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2019.2.17 ツイッターから転載…仙覚さんのパワポ終わりました他

2月13日

おはようございます 写真は時々RTさせて頂いている「たからの庭」さまの創作和菓子 ケーキですが和菓子です ある方の記念の会のお祝いに注文して作って頂きました 鎌倉から出張して頂いて会場で 万葉の花を散らして というお願いをしたらこのデザインに 私の最初の鎌倉での講演以来のご縁です

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たからの庭 は北鎌倉の浄智寺様の谷戸にあります 鎌倉にはほんとうに素晴らしい活動をされる方がたくさん 2010年の講演ではじめてそういう鎌倉的世界を垣間見せていただいて びっくりしながらなんとかついて行かせて頂いていました でも仙覚さんに籠ると決めたからこれからは一人になるのだなあと

 

久々のパワポ 今日あたり仕上げたい 深夜に仙覚さんの資料再読をはじめたら そちらのほうが面白く そのまま研究に乃至原稿にのめりこみたくなりました でもパワポは仕上げなければならないからかかっています 承久の乱のスライドを作りました 承久の乱といっても 案外知らない方多いです

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終わりが見えているから次の構想がちらちら 次回のテーマは仙覚さんと鎌倉 比企の方への鎌倉での仙覚さんのご紹介 と気軽に設定したのだけれど これ 案外重要 とだんだんじわじわ 頼経の父道家について深めるいい機会になりそう 道家は佐渡の順徳院と手紙の往還をしています

 

どうも 仙覚さんは道家と繋がっている気がします 道家は頼経の父だから竹御所の舅 竹御所の崩御で仙覚さんが新釈迦堂の住持になったのは 道家からの指示だったのでは・・・(これは 『源氏物語と鎌倉』執筆中に芽生えた疑念で まだ引きずっています 小説でその辺りを書き込もうと思っています)

 

晩年になって 仙覚さんは比企から鎌倉の北条実時に 梨を贈るなど交流します それを作ったらもう仙覚さんの一生は終わり パワポも完成ですが ここでお夕飯 一時中断がそのまま明日に持ち越しになるでしょうね泣 ここに文字を入れるように用意した写真です 金沢文庫です

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仙覚さんの筆跡の素晴らしさ 凛としています 漢籍を嗜んだ方だからでしょうか 写真は小川町立図書館の仙覚コーナーに飾られている仙覚さんの文 夏梨を贈った相手が北条実時だと解明されたのは 小川靖彦先生です (終日パワポに集中していたから頭が満杯 今夜はこれで切り上げます)

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ひとつの組織に忠誠を尽くせば 組織が滅びる時にともに滅びるしかないけど(それが忠誠の美学ではあるけど) 例えば名越北条氏と頼経のような 仙覚さんはどこにも所属できない運命の人だったから 絶望的なその孤独感とは別に 将軍が滅びても仙覚さんには影響なかった 忠誠とかと孤独について考えています

 

私が書くべきものはここ  だと思います というか  しか書けない

 

2月14日

おはようございます 写真は小川町の重要無形文化財に指定された細川紙 小川町の方から頂きました 能楽師の方と対話させて頂いたり 蹴鞠の方とお話させて頂いたり 私自身は静謐とはまるで逆な写真の分野の出身ですが こうして直接文化に接する機会を頂く 心が改まります 書いているからですね

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比企の方から仙覚律師と小川町 という小川町教育委員会発行の冊子を送って頂いたので 中にあった地図をご紹介 講演させて頂く小川町立図書館を真ん中に撮りました 右上に東武東上線小川町駅 図書館左上の丸いなかに佐佐木信綱博士建立の仙覚律師顕彰碑があります

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仙覚さんのパワポ タイトルの次 最初の一枚にこれを入れることにしました 私なりの新説 新しい見解がメインだけれど それもこれらの方々の重厚な研究史があってのことだから

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そして 次がこれ 再掲ですが佐佐木信綱博士『仙覚全集』序文 これだけ見ると難しい講演のように見えますが お話で伝えるので 聴いて下さる方は 話でわからないところは画面でチェック 面倒だと思う方は聴くだけ 難しすぎてわからないと思う方は写真を楽しむ(これ 実際に頂いたご感想です笑)

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ふっと こんな言葉が浮かびました 自分が自分として屹立できないところには出ない これからはそうします 1月17日の円覚寺管長横田南嶺老師様のお話に鉄槌を受けてから約1ヶ月 パワポの完成が迷妄の淵から抜け出させてくれたかのよう

 

長かったけど まだ1ヶ月たっていないとなると短かった 鎌倉ペンクラブで自分を大事にしてとにかく書け と言って頂いてからも まだ2週間とちょっと パワポに全身全霊を込めたから

 

仙覚さんのパワポ 一応終わったのですが ここにきて仙覚さんと真観の関係で 仙覚さんは京で後嵯峨院に『万葉集』を献上した後 鎌倉より先に笠間時朝の常陸に行っていたのではないか という疑問が浮上 パワポの年次でそうなります 同じことを文字で並べていても この符合には気づかなかった

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パワポは事跡を年次順に写真で並べるので 京都の事跡の次に常陸があって その後鎌倉 鎌倉がずらっと並ぶ中に 常陸は一枚も入らない これはもしかして 仙覚さんは京都→常陸→鎌倉 の順に鎌倉に入ったのかしらと思ったのでした

 

2月15日

おはようございます 昨夜パワポで仙覚さんの鎌倉入りのルートが見えたとツイートしましたが 今朝写本のルートもそうだ! となって驚いています たまたま深夜の読書で吉永登氏おご論を再読した直後だからの理解 今まで仙覚さんが宗尊親王に万葉集を献上したのが唐突で経緯がわからなかったのですが

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仙覚さんが親王に万葉集を献上したのは文永二年が最初 それまで仙覚さんはどこにいたの? いつからそんな献上するような本を作っていたの? 第一なぜ仙覚さんは宗尊親王と縁を持ったの? と謎だらけでした そして弘長元年に真観の本を借りたというその校合の写本はどこに? とそれらが一挙解明

 

パワポから見えてきたこと 真観が下向した翌年に仙覚さんが真観の万葉集を借りて校合を始めています これは宗尊親王の歌の師になった真観が親王に仙覚さんを紹介し 献上する本を作り始めたということでしょう そして吉永氏のご論によれば親王の側近もそれを援助 献上はその四年後です

 

文献資料の研究だけでは人の動きは見えてきません パワポで真観の下向を記し そうしたらそれが仙覚さんの校合開始の前年だということに驚愕 しかも その四年後に献上となると その四年間 仙覚さんは真観や親王の側近らに助けられて比企谷で献上本を作っていたということ 宗尊親王にも待たれて

 

仙覚さんのパワポの最後の一枚 比企には父比企能員と一緒に比企の乱で自害した時員の念持仏が残っています その嫡子に玄覚とありますが これは素性を隠す仙覚さんを抜いて書いている系図だからで 玄覚は時員の孫になります この念持仏の存在は比企の方しかご存じなく 研究に生かされてません

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私は 小説でこの念持仏を 比企の乱勃発で鎌倉から逃げた時員夫人の基子さんが 逃亡の道中も肌身離さず持ってきたものと書きます (と 書いていたら 基子さんが切なくて 涙が出てきてしまいました 小説! 早く書かなくては)

 

Spring Comes だけれど今日は曇天 @吉祥寺

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