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2018.5.2 ツイッターより転載…仙覚の小説覚書(119)最勝光院と宇治平等院の件が片付いて他

4月28日

おはようございます。鎌倉禅研究会で中国の方が映画「空海」の中国語版でなく日本語版でご覧になったと聞きもったいなかったなあとお気の毒に。前知識なくご覧になったから復元された長安の都もCGと思ってらして実際に復元して観光に行けるそうよと力説してしまいました。で、昨日から空海熱が再燃。

 

その方に長恨歌を中国語で聴きたくて行ったのに李白しか詠われなかったと嘆いたら「李白のあの詩は有名」と。七言絶句「清平調詞」。ネットより 「雲想衣裳花想容 春風拂檻露華濃 若非群玉山頭見 會向瑤臺月下逢」(雲をみては楊貴妃の衣装を想い、牡丹の花をみては美人のあでやかな容色を想う)

 

ちょうど建長寺様では牡丹が咲いていました。楊貴妃の花。

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遠隔複写で国会図書館に頼んでいた資料。やはり複数の方のご論考が入っている論集なので著作権の関係でお受けできませんとのメール。でも待っている間に宇治平等院と真言密教の関係が見えてきていて、その資料は参考にさせて頂く必要がなくなっていたから痛痒はなく。関心的には拝見したいけど。

 

昨夜冨島義幸氏「平等院鳳凰堂」の核心部分に入りメモ代わりにツイートしたく思ったのに私事に時間をとられ、結局一日たって今。紅頗梨色阿弥陀になぜ関心を持ったか思い出せないのだけれど、六浦の上行寺東遺跡の岩盤に彫られ、破壊されてお顔がない阿弥陀様。それを紅頗梨色阿弥陀と仰る方がいらして

 

私にはどうしてその推測ができるのか謎でした。紅頗梨色阿弥陀は宝冠のお姿というのにお顔がなくてどうして?と。定印を結んでいられるからだったのですね。手前には州浜に見立てた池さえも岩盤に彫られていて。平等院の本を読んでまさかこんなところで古い疑問が解けるとは思いませんでした。

 

なぜ平等院の本に紅頗梨色阿弥陀が?というのは、鳳凰堂の阿弥陀様が浄土教の阿弥陀でなく、密教の大日如来を中心とする曼荼羅の中の阿弥陀法にのっとる阿弥陀だからということです。当麻曼荼羅など浄土教の阿弥陀様の印は説法印。密教のとわかっていてもそれを極力避けてきたのが従来らしいです。

 

冨島義幸氏「平等院鳳凰堂」より。密教を特徴づける修行法として、修法がある。その特徴は入我我入観といって、修法をつうじて修行者と仏が一体になるところにある→鳳凰堂の阿弥陀様の胎内には蓮台に乗る心月輪が入っていて、そこに密教の阿弥陀呪(真言)が書かれており、仏の中のその真言が修行者の体

 

に入り、修行者の体を出て再び仏の胎内に入るということを絶え間なくくりかえす、真言をつうじて本尊と修行者が一体になるというドラマティックな瞬間が、平等院鳳凰堂の阿弥陀様には設定されていたのでした。(なんにも知らずにただ綺麗だなあと感嘆していたのに…)

 

だから、鳳凰堂のあの阿弥陀様の光背は反って拝する人に覆い被さるような造りだったんですね。ドラマティックな循環が見えるようです。あの反りがずっと私には謎だったし印象的でした。鳳凰堂の阿弥陀様の内刳(胎内)は、ベンガラの朱色で塗られた異様な仕上げだそうです。

 

拝読し終わりました。これを最勝光院滋子さんの世界にどう繋げるか、これからが勝負です。

 

4月29日

鎌倉禅研究会FBの編集にかかったのですが、いつも用があって取り掛かれないのもあるけれど、写真が使用するのにきちんと写っているのがあるか、それが不安でなかなか取り掛かれない。仕事で撮っていた時からこの不安がぬぐえずそれで辞めたようなところもあるのは事実。で、今回もはらはらでした。

 

なんとか選べて、トリミングしたりして終わって、これからご講演の詳細入力に。ここまでくればもう気が楽。

 

昨夜の鳳凰堂阿弥陀如来阿弥陀法のダイナミックな循環から一夜明け、そうしたらもう滋子さんの声が降りてきました。そこから一気に運慶まで行けます。書き出したく思うのだけれど、その前に鎌倉禅研究会FBを終わらせなければとしばしお預け。でもここまでくれば雲散霧消の危惧はないから大丈夫。

 

最勝光院を書くのに規範とした宇治平等院を調べればなにかヒントがと思ったのですが、まさか後白河院は密教信奉者なのになぜ阿弥陀様? の謎が解け、さらに滋子さんの声が降りてくるところまでとは。滋子さんの晩年にいのちを吹き込めそう。

 

メモ: 最後に時政の視点に帰ること

 

あまりに最勝光院と滋子さんに気持ちが行ってしまっていたから、これで比企の乱に戻れると思った時、ふと、なぜ滋子さんを書くことになったかを思い出したのでした。時政を忘れてはいけない!

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