2018.9.29 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(124)光能夫人を登場させることなどについて
9月26日
ブログを更新したら 思いがけず【仙覚の小説覚書(123)仙覚さんの小説に戻りました】になりました (122)が5月11日 その直後から滋子さんの短編に入ったのでした こんなに早く仙覚さんに戻る日が来るとは たぶん先日行った金沢文庫効果 原点回帰です
今年は木槿を撮っていないなあと思っていたら 間に合いました 雨模様の曇天に かえってしっとりした風情
秋は紫の花が多いですね でも木槿の紫は珍しいのでは
バイオレットセージは以前植えていて繁茂させたのですが 多年草なのに 忙しくて手入れできなくなって 絶えていまい 痛恨の極み
ヤブランの花が開いているのを見るのもはじめての気がします
私の中には とてつもなく崇高な 1つの悲劇があるのだけれど と例のアズナブールの曲に心沿わせながら 思うのだけれど 終末を書き切るまで時間があるかしら など不安だったのが 最近は体力ついて大丈夫な気がしている ただ もう 所用をつくらないこと と思いつつ 発送作業がまだ終わらない悪循環
府中の講座の受講生さんたちに 金沢文庫「西湖憧憬」展チラシに近況報告を添えて 十数通発送 いい展覧会だからと オススメ 次はまた別のグループの方々に 資料と本をお送りします 尾州家本の普及活動 こういう手作業が人を繋いで私をここまで導いてくれています
リセット完了 朝からずっと動きまわっていたから背骨が痛くて 矯正ツールで20分ほど寝ていました 疲れた時 背骨を矯正すると元気がでます 第一段階のお夕食を1人に済まさせて これから第二段階の こちらは私のも含めてだから好みで作れる 小説に専念したいのに でも日常を侮ると 心が荒みます
寝転んでいて 無の境地になったころ 思い出されて吹き出しました 先日の内覧会で 尾州家本を研究された山岸徳平先生のことを申し上げたら その方が いえ 僕はそんな昔に生きてなかったから と仰られるので いえいえ 私だって山岸先生の時代に生まれていたわけではないのですがと こんな会話はじめて笑
山岸徳平先生の尾州家河内本源氏物語解題を 都立図書館で 閉架の棚から出して頂いて 拝読したのが 鎌倉の源氏物語研究の最初だった ということを お伝えしたかったなかでの 出来事でした
RTのお父様が太陽を読んでらしたから のこと わかります 私の場合は芸術新潮 創刊された時 父が買って この本はいい本だからずっと読むといいと渡された RTの方のように 私もいつか執筆者になって 供養になったらいいな って気になりました 漢字講座のお話では 芸術新潮だけ字体が違うのを使ってるとか
9月27日
目覚まし時計が壊れて 使い慣れないスマホのアラームセットをしても 無事に鳴るか不安だし 第一1時間ちょっとで起きなければならないのに 寝てしまったら起きられるかどうか とそんなことで仙覚さんの小説を見直していたら 時政が大番役在京中に安徳天皇が誕生していることがわかり 目がテンに
年譜を 時政 運慶 滋子さん とみんな重なっているのに それぞれ違う人生だから分けて作っていて しばらく1人の人に集中すると そこに書かれてないと 結構こんなふうに重大事件を見落としてしまうことが よくあります
光能夫人の足立遠元娘と時政を対面させるのに どういうシチュエーションなら可能か を探っています 最勝光院を舞台にして ちらっと建春門院滋子さんも登場させて など 欲張り過ぎ?笑 この時期はまだ 時政は頼朝の岳父になっていません それをどうするか (この時政の上洛中に伊豆で頼朝が政子と結婚)
時政は あの荘厳かつ華麗だった最勝光院を見ているのですね! 見ているどころか 堂内に入って参拝もしたことでしょうし かなり羨ましい 時政が見たご本尊様はどなただったでしょう 阿弥陀様にしたいけど
鹿ケ谷事件は 滋子さんが亡くなったから起きたわけで だから滋子さんを登場させるとしても 追憶で
最勝光院は と仙覚さんの小説の次の段落の冒頭が浮かんで 一挙に心にその風景が広がり 春にここを書いていた時に詰まって いっそ建春門院滋子さんの短編に仕立てようと離れたのは この風景が見えてなかったからだ と気がつきました 時政がいた世界なのになにかまだ見えてない世界があるとの啓示
滋子さんの短編に挑戦して 存分に 光景も人脈も 院の近臣光能までも 見えてきたから これなら書けるという手ごたえ 筆は曖昧を許しません 書けないということは 見えていないから といつも結果として学びます
吉祥寺 秋の寄せ植え@ロフト前
吉祥寺 秋の寄せ植え 2@ロフト前
吉祥寺 秋の寄せ植え3@ロフト前