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2018.9.18 ツイッターから転載…深夜に映画「スワンの恋」を観て&『寺院揺曳』の校正にかかりますなど

9月15日

おはようございます 昨夜は映画スワンの恋を熟視 堪能ではなく 熟視 ずっと思っているのですが スワンのような 恋に落ちたらもうどうにもならない状況 あれを書いたプルーストは凄い 延々とどうしようもなさだけで進んでいく 周囲の呆れ果てた眼がいわゆる正常 馬車の音とか馭者とか みんな好き

 

kindle読書がこれからスワンだから 映像が身になって 楽しみ それにしても 私は忘れやすい 映画館で観たのに ほとんど覚えていませんでした それから 点描のように一瞬現れたジルベルトの生きていること! やはり失われたの基底には 花咲く乙女たち の眼差しが横たわっているなあと 感じました

 

昨夜の映画スワンの恋 映像がずっと頭から離れないのだけれど 映像としてあの映画完璧なのでは? いい映画は他にたくさんあるけれど みんなドラマの一端 スワンは心理描写の流れのなかで スワンが行ったり来たりするだけだから 場面場面がみんな詳細で緻密 いいな ああいう映画って と今堪能

 

じつは 観ているあいだは熟視だったから ずっと姿勢が凝り固まって 途中目眩っぽくなくなって危険を感じたのですが 今朝家人に肩凝ってるよと指摘され それくらい集中したんだ~となりました 馭者さんが好きなのは たぶん光源氏の惟光だからです 見透かした眼差しが可笑しくて

 

そうっか スワンみたいな狂った恋を描くのは至難の業 と思っていたのだけれど 冷静かつ黙視の脇を入れればいいんですね (と 滋子さんの短編に指南)

 

タウンニュース鎌倉版コラム最終回から一日経って その間にプルーストの映画を見て ようやく今気がつきました 人物風土記で取り上げて頂き 金沢文庫の展覧会で尾州家河内本源氏物語と出逢った件 私はただ漫然と展覧会に行ったわけでなく その間に小説の新人賞を受賞し 大手の出版社さんから出版して頂

 

くことになったのに その編集者さんが病気になられてたち消えて文学に挫折 その苦しみから逃れるために遺跡発掘に従事したから 歴史に目覚めて 金沢文庫に通うようになったのでした でも文学の感覚は戻らなくて やっと鎌倉の源氏物語に出逢ったことから 論文は書けるようになったけれど 小説の感性には

 

程遠くいました 最終回に際し 記者さんとのインタビューで いろいろな思いが掘り起こされて そこに スワンの恋の映画 文学に挫折した時 失われた時を求めてが 最後の見出された時で 主人公が書くことを見出して終わる ということが私の心の中にあって 私もいつか という思いでどんなに救われたでしょう

 

最終回とスワンの恋が重なった偶然 奇しくもの流れですが これは私にとっての見出された時になるのかも とそんな気がしたのでした 失われた時を求めては 私にとって希望の書だったのでした そんなことをこの夜中に起きて考えています

 

先の連投 失われた時を求めてが希望の書だったということ 漠然と頭のなかにはありましたが というか ずうっと片時たりとも忘れていないのですが こうはっきり自覚したのは今が初めてです

 

編集者さんが病気になられて出版が頓挫したことを 私は忘れていて ただ文学に挫折した ということで今まで通していたのですが それをお話した時の記者さんの絶句したような驚かれ方で それでそれがそんなに大変なことだったのだと 今更に自覚したのでした 自分ではわからないことってあるのですね

 

9月16日

NHK BSP ナポレオン街道を観ています 標高1000メートルの岩山を行軍 途中で大砲を運ぶのをあきらめました

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ナポレオン街道 観てしまいました 高い岩山の魅力と ナポレオンの孤高な歴史 思いがけず強烈な朝になりました

 

いろいろ終わって気が軽くなると思ったら これからはすべて自己責任 みたいなかえって重圧がのしかかってきて 知らず知らずのうちに緊張しているみたい 目眩があり 昨日から自律神経の乱れによる見知った肩の痛み これはいけないと思ってまたヒーリング音楽を復活 終活的に作品をまとめなくては

 

しばらくこれを進めます

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100分で名著薔薇の名前のテキストを読んでいたら 修道院内部の描写が引用されていて 『ウンベルト・エーコの小説講座』でもエーコがその架空の修道院が実際にあるかのように作中人物がふるまえるくらいに把握していたと読んだのを思い出し 私も最勝光院をそれくらいまでしたいと思う

 

引用されたエーコの文章 素敵でした 著者の和田忠彦氏の解説は 私のツボを押さえてくれていて 満喫

 

それにしても エーコの 主題に集中すれば文章はあとからついてくる の語 いいな! 書くことの醍醐味 早くそこに戻りたいと思う(如何に私がずっと散漫だったかが思われて)

 

『寺院揺曳ーまぼろしの廃寺を訪ねて・鎌倉佐々目遺身院ー』はじめにより:佐々目遺身院は、今は金沢文庫に残る古文書のうちの指図に名前が残っているだけで、正確な所在地は知られていません。ただ、発掘調査によって、おそらくここだろうという場所がわかっているだけです。それは、鎌倉大仏がある

 

長谷から鎌倉の中心部に向かう道の途中、現在の地名でいう笹目のあたりで左折してはいって行った奥……、今はすっかり地元の人の記憶にもない寺院ですが、鎌倉時代には京都から亀山天皇の皇子、益性法親王が下向され、住していられた、建物も寝殿造風のとても雅な寺院でした。

 

よく鎌倉時代は新仏教の時代といわれますが、佐々目遺身院から歴史をたどっていくとそれは一面の問題に過ぎず、旧仏教が変わらず勢力を張っていたことがとてもよくわかります。単純にはじめた古典探訪の随想ですが、思いがけず、鎌倉時代の鎌倉における仏教のありようを見直す結果になりました。

 

佐々目遺身院はおそらく安達泰盛がパトロンの寺院なのだけれど、この指図、金沢文庫の安達一族展に出展されていたでしょうか。結局安達一族展には行かなかったし、図録も完売したそうですね。図録は、今度行った時に図書室で見ることにしています。

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