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2018.6.10 ツイッターから転載…運慶と建春門院滋子さんの短編覚書(108)円成寺大日如来像と東寺講堂のこと

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6月7日

山本勉先生「足利・光得寺大日如来像と運慶」を拝読しました。先日国会図書館でコピーしてきた二本の内のひとつ。もうひとつは「円成寺大日如来像の再検討」です。光得寺像のほうは昨秋運慶展観覧後の資料館で枚数制限で樺埼寺との関係部分しか得られなかったので未読でした。さらに光得寺像は円成寺像

 

よりずっと後の制作なので関係ないと思って留意していなかったこともあります。が、円成寺大日如来像の東寺講堂平安初期密教像との関係に衝撃を受けていろいろ資料を探したら、まさにこの光得寺像のご論考にそれが書かれているとのこと。それで急遽国会図書館に行ったのでした。衝撃を受けて今日まで私

 

なりに考察して、円成寺大日如来像が東寺講堂の五菩薩像と同じといわれても、運慶の時代にはまだ中央の五智如来像群は焼失していなかったのだから、円成寺大日如来像が模したとしたらその大日如来像ではないかと推察したのでした。が、それはすでに「足利・光得寺大日如来像と運慶」に書かれていて、

 

まさに「東寺講堂の五仏中尊の大日如来像は、同じ菩薩形像として当然いまのこる五菩薩中の当初像にちかい像容であったろうし」として、円成寺像との関連を書いて下さっていました。昨秋、枚数制限にひっかからなければ真っ先にこのご考察にまみえていたはず。それを今になって拝読したのもなにかの配慮

 

なのでしょう。不思議な気持ちがします。これですっきり資料の渉猟から離れられます。ここからは深くただ意識の底に降りていくだけ。長い執筆のなかに入ります。昨年初夏にたまたま願成就院像のことから山本勉先生に運慶世界をお導き頂きここまできました。ほんとうに心からありがとうございました。

 

唐突に 掌に消える北斗の印 と白鳥が 吉田一穂 なぜか転機のとき 最後にこの白鳥が舞い降ります 今度もふいに ほんとうに終わりなのだなあと感慨 吉田一穂が好きです

 

飛び起きてしまいました もう就寝していたのですが さっき吉田一穂を引用して 北斗の印 と書いて 印の字に目が留まり 印…と 以前からこの印って何だろうと気になっていました 印… これ もしかして智拳印では? 円成寺大日如来像の智拳印が指している北斗…

 

6月7日

10月の講座名が【鎌倉の蹴鞠 ~京・鎌倉の文化交流~】に決まりました 当初は鎌倉の蹴鞠の歴史の予定でしたが 昨年5月に3回連続講座で鎌倉の源氏物語をしているので その方たちがまた応募されるでしょうとの配慮から「京・鎌倉の文化交流」がメインになりました

 

飛鳥井雅経の人生をたどる・・・と副題つけてもいいかも(内心) そう思ってつくるとパワポが樂

 

たまきはるのこと 建春門院滋子さんは読後感では庶民の感覚を持った女性 高倉天皇の母とか皇太后とか権威の人になっても もともと皇女や入内して妃になった人でないから いつ後白河院の寵愛が失せるかわからない危機感を知っているのですね それが八条院のゆるさと対照的な規律正しさになっている

身近にいますよね こういう女性 偉くなっても苦労を共にした友人とはその当時の感覚で話せるからおごらない という人 それが同じ女房時代を過ごした女房に 偉くなってどんな気持ち? と訪ねられても 失礼な!などとならずにふつうに返事ができる 性格が透明な方と思いました

 

儀式に臨むのに 装束が重いからぎりぎりまで着装せずにくつろいで それを仕えている人たちに見られても 重いのよね~ みたいに微笑んでみせる 錦織の装束はほんと重かったでしょうね 先日のTVのエリザベス女王の王冠で 女王が重くて背骨が折れそうとか仰ってらしたのと一緒だと思いました

 

と 講座の概略200字を送信し終わった気楽さから 呟いてみました

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