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2018.9.29 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(124)光能夫人を登場させることなどについて

9月26日

ブログを更新したら 思いがけず【仙覚の小説覚書(123)仙覚さんの小説に戻りました】になりました (122)が5月11日 その直後から滋子さんの短編に入ったのでした こんなに早く仙覚さんに戻る日が来るとは たぶん先日行った金沢文庫効果 原点回帰です 

 

今年は木槿を撮っていないなあと思っていたら 間に合いました 雨模様の曇天に かえってしっとりした風情

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秋は紫の花が多いですね でも木槿の紫は珍しいのでは

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バイオレットセージは以前植えていて繁茂させたのですが 多年草なのに 忙しくて手入れできなくなって 絶えていまい 痛恨の極み

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ヤブランの花が開いているのを見るのもはじめての気がします

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私の中には とてつもなく崇高な 1つの悲劇があるのだけれど と例のアズナブールの曲に心沿わせながら 思うのだけれど 終末を書き切るまで時間があるかしら など不安だったのが 最近は体力ついて大丈夫な気がしている ただ もう 所用をつくらないこと と思いつつ 発送作業がまだ終わらない悪循環

 

府中の講座の受講生さんたちに 金沢文庫「西湖憧憬」展チラシに近況報告を添えて 十数通発送 いい展覧会だからと オススメ 次はまた別のグループの方々に 資料と本をお送りします 尾州家本の普及活動 こういう手作業が人を繋いで私をここまで導いてくれています

 

リセット完了 朝からずっと動きまわっていたから背骨が痛くて 矯正ツールで20分ほど寝ていました 疲れた時 背骨を矯正すると元気がでます 第一段階のお夕食を1人に済まさせて これから第二段階の こちらは私のも含めてだから好みで作れる 小説に専念したいのに でも日常を侮ると 心が荒みます

 

寝転んでいて 無の境地になったころ 思い出されて吹き出しました 先日の内覧会で 尾州家本を研究された山岸徳平先生のことを申し上げたら その方が いえ 僕はそんな昔に生きてなかったから と仰られるので いえいえ 私だって山岸先生の時代に生まれていたわけではないのですがと こんな会話はじめて笑

 

山岸徳平先生の尾州家河内本源氏物語解題を 都立図書館で 閉架の棚から出して頂いて 拝読したのが 鎌倉の源氏物語研究の最初だった ということを お伝えしたかったなかでの 出来事でした

 

RTのお父様が太陽を読んでらしたから のこと わかります 私の場合は芸術新潮 創刊された時 父が買って この本はいい本だからずっと読むといいと渡された RTの方のように 私もいつか執筆者になって 供養になったらいいな って気になりました 漢字講座のお話では 芸術新潮だけ字体が違うのを使ってるとか

 

9月27日

目覚まし時計が壊れて 使い慣れないスマホのアラームセットをしても 無事に鳴るか不安だし 第一1時間ちょっとで起きなければならないのに 寝てしまったら起きられるかどうか とそんなことで仙覚さんの小説を見直していたら 時政が大番役在京中に安徳天皇が誕生していることがわかり 目がテンに

 

年譜を 時政 運慶 滋子さん とみんな重なっているのに それぞれ違う人生だから分けて作っていて しばらく1人の人に集中すると そこに書かれてないと 結構こんなふうに重大事件を見落としてしまうことが よくあります

 

光能夫人の足立遠元娘と時政を対面させるのに どういうシチュエーションなら可能か を探っています 最勝光院を舞台にして ちらっと建春門院滋子さんも登場させて など 欲張り過ぎ?笑 この時期はまだ 時政は頼朝の岳父になっていません それをどうするか (この時政の上洛中に伊豆で頼朝が政子と結婚)

 

時政は あの荘厳かつ華麗だった最勝光院を見ているのですね! 見ているどころか 堂内に入って参拝もしたことでしょうし かなり羨ましい 時政が見たご本尊様はどなただったでしょう 阿弥陀様にしたいけど

 

鹿ケ谷事件は 滋子さんが亡くなったから起きたわけで だから滋子さんを登場させるとしても 追憶で

 

最勝光院は と仙覚さんの小説の次の段落の冒頭が浮かんで 一挙に心にその風景が広がり 春にここを書いていた時に詰まって いっそ建春門院滋子さんの短編に仕立てようと離れたのは この風景が見えてなかったからだ と気がつきました 時政がいた世界なのになにかまだ見えてない世界があるとの啓示

 

滋子さんの短編に挑戦して 存分に 光景も人脈も 院の近臣光能までも 見えてきたから これなら書けるという手ごたえ 筆は曖昧を許しません 書けないということは 見えていないから といつも結果として学びます

 

吉祥寺 秋の寄せ植え@ロフト前

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吉祥寺 秋の寄せ植え 2@ロフト前

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吉祥寺 秋の寄せ植え3@ロフト前

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2018.9.27 ツイッターから転載…先日の鎌倉散策まとめ・実朝の歌碑など

9月24日

先日 最勝光院の論考をコピーしに行った時 光能についての考察をみつけ いつか必要になるかもと思い とってきたのですが そのコピーを持って出て拝読したら 父方の叔父に俊成 定家は従兄弟と そうだったんだあ…

 

でも 活字が小さくて 頭が痛くなりそうで そこまでで中断 帰ったら 拡大コピーして読み直します

 

実朝の歌碑 鎌倉市には五つあるそうで その一つ 箱根路をの歌@商工会議所

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鎌倉商工会議所は 佐助のトンネル手前 市役所の向かいにあります 大倉幕府シンポに来て 講演を拝聴しつつ もう一つの目的の 実朝の歌碑を撮影

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実朝の歌碑 その二 @鎌倉国宝館 関東大震災で倒れた鳥居だそうです 山は裂けの歌

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大倉幕府シンポジウム拝聴 幕府指定地域内にマンション建設の許可がおりたとのことで この際大倉幕府について徹底的に考えようとの企画 凄い反響で 30分前にすでに満席 建設の前に発掘調査がされるから それがどんな結果になるか 興味津々

 

鎌倉に行くと どなたかに会う そうして話していると 情報を頂く あちらは このシンポのためにわざわざきらしたんですか? と驚かれる やはり わざわざのこういうリアル現場の蓄積が大切だから ニコニコと そうなんですよ と答えます

 

鎌倉の夕暮れ@鶴岡八幡宮

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源平池@鶴岡八幡宮

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流鏑馬が終わった道@鶴岡八幡宮

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源平池をもう一枚@鶴岡八幡宮

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9月25日

中秋の名月は帰り道に 雲間から顔を覗かせてくれました 帰ったらある方からお便り 一期一会の勝縁とはまさにこのようなことをいうのかも知れませんと 内覧会でのこと お名刺交換をして ビッグネームに思わずたじろいでしまったような方が 新館のオープニング記念の展覧会で出逢った尾州家本源氏物語と

 

いう私の話に まあ座りなさいと 隣に座らせて下さり 耳を傾けて下さって その展覧会は私も観たが気がつかなかったと仰られるので レクチャーさせていただのですが お便りを下さった方はそれを 耳をそばだてて聴いてらしたとのこと 私も凄いことだとは思っていたのですが やはりそうだったのでした

 

新館のオープニング記念の展覧会で尾州家本源氏物語と出逢い ほぼ15年の歳月を費やして その来歴を探り 普及活動をして ある意味役割を果たした思いの時に頂いた内覧会の招待状 そこでこの一期一会の出逢いをして なにかほんとうに一つの円環を成し遂げた気がしているところです

 

タウンニュース鎌倉版コラムの 三年に及ぶ頑張りのご褒美に と送って頂いたのですが 横浜開港資料館の図録 幕末にして風景がこんなに鄙びているのなら 中世にあってはどうだったのだろう と暗然 横浜中心だから称名寺だって

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昨日の鎌倉(1)はじめて若宮大路沿いの時房邸跡にできたタリーズコーヒーに 寛ぎました ちょうど仙覚さんの小説に戻って 時房が誕生したあたりを読み返していた時だから

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昨日の鎌倉(2)鶴岡八幡宮 太鼓橋からの遠望

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昨日の鎌倉(3) 鶴岡八幡宮 ズームで 朱塗りが新しいのですね とてもくっきり綺麗でした

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昨日の鎌倉(4) 鎌倉国宝館の実朝の歌碑 昨日スマホから投稿しましたが 再度

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昨日の鎌倉(5) 実朝の歌碑の説明版です

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そういえば 昨日の大倉幕府シンポで 『海道記』に繁栄の大倉幕府の記述があると 読まなければと思ったのでした(漫然と読んでいても 目的がピンポイントでなかったから 覚えてなくて)

 

昨日の鎌倉(ラスト)鎌倉国宝館横に植えられた実朝桜 この木の標識にも歌が刻まれて 鎌倉にある実朝の五個の歌碑のうちの一つ

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9月26日

おはようございます 昨夜の満月 晴れて欲しかったですね というのも 鎌倉は永福寺跡史跡公園での観月会 私は用があって行かれなかったのですが 本当は行きたかった 実朝が花見をしたり 頼経が雪見をしたり 光行さんや親行さんが供奉していた そんな場所で見る月 来年もあったら行きます

 

でも どなたかの感想がツイートされているか検索しても みつからない ツイッターをされている方って ほんとうに一部 情報の共有として 各地の方がいろいろ載せて下さるいいな と思います

 

先日鎌倉でお会いした方に頂いた情報を忘れないうちに 北鎌倉の長寿寺様 足利尊氏のお墓があります 春と秋の季節限定の拝観で 秋はこの10月と11月の各週末 円成寺大日如来様の旧多宝塔が移され観音堂になっているので 行きたい

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2018.9.26 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(123)仙覚さんの小説に戻りました

9月22日

とても久しぶりに仙覚さんの小説を出しました 最後の日付が5月4日 講演を控えてその準備に というより 最勝光院滋子さんに気がいって書けなくなったからでした でも昨日の内覧会で 尾州家本源氏物語の原点に気分が立ち返り 出してみたくなったのです

 

最初から目を通して なにも問題はないじゃない このまま続ければいい と思いながら読み進んだのですが 時政の大番役上洛から六波羅→最勝光院滋子さんとなって道がそれ それで滋子さんを独立させて短編にしようと思ったところで中断していました 滋子さんの箇所を削除して 書き進めればいい?

 

なんだろう とてもなにかに取り憑かれていた感じ 昨日一日でそれが取れ 自分を取り戻した感じ 原点を見失っていたような 一生懸命心を入れようと頑張っていたのに 心自体が涸れてなくなっていたような 迷走していた感がとてもある

 

私の場所は源氏物語なのに 源氏物語の会から離れ 鎌倉で活動している間に 源氏物語の感性がすりきれてしまっていたよう 昨日ある方に源氏物語の教室にお礼に行き久しぶりに感性が潤ったとお話し 源氏物語と歴史では感性がまるで違うんですねと申し上げたら そりゃそうだよ と言われました

 

9月23日

おはようございます 読み返して寝た仙覚さんの小説は 善峯寺から始まる 善峯寺といえば もう秋明菊の季節なのだけれど と想いを馳せていたら RTさせて頂いた善峯寺様のTW ありがとうございます 私は文章を意識の底から繰り出すように書くので 描写がとても辛い 文学の挫折にその根本があって 授賞式で

 

私の受賞に反対派の方に 小説はリアリズムだからね と一瞬の通りすがりに耳打ちされたことが 今も呪文になっている でも 100分で名著薔薇の名前に エーコが 美しいは描写しなくていい 美しいという言葉には 美しさを喚起する力があるから 美しいの一語でいい とあって それが とても心に響いています

 

エーコのこの一言で 描写の呪文から解放されました そんなことも 金沢文庫の内覧会で 原点に立ち返れたことの背景の 大きな力になっています

 

ただいま《秋分》です

 

仙覚さんの小説 最勝光院滋子さんのことで遠回りして中断 と思ったのだけれど その間のことは無駄でなく 後白河院近臣の光能が基子さんの姉の旦那様で 滋子さん周辺を読んでいた時にしょちゅう出てきました 大番役で上洛した時政が会っている可能性大 それをどう処理するか 考え中

 

光能夫人の基子さんの姉 この方は中盤から大きな役割を果たさせようと思っていた方なのだけれど ここで時政と会わせておけば 凄い伏線になります 滋子さんに熱中したあまり迂回して 時間を無駄に費やしたと思ったけれど 無駄ではありませんでした 滋子さんも登場させていいかも

 

今頃になって 昨夜のアラン・ドロンのドキュメントが響いている 壮絶な育ち 志願兵になって逃避したほどの のちに俳優になった時 志願兵の経験が生きたと ふと 唐突に今 ジャン・ジュネが浮かび そうだ ジュネだったのだと ジュネは『泥棒日記』を残し アラン・ドロンは名優に ドロンの言葉は深かった

 

綺麗な夕焼け このスマホカメラもだいぶ慣れて ズームで撮りました

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ハレーションが素敵なので どれくらいに撮れるか 撮ってみました

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月が綺麗です

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これはズームで

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東京湾と茨城県沖方面が明るいです 前のスマホカメラは 月も なにもかも 夜間の撮影はできなかったから こんなに写るなんてと 嬉しい(茨城県沖方面はたぶん千葉県北東部で発震)

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結果として 今 すとんと腑に落ちたのだけれど 時政に半年 運慶に半年 滋子さんに半年 費やして そのどれもに短編ができそうなほどのめり込んで だけどそれがみんな仙覚さんの小説の 時政が六代御前を斬った ということを書くための必要からだったなんて 比企の乱の前哨戦としての六代御前

 

久しぶりに戻った原稿を見たら それは一目瞭然 なにを迷走してたの? といった感じになってしまいました 仙覚さんが終生素性を隠して生きなければならなかったのは 仙覚さんが比企氏における六代御前だったから ということを 綿密に書いておかなければと思っていたゆえの 時政以降なのでした

 

以前 文学散歩で金沢文庫にご案内した 府中の受講生さんたちに 西湖憧憬のチラシをお送りしようとして 最終回を迎えた鎌倉と源氏物語の連載コラムも同封することに 講座開講中の時は その時々でお配りしてたのですが

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2018.9.24 ツイッターから転載…100分で名著のウンベルト・エーコ『薔薇の名前』&金沢文庫「西湖憧憬」内覧会のことなど

9月19日

作者の意図を超えた作品受容の構造と様態に着目したとき、三十歳のエーコは、すでにみずからの内に抑えがたく涌き出る「 物語ることへの欲望」に気づいていたと言って差し支えないでしょう…100分で名著薔薇の名前 和田忠彦氏解説

 

吉祥寺でエーコ この100分で名著薔薇の名前のテキスト しばらく浸っていたい というか なにも境がなくなるまで 自分のものとして昇華したい衝動に駈られています たぶん どんな記号論の本を読むより有効

 

エーコが放送業界にいたこと 井上靖が新聞業界にいたこと 角田文衛氏が考古学の世界にいらしたこと など 私は 報せることに使命をおく職業についてらした方に 惹かれるようです

 

私の悪い癖で 解説の和田忠彦氏に震撼するあまり ここ吉祥寺にはジュンク堂があるから 行って 氏のご著書を探そうか など誘惑に駆られ いやいや このテキストだけで済ますべき との拮抗の狭間で 戦っています でも 行ってはいけない! を肝に命じて笑

 

9月20日

玉簾の花が咲いています 母が世話をしていた時にはプランターをぎっしり埋め尽くすように咲き 今年は私の体調不良と忙しさで手が回らなかったのと 猛暑で もう絶えてしまうかと危惧 なのに ぽつんぽつんと咲いてくれていて ほっと安堵 手入れして来年に備えます 父が療養していた時の花

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玉簾が咲くと 金沢文庫の楊貴妃の簾を思う ただ簾というだけの連想だけど笑 文庫の展示に通い始めた頃 よく観ました いつからか展示されなくなって たぶんあることもご存知ない方多いと思う 称名寺が(金沢北条氏が)宋と交易をしていて 六浦に唐船がついていた頃の名残 次の西湖憧憬展に出るでしょうか

 

9月21日

漫然と読んでいても入ってこないから 今日は集中して 黄色いマーカーを引きまくったり 思い切り書き込みを入れまくったりして 100分で名著薔薇の名前テキストを一気に読み通しました やっとフラストレーション解消 もう一回目を通したら 離れます やはり記号論より エーコがいい!

 

薔薇の名前は二回読みましたが 二回とも 最後に行くほどつまらなくなって なんだかなあって思っていたのですが そこが記号論だったんですね それがエーコの策略 岩山の描写に震えた冒頭 最後に行くほどそういう描写がなくなり 言葉の羅列になる 虚しいと思っていたのですが それこそが世界だったなんて

 

記号論はわかったけど(わかったなんておこがましいけど) 私はやはり 仙覚さんの小説は 最後まで 古いタイプの 全うな悲劇にすると思う テキストのアリストテレスの項に悲劇はカタルシスを生むとありました 記号論でカタルシスは生まれないのでしょう

 

ダヴィンチコードも 最後がやはりつまらなかった 最後って 難しいですね

 

仙覚さんの小説の文体を探してのことです 場合によっては 今まで書いてきた分の 書き直すことも辞さない覚悟で というか そんなふうな気持ちが揺らめきはじめている感じ

 

夢の浮橋も 失われた時を求めても 最後がいい この違いはなんだろうと考えています

 

明日は道中のお供をテキストにして もう一回目を通そうと考えていたのですが 撤回 kindleタブレットにします

 

9月21日

つり革につかまったら肩が痛い 自律神経の乱れからの回復 まだ気をぬけないよう 渋谷でいつもホームに下りるエレベーターが工事で塞がっていて 一瞬焦ってうろたえ 尋ねて階段でおりました

 

タブレットは重いから コピーしたたまきはるを道中のお供に 前の時はカメラを諦めて タブレット 今日はカメラで撮りたいから タブレットが犠牲 両方はとても無理 不自由というより これはこれで気持ちの整理がついて軽快

 

100分で名著薔薇の名前で知った 理論化できないものは物語らなければならない はまさに仙覚さんの小説がそう 研究発表したら論文にしなければならないのだけど 小説にしますと宣言してしまいました あと 痕跡のあるものは読み解かなければならないも 仙覚さんの痕跡がたくさんあるのに 誰も読み解こう

 

とされないから 私がする使命かと心得て ほんとうに仙覚さんの痕跡はたくさんあるのに

 

内覧会でした 堪能しました

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称名寺では今 曼珠沙華がたくさん

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帰ります

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間違って降りてしまった 中目黒

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私はいい時代に金沢文庫に通っていたと思う 実時が称名寺と文庫を行ったり来たりした隧道 今はこんなふうに立ち入り禁止だけど かつては通れた 禁止でも せめてこんな無粋な工事中ふうにしなくても

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渋谷ストリームができて すっかり変わった視界 ヒカリエの前で撮りました でも こんな高いビル そんなに行ってなくなかったと思うのだけど いつの間に

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9月22日

土曜日午前の吉祥寺 昨夜の酔いと疲労が残っているのですが 出てきました 雨は止み 青空も見えます 昨夜ですっかり気分は金沢文庫 尾州家本源氏物語 やはりここは私の原点 お世話になった歴任の方々が退任され 新しい方々が活躍されて イメージが変わってきている気がします

 

アラン・ドロンを観ようとBSPをつけたら ロシアの永久凍土が溶けてできた巨大な穴をやっていました

 

BSPアラン・ドロン 終わりました べつに私はファンではなく 羅列された出演映画も スワンの恋以外に 一本も観ていなかったとわかって驚いたのですが ドロンは同じ時代に生きた人としてずっと私のなかにあり その人の人生が語られるというので観ました ズンと心に響きました

 

鎌倉禅研究会で 称名寺裏の草むらがきれいに刈り取られている との話を伺っていたので 昨日金沢文庫内覧会に入る前に行って見たら 曼殊沙華が咲いていました ここは称名寺結界絵図によると 講堂が建っていた場所です 現在ある金堂の裏になります

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草むらから戻り 称名寺境内に入って金堂に お参りをして振り向くと橋が真正面に見えました いつも仁王門から入って橋を渡って金堂に行くから こうした位置から見る橋が新鮮で 撮りました

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昨日スマホで曼殊沙華と阿字池の写真をアップしましたが カメラでも撮っていましたので一枚

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今日はシャルル・アズナブール愛のために死すを久しぶりに聴いて浸りました 危険な甘い感傷 書くために時には必要です かなり厳しく封印しているのですが 昨日の金沢文庫で綻びが 尾州家本源氏物語と出会った思い出の場所 当初は相手にされず でもめげずに続けて受け入れて頂いた長い過去が甦り

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2018.9.23 ツイッターから転載…10月の講座「鎌倉と蹴鞠」の準備に入りました

9月18日

寺院揺曳の校正が 第一章佐々目遺身院が終わり 第二章冷泉為相に行きたいのだけれど じつは今朝PCが不調になり 無事に立ち上がるかハラハラしました なので大事をとって 来月に控える講座「鎌倉と蹴鞠」のパワポにかかることにします パワポができなかったら大変だから

 

まだデザイン確定ではありませんが とりあえずタイトルを作ってみました 腰越学習センターの講座「鎌倉と蹴鞠 ~京・鎌倉の文化交流」 鎌倉に蹴鞠をもたらした飛鳥井雅経を中心にたどります 募集は『鎌倉萌』10月号掲載です

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蹴鞠の祖の雅経の祖父(誰でしたっけ 名前忘れて・・・)が清水寺の欄干の上を蹴って歩いた というエピソードからはじめたいから 清水寺の写真を背景にしようとしたら 雨の日 暗いので諦めました

 

9月19日

おはようございます RTさせて頂いた焼岳 梓川を歩いているときに見たこの山ですよね 上高地の大正池は この焼岳の噴火で梓川がせき止められてできたそう 地球の神秘にふるえます

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上高地帝国ホテルの背後から梓川沿いの散歩道に出ると 赤い建物が雑木林に映えて素敵でした 長い鎌倉の源氏物語普及活動と家の事情が重なって 自分らしい旅をどれくらいしていなかったでしょう 山への憧れはずっとあって 先日の上高地は ほんとうに魂の甦りでした ちょっと懐古に浸っています

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天理ギャラリー様の蹴鞠展図録で 蹴鞠の復習

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蹴鞠は点を競うのでなく 如何に長く鞠を落とさないで続けられるかだそうですね 現在行われている各地の蹴鞠では あまり四隅の木々が重視されていませんが 鞠の名手になると 蹴り上げた鞠が枝を伝って落ちる間に 枝の満開の桜がはらはらと散りしきる そういう妙義の美しさ 私はそういう蹴鞠を見たい

 

四隅の木は   柳だったかな それと鶏冠木 すなわち楓 絵巻を見ると 木は植えられていて それが鞠庭なんですね 鶏冠木とあえて記したのは 金沢文庫の資料で何の木かわからず しばらく四苦八苦した思い出があるからです そういう四苦八苦が今となっては懐かしい

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2018・9・20 ツイッターから転載…『寺院揺曳』の校正にかかりました&100分で名著『薔薇の名前』のこと

9月17日

おはようございます 昨日から寺院揺曳の校正に入りました 鎌倉の源氏物語が終わったらと思っていたのが 仙覚の小説が終わったらになり 仙覚の小説自体終わりが見えてこなくなった今は 先に終わらせて ほんとうに心置きなくなるまで 徹底的に古い作品をまとめようと 終活みたいですが これ必要

 

寺院揺曳の校正 とりかかったら かつての気分そのままに すらすら文章が入ってくる 第二章の最後の文章です 結構お気に入り笑:佐々目遺身院は鎌倉時代中期の建立だから、頼朝の時代の武人である義盛の時代にはまだなかった。実時や泰盛がこれから執権時頼のもとで活躍してゆくことになるという

 

年齢のころ創建なった。それは、佐々目遺身院が、時頼の兄経時が第四代の執権職にありながら早世を遂げ、佐々目の地に葬られたことを契機としてできたからである。

 

経時の墓所から発展した佐々目遺身院 こんなことから経時周辺を探って 松下禅尼のことも調べ そうした経験が タウンニュース鎌倉版コラムの第四回で「ファーストレディ松下禅尼」を書くことになる下地になっていたのだなあと 今更に 自由自在 天衣無縫に 書かせて下さっていた歌の師に多謝です

 

新潮社漢字講座で頂いた常用漢字表を初めて使う イタルの漢字 至と到のどっちか迷って でもこの表では判断できず検索 すると どちらもイタルの意味だが 常用漢字表でイタルと読むのは至だけと 見直したらたしかにそう 到は到着到底周到しかあげられていない 表の使い方も これから慣れていきます

 

寺院揺曳第一章佐々目遺身院(3)の結び: 寺院には、私的な規模の仏堂にはじまりそれが寺院に延長していったもの、そして、最初から国家規模で時の施政と密着して造立されたものの、二通りのなり方がある。佐々目遺身院の場合は前者ではないかと私は思う。

 

短歌の同人誌にこの連載をはじめて 短歌だけでなく 歴史 国文学 仏教 といろんな分野の先生方に見て頂いていたのですが 三回目のこの結びに 「僕もそう思う」 との感想を皆様から頂きました 専門家の方のこういうご反応が 書いていてとても自信になりました

 

上高地の帝国ホテルにあったオルゴールです

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上高地の帝国ホテル 前から行きたかったので やっと願いが叶いました この裏手に梓川沿いの散歩道があり 歩き始めたら 白樺林のなかに覗くホテルの建物が素敵でした

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吉祥寺 ヨドバシに紙を買いに出てきました 上高地の写真も 今頃になって やっとゆっくり見ています 何を生き急いでいるのだろうと 自分でも思うのですが 仙覚さんの小説はとにかく完成させなければ

 

9月18日

おはようございます 昨夜100分で名著薔薇の名前を堪能 私は小説は読んでいて それで惹かれてもいたのですが いつの間にかエーコという作家のありようや手法への関心に移っていて それはこの番組の和田忠常氏の解説への魅力にも虜になっていて はじめて記号論に有機的な 血が通った意味を見出しました

 

今更ですが 記号論 読んでみようかと でも エーコの小説論に特化しておいたほうが 無難でしょうね

 

記号論は 私が小説作法を学んでいた時のブームだっかかな それとも その直後? 取り組みそびれて 歴史に移りました

 

手が空いて TLを眺めると 素敵な写真に 素敵なコメント の方々がいて それに比べて など卑下してしまうけれど どう考えてもそういう世界にほど遠くいる昨今(ゆっくりカメラを向ける精神的余裕がないという意味)だから せめてRTで我がTLを飾らせて頂くこの習性 いつかどうにかなるのでしょうか

 

なまじ写真を撮っていて なまじ文学の世界にいたりしたから どう考えても今が自分の世界ではないんです & それで必死になって仙覚さんの小説と取り組んでいて これが完成した時にやっと 自分の世界! となるのだと思う 遠いなあ……

 

『源氏物語と鎌倉』の出版社様から 何かと思ったら オーナーの阿見みどり先生が 鎌倉芸術祭で 妙本寺様で万葉の花の原画展をされるので その会場で本を販売して下さるのに作られたチラシ 阿見先生のお父様は万葉学者山口正先生 はからずも源氏物語の出版で出会って万葉集もとなって 今に至っています

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2018.9.18 ツイッターから転載…深夜に映画「スワンの恋」を観て&『寺院揺曳』の校正にかかりますなど

9月15日

おはようございます 昨夜は映画スワンの恋を熟視 堪能ではなく 熟視 ずっと思っているのですが スワンのような 恋に落ちたらもうどうにもならない状況 あれを書いたプルーストは凄い 延々とどうしようもなさだけで進んでいく 周囲の呆れ果てた眼がいわゆる正常 馬車の音とか馭者とか みんな好き

 

kindle読書がこれからスワンだから 映像が身になって 楽しみ それにしても 私は忘れやすい 映画館で観たのに ほとんど覚えていませんでした それから 点描のように一瞬現れたジルベルトの生きていること! やはり失われたの基底には 花咲く乙女たち の眼差しが横たわっているなあと 感じました

 

昨夜の映画スワンの恋 映像がずっと頭から離れないのだけれど 映像としてあの映画完璧なのでは? いい映画は他にたくさんあるけれど みんなドラマの一端 スワンは心理描写の流れのなかで スワンが行ったり来たりするだけだから 場面場面がみんな詳細で緻密 いいな ああいう映画って と今堪能

 

じつは 観ているあいだは熟視だったから ずっと姿勢が凝り固まって 途中目眩っぽくなくなって危険を感じたのですが 今朝家人に肩凝ってるよと指摘され それくらい集中したんだ~となりました 馭者さんが好きなのは たぶん光源氏の惟光だからです 見透かした眼差しが可笑しくて

 

そうっか スワンみたいな狂った恋を描くのは至難の業 と思っていたのだけれど 冷静かつ黙視の脇を入れればいいんですね (と 滋子さんの短編に指南)

 

タウンニュース鎌倉版コラム最終回から一日経って その間にプルーストの映画を見て ようやく今気がつきました 人物風土記で取り上げて頂き 金沢文庫の展覧会で尾州家河内本源氏物語と出逢った件 私はただ漫然と展覧会に行ったわけでなく その間に小説の新人賞を受賞し 大手の出版社さんから出版して頂

 

くことになったのに その編集者さんが病気になられてたち消えて文学に挫折 その苦しみから逃れるために遺跡発掘に従事したから 歴史に目覚めて 金沢文庫に通うようになったのでした でも文学の感覚は戻らなくて やっと鎌倉の源氏物語に出逢ったことから 論文は書けるようになったけれど 小説の感性には

 

程遠くいました 最終回に際し 記者さんとのインタビューで いろいろな思いが掘り起こされて そこに スワンの恋の映画 文学に挫折した時 失われた時を求めてが 最後の見出された時で 主人公が書くことを見出して終わる ということが私の心の中にあって 私もいつか という思いでどんなに救われたでしょう

 

最終回とスワンの恋が重なった偶然 奇しくもの流れですが これは私にとっての見出された時になるのかも とそんな気がしたのでした 失われた時を求めては 私にとって希望の書だったのでした そんなことをこの夜中に起きて考えています

 

先の連投 失われた時を求めてが希望の書だったということ 漠然と頭のなかにはありましたが というか ずうっと片時たりとも忘れていないのですが こうはっきり自覚したのは今が初めてです

 

編集者さんが病気になられて出版が頓挫したことを 私は忘れていて ただ文学に挫折した ということで今まで通していたのですが それをお話した時の記者さんの絶句したような驚かれ方で それでそれがそんなに大変なことだったのだと 今更に自覚したのでした 自分ではわからないことってあるのですね

 

9月16日

NHK BSP ナポレオン街道を観ています 標高1000メートルの岩山を行軍 途中で大砲を運ぶのをあきらめました

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ナポレオン街道 観てしまいました 高い岩山の魅力と ナポレオンの孤高な歴史 思いがけず強烈な朝になりました

 

いろいろ終わって気が軽くなると思ったら これからはすべて自己責任 みたいなかえって重圧がのしかかってきて 知らず知らずのうちに緊張しているみたい 目眩があり 昨日から自律神経の乱れによる見知った肩の痛み これはいけないと思ってまたヒーリング音楽を復活 終活的に作品をまとめなくては

 

しばらくこれを進めます

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100分で名著薔薇の名前のテキストを読んでいたら 修道院内部の描写が引用されていて 『ウンベルト・エーコの小説講座』でもエーコがその架空の修道院が実際にあるかのように作中人物がふるまえるくらいに把握していたと読んだのを思い出し 私も最勝光院をそれくらいまでしたいと思う

 

引用されたエーコの文章 素敵でした 著者の和田忠彦氏の解説は 私のツボを押さえてくれていて 満喫

 

それにしても エーコの 主題に集中すれば文章はあとからついてくる の語 いいな! 書くことの醍醐味 早くそこに戻りたいと思う(如何に私がずっと散漫だったかが思われて)

 

『寺院揺曳ーまぼろしの廃寺を訪ねて・鎌倉佐々目遺身院ー』はじめにより:佐々目遺身院は、今は金沢文庫に残る古文書のうちの指図に名前が残っているだけで、正確な所在地は知られていません。ただ、発掘調査によって、おそらくここだろうという場所がわかっているだけです。それは、鎌倉大仏がある

 

長谷から鎌倉の中心部に向かう道の途中、現在の地名でいう笹目のあたりで左折してはいって行った奥……、今はすっかり地元の人の記憶にもない寺院ですが、鎌倉時代には京都から亀山天皇の皇子、益性法親王が下向され、住していられた、建物も寝殿造風のとても雅な寺院でした。

 

よく鎌倉時代は新仏教の時代といわれますが、佐々目遺身院から歴史をたどっていくとそれは一面の問題に過ぎず、旧仏教が変わらず勢力を張っていたことがとてもよくわかります。単純にはじめた古典探訪の随想ですが、思いがけず、鎌倉時代の鎌倉における仏教のありようを見直す結果になりました。

 

佐々目遺身院はおそらく安達泰盛がパトロンの寺院なのだけれど、この指図、金沢文庫の安達一族展に出展されていたでしょうか。結局安達一族展には行かなかったし、図録も完売したそうですね。図録は、今度行った時に図書室で見ることにしています。

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2018.9.15 ツイッターから転載…タウンニュース鎌倉版コラム最終回と人物風土記が掲載になりました

9月14日

タウンニュースの紹介記事 インタビューして頂いたのは先週土曜日 話が弾んで延々2時間 予定の倍 膨大な量と内容を 記者さんがどうこなされるのだろうと 暗に同情してたら すっきりまとまってびっくり さすが! と感動 存分以上に意を汲んで頂いて 締めの文章では 思わずうるっとしました 

https://www.townnews.co.jp/0602/2018/09/14/448859.html

 

【タウンニュース鎌倉版】鎌倉と源氏物語〈最終回〉 鎌倉幕府滅亡と「尾州家河内本源氏物語」

https://www.townnews.co.jp/0602/2018/09/14/448468.html

 

吉祥寺 いろいろ終わって ぼうっとした頭で 今何をすべきか思い出せない感じで出てきて 書店の前を通ったら 何か買う本があったと思い出し それが何かわからないまま入ったら平積みされた100分で名著 薔薇の名前のテキスト これだ!と購入して 珈琲店に入って読んでいます

 

昨日 スマホで撮った写真と デジカメで撮った写真の 整理している時の気持ちがあまりに違って スマホの時はもう写真は止めるとまで思い デジカメになったら爽快感に止められないと思い 写真へのイラつきは 重たいからとデジカメを持たずにスマホに片寄ったせいだったよう もうデジカメを離しません

 

私は 源氏物語も薔薇の名前も 物語それ自体よりも 作家としてのありように牽かれていることのほうが強い 先日記者さんに源氏物語のどこが好きなのか訊かれて 四苦八苦して浮かび上がった答えがそれでした

 

ウンベルト・エーコ: 主題に集中すれば言葉はあとからついてくる← ほんとうにそう 仙覚さんの小説に戻るにあたって 最高の祝辞(今まで如何に集中できなかったかの思いが込み上げてきました)

 

帰ったら届いていました タウンニュース鎌倉版コラムの紙面 最終回です 写真の称名寺反橋は初代のもので 現在かかっているのとは違います

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参考までに第一回の紙面をアップ この写真の反橋が現在かかっている二代目です 称名寺は発掘調査するまで鬱蒼とした茂みで 称名寺には鎌倉時代の結界絵図が残っているのですが 誰もそれを信じていなかったそう 発掘したら橋脚が出て 景石まで出て それから阿字池の現在の苑池を復元したのでした

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ネットより 称名寺結界絵図です 鎌倉幕府滅亡の直前の称名寺境内です 

https://pbs.twimg.com/media/C-eR92mVwAAOoEu.jpg

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2018.9.14 ツイッターから転載…上高地の写真から山への憧憬・思い出など

9月13日

おはようございます ずっと旅といば学会か歴史のロケハンを兼ねてだったのですが ほんとうは長瀞を歩いたり 糸魚川静岡構造線を辿ったり の地質系旅行が好きでした 昨日はやっと念願叶っての上高地 気分一新して また 頑張ります

 

スマホの写真の整理をしたいのだけれど それをしていると 他に手が回らない もうパワポで仕事をするのを止めるから そんなに写真保存に気を回さなくてもいい とも思い始める 写真と文学と 二兎を追うのを止めないかぎり 仙覚さんの小説に専心できない とわかってきている たぶん いろいろ切らなければ

 

倒木 むかし 歌会で 苔むした倒木にはらはらと桜が散りしきる歌を詠まれた方がいて なんて官能的な歌なのだろうと感動 以来 倒木を見ると思い出します 歌の力

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折れた木の幹に 苔が新しい世界を創りだしていて 一瞬 森林タイプの桂林のようなミニチュアかと 思ってしまいました

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流されてきたらしい白骨化した倒木 無の世界

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穂高に 物資を運ぶヘリ

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デジカメで撮った写真を整理しています これくらいズームを効かすと まるで自分も登山していたかのよう というか 穂高ならズームでこういう写真が撮れると思っての上高地への憧れ 昨日アップしたのはスマホだからどうということないけど やはりきちんとカメラで撮った写真は捨てがたいです

 

ズームで撮った穂高

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心洗われました

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文学と写真の二者択一 やはりまだどちらかひとつは無理 と思います 写真の取り込みがこんなに胸がすくのに 止めるなんて無理

 

そういえば 取材とかロケハンでしか撮っていなかったから こういう写真へのフラストレーションが 溜まっていたのかも

 

上高地の秋(1) 梓川沿いの散策路で撮った植物を何枚かアップさせていただきます

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上高地の秋(2) 紫苑ではないですよね この花をよく見かけました

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上高地の秋(3)

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上高地の秋(4) 全体にこういう感じでした

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上高地の秋(ラスト) ナナカマドでしょうか ここだけにありました 赤が周囲の秋めいた樹木のなかで 映えていました

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はじめての登山が大日岳 大日小屋に泊まって 早朝の剣岳を拝しました 当時はまだ密教を知らないから 大日って変な言葉 という馴染みのなさ それが今では滋子さんの短編で大日如来を書いていて しきりに大日岳との因縁を思う 後年 密教を学んだ時から いつかこの日が来るという気がしてたので

 

立山曼荼羅も 大日岳登山の入口が立山だったので その時は知らずに登っていたのに 密教の先生が立山曼荼羅に関わられていて それでなんか不思議な因縁を感じていました 立山 その後も何回か観光で行ったけど また行ったら印象が違うでしょうか

 

白馬の雪渓も お花畑の手前まで行ったけど また行きたい・・・ と「山」がしばし私のなかに籠りそう 本格登山の経験はないけど 山男だった研究者さんや企業戦士さんを見ていると ふつうの人と違う 今なお強い脚力 精神の若々しさを思うと 山って 凄いと思う 山には神秘ななにかがあります

 

ズームで撮った穂高 白馬の雪渓に行った時はフィルムカメラの時代で 今はもうどこにしまったかもわからない もう一度行って撮りたい というのは こういう昨今の かつてだったら超々望遠の重たいレンズを持参しなければならないところを 小さなカード型のデジカメで ここまで撮れてしまうから

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ウィキで穂高を読んだら 噴火でもたらされた火砕流が原因の 溶結凝灰岩で形成されていると 峻厳な岩山の山が好きというのは 崩れやすい岩石でできた岩山なのでしょうか 昨今の地滑り・山崩れ を見ていると 大きな岩盤がパカッとはがれ落ちて岩肌が剥き出しになる そういう知識も増えて

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2018.9.13 ツイッターから転載…9.11の17年目&タウンニュース鎌倉版コラム最終回に思う&上高地に行きました!など

9月11日

おはようございます 9.11から17年なんですね あの夜 私は翌日横須賀の夢窓疎石庵跡を撮りに行こうと 鞄にカメラを詰めていて 脇についていたTVから 久米宏さんの声がして 飛行機がビルにと 見ると まさに撮りに行こうとしていた横須賀の米軍基地ゲートが映し出されていたのでした

 

連載していた歴史随想「寺院揺曳」 夢窓礎石と冷泉為相の関わりを書いていて 横須賀に庵だ泊船庵を訪ねようとしたのでした 目下諸々算段中なのですが 感情をつぎ込まなければならない滋子さんには行かれないから 何をしようと考えていて 寺院揺曳に? と昨夜浮かんだところ 暗示だったのかも

 

雨上がりの雑木林@井の頭公園

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今はヤブランの紫が綺麗

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涼しい吉祥寺 昨夕のふらふら感は薄らぎました 一難去って雨降って地固まる 油断はできないけど 人は一人で生きてるわけでないから 自分以外のことでも 心配事が絶えない でも そうやって悩んで乗り越えて 人間万事塞翁が馬 で生きていくんですね

 

これで最後だけれど 最後だからなお最終回として配慮を と記者さんが頑張って下さっている タウンニュースのコラム 自分の原稿なのに今は記者さんが文章を見て下さっていることのお電話 なんか不思議 原稿は手を離したら自分だけのものでなくなるんだ~と お電話で 自分より深い解釈を示されて

 

最終回は 私にとってでもあったけど 記者さんにとっても 終わり なんですね そう感慨を持っていただける記者さんと出会ったのも 冥利に尽きるのでしょう 14日号掲載だから 今日が追い込み

 

9月12日

シルトの岸辺

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水が綺麗@梓川

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冷たくて とても澄んで

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夕暮れの諏訪湖 もうずっと前 岡谷にある寺院で 早朝 独り 月見草が咲く野辺の道を歩いて山門にたどり着き 月想観を修させて頂いた 思い出の湖 その方も遷化されて久しくなりました

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聳えるというのではなく 覆い被さる のしかかってくる というような山が好きだから いつか行きたかった上高地 やっと念願叶って行ってきました これで心置きなく原稿にかかれるかな(そうしなければ!)

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本当はヒマラヤに行きたいのだけれど それはもう無理だから上高地 やはり高い山 剥き出しの岩盤も露な岩山は いいです! 峻厳 嶮峻 孤高 といった言葉が使える世界

 

奥に見えるのが穂高 為兼の山また山のその奥の峰終日浮かんでいました

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*新しいスマホのカメラで撮ったから、画面サイズがみんな横長(笑)

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2018.9.11 ツイッターから転載…インタビューや諸々雑感

9月9日

おはようございます 今日は重陽の節句 ちょうど昨日 インタビューの記者さんに鎌倉文学館講座室をお借りしての連続講座の話をしましたが その初回が9月9日でした 2014年のこと それがタウンニュース紙の記者さんのお目にとまって コラムの連載を頂きました そんな経歴を振り返った昨日

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連続講座のタイトルは「隠れた鎌倉の歴史を掘り起こす 鎌倉の歴史を楽しむ会」 鎌倉の源氏物語活動を応援して下さっている鎌倉の方々に企画して頂いての講座でした 佐々目遺身院 金沢文庫歴代当主 とはずがたり 十六夜日記 万葉集仙覚 仙覚と国宝慈光寺経 の計六回行いました

 

図書館にて 家の庭だったらいいのに この風情好きなので

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先日の同志社女子大学の京のほんまもん 着付けが終わった後 モデルの方がするりと抜けて 残った斎王代の衣装 空蝉です すると年配の男性が手をあげて たくさんあった紐はどこいったゃったんですか?と 知らないとそう思いますよね

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着付け完了後の斎王代の方の後姿です

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京のほんまもんの時の写真を何枚か揚げましたが SNSに揚げていいですか? と伺った時 いいですよ そして同志社大って入れて下さいねと半ば笑いながら言われたのを思い出して 今さらですがそうしました  そんな投稿のついでに 人の顔の写っていない何枚かをアップしました

 

ただいま《朔》です

 

9月10日

おはようございます 三日連続の外出だったための日常の山積 昨日はその解消に終日費やしました 三日間の内容も濃かったし 鎌倉禅研究会FBのまとめもしなければならないし そんなことで気分がすっかり滋子さんから離れてしまいました 来月の蹴鞠の講座が迫っているし パワポにかかるべきかも

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写真は2005年に訪ねた時の たぶん京都御所 蹴鞠をする鞠庭ができていました パワポはこの四隅に立てる木のことから入ろうかと思ったり・・・

 

今日は 100分で名著「薔薇の名前」ですね! 夜1025 忘れないかはらはら

 

先日の建長寺様では女郎花が咲いていました 今日は鎌倉禅研究会FBを済ませてしまうことにして 目下写真選択中 そうしたらこの写真がありました 方丈の脇に花塚や茶筅塚があり その一画に

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先週行われた鎌倉禅研究会のようすをFBにアップしました 国際日本文化研究センター・榎本渉先生の「建長寺10世一山一寧の来日に関わる古文書」は 今まで読み解かれていなかった史料を解読され 従来の一山一寧の来日の状況を裏付ける貴重なお話でした

 

雨の吉祥寺 もうすっかり外は暗い なんとなく 目眩ではないけれど ふらふらしている 忙しすぎたから? このふらふら感 過去に知っている あの時はほんとうに人生の岐路だったけど 今もなにかあるのかしら など思う 人は意識の外で動かされている

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2018.9.10 ツイッターから転載…新丸ビルにある京都アカデミーで講演と十二単の着付けを鑑賞&タウンニュース鎌倉版コラム最終回に向けていろいろ

9月7日

RTの明月記一筆箋 持っています とちょっと自慢 冷泉家展で買いました この時の展示で宗尊親王の中書王御詠を見て そのサイズが尾州家河内本源氏物語と似た大型本なことに 尾州家本の宗尊親王制作者説のヒントを得たのでした

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中書王御詠は宗尊親王が更迭されて 帰洛してからの制作 です 鎌倉の人の意向は入っていません その時のキャプションは 長く鎌倉にいたから 野暮な武士文化の大型本 といった内容でした ひとりプンプンして帰宅したのでした笑 私は大型本は親王の権力の誇示と思っています

 

その尾州家河内本源氏物語の制作を巡ってのタウンニュース鎌倉版コラムも この14日号が最終回 校正が届いています 宗尊親王制作説を 私説として書きました 挿入の写真は鎌倉滅亡まで尾州家本が収められていた金沢文庫の称名寺 我ながら気に入った最終回になっています

 

今日はお上りさん 昨夜帰宅してから目眩が再発しないかはらはらしていましたが なんとか出てこられました 私などが心配してもなにも動かないけど TLで世の中を見ながら やはり必死にいろいろ考えてしまいます せめて皆様ご無事に

 

新丸ビルにある京都アカデミーは 京都の大学が交代でご自分の大学の知の文化を講演して下さる 今日は同志社女子大学から吉海直人先生の葵祭のご講義と 風俗博物館館長井筒様解説による 葵祭斎王代の着付け 本物を使っての大盤振舞でした モデルも実際に斎王代を務めらた方でした 触らせても下さって

 

写真が添付されてませんでした この素材は  触らせて頂いたら固かった 感動でした

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これで二日目の所用を無事に終え あと明日 無事に終えられますように

 

とにかく 綺麗でした 橘の重ね

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ビルを撮るのが好きで ついつい撮ってしまいます 左手に赤レンガの東京駅があります

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前のスマホのカメラがズームボタンがあったのに 新しいのにはなく ズームはどうやるのだろうと思ったまま 調べないでいて 今日斎王代の着付けにズームで撮ろうとしたら わからない! 忸怩たる思いで そのうちに 指で画面を触ればいいだけとわかったけど もっと早く気づけば襞のアップとか撮れたのに

 

十二単は江戸時代から言われた言葉だそうですね 葵祭も昔はただの「祭」 それが十二単も葵祭も一般になって どうやら私たちは源氏物語を江戸のフィルターをかけてみているようです とのこと 井筒様もそれはご存じでいられて では十二単をそれ以前の呼称で言おうとすると 通じない なので十二単を黙認と

 

ただいま《白露》です

 

9月8日

おはようございます 昨夜は源氏物語葵巻を読みながら就寝 勿論例のごとく中野幸一先生正訳で 先日の源氏物語絵巻を見よとの夢告以来源氏物語づいています 昨日の京のほんまもん講座もある方の代理 珍しく年配の男性が多いと思ったら 専門の研究者さんがいらしてたんですね TLで今納得 さすがほんまもん

 

吉海直人先生のお講義を踏まえて読んだ葵巻 今までと違いました 今まで苦手な巻だったのですが

 

これ、ほんとうの斎王代の方が 着られる衣装 なのに こうやって無造作に回して 触らせて下さって 井筒館長様の凄い太っ腹 そうだから 専門の研究者さんもいらしてたのでしょうか

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先程のも これも まだズームの仕方がわからないとき なので目前に来たときしか 人が入っていないこういう写真を撮れませんでした

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今見たら 奥で斎王代の方の着付けが始まっていました モデルの方が来ていられる袴の色を 濃き というそうです

 

どうやら3日連続の最後のミッション(大袈裟 ) 目眩なく無事に果たせそう なにより 嬉しい 今日はインタビュー 最終回なので紹介して頂けるそうです なので鎌倉 一昨日行ったばかりなのに

 

記者さんと打合せをしていたら 考古の方とお会いして 頂きました 大倉幕府のシンポジウム

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お昼頃の鎌倉に向かう時の車窓の雲 上辺がカナトコ雲になっていくような雲の 地上からの発生する部分が見えて 撮りました それほど大きくはならなかったようです 横浜付近で 車窓左手

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鎌倉の帰り これで一応滋子さんの短編にとりかかれるかな という状況 記者さんには仙覚さんの小説に と語ってきましたが

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2018.9.9 ツイッターから転載…建春門院滋子さんの短編雑感&鎌倉禅研究会に行く

9月5日

おはようございます 台風被害の各地のようすを見ながら心痛めています 我家では強風にどうなるか夜中心配でしたがひとまず無事 と思ったら井の頭公園では木が倒れ 八王子で屋根が飛び とのこと やはりあの強風はただごとではありませんでした 復旧にかかられている皆様お気をつけられてください

 

引き続き建春門院滋子さんをみています 建礼門院右京大夫集も読みました 高倉天皇中宮の建礼門院徳子さんのもとに 建春門院滋子さんが来て そこに時子さんも来て 集うところ こうしてみるとほんとうにこの短編は源氏物語絵巻そのもの 寺院と法会から入ったので思わぬ展開 (うかつでした笑)

 

平安時代が好きな方には周知のことでも 私のフォロワーさんはそうでない方が半分以上いられるので ここで捕捉させていただくと 建礼門院徳子さんは平清盛の娘で 母が時子さん 建春門院滋子さんは時子さんの腹違いの妹です だから徳子さんは滋子さんの姪 三人で結束して清盛を引き立てたのでした

 

透明感ある上品な夕焼けでした じつは目眩を再発していて たぶん講座が近づいている緊張と思うのですが 気味が悪いから出かけたくないのだけれど 明日から三日続きの外出 二日だったのに さっきお電話でどうしても今週にとなって お受けしながら 目眩が起きたらどうしよう などと 危ういです

 

私は決してあがり症ではなかったし 鎌倉で源氏物語の活動をはじめたときも よくあんなことができたなあと 自他ともに認めるほど大丈夫だったのに 経験を積んで 講演も講座も自分ひとりの力でなく 準備に奔走して下さる方々の労力を見て それで失敗が許されないという緊張が生まれた気がします

 

9月6日

おはようございます 関西の台風災害のこともまだ収まらないのに 北海道の大きな地震 西と北で大停電中 考えられません 日本はほんとうに全島をあげての危機管理の時代に突入したのでしょう おそらく今度はその中間の中部・関東 行政の 事前の 事後の 危機管理 重要課題と思います

 

おごれるものは久しからず これだけ自然が真摯に取り組めと攻めてきているのに どこ吹く風 の何方かたち 古代だったら いえ 鎌倉時代でも 引きずりおろされるか 抹殺されるのに まだ目が覚めないなんて 中世では みずから責任をとって辞めた方さえいられるのに

 

こういう時ですが 今日は鎌倉禅研究会 彭丹先生の現代語訳と 榎本渉先生の一山一山寧です 1時から建長寺様で お気軽にいらして下さい 流暢な彭丹先生の中国語を聞くために来られる方もいるくらいです

 

災害用グッズ 常備しててもどんどん埋もれて 危機意識が慢性化していました 今度は中間と思ったら怖くなり 帰ったら家族動員で見直しをしようと思う この際小型発電機等は出して玄関に置いておこうかと

 

大船どまりだったので 思いついてバスで鎌倉へ 常楽寺様を通って 北鎌倉駅 そして建長寺様

 

今日の道中のお供はたまきはる 建春門院のところをコピーして持って出ています あれほど読めなかったたまきはるが 法住寺殿の配置や間取りがわかったら すらすら 心理描写がないから苦手だったけど これは実際にあった記録として役立ちそう 源氏物語は心理描写ですものね

 

たまきはるには 建春門院滋子さんの生の声が記されている 今まで滋子さん自体のイメージが湧かなかったから 読んでも高倉天皇の母君のセリフ 程度にしか思わなかったけど 傍に置いて離したくないほど可愛い女性と思ったら セリフが俄然なまめいて感じられてきました

 

けっこう おちゃめ 深窓の姫君でなく 女房あがりだからと思う 感覚がある意味庶民

 

駅の売店 タブロイド紙の見出しに インフラ壊滅 事実か大袈裟かはともかく 印象はそう こんなときに いまになってもまだ トップの なにがなんでも国民を守る の顔が見えないなんて インフラは個人が頑張ればできる話ではない その人たちにしかできないことなのに

 

あのときは エダノネロ のハッシュタグができるほど 顔が見えてたんだよ と思う

 

今日の(6日)建長寺様 今年最後の一輪でしょうか 唐門前で白い蓮の花が静かに咲いていました 北海道で早朝に大地震のあった日

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2018.9.6 ツイッターから転載…100分で名著『薔薇の名前』&建春門院滋子さんの短編雑感、夜居の僧のこと

9月3日

100分で名著 薔薇の名前 面白かった 言われてみると読んだそのままなのだけれど 私が惹かれているイメージと全然違う 源氏物語の原文と現代語訳の関係みたいで 解説するとみんなこうなるのですね

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理論化できないことは、物語らなければならない。ウンベルト・エーコ 100分で名著より

 

最勝光院滋子さんを書くことになったのが もっといえば 仙覚さんを小説化しようと思ったのが そういうことだった気がする (昔書いていた小説と 全然立ち位置が違います)

 

年譜に 今まで必要ないと思っていた 滋子さんの出仕年と 高倉天皇誕生年を入れました 出仕してすぐ 滋子さんは高倉天皇を身ごもったようです これは後白河院にとって 大きいかも

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建春門院滋子さんは 源氏物語の姫君のうちの誰? とずっと考えていて適応する方を思い浮かべられなかったのですが 桐壺更衣だったのかも 光源氏に匹敵するのが高倉天皇 違うのは桐壷更衣が悲劇に終わったのに対し 建春門院滋子さんはこの世の栄華を昇りつめることができた

 

9月4日

台風の進路を気にかけながら 源氏物語桐壺巻に眼を通していました 桐壺帝と桐壺更衣を 後白河院と建春門院滋子さんに重ねて 違和感なく重なりました 更衣が亡くなる前後の人々の状況は まさに法住寺殿にあっての滋子さんの崩御がそうであったかのよう 命婦が亡き更衣の母を訪ねる場面 やはり圧巻です

 

もう私はたぶん原文を読まない 今夜も中野幸一先生『正訳 源氏物語』で 中野先生の訳は現代語訳でないから 時々原文を読んでいるかの錯覚に陥って わからないところがあると 注を見るつもりで対訳に眼をやり かえってそれが原文なのに気がついてひとり苦笑 というおかしな現象になります

 

(命婦は)泣く泣く、急ぎ参る。(原文です)」のあとに続く文章が「月は入方の、空清う澄みわたれるに」と続くこの転調が紫式部の文章の特徴で好きです

 

三人の年齢を書き込んでみました 青が高倉天皇 緑が後白河院 赤が建春門院滋子さん

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昨夜 薔薇の名前を観て思ったこと そうっか 引用をしたらいいんだ! なんとなく出典がわかる文章を忌避していて そういうのは書かない と内心頑なに思っていて なのでたまきはるもギリギリまで読まないでいて 読んだ後も書かれている逸話は使わない頑固に レベルの違う話として 引用はいいんですね笑

 

こちらでは風雨が強くなってきました 関西の方々を心配しながら 終日夜居の僧について調べていました 清涼殿の天皇が休まれる夜御殿と妻戸一枚を挟んで二間という部屋があり そこで僧侶が夜中天皇の安泰を祈る 時には天皇が二間に入って一緒に祈祷したり話したり そんなふうなら親密になりますよね

 

源氏物語図典で間取り図を見たり 源氏物語薄雲巻の夜居の僧の箇所を読んだり なんとなく場と雰囲気がつかめました 東寺の僧の時に掛ける仏画のご本尊は普賢延命菩薩様 松尾寺の国宝の仏画がそのイメージとあったので 検索してスマホに 美福門院得子さんも持仏だったそう 荘厳かつ華麗です

 

研究から文学へ 自分でスイッチを切り替えればできると思っていましたが 先日の夢告で源氏物語絵巻に接して以来 研究肌から抜けるのは容易ではないことが 実感されています 夜居の僧の件で源氏物語を読んでいたら 研究体質ではこの感覚で読めない ということが 覆い被さるように実感されいっそう

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2018.9.5 ツイッターから転載…建春門院滋子さんの短編、源氏物語と寛遍僧正のこと

9月2日

おはようございます 雨の朝 とても心地よく滋子さんの短編がほぐれていっています 昨日図書館で大型本の源氏物語絵巻を見てから 心のありようが変わりました 凄く立体的にかつ色彩的に 人物が空間のなかで立ち上がり 言葉を発するようになりました 今朝閃いたタイトル もうこれで決まりでいいかも

 

鎌倉の鎌倉時代の源氏物語を追っていたから 源氏物語を扱う人たちは鎌倉時代の人で しかも武士 だから絵巻のような世界は絵巻のなかのことで イメージが武士文化に頭が固定してしまっていました そこをほぐすのに時間がかかったということでしょうか

 

源氏物語絵巻の本 図録も含め 何冊も持っているのに たぶん家でこれらを開いてもこうはならなかった 持ち上げるのも大変なくらいの大型本を ゆっくり開きながら目で追っていると さながら映画を観ているようでした 小さな本で解説を読みながら進むのと大違い 年中行事絵巻や法然上人絵伝もこうします

 

というのは この二つの絵巻に 法住寺殿が描かれているから

 

雨で草木が潤って

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よく大河などで帝と対面する場面では 帝は御簾越しの一段高いところに座して 対面者は平身低頭 後白河天皇と寛遍僧正の対面もそうするべきかと悩んでいたら 源氏物語絵巻ではそんな堅苦しいことをしてはいない 絵巻のような対面ならざっくばらんに話せる と絵巻に救われました

 

後白河天皇は源氏物語に関心があったはずだから 寛遍僧正に源氏物語について問うような展開を考えています これって自分で驚き ここまで深めるつもりなかったから 源氏物語は 私の場合 どこにいっても顔を出します 先日の建長寺様での時頼講演でも 結局は源氏物語が顔を出して主導しました笑

 

1: 映画空海で楊貴妃が 安倍仲麻呂(阿部寛)に「Abo(Abeではなかった)と言い あとは言葉にならずただ見つめあう そのシーンを滋子さんの短編に使いたくて ずっと考えていたのだけれど できました 院がある人物にその名を呼び そして何々せよと命令する その命令の言葉がたぶんタイトルに決まり

 

結局 朝に呟いた これで決まり のタイトルも変更になりそう

 

2: 後白河院が寛遍僧正に問う話の内容 できました 寛遍僧正は上東門院の妹の孫 上東門院は国母です 国母としての心構えを(鎌倉における執権の母として)松下禅尼は上東門院を崇拝して学んだ 院が高倉天皇の母となる滋子さんに 国母としての心構えとして 上東門院のことを尋ねる というふうに運ぶのは?

 

先日の建長寺様での時頼講演の主題が 松下禅尼の上東門院崇拝でした その応用編になります まさかあの講演がこんなふうに繋がってくるとは みんな源氏物語繋がり

 

夢で源氏物語絵巻の関屋巻を見よ の暗示を受けて 急に物語が動きだし 源氏物語的に染まってきました 思ってもいなかった展開

 

国母になることに怯える滋子さんを書こうと決めたら 初めて滋子さんが可愛い人に思えてきた たまきはるで 完成した女性としての 立派な滋子さんばかりを読んでいたから(寝なければならないのに なんか興奮して眠れず 起きてツイート でも寝ます お休みなさい)

 

9月3日

おはようございます やっと建春門院滋子さんの魅力がわかりました いくら美貌で賢くてといわれても それだけで後白河院をあれほどまでに引き付ける問題ではありません 片時も離さず傍においておきたいタイプの女性だったのでしょう たまきはるに描かれたギリシア彫刻のような完成した美はそのあと

 

これで建春門院滋子さんが主役になりました 彫像のような滋子さんがあまりに動かないので この短編の主役は最勝光院という寺院かなあ なんて思ったりしていました ひとときも君を離したくない なんて 後白河院がいうはずありませんけど笑 でも そういう女性

 

これから出かけるのですが 仕度をしながら そんな滋子さんの崩御を書くなんてと 今から泣きたくなっています なんというテーマを選んでしまったのだろう と思いながら いっぽうで これでやっと私の好みの悲劇性がでたと 作家って過酷な仕事です

 

新しいスマホの初外出 道中のお供は阿部泰郎氏宝珠と王権 阿部先生といえば守覚法親王の世界だけれど 法親王も後白河院皇子 最勝光院での法要に導師を勤めるくらいに成長されているから 母君が滋子さんと争う立場にはなかったでしょうけど どう思われてたかなあと

 

ただいま《下弦》です

 

緑がとても綺麗なことに気がつきました 茶色っぼく輪郭が縁取られているので 遠目に茶色っぼい観葉植物とばかり思っていました  ふと通りすがりに 上から覗いて

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2018.9.4 ツイッターから転載…建春門院滋子さんの短編雑感(寛遍僧正のこと、源氏物語絵巻を見て広がったことなど)

8月31日

今日はスマホ騒動で終始したから これから少し滋子さんに浸って休みます でも 新しいスマホのカメラが思ったより綺麗に写ることを知ったのは収穫 試しに撮ったロゴスキーの磁器肌の美しさ 病みつきになりそう スマホ写真はデジカメと違って ネットに直繋がるのが便利 この爽快感を知ってしまったから

 

前の機種はノートというだけで 物凄く気に入っていたのだけれど カメラの性能に満足したことはないから 記録として撮っておく程度にしか使いませんでした 通信も なんか爽快じゃないし ノートのこだわりを捨てて これからやっと普通になります

 

泉武夫氏「王朝仏画論ー儀礼と絵画ー」より: 夜を主体とするのは密教儀礼と浄土信仰儀礼で、昼を主体とする法華経信仰と対比される。密教絵画の大きな特徴である火炎表現はこのことと関連するだろうし、阿弥陀来迎図の陰影の深さは儀礼が持つ夜的なあるいは薄暮的な性格をなにぶんか反映している。

 

法華経美術のすべてがそうだというわけではないが、扇面法華経や平家納経といった装飾経が持つ陽性の美は、儀礼の主要時間帯が日中にあることと関係するように思えてならない。

 

メモ: 泉武夫氏「王朝仏画論ー儀礼と絵画ー」より: 天皇の護持僧による三壇御修法の本尊(如意輪・普賢延命・不動)は……←如意輪は延暦寺、普賢延命が東寺、不動は園城寺だから、後白河天皇の護持僧寛遍僧正は東寺長者だから普賢延命菩薩像

 

9月1日

おはようございます 九月の最初の朝 源氏物語関屋巻のあらすじを検索 夢で チラシに清涼殿護持僧の間の絵が載っていて 絵巻の関屋巻からと 関屋巻ってそんな箇所あったかしらと起きてすぐ検索したのでした とりあえず今日は図書館に行って確認します ちょうど護持僧についてのご考察もみつかったので

 

寛遍僧正のあたり ようやくほどけてきました やはり 昨夜拝読した泉武夫氏絵画論のようなご考察を読むと深まります 夢はもうその辺りのことでうろうろ 昨日頂いたお便りで思い出されたこととあいまって ほぐれていった感のある 初秋の朝 絵画論で 当時にあって仏画は絵でなく仏だったとありました

 

仏画が絵でなく仏 って凄いです 中国では美術品だから売買があった 日本では仏なのだから売買なんてとんでもない 彫像の仏と一緒で 儀礼の時に掛けるけど ずっとその家で守るものだったと そして 仏画の仏が仏として荘厳に見えるように截金のような最高の細工が進化していったのだと 仏は美麗にと

 

やっとたどりついたのですが 寛遍僧正が後白河天皇の護持僧だった件 これは冷泉帝に生誕の秘密を告げた僧がそうだったということ 夜居の僧です 寛遍僧正をイメージするために これから源氏物語を読みます とりあえず冷泉帝に告げる場面は 薄雲

 

これでは 寛遍僧正と後白河院の心の交流が深くて当然ですよね

 

源氏物語関屋巻を見なさいという暗示の今朝の夢 おかげで寛遍僧正の世界がひろがりました

 

道端の朝顔 薄紫色が綺麗でした

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ぶっ飛んだ楽しいチラシでお馴染みの 武蔵野市民文化会館です

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図書館に向かう途中 源氏物語絵巻なら家にあったと気づく でも大型本で見たいからと行って 関屋巻は風景画だから 夢に見た清涼殿の場面があるはずがなく ふと気づいて一緒に収められていた寝覚物語絵巻を繰ったらこの場面 後白河院と寛遍僧正対面のイメージどおりの図 夢に導かれてここに来たのかも

 

大型本で国宝源氏物語絵巻をゆっくり繰っていたら 予期していなかったのですが 最勝光院滋子さんの生きた時代の雰囲気も まさにこうだったのだなあ と感じられてよかった 源氏物語は 文学としてでなく イメージとしても重要だったんですね

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2018.9.2 ツイッターから転載…最勝光院のこと&新潮社漢字講座のこと&スマホを変えましたなど

8月29日

おはようございます 昨夜の新潮社漢字講座 当用漢字とか常用漢字の変遷を知らなかったから あれ?いつから ん?これって など悩むこと多く そんな揺らぎが執筆の自信なさにもなっていて それがこの講座で解消していっています 昨日の私的ハイライトは筆押さえ 年来の謎が解けてすっきりです

 

ちいさな鋏をもっているから ポストにみつけた封筒をそのままバッグに入れて出て車内で開封 金沢文庫次回展「西湖憧憬」の招待状 これは行きたいと思っていたので嬉しい それにしてももう 招待状を下さるような関係の学芸員さんはみんな退職されてるし どなたがこの奇特なことを

 

一緒にポストに入っていたお葉書 こちらも持って出て お送りさせて頂いた建長寺様での講演の配布資料を じっくり読ませて頂きましたと 人の生き方というか 心の繋がりが浮き彫りにされて 興深く存じました と書いて下さっていて ご専門は万葉集の方なのに とそのことに感動しました

 

車内なのだけれど 道中のつれづれに呟きながら 連日出て来れるようになったんだ タフになったなあと 反芻しつつ噛みしめています

 

朝起きたら涼しかったから これは!と思ってコピーをとりに広尾まで さすがに疲労が出て 目眩になりそうで 規定内で自分でとれるのに大型本は頼んでとって頂きました 過信しないよう気をつけようと心に 帰宅してTLを見たら 東京都で発震 多摩川に近いところだったよう どういう意味なんだろう

 

往路の車内で呟いたのに その後スマホが意味もなくバッグのなかで熱くなっているのに気づき 発火したら怖いから電池を抜きました 寿命かなあ 買い換えるにしても いきなり壊れたらスケジュール表が見られなくなって困るから 帰りに手帳を買ってきました なので突然アナログ生活に笑

 

コピーは最勝光院関連 これらを入手しないかぎり進まないから とにかく熱中症の危機が去ったら広尾に を待ちかまえていました 帰りの車内で大分拝読しました(スマホが見られないから笑) やはり入手できてよかった でも 最勝光院の本尊がお釈迦様というの 私は承服しかねるのですが

 

どうして兼実も経房も 日記にご本尊様が何かを書き残さなかったかが不思議 儀礼をあんなにこと細かに書いているのに 障子絵のことなんかやたら書いているのに

 

定家が毎年のように最勝光院に花見に行っていたと読んで 図書館で明月記を見たら 書き始めたのが治承だから 滋子さんはもう亡くなってから 定家は滋子さんを見たことあるでしょうか ん?待てよ 定家は高倉天皇を敬愛していたのだから 当然 母滋子さんを知ってます! ←今気がついた!

 

今日入手した最勝光院の復元図 清水擴氏『平安時代仏教建築史の研究〜浄土教建築を中心にー』より 先日入手したのより 私的には こちらの方がイメージどおり なぜなら 後白河院は建春門院滋子さんを伴って 宇治平等院に見学に行っているから

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同じ理由で 最勝光院建立にあたり 後白河院と滋子さんは法金剛院を見学しているから ご本尊は阿弥陀様としか考えられない 宇治平等院とそっくりな結構の寺院を建てて どうして釈迦堂?の疑問が消えません (鎌倉の永福寺は釈迦堂だけれど 鎌倉の人たちに法金剛院への思い入れはなかったでしょうから)

 

8月30日

おはようございます 今日はまた猛暑ということで 昨日頑張って図書館に行ってよかったとほっとしています コピーしてきて手元に資料があるのとないのとでは大違い 格段に深まります 目下何個目かのタイトルで執筆中 進むほどに核心をつくタイトルが浮かんでくるのですが たぶんまた変わります

 

薔薇という漢字を 正式に覚えた記憶がなく いつも変換で簡単にでるから使っていて そういえば漢字講座で扱われていたなあと思い出し 検索で筆順を見たら 今まで間違って書いていたのを知りました 見よう見まねで安易に書いていました 漢字を疎かにしていたなあと感慨

 

スマホを変えたので 試し撮りの初投稿 風の散歩道@三鷹市

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8月31日

おはようございます 新しいスマホの初投稿 昨夜は疲れて初投稿の写真も見ないで寝たから 今チェックして 前のよりシャープと確認 前のは気に入ってたけど 発火事件の多発した機種で 最近異様に熱くなり始めたので怖くなり 急いで変えました ホッとしています

 

機種を変えるならライカ搭載のと思っていたのだけれど もう私はカメラに拘ることもないなあ と思い返して別のに 夢で 久方ぶりにホームパーティーをすることにして いつかのためにと買い揃えていた食器を  あれももう使ってしまおうと出して 現実にも 夢でも もういいや と拘りを捨てていっています

 

お世話になった先生が 今年もヨーロッパの国で講座をされてきたそう 詳細の説明のあとに 楽しかった の一言 これが私にも微笑みを伝播 ご高齢になられても精神も体力もタフでいられます ある意味ほっと

 

新しいスマホの設定をしたり 何だかんだで午前いっぱい費やし これからスケジュール管理 これが重要なのでした でも 急遽買った手帳がある スマホでの管理に戻すか 手書きな手帳を楽しむか 悩んでしまいました やっと惜しいと思いながら使う場のなかったモンブランの出番と思ったのに

 

神楽坂のブックカフェで買ってきました お料理に時間をかけることのできる生活に戻ったら 書店に入っても文学でなく料理本コーナーにばかり立ち止まる 理想に燃えて逐一創ってみようと思ったのに まだ未踏です笑

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スケジュールの管理を始めたら いきなりダブルブッキングに 永福寺でのお月見 頑張って 家人を誘って 夜の鎌倉に行こうと思ったのに 先約がありました 

 

渋谷のロゴスキーが閉店するときに購入 物凄い生地が薄いです (この機種のカメラは露光の調節ができないのかしら 前の機種ではできました)

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画像処理してみました 白い磁器が綺麗です

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