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2018.6.16 ツイッターから転載…タウンニュース鎌倉版コラム【鎌倉と源氏物語】第27回「 平禅門の乱平頼綱子息資宗と後深草院二条」が掲載されました&雑感

6月14日

ブログ更新しました また過去写真 ほんとうにこのごろ 撮ってない 外界のものにレンズを向ける気持ちが起こらないんです カメラを使命にして生きていたようなところがあるから こんな日がくるなんて 思ってもみなかった 今は 心の底をのぞき込む そんなことで充実

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印字した途中原稿を入れているファイル 空海と大日経の段を終え 久しぶりにこのファイルに 陽明文庫蔵の伝後鳥羽天皇筆消息だそう 鹿?さんが可愛くて気に入ってます 窓の外の薔薇の枝が写り込んで

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大日如来像について書くのだけれど とても大日経は書けない でもそうすると短編が薄っぺらなものにしか でも 短編だからそれでいい とばかり思っていたのに 書けました 今自分のなかがシンとしています そうなると とても危ない領域には踏み込めないと思っていたことも 踏み込んでいくのかも

 

写仏を習っていたから 金・胎両部の曼荼羅を 生涯に一度は描けたら というのが夢だったのに 無理 と諦めていました あるとき ふと 写真で作ってみたら? との思いに駆られてはじめたのが上記添付の写真 技術は懇意のデザイナーさんに頼んで でも中断 過去写真発掘で思い出しました

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次の段落にはいって 運慶と手書きで書こうとしたら 空海と 何度も呟くけれど ほんとうにこの二人 似ている

 

段落の最初を書きはじめると 疲労困憊するから 夕刻少しのつもりで仮眠したら もう8時過ぎたよ と起こされて慌てて夕食の支度 昨夜たくさん種類を作り過ぎたのが功を奏し あまり差し障りなく夕食と後片付けは終了 この昏睡 なんだったのだろうと今も不可解 書くことでα波がでたのでしょうか

 

頑張って寝ようとしたのだけれど 眠れなくて 起きて滋子さんの原稿を 就寝前に道筋だけつけて 明朝打とうと思っていた文章 これから打ちます まさかまさかの運慶の段落に平等院 筆の先から浮き上がってくる短編世界は 構想したことの先をいっていて 作者である私自身が想像不可

 

さっき ふっとわかりました 空海と運慶を混同する理由 漠然と今までふたりとも漢字二文字で巨星 とだけ考えていたのですが 空と運ともにUの発音が 海と慶ともにKIの発音が 音感が似ているんですね

 

6月15日

おはようございます 涼しい朝 滋子さんの短編にかかるとき 最勝光院がメインだったから 空海や運慶は脇で こんなにメインになるとは思っていなかった 東寺講堂の仏像群に気づいてやっとこちらにきたら カルチャーで真言密教を学んでいた時のことが甦り なにかが変わって 文体まで変わりました

 

カルチャーで もっと奥を学びたいと申し出たら 貴方には文学があるでしょう と言われました それからそのお言葉を胸に 文学は私にとって修行 と思いつつなかなかそれを実感できないできましたが 東寺講堂の仏像群を書き始めたら 文体が変わった! 手応えも違う! なにかが変わってきています

 

密教的にいうと 意識が阿頼耶識の底まで届いた ということかな・・・ まだまだですが 一応 (ほんとうに書くことは意識の掘り起こしです)

 

【タウンニュース鎌倉版】鎌倉と源氏物語〈第27回〉 平禅門の乱平頼綱子息資宗と後深草院二条、が掲載になりました。

https://www.townnews.co.jp/0602/2018/06/15/436391.html

 

タウンニュース鎌倉版コラム【鎌倉と源氏物語】第27回「 平禅門の乱平頼綱子息資宗と後深草院二条」が掲載されました。連載してきた『とはずがたり』シリーズの最後、後深草院二条登場の最後です。冒頭の霜月騒動は、ちょうど20日から金沢文庫で安達一族展をするので驚きのタイムリーでした。

 

金沢文庫【安達一族と鎌倉幕府 御家人が語るもうひとつの鎌倉時代史】展

https://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/bunko/tenjiyokoku.html

 

平禅門=平頼綱は、大河「北条時宗」で北村一輝さんが演じられた人物です。子息の資宗が後深草院二条と懇意になって、噂されるまでになっています。資宗も平禅門の乱で父頼綱と一緒に滅ぼされましたが、それについて二条は何も書いていません。二条が鎌倉を離れて三年後に起きた乱です。

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