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2016.2.28 ツイッターから転載…小川町の講演のパワポを作っています他

2月26日

おはようございます 黄緑色の花が咲くのかと思ったら 真っ白な可愛い花 開いたばかりの花の左の黄緑色の花は 購入した時からあった 以前咲いた花の名残です このクリスマスローズの白 梅花卯木の白に似て 梅花卯木を植えるのが夢だったから とても嬉しい

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風邪はどうやら心配なく済みそうでほっとしています 今外に出たらクリスマスローズの新しい蕾の開いているのをみつけたのですが なんと クリスマスローズもシクラメンも水やりしてなくて萎れてて そんなに長く放置したつもりなかったから慌てました 大変だったのだなと つくづく

 

昨日 ドクトル・ジバゴを放映したんですね 何がなんでもとにかく一番好きな好きでたまらない映画 何回観たでしょう それを知っているから家人が教えにきてくれたのだけれど パワポ優先で諦めました 今観た方のツイートを拝見して やはり懐かしく

 

クリスマスローズ 水をたっぷりあげたから ピンとしてきてほっと

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第二回目の仙覚さんのパワポ 前回のスライドに言葉を添えてこの一枚を作ってみました 比企の乱は六代御前が斬られてからたった4年後です

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もうおはようございますの時間に近いけれど うっかり横になったら熟睡して起きてこの時間 やはり疲れてるんだなあと思う でも熟睡のおかげで寝る前の風邪気味がなくなった気が これが悪くなるか良くなるかどっちに転ぶかわからないぎりぎりのところにいたから 良くなる方向が見えてほっとしました

 

寝るつもりなかったのはパワポをする予定だったから お夕食の支度をしていて あ 姫の前! と思い出したのでした 姫の前は比企尼系でない比企氏だから いつもしている私の鎌倉での講演には登場させていません でも今回は比企でする講演 登場させなかったらダメですよね うっかりしてました

 

講演の場所が変わるとこんなふうに視点が変わる 面白い経験をしています

 

2月27日

おはようございます 今朝のクリスマスローズです いろいろあって やっと今日が月曜日のような気分 第二回のパワポ 進んでいますが快調の時のような乗りになりきれない恨みが 土台にしているパワポに作った時のパワーがあるから それに助けられています 乗りは小説に持ち越しするしかないのかも

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第二回目のパワポ 姫の前のスライドを作りました 比企朝宗の娘で二代執権義時の妻 極楽寺の開基北条重時の母です 比企朝宗は比企尼系(能員系)でないので私の講演にほとんど入ってきません でも比企での講演なら入れなくては!ですよね 写真は朝宗の父遠宗(比企尼の夫)館跡遠望です

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久しぶりの井の頭公園 辛夷の蕾がありますね

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この空と一緒に撮りたかったのですが 露光が違い過ぎて スマホでは無理でした

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恐るべきパワポの力 仙覚さんが晩年に北条実時に夏梨を贈る仲だったというけど いつから二人の交流がはじまったかが 私には曖昧にしか想像つかないでいました でも 今時系列でパワポを作っているから 二人の事跡を重ねていくと 当然二人は仙覚さんが新釈迦堂の住持に呼ばれた当初からと明快に

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北条実時は11歳で小侍所別当になります 最初の仕事が竹御所の葬儀 それから頼経が新釈迦堂を建て 仙覚さんが住持として鎌倉に呼ばれる 当然それらすべてを実時が取り仕切っていた 二人の関係はもうここから始まっていたのですね 『源氏物語と鎌倉』では宗尊親王追放後と想像して書いてました

 

パワポ恐るべし の光景が見えてきたのはこの一枚を作った時でした この一枚に 場所という空間と 実時と仙覚という人間のその時の人生が集約されて入っています 時間と空間と人 それこそ人生 ここで見えてきた実時と仙覚の交流 これからどうやって小説化していくか 熟考します

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ずっと考えているのは いつ実時が仙覚が比企氏残党ということに気づくか ということ 気づいても 実時はずっと見て見ぬふりをするだろうし 仙覚は気づかれたことに気づかないわけないけれど 気づかないふりをして過ごす そのあたり 書くのが大変そうだけど これくらい深い付き合いならとほっと

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2019.2.26 ツイッターから転載…小川町の講演第二回目のパワポにかかりました他

2月22日

おはようございます 大和の言の葉だからコトバは言葉を私は使うのですが ことばの表記の方がいて 何方だったか忘れましたが気になって それで新潮社様の漢字講座に行ったりしたのですが なんと平岡先生でした 文学の動機にで「ことば」を使用されていて そこから私の迷いが始まり今にまで

 

言葉 言の葉という美しい表記 それなのになぜ ことば なのでしょう 文学の動機では表記についての記述もあちこち 表記自体にそれを使う人の意志がはたらいているのだからと(敬愛する作家さんの漢字表記が自分と違う感覚だと悩みますよね 文体から表記まで一体化して尊敬したいのに)

 

2月23日

おはようございます 昨日は絶不調 熱っぽくて節々が痛くて 終日暖かくして休んでいました これはもう講演の疲れというのでなく 離れると決断したことのダメージ これほど物事って精神に巣食っているのですね 別れは簡単に離れればいいというのでなく 今日はどうなるか心配でしたが 昨日よりはよさそう

 

まだ臥せってました 節々の痛みもとれて これから鎌倉禅研究会のまとめ 最後のご奉仕です 研究会の最後まで見届けて止めようと思っていましたが それをしていると永遠にシジュポスの神話めいて 私には仙覚さんを書くという使命があるのだからと決断しました 人が善意で奉仕するには限界があります

 

やっとPCに向かう元気が といってもまだふらふらしていますが 首を振らない限り安心 振ると頭痛がします 写真を取り込んだら 水仙の花がありました

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二月例会の鎌倉禅研究会のご報告をアップしました 最後のご奉仕です 20167月からはじめて ほんとうにもうあり得ないほどの僥倖を頂きました 執筆がなかったらもっと続けていたと思います 今後はとにかく仙覚さん一筋に生きます https://www.facebook.com/kamakurazenken/

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いろいろあってすっかり忘れていました 御物本更級日記 定家筆です 大正13年に佐佐木信綱博士により発見されたそう 先日便箋を買いに行った書道のお店で 店先のワゴンにあって お値段がついていなかったのでちょうど出てらしたお店の人に訊いたら 300円でいいよと 即決で購入しました

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なんか嬉しい 本文のあとに定家が調べたりしたものがずらっと載せられていて 定家の打ち込む研究の息遣いに触れるようで

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2月24日

ドナルド・キーン氏のご訃報に接して 心から哀悼の辞を述べさせて頂きます ある意味 私にとって文学の指針でした カメラマンの仕事をしていた時 一度だけ撮らせて頂いたことがあります ファインダー越しに 私は氏の文学の精神性を感じとりたくて 畏怖しつつカメラを向けさせて頂いていました

 

たらたらと ゆったりのんびり 乾燥ボルチーニ茸のスパゲティを作っていました 賞味期限が切れてもレシピを見て作る余裕がなかった 昨日の最悪絶不調は夜には回復したし 動きものんびりが丁度よく 動いても目眩の不安がなくなっているのを感じます これがずっと続くといいな とすがる思いで

 

自律神経の乱れからくる体調の悪さは半端でなく 初めて経験した年には もう今年は越せないと覚悟したくらい 半年寝込みました 自律神経の乱れと気づいて 自律神経を整えるヒーリング音楽をひたすら聴いて休むだけ それで治りました 昨日の絶不調も 自律神経の乱れを疑い それをして回復 嘘のようですが

 

(クラシック音楽の健康効果の記事に)はからずも 先ほどツイートの自律神経の乱れを音楽で治した ことの実証のようなニュースの遭遇して 紹介させて頂きました 物質的(肉体的)に何か違うことが起きるなら 治るのも理解できます

 

ブログを更新するのにツイッターを遡って見ていて気づいたのですが 21日に鎌倉へ行く車窓の雲が異様で「不穏です」とツイートしました 北鎌倉からの空も同様でした 要するに鎌倉から北の空です その夜に北海道で震度6弱の地震があったのですね

 

今日は休日で家族がいるし なぜか私が臥せった翌日は家族がげんなりして 今日はみんな寝ている 起きているのは私一人 したいことはあるのだけれど 私も疲れてきたので寝ることに 休息が一番です

 

2月25日

おはようございます 二回目の講演が1週間後に迫っているので パワポを作らなければいけないのだけれど 鎌倉に行った後の絶不調が響いてまだ手つかず 土台にできる過去パワポがあるからいざとなればそれで時間潰しはできる でもやはり心を込めてしたいと悶々としていて 今朝 時政だ!と気がつきました

 

今まで仙覚さんに万葉集を命じた頼経が出身の九条家からはじめようとしてたのですが どうにも気が乗らない 時政と気づいて俄然やる気が出ました 比企の乱で比企一族を滅ぼした時政を 比企の方達に徹底的にお話するのもいいですよね 土台にするパワポは昨年の今ごろ 某企業のOB会で好評を得たものに変更

 

時政は 従来いわれてきたような たんに頼朝の岳父だから的扱いでなく 興福寺の日本一の悪僧信実を叔父に持つような 豪腕な人物だった というところから始めます ( やっと動き出してほっとはしていますが 風邪っぽくて必死にケアしてます泣)

 

時政から始めれば 京都守護の時代に六代御前を捕らえ 文覚のとりなしで一旦は助かったものの 結局は30歳になる頃 時政の命で殺された 比企の乱はその数年後 比企氏嫡系の子を身ごもる夫人が 咄嗟の機転で鎌倉を脱出し比企に逃げたのも説明できる  やっと動き出しました 奮起して風邪を跳ね除けます

 

昨夜考えていたこと 仙覚さんにとって鎌倉人で重要なのは北条実時だから 実時が小侍所別当になった11歳の時の 執権泰時のことを時系列でと そうすると 承久の乱で泰時が初代六波羅探題になったところから と そうなると時政の六波羅との関わりも・・・など やっと動いたら俄然忙しく笑

 

比企の講演第二回目のパワポ タイトルを作りました といっても 土台にしたパワポの文字を変えただけです笑 ここからえんえん時政→京都守護→六代御前→比企の乱→実朝暗殺→承久の乱→頼経下向(ここで九条家)→北条実時小侍所別当就任 と続きます 概略が見えてきたからやっと動きます

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朝 咳き込むし熱っぽいし まいったなあと思っていたのですが パワポに興味が写ったらそれが薄らぎ 体の中で悪い菌と必死に戦っている自分の細胞より 意識の盛り上がりの方が体力の不調を凌駕する の感じ これがほんとだといいのだけれど と 沖縄のニュースを気にかけながら全くの私事

 

大切な方から資料を送って頂き そのお礼や返信をしなければならないのに講演と鎌倉禅研究会と体調の絶不調でできずにいたら 仲介をして下さった方から心配のお便り でも国文学的史料を材料なく返信できるはずがなく 今は来週に迫ったパワポに必死 こういう時にどうしてこんなことが重なる?と泣

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写真は知人作の陶製行灯です

仙覚さんのパワポ 時政だけでかなり枚数がいっているのだけれど 比企の方々にとって ご自分たちの比企一族を滅ぼしたのは北条時政 は知っていても その時政がどういう人物だったかなど ご存じないと思うから 運慶と親しく東国ではじめて運慶を使った人 のような文化人の面を綿密にしています

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2019.2.24 ツイッターから転載…小川町の講演を終えて 鎌倉禅研究会も終えて これから仙覚さんに専念します

2月20日

おはようございます 外に出たら雨上がりの清々しい朝 クリスマスローズの白い花びらに乗った露が綺麗でした 起きたら身体中の節々が痛くて そんなに重労働したわけでないのに なんで~ となりました

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ふっと思い出して 昨日 図書館長さまとお話していた時 仙覚さん と言われるのいいですね 普通はどうしても仙覚とか仙覚律師とか堅苦しくなりますものね と言われて 凄く自然に私は仙覚さんと言っていますが 小説の主人公として人間を感じているからなのでしょうね

 

ふっと思い出して 埼玉県に万葉集ゆかりの地は 小川町と行田と川越の三つしかないそう 小川町も行田も熱心に普及に取り組んでいるけど 川越は万葉集以外にも魅力的な文化に溢れているから関心が薄いと なんか鎌倉を思い出してしまいました 鎌倉も文化が豊富だから地味な仙覚さんはあまり…

 

朝のひととき 昨日頂いて帰った小川町のいちご大福で

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2月20日

セントポーリアが陽を浴びています

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昨日がもう嘘だったみたいに 過去 昨日の小川町立図書館の玄関 梅が飾られていました

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ほんとうに 昨日 この景色のなかにいたなんて!

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赤い椿が 小さくて目立たないから気づきませんでした 近寄って撮ればよかったんですね笑

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便箋が尽きて買いに来たら ワゴンにこの冊子があって 万葉仮名入門 仙覚さんになった気分で観ます

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小川町ではやはり仙覚さんは人気で 文学講座は毎年人が集まらないのを 今年はあっという間に満席になったと 小川町の仙覚さんブームは佐佐木信綱博士が顕彰碑を建てられたその時からだから 本物 私が小説化にかかっていることを 皆様とても喜んで下さって 待ってますと言って下さったのだけれど それは

 

私の試算では数年かかると申し上げたら 『源氏物語と鎌倉』の第1章のようなものを先に とアドバイス頂きました あれは書き下ろしで1ヶ月弱で書いたもの 図書館長さまは とても読みやすくてよくわかるから是非と あの第1章の勢いで仙覚さんをまず世に出して それからゆっくり小説にするのもいいかと

 

前にも載せたことあるけれど 何か写真をと探したら タブレットの中にこれが 2014年に東京が大雪だった時の井の頭公園 さながら森は生きているの世界で ひとり公園を興奮しながら彷徨しました 木が伐採されたり 環境が変わって 雪が降っても二度とこの光景になりません 撮っておくって大事

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 写真を載せたり遊んでいますが 心のなかで 仙覚さんをどうしようか 自分で自分に謀っています ずっと ほんとうに長いあいだ 仙覚さんの価値を訴えても響かない方々のなかでひとり頑張ってきたから 仙覚さん とさん付で呼んだだけでもう喜んで下さる方たちと接して 心がほぐれた気がします

 

2月21日

おはようございます 今日は外出 道中のお供に文学の動機を持って出ます ほんとうは二回目のパワポにかかりたいのだけれど 今日が終わるまでそれはできない なので宙ぶらりん気分です クリスマスローズは蕾がたくさん出てきています

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文学の動機を拝読しつつ 今ここ こんなこと 他の文学論に書いてあったかしら と思う箇所が随所に 実存する人間を作品存在へと到らしめるのが文学(帯の文章)だから 到達したら そこは横田老師様の無 を思わせる世界 武者震いしました

 

今日の車窓の雲 不穏です 結局 文学も禅も 目指すところは自己の無ならば 禅をいくら言葉で学んでも悟りとは程遠いのと同様 文学もいくら文章を連ねても到達地点に達するのは容易でないということ ひたすら実践あるのみは ここでも → 【21日午後9時22分ごろ、北海道胆振地方中東部で震度6弱】が発生しています

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北鎌倉からの空です

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建長寺様をあとに お世話になりました バスに乗って発車です

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戻ってきました 先ほどの駅ナカの喫茶室 当分もう来ることはないな とあえて一服 二度目のランチです笑

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横須賀線車内 ひっそりと行ってひっそり写真を撮って帰るつもりだったのに 行きの大船から乗ったバスで主管の和尚様とばったり やあやあといつもの笑顔でご挨拶 ツイッターで決意を見て知って下さっている方々は親身溢れるお言葉をそれぞれ 心を鬼にして向かったのに 結局帰途のバス車内で涙しました

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今日の建長寺様 仏殿()と法堂(はっとう ) たしか2013年からだから 6年も毎月通ったんですね お世話になりました ありがとうございました

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乗り換えて乗り換えて地元の路線 鎌倉から帰ってきました これでようやく仙覚さんに専念する環境を手に入れました 折よく頂いた『源氏物語と鎌倉』の第一章のような紹介文をとのアドバイス 書き下ろしに向かって気持ちが動いています 写真は今日の建長寺様の梅です

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今湧いている冒頭 万葉集で多大な功績のあった仙覚律師を書くにあたり、仙覚律師の生きた鎌倉時代より前の時代の平家物語の世界に話を遡らせてはじめます……つまり、六代御前から

 

校正とか校閲とか 去年一年新潮社様の講座に通って学びましたが 平岡先生の文学の動機を拝読していると それが生きてくるのがわかる 平岡先生も ある作家がカラダと書くのにからだ体身体躯など悩んでいるのはただカラダを意味するだけの語でないからと 文学の動機を臨書してみたい気が

 

その男は生涯素性を明かさずに生きた。知られると殺される運命にあったからだ。男の名は仙覚。鎌倉の万葉学者として知られる……、冒頭は多分これ 今日は疲れました でも 鎌倉に行ったからの疲れでなく 小川町の講演の疲れが出てきたのでしょう 今日はありがとうございました 心から多謝

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2019.2.22 ツイッターから転載…小川町の仙覚さんの講演、一回目が無事に終了しました

2月18日

おはようございます 二回目の講演の土台にしようと思う過去パワポ 古いHDDから取り出しました 慈光寺経というと九条家ですが それは早世の後京極良経の菩提を弔うための書写だったから 兼実も後鳥羽院も加わっています 九条家は兼実ー良経―道家―四代将軍頼経と続きますから 鎌倉とは深い関係

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三月の二回目の講演のタイトルが「仙覚律師と鎌倉 ~『万葉集』との関係~」なんです

 

土台にしようとしているパワポの中に 九条家と鎌倉の関係を示すスライドがありました (こういうのがあるから 新しく作るより古いパワポを利用した方が便利です)

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九条兼実の項に月輪神社とあります 月輪殿と呼ばれていた兼実 その兼実ゆかりの地が比企にあって 東武東上線(池袋から小川町に行く途中駅)につきのわという駅が 小川町に通い始めた最初の頃みつけて 気になって訪ねたり調べたりしたのも懐かしい

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私は「鎌倉の」源氏物語や万葉集をしているのですが 九条家のことになると俄然燃え立ってやる気満々になってしまいます笑 やはり公家文化はいいです!

 

右手の痛みはよくなって大分動かせるようになりました 昨日は腰も固まって腰痛を心配したのですが 背骨の歪みを矯正し それで不安解消 パワポに集中しているあいだにどんどん歪んでいたのですね でも今日はもう何もしません うっかり余分なことをして またそれが何かの原因になりかねないから

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鎌倉禅研究会二月例会のお知らせをFBにアップしました 2月21日(木)13時~16時半 於建長寺応真閣  第一講「建長寺に宝物を寄附した武士たち ~建長寺什物帳及び鎌倉志料から~ 建長寺調査員鈴木佐先生」 第二講では主管高井正俊様のご案内で境内の見学です 写真は昨年二月例会時のもの

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天気予報で 明日は太平洋側で強い雨と風 と言われ ぎょっとしたのですが 鎌倉ではなかった… 小川町でした 太平洋側から逆の内陸 随分鎌倉に通ったから つい情報もそのつもりで聞いてしまいます これからどうなっていくのかなあ 叶うなら比企の研究が捗る流れになっていくといいけど

 

早く休まなくてはと思いつつ結局この時間 乗車時間が長いからタブレットを持って行こうとしたら 荷物が重過ぎ 結局読書優先にしてカメラを置いていく 随分通って 撮って でももう撮る必要なくなった気がする これからは書くだけの生活になるのだもの と思う こうしてだんだん絞られていくのですね

 

ずっと文学とはということを考えている 今回徹底的に自分が文学の人だと悟ったから そうして振り返ると 思うこといろいろ 見えてきたこといろいろ ひとつ今日気になったのは なぜ漱石は参禅したのだろうと 参禅したら小説なんか書けなくなるじゃない  漱石はそうは思わなかったのかしら

 

というか そうして書いたのが  あれは小説 小説って 文学と違うの? などぐるぐる なんか 小説が文学であることとは違う文学を私は目指している気がする とか… 今の心境は春の雪の聡子さんに近いです なんか 支離滅裂 ごめんなさい とりあえず 明日が終わるまで ひとつの集中にはなりません

 

2月19日

おはようございます 目覚めて目眩がないのを確認してほっとしています とりあえず無事に今日を過ごせそうと感謝 なにか写真を添付しようと思って カメラロール内を見たら アカシア そういえば昨夜おかしな呟きをして寝ましたものね 私の頭のなかにあった文学は これです

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もう一枚 本棚の一角 と思って見たら文学の動機 こちらを持って今日は出ましょうか 変容と試行のほうがいい?

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ただいま《雨水》です《陽気地上に発し、氷雪とけて雨水となれば也・暦便覧》

 

無事に車内 朝投稿の本棚の一画は 本棚を晒すのハッシュタグで撮ったもの それが残っていてこのタイミングで目にするなんて 目次を開いて一瞥で文学とは何かがわかりました 自分を探す それなんですね だったら門も文学と納得 文学から離れ長いあいだ異分野を逍遙してたから 根本の処を忘れてました

 

最近 自分は とか 自分らしく とかばかり呟くようになって 自分という語はそれまで使ったことないのに 今の境地には私という語よりぴったりで それって ほんとうに今私は異分野から戻って 自分探しをしているのだと思いました

 

かつて 何度となく通った小川町への車窓 それとなくそれらしい景色に胸熱 今朝ある企画案が閃いて 私には無理だけれど あの方たちならできると思い 提案してみようと思います 忘れなければ(なにしろ間に講演という集中力を使うものがあるから)

 

路線図を見たら つきのわ駅は小川町の二つ手前 ほぼ小川町の範囲 頼経と関係ある仙覚さんと 頼経出身の家の月輪が 比企のこんなところに寄り添っているなんて なにか関係あるのでしょうか 以前調べた時にはこの地に九条家の庄園はなかった

 

高坂駅通過 以前 鎌倉の浄光明寺敷地絵図に 高坂氏屋敷の一画が描き込まれていたのを見た時は なんとなく親近感を感じてしまいました

 

山が見えるんですけど 秩父連山?

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2月19日

小川町につきました 昼食をとって向かいます

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これから登ります 顕彰碑まで

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小川町の仙覚律師顕彰碑です

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顕彰碑から山が見えるのですが 慈光寺様がある山だったらいいなと 眺めています 慈光寺様は山岳寺院で 山の頂上にあります

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顕彰碑に登る予定はなかったのですが 実は間違えて一時間早く来てしまったので 図書館の方にお気遣い頂くのは申し訳ないから 出てきました 館長様は 一時間遅いより良かったと笑

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帰りの車内 小川町について 小川町の方々と 心ゆくまで談笑してきました 山が見える街 っていいですね

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談笑会場は酒蔵晴雲 小川町は有機野菜農法推進の街でもあるので 作りたてのお酒とともに野菜の美味しかったこと!

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ちょこっと飲み比べセット

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デザートは酒粕のブラマンジェ

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小川町は遠いから 行きはいいけど お酒が入った帰りは辛い 今座れてほっとしてツイート 仙覚さんのことは帰ってからアップします

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2019.2.18 ツイッターから転載…シャルダンから…&二回目の講演に慈光寺経浮上

2月15日

デスクトップに落ちていた画像 何かに使おうとして忘れてて 2012年の撮影だからもう鎌倉の源氏物語にかかっていた でもシャルダンのこの本を夢中になって読んだのはプルーストからだから きっとこの時期何かを振り返ったのだなあと思う 小説にかかれる時間が近づいてきています

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よく見ると なんか書き込みがしてある 夢中になってシャルダンを読んだ時の気迫 私が書こうとしている仙覚さんは歴史で 事象の羅列に終始してしまうかもしれなくて とうていこういう芸術論にはいけない いくとしたら…… なんでしょうね などふつふつといろいろ笑 あ でも万葉集論にはしたい

 

2月16日

心より御完成を楽しみにいたしてをります。と頂いて)高遠先生、ありがとうございます。昨夜就寝前にこのお言葉を発見して心温まって休みました。遠くで信じて下さる方のいる喜びって何よりの励みです。やっと戻ってきました。とともに私の感性も。間に合いました。信じて下さったり、見守って下さる方のためにも、それに応えさせて頂こうと思います。

 

おはようございます 昨日パワポの完成をみた安堵からかどっと疲れが出て 昨夜は早々に就寝 体力落ちてますね 以前と比べるとなにもかもスローペース その分思考は深まって 以前だったら見えなかったものも見えているのだから その拮抗の中で書いていくのは大変 今から疲労感に陥りそうです笑

 

昨夜洗い片付けものもしないで横になったから やっと今終わり これで今日が始まります ずっと聴いている音楽 音楽って不思議ですね 感情と同じ 質量がなにもないのにそれ以上 ある旋律が主を占めているかと思ったら ひょこんと小さな旋律が顔をだして 突然それが主になる 感情ということを考えています

 

比企の講演レジュメの冒頭 従来の研究にはこの視点が抜けています 写真はヤン・ブリューゲルの花と

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暮れに二鉢500円のセール価格に引かれて買ったクリスマスローズ こんなに白くて可愛い花が咲きました 気がつくと先月の会から今日で丸1ヶ月 あの日の覚醒があって今がある 大変な1ヶ月だったけど 気づかなかったらそのまままた一年無駄にしたと思うとぞっとします

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レジュメ2 鎌倉の源氏物語の講演の時にいつも配布する鎌倉歴代将軍と文人の相関図に 仙覚さん関連の事跡を書き込みました ルドンの花と

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なんか 私が呟くことって 鎌倉の源氏物語でも仙覚の万葉集でも自分のことでも みんな思念のなかのことだから 地道に文字ばかり それでスマホ写真でTLを飾るのですが 絵葉書を脇に撮ったらただのレジュメ写真が華やぐ みんな これ 世界で生きているTL上の素敵な方々からのセンス拝借 ツイッターって凄い

 

インパクトって重要と思う 私は鎌倉の源氏物語と万葉集で講演していますが 反応が源氏物語と万葉集で物凄く違う 一言で言って源氏物語は華麗 万葉集は地味 どちらも大事な日本の古典なのにといつも思います それで私は訴えるにはインパクトって思うのです 受容されなければ意味がないから

 

TLに桜染めが流れてきたので思い出して 桜染めの小川和紙です 小川町は和紙の里だから 和紙専門店も充実していますが お土産屋さんでも こういう和紙が選び放題 和紙好きにはたまりません

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今日はパワポのデータとレジュメを送って火曜日の講演準備終了 引き続き三月の講演準備にかからなければならないけど とりあえず火曜日が済んでからにします 今回全力投球でパワポに集中して すっかり文学の精神状態を取り戻しました 自分が自分でいられることが嬉しい

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先ほど何気なく料紙の写真を添付したら 慈光寺経が思い浮かび それから慈光寺経が頭から離れなくなって 三月の講演のメインはこれかもとなっています 今は埼玉の奥地(済みません)にひっそりと建つ慈光寺 そこに九条家ゆかりの国宝慈光寺経が 将軍頼経出身の家 仙覚さんに万葉集を命じた将軍です

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2月17日

小川和紙のおりがみ 襲の色目が素敵です 風合はもちろん抜群 先ほど小川町立図書館の方からお電話頂き 昨日送ったパワポの動作確認ができたと これで安心 あとは行くだけ 今日明日は余分に動かないで 家での作業に徹します

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パワポのし過ぎで右手が痛くなって 昨夜から音楽を聴きながらひたすらマッサージ 大分よくなりました 昨秋講演のお話を頂いた時 一回のはずが二回になって そんなのできないって震えたら フォロワーさんが頑張ってと呟いて下さって なんとかここまで来れました その節はありがとうございました!

 

慈光寺経というと思い出すのが 妙本寺様貫主でいらした早水様 私の慈光寺経の講演に関心を持って下さっていました 写真は早水様からお送り頂いた妙本寺様の写真集 それからまもなく遷化されて 私の大事な宝物です 中に凛としたお姿の早水様が写っていられます

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二回目の講演のパワポは この時のパワポを土台にしようかと思って古いチラシを 会場になって下さった正法寺様は比企の慈光寺様の麓 臨済宗建長寺派でいらして 建長寺様でお世話になっている和尚様が一報いれて下さって 何もかも円滑に進みました  慈光寺経について資料を出していたら なんか 懐古

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2019.2.17 ツイッターから転載…仙覚さんのパワポ終わりました他

2月13日

おはようございます 写真は時々RTさせて頂いている「たからの庭」さまの創作和菓子 ケーキですが和菓子です ある方の記念の会のお祝いに注文して作って頂きました 鎌倉から出張して頂いて会場で 万葉の花を散らして というお願いをしたらこのデザインに 私の最初の鎌倉での講演以来のご縁です

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たからの庭 は北鎌倉の浄智寺様の谷戸にあります 鎌倉にはほんとうに素晴らしい活動をされる方がたくさん 2010年の講演ではじめてそういう鎌倉的世界を垣間見せていただいて びっくりしながらなんとかついて行かせて頂いていました でも仙覚さんに籠ると決めたからこれからは一人になるのだなあと

 

久々のパワポ 今日あたり仕上げたい 深夜に仙覚さんの資料再読をはじめたら そちらのほうが面白く そのまま研究に乃至原稿にのめりこみたくなりました でもパワポは仕上げなければならないからかかっています 承久の乱のスライドを作りました 承久の乱といっても 案外知らない方多いです

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終わりが見えているから次の構想がちらちら 次回のテーマは仙覚さんと鎌倉 比企の方への鎌倉での仙覚さんのご紹介 と気軽に設定したのだけれど これ 案外重要 とだんだんじわじわ 頼経の父道家について深めるいい機会になりそう 道家は佐渡の順徳院と手紙の往還をしています

 

どうも 仙覚さんは道家と繋がっている気がします 道家は頼経の父だから竹御所の舅 竹御所の崩御で仙覚さんが新釈迦堂の住持になったのは 道家からの指示だったのでは・・・(これは 『源氏物語と鎌倉』執筆中に芽生えた疑念で まだ引きずっています 小説でその辺りを書き込もうと思っています)

 

晩年になって 仙覚さんは比企から鎌倉の北条実時に 梨を贈るなど交流します それを作ったらもう仙覚さんの一生は終わり パワポも完成ですが ここでお夕飯 一時中断がそのまま明日に持ち越しになるでしょうね泣 ここに文字を入れるように用意した写真です 金沢文庫です

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仙覚さんの筆跡の素晴らしさ 凛としています 漢籍を嗜んだ方だからでしょうか 写真は小川町立図書館の仙覚コーナーに飾られている仙覚さんの文 夏梨を贈った相手が北条実時だと解明されたのは 小川靖彦先生です (終日パワポに集中していたから頭が満杯 今夜はこれで切り上げます)

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ひとつの組織に忠誠を尽くせば 組織が滅びる時にともに滅びるしかないけど(それが忠誠の美学ではあるけど) 例えば名越北条氏と頼経のような 仙覚さんはどこにも所属できない運命の人だったから 絶望的なその孤独感とは別に 将軍が滅びても仙覚さんには影響なかった 忠誠とかと孤独について考えています

 

私が書くべきものはここ  だと思います というか  しか書けない

 

2月14日

おはようございます 写真は小川町の重要無形文化財に指定された細川紙 小川町の方から頂きました 能楽師の方と対話させて頂いたり 蹴鞠の方とお話させて頂いたり 私自身は静謐とはまるで逆な写真の分野の出身ですが こうして直接文化に接する機会を頂く 心が改まります 書いているからですね

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比企の方から仙覚律師と小川町 という小川町教育委員会発行の冊子を送って頂いたので 中にあった地図をご紹介 講演させて頂く小川町立図書館を真ん中に撮りました 右上に東武東上線小川町駅 図書館左上の丸いなかに佐佐木信綱博士建立の仙覚律師顕彰碑があります

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仙覚さんのパワポ タイトルの次 最初の一枚にこれを入れることにしました 私なりの新説 新しい見解がメインだけれど それもこれらの方々の重厚な研究史があってのことだから

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そして 次がこれ 再掲ですが佐佐木信綱博士『仙覚全集』序文 これだけ見ると難しい講演のように見えますが お話で伝えるので 聴いて下さる方は 話でわからないところは画面でチェック 面倒だと思う方は聴くだけ 難しすぎてわからないと思う方は写真を楽しむ(これ 実際に頂いたご感想です笑)

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ふっと こんな言葉が浮かびました 自分が自分として屹立できないところには出ない これからはそうします 1月17日の円覚寺管長横田南嶺老師様のお話に鉄槌を受けてから約1ヶ月 パワポの完成が迷妄の淵から抜け出させてくれたかのよう

 

長かったけど まだ1ヶ月たっていないとなると短かった 鎌倉ペンクラブで自分を大事にしてとにかく書け と言って頂いてからも まだ2週間とちょっと パワポに全身全霊を込めたから

 

仙覚さんのパワポ 一応終わったのですが ここにきて仙覚さんと真観の関係で 仙覚さんは京で後嵯峨院に『万葉集』を献上した後 鎌倉より先に笠間時朝の常陸に行っていたのではないか という疑問が浮上 パワポの年次でそうなります 同じことを文字で並べていても この符合には気づかなかった

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パワポは事跡を年次順に写真で並べるので 京都の事跡の次に常陸があって その後鎌倉 鎌倉がずらっと並ぶ中に 常陸は一枚も入らない これはもしかして 仙覚さんは京都→常陸→鎌倉 の順に鎌倉に入ったのかしらと思ったのでした

 

2月15日

おはようございます 昨夜パワポで仙覚さんの鎌倉入りのルートが見えたとツイートしましたが 今朝写本のルートもそうだ! となって驚いています たまたま深夜の読書で吉永登氏おご論を再読した直後だからの理解 今まで仙覚さんが宗尊親王に万葉集を献上したのが唐突で経緯がわからなかったのですが

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仙覚さんが親王に万葉集を献上したのは文永二年が最初 それまで仙覚さんはどこにいたの? いつからそんな献上するような本を作っていたの? 第一なぜ仙覚さんは宗尊親王と縁を持ったの? と謎だらけでした そして弘長元年に真観の本を借りたというその校合の写本はどこに? とそれらが一挙解明

 

パワポから見えてきたこと 真観が下向した翌年に仙覚さんが真観の万葉集を借りて校合を始めています これは宗尊親王の歌の師になった真観が親王に仙覚さんを紹介し 献上する本を作り始めたということでしょう そして吉永氏のご論によれば親王の側近もそれを援助 献上はその四年後です

 

文献資料の研究だけでは人の動きは見えてきません パワポで真観の下向を記し そうしたらそれが仙覚さんの校合開始の前年だということに驚愕 しかも その四年後に献上となると その四年間 仙覚さんは真観や親王の側近らに助けられて比企谷で献上本を作っていたということ 宗尊親王にも待たれて

 

仙覚さんのパワポの最後の一枚 比企には父比企能員と一緒に比企の乱で自害した時員の念持仏が残っています その嫡子に玄覚とありますが これは素性を隠す仙覚さんを抜いて書いている系図だからで 玄覚は時員の孫になります この念持仏の存在は比企の方しかご存じなく 研究に生かされてません

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私は 小説でこの念持仏を 比企の乱勃発で鎌倉から逃げた時員夫人の基子さんが 逃亡の道中も肌身離さず持ってきたものと書きます (と 書いていたら 基子さんが切なくて 涙が出てきてしまいました 小説! 早く書かなくては)

 

Spring Comes だけれど今日は曇天 @吉祥寺

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2019.2.13 ツイッターから転載…『解釈』2019.1-2月号掲載の「実朝の歌碑」&Facebook活動停止のこと&仙覚さんの資料再読開始など

2月9日

おはようございます 『解釈』2019.1-2月号掲載の「実朝の歌碑」です 京都実朝応援隊 と私がひそかに名づけている 藤原定家・源光行・飛鳥井雅経の三人による連係プレーのお話です

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ドロップボックスの写真を整理していたら 100分で名著薔薇の名前の和田忠彦先生の画面の写真が 今すぐにでも和田先生の世界に入りたいのだけれど(昨夜もなにを読もうか逡巡して棚を見ていて散策の森に眼が留まり) でも今はそれをしている場合ではないとぐっと諦めました(危ういけど笑)

 

雪がちらついてきました

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@井の頭公園 地面に落ちた雪は というより 地面に落ちる前に雪は溶け 公園ではベンチにだけ 雪の跡が

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@井の頭公園 この階段を登ると吉祥寺

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2月10日

おはようございます 身辺整理がついたので 昨夜から万葉集についての見直しを開始 最初に村田正博氏「万葉集注釈と清輔袋草紙・顕昭袖中抄とのかかわりをめぐって」 仙覚さんへの「他の誰ともまぎれることのない研究主体の、まさに固有のありかた」の一文に改めて震撼 まさに仙覚さんは これ! です

 

繰返し聴いている曲があるのですが チェロだから 最初地獄の底から響く音(誉め言葉です) と思いつつ なんて美しい旋律! と思っていて 調べたら声楽曲で 世界で一番美しい曲 なのだそう 美しさと畏怖 そのこもごもがやはり いい

 

繰り返しひとつの曲を聴いているのは ここのところの現実にべったりだった気持ちを 自分の体から追い出して この透明な 意味のまるでない 崇高な気分を自分のうちに満たしたいからだ という気持ちになってきました 音楽 のような小説を書きたい

 

執拗に しつこく 繰り返し繰り返し ひとつの曲を聴いています

 

Facebookに活動停止のコメントをしたのだけれど(お友達申請を頂いているので) 訣別のお便りを書いてもご丁寧な返信を頂いても気持ちは全く動かなかったのだけれど Facebookで知り合ったある方の影をそこに見たら はじめて万感の気持ちがこみあげてきました 誠意ある方との貴重な出会いだったから

 

2月11日

おはようございます という時間ではありませんが笑 休日の朝は忙しいです 昨夜仙覚さんの資料を読み返していて気づいたのですが 常陸の人説の根拠に常陸に住んだ人ならではの記述があるからと これは 笠間時朝との交流で滞在しているから 土地の人でなくても書けます 比企の人説のネック解消しました

 

先の世の契深き幼き者の松のとぼそのうちに住みなれて と仙覚さんは万葉集注釈の動機を記す 幼き者は仙覚の子であろうかと武田祐吉氏は書かれる 昨夜は氏のご論を拝読して休みました これから改めて熟読します

 

仙覚研究では佐佐木信綱博士のご論に圧倒的に依存してしまうけれど 武田祐吉氏のご論は写本の中に入っての詳細な分析 歴史的概略をつかめてやっとここに入っていける感がします

 

それにしても 実朝の歌碑で書いた実朝が定家から贈られた万葉集 その万葉集が 仙覚さんが證本とした四冊の内の一冊なんですよね 文学碑巡りではそこまで書けなかったけど 別のところで書く予定です

 

写本の運命って不思議です 定家が実朝に贈った 定家にとっても大事だった本が 実朝が殺された後定家には戻らず 将軍家のものとして頼経のものに それが仙覚さんに貸し与えられて 仙覚さんの万葉集研究に貢献するなど

 

思いに満ち溢れるような感じでパワポに向えずにいたのですが どうやらやっとその余裕がでたみたい 久方ぶりに開きました 土台にしているパワポがすでに完成しているわけだし 新味の部分をつけ終わったからの余裕でもあります これから佐渡 土台にしているパワポから一枚

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思いに満ち溢れるほどの場にあることの幸せを思う その幸せには悲しみが籠る 仙覚さんの万葉集がこれ 早く 仙覚さんのそういう諸々の思いを書く場にたどり着きたい (資料を読み返すほどに仙覚さんの悲しみの上に立つ凛とした精神性が仙覚さんの万葉集なのだなあと)手を差し伸べて下さる人がいる

 

吉永登氏「仙覚の万葉集校合に寄与した人人」に 日中ツイートの定家実朝万葉集が語られていて 寛元四年に仙覚が使った後は鎌倉に形跡がないから 帰洛させられた頼経が携え去ったのではないかと もともとは「頼経の私すべきでなく」とあり 私もそう思うのだけれど 鎌倉側の目が届かなかったのでしょうね

 

吉永氏のご論考 再読ですが面白いです 仙覚さんが使用した校本四本のうち 一本だけが鎌倉に残ってその後も仙覚さんに使われている それは「三本は頼経が持ち去ったけど その一本は仙覚が校合中だったので置いていったのではないか」と 写本の動きで人の動きが眼に見える 写本を追う醍醐味です

 

再度吉永氏ご論から 藤原顕氏は宗尊親王の側近で 六条家の重家書写の万葉集を仙覚さんに貸した そしてその並々ならぬ精進ぶりに感じ、次々と貸し与えたものと思われる  仙覚さんは歌会などにも登場しないからまったくもって存在がわからないけど こうして親王の側近の庇護を得て研究に邁進してました

 

2月12日

おはようございます 来週の今日は比企の講演第一回 風邪をひかないよう頑張っているのですが ここからが正念場 去年はこのタイミングで風邪をひきひどい声に泣 写真は2012年に今回講演をさせて頂くその図書館で 地元の仙覚さんの会の方と交流した時に撮った紫草 本物の根を得て育ててられました

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他の用をしながら レジュメに 仙覚の仙 玄覚の玄 は世間を超越した仙人に象徴されるような漢字で それは素性が知れると殺される運命にあった比企氏残党だからこその命名 ということを入れようなど ぐるぐる考えています 最初に仙覚の名に接した時 違和感があったのですが その違和感は当たっていました

 

誰も  などという漢字を自分の名前に使うことに違和感を感じないのかなあと 不思議でしたが 大学に入って万葉集の仙覚 と教養として教えられてしまうと 疑問は持たないのでしょう 私は源氏物語と鎌倉をやっているあいだに付随してでてきた万葉集だから 仙覚? なに この名前 となったのでした

 

メモ: 今まで仙覚さんの万葉集の読みに梵語の知識を当て嵌めたことを 一見関係ないように思われていたようだけど 悉曇章の万葉仮名が仙覚さんの思いの中にあったとしたら あながちそれは無関係ではない 馬渕氏のご論攷と万葉集注釈を照らし合わせてみる余裕 あったらしなくては

 

真剣に仙覚さんと取り組むほどに 私のなかに怒りが満ちてくる どうして私はこんなにも時間を浪費してきてしまったのだろうと 仕方なかったとはいえそれは取り返しがつかない せめて二度とこの過ちのないよう と自分に言い聞かせつつ 丹念にかつての資料を読み返しています

 

万葉集注釈冒頭 すなわち これって 仙覚さんが書かれた文章!

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2019.2.11 ツイッターから転載…井の頭公園のちいさな花たちと日々雑感

2月7日

クロッカスの群落@井の頭公園 そういえば去年も撮ったのでした 同じ場所です

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少し離れた所でも クロッカスの群落@井の頭公園 私的にはこちらの写真のほうが好きです こんな牧歌的な光景を撮れるなんて 夢のようです 木陰からなにかがひょっこり顔を出しそうな

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この花も点在して咲いているのですが 透明感ある蝋のような花びら 去年は福寿草と信じて疑わなかったのですが どうも違う?@井の頭公園

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水仙はまばらです

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紅梅とクロッカスの群落@井の頭公園 梅林はどうかな? と思って行ったのですが 梅は一本 二本と咲いている木はあるものの 梅林としてはまだ全然

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2月8日

おはようございます 昨日「源実朝の歌碑」が載った号が届きました 表紙写真は鎌倉海浜公園の歌碑 世の中はつねにもがもな の歌です 後ほど本文をアップさせて頂きます

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結論が出ました 私の決着を認めて頂きました お便りした方お二人からの同時のご返信 話し合われたようです お一人からは私の横田老師様からの鉄槌を受けたような衝撃を 覚醒 と言って頂きました 私はこれから小説の完成だけに専念します

 

これから 比企の方にお便り これは昨日頂いたお便りへのお礼 鎌倉にひとつ決着をつけて比企 鎌倉に気持ちを寄せているあいだ 比企から遠ざかっていて この繰り返し いつか統合させます その日は近い気もします

 

比企の方にお便り書きました メールで昨日のうちにと思ったら 昨夏パソコンが壊れた時にアドレスを紛失していてできなくて でも お便りで書いたら その後の情報を綿密に書き込めてよかった メールだけで成り立っている社会は こうして綿密さを無くしていくのだなあと実感しました

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@吉祥寺 loft前のちいさな通りです

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2019.2.9 ツイッターから転載…仙覚さんのパワポ編集中など

2月6日

起きた時 比企氏は怨念なのだと 震撼としてその気分に包まれていて 仙覚さんの小説にはこの怨念が根底にあるべきと奮いたっていましたが TLを眺めているうちに 世界のあまりの広さ明るさと 政情への怒りとで すっかり怨念が薄らいでしまいました これだから書くには眼に蓋をです笑 おはようございます

 

今日から円仁 講演のテーマが仙覚と万葉集なので 私は仙覚さんの万葉集研究の基盤は円仁と思っているので と書くだけで私自身がワクワク 学問は強いですね 私のちっぽけな活動でさえ 時に覇権争いで潰されたり干されたり でもこうして生き残っている それは研究のお陰 仙覚さんの万葉集もそうです

 

以前 学会で発表した時の 比企の埼玉県における位置 の説明に作ったスライドが出てきました

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仙覚さんのパワポ 仙覚の生涯に入るにあたり 仙覚と竹御所の二人がともに比企の乱の年の生まれ という一枚からはじめることにしました 後年 竹御所の崩御で仙覚が菩提を弔うための新釈迦堂の住持として鎌倉に呼ばれるところから 仙覚の万葉集研究がはじまります

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仙覚さんのパワポ 円仁の項が終わってこれから上洛 (と そう簡単にいくでしょうか笑) 円仁を敬愛する仙覚さん 『入唐求法巡礼行記』は読んでいたでしょうね 鎌倉では読まれていたようだから比企とか京都とかで 私も読んでいて興奮しました 円仁のこと 自分のこととしてもっと深めて知りたい

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円仁の生誕地は栃木県岩舟 訪ねた時 ほとんど人と出会わない地方都市(済みません)で 話した人といえば車の運転手さん でもいい話を聞きました 地元の人たちが比叡山にに行って 岩舟から来たといったら 比叡山でのおもてなしが変わったそう 円仁の生誕地が認識されているんですね

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それから 土地の子どもたちが 先輩のように頑張るんだ! といっているそう 先輩とは・・・円仁 なんか凄い話って 思ってしまいました

 

円仁が幼くして入って修行し ここから比叡山にのぼったという栃木県岩舟町の大慈寺 一遍上人絵伝では小野寺として描かれています

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2月7日

おはようございます 仙覚さんのパワポ 万葉集に歌われた三毳山の一首です 三毳山は岩舟町から見えます というか その日の旅の一番の目的がこの山を見ることでした それは順徳天皇が『八雲御抄』に記されているから 運転手さんにお願いして絶妙の撮影ポイントまでぐるぐる周って頂いて撮った一枚

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こちらは先日鎌倉ペンクラブ新年会で頂いた歌文集『ゆうすげ』 道浦母都子さんのゆうすげの会発行です 道浦母都子さんのお歌は折々に眼にしていて気になっていました こうして纏めて頂くのは初めて 拝読させて頂きます

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2019.2.7 ツイッターから転載…比企の講演のことで日々雑感

2月5日

ただいま《朔》です

 

おはようございます 今日は旧暦1月1日で新月 中国では春節 すべてにはじまりの日 写真は昨日お電話下さった鎌倉の方がプロデュースされた会で 特別発注して出されたスワンのシュークリーム 行き届いた方です 私の鎌倉の源氏物語活動も 彼女の力なくしてここまで来ませんでした

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私はこの方に鎌倉での最初の講演を企画して頂きました 201011月のこと 鎌倉の古民家を社屋にされている鎌倉投信邸をお借りして 庭に見事な紅葉の木があったので その方が紅葉の賀と命名されて お茶や書をされる方や生け花や琵琶や お友達のそうそうたる方を動員されて 華麗にいろどって頂いて

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いろいろなことも 仙覚さんを考えると とにかく乗り越えなくてはと思います 仙覚さんの『万葉集』はそういうもの それを書き切れるか 私の使命はそこにかかっています 生半可では書けない 仙覚さんは竹御所を終生敬愛して止まなかった だから竹御所の生命は『万葉集』のなかに永遠に生き続けて

 

仙覚さんの『万葉集』はそういうもの と書きました 私にとって文学がそういうものです 最近の決断をもたらしてくれた原点です 翠園さま 原点を掘り起こして下さるツイートをありがとうございました

 

小川町の仙覚さんを巡る連続講座は今日から始まって 今日は比企氏を顕彰される方がご登壇 吾妻鏡の会の方が行かれるそうだから よろしくと伝言をお願いしました 私も行くつもりだったけど 遠出を控えて家にいることに 私は二週間後

 

比企の講演にいらした方からメール よろしくとお伝えしましたよと 再来週の私の講演にいらして下さるそう その方との出逢いがなかったら 私の仙覚さん研究は進みませんでした 鎌倉でも 比企でも 応援して下さる方の心強いこと! 歴史の力と思います 私が住む三鷹は比企と鎌倉のちょうど中間

 

先ほど耐えられないほど眠くなって寝て 起きたら信じられないことにたった二時間 その間の非常に深い眠り こんな眠りはじめてというくらいで驚きました パワポに集中しているから物凄い疲れます 体力を使わないでも能を使うだけでこんなに疲れるのかと 日々疲労困憊だけど この状況が嬉しい

 

さっきの深い眠り 起きた時に立ち上がったのがまた不思議で さながら歩みを止めた感覚 そして 今どこから帰ってきたのだろう 今どこに行っていたのだろう って考えたんです そうしたら何も映像が思い浮かばない まるで無 深い深い闇の底から浮上したようでした

 

なぜ今また眠りについて書いたかというと 小川町に関係する方からメールを頂いて 守邦親王の件で何か教えて下さると 鎌倉でひとつ決断をして比企に向き合ったから なにか 比企の深い思いや歴史が体の底から湧きあがってきているような

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2019.2.5 ツイッターから転載…仙覚さんのパワポ編集中他

2月3日

おはようございます 写真は先日の新年会に向かう車窓で撮ったものですが そんなに前ではないのに あの頃とすっかり気持ちが入れ替わって 凛としています いろいろありましたが 私的「書く人」としてのご恩返しは文学の完成に尽きます 例え今は理解されなくても です

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迷妄の沼から抜けたのは 鎌倉禅研究会で円覚寺管長横田南嶺老師様のお話と 鎌倉ペンクラブ新年会でとにかく書けと叱咤されたこと 横田老師様のお話は 禅僧が悟る過程を語って下さったのですが 途中からご自身の経験に乗り移ったような熱い激しい語り口に 無無無無無無 とひたすら無だけを念じていると

 

いつしかその無さえも消えていく  禅僧が印可を受ける様子は何度も本で読んでいましたが 経験されたご自身のお言葉で聴くのは初めて 鉄槌を下されたようで震えました そして 書かなければ駄目だと思ったのです 人は学ぶことも大切ですが 学びを止めて体験に入ることも大切 私は今その段階に来ました

 

密教を学ばせて頂いた時 師の方が 密教は人から人への伝授を大切にすると仰ってました だから血脈と 読書で印可のことを読んでも知識でしかなかったのに 横田老師様のお話は生のお声とともに身体に染み込んでいます 人は人によって救われる その人を求めての旅が禅僧の行脚 私は文学で行脚をしています

 

窓辺のセントポーリア

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私が鎌倉で普及活動をしている鎌倉の源氏物語 尾州家河内本源氏物語です 私が活動を始めた時 偶然の一致で八木書店様がカラー版影印本全10巻の刊行を始められ そのチラシを講演の配布資料に一緒にお配りするために 大量に頂きました 百聞は一見に如かずですものね

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この説明文にある「夢浮橋巻末に北条実時の奥書がある」という その北条実時が鎌倉武士で金沢文庫の創設者 この写本が鎌倉で作られた証明です 今は徳川家のものになっているから尾州家本

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尾州家河内本は鎌倉滅亡時に持ち出されて足利将軍家のものになり 関白豊臣秀次の手に渡り 秀次が滅びると徳川家康のものになり それで今は名古屋市の徳川美術館にある蓬左文庫の所蔵になっています

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平安宮一本御書所跡 平治の乱で後白河上皇が押し込められたところとか 最近上西門院のことでこのあたりの歴史を読んでいるので なんか そういえばそういう場所を撮っていたけど と思い出して探したらこれが 聚楽第跡を訪ねて彷徨っていた時に遭遇したのでした この時はなにもわからなかったけど

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もう一枚 これは鎌倉の阿仏尼の墓 横須賀線車窓から見える祠の中の慰霊塔です 先日の湘南ラインの車窓で この祠が板で封鎖されているように見えたのですが 事実だったら悲しい だんだん史跡が見られなくなっていってます 風化したり劣化したり

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2月4日

おはようございます 今日は立春 私的に一年で一番好きな日で 頭のなかで 春たつ日に読める のフレーズが終日ぐるぐるします 旧暦は1230日だそう 月齢カレンダーは夜のだから 2月に入ってめくっても相変わらず地味です笑

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3月の講演が終わるまで いろんな約束事をキャンセルしたから 2月に入ったカレンダーに予定を書き入れても 講演の日しかない笑 すっきりして清々しいこと! これからは籠るからこれが常態に

 

立春の日に添付しようと思い用意していた過去写真の水仙 水仙はいいですね 庭いっぱいを水仙で埋め尽くして など憧れた時もありました

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仙覚さんのパワポ 頼朝が上西門院に出仕→平治の乱で捕まり、14歳で伊豆に流される→旗揚げして鎌倉幕府をつくる→比企尼に比企谷を与える→頼家が比企氏血筋の一幡をなす→時政が外戚の地位を守るために比企の乱を起こして比企氏を滅ぼす→比企の乱の年に仙覚誕生 と、やっと仙覚さんが誕生しました

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一行足しました 「北条氏は外戚の地位を守った」 これが大事 このために乱を起こしたまでは作りましたが 結果を書いてませんでした これが大事なのは 時政が外戚を守ってなかったら その後の鎌倉はなかった 時頼が執権になっていませんし 建長寺や円覚寺もできなかった等今の鎌倉のすべてが

 

パワポに集中し過ぎて限界で休んでいたら 鎌倉の方からお電話 比企の講演に申し込もうと思ってと もう満席ですってとお伝えし 講演が終わったらいろんな事の縁を切って籠りますとお伝えすると それはわかる 私も と仰るので どうぞご自分のことに集中されてと 本心で申し上げてしまいました

 

クロ現プラス三島と川端 珍しく見逃さないよう心して観終わって思うこと多々なのに TLにきたら何も話題になっていない わざわざ検索しても ない 最近の文学は私の趣味と関係なくても流れてくるから 時流にはこと欠かないのに 三島と川端はもうそんなに過去の人? なのでしょうか

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2019.2.4 ツイッターから転載…仙覚さんのパワポ編集&立ち直りました

2月1日

おはようございます 深夜に窓を開けて見た時は霙 雪は降らないのだと思って起きたら 道に残っていた紅葉が散り敷いて さながら赤い紅葉の秋の庭 雪が降ると重みでこうなるのですが 夜中に降ったのでしょうか すっかり溶けてはいますが 冬が好きです しんとしずもる厳しさが

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仙覚さんのパワポ 一枚追加しました 仙覚さんが通って鎌倉と比企を往還した鎌倉街道上道 小川町はそれを途中下車したような位置にあります 思惑で作業を進めてもなんとなくどこかしっくりこない そうすると先が進まない そんな時忘れていた一枚を思い出して作るとすっきりする こんな連続です

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忘れていることは結構本質の部分 思惑や思念で作る作業は表層だから 本質まで掘り起こせるかどうかは気力にかかっています 昨日からなんか気力が尽きて眠くて眠くて 今朝も少しうとうとしました そうしたらこの一枚が思い浮かんで 飛び起きて作りました

 

ついでにこのスライドの背景を変えました 前から使ってみたい写真だったのですが 機会がなくて でも誰か ならふさわしいかなと思いついて でも 絵がごちゃごちゃして文字が読みにくいから きっとご感想に読みにくかった ってクレームがきます 一考笑

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コウケンテツさんの古代ギリシアの料理を復元した番組 復元した土器にたっぷりのオリーブオイルを入れ 野菜と肉を入れて 一時間 二時間 とじっくり煮る 煮詰まった料理にバルサミコ酢をかけて頂く その美味しそうなこと! あ これ スロークッカーでできると思い立って仕込み ました

 

そんなたっぷりにオリーブオイルは使えないし 蛸とか材料は違うし だけど 古代風スープにはなるでしょう いい匂いがしてきています

 

名称を忘れましたが 地球の反映がはっきり 地球影?だったかしら 低空が水色 その上がピンク その上空はふつうの空 割と頻繁に見るのですが 最初は気のせいかと思いました

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ギリシャの古代料理風スープ 美味しかったです オリーブオイルに(私は水も加えましたが) スープの素とかブーケガルニとかはなんにも入れずに 崩れるほどに煮た素材に ただバルサミコ酢をかけて頂くだけ 素朴なまろやかな甘さ バルサミコ酢ってこんなふうにも使うんですね

 

2月2日

おはようございます 昨日のギリシャの古代風スープ 我が家では地元の野菜が豊富に頂けるから 調理するより蒸すなど自然のままで超美味しい なので自然のままのスープは合っているみたい 山盛りのベビーリーフにチーズを添えて などしたら地中海風満載 こんなところでなにか生活感覚が変わるのですね

 

ツイッターでほんとうに助けられていると思う 鎌倉の源氏物語の活動で必死だった時は TLは自分のもRTも視野が狭く日本の中世の歴史や文学に固執 地味で無粋でした 一段落して世界や違う分野を視野に入れたら 世の中の広くて華麗なこと! 一足飛びに感性を一新して頂きました 特に音楽家の方に 多謝

 

 シール切手で西洋の楽器シリーズが出ているんですよね 鎌倉の源氏物語活動をしていた時は 切手も和のものしか使わなかったからその頃だったらこの楽器シリーズは絶対買いませんでした 昨日 鎌倉の方にお出しする封筒にコントラバスの切手を貼ったら違和感なく 感性が変わったなあと実感したのでした

 

楽器シリーズのシール切手 使いやすそうで 何枚も買ってしまいました 第一集だから次もあるらしいです

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仙覚さんのパワポ 頼朝が開いた大倉幕府(鶴岡八幡宮の東隣)と 比企の乱が起きた比企谷(現・妙本寺様)の位置をスライドにしました 鎌倉から遠い比企の聴講者様のため

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仙覚さんのパワポ スライドが40枚を越えているのにまだ時政 比企の乱にも至っていない 本編となるべき仙覚さんはどうなるのかしら とふうっと一休みしにTLにきました いつも比企の乱が起きました から始まるのに 今回は~だから起きます 残りの枚数とのバランスだけど 今作っている部分も重要

 

比企尼が14歳までの頼朝と過ごした地 として京都の地図を作りました 遠い関東から資料だけを頼りに住んだことのない京都を作っていると もしかしたらどこか勘違いしているかもと不安 でも この地図を作ろうと思った着眼は我ながら新鮮 比企の方にもリアル感を感じて頂きたくて

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2019.2.2 ツイッターから転載…仙覚さんのパワポ作成中です

1月30日

おはようございます 随分長く逡巡していましたが決断してすっかり自分を取り戻しました ずっと〇〇のために ばかりをしてきて自分のためにがなかったことに気がついたのでした それを断ち切らないと仙覚さんの小説が未来永劫できないことにも気がついたのでした 自分のために これから邁進します

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仙覚さんのパワポ 今日はここから これは以前作ったのをそのまま使います とそんなことを考えていたら 聴いて下さる方は小川町の地元の方 今まで鎌倉でしていた講演と違い 比企谷も大倉幕府も 鎌倉市内のどこにあるかご存じない方たちばかりのはず 地図を入れようと気づきました

 

仙覚さんのパワポ 比企谷の解説を終わってこれから上西門院 角田文衛氏『平安京散策』を拝読しながら進めます 比企尼の具体的な乳母像を出せたら・・・

 

1月31日

おはようございます 昨日は終日「自分のために」だけ考えて過ごしたら  こうしよう と思ってもいなかった案が閃いて これは昨秋到底無理と自分で否定し去ってしまったもの 自分のためにだけ自分の意志と時間をとるなら可能なのだと気づき 「書く人」にはこういうことが必要なんですね

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精神統一が身体にいいことを実感 一昨日までちょっと振り返るだけで目眩感があり嫌でした なのに昨日はそれがない 眠りも深く今朝は目覚めが良かったので 逆に今迄の眠りはよくなかったのだとわかりました でもこれも悩み尽くしたからですよね 一朝一夕で得たわけではない と胸を張って言えます

 

RTのマイケルジャクソン本のことで 昨日ジャクリーンケネディの番組で オナシスの死後ジャーナリストになった彼女が マイケルジャクソンに最初に本を書かせた人と知って驚き ケネディと結婚する前にジャーナリストだったから ジャーナリストとしての眼は終生変わらなかったんですね

 

上映中のマリアカラスの映画では オナシスがジャクリーンと結婚すると知って衝撃を受けるカラスも描かれているというけど 映画は講演が終わって機会があったら見ると決めました

 

小川町立図書館では3月に仙覚展をするはずだから 詳細を知りたくHPを見たのですがなくて 講演の応募状況を見たら 満席になったので締め切らせて頂きました とありました 3月の講演はその仙覚展の一端 普段はしまい込まれている仙覚律師奏覧状が出展されるはず 鎌倉の方も行かれるといいのだけれど

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