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2018.11.30 ツイッターから転載…初めての講演、2010年11月「紅葉賀」のこと

11月28日

井の頭公園の紅葉 紅葉が始まると見える景色が変わる いつも通っていたのに初めて撮った角度

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井の頭公園の紅葉 もう一枚

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1年が見渡せるカレンダーを買って 比企の講演を書き入れました 去年体調が悪くて買いそびれたから今年は早々に 昨日は手帳も買ったし 実朝の考察も投函したし なんか年の瀬気分笑

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TLの真っ赤な紅葉の写真を見ていたら思い出しました 最初に鎌倉で源氏物語の講演をさせていただいた201011月 鎌倉投信様が社屋を会場に貸して下さって そこは昭和の古民家を社屋にされていて 庭に一本の立派な紅葉が それを見て企画して下さった鎌倉の方が「紅葉賀」と講演を命名されたのでした

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そしてご友人の華道家宮内信江さんが 当日 ご自宅から伐り出して運んでらした 緑と真っ赤な紅葉と混じった枝ぶりの大きな一本を 玄関前に活けて下さって その艶やかだったこと・・・鎌倉の方の思いやりいっぱいの雅な配慮に 私はもう目を白黒させつつ感動したのでした

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さらに 室内の床の間にも このような室礼 掛け軸もその方のご持参 紅葉も宮内さんの・・・鎌倉の方が鎌倉の源氏物語の出現に 如何に喜んで下さったかのスタートでした 帰る道々 聴いて下さった方がバス停までの間 口々に「私たちにも源氏物語があったのね」と仰られていたと

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井の頭公園は、まだ楓は全部紅葉とは 緑が混じって綺麗

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緑が混じる紅葉もいいですね

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@井の頭公園

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11月29日

虚脱感と戦っています笑 実朝を手放した虚脱 だから仕方ないです TLは変わらず紅葉が綺麗 昨夜の紅葉賀のツイート 庭の大きな甕にも華道家の宮内さんが楓を活けて下さって 夜になって鎌倉投信様がライトアップして下さいました 写真は芹川さんという当日撮って下さった方のものを拝借です

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虚脱感 というより茫洋でしょうね 実朝という小さな塊に打ち込んでいれば充足できた安心感がなくなり これからどする? というような試練の海に漕ぎだした気分 今度こそ仙覚 とはまだ行かなくて 仙覚は来春比企の講演があるから否応なしに取り組めます その前にしなければならない事がいっぱい

 

虚脱感から懐古に浸っているわけではないのですが 芹川様の写真を見ていたら(自由に使っていいと頂いていて) 鎌倉投信様が当日折角大勢の方がお見えになるからと 竹垣まで新しくして下さって その青々とした写真がありました 手前は玄関に活けて頂いた宮内さんの楓 風流な鎌倉投信様の社屋です

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2018.11.29 ツイッターから転載…鎌倉ペンクラブ講演会菊池威雄先生「佐佐木信綱博士」を拝聴してきました等

11月24日

鎌倉の前にと思って早めに出たのに 事故で運転中止 やっと再開して動いているのだけれど 予定は諦めなければならなそう 道中のお供に持って出たのはkindleタブレット 実朝からすっかり離れてプルースト 運転中止のあいだ 浸りました

 

意識的に避けていた縦の構図を使いはじめたら こんなの撮っていたなあと 写大時代の「見る」という課題を思い出して 午前の予定は諦めました

 

今日はこちらに 佐佐木信綱博士は比企の小川町に仙覚さんの顕彰碑を建てた方ですが なんと実朝研究の分野でも定家所伝本を発見された方でもあり 驚きました

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夜の鎌倉駅ホームから

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何回も鎌倉に行ってるけど 乗り過ごしたのは初めて 戻っていつもの路線です 今日は往路からさんざん 実朝に充足し過ぎて上手く社会浮上できてません笑

 

今日は万葉集の研究者でいられる菊池威雄(よしお)先生の佐佐木信綱博士についてのご講演でした 驚いたのは信綱博士は生涯自由に研究したいからとずっと非常勤講師でいられたと それであれほどのご研究を? というのか だからこそ なのかわかりません 打上でも話題に

 

菊池先生とはペンクラブに入会した年からお話させて頂いていて 打上で仙覚さんを知らない方に 私のことを 万葉集研究者がしないところを研究している と説明して下さって そうなのか と改めて自分で思いました

 

仙覚さんは知られてないけど 9月まで連載していたタウンニュース鎌倉版コラムの最後を仙覚さんの万葉集と源氏物語で締め括ったから 読んで下さった方々は身近に感じて下さっていて良かった 仙覚さんの小説に専念するための連載終了と豪語したから 進んでる? とは尋ねられましたが う~ん 実朝がと笑

 

佐佐木信綱博士は一時期鎌倉に住んでらして それを菊池先生は 鎌倉には実朝と仙覚がいるから その憧れでしょうねと そうなのか~ と今まで仙覚さんのことは漠然と感じていたけど 実朝をやった直後だから そういえば実朝もいる  突然リアルな驚き

 

11月25日

おはようございます 昨夜はいつもお付き合いするワインのお店を辞して帰った だから深いお付き合いをした充実感がありません なのに物足りなくないのは私に仙覚さんがあるから 昨日はそれを確認した日でした ご講演を拝聴しながらその先の広がりを思っていました 荒涼としてゆたかな私だけの世界です

 

昨日も 佐佐木信綱博士が金槐和歌集定家所伝本を発見されたことから 実朝の話が出て私は実朝に光行さんが関わっていたことを興奮してお伝えしたいと思うのだけれど でも ぽかんとされるだけだろうなと控えました ここのところこういうことばかり 私の世界は小説に書いて発表しない限り 何方とも共有

 

できなくなっていて ツイッターで経緯を呟いているから 私の本当のところを知って下さっているのは この世で ツイッターの呟きを読んで下さっている方たちだけ  なんか以前には考えられない不可思議な現象になっています(ツイッターがなかった以前には 昨日のような会が充足の場でした)

 

朝 今の私の本当の思いをご存じなのはツイッターを見て下さっている方々で 現実ではそれを共有できないと呟きましたが 研究中の経緯をご存じなくても 成果を評価して下さるのはリアルな方たちで だから昨日のような会にも呼んで頂いているのだ ということが今頃になって理解できて しみじみ感謝

 

最近 折角いろいろなところに出向いても 抱えている小説世界を共有して頂けないもどかしさがフラストレーション的に溜まって どこに行っても こう言ってしまってはいけないのでしょうけれど つまらない だから翌朝はたいてい不満的なツイートになってしまいます 済みませんでした

 

夜の井の頭公園にて

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11月26日

ホームに年配の男性が 文化村トレチャコフ美術館展のカタログを持ってらして 表紙の忘れえぬ女の眼差しとしっかり眼が合い やはりアンナ・カレーニナだなあと思う 最初にその印象だったから 最近TLでそういう論文があると知り やっぱりなあと思ったばかり

 

毎朝 毎日 ふとした時に目眩がしないか気を使う でも以前のようには体調が体の芯から強くなったと感じるから もうたぶん大丈夫 仕事のプレッシャーや社会の軋轢なんかもあったけど 今思えば義父と母を看とるまでの10年間の疲労の蓄積があった 今その立場にある方を心から応援します 疲労は後を引くから

 

11月27日

実朝の文章 もう完全にできているのですが ただの怠惰でまだ送っていません 見直していると微妙に文章が練れていく その感覚が楽しくてあえて怠惰を決め込んでいるような 実朝世界に浸っています

 

未明にある試みをしてすぐその場で取り下げました 閃いていいアイデアと思ったのに 実際に眼で見た効果が真逆 なのでまたしまい込もうと思ったのですが 今朝またひとつ閃いて 今度はそれを実行に移そうかと 含みだらけのツイートですが いろいろ試してみます 仙覚さんについてのこと

 

実朝についての考察を送ってしまおうと思っているのに プリンターの調子が悪くてできない 4部添付して送付というのに泣

 

井の頭公園も紅葉がはじまりました

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来年2月と3月の比企での仙覚さんの講演 テーマを詰めていたのですが 二回を連続講演とするのでなく 一話完結で二回とお応えを頂いたので 一回を「仙覚律師と『万葉集』」 もう一回を「仙覚律師と鎌倉」としようかと まだ漠然とですが考えました 仙覚と鎌倉 これは仙覚と実時!です

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2018.11.27 ツイッターから転載…実朝についての考察、終わって余韻

11月22日

夕暮れ@武蔵野の雑木林

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もう一枚

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雑木林から井の頭公園に降りる道です

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暮れていく街

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月が綺麗です

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@吉祥寺

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夜のカトリック吉祥寺教会

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雑木林に昇る月

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最近は5時を過ぎると真っ暗 夜になってから出たつもりはないのに 街が「夜」で クリスマスのイルミネーションも点灯して すっかり夜の散策気分を楽しみました 新しい論旨にひとつ決着がつくと 自分のなかでも世界が変わり ひとつ毅然とした感じ 視界が晴れるってこういうことですね

 

11月23日

実朝の原稿完璧に仕上げました笑 『吾妻鏡』の抜粋で『新古今和歌集』に頼朝の歌が入集しているのを知り実朝が見たがったこと 最初 状況のそれは必要ないと思って省略し 新古今和歌集が届いたことだけにしました でもそれは「定家が頼朝の件を光行に知らせ 光行が実朝に話したから実朝が見たがり

 

光行がそれを定家に伝えたから 定家が弟子の内藤知親に書写させ鎌倉に届けさせた」というルートが明らかになった今 最初に頼朝入集の件を書いておかなければならなかったと気づいて加筆 これで完璧! の爽快感 一晩寝かすとこんなふうに足りない部分が見えてきます

 

ただいま《望》です

 

光行さん主体に考えていた時は 後半の万葉集では雅経が主体になり 光行さんの出番でなくなったのがちょっとショックだったのですが 光行が帰洛して実朝が頼る相手が広元になったから 娘婿の雅経の出番になったのだと理解したら 当然そこには京都実朝応援隊として 光行さんも絡んでいるとほっとしました

 

曇天ですが 池の水面が照り映えています@井の頭公園

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気分転換の吉祥寺 だんだん見えてきたら以前から不思議だったことが氷解 実朝は北条氏の中で育てられているのに いつも毅然として義時や御家人の申し出を退けてます いつどこでそんな考え方を身に付けたのだろうと謎でした 吾妻鏡でみるかぎり 実朝は孤独です 誰に頼っているふうでもない 疑問でした

 

光行が傍にいて 小さい時から京の一流の公卿たちの考え方を話して聞かせていたとしたら 実朝が自然にそういう考え方に馴染んで当然です 京の女性を娶りたいと意志を貫いた背後には光行さんの存在があったとは思っていたのですが 実朝は貴族的育ちですね

 

私は 光行さんが建礼門院徳子さんなど 京の麗しい女性の思い出話を吹き込んでいたから 実朝が足利氏の女性を断固として断って 京から妻を迎えたと思っています

 

夕刻の吉祥寺の空の色

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こちらも吉祥寺 よく通る道でも 夜になると全然別の顔

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【この世をば】きょう1123日、藤原道長「望月の歌」から1000 http://news.livedoor.com/article/detail/15638129/ 句が詠まれたとされる旧暦10181016日にあたる。国立天文台によると、1439分に満月になるという。

 

<火山>焼岳(長野 岐阜)で火山性地震が増加 https://weathernews.jp/s/topics/201811/230145/ 焼岳では1122()から火山性地震が増加しています。

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2018.11.23 ツイッターから転載…実朝の歌について論旨がまとまりました

11月20日

金槐和歌集を読んでいると 実朝の歌が切なくて 辛いくらい 歌の内容でなく こうまでして実朝は歌を詠んでいたんだなあという 実朝の思いが偲ばれて 実朝 今まであまりに実朝が特殊な扱われ方をしていたから(文学的に) ちょっと斜に見ていて関心からはずしていたのだけれど 好きになりました

 

吾妻鏡からの実朝の和歌に関する条の抜粋 ようやく定家が実朝に万葉集を贈った建暦三年まで それは11月のことで 12月に実朝は金槐和歌集として世に残ることになる歌をまとめて定家に送った それを定家が書き写したのが 定家所本 万葉集を頂いた喜びから纏める気に? この間約1ヶ月

 

11月の万葉集の件は吾妻鏡にありますが 12月に歌を纏めたのは書かれてなく 「定家所伝本」が発見されてその奥書でわかりました

 

11月21日

おはようございます 起きて最初にネットを見るかキッチンに立つかで一日が違う キッチンに立てば家族に余裕 でも仕事に支障 そのどちらかの毎日 今日はあれほど昨日不調だったのに全開モードで なのでキッチン 立つ元気があるからです でも実朝がもう少しで書き終わるから 頭の中は早くPCに向かいたく

 

実朝をやってよかった ただ形式的に歌碑について書けばいいくらいのスタートだったのだけれど 実朝を取り巻く人たちの一人一人が みんなこれまで 一人一人を熱心に辿ってきた人たちばかりなので それが 実朝という人が一つの時空軸になって 今までの人たちの人生がそれぞれそれに絡まってきて 凄い膨み

 

これが 小説的世界なのですと 見せつけられています 人物が動いてる!

 

メタセコイヤの黄葉@井の頭公園

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輝いています@吉祥寺駅前北口ロータリー

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実朝 書き終わったのですが 切り詰め過ぎてあと少し足せそう となってワクワク 実朝について書くのに 雅経を書き込めることになり さらにはその先に光行さんまで書くのがOKなんて なんて楽しいのでしょうと武者震いしました  少し遠慮して切り詰めたら切り詰め過ぎ 今夜は完成まで楽しみます

 

この時はすでに光行は帰洛していたから、広元にそれを伝えた。広元から雅経に伝わり、雅経が定家に頼んで実朝の願いが叶えられた…『吾妻鏡』の実朝に定家から『万葉集』が雅経を仲介として届けられた条を読み解くとこうなります 実朝 ひとまず書き終わりました 一夜置いて 明日また推敲

 

『吾妻鏡』にぽつんぽつんと 政治史をしている方からは読み飛ばされているくらいにわずかに 挟まっている実朝の和歌に関する条 それを抜き書きしたら 和歌だけの実朝の歴史が浮かび上がって その年齢と 周囲の人々・人脈との立体化で かなりリアルに金槐和歌集成立事情が浮かび上がりました

 

11月22日

おはようございます 実朝の原稿を今日送ろうか 明日にしようか思案中 最初は明日送るつもりだったんです なぜなら満月だから でもふと考えて 今日送ったら満月の日に届く と気がついて迷い始めました 他愛ない話ですけど笑 いずれにしても 今日は推敲 そして字数合わせ

 

週末に体調がよかったら逗子にまわれそう 無理かなと諦めていたのだけれど たまたま鎌倉に行く用があってラッキーです RTさせて頂いたダゲールのツイート 再RTです ブログ用に遡って見ていたらTLに埋もれていて ダゲールは私の原点 でも絵を描いていたのは知らなかった しかも私の好きな廃墟の

 

だんだんわかってきたんですけど 実朝の和歌は いつも 実朝が将軍だから 暗殺された悲劇の人だから の前提で語られるけど もっと無心に読むべきで 私が感じたのは実朝が唯一無心になれる世界 なぜって 5歳の時の蹴鞠の先生雅経や 8歳で父頼朝を亡くして以来父親代わりに自分をみてくれた光行

 

が見守ってくれて 何かあったらすぐ定家に連絡して 定家から指南書(『近代秀歌』)を送って貰えたり 相伝の万葉集を戴ける… いつ裏切られるかわからない北条氏(母政子も含めて)の中で 唯一絶対的に信頼して自分を出して甘えられる世界 だったんですね 5歳の時の 8歳の時の を考えたら

 

そこに将軍としての権威を和歌に附属させるなどという発想が浮かびます? それより いつになってもその人たちに見守られている安心の場所 というのが実朝の歌の場だったのではないでしょうか たぶん歴史家さんや男性陣にはわからない思考でしょうけれど(これで論文を書く気はないからいいけれど)

 

追記: 男性陣にはわからないでしょうと書きながら 定家と光行と雅経の三人の友情 そこに実朝も加わって この男たちの人間世界 いいなあと思います

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2018.11.22 ツイッターから転載…実朝の歌の師についてなど続き

11月18日

山本勉先生の円成寺大日如来像についての思い出を拝読させて頂いて そのお像についてもった感慨が甦り やはり居ても立っても居られない気持ちになりました 実朝にかかりながら仙覚さんの講演について考え その先の小説化を志し なのに最勝光院滋子さんも放置できず 気が多すぎると自分で思います

 

今日仙覚さんの講演の件で比企からお電話 テーマを詰めているのですが ふっと仙覚さんと北条実時の交流をテーマにするといいかもと 切ってから思い浮かぶ これはなぜ仙覚さんが晩年比企で『万葉集註釈』を成したか の「なぜ」の解明 調べなければならないことができました

 

先ほど実朝を調べていて執筆中の原稿の設定にミスがあったのをみつけたように 実朝も雅経も定家も運慶も たぶんみんな仙覚さんの小説のなかに組み込まれる 今放浪しているのは 寄り道ばかりしているかに見えるけど 結局それが資料収集の堆積になっていくのだろうと 最近思うようになりました

 

驚いたことに みんな同時代を生きたり 人脈として繋がっていたり

 

11月19日

おはようございます 光行さんは歌の師ではありませんでした 昨夜現代語訳吾妻鏡から歌の関連条を抜き書きしていたら 18歳の時に建永元年に学び始めた後の歌30首を定家に送る とあって それは光行さんがもう帰洛してからのこと ちょっと蒼白になって でも気を落ち着かせて考えているうちに 論旨がたって

 

今ツイートしています その前年に実朝は新古今和歌集を入手しています その後古今集も入手 実朝はその2冊から独学で歌を学んだのでしょう それで30首を定家に添削を頼んだのだと思います 定家は添削に付して近代秀歌を贈ります 実朝はそれでさらに独学を進め 金槐和歌集をまとめたのでしょう もちろん

 

光行さんの功はあって 8歳から父親代わりに養育係をしていた時に 歌の手ほどきもしたはず それが14歳の時の12首です 建永元年学ぶの条を見た時に では周囲に誰が師となれる人物がいるかと見ても誰もいなくて その内に孤高な実朝の精神性から屹立した「独学」の路線が見えてきました

 

追記: 光行さんは自ら書写した万葉集を持っています 養育係の時の手ほどきにそれを使って実朝に万葉集を教え それが実朝の基本にある万葉調として浮び出たのだと思います

 

追記2: 実朝の歌の師はいなくても 知親が定家に実際について学んできた人物だから 実朝の独学の導き手として知親の存在は大きかったでしょう 建永元年に学んで以降というその建永元年の前年に 知親が京から帰って 実朝に新古今和歌集をもたらしています 独学はそういう流れで始まった?

 

追記3: 定家卿はどんな風に教えるの? それはこれこれこんな風にして と実朝と知親の会話が眼に見えるようです 今まで光行さんを歌の師にしたかった時は 知親の存在が目障りだったのですが 知親様 ごめんなさい

 

吉祥寺は雨が降ってきました

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11月20日

おはようございます この頃自分で写真を撮らなくなったから 執筆中の原稿や調査を呟いてもTLが渋く たまたま流れてきた綺麗な外国の方々の写真をRTさせて頂いていたら 今この瞬間にこれを投稿している方があの国に入られる! ということを実感するようになって 写真が単に綺麗な写真でなくなりました

 

視野とともに心の視界も広くなり 鎌倉の源氏物語の活動で閉塞的になっていた私自身も解放して頂きました (そうしたら 気がついたら撮る時に構図の切り取り方も変わっていて 以前は史跡を撮っていたからそれが重要で殆どアップの写真 それがその必要がなくなった今 全景を撮る心地良さ! 広々!)

 

RT 今感じていることがまさにこれ しかもツイッターはリアルタイムでその写真を投稿される方の息吹を感じることができます 凄いなあと思う 最近よく思い出すのですが 荒川洋治氏『水駅』が ただ地図を見て書かれた詩集ということ この衝撃がある意味私の原点

 

コピーをとりに来たのだけれど 先客 自販機の珈琲を休憩室で しばしの寛ぎ 思いがけずもたらされた休息

 

スマホのkindleで金槐和歌集 タブレットで引いたマーカーもきちんと表示されています

 

大体の考察にメドがたったから 昨日から金槐和歌集本文の実朝の歌を読んでいるのですが 実朝は良経が好きだったのでしょうか なんか 良経を読んでいるみたいな感じ 似た二人なのかも 真面目な歌人という

 

切り取ってみたくなった風景

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2108.11.21 ツイッターから転載…金沢文庫「顕われた神々展」内覧会に行きました&実朝の歌の師についてなど

11月16日

おはようございます 日記を書く習慣はないのですが 一行程度のメモを残していて 読書記録とか結構密に書いていたのが 講演するようになって追いつかなくなり 週間月間単位でまとめて振り返るような状態 昨夜久しぶりに見たら 十月二日で止まっていて 十月を丸々振り返ることに 忘れている多しに唖然

 

昨夜の光行さんが実朝の歌の師だったスライドの件 FBにも載せたら 校閲のお仕事をされている方が 超いいね をつけて下さって 朝から心強しの気分です

 

私は RTさせて頂いた志学社様のこととか 古典新訳の広がりとか その他いろいろ 学問や文学がSNS 思いもかけない発展をしている またはその可能性がある と思ってTLを見ています

 

やっと出てきました ポトフを作りたかったのだけど そこまで手が回りませんでした 道中のお供はkindle版定家所伝本金槐和歌集 タブレットです 今日お会いする予定だった方に見て頂きたくて 昨夜から充電をたっぷりしてたのに 腰痛 早く治りますように!

 

今日はとても車窓が絵画のよう

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もう一枚

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西陽が射して 称名寺の赤門

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赤門を入って 参道 奥に仁王門があります

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仁王門も今日は 西陽

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仁王門です

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これから金沢文庫

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橋が塗り替えられている途中のよう 外観が終わって朱塗りが鮮やかです でも工事中で渡れません

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もっと全山黄葉しているかと思いました

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今日はこの「顕われた神々」展の内覧会でした

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11月17日

おはようございます 昨日頂きました 羽村の銀杏 金沢文庫の内覧会にいらした方が わざわざ持って来て下さって 称名寺では 北条実時邸跡地の平場の前に池に面して大きな二本の銀杏の樹がありますが 昨日はまだ黄葉していませんでした 黄葉すると池面に映って 反橋に登って そこから見ると綺麗です

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昨日の実時邸跡平場の前の二本の銀杏です 何年か前に上部を半分くらい伐って低くなり往時の感動はもう無理 橋の塗り替えも鮮やかになっていましたが これは三回目 私は初代の一流の研究者さんによる贅沢な予算をかけて復元された初代の橋を見ているので それは凄い貴重な経験なのだと今にして思います

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井の頭公園の今の紅葉はメタセコイヤ

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久しぶりに来てみました コピス三階の庭園 クリスマスバージョンに飾られているかなと思ったのですが いつもの休日風景 のどかです

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武蔵野の雑木林 下陰に射し込む陽が放射状になって

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妙本寺様の散華の絵葉書 春夏秋冬のセットがあります 絵は万葉の花の個展を開かれた阿見みどり先生 昨日の内覧会にいらした方が新聞でそれを知って行かれたのだそう 散華が気に入って買いたいと思ったのに それは妙本寺様でないと買えなくて諦めたと仰ってらしたから 絵葉書だけど送らせて頂こうと

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「伝存する万葉集の写本、仙覚本は、この妙本寺で生まれました」と絵葉書セットの裏に このご縁で私も妙本寺様と阿見みどり先生のご縁を賜っています

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今夕の月でした

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11がt18日

おはようございます 現状を見てひとつの決断がつく 一昨日がそういう日だったから 時間がたつにつれそれがわかって心がすっきり 夕刻 買物に出たら豪勢な惣菜が半額に出ていて  今日は打上げのパーティをしよう! と購入  家で今日はパーティ と言ったら 家族が何の? と口を揃えて う〜ん 諸々ね

 

というわけで 家族には訝られながら 生ハムのサラダを作ったりと 豪勢なパーティ笑をして ワインを頂いたので ちょっと横になったつもりが朝まで 世の中はいくら力んでも 相手のフィールドにそれが届かなければ どうしようもないことってある 物事が運ぶのは それが抱えている重要性もあるけど 人間

 

気が抜けたのか 昨日は風邪のひき始めっぽい症状がでて いけない! 気を引き締めなくてはとなって これからまた始動 自分の足元から固めます

 

左手でコピーする本を押さえ 右手でマウスのTwitter 大量のコピーは退屈

 

早く 玄覚さんの冷泉家の方たちとの交流に行きたいのだけれど 先の先

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2018.11.19 ツイッターから転載…実朝の歌碑と歌の師について書こうと思います

11月13日

おはようございます 今朝は曇り でもTLで綺麗な写真を見せて頂き 晴れやかに始動 懐かしのパリその日その日 連載をリアルタイムで拝読していたから 一緒にセーヌ河岸を歩いていたような気分のご本 だから 私の中には いつか私の小説が翻訳されて パリのセーヌ河岸の本屋さんに並ぶ夢があります

 

だから 仙覚さんを 日本の歴史小説でなく 普遍の文学として受け入れて頂ける文体に と頑張っています 問題は 何方が仏語訳して下さるか 僕が訳して と仰って下さった先生はすでにいられなく…

 

自己を取り戻すということは 自分を抑えていたものに対する反撃 何に対してというのではないけれど 失礼があったらごめんなさいです でも反撃の勢いは貴重 押さえつけられて潰れていたものが回復するのですから とこんなツイートを今朝からしていますが 私には小説のための感情の蒐集 登場人物の誰彼の

 

その意味で 書く人は不幸でないとというのは真実です

 

鎌倉禅研究会第147回例会のまとめをFBにアップしました。第一講・彭丹先生「『蘭渓和尚語録の現代語訳』」、第二講・采澤良晃師「『坐禅論和解』の紹介と禅の智慧」です。采澤師は足利学校近くの福厳寺様の副住職でいられます。駒澤大学大学院で学ばれていてその一端のご紹介

https://www.facebook.com/kamakurazenken/

 

実朝を調べながら 鎌倉禅研究会FBが気が気でなかったのですが 中断したら実朝のそれまでが消えてしまうから とにかく決着がつくまで粘って やっと今日FBを終えました で 今は頭の中が真っ白 実朝も浮かんでません笑 何もしばられていない自由 そんなところにいますが さて何をするべきなのか

 

とりあえず お夕飯の仕度… 寒いからシチュウを作ります

 

11月14日

おはようございます 昨日 鎌倉禅研究会FBのまとめをしたら もう何にもすることがない自由を手にしたような感覚に陥ったのですが なんと するべき事はありました 実朝! 考察に決着がついたからといって終わりでなく 文章にしなければならないんですよね そんなことも忘れてと 独り苦笑してしまいました

 

今日はそれをします

 

実朝を書くのに写真を選んでいました 由比が浜の歌碑は スマホのSDカードの破損で スマホ写真が消滅したものの 歌碑だけは万一のためにとデジカメで撮っていたので安心 日没ギリギリで歌碑の歌が見えにくくはらはらの時刻でした 世の中はつねにもがもななぎさこぐあまの小舟のつなでかなしも

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実朝の歌は 今この一首をみても悲しいけど 実朝の評論がみんな最初から実朝が死をみつめていて自分を追い込んでいったような論調なのに 最近違和感を覚えています 歴史上の結果を見ればそうなのでしょうけれど 私も中学で小林秀雄の無常ということの文庫本を手にして以来のファンですが

  

RTさせて頂いた 出来事主体の『百年の孤独』 の文字を見た時 思わずふわぁっと 感涙しそうになりました 百年の孤独 仙覚さんの小説ではひそかにそれを目指していて というか そうでなければ書けない小説 の自覚があって それを私は歴史の中の関係性と思っていたのですが 出来事主体の小説とは!

 

というか 文学というと人間を書くとか 感性感情本質など 魂や心に踏み込むものと思い勝ちだけれど 出来事主体でいいんだぁ~  なんか市民権を得たようなあっさりした快感

 

11月15日

おはようございます FBは個人的に使うつもりなく 必要で登録しているだけなのですが 時々 講演や執筆状況の告知を載せています 昨日 実朝の歌碑を書いていると告知しながら もうやるべきこと満杯で青息吐息 と書いたら コメントに 頑張り過ぎないように 睡眠足りてますかとまで 優しいなあと和みました

 

ツイッターではそんな青息吐息なんて書けません この違いはなんなのでしょうね

 

吾妻鏡の実朝の条を通しで読んで やはり頼家が将軍だった時代と違って穏やかで時々雅 文化が底にあります 今まで光行さんの項目として追っていた条が頻繁に出てきて 光行さんの存在が実朝期には濃密 いつそこから光行さんが上洛して消え 実朝の孤軍奮闘の時代に入ったのか 年譜に落として確かめます

 

その方の書かれたものと重なってはいけないから 確認しようと思うのにずっと貸出中 今日もまだ こういうことがよくある 必要な時に限って貸出中 予約とかの催促の手続きをするのは嫌だから 入手できない時は これも何かの天の計らい 流れに委ねます

 

FBの青息吐息にコメントを下さった優しい方は このTLも見て下さっていることが判明! 先ほどの内緒ツイートもたぶん筒抜け笑 これからもよろしくお願い致します

 

これは2011108日に鎌倉市生涯学習センターで講演させて頂いた時のスライドです 主催は鎌倉市人権・男女共同参画様 前年11月の鎌倉での最初の講演から二回目でした 私は「河内本源氏物語」を作った源光行という人物をたどっていて それら資料から実朝の歌の師は光行ではないかという気がし始め

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このスライドで初めてそれを発表しました まだ何方も仰っていられない説でしたから内心凄い怖くて 恐る恐るでした 今回それを書こうと思っているのですが もしかしてその後に出た出版物にその説が載っていたら重なってしまうとの危惧から 図書館で貸出中の本を調べたかったのでした 先程吉祥寺の

 

書店でぱらっと立ち読みして その方が「実朝の歌の師は光行だろう」と書いていられるのを確認しました 知らずに書いたら重なるところでした でもその方は状況を書かれているだけで 私が手元に持っている資料を公開されているわけではないので 私はその資料を紹介するところから書き始めます

 

前年11月の最初の講演から この108日の講演の間に 3.11の東北の震災がありました ほんとうはこの講演は315日に予定されていたもので 震災直後で中止にするか強行するか等 震災の恐怖とはべつにとてもはらはらしましたので 記憶が生々しいです 結局中止になって10月に実行されたのでした

 

吉祥寺駅前のクリスマスイルミネーション

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2018.11.18 ツイッターから転載…実朝と定家の関係を探ってたどり着きました!京都実朝応援隊!

11月12日

おはようございます 先日この年譜をアップした時 定家雅経光行さんが兄弟のよう と呟きましたが まさにこの三人が実朝に関わっていて それをはっきり認識した時 思わず京都実朝応援隊 と命名してしまいました 以前から 定家が実朝の歌を添削した裏には光行さんの力があったと思っていたのですが 雅経も

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なのだから これはもう京都で三人が結託して 鎌倉で一人奮闘する実朝を応援する状況ができていたんですね というのも 光行さんは鎌倉に下向して頼朝に仕え 実朝が将軍になるまで仕えてから帰洛 雅経は実朝が5歳の時に蹴鞠を教えていて しかも妻が大江広元娘 帰洛した鎌倉組の二人が定家に実朝の歌の

 

指南をするよう取計らった とそういうシナリオが成り立ちます 場所は 三人のうちで一番羽振りのいい 雅経邸 現在白峯神宮になっているあの場所で 京都実朝応援隊の三人が会議をしたのでしょう 定家と光行さんの二人を考えていましたが 雅経もとは思っていませんでした 蹴鞠の講座で雅経が蘇ったばかり

 

だから 吾妻鏡に雅経が実朝の歌に関係している条を見て 俄然 一気に 三人の「謀議」のようすが空間としてリアルに浮かび上がったのでした 論文ではないから立証するものはないけど それぞれに実証できる事跡があるから それを繋げて書こうと思います 常々光行さんが残してきた実朝を思う心が痛切で気に

 

なっていました これで私も救われる思い ちなみにもともとこの三人は兄弟のように親密な間柄です 定家と光行さんは一歳違いで一緒に俊成に源氏物語を学んで育った仲 定家と雅経は定家が五歳年長だけど 新古今集撰者仲間 雅経と光行さんは一緒に頼朝に仕えた仲間です

 

小柴垣という言葉が浮かぶから小菊の群れが好きです

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玉川上水沿いの小道 珍しく縦位置に

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縦の構図でもう一枚@玉川上水沿い 赤いカラスウリの実が二個写っています

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植え込みも秋の風情

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11月13日

昨日 カトリック吉祥寺教会のマリア様像をアップさせて頂いて 自分で随分変わったと驚く 以前は小説も翻訳ものしか読まなかったし 眼は世界に開けていた 鎌倉の源氏物語に関わっていた15年のあいだに 私の中で何かが閉ざされてしまっていたよう TLで必死に自己回復をさせて頂いた結果が マリア様でした

 

これから自己回復に西洋の小説に戻ってもまた 膨大な時間がかかるでしょうところを TLに流れてくるリアルな世界の「現在」を拝見しRTさせて頂いているうちに すっかり気持ちが縛られていたものから解き放たれて 広々してきました 多謝です 心から

 

終活を意識して書棚の整理を始めているのですが このコーナーの一式を手放すのは最後 師の棚 『源氏物語と鎌倉』を生前にお届けするのは叶わなかったけど でもこれは小説ではないから 仙覚さんの小説は鎌倉霊園の墓前に必ず

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西洋の小説を読んでも自己回復には膨大な時間が と呟いたからでしょうか無性に懐かしさが込み上げて クロード・シモン/平岡篤頼先生訳『アカシア』を読んで寝ることに 最後の数行が好きで 小説に詰まると読んで 感性を蘇らせて頂くことにしています この小説 復刊されましたよね 全然表紙が違います

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2018.11.17 ツイッターから転載…kindle版『金槐和歌集』 購入しました&実朝の側近を調べる等

11月9日

kindle本『金槐和歌集』 購入しました 流布している岩波文庫版が江戸時代の板本である貞享本を底本としているのに対し 昭和4年に佐佐木信綱博士により発見された定家所伝本を底本としているそう 定家所伝本を探していて このkindle本にたどり着きましたラッキーです

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kindle版口絵 藤原定家所伝本金槐和歌集 定家が書いた本なんですね 鎌倉から送られたのを定家が所持した本とばかり思っていました それを確認したくて時雨亭叢書で探したりしていて kindle本に出会ったのでした

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目次も充実しています

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久しぶりに遊びました 小さなイルミネーション笑 息抜きです

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最近資料を整理してたら出てきた「花の蹴鞠」用に作成した年譜 定家と光行さんと飛鳥井雅経が 兄弟のよう

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こちらは万葉集用に作った初期のもの ちょうどいいので これを再利用して これから実朝を書き込みます

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実朝の誕生はすでに書き込まれてました(右側) これを見ると 実朝が生まれた時はもう光行さんは鎌倉に下向しています(左側『若宮社歌合わ』の後下向)

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吾妻鏡から 実朝の定家と万葉集関連の事跡を抜書しようと思っていたら kindle版金槐和歌集に なんと年譜まで付されてました なのでこれを先のツイートの 私が作成した年譜に組み込みます

 

来年の仙覚さんについての講演の件でお電話 二回の講演のテーマをどう配分するかなどお話しました 私としては自分で絞って決めるより こういう話を聴きたいというご要望を頂いたほうが楽

 

来年は というよりもうこれからは 仙覚さん一色の生活になるのなかあ そのためにも早く 実朝を仕上げなければ

 

突然湧いた雲 雷雲かと思っても雨が降らず  と思ってベランダに出たら全天でなく 南発生から東北の帯状 これは東を向いて撮りましたが 上空に青空が見えています

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11月10日

夜に入り将軍家(実朝)明月に乗じ由比の浦に出でしめ給ふ。一両艘の舟船を粧ひ、六七の輩の伶人を召す。管弦各々妙曲を尽くす。(吾妻鏡、元久元年120413)…吾妻鏡から実朝の歌に関する条を抜きだそうとしているのですが、歌よりもこうした船での管弦の雅が眼につきます。これは将軍になった翌年の

 

13歳の時のだから、周囲の人間が実朝の嗜好を配慮しての企画でしょうけれど、歌も実朝自身が積極的にというよりも周りの人(知親や雅経)が配慮してもたらしている感じ。もちろん、実朝はもたらされて大感激するのですが。なにか、周りにそうした配慮を指揮する人物がいるような。空間としてそんな気が。

 

将軍が変われば側近も変わるでしょうけれど、これは、頼家の時にも船の管弦遊びがあったかなど、吾妻鏡で確認したい問題。

 

11月11日

武蔵野の雑木林@井の頭公園 木々が色づいてきました

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足元にはどんぐり

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カトリック吉祥寺教会の薔薇 右手奥にマリア様像がいられます

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カトリック吉祥寺教会のマリア様です

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この本を地元の図書館で借りられる幸せ

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頼家期と実朝期の側近のようすを比べてみようと思い 借りてきました 速読には現代語訳が一番 執権政治になってからの後半は揃えてあるのですが まさか源家時代のことをするなど 思っていませんでした

 

kindle版金槐和歌集にある実朝年譜をざっとたどって思ったのは 従来実朝の意志でといわれてきたことが 案外実朝の性格や嗜好を知る側近が 実朝のためにと動いたのかもしれないということ 将軍実朝を主語にして語られてきたのとは別の気が 実朝は愛されてます!

 

私が側近の存在を感じるのは 11歳で下向された少年将軍を気遣って 北条実時や源親行が 親王の文学的資質を見抜いた上で 源氏物語の環境を作ってあげたという 過去の考察があるからです 少年将軍は側近で育てられて その人らしく成長するのではと思う

 

実朝のご本が届きました 先日禅研究会でお話した鎌倉の方から 鎌倉国宝館の実朝生誕八百年記念出版のご本です 平成四年の刊 こんな立派なご本が……と驚きつつ 早速読ませて頂いています!

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吾妻鏡の頼家の項 読了しましたが 頼家の時代の遊興は遠出では狩り そして御所で能員邸で永福寺でと連日の蹴鞠 実朝期に見たような船の遊覧や管弦は皆無でした 頼家が御家人と対立していたからの趣があったにしても 趣が全く違いました 眼が疲れるから 今日はこれまでにします

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2018.11.10 ツイッターから転載…鎌倉禅研究会に行きました&実朝と万葉集についての考察を始めます

11月7日

おはようございます 鎌倉の源氏物語を建長寺様の禅研究会で講演させて頂いたことからご縁を頂き ずっと聴講させて頂いたりFBを担当させて頂いています 禅の人ではありませんが今ではすっかり皆様に受け入れて頂き馴染んで 先日『吾妻鏡』の会で8月の講演のレジュメを発表担当の資料と一緒にお配り

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したら(「建長寺建立に込めた北条時頼の信念」) 講師の先生が「鎌倉に馴染んだ視点」と仰られて 私はそれまでそれほど「別」と思っていなかったのが 鎌倉も建長寺様も禅宗も 通常の歴史研究とはどこか視点が違うことに気がつきました 私は特殊な世界を見させて頂いているよう 稀有なことかも

 

仙覚さんの小説に専念する前に 実朝と万葉集の写本についてまとめておきたいと思い 今日からとりかかろうと思うのだけれど さて 人物もテーマもいろいろ違う中から 写本だけを取り出して書くのに それら資料を探しだすのが大変

 

ただいま《立冬》です

 

11月8日

機影2機 ニアミスになりそうな近さで 思わず立ち止まって見てしまいました 後ろの1機がどんどん近づいて ついに隣合せかと思ったら前に回って 先の1機を一周 たぶん撮影とわかってほっと 家人が現役だった時 航空会社で2機飛ばして それぞれにカメラマンが乗り込み 互いを撮り合った話を聞いてます

 

今日から実朝 道中のお供は金槐和歌集です といいたいところですが その解説 コピーしてきたもの

 

大船観音と湘南モノレール駅 今日は気持ちのいい快晴

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湘南モノレールは珍しいぶら下がり式 先日 腰越の講座の帰り 車で大船まで送って頂いたのですが その通りは鎌倉山を右手に見る起伏の多い道で 坂下の向こうからくるモノレールと 坂上の私達の車が正面衝突するかのような スリリングな気分を味わいました

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建長寺様仏殿 鎌倉禅研究会が終わって 明かりが灯されていました

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11月9日

おはようございます スパティフィラムの花 ふと眼について 昨日撮りました 萎れても切って捨てられなくてそのままにしていたら 完全に枯れて またこの風情もいいなあと毎日見ています 今日は雨 昨日 出かける支度をしていて視線に入って撮ったもの 今朝の光線では こうは撮れません

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今朝の目覚は思いのほかすっきり 疲れを引きずってません 昨日は気の合う方とは楽しかったけど やはりそこは宗教の場 文学の感性の私には正直辛いところがあります FBを担当させて頂いているから 記者の役割と割り切って心はひそかに文学に 昨日は素敵な言葉に出会いました 淵黙 深い淵のような沈黙

 

蘭渓道隆和尚語録にある建長寺様の梵鐘銘文に付された跋文のなかの言葉です 虚堂智愚という方が書かれました

 

と呟いて ああ 辛いんだ と思いました 素晴らしい学びの場なのに 帰ると毎回フラストレーション なんだろうこの感情 と得難い学びの場に対して申し訳なく 今まで自分を責めてきました 先日来自分らしい時間を取り戻しつつあるから それが鮮明に浮き出たのかも 自分を殺しているって辛いですね

 

鎌倉禅研究会FBに昨日の例会が無事に終了したことをアップし 添付した写真です 方丈(龍王殿)の廊下を歩いてきて 金色の唐門の奥に見える仏殿の屋根の緑青の緑 その対比がそのまま時代の対比でもあることに 眼がとまって

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朝にツイートした跋文の銘文が彫られている建長寺様の梵鐘です 三門の脇にあります 写真左肩に三門が少し写りこんでいます 国宝です

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自画自賛みたいになるけれど 昨日は晴れているとはいってもどこか薄曇りで そのためにけばけばしい写りにならなかったから アップしたのを見て気持ちいいです けばけばしくない色調は グラデーションの奥の深さでしょうか

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2018.11.9 ツイッターから転載…『吾妻鏡』の会の発表担当&バルバラを聴きながらなど

11月5日

おはようございます 昨夜はあの後国史大系本との照合で漢字の違いがたくさんみつかり またレジュメを一枚作って就寝 結局音読はこれから車内で 目でたどります

 

RTさせて頂いた「清盛 御白河天皇 頼朝の時代 京都めぐり地図」 以前このTLで教えて頂いて購入 今日の発表が六条若宮だったので 早速スキャンして レジュメに役立たせて頂きました これ ほんと いいです

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今日の発表は建久元年の頼朝の最初の上洛 地図には その頼朝上洛時の宿舎の位置も 後白河院の仙洞御所の六条殿も載っているから 最初に地図で位置を確認して頂いてから本文に入ったから 動線がリアルになりました

 

とにかく眠い 昨夜からずっと 新宿御苑でゆったり過ごしたから それまでの疲れが吹き飛んだかと思ったのですが 逆に緊張感を強いていたものがゆるんで緊張できなくなったのでしょうか しばらくほんとうの意味での疲労回復睡眠をしなければならないのかも というか とにかく眠いです笑

 

ナントのRTをさせて頂くたびに ナントへ行きたくなります バルバラのナントに雨が降るがすきだから だからといってナントに行ってもバルバラのイメージはないのでしょうけれど そして 西山善峯寺様のRTをさせて頂くたびに ああ玄覚さんを書かなくてはと思います 早く玄覚さんまで進みたい

 

RTは 私にとって記憶の甦り装置

 

『吾妻鏡』に頼朝が石清水八幡宮に鴾毛(つきげ)の馬を奉納したとあったので鴾毛を調べたら少し赤みがかった毛色とあり 画像検索で添付の写真があったので レジュメに使用させて頂きました 月毛とも書くそうですと言ったら 講師の先生が ああ月の色なんですねと 気がついてなかったのでびっくり

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休んだので少し復活しました

 

でも 私はやはり黒い鷲が好きなことを思い出して 聴き始めています 今夜はバルバラ

 

でも やはり ナントに雨が降る もいいです

 

東大寺と下野薬師寺と並ぶ日本三戒壇のひとつの観世音寺をRTさせて頂きましたので 私が訪ねた下野薬師寺の写真を 今は安国寺となっていて かつての戒壇跡に六角堂が建っています

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回廊のような建物が復元されていて 往時のようすを偲ばせていました ここは称名寺初代長老審海様が修行されていた寺院で 忍性様に乞われて(北条実時の依頼で)鎌倉に下り 長老になられました なので 一度は訪ねておきたい寺院でした

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バルバラを聴いていると しつこく私は何を失ったのだろうという思いが湧いてくる 鎌倉の源氏物語に関わった15年間 それは使命感で動いていたから 自分というものを殺していた 手を離して 最近ようやく自分らしい時間を持つようになり 自分らしい感性が戻りつつある 得たものは計り知れず大きくても

 

失ったものも大きいと本気でそう思う でも そういうことすべてが 小説を書くための基底になるのだから これも必然だったのでしょう 鎌倉の源氏物語で経験したことは 一市井の人ではあり得ない規模の見聞でした 紫式部だって 道長に抱えられなかったら 源氏物語は書けてません

 

こういう書き方 こういうことへの思いと文章 こういうことが 鎌倉の源氏物語に関わっていた間 浮かんで来なかったし 物凄い平面的な思考しかできなかった 第一 バルバラを聴いても 心に入っては来ませんでした

 

今日はいい日でした お休みなさい

 

11月6日

今朝の思いつき 仙覚さんの小説に花の蹴鞠を組み込もうと 源氏物語は基子さんが人生の指針にしている設定で入れられたのだけれど どうしても小説の悲愴な舞台に合わなくて 浮いている感じ でも蹴鞠を入れれば悲愴と同時並行の雅の膨らみが 仙覚さんが京で暮らす時代は 為家が蹴鞠に凝っていた時代です

 

これで役者が揃ったかも 政治の局面として九条家 文化の局面に源氏物語と蹴鞠 そこに比企氏の悲劇があり 仙覚さんの人生が…なにか欠けている気がしていたのは こういうことだったのでしょう 蹴鞠の講座まで進まなかったのも こういう必然があったから

 

たぶん

 

アケビ(たぶん)をフェンスになんて 素敵なお宅

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先日行った千駄ヶ谷 駅前です 国立競技場の建設中(だと思います)

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不具合過ぎてもう信頼を投げ出していた新しいスマホ SDカードを変えたら問題がなくなり快調です 買い換える時 古いカードを入れ替えて使ったのがそもそもの不具合の原因 せめてその時 カードも新しくしますか?の打診があったら 鎌倉の海の写真喪失を免れたのにと思います

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11月3日

前からずっと行きたく思っていたのですがなかなか行かれなくて 今日やっと叶って満喫してきました 新宿御苑の旧御涼亭(台湾閣)新宿御苑は広いから ここは千駄ヶ谷門から入るといいです TVのロケで観て憧れていました 現地からスマホ写真をアップしましたが これはデジカメで撮った方です

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その後整形式庭園に移動して プラタナスの並木と薔薇園を堪能 忙しかった日々がつい先日まであったことが嘘のように吹き飛びました 数枚アップさせて頂きます まず旧御涼閣に入ると 中はとても素敵です

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プラタナスの並木では 木の香りか 落ち葉の匂いか なんとなく芳しい香りが漂っていて 大きなプラタナスの葉が積もった落ち葉を 若い人たちが 雪遊びをしているかのように舞い上げて楽しんでいました

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現地からもスマホ投稿しましたが 夕陽の薔薇園の趣のそこはかとなく綺麗だったこと!

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帰り際に見上げた空です

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やはりデジカメで撮った写真は 手がかかるけれど気分がいいです TLに流れてくる写真も 最近は綺麗で目をみはりますが 自分で撮るとわかりますが スマホの写真は一見目を引くけどけばけばしい そして 結構流れてくる写真も色調のコントラストを強調し過ぎの方が多くて 私は気になります

 

昨日届きました 腰越の蹴鞠の講座にいらした方に教えて頂き注文していたご本 蹴鞠保存会理事の方のご執筆です 平成二十八年のご刊行だから存じ上げませんでした 拝読させて頂きます 今日四日 京都でたしか蹴鞠会が行われているんですよね 行きたかったのだけれど

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私が蹴鞠に関心を持ったのは 飛鳥井雅経の小説を書くためだったから 知識は一人で研究書に頼ってのこと 今回講座でお話するのに読み返していたら 蹴鞠保存会はケマリホゾンカイではなくシュウキクホゾンカイな事が判明 耳で聞いて学ばないとこういう事がよくあります

 

昨日の快晴と打って変わって今日は曇り 少し雨がぱらついたよう 文化の日は快晴の特異日というのは 不思議にほんとうです 新宿御苑では石蕗が咲いていました

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レジュメを作って 15部コピーしてきて 食事の支度をして でももう疲れが限界で背骨の矯正中 ちょうどいいから マニキュアを塗りかえて 乾かしながらです 起きたら吾妻鏡の音読 発表担当なのに まだ原文に目を通しただけで 音読してません泣

 

疲れがとれなくて 眠くて覇気があがらず ツイッターに笑

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2018.11.7 ツイッターから転載…文化の日、新宿御苑御涼亭に

11月2日

間村俊一氏の句集『抜辨天』 改めて開いているのですが 改めて まあなんて贅沢な本! とマジマジ魅入ってしまいました まず活版組・活版印刷 そして奥書に 用紙本文=シマメ菊叛丁目六九.kg等々の 装幀家さんならではの! 装幀展 始っているんですよね 11日まで

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スマホで撮った写真がダウンロードに失敗しましたと出て破壊されてばかりいました 今朝SDカードが破損していますとの通知が出て ショップでSDカードを新しくしてきたのですが ずっとダメだった保存の問題はこれだったみたい カードに保存した一切の写真が消えました 昨日の鎌倉の海も 投稿したのだけに

 

玉川上水沿いの道 陽に輝いた部分が綺麗です

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夏に新しくしたばかりのこのスマホでの写真は 一からやり直し それで 記念にこの写真を 山本有三文庫です 旧山本有三邸

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【地震情報 2018112日】 1653分頃、紀伊水道を震源とする地震がありました。震源の深さは約50km、地震の規模はM5.4、最大震度4

 

あくまでもの話で 直接関係あると証明できるものではありませんが 以前スマトラ地震や新潟地震があったころ 地震雲の観察をしていて 断層状の雲は危険と聞いていました 昨日鎌倉に向かう湘南ライン車窓に観ていた雲です 気になって何度もツイートしたのは そういう背景があったからです 昨日の

 

雲は 車内で「東西の雲のようです」と呟きました 断層状の雲は両端のどちらかに震源があります 夏にスマホを変えて日本地図や気象衛星画像を見る設定が間にあってなく 昨日は車内でもどかしい思いをしました 戸塚駅あたりで目の前にちょうど線路とT字形になるように見えたのでアバウトに東西かと

 

今日の紀伊半島の地震M5.9を地図で見たら 昨日の雲の西端にあたります それで昨日の雲を思い出してツイートしています あいにく今日SDカードが壊れて車内で撮っていた画像がなくなりました 保存がずっと危うかったので もしもの時のために昨日何枚も投稿したのでした ツイッター保存です笑

 

雲が地震を予知するという考え方は 科学を学んだ方にとても忌避されます そんなことあり得ない!とか 科学を学んでもいない癖にとか 迷信とか等々  烈火の如く怒る方もいます でも私は数年毎日雲を撮って その方位に発生した地震を照合して あながちあり得ないことではないと実感しています

 

雲が地震を予知するなら東北の震災をなぜ予知できなかったかが今もって心痛む思い出です 雲の観測と鎌倉の源氏物語の活動の両立がどうしても無理になって止めたのが東北の震災の前年暮でした 振り返ると前兆は出ていました が 大きな地震ほど発生までの期間が長く それを震災で教えられたのでした

 

その当時から思っていたのですが 雲(昨日の断層状雲)や夕焼け(昨夕も)や強烈な虹など 自然現象は誰でも観ています SNSが発達した現在 そういう投稿が増えれば 予知が不可能でない時代が来るのではないでしょうか あらゆる方向からの方位が集まったら その交差する位置が震源地です

 

絶対にそうだ ということではありませんから 読み飛ばして頂いていいのですが そういうこともあると 心の隅にとどめて頂けたら嬉しいです

 

11月3日

おはようございます スマホのSDカードを取り換えたら スマホ自体の起動も危うくなくなったような爽快感 写真の保存が安心なら これでカメラを持っていなくても写真を撮れるし 今日から新しい日が始まるような

 

ずっと来たかったここに来ています 晴れた日に

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プラタナスの葉

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プラタナスの樹の下で

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新宿御苑薔薇園 陽が沈みかけて プラタナス並木が薔薇園の背景に逆光で 綺麗でした 今日は物凄いゆったりのんびりを堪能です

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2018.11.7 ツイッターから転載…阿見みどり先生「万葉野の花原画展」@妙本寺

11月2日

おはようございます 昨日の阿見みどり先生「万葉の花原画展」会場は鎌倉の妙本寺様 比企谷に建っています そう 私が執筆中の小説「仙覚」さんが生まれた舞台です ここで比企の乱が起き その年に仙覚さんが生まれました 境内に仙覚さんの万葉集研究遺蹟碑があります 10枚ほど連投させて頂きます

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山門を入ると奥に写真のような坂があります 谷の入口です そこを登っていくと 現在は日蓮宗寺院ですから 日蓮様の銅像と祖師堂があります が 鎌倉時代にはここに比企能員の館が建っていました 二代将軍頼家の乳母父ですから 頼家が蹴鞠をしたのもここです ここに万葉集研究遺蹟碑があります

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阿見先生の万葉の花原画展会場は妙本寺様書院で 万葉集研究遺蹟碑がある場所から一段下におりた場所にあります ここに現在の本堂と方丈もあります 比企谷は谷ですから 館のある場所とこの方丈の場所 というふうにそれぞれに平場を造って建てられています 奥に見えているのが本堂です

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阿見みどり先生「万葉の花原画展」① 書院の入口です 黄色い懸崖の菊が飾られて

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阿見みどり先生「万葉の花原画展」② 玄関です ここからもう阿見先生ワールドがはじまっていて素敵でした

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阿見みどり先生「万葉の花原画展」③ 万葉の花原画の色紙を貼った屏風です 阿見先生は画家になりたかったのを お父様が万葉学者山口正先生で 後を継ぐことを望まれたために国文科に進まれ 万葉集を研究された方ですから 選ばれた歌それぞれへの思いは深くいられます

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阿見みどり先生「万葉の花原画展」④ 私の好きな有間皇子「家にあれば笥に盛る飯を」があって嬉しい

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阿見みどり先生「万葉の花原画展」⑤ 仙覚さんが万葉集の研究をした場所に建つ妙本寺様が 万葉の花の原画展を開かれる阿見先生に 万葉の風情をと会場に添えて下さったという 雅楽の琴と笙です 素敵なお取り計らい!

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阿見みどり先生「万葉の花原画展」⑥ 会場の一画に なぜここ「妙本寺」様が万葉集ゆかりの寺院かを ご来場の方にわかって頂くようにとこのコーナーが 山口正先生のご著作と ご創設の解釈学会の機関誌『解釈』と 私の「文学碑めぐり」の頁のパネル 『解釈』に万葉集研究遺蹟碑について書きました

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阿見みどり先生「万葉の花原画展」ラスト 廊下の隅っこにまで心配りが 散華は阿見先生の絵 春夏秋冬の四種類があります 妙本寺様でご購入頂けます

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昨日 帰りの鎌倉駅ホームで見た 物凄い綺麗に赤く焼けた夕焼けの雲 滅多にない焼け方で あのまま由比ガ浜にとどまっていたら染まるような空の只中にいられたんだ と残念でした でも鎌倉在住でない悲哀 夕焼けの予感はしても帰らなければならくて諦めたのですが 早朝の海 夜の海 を憧れても泣

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2018.11.6 ツイッターから転載…鎌倉に実朝の歌碑を撮りにいきました

10月31日

極力外出を避けて と申し込まずにいたある会合 お電話があって行くことに 行けば有意義とわかっていて もう体力が無理 と思っているのに・・・ これだけ固辞して決めていたのに でも呼ばれて行くことになった展開にはきっと何かあります いつもそうでした 運勢は自分からは開かないです

 

先日 三鷹の書道のお店に便箋と封筒を買いに行った時に 色紙大のこの料紙箋があって購入 色紙の練習帳とも違って 便箋として使える紙です 本当に便箋として使っていいかはまだ理解できていませんが 10枚全部が違う絵柄で 持っているだけで幸せ

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中の一枚はこういう絵柄 石山切とか 西本願寺本三十六歌仙とか 和漢朗詠集とか 見るだけで幸せですが 印刷物でもこうして手元におけるのは幸せ 昨夜表紙をつけた花の蹴鞠から なんか料紙のマイブーム復活 たまたまですが 花の蹴鞠は投函しました

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料紙話題の続き というわけでもありませんが 俳句を始めた高校時代の友に 手元にあった句集を送ろうとして 手紙を書くのに出した薄様の料紙 源氏物語千年紀の特別な販売だったようで その後入手できません そんなことならもっと 全種類買っておくのだったと悔やんでも遅しです 明日は古典の日ですね

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でも 出したら箱の「恋文」の文字が目について 彼女に恋文を出すわけではないし とこれを使うのは見送りました笑

 

ただいま《下弦》です

 

11月1日

(写真は夏に行った上高地での梓川です) 頑張って起きたのですが やっぱりこんな時間 やっと出てきました 世事は諸々時間がかかります泣 講演前はそんなことをいってられないから自分優先ですが それが続くと家庭が荒みます なので今は私が譲る時 でも急いで出たから道中のお供を忘れました 残念

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そういえば古典の日でした 2008年の源氏物語千年紀に 八王子で源氏物語と鎌倉の写真展をして そこにいらした方から鎌倉の方を紹介されて その方が最初の鎌倉での講演を設定して下さって 評判が輪を呼んで それから何度講演させて頂いたでしょう すべては千年紀から始まりました なので古典の日は記念日

 

座れたのでゆっくり購入していた仙覚さんのkindle本万葉註釈を読むことにしました スマホで読むと画面が小さく 以前目を痛めて止めていたのですが これは筆文字だから大きい! 完璧に読めなくても 仙覚さんの筆の息遣いと思ってたどることに

 

今日は車窓にずっとこの雲 鎌倉に向かう横須賀線の左手の車窓です

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もう一枚 ずっとこういう感じ

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東西に渡る雲のようです

 

鎌倉駅前でもあの雲が見えます 左手の建物が鎌倉で一番大きいホールを持つ鎌倉生涯学習センター まっすぐ行くと 海!

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『源氏物語と鎌倉』を出して頂いた出版社のオーナー 阿見みどり先生の万葉の花原画展が妙本寺様書院で開かれていて 堪能させて頂いての帰りです 山門を出ようとしたら これから会場に向かわれる鎌倉禅研究会の主宰の和尚様とばったり 奇遇だね~と笑

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鎌倉の海

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気持ちいいです!

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波が レースの裾のように広がるのが綺麗

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鎌倉の海 由比ヶ浜越しに見えています三浦半島が陽に輝いて

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そろそろ夕暮れ 立ち去ります この辺は海抜3メートルちょっと 怖いです!

 

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海が夕暮れの空を反映して 素敵な時間 立ち去りがたい美しさ

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最後に小さな船が来てくれました

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帰りの車内 今日はこの碑を撮りに 実朝の歌碑です 歌に合わせて小舟の形をしています 由比ヶ浜海浜公園にて

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実朝の歌碑は しっかりとした歌碑としては三個 鎌倉国宝館 鎌倉商工会議所 そしてこの海浜公園 前二つは撮ってあるからこれで安心 前二つの頃は出かけるのもやっとだったけど 今日は結構歩いたのに大丈夫 元気になったなあと思います

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2018.11.3 ツイッターから転載…蹴鞠の余韻や実朝のことなど

10月29日

窓を開けたら薔薇の香りが 咲いているんだ! と思って見たら葉に隠れて残念な具合 よく見ると数輪咲いているので 二階に上がってベランダから それでもベストショットを撮れない位置にばかり 生やし放しのツル薔薇

 

コピーして送らせて頂くために花の蹴鞠を読み返していたら 安達景盛が頼家に大切な人を奪われた事件とその後の一連が綿密に書かれていて 自分の作品でありながら感涙 景盛を愛人を奪われた過去のある 深い陰りのある人物に描いていまず この作品の影の主人公

 

一昨年体調を崩して もう時間がない の危機感から仙覚さんの小説を完成させておかなければ の思いが湧いたのだけれど この花の蹴鞠も 読み返したら結構重要 私に時間があるうちに どちらかというより 両方を

 

10月30日

おはようございます やっと講座の余韻に引きずられての蹴鞠気分から離れました 花の蹴鞠も仙覚さんの小説も どちらも自分の内側から生み出すものだから どちらかにかかると もう一つの世界には戻れない このまま花の蹴鞠の完成に向かってしまうかとはらはらしました いつか完成したいけど

 

あまりのふわふわ感に買ってしまいました アリクイのぬいぐるみ 疲労が溜まって なにかふわっとしたものが欲しいところでした 右腕がもう腱鞘炎まっしぐら状態だから 講座も終わったことだしと のんびり時間をかけてマッサージ等しています そこにこのアリクイさん 右脇に挟んでPCをしたら とても楽!

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そういえば蹴鞠の講座のパワポ 蹴鞠だから優雅にと思い 地味な色合いの史跡の写真にこだわらず 華麗な色合いの写真や引用ばかりを背景に使って作りました 84 見るからに華やかで 幹事さんに感謝されること度々 作った甲斐がありましたが 腱鞘炎まっしぐらへの道との戦いでした笑

 

井の頭公園もメタセコイヤが色づいてきました

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@吉祥寺

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そうだったのか~と感慨 実朝について読んでいるのですが 右大臣就任ための拝賀に臨んで討たれたその右大臣は 左大臣九条良輔の逝去で 右大臣だった道家が左大臣に移り その空いた席に実朝が就いたという偶然で可能になったと 良輔の急逝は兼実の側から読んでいたけど それが実朝に関係していたなんて

 

文化は 京は京の人脈 鎌倉は鎌倉の人脈だけで見ていても 繋がらないものですね! 複合的 多角的視野が必要で だから 知識はただ知るだけでなく 重ねていく時と経験が大切

 

実朝と良輔の急逝の件が頭から離れないのだけれど 良輔は河内本源氏物語の光行さんと漢詩の多分仲間で その頃は帰洛していたから 急逝を悼んだはず なのに 直後に鎌倉で実朝が殺されて 光行さんは鎌倉では実朝の教育係みたいな人だったから そこでも実朝の死に驚愕して その頃の光行さんの思いは…と

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