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2018.12.21 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(128)上西門院時代の頼朝を書くことに他

12月18日

おはようございます ドゥルーズのプルーストとシーニュで失われたが精密な断片で成り立っていて それらは必ずしも統一とれていなくていいと読み 仙覚さんの小説に風穴が空いて 光能という断片を無理なく入れられそう 時政も運慶も建春門院滋子さんも 今迄寄り道と思っていたことが無駄でなくなりました

 

影が綺麗

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吉祥寺の映画館 オデオンです

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気がついたのですが 光能が平治の乱以前から上西門院に近侍していたなら 光能は伊豆に流される前の頼朝を知っていたわけですよね しかもその頃遠元娘と結婚しているから 岳父遠元が仕える義朝の御曹司として見ていたわけ 文覚が福原京に後白河院の院宣を求めに光能を介した時 光能はそれを院の

 

近臣だからという任務でなく 自らもそれを願って院に取り次いだ 光能を書くなら頼朝から書かなければならず それは左女牛とかいうところの義朝館から書かなければならず そこに光能と遠元の淵源が こういうことを抜きにして頼朝の伊豆から そして時政からはじまってもいけないのでした

 

やっと原稿が詰まっていたところの意味がわかりました 光能を書くのは 最勝光院時代の院の近臣を書いても仕方なかったわけで それ以前が重要で ここに気づくまで今まで詰まっていたのだなあと 今日開眼しました

 

12月19日

おはようございます ドゥルーズのプルーストとシーニュ拝読以降 短編でしか書けないと別枠気味に扱っていた運慶や建春門院滋子さんを 仙覚さんの小説にも入れられるとなって 最勝光院を調べていた頃が蘇っているのですが あの頃玉葉に時々光能が登場して ふ〜んと思っていたのが 今頃になっていろいろ

 

結びついてきています 過去原稿を読み返して 説明で飛ばしていた部分の書き込みの必要性をチェックし それによって伴う段落の年次順への再編成など 大幅な入れ替えをしました そうしたら 最初に書いていたころの原稿の拙いこと! 貧弱だったなあと 我ながら眺めてしまいました 詰まるとは気づくこと!

 

でもほんとうは 淵源を探るには ドリルで硬い岩盤に穴を開けるような 尖った時間と集中力が必要だったんですよね いろんなことを整理して それを確保できる環境になったから 昨日の整理もできた でもまだ それに入り込むことから逃げたい安易な自分がいます 入り込むまでが大変

 

昨夜は三回の漢字講座最終回でした 生憎行かれなかったので お世話になったお礼を欠席報告にかけてメールさせていただきました 間違いなく私の中で今年一番の収穫は二つのこの講座への参加です お返事に二つの講座の先生が毎回私が終了後に呟いているツイッター

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を楽しんで見ていて下さったとメールを頂き それでまた最後に感謝を呟かせて頂こうと思いました 校閲の井上先生 漢字の小駒先生 ほんとうにありがとうございました 私はすでに二冊 本を出していますし 二冊とも全国優良図書に選定されていますが 二冊とも編集者さん任せで 出版に関する知識は

 

未だに皆無で プロとしての自覚の芽生えようがなく 今年初旬まで出版幼児みたいにおどおどしていました ツイッター上でも上から目線的な白い眼にさらされている感触も何度も たまたまTLで新潮社校閲講座なるもののあることを知り 受講させて頂きました 最初の三か月の入門編で概略がわかって終了

 

と思ったのですが 井上講師とお別れするのが残念で応用編も受講 その時点で当初のおどおどした感覚はなくなり なんとなく大丈夫 自分でやっていけるとの自信を得ました そうして進んだ小駒先生の漢字講座 こちらも最初の入門編的な三回では終わらず とうとう三期通って 最後に康煕字典を引く!

 

この康煕字典を引く特別講座がまさか最後の受講になると思いませんでしたが 昨日伺えなくてももう満腹大満足で いつかしら書く人として私自身が屹立できているのがわかります これはもうほんとうに今年最大の収穫です いつかまた特別編があったら伺わせて頂きます 本当にありがとうございました

 

今呟いたからでなく 目下のところの仙覚さんの小説再開の原動力は この二つの講座に通わせて頂いてからの屹立した精神性によるところが大きいと 心から感じています 書くことは自分と向き合い取り戻すことですものね

 

比企尼には三人の娘がいて 長女は安達景盛妻の丹後内侍 次女は河越重頼妻 三女は… なのだけれど あれっ! 比企尼夫妻には三人の… というべきではないの? と突然疑問 どれを読んでも比企尼には… 三人の娘は夫の子ではないのかしら と思ってしまいました 夫と死別しているからですか?

 

仙覚さんの小説に光能を投入しようとして 頼朝の上西門院近侍時代を書こうとしたら その時代を花の蹴鞠で書いていたことを思い出し 比企尼と3歳の頼朝のエピソードを書いていたから それをそのまま仙覚さんの小説に投入 花の蹴鞠が仙覚さんの小説に溶け込みました いずれ蹴鞠は必要になるし…

 

幼少時代の頼朝を入れたことで 比企尼が単なる乳母として説明づけられていたのが 生きたドラマのひとりに 頼朝と比企尼の関係が比企谷を誘発し 比企能員がそこに館を構え そこで比企の乱が起きて 仙覚さんが生まれる というそういう淵源です 説明とドラマの違いがくっきり出て今更ですが勉強に

 

吉祥寺 すっかり身辺整理して 荷物を三個送り出して ようやく入り込めたんだなあと実感 原稿にです ランボー風にいうと みつかったわ 何が 永遠が といった気分 これからはもう何にも煩わされずに打ち込みたい できるといいけど

 

井の頭公園の森に昇った月 下を電車が走っています

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