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2018.6.12 ツイッターから転載…運慶と建春門院滋子さんの短編覚書(109)空海と大日経のことなど

6月7日

すべての任務をこなし終え さあやっと取りかかれるとばかりに原稿に向かったら あれほど運慶を書くため東寺講堂について考えていたのに空海を書かなければと変わっていて 空海を書くなんて! と自分で唖然笑 いつも書いていますが ほんとうに空海と運慶って 似ている

 

深淵な大日経の部分を書いていて 森閑とする思いで このまま没頭したら無の境地に入れるかと思うのだけれど(書く行為とはそういうもの) 日常の中にいるとそれができず いつも あ〜あ となる これだから深夜にしかほんとうの時間がとれません やっとその時間

 

だけど 法はもとより言無けれども 言非ざれば顕われず という空海の言葉 いいですね 空海を書くのにひとつ象徴的な名言を と漠然と考えていた時は 一番好きと思っていた虚空尽き だったのですが 東寺講堂の立体曼荼羅を考え始めた時に おのずとこの句が浮かんで これだ! となりました

 

6月8日

おはようございます 久々に真剣に原稿に取り組んでいるから心地よい朝 梅雨の晴れ間で空気もさわやかです 書き始めてもどうしても淵源までたどりつかないと収まらない習性 空海まで至ってやっと腑に落ちました 東寺講堂に到るための大日経 それを書いていて心地よいとは! と恐れ多いのですが

 

終日 空海と大日経に取り組んで まだあと少し深まれない地団駄のところにいるのだけれど それは文章を練ればいいだけのところにいるから 大丈夫と思う という状況で急な展開を見せ 運慶の段に 空海から運慶と繋いだら 思いがけずの展開に 地団駄を踏まないで済む静謐な環境になりたいです

 

6月9日

おはようございます なんとなく前から思っていたこと 東寺講堂で改めてそれが 運慶が円成寺大日如来像を造ったあと 願成就院など鎌倉の作風が変わったといい それは武士の台頭で身につけたというのだけれど 東寺講堂には四天王像があり その荒々しさはすでに運慶のお手本になったのでは?

 

円成寺大日如来像を中心に願成就院と浄楽寺の天部の諸尊を拝したら東寺講堂に・・・(あくまで素人考えですが・・・)(そして、あくまで荒々しさという作風でですが・・・)

 

入道雲が綺麗

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高校時代の友が陶芸をはじめ 作ってあげるね といっていたお茶の茶碗が届き 楽しみに開けたら 絵柄が 蛍! 草の葉のあいだで ひとつ あっちにまたひとつ と光っている なんか頑張ってきた私たちふたりの 今後を照らしてくれる灯りのようでほっこり そうメールしたら よかった! と

 

大日経を見たいと思って図書館に でもあるとばかり思っていた大正新脩大藏經にはないらしく 検索すると国訳密教経軌部という一冊に 貸出中で今日は手にすること叶わず 頼富本宏先生の『大日経入門』を借りてきました 平成12年刊 こういうご本がでていたのですね でも 経典の字面で見たい!

 

メモ『古寺巡礼 京都 1 東寺』より: 「弘法大師の教えは講堂にあり」「空海はこう考えた。自分が亡くなっても、語る僧侶がいなくても、永遠にこのお堂のもの言わぬ仏像たちが教えを語り、訪れる者たちがその教えを受け取っていく、どんな悩みに対しても幾重にも出てくる答えを受け取っていくであろう」

 

すなわち自分と仏が一対一で対話して、やがて真理に目覚めていく。東寺の講堂はそういう役割をもったお堂なのだ。(東寺教学部)

 

中国密教は初期、中期、後期に分けられ インドから大日経が請来されて 大日如来が登場したのが中期密教 大日経は善無畏が訳出 一方金剛頂経は金剛智による訳出で その二つを所依の経典とするのが中期密教で 新密教または密蔵と呼ぶ←空海の言葉に「密蔵は深玄にして」とありました! 

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