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2019.2.13 ツイッターから転載…『解釈』2019.1-2月号掲載の「実朝の歌碑」&Facebook活動停止のこと&仙覚さんの資料再読開始など

2月9日

おはようございます 『解釈』2019.1-2月号掲載の「実朝の歌碑」です 京都実朝応援隊 と私がひそかに名づけている 藤原定家・源光行・飛鳥井雅経の三人による連係プレーのお話です

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ドロップボックスの写真を整理していたら 100分で名著薔薇の名前の和田忠彦先生の画面の写真が 今すぐにでも和田先生の世界に入りたいのだけれど(昨夜もなにを読もうか逡巡して棚を見ていて散策の森に眼が留まり) でも今はそれをしている場合ではないとぐっと諦めました(危ういけど笑)

 

雪がちらついてきました

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@井の頭公園 地面に落ちた雪は というより 地面に落ちる前に雪は溶け 公園ではベンチにだけ 雪の跡が

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@井の頭公園 この階段を登ると吉祥寺

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2月10日

おはようございます 身辺整理がついたので 昨夜から万葉集についての見直しを開始 最初に村田正博氏「万葉集注釈と清輔袋草紙・顕昭袖中抄とのかかわりをめぐって」 仙覚さんへの「他の誰ともまぎれることのない研究主体の、まさに固有のありかた」の一文に改めて震撼 まさに仙覚さんは これ! です

 

繰返し聴いている曲があるのですが チェロだから 最初地獄の底から響く音(誉め言葉です) と思いつつ なんて美しい旋律! と思っていて 調べたら声楽曲で 世界で一番美しい曲 なのだそう 美しさと畏怖 そのこもごもがやはり いい

 

繰り返しひとつの曲を聴いているのは ここのところの現実にべったりだった気持ちを 自分の体から追い出して この透明な 意味のまるでない 崇高な気分を自分のうちに満たしたいからだ という気持ちになってきました 音楽 のような小説を書きたい

 

執拗に しつこく 繰り返し繰り返し ひとつの曲を聴いています

 

Facebookに活動停止のコメントをしたのだけれど(お友達申請を頂いているので) 訣別のお便りを書いてもご丁寧な返信を頂いても気持ちは全く動かなかったのだけれど Facebookで知り合ったある方の影をそこに見たら はじめて万感の気持ちがこみあげてきました 誠意ある方との貴重な出会いだったから

 

2月11日

おはようございます という時間ではありませんが笑 休日の朝は忙しいです 昨夜仙覚さんの資料を読み返していて気づいたのですが 常陸の人説の根拠に常陸に住んだ人ならではの記述があるからと これは 笠間時朝との交流で滞在しているから 土地の人でなくても書けます 比企の人説のネック解消しました

 

先の世の契深き幼き者の松のとぼそのうちに住みなれて と仙覚さんは万葉集注釈の動機を記す 幼き者は仙覚の子であろうかと武田祐吉氏は書かれる 昨夜は氏のご論を拝読して休みました これから改めて熟読します

 

仙覚研究では佐佐木信綱博士のご論に圧倒的に依存してしまうけれど 武田祐吉氏のご論は写本の中に入っての詳細な分析 歴史的概略をつかめてやっとここに入っていける感がします

 

それにしても 実朝の歌碑で書いた実朝が定家から贈られた万葉集 その万葉集が 仙覚さんが證本とした四冊の内の一冊なんですよね 文学碑巡りではそこまで書けなかったけど 別のところで書く予定です

 

写本の運命って不思議です 定家が実朝に贈った 定家にとっても大事だった本が 実朝が殺された後定家には戻らず 将軍家のものとして頼経のものに それが仙覚さんに貸し与えられて 仙覚さんの万葉集研究に貢献するなど

 

思いに満ち溢れるような感じでパワポに向えずにいたのですが どうやらやっとその余裕がでたみたい 久方ぶりに開きました 土台にしているパワポがすでに完成しているわけだし 新味の部分をつけ終わったからの余裕でもあります これから佐渡 土台にしているパワポから一枚

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思いに満ち溢れるほどの場にあることの幸せを思う その幸せには悲しみが籠る 仙覚さんの万葉集がこれ 早く 仙覚さんのそういう諸々の思いを書く場にたどり着きたい (資料を読み返すほどに仙覚さんの悲しみの上に立つ凛とした精神性が仙覚さんの万葉集なのだなあと)手を差し伸べて下さる人がいる

 

吉永登氏「仙覚の万葉集校合に寄与した人人」に 日中ツイートの定家実朝万葉集が語られていて 寛元四年に仙覚が使った後は鎌倉に形跡がないから 帰洛させられた頼経が携え去ったのではないかと もともとは「頼経の私すべきでなく」とあり 私もそう思うのだけれど 鎌倉側の目が届かなかったのでしょうね

 

吉永氏のご論考 再読ですが面白いです 仙覚さんが使用した校本四本のうち 一本だけが鎌倉に残ってその後も仙覚さんに使われている それは「三本は頼経が持ち去ったけど その一本は仙覚が校合中だったので置いていったのではないか」と 写本の動きで人の動きが眼に見える 写本を追う醍醐味です

 

再度吉永氏ご論から 藤原顕氏は宗尊親王の側近で 六条家の重家書写の万葉集を仙覚さんに貸した そしてその並々ならぬ精進ぶりに感じ、次々と貸し与えたものと思われる  仙覚さんは歌会などにも登場しないからまったくもって存在がわからないけど こうして親王の側近の庇護を得て研究に邁進してました

 

2月12日

おはようございます 来週の今日は比企の講演第一回 風邪をひかないよう頑張っているのですが ここからが正念場 去年はこのタイミングで風邪をひきひどい声に泣 写真は2012年に今回講演をさせて頂くその図書館で 地元の仙覚さんの会の方と交流した時に撮った紫草 本物の根を得て育ててられました

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他の用をしながら レジュメに 仙覚の仙 玄覚の玄 は世間を超越した仙人に象徴されるような漢字で それは素性が知れると殺される運命にあった比企氏残党だからこその命名 ということを入れようなど ぐるぐる考えています 最初に仙覚の名に接した時 違和感があったのですが その違和感は当たっていました

 

誰も  などという漢字を自分の名前に使うことに違和感を感じないのかなあと 不思議でしたが 大学に入って万葉集の仙覚 と教養として教えられてしまうと 疑問は持たないのでしょう 私は源氏物語と鎌倉をやっているあいだに付随してでてきた万葉集だから 仙覚? なに この名前 となったのでした

 

メモ: 今まで仙覚さんの万葉集の読みに梵語の知識を当て嵌めたことを 一見関係ないように思われていたようだけど 悉曇章の万葉仮名が仙覚さんの思いの中にあったとしたら あながちそれは無関係ではない 馬渕氏のご論攷と万葉集注釈を照らし合わせてみる余裕 あったらしなくては

 

真剣に仙覚さんと取り組むほどに 私のなかに怒りが満ちてくる どうして私はこんなにも時間を浪費してきてしまったのだろうと 仕方なかったとはいえそれは取り返しがつかない せめて二度とこの過ちのないよう と自分に言い聞かせつつ 丹念にかつての資料を読み返しています

 

万葉集注釈冒頭 すなわち これって 仙覚さんが書かれた文章!

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