2月28日
おはようございます 昨夜から頭を離れないのですが 仙覚さんは道家に派遣されたんですね そう考えると整合性つきます 上洛していた時に順徳帝に近親していたら その妃の父道家とも知り合っていて当然 寺泊に送ったのも京と佐渡を繋ぐパイプ役として道家だった… 承久記に長歌が載っています
「河内本源氏物語」の時もそうだったけど 歴史や学問という研究は真摯であるべきで 当事者の身分やビッグネーム如何で左右されてはいけないと思う 光行さんは地下の役人というだけで ずっと そんな身分の低い者がそうそうたる人から写本を借りて校合できるはずがない というのが通説でした
池田利夫先生がされた綿密なご研究に触発されて光行さんワールドに入り 自分なりに調べていったら 地下の役人でないどころか 後白河上皇と経房に派遣された朝廷とのパイプ役 仙覚さんと道家の関係にもそういう片鱗が窺える 後嵯峨上皇に『万葉集』を奏覧させたのは道家ですね→ 小説でまとめます
私の仙覚さん論があまりに従来説と違うし破天荒に見えるから 皆様 小説にしますというと それがいい と大いに賛成して下さいます というのも 時間と空間 そして人間関係の感情の流れ に破綻がないから 論文にするのは資料がなくてできないし研究は想像を許さないから 小説がいいんですよね笑
それと私にはひそかな魂胆 大いなる野望があって 研究しても論文に書いても それが評価されるか否かの問題以前に 研究世界の外に出ていかないことがわかったから 私は文化は一般市民すべての人が共有して楽しんでゆたかになるべきものと思っているので 研究世界以外へ飛び出すことにしたのでした
3月1日
おはようございます 昨日は絶不調でパワポが進んでないのに 気持ちはもう火曜の講演以降に飛んでいて ほんとうにもうな~んにもしがらみのない自由の日々 鎌倉の源氏物語にとりかかった15年以上も前の時間を取り戻すのです だから気分の底でもうそれを見据えていて あれをしようこれをしようと
講演が終わったら執筆に籠る とばかりに悲愴な覚悟でいろんなことを切ってきたはずなのに 得たものは視野の広がり これは思いがけなく 如何に今まで自分を殺してきたかなのですね 昨日思いついたのは部屋にスタジオを造ろうと 前に造っていたのですが 15年のあいだに家人に侵略されきって笑
昨日の絶不調は風邪薬で胃が荒れたことのよう 風邪は大丈夫になったのですが 胃が辛過ぎて昨日はほとんど横になっていました 今日はもう大丈夫です 講演までなにかと大変笑
小川町立図書館で仙覚展開催 5日〜10日 後嵯峨上皇への仙覚律師奏覧状が特別公開されます 貴重な機会です 是非! 小川和紙の色紙とペンダントトップと一緒に

今日のクリスマスローズ BSプレミアムカフェ 指揮者の佐渡裕さんのベルリンフィル わき目も振らず観てしまいました こんな時間が取れるようになったのだなあと しみじみ感慨に耽りながら 佐渡裕さん よかった

物凄い深い眠り 気持ちよく目覚めて熟睡していたと知りました 頑張ればできないこともなかったけど 体力の復調優先で横になって 夢のなかでお腹がすいて 美味しそうなローストビーフ握りが出たところで目覚め 胃が治ったよう ほんとうにお腹がすいています ほんとうにローストビーフの握り が食べたい
以前八王子に塩山という和食のお店があって 塩山だから馬肉の握りがあって 美味しく 時々行っていました 源氏物語の講座の帰りに一人で笑 塩山からいらしてる若い店長さんと懇意になって 講座の忘年会でお世話になったことも なぜ塩山 って 山梨のあの辺りは中世史学のシンポの聖地 その思い出から
仙覚さんの講演第二回目のパワポ ひとまず完 あとは詰めていきますが これで例えばRCが壊れても 一応USBに入れて持ったから 場はしのげる ここまでくれば安心です 今日作ったのは慈光寺経の部分 私見ですが 私は慈光寺経は頼経が後鳥羽院の追悼に奉納したのではないかと考えています

それにしても 体力が万全でなく こんなに集中力の切れた作業ははじめて 前に作ったパワポがあるからできました でも それのよかったことは 自分でも忘れていたことを思い出せたこと 全部小説に生きていく世界ですが それにしても膨大だなあとため息をつく思い 考えると気力尽きそう笑
3月2日
仙覚さんのパワポ 昨夜完成させたものを見直して修正 歴史の事実の背後にある微妙な人間関係の心理を入れる 以前作ったパワポには歴史を年代順に追うことで精いっぱいだったからこれがなかった 今だから入れられるそういう要素がたくさん これが熟成ということなのでしょう 改めてひとまず完成

今日は道家をたくさん入れました 今までのパワポに道家は入ってませんでした 将軍頼経の父としか でも幼い頼経を鎌倉の将軍に据えて道家は京から遠隔操作でいろいろ動いています 仙覚さんに万葉集の校訂をさせたのも道家の指示だったと思うし 慈光寺経にも関与しているだろうし・・・
昨日から内面ということを考えているのだけれど まだなにかつかめない ただはっきりしているのは 内面は肉体だということ 思念とか意識とかそういったものと本質的に画する 昨朝観たBSプレミアムカフェ 指揮者佐渡裕さんのベルリンフィルへの挑戦の余韻が大きい 内面 それは小説的でもあります
そんな思いが きっと 仙覚さんのパワポに道家のこころを吹き込んでくれた気がしています
仙覚さんの小説は さながら運命に翻弄されつつ健気に生きる純真無垢の少年たちの話 生まれ落ちた時から比企氏残党の孤高を背負う仙覚さんにはじまり 2歳で両親から引き離されて鎌倉の将軍として下向させられた頼経 11歳で父の発狂で小侍所別当を継いだ実時 11歳で将軍になるべく鎌倉に下向した宗尊親王
成長してからの政治的立場や振る舞いはともかく 当面の純真無垢な少年だったそれぞれの哀しみや絶望感 不安を思うと なんか とても いじらしくて 可哀そうで だけど どうしてこうもこういう少年ばかりが主役の小説になるのか 不思議です
そういう こころに哀しみという原点を持つ少年たちが成長して織り成すのが 仙覚さんの万葉集の世界なのは こころに痛みを持つ者特有の労わりや思いやりや諦念が そこはかとない醸造をきたして 殺伐した過酷な歴史舞台のなかで 真の芸術 真の文化に惹きつけられ 築いていった 原動力な気がします
もうパワポは見直さないことにして USBに入れて当日の荷物にしまい込みました 見直す気力が湧かないです あとレジュメ・・・
レジュメに 先日掲載された文学碑めぐり「実朝の歌碑」を利用することに 仙覚さんが校訂に使った三本の校本のうちの一本が 定家が実朝に送った万葉集で 残りの二本のうちの一本が光行さんの万葉集 奇しくもの流れです
