6月2日
東寺講堂五菩薩像 東寺講堂で購入した絵葉書です 五智如来像と五大明王像との三群が大型になっていて三枚 一尊ずつが普通サイズの絵葉書で二十二枚 ずらっと並べると荘厳です!

こうして見ると 中尊の金剛波羅蜜菩薩と 他の四像の時代の違いは明らか 後補の中尊像に圧倒され 平安初期密教像という四像に目が行かなかったのを今になって悔いています 中尊も初期像が残っていたら 講堂の趣は変わるでしょうね (波羅蜜の蜜は密とどっち?)
日々の生活のなかで日常にまみれて必死になっていると神秘が書けない その焦りのなかにいたけれど やっとそこから抜け出せそう 東寺講堂の立体曼荼羅に気持ちが近づいて
今日はかすかに地球影 低空が青 これが地球の影の部分 その上にピンク色の層 ビーナスベルトというそうです 低空が見える当地に越してきて 夕方に 時々この綺麗な空のグラデーションを見るようになり 不思議に思っていたら なんと地球の影!

今夜は星空 久しぶり
確かあったはず と取り出した別冊太陽『空海』 もう原稿に戻っていいのだけれどなんとなく懐かしくて 東寺講堂の立体曼荼羅 今まで合掌してすぐ通りすぎていた五菩薩像(右ページ)と五智如来像(左ページ) 知らないということは恐ろしいことですね笑

思わず キャッと叫んでしまいました ページを繰っていたらこの特集 私は文章の人だから二次元ばかり追っていて 以前も呟いたけど空海の言葉と曼荼羅 彫刻には気を留めてなかったからたぶんここは未読

運慶展で拝観した玄昉像 この別冊太陽 あとがきに東北の震災後とあるので見たらその年の8月の刊行 私がもう鎌倉の源氏物語に専念していた時期 なので購入したもののたぶん一切読んでいない 今必要で拝読に これも宇宙の円環でしょうか 玄昉像も当時では康慶作ということもわからずに(記載されてなく)

ネットに 『空海の世界』よりとして 「密教の図画類は、それを通常の状態で見ても、あまり意味はない。儀礼なり修法なり、ある特定の行為を経て到達した特殊な精神状態において眼にした時、初めてこれら視覚表現の中に心理の一端を見い出す事ができるのである」
だんだん 少しずつ 空海の世界が甦ってきています
大日如来像の意味を追っています
密教では修行で朦朧とした精神状態になった時に不動明王(大日如来の化身だからイコール)を見ることがあるという ということを思い出したら ふいに 人の音せぬ暁に の今様が浮かんで こんなところで運慶と後白河院が結びつきました 深夜の驚き というか到達かも
玄昉はこういう人 法相六祖の一人だから偉大な業績の人には違いないけれど その人物を彫刻するには それなりにそれを知っていなければならない 仏師って どれくらい勉強しているのだろう
RTの空也上人像 昨夜別冊太陽の扉弘法大師空海像が康勝作と読んで たしか運慶の子息と思って検索したら四男 そして空也上人像の作者でもあったと知って この一門は六波羅蜜寺のみでなく東寺にも と感嘆したのでした
6月3日」
運慶と真言密教とのかかわりを知るために別冊太陽『空海』を読んでいるのだけれど どこかで空海の事跡が運慶のことであるかのようにこんがらがってしまう 特に康慶作の玄昉像があったりしたからもう 玄昉の功績が空海の渡唐を生み 空海の真言密教が運慶の大日如来に という流れなのだけれど
もう本は貯めないで後世の方たちに使って欲しいからマーカーは引かない と決めていたのですが そんな悠長なことをいってられないくらいに この別冊太陽『空海』はぞくぞくすることばかり 全頁 どこかにマーカーを引いているくらいにのめり込んで拝読 やっと高野山 東寺はまだです
メモ(別冊太陽より): 空海に東寺が下賜されたときには薬師如来像を本尊とする金堂のみ。空海はここに大日如来を本尊とし、五智如来や五菩薩、五大明王に四天王、さらに梵天と帝釈天を安置する立体曼荼羅の世界を作り出すことを目指し、第二の本堂ともいうべき講堂を創建
立体曼荼羅世界の講堂を しかも前代に類例のない構想の伽藍を 迷うことなく 下賜されてすぐに手がけている 空海! 凄いです
五智如来はわかるのですが 五菩薩って聞いたことないなあと思っていたら 空海創案の独自なグループでした でも五智如来グループは文明年間に焼失してしまっているから 五菩薩グループで残っている尊像から創建当時の五智如来グループの尊像を想像できるのは幸せ
別冊太陽より: 五菩薩像は、宝冠を頂き、条帛・裙・腰布を着け、胸飾り・臂釧・腕釧をつけて、右足を上に結跏趺坐するという共通のスタイルをとっている←現在の講堂の後補五智如来グループでは四仏は如来スタイルだけれど 中央の大日如来像がこう 金剛界大日如来像だから当然だけど だから想像が可
メモ(別冊太陽より): 写実的な面相や均整がとれて充実した体躯、腕の自然な構え、また、それらを飾る衣文などに、奈良時代の乾漆像と共通する特徴を持っていることから、官立寺院の造仏所出身の仏工たちが、従事したのではないかということを強く感じさせる
別冊太陽『空海』から離れます

資料を片づけ何もなくなって顕れた白い机 白い机が好きです 写大の卒業制作でも白い日常のタイトルで撮りました これから原稿 白い紙を埋める作業 没頭すると疲れるから嫌なのだけれど 没頭しなければ書けない泣
