親王は後深草院皇子。二条には縁が深い将軍の下向です。若宮大路の下向の行列も二条は見に行っています。つくづく二条の人生の不思議な縁を思います(スパイ説もあるようですが私は?)

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2018.5.3 ツイッターより転載…仙覚の小説覚書(120)最勝光院と宇治平等院のことなど

4月30日

宮尾登美子さんの『平家物語』も第1話は王朝風で美しかった。瀬戸内寂聴さんの『中世炎上』も第1部は妖艶だった。後は原作に則って殺伐の感。滋子さんを書くことになって私の仙覚さんもそうなるのかなあと漠然と。そうはしたくないけど…。万葉集がテーマだから大丈夫でしょうか、とは内心の声。

 

そうっか、とやっと得心。道長の法成寺でも金堂の他に薬師堂、五大堂、法華堂などがあり、そのそれぞれで目的に応じて薬師堂では薬師法、五大堂では五壇法、法華堂では法華三昧が修されたという。その1つに阿弥陀堂があり、そこで阿弥陀法が修され、道長はそこで往生を遂げた。法金剛院や最勝光院が

 

阿弥陀堂なのは個人に国家の修法は必要なく個人の極楽浄土への往生を祈るための場だったから。なぜ後白河院が滋子さんに平等院鳳凰堂そっくりの最勝光院を贈ったかが疑問で、荘厳で綺麗だから?くらいにしか考えられなかったのですが、明確な理由があったわけ。自明の理だったのかもしれないけど。

 

改めておはようございます。やっと滋子さんの最勝光院建立の全貌がつかめました。でもこれはかなり悲しい。なぜならそれから間もなく滋子さんは本当に極楽浄土へ旅立ってしまうから。たしか最勝光院でだったと思う。よかれと思ってしたことが予見だったとはと後白河院も慚愧に堪えなかったでしょう。

 

ただいま《望》です

 

今日は日傘がないとダメですね。なぜかここのところ六本木に縁があって出てきました。世界情勢の変化、目まぐるしくて真実がわかるのは歴史になってからでしょうけれど、時政を追っているから政治情勢は目の前のことだけで判断してはダメだけはわかる。ただ目をこらして動静を見極めるのは個人です。

 

今日の満月と、満月と木星。

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木星をデジタルズームで見たら輪が見えないかしらと100倍ズームで撮ってみたのですがダメでした。

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2018.5.2 ツイッターより転載…仙覚の小説覚書(119)最勝光院と宇治平等院の件が片付いて他

4月28日

おはようございます。鎌倉禅研究会で中国の方が映画「空海」の中国語版でなく日本語版でご覧になったと聞きもったいなかったなあとお気の毒に。前知識なくご覧になったから復元された長安の都もCGと思ってらして実際に復元して観光に行けるそうよと力説してしまいました。で、昨日から空海熱が再燃。

 

その方に長恨歌を中国語で聴きたくて行ったのに李白しか詠われなかったと嘆いたら「李白のあの詩は有名」と。七言絶句「清平調詞」。ネットより 「雲想衣裳花想容 春風拂檻露華濃 若非群玉山頭見 會向瑤臺月下逢」(雲をみては楊貴妃の衣装を想い、牡丹の花をみては美人のあでやかな容色を想う)

 

ちょうど建長寺様では牡丹が咲いていました。楊貴妃の花。

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遠隔複写で国会図書館に頼んでいた資料。やはり複数の方のご論考が入っている論集なので著作権の関係でお受けできませんとのメール。でも待っている間に宇治平等院と真言密教の関係が見えてきていて、その資料は参考にさせて頂く必要がなくなっていたから痛痒はなく。関心的には拝見したいけど。

 

昨夜冨島義幸氏「平等院鳳凰堂」の核心部分に入りメモ代わりにツイートしたく思ったのに私事に時間をとられ、結局一日たって今。紅頗梨色阿弥陀になぜ関心を持ったか思い出せないのだけれど、六浦の上行寺東遺跡の岩盤に彫られ、破壊されてお顔がない阿弥陀様。それを紅頗梨色阿弥陀と仰る方がいらして

 

私にはどうしてその推測ができるのか謎でした。紅頗梨色阿弥陀は宝冠のお姿というのにお顔がなくてどうして?と。定印を結んでいられるからだったのですね。手前には州浜に見立てた池さえも岩盤に彫られていて。平等院の本を読んでまさかこんなところで古い疑問が解けるとは思いませんでした。

 

なぜ平等院の本に紅頗梨色阿弥陀が?というのは、鳳凰堂の阿弥陀様が浄土教の阿弥陀でなく、密教の大日如来を中心とする曼荼羅の中の阿弥陀法にのっとる阿弥陀だからということです。当麻曼荼羅など浄土教の阿弥陀様の印は説法印。密教のとわかっていてもそれを極力避けてきたのが従来らしいです。

 

冨島義幸氏「平等院鳳凰堂」より。密教を特徴づける修行法として、修法がある。その特徴は入我我入観といって、修法をつうじて修行者と仏が一体になるところにある→鳳凰堂の阿弥陀様の胎内には蓮台に乗る心月輪が入っていて、そこに密教の阿弥陀呪(真言)が書かれており、仏の中のその真言が修行者の体

 

に入り、修行者の体を出て再び仏の胎内に入るということを絶え間なくくりかえす、真言をつうじて本尊と修行者が一体になるというドラマティックな瞬間が、平等院鳳凰堂の阿弥陀様には設定されていたのでした。(なんにも知らずにただ綺麗だなあと感嘆していたのに…)

 

だから、鳳凰堂のあの阿弥陀様の光背は反って拝する人に覆い被さるような造りだったんですね。ドラマティックな循環が見えるようです。あの反りがずっと私には謎だったし印象的でした。鳳凰堂の阿弥陀様の内刳(胎内)は、ベンガラの朱色で塗られた異様な仕上げだそうです。

 

拝読し終わりました。これを最勝光院滋子さんの世界にどう繋げるか、これからが勝負です。

 

4月29日

鎌倉禅研究会FBの編集にかかったのですが、いつも用があって取り掛かれないのもあるけれど、写真が使用するのにきちんと写っているのがあるか、それが不安でなかなか取り掛かれない。仕事で撮っていた時からこの不安がぬぐえずそれで辞めたようなところもあるのは事実。で、今回もはらはらでした。

 

なんとか選べて、トリミングしたりして終わって、これからご講演の詳細入力に。ここまでくればもう気が楽。

 

昨夜の鳳凰堂阿弥陀如来阿弥陀法のダイナミックな循環から一夜明け、そうしたらもう滋子さんの声が降りてきました。そこから一気に運慶まで行けます。書き出したく思うのだけれど、その前に鎌倉禅研究会FBを終わらせなければとしばしお預け。でもここまでくれば雲散霧消の危惧はないから大丈夫。

 

最勝光院を書くのに規範とした宇治平等院を調べればなにかヒントがと思ったのですが、まさか後白河院は密教信奉者なのになぜ阿弥陀様? の謎が解け、さらに滋子さんの声が降りてくるところまでとは。滋子さんの晩年にいのちを吹き込めそう。

 

メモ: 最後に時政の視点に帰ること

 

あまりに最勝光院と滋子さんに気持ちが行ってしまっていたから、これで比企の乱に戻れると思った時、ふと、なぜ滋子さんを書くことになったかを思い出したのでした。時政を忘れてはいけない!

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