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2018.9.4 ツイッターから転載…建春門院滋子さんの短編雑感(寛遍僧正のこと、源氏物語絵巻を見て広がったことなど)

8月31日

今日はスマホ騒動で終始したから これから少し滋子さんに浸って休みます でも 新しいスマホのカメラが思ったより綺麗に写ることを知ったのは収穫 試しに撮ったロゴスキーの磁器肌の美しさ 病みつきになりそう スマホ写真はデジカメと違って ネットに直繋がるのが便利 この爽快感を知ってしまったから

 

前の機種はノートというだけで 物凄く気に入っていたのだけれど カメラの性能に満足したことはないから 記録として撮っておく程度にしか使いませんでした 通信も なんか爽快じゃないし ノートのこだわりを捨てて これからやっと普通になります

 

泉武夫氏「王朝仏画論ー儀礼と絵画ー」より: 夜を主体とするのは密教儀礼と浄土信仰儀礼で、昼を主体とする法華経信仰と対比される。密教絵画の大きな特徴である火炎表現はこのことと関連するだろうし、阿弥陀来迎図の陰影の深さは儀礼が持つ夜的なあるいは薄暮的な性格をなにぶんか反映している。

 

法華経美術のすべてがそうだというわけではないが、扇面法華経や平家納経といった装飾経が持つ陽性の美は、儀礼の主要時間帯が日中にあることと関係するように思えてならない。

 

メモ: 泉武夫氏「王朝仏画論ー儀礼と絵画ー」より: 天皇の護持僧による三壇御修法の本尊(如意輪・普賢延命・不動)は……←如意輪は延暦寺、普賢延命が東寺、不動は園城寺だから、後白河天皇の護持僧寛遍僧正は東寺長者だから普賢延命菩薩像

 

9月1日

おはようございます 九月の最初の朝 源氏物語関屋巻のあらすじを検索 夢で チラシに清涼殿護持僧の間の絵が載っていて 絵巻の関屋巻からと 関屋巻ってそんな箇所あったかしらと起きてすぐ検索したのでした とりあえず今日は図書館に行って確認します ちょうど護持僧についてのご考察もみつかったので

 

寛遍僧正のあたり ようやくほどけてきました やはり 昨夜拝読した泉武夫氏絵画論のようなご考察を読むと深まります 夢はもうその辺りのことでうろうろ 昨日頂いたお便りで思い出されたこととあいまって ほぐれていった感のある 初秋の朝 絵画論で 当時にあって仏画は絵でなく仏だったとありました

 

仏画が絵でなく仏 って凄いです 中国では美術品だから売買があった 日本では仏なのだから売買なんてとんでもない 彫像の仏と一緒で 儀礼の時に掛けるけど ずっとその家で守るものだったと そして 仏画の仏が仏として荘厳に見えるように截金のような最高の細工が進化していったのだと 仏は美麗にと

 

やっとたどりついたのですが 寛遍僧正が後白河天皇の護持僧だった件 これは冷泉帝に生誕の秘密を告げた僧がそうだったということ 夜居の僧です 寛遍僧正をイメージするために これから源氏物語を読みます とりあえず冷泉帝に告げる場面は 薄雲

 

これでは 寛遍僧正と後白河院の心の交流が深くて当然ですよね

 

源氏物語関屋巻を見なさいという暗示の今朝の夢 おかげで寛遍僧正の世界がひろがりました

 

道端の朝顔 薄紫色が綺麗でした

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ぶっ飛んだ楽しいチラシでお馴染みの 武蔵野市民文化会館です

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図書館に向かう途中 源氏物語絵巻なら家にあったと気づく でも大型本で見たいからと行って 関屋巻は風景画だから 夢に見た清涼殿の場面があるはずがなく ふと気づいて一緒に収められていた寝覚物語絵巻を繰ったらこの場面 後白河院と寛遍僧正対面のイメージどおりの図 夢に導かれてここに来たのかも

 

大型本で国宝源氏物語絵巻をゆっくり繰っていたら 予期していなかったのですが 最勝光院滋子さんの生きた時代の雰囲気も まさにこうだったのだなあ と感じられてよかった 源氏物語は 文学としてでなく イメージとしても重要だったんですね

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