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2019.3.27 その後の仙覚さんの小説の進展

おはようございます。昨日試しに書いた記事が一日経って閲覧できるようになっているのを確認してこれを書いています。


投稿ができないでいるあいだ、仙覚さんと悉曇の関係を探って、図書館でコピーをとってきたり、拝読していました。


結論だけ書きますが、仙覚さんは晩年比企の小川町に籠って『万葉集註釈』を成しますが、それは、それまで書き溜めていたものを纏めたものです。それは、奥書から、大変な作業による大部の注釈書を、奥書にあるような超スピードで書けるわけがないことで従来から言われていました。


でも、それなら、いつ、どこで、仙覚さんはその注釈書を作る研究をしていたのでしょう。当然、その謎が浮かぶわけですが、今までどなたもはっきりそれを明確にされた方はいられませんでした。


今回、『万葉集註釈』における用語法という分野のご研究にあたっていて、私なりにその結論が出ました。


仙覚さんは将軍頼経が宮騒動で京に帰されると、仙覚さんも歌枕を訪ね歩く旅に出ます。それから上洛して、後嵯峨上皇に頼経の下命によってできた「寛元四年本万葉集」を献上します。


その後、仙覚さんは鎌倉に下り、すると、時の将軍宗尊親王から『万葉集』の下命が下り、『万葉集』の校訂に勤しみます。そして献上します。が、そこで宗尊親王が突然更迭されて京に帰ってしまわれます。


仙覚さんは鎌倉を離れ、比企に行って、小川町で『万葉集註釈』を成します。


と、これが従来までにわかっている経緯ですが、問題の『万葉集註釈』をどこで研究したかは、時期的に嵌め込むにはもう、ここしかない、というのが見えてきますね。そう、後嵯峨上皇に「寛元四年本万葉集」を献上した京都にいた時!


これは、『万葉集註釈』の用語法についての論文を拝読していてわかりました。その用語法に用いられたたくさんの歌学書。それは皆、京都にある貴重な書物です。鎌倉にいて入手できるものではありません。なので、仙覚さんは在京している頼経のもとで、それら歌学書を入手できて、研究した。期間も、鎌倉に下るまで。


思うのですが、写本など、印刷のない時代の書物は、書物の移動自体が人の動なんですよね。はからずも用語法からそういう書物の動きが見えて、それが仙覚さんの場所と時間に違和感ないことも見えて、こういう結論になりました。


写真の添付はまだできないみたいです泣

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