11月13日
おはようございます 今朝は曇り でもTLで綺麗な写真を見せて頂き 晴れやかに始動 懐かしのパリその日その日 連載をリアルタイムで拝読していたから 一緒にセーヌ河岸を歩いていたような気分のご本 だから 私の中には いつか私の小説が翻訳されて パリのセーヌ河岸の本屋さんに並ぶ夢があります
だから 仙覚さんを 日本の歴史小説でなく 普遍の文学として受け入れて頂ける文体に と頑張っています 問題は 何方が仏語訳して下さるか 僕が訳して と仰って下さった先生はすでにいられなく…
自己を取り戻すということは 自分を抑えていたものに対する反撃 何に対してというのではないけれど 失礼があったらごめんなさいです でも反撃の勢いは貴重 押さえつけられて潰れていたものが回復するのですから とこんなツイートを今朝からしていますが 私には小説のための感情の蒐集 登場人物の誰彼の
その意味で 書く人は不幸でないとというのは真実です
鎌倉禅研究会第147回例会のまとめをFBにアップしました。第一講・彭丹先生「『蘭渓和尚語録の現代語訳』」、第二講・采澤良晃師「『坐禅論和解』の紹介と禅の智慧」です。采澤師は足利学校近くの福厳寺様の副住職でいられます。駒澤大学大学院で学ばれていてその一端のご紹介
https://www.facebook.com/kamakurazenken/
実朝を調べながら 鎌倉禅研究会FBが気が気でなかったのですが 中断したら実朝のそれまでが消えてしまうから とにかく決着がつくまで粘って やっと今日FBを終えました で 今は頭の中が真っ白 実朝も浮かんでません笑 何もしばられていない自由 そんなところにいますが さて何をするべきなのか
とりあえず お夕飯の仕度… 寒いからシチュウを作ります
11月14日
おはようございます 昨日 鎌倉禅研究会FBのまとめをしたら もう何にもすることがない自由を手にしたような感覚に陥ったのですが なんと するべき事はありました 実朝! 考察に決着がついたからといって終わりでなく 文章にしなければならないんですよね そんなことも忘れてと 独り苦笑してしまいました
今日はそれをします
実朝を書くのに写真を選んでいました 由比が浜の歌碑は スマホのSDカードの破損で スマホ写真が消滅したものの 歌碑だけは万一のためにとデジカメで撮っていたので安心 日没ギリギリで歌碑の歌が見えにくくはらはらの時刻でした 世の中はつねにもがもななぎさこぐあまの小舟のつなでかなしも

実朝の歌は 今この一首をみても悲しいけど 実朝の評論がみんな最初から実朝が死をみつめていて自分を追い込んでいったような論調なのに 最近違和感を覚えています 歴史上の結果を見ればそうなのでしょうけれど 私も中学で小林秀雄の無常ということの文庫本を手にして以来のファンですが
RTさせて頂いた 出来事主体の『百年の孤独』 の文字を見た時 思わずふわぁっと 感涙しそうになりました 百年の孤独 仙覚さんの小説ではひそかにそれを目指していて というか そうでなければ書けない小説 の自覚があって それを私は歴史の中の関係性と思っていたのですが 出来事主体の小説とは!
というか 文学というと人間を書くとか 感性感情本質など 魂や心に踏み込むものと思い勝ちだけれど 出来事主体でいいんだぁ~ と なんか市民権を得たようなあっさりした快感
11月15日
おはようございます FBは個人的に使うつもりなく 必要で登録しているだけなのですが 時々 講演や執筆状況の告知を載せています 昨日 実朝の歌碑を書いていると告知しながら もうやるべきこと満杯で青息吐息 と書いたら コメントに 頑張り過ぎないように 睡眠足りてますかとまで 優しいなあと和みました
ツイッターではそんな青息吐息なんて書けません この違いはなんなのでしょうね
吾妻鏡の実朝の条を通しで読んで やはり頼家が将軍だった時代と違って穏やかで時々雅 文化が底にあります 今まで光行さんの項目として追っていた条が頻繁に出てきて 光行さんの存在が実朝期には濃密 いつそこから光行さんが上洛して消え 実朝の孤軍奮闘の時代に入ったのか 年譜に落として確かめます
その方の書かれたものと重なってはいけないから 確認しようと思うのにずっと貸出中 今日もまだ こういうことがよくある 必要な時に限って貸出中 予約とかの催促の手続きをするのは嫌だから 入手できない時は これも何かの天の計らい 流れに委ねます
FBの青息吐息にコメントを下さった優しい方は このTLも見て下さっていることが判明! 先ほどの内緒ツイートもたぶん筒抜け笑 これからもよろしくお願い致します
これは2011年10月8日に鎌倉市生涯学習センターで講演させて頂いた時のスライドです 主催は鎌倉市人権・男女共同参画様 前年11月の鎌倉での最初の講演から二回目でした 私は「河内本源氏物語」を作った源光行という人物をたどっていて それら資料から実朝の歌の師は光行ではないかという気がし始め


このスライドで初めてそれを発表しました まだ何方も仰っていられない説でしたから内心凄い怖くて 恐る恐るでした 今回それを書こうと思っているのですが もしかしてその後に出た出版物にその説が載っていたら重なってしまうとの危惧から 図書館で貸出中の本を調べたかったのでした 先程吉祥寺の
書店でぱらっと立ち読みして その方が「実朝の歌の師は光行だろう」と書いていられるのを確認しました 知らずに書いたら重なるところでした でもその方は状況を書かれているだけで 私が手元に持っている資料を公開されているわけではないので 私はその資料を紹介するところから書き始めます
前年11月の最初の講演から この10月8日の講演の間に 3.11の東北の震災がありました ほんとうはこの講演は3月15日に予定されていたもので 震災直後で中止にするか強行するか等 震災の恐怖とはべつにとてもはらはらしましたので 記憶が生々しいです 結局中止になって10月に実行されたのでした
吉祥寺駅前のクリスマスイルミネーション
