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2019.4.30 ツイッターから転載…研究発表に向けての備忘録的雑感(16)

4月27日

今の時期しか使えないからタイミングを逃して黄ばみかけてしまいました やっと今日 これから書かせて頂きます 藤の花の文様の便箋

 

4月28日

おはようございます 藤棚のあるところに行きたいのですが無理 仕方ないので以前貴方藤が好きなんでしょ とお土産に頂いたpaperを出してみました もったいなくて仕舞いっぱなしでした でもやっぱり藤の花を観に行きたい笑

 

昨日気がついて自分で驚いたのですが 私はもう仙覚さんが常陸の人という 実証性のなにもない従来の説に対してなんの卑下感も持っていないのだなあと 仙覚さんを比企の人として発表したら ある方に直接常陸の人です ときっぱり否定されて 以降なにか書いたり伝えたりする時はまず その常陸の人説を否定

 

するところから始めなければなりませんでした 比企の人説には実証できるものが複数あります でもそれで小説を書いても業界のそういう方たちには破天荒な創造物として無視されるだろうことを覚悟して今までやってきたのですが 昨日 ふっと そういうこと抜きに 仙覚さんは仙覚さん と思えたのでした

 

やっと私も仙覚さんのことで 自分で自分が屹立できたかな 令和のお陰 ある方との対話で常陸の人説の説明抜きでお話できたからです 業界の方との戦いは 結構大変でした 独り勝手の空回りではありましたが(無視されてるから笑)

 

以前コラムを連載させて頂いていたタウンニュース鎌倉版で 令和になった最初の号に鎌倉と万葉集として妙本寺様境内の万葉集遺跡碑と仙覚さんのことを記事にして下さるというので 私は鎌倉在住でないから見られないから その号を送って下さるよう 鎌倉の方にお願いすることに

 

またしばらく品行方正な朝型生活してるから この時間疲労感満杯で辛いです

 

やっとみつけました 近隣に藤棚 藤棚というには小さいから今年からかも よく通る道なのに去年までなかった気がする 藤波というふうにはならなかったけど 風に花房が揺れてました

 

4月29日

高幡不動尊のシャガ 今日は高幡不動祭りでご講演される峰岸純夫先生の高幡不動尊の歴史を拝聴しました

 

高幡不動尊での峰岸純夫先生のご講演を聴いて そのためにほぼ終日スマホを見ていなかったから 帰宅後今までTLをたどっていてあまりに暗澹たることばかりで いったいこの先どうなってしまうのかと悲痛 まさかと眼を疑うこともまさに現実のようだし ほんとうに こんなことでいいのでしょうか

 

帰宅して終日見ていなかったTLをPCで追ってRTさせて頂きましたが 寝る前にもう一度と開いたスマホ 室生寺の石楠花のRTからはPCでは流れてなかった分です 両方見ていると これでは知りたい情報も 片方しか見ていないと見落としたことも知らずにいるなあと 思うこと度々 ツイッターは大切な情報源なのに

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2019.4.27 ツイッターから転載…研究発表に向けての備忘録的雑感(15)& ギュスターヴ・モロー展に行きました

4月25日

おはようございます 昨日購入した本 日比野浩信氏『はじめての古筆切』(和泉書院) 楽しみです

 

研究発表が決まりました 大会は8月下旬ですが まずは配布資料130部7月末必着を目指して 専心します

 

これで雷予報なのだけれど…

 

スギナのいる緑の饗宴

 

4月26日

おはようございます 昨日の西園 八重桜がまだ満開でした 桜といえば染井吉野と思っていて 対照的な風情の八重桜に関心がなかったのですが 最近パリの街中の写真をRTさせて頂いていて 八重桜がなんと似合っていること! と感嘆 その枝振りにも惹かれるように ツイッターはほんと感性を変えてきます

 

西園はいわゆる井の頭公園とは離れていますが ジブリ美術館があり そこから三鷹駅まで 綺麗に舗装されたおしゃれな一帯です 美術館前の植え込みに小さな藤が

 

昨日ある方と仙覚さんと『西本願寺本万葉集』の関係について話していたのですが 底本になっているのが文永三年本で でも『西本願寺本万葉集』が重要なのは訓点の付けられていなかった152首に付け終わった『万葉集』だからなので それは寛元四年本 寛元四年本は将軍頼経の命で 文永三年本は

 

宗尊親王に献上 でもそれは文永二年本 等々のことをその方が質問されるから 一つ一つに ではこれはこうですか? あ いえ それは… となって大変でした 仙覚さんの小説を書こうと思ったのは 小説ならその難解さから離れられるからで やはりまた早く小説を書かなければと思ったのでした

 

かつての愛読書 今からは考えられない!

 

せっかく車内で読もうと思ったのに 忘れてきて手持ちぶさた

 

なので昨日撮った写真を 西園の八重桜 花びらが散って絨緞のようになった地面に木の影が延びて

 

八重桜のたわわな房 パリの街中に立つ八重桜に魅了されなければ この写真は撮りませんでした 何年も西園に通ってるけど 今まで皆無

 

ギュスターブ・モロー展 研究発表の応募が終わったら何をおいてもと思っていました かつて中山公男先生の『モローの竪琴』を夢中になって拝読して 道中のお供にと思って愛読書の棚を撮ったのに それなのに忘れて 帰ったら出して読みます

 

絵は ほんとうに打たれたら言葉がないって ほんとうですね

 

中山公男先生『モローの竪琴』 本を忘れて出てよかった 観た後だから理解が深い なぜモローが好きかもわかった こういう世界だったんだよなあ 私の文学も など思う とても危い世界を書いていて 危い世界を好きな師の方から君は上手いなあと言われたり それをやめた時 仲間からあのまま行ったら危いと

 

思ってた とも言われた いつからか(たぶん歴史に入って)すっかりそれを忘れていたけど 本質は変わってないから だから映画空海みたいな世界に惹かれるし(モローの会場でふっと思い出したのでした) 仙覚さんの小説もただの歴史小説でなくなにかを出したいと思っていたり

 

モローは小品の水彩画が好きと思っていましたが サロメのシリーズ 圧巻でした(あれは 他の画家さんは描けない そして モローは他の画家さんと一線を画する 私の中で 完全に)

 

なんにも疑問を感じずに映画空海をRTしたけど なぜ このタイミングに? と今になって不思議

 

4月27日

おはようございます お守りのように今も財布に入れているモローのテレカです 展覧会に行って心機一転頑張ろうと思います TLを見ていて一件心に棘が刺さったTWが 沢山の方に支持されている知性派の方って 一見正しいし素敵なご意見ですが その方達って往々にして挫折を知らないレールを歩いてられますね

 

モローの画 サロメのシリーズは大聖堂のような空間の下の方にサロメやヨハネが描かれている 画家がその時期を過ぎるともうそれはなく人物が画面の中心に サロメのシリーズに飽くなく惹かれたのは ここのところずっとTLで大聖堂の絵や写真を見守ってきたこともあるだろうなあ と思いつつ観ていました

 

モローはなにを描きたかったのでしょうね 美しく衝撃的なサロメばかりが取り上げられてしまうけど 画はそうではない 大聖堂のような空間にいかにしたら効果的な光線の射し具合になるか素描で何枚も試作していて そこにモロー独特の赤と緑の絵具がはっとする具合に配置されて 画は空間そのものでした

 

私は画を描かないけど どんな名作を観ても描きたい欲をそそられることはなかったけど モローだけはずっと 小さな水彩画を観た時から 真似して描きたいと思っていて 昨日大きな油画でサロメを観たけど やはり絵具のタッチからすべて 真似して描いてみたいとどうしようもなく惹かれました

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2019.4.26 ツイッターから転載…研究発表に向けての備忘録的雑感(14)

4月23日

仙覚さんの小説を書こうと思ったのは 学会で発表してもそれが世間一般の認識に降りて来ないとわかったからで でも 今とりかかっている古筆の問題を解決したら 仙覚は誰か以上の重要な研究になるし ペンクラブに寄稿した私の一冊で誰かを書いたから なんか すっかり小説を急がなくていい気がしています

 

古筆の問題は 小説を書いて仙覚がその年齢になった時に調べながら書けばいいと思っていたことなのだけれど まさかこんなに深く関わっていたとは思っていなかったから すっかり小説の色合いが変わって 今この問題に取り組めていることがラッキー 不思議です

 

4月24日

おはようございます つくづく思うのですが 私はやっぱり硬いのが好き 文学というか文体のことです 仙覚さんの生涯を追って その理不尽な人生を人間的な視線で書こうとしていましたが 多忙もあって進みませんでした できていたら劇画化のお話もあったのに ユゴーがノートルドパリで大聖堂を主人公にした

 

ことを読んでヒントを得 万葉集を主人公に書こうと決めたら そこに古筆の問題が飛び込むなどすっかり深まって燃えています 前のは玄覚は書けるのに 時政になると滞る その繰り返しでした 万葉集が基盤なら 気兼ねなく硬いことも書ける 古筆の問題は夏の発表までには決着がつくから そこから勝負します

 

でも 小川町の講演で仙覚さんと実時の交流の実態が見え そこに古筆の問題が飛び込んで深まったと思ったのと同時にノートルドパリで万葉集を主人公に 大聖堂を心の拠り所にして壁紙にまでして力を頂いていたのにあの歴史的変換 私も 私の力で仙覚さんの生涯を世に出す歴史的変換をしなければと思う

 

枝垂れモッコウバラ 雨で重たくなった房が垂れて地面につきそうに モッコウバラ越しの姫ライラックとコラボ 綺麗で目が覚めるようでした

 

吉祥寺 一旦降って今は止んでいるけど雨はこれから? なんかずっと籠っていたから久しぶり 気がつかなくてスマホに留守電 聞いたら知らないお名前の記者さん 前の方がまた替わられたのでしょうか どんなお話でしょうね また電話しますって

 

吉祥寺にピカールがオープンしていました 遠い国の食卓の話(都心にはあるらしいけど) と思っていたら なんと! 今日は素通りしましたが 近々覗いてみます

 

写真がアップできないと呟かれた方がいるので 試し

 

できました

 

吉祥寺での留守電の件 以前連載をしていたタウンニュース鎌倉版の編集長さんからでした コラムの中で私が鎌倉の妙本寺境内に万葉集研究遺蹟碑があると書いたのを思い出して下さって 来週 令和になった最初の号にそれを書いて下さるそう そのお訊ねでした 鎌倉の万葉集の聖地としてお願いしました

 

令和の出典とされる万葉集でも それを載せているのは『西本願寺本万葉集』 ということで『西本願寺本万葉集』がずっとTVに流れていました その『西本願寺本万葉集』こそ仙覚さんの校訂した『万葉集』を基に書き写された本 令和の聖地は太宰府ばかりが取り上げられますが 鎌倉も! です

 

私は鎌倉から離れたところに住んでいるから 鎌倉の方がどれくらいこの仙覚さんの事実に気がついてられるか 情報を待っていたのですが やはり さすが コラムを掲載して下さったタウンニュースさんがご連絡の最初 講演などで随分強調してお話してきたのですけどね・・・

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2019.4.25 ツイッターから転載…研究発表に向けての備忘録的雑感(13)

4月23日

私の一冊 原稿送付して完了 最後の最後に「仙覚の仙は世を隠れ棲むことを意味する漢字です」の一文が思い浮かび 挿入して「完」 なんなのでしょうね いつもこの最後の最後に の現象が起きます さあ これからほんとうにしがらみを離れた自由な時間 仙覚さんの小説に の前に少し古筆の世界を

 

手書きのシール 今日ポストに入っていた鎌倉の方からのお便り 素敵です

 

封を開けたら レターヘッドまで手書き いいな と今日は幸せ

 

最後の一枚にはこういう挿画 鎌倉禅研究会 1月に突然離れる決意をして 2月の時はこれが最後との覚悟で行ったのですが ご挨拶できずに謝りのお便りをしたお返事 感じて下さっていて いつもは黒いお洋服なのを2月の時は白だったから 覚悟の色だったのでしょうと感じて居りましたと

 

鎌倉の山々は新緑がまぶしいほど だそうです。(対照的に 私は執筆の穴蔵のなか こころのなかでまぶしさがほんとうに 眩しい!)

 

私の一冊 原稿送付して完了 最後の最後に「仙覚の仙は世を隠れ棲むことを意味する漢字です」の一文が思い浮かび 挿入して「完」 なんなのでしょうね いつもこの最後の最後に の現象が起きます さあ これからほんとうにしがらみを離れた自由な時間 仙覚さんの小説に の前に少し古筆の世界を

 

とにかく早く仙覚さんの小説にかかりたいとばかり考えていたけど 原稿を送って広々した境地で思うと ここはやはり性根を据えて夏の研究発表に向けての古筆の考察を深めなくては と思う それを論文に仕立てて そうしてから仙覚さんの小説に戻る が順序でしょうね 両方は無理

 

幸いなことに 以前ほど命あるうちにという切羽詰まった危機感がなくなりました 健康を取り戻した感 これってやはり忙しすぎたことからの体調の乱れだったのでしょうか 全部セーブして 今はあり得ないくらいにカレンダーが真っ白 気持ちいいです

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2019.4.23 ツイッターから転載…研究発表に向けての備忘録的雑感(12)

4月21日

調布市国領神社の藤 TLに流れてきて私も以前撮っていたのでご紹介させて頂きます 今年は桜を撮りに出なかったから春を満喫した気がしなくて 藤 ならこれから撮りに行かれるかな と考えていたところでした でも 藤も ふつうに撮る藤でなく 光源氏がそこに立っているかのような風情でとは無理笑

 

4月22日

おはようございます 写真は玉川上水べりの民家の庭の藤 竹藪と混在して野性味があって好きでした 2014年の撮影 というのはもう伐採されてありません 藤はご近所でも何件か藤棚まで作っても 結局繁茂に追いつけず皆様撤去 鎌倉の山藤が懐かしいです TLに流れてくる西欧の藤もまた違う風情ですね

 

「私の一冊」というテーマの寄稿 井上通泰氏『万葉集雑攷』について書いていて これは研究発表をしようと頑張っていた時に届いた通知 応募が終わったら書こうと思っていて 昨日から取りかかっているのですが 気分がまだ発表要旨の『源氏物語』の写本 『万葉集』に移れなくて苦戦しています笑

 

「私の一冊」 なんか本当に書くべき「奥」が見えてきた気がする やっぱり竹御所 仙覚さんを書くには竹御所は不可欠 井上通泰氏『万葉集雑攷』は 氏が比企系図から仙覚は誰かを特定されようとしていて 私の方法と同じだったので心強かったのでした 写真は北鎌倉駅ホームから撮った山藤 2014年撮影

 

鎌倉は歩いているとどこかに山藤が見えて 山藤を見るだけでも鎌倉に行きたい!

 

私はもう1990年代末頃から金沢文庫に通っているのだけれど 何方として一度も金沢文庫本万葉集の話をされたことがないから 何方もご存じないものと思って お世話になっている金沢文庫関係の方に古筆切からの一連の経緯をご報告したら 今日 そのお返事 封書にこのコピーが同封されていました

 

なんと 金沢文庫本万葉集は1994年に発見されて 朝日のその記事 ご存じでいらしたんです ただ疑ってらして重要と思われてなかったのでした 実時と仙覚と親行の三巴の交流があっての金沢文庫の文学活動という私の手紙で驚愕されたそう 当時はかつて山中裕先生が仰ってらしたように 金沢文庫には国文学の

 

学芸員さんがいなかったから 誰も関心を持って飛び付いて研究しようとはならなかったんですね 当時の展示は密教が主体だったし 今は禅宗 金沢文庫で国文学の展示をして下さる日がくるまで頑張ります

 

私は 折あるごとに 尾州家河内本源氏物語の特別展を金沢文庫で開いて欲しいとお願いしているのですが 全然取り合って頂けてません でも 金沢文庫本万葉集の問題が出て 源氏物語だけで展覧会を開いてはいけなかったんだ 万葉集の研究に決着がついた時がその時 と思うようになりました 時宜を待ちます

 

私の一冊 とりあえずラストをこれで 「歴史は思いもかけない取り合わせで貴重な文化を残します。竹御所の崩御がなかったら、仙覚の『万葉集』の研究はありませんでした。井上氏が員長の項に着目されたのも、そこに「竹御所」の文字があったからでした。」v

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2019.4.21 ツイッターから転載…研究発表に向けての備忘録的雑感(11)

4月20日

庭に出た筍 掘る前に見ない? と家人に誘われたのだけれど そうやって今まで家族優先に自分の時間を割いてきたから もう時間はないと切羽詰まった決意で自分優先を決めたばかり なので 今ちょっと と断ったら そう… としょげた風情の家人 ほんとうにもうこうやって心を鬼にしていかないと…

 

おはようございます 日常の用をこなしていたら 気がつかないうちに朝型生活になっていて 快調なのに疲労感が日々募る 今日はたまらず仮寝のつもりで早々に寝て起きたのですが 疲労感がすうっと引いていくのがわかって 朝型だったんだ 疲労感の原因は となりました やはり私は夜型 深夜のほうが捗ります(4月21日未明です)

 

小松茂美氏『古筆学大成』から 源氏物語の項を拝読 河内本系統の写本と大型写本の関係を確認 面白い流れが見えます 時代が下るにつれ つまり人的交流が入り乱れるにつれて 厳守だったような流れが曖昧になっていく こういうことって 写本に限らず 人の世の常ですよね 人的交流が目に見えるよう

 

自分でいうのもなんだけど 以前「寺院揺曳」という歴史随想を書いて 冷泉為相の生涯を徹底的に追ったから 為相の人的交流で写本のことも曖昧になっていくのが 手にとるようにわかる これって やはり 国文学は歴史も会い併せて見ることで深まるし楽しいということですね

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2019.4.20 ツイッターから転載…研究発表に向けての備忘録的雑感(10)

4月18日

ハルジオン? この花を見ると母を思い出します 私は行動することに臆病で 父が早世し家を継ぐ必要から写大に入学したのですが 活動的な同級生たちについていけず 課題の写真を撮りに出るにも母についていって貰ったほど笑 そうして行った明治神宮にこの花が沢山咲いていました 心の中の秘密の花園です

 

4月19日

菫の花束 初めてです 菫を摘むなんて 庭の水やりをしてたら下陰に一株生えて咲いていました 小さな小さな花束 繊細ですね おはようございます 素敵な朝 ツイッターのお陰で菫を摘むということをしてみることに でも そういえば万葉集でも摘んでいました!

 

小さな瓶に挿してみました 小さな菫の花束 これもTLの方を真似て ツイッターで学ぶこと多くどんどん感性が変わります 研究発表の応募を終え 古筆の世界を開いて下さった方からも楽しみにと仰って頂いて 昨日はゆったりというのでなく猛シャカリキに溜まっていた日常の用を片付けました

 

メモ: 今思いついたのだけれど『尾州家河内本源氏物語』の北条実時奥書は実時の自筆か否かの問題でなく 奥書の「正嘉二年実時書写」だけを考えて 実時が書写したその「正嘉二年本」を校訂に使った ということでいいのでは? 正嘉二年本は残っていないけど 尾州家本の校訂した河内本がそれということに

 

なんで今までこんな自明のことに気づかなかったのだろう みんな 自筆か否か にばかり気をとられていて

 

4月20日

おはようございます 姫ライラックが咲きました たぶん少女時代に読んだ漫画の影響と思うけど ライラックに憧れていて でも 園芸店に行っても売ってなくて この姫ライラックを買いました でも匂わないし別物 青森の友は溢れるほどに咲いているし 匂いがきつくて大変と 東京ではライラック馴染みないです

 

姫ウツギも咲きました こちらはほんの10センチに満たない苗木を植えたのに垣根のように繁茂 真っ白で綺麗です 撮っていたら 通りすがりの方に 綺麗ですねと声をかけられました 道沿いに植えてあります

 

家族はまだ寝ているのでこれから朝食の準備をするのですが これは以前撮った写真 吉祥寺でミニ食パンというのを売っているのを見て あまりに可愛くて買ったのですが 小ささわかるでしょうか これは撮るために半分に割ったのですが ちゃんと両端まである本当の食パン型でした

 

ミニ食パンの写真はカメラロールに入っていたので挙げたのですが 隣にこれが 古筆学大成 早くこの世界に浸りたいのに 浸ったら物凄い魅力的な隠れていた歴史が浮かびあがってわくわくすること必定とわかっているのに 一件原稿を終えた後は日常の片付けもので時間を費やす ほんとうに 早く戻りたい

【お詫びします】ツイッターでは写真に添付してツイートしているのですが、ここではブログのメンテナンスで不具合になってから写真のアップができなくて済みません。なんか、写真抜きの添付コメントを読んでいると、昔、ラジオを聴いていた時のことのような不思議な気分。ラジオなのに不思議と色や場面が記憶にあるんですよね。

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2019.4.18 ツイッターから転載…研究発表に向けての備忘録的雑感(9)

4月16日

フランス革命以降 自由を信奉し宗教を批判する一般市民により ノートルダム大聖堂には破壊略奪が繰り返されて廃墟と化した ユゴーの『ノートルダムドパリ』の出版が大聖堂復興運動へとなり 1864年に修復が完了した ←ユゴーの大聖堂を書いた意図(3月19日)

 

↑どなたかが3月19日のツイートを発掘して下さいましたので改めて自分でもRT。ユゴーの小説を読んで、作品の主人公が登場人物以上にノートルダム大聖堂だったことに衝撃を受け、それなら私の小説も『万葉集』を主人公にと低迷していた執筆に覚醒したのでした。なので大聖堂には思い入れかぎりなく・・・

 

3月19日だったなんて。今日は4月16日。まだ一か月。なのに今は仙覚さんの小説に自信がつき、それに関連して『西本願寺本万葉集』の研究発表までしようとしている。TLに連日のように流れてくる大聖堂の写真をRTさせて頂きながら力を頂いていました。研究発表要旨、書き直したのでまた一晩おきます

 

4月17日

おはようございます 今日は研究発表要旨を投函します 明日必着です 早めに送って次の原稿にかかりたかったのですが 結局昨夜も寝るギリギリになって冒頭を書き直すような閃きが ギリギリという切迫感がなにか人を突き動かすエネルギーになるよう 余裕をもって書いた原稿って 私の場合 ダメです

 

投函用に封をしました 最後の印字をして読み返していたら眠くなり PCの前でうとうと はっと目が覚めて封筒に入れたり切手を貼ったりしたのですが 原稿からすっかり気が離れていて これでいいかしらという不安や迷いがない こんなにスッキリ抜けるものなんですね 2,3日前と全然違う

 

スッキリして投函とツイートし さて出かけようと思ってポストを見たら入っていました 国会図書館に遠隔複写で頼んだコピー 忘れてたのです 開いてぎょっと このご論考次第では応募できなくなる… とはらはらしながら拝読して 大丈夫でした あ~あ びっくり笑

 

それにしてもこの世界 深そう!

 

投函をして気分軽々ですが たまたま導いて頂いた古筆の世界が 尾州家本の調査の袋小路を打開するかもしれない予感がして これからが本番 わくわくしてます 写真はローズマリーの花 奥に菫の鉢が写っています

 

先日の都立有栖川宮記念公園 もう躑躅の世界でした 都立図書館は広尾のこの公園の中にあります 回遊式庭園の築山の上だから 登るのが大変

 

雑木林は緑が目に鮮やか@井の頭公園

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2019.4.16 ツイッターから転載…研究発表に向けての備忘録的雑感(8)

 

4月15日

するすると襖が開くと奥に 上座に座る上様が見えた とこんな感じ 玄覚さんの線が不可となって行き詰ったと思ったら 別の線 たぶんこちらが本命 が見えて 今日投函しようと思っていたのをもう一度 一晩寝かせることになりそう それにしても本命って どうしてこうギリギリになるまで出て来ないのでしょう

 

中島@都立有栖川宮記念公園 後は発表が決まってからと思っていたのでこんなに近々に再訪するとは思っていませんでした でも季節はすっかり変わって木々の緑が綺麗

 

古筆切とは 写本を切り取った断簡で 昔の人はそれを手鏡というスクラップにして手元に置いた だからこの写真のような巾10センチほどに切り取られた一枚でも 元は写本という一冊 或いは一巻でした 写本としては残ってなくても 断簡として残っているものも 古筆学大成源氏物語編 不思議な感じでした

 

私は今まで写本から人の動きを追って歴史を見ていたけれど その写本を切り取った古筆切は 贅沢な方々の蒐集の世界とばかり思って まさか研究の対象になるなど思っていなかったから 世界を広げて頂いて感謝しつつ 非常に新鮮です

 

4月16日

ノートルダム大聖堂が……

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2019.4.15 ツイッターから転載…研究発表に向けての備忘録的雑感(7)

4月13日

研究発表の応募要旨 明日にはまとめられるようにしたいのだけれど なんか一旦別の原稿を考えてしまったら集中が切れて戻らない やっと夕方 過去の玄覚さん関連の資料を出して 玄覚さんは今は不要 を確認 あ~あ となったのは 玄覚さん路線なら楽だったのに 本命に行くのに逃げてます笑

 

本命に入ると疲れるから・・・ 体力集中力弱ったなあ と思います(玄覚さん路線がダメとわかって やっぱり逃げたたんだあ~ と確認したのでした)

 

本命は やはり『尾州家河内本源氏物語』奥書問題 解決するはずないのに挑戦するしかなく・・・ 発表が決まったら図書館に籠って八木書店様刊行の全十巻を丹念に見るしかないでしょう

 

藤原定家が実朝に送った『万葉集』 実朝暗殺後は将軍頼経が所蔵 それを仙覚さんが借りて参照し「仙覚寛元本」を作った 実朝のその万葉集 どういうのかわからなくても仕方ないのだけれど 仙覚さんが奥書に「厚様の表紙、紫檀の軸、尾長鳥の丸紋の螺鈿」と書き残してくれていて感激 不思議な気がします

 

4月14日

おはようございます という時間でもありませんが笑 案ずるより産むがやすし で 書いてみました 研究発表要旨 例えばタイトル 思案では仰々しく・・・を と思ったのに 軽いからと退けた案の方がいい など 原稿用紙に合うか否かが結構本質 800字なのでワードを原稿用紙仕様でしてみました

 

私的に 今までたどってきたことの全部の集積だから自然過ぎて こんなの研究発表でいい? とかえって不安 でも見回しても業界にこれを言っている方はいない それもそうですよね 国文学界に歴史の視野を入れて思考されている方はいないから 結構 仙覚さんと実時の交流って 重要

 

菜の花と 木の芽吹きと 桃の花 三色のこの共演 いいですね

 

4月15日

おはようございます といいつつ実は徹夜中なのですが 今日には発送したい研究発表要旨 昨日のうちにできていて発送してもよかったのだけれど 原稿は一夜手元に置くと決めていて そうしたらやはり訂正というか テーマの一段昇華が見えてきて それを文章に取り込んで 今日発送します 金沢文庫本万葉集を

 

改めておはようございます モッコウバラが咲きはじめました 家人を送り出して自分の時間 家族奉仕でぎゅうぎゅうな感じの週末を抜けてほっとしています笑

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2019.4.13 ツイッターから転載…研究発表に向けての備忘録的雑感(6)

4月12日

おはようございます 庭の木蓮が満開です 今朝 突然 とても自然にふっとテーマが湧いて見えました 考えてみればとても自然なこと なのに学問として複雑化して大変な様相になってしまっていたのでは? ということを今日 これから検証してみます

 

待っていたコピーが届きました 国会図書館の遠隔複写 雑誌類は関西館のようで 探すご論考が次々に関西館 今日やっとこの二通 まだ届きます

 

玄覚さん! 藤平泉氏「正応・永仁期の歌書書写活動について」では まだ冷泉家時雨亭叢書の刊行は始まっていなかったんですね ご論考中想像で四苦八苦されている歌書を 私は先に影印本で見ていて解説も読んでいたりして 申し訳ない気分

 

そうっか 善峯寺は蓮生の西山で 玄覚さんは夫木和歌集にも入集しているから 蓮生とも交流があって それで善峯寺に こんなところに蓮生さんが出てくるとは… 宇都宮歌壇が中世歌壇を調べ始めた最初でした

 

山吹が満開です

 

外出もせず集中しているから アルコールも自然に絶って快調 でも 気がつくと家人に覇気がなくなっている 私はこのままずっとストイックに過ごしたいのだけれど このままではいけないと気づき 明日は週末だから頂こうかしら と久しぶりの晩酌 和やかに過ごせてよかったけど ストイックを保つのは大変

 

4月13日

おはようございます 起きてからずっと小松茂美氏『古筆學大成 万葉集』の解説を拝読していました 個々の古筆切としての金沢文庫本万葉集のために図書館に行って見たご本ですが ついでにみたいな軽い気持ちでとったコピーの万葉集自体の解説が凄くてのめり込んでしまいました 古筆の世界 凄いです

 

今まで古典は 内容か文章か作者か歴史 という分野で研究されていて それをある程度網羅すればその古典に精通したものと思っていたのですが 古筆という分野は見てなかった 古筆を見ないでその古典を語るって 私は遺跡にいたからそれで例えると 遺物を見ないでその遺構を語るようなもの? の感じ

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2019.4.12 ツイッターから転載…研究発表に向けての備忘録的雑感(5)

4月11日

二階の窓を開けたら紅葉がこんな 紅い色が可愛いです おはようございます 木は下から眺めているだけでは気がつかないこと多いですね 我家では毎年この種で小さな芽が生えて 盆栽にしたいけど と悩みます(無理と諦め泣)

 

家に菫が咲く幸せ 二輪目 三輪目も蕾が

 

思いがけず垣間見させていただいている古筆の世界ですが 小松茂美先生『古筆学大成 第十二巻 万葉集 万葉集抄』から金沢文庫本万葉集の項を拝読していたら この写本は残っている全巻一人の人の書 といわれていたのに 古筆の大家の小松先生が第一巻だけ別人と見破られてました 一見似た筆跡です

 

私はこの金沢文庫本万葉集の筆跡から何かをつかもうと考えていたので その参考に使うのを もし第一巻で参照したら 全く結論が別になってしまいますから驚愕 今まで見てきたかぎりでは 古筆の世界のご論考を国文学の世界で役立たせてられるご様子はあまりないような 危惧を感じました

 

まだ研究発表のテーマも絞られてないし 当然応募もできていない(来週半ば締切)のに 夏に大会に行ったら名古屋が近いから熱田神宮さんに参拝しよう その前にやり残すことのないよう原稿を頑張ろうなど 気分がもう先走っています 今朝から笑

 

もうすっかり 雑木林はさみどり

 

風が強いですね 図書館の駐輪場で自転車がなぎ倒されました

 

風が強くて花びらが揺れて

 

夕刻三陸沖でM6.0規模の地震があったよう なぜか三陸沖でこの規模の地震がある時は強風の日が多い 何度かそれを感じていて それで日中 図書館の駐輪場で強風で自転車がなぎ倒されたツイートをしました そして こういう日の強風の空は雲が金属じみた輝きを帯びるレンズ雲風です 今日もそうでした

 

重かった たった二冊なのに 今日図書館で借りたご本 佐藤恒雄氏『藤原為家研究』 よくお世話になるのだけれど 二冊に分けて刊行して下さったらよかったのに といつも思います 厚さで借りるのを諦めたことも何度か笑

 

今日はもう一冊のほうの冷泉家時雨亭叢書を借りに行ったのだけれど 為家研究が眼についたら 今日はなんと迷わず借りました というのは古筆切で伝為家筆源氏物語断簡をずっと見て為家に馴染んでしまっていて

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2019.4.11 ツイッターから転載…研究発表に向けての備忘録的雑感(4)

4月9日

家に菫が咲いていて 幸せ

4月10日

おはようございます 古筆切から思いがけず金沢文庫本万葉集の存在を知り 金沢文庫に万葉集があった話を聞いてないし この万葉集が金沢文庫にあった確証もない ということで この本についてのご論考読んでいると 金沢文庫にどんどん原点回帰していく 仙覚さんの小説が変わっていっています 実時浮上で

 

金沢文庫本万葉集が ただ一巻だけ完本で残っているのが冷泉家なので ここでまた冷泉家! となっているのは 玄覚さんが冷泉家と関わっているからで なぜ金沢文庫本万葉集が冷泉家に入ったかもわからないと解説にはあるけれど 玄覚さんの線を消しきれないでいる しかも冷泉家と金沢文庫ときたら

 

これはもう『尾州家河内本源氏物語』の定家と光行さんの関係に遡るわけだし そこに『万葉集』の玄覚 三つ巴四つ巴のようなこの入り組んだ関係の先に なにかがあるのではないかと 求めているのですが

 

沢山の資料を拝受 添えられたお手紙には私より先を見据えられた方のアドバイス 私が見ている世界の具体的なことはもちろんその方の知る由もないはずなのに 私より深い世界を見通されていて 心が引き締まりました

 

『鎌倉時代の本のすがた』は昭和60年刊の金沢文庫の特別展図録なのですが 私は存在も知らなかったのに古書で検索して取り寄せて下さってのご配慮 金沢文庫の冊子は資料として何度も展示で見ているのに 本という形態に特化したこのご本の解説は身震いものです

 

メモ: (高田信敬氏「源氏物語考証稿」より) 伝為家筆大四半切、中略、これは、金沢文庫に伝来する標準的な鎌倉時代の消息料紙と大略同じ大きさ、中略、尾州家本の由来や河内方との深い縁を思うと……

 

伝為家筆大四半切…縦約31.5㎝、尾州家河内本源氏物語…縦約32.0

 

追記: 金沢文庫図録『紙背文書の世界』に貞顕書状縦約33㎝が多いとあるのを参照してのご論というので、貞顕は実時の孫だから、尾州家本より時代がずっと後

 

金沢文庫の側から探ってもたぶんなにも見えて来ない(私的にも新しみがないからつまらないです)

 

尾州家河内本源氏物語と金沢文庫本万葉集についてのご考察を交互にみていたら 源氏物語をやっているのか 万葉集についてだったか わからなくなってきてしまいました 根を詰めて読んでるから 疲れて(金沢文庫本万葉集のために尾州家河内本源氏物語を読み でも結局は詰まるところ尾州家本のため だから)

 

どうしても不可解 実時の奥書がある源氏物語を親行の孫が三条西実隆に持参したという 諸説では 実時の奥書がぴったり符合するのだから これは尾州家本に間違いないと でも 足利将軍家が所蔵し 秀次が継承して 家康の手中に入って尾州家本の名称になる本の どこの経緯に親行の孫が持ち歩く事情が入る?

追記:相変わらず写真の投稿ができません泣

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2019.4.9 ツイッターから転載…研究発表に向けての備忘録的雑感(3)

4月7日

金沢文庫本万葉集の書写形式が仙覚寛元本と同じというので 田中大士先生の仙覚寛元本復元を試みる一連のご論考を拝読し直していたのだけれど 田中先生のご論考のほうが新しいのに それより古いはずの金沢文庫本解題との関連は? と疑問 田中先生が金沢文庫本をどう見てられるか知りたいところです

 

広瀬本とか紀州家本とか 金沢本というのもよく出るけれど金沢文庫本に関する論考は殆ど目にしない 過去の佐佐木信綱博士と小松茂美先生のしかなく 冷泉家本の解題もそれによると でも なんか別のところに開ける余地があるような とりあえず お二方のご論考を拝読したい 本当に寂印成俊系統の本でいいか

 

以前 夢中になって拝読していた田中先生のご論考 それがこんなふうに役立ってくるなんて もう少し詰めたらコピーした金沢文庫本を見ます (応募の締切まで一週間 今週末までにはまとめなくては)

 

4月8日

おはようございます 空地に薊をみつけました 薊 以前憧れてベランダで鉢植えして育てました 夜 ベランダを見ると薊が月下にすっくと伸びて月と対話しているようでした 空地の薊 雑草のようでも持ち帰ったら盗人になってしまうのでしょうか

 

金沢文庫本万葉集関連の資料を得に図書館に行こうとして 田中大士先生の仙覚本に関する一連のご考察も と思ったら全部関西館 郵送を待つのももどかしいのだけれど仕方なく遠隔複写で申し込みました 書写の形態からなにか見えてこないかなあと

 

図書館でたっぷりコピーをとってきました 古筆學大成など大型本のコピーは重いし動かすの大変だし で疲労困憊 でもこれでなにかが進むと思うと嬉しい

 

西本願寺本万葉集の歴史: 足利義満が皇室に献上→天文11年、西本願寺の證如上人光数が時の帝後奈良天皇より拝領→大正2年、西本願寺に売立のあった際京都の書肆に出たのを佐佐木信綱博士が見る→大正6年、博士の架蔵に(佐佐木信綱『国文学の文献学的研究』より)

 

金沢文庫本万葉集の項をコピーするために閲覧した本ですが 西本願寺本万葉集があったのでついでにコピーしてきました

 

足利義満が皇室に献上とありますが その前の歴史をいうと: 仙覚さんが文永三年本万葉集を完成→それを底本に西本願寺本万葉集が制作された→金沢文庫に所蔵されていた→鎌倉滅亡時に持ち出されて足利将軍家の所蔵となった

 

鎌倉で「西本願寺本万葉集」が作られた時の事情を探っているのが私の研究テーマ 装丁やサイズが全く同じ双子のような写本の「尾州家河内本源氏物語」とともにこの成立には 北条実時が関わっています 最近私は実時は仙覚さんの小説の副主人公に思えてきました

 

金沢文庫本万葉集の資料に眼を通さないうちに朝になってしまいました…

 

雨戸を開けたら綺麗に晴れて 眺めやる満開の桜が朝日を浴びて茜色

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2019.4.8 ツイッターから転載…研究発表に向けての備忘録的雑感(2)

4月5日

ただいま《清明》です《万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれる也

 

研究発表のための思考が日々変わるので これはまたブログに頼るしかないと思い メンテナンス以降の不具合だった「ツイッターから転載」方式のコピペを試したらできたので 「夏の研究発表に向けての備忘録的雑感」として始めることにしました 参考資料や本のタイトルを順次載せておくと後で便利です

 

ただいま《朔》です

 

4月6日

朝型夜型の生活習慣の狂いからきた疲労感 昨日は午後いっぱい休み 夜も何もしないで休み 今朝は固まりきった体をほぐすストレッチ で なんとか健康回復しています 普段歩かない庭にはユキノシタにドクダミが混在 でも好きな光景でそのままに 今日は調査復活します

 

4月7日

仙覚さんの小説は生涯を描くから 後半の人生でまだ不明の部分があっても それはその時代を書く時がきたら調査すればいいと決めて まず誕生のあたりの比企の乱を書いていたのですが 後半の不明部分はずっと脳裡にあって 解けるかなあと心配でした それがはからずも今回の古筆切の展開で解けそう それで

 

安心して楽しく携わらせて頂いているのですが 後半が見えてきたら ただ漫然と生涯を描くだけではつまらない それではただの伝記 の思いが兆して ならばどうする? が今日一日脳裡にあった課題 で 夜型人間らしく 今になってその答えがわかったのですが 仙覚さんの小説の後半のテーマは北条実時との友情

 

これはたまたま小川町での講演で 二人の交流が仙覚さんが万葉集に携わった当初からだったということがわかり その直後に今古筆切で実時と尾州家本の解けていなかった部分が解けそう という不思議な巡り合わせになっています 前半は比企の乱 後半は男同士の友情 と やっと文学らしくなってきました

 

睡魔が限界で寝ようとしたら閃き それで起きて呟いて寝ることに 金沢文庫本万葉集は仙覚さんの文永三年本というけど 同じ文永三年本の西本願寺本万葉集とは別 ということは 金沢文庫本は西本願寺本を写したわけでなく 金沢文庫本を書写した人物は じかに文永三年本を写すことができた乃至持っていた

 

私見では 西本願寺本万葉集は宗尊親王更迭後に実時と仙覚さんの協力で作られたのだけれど 仙覚さんはその為に文永三年本を作った だから 金沢文庫本は 西本願寺本万葉集ができた後にその底本の文永三年本を借りて作られたということになり 仙覚さんに近しい人だからそれが可能だった?

 

また寝ようとして閃き笑 冷泉家本や種々解説は 書写年代を鎌倉時代後期とか室町時代初期などと記してるから それをきちんとした数字の年譜に落とさないと 宗尊親王って 鎌倉時代中期? 後期は守邦親王とか? など曖昧

 

RTして思い出しました 実時が古今集を書写していること そのサイズを調べなければ

 

ご高齢で闘病中の長年親しくして頂いている文学の先輩 仙覚さんの小説の完成を待って下さっているのに遅筆で 本が出来た時に献辞することになる? と危うんでいたのだけれど間に合いそうな感じ 私が書きさえすればだけれど その方の明日はお誕生日 頑張るしかないです

 

とツイートしたのは てっきり今日が8日と思って お祝いのメールに「間に合わせますからね」と書こうとして 家人に今日は7日だよ と教えられたから 日々異次元に入っていってしまっているから 曜日や日にちが支離滅裂 やっと夜型の自覚ができたからこれからです

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2019.4.5 夏の研究発表に向けての備忘録的雑感(1)

4月1日

11:30 新元号「令和」と発表

 

歴史の会の集まりを離れ 一人になってTLを見たら 西本願寺本万葉集 万葉集 の文字のオンパレード 何が起こってるの? と目を丸くしてたら新元号の出典ですって 昨日まで独り籠ってやっていた万葉集 これからやりにくくなるなあと あえて道中のお供に持って出たこのご本に籠ります笑

 

関口研二氏『古筆細見』より: …中国古代の書法の多くは石刻、日本のは肉筆で、様相、趣を異にするが、こうした時代の中核的書法を古法といい、古法に基づく書跡を古筆と呼ぶ← 古筆の世界に入る前の心構えを教えて頂けそうなご本と出会いました

 

昨日のうちにアップしておけばよかった と悔いつつ開いた『冷泉家時雨亭叢書 金沢文庫本万葉集』 図書館で借りてきたのが夕刻だったから明日にしようと呑気にしていて その「明日」になったら新元号発表でTLが万葉集だらけ アップしたらそれに紛れてしまうから深夜まで持ち越していました

 

思惑があって借りてきて 確かめたら やはり思惑どおりだった とても大変なことなのだけれど 全然驚かないのは もうこういうことに慣れてしまっているから それと 思惑が湧いた時 たぶんそうだろうというあえかだけれどなんとなくの自信があるからで 驚きにはならず やっぱり の思いが強い

 

だけど この発見 この先どうするべき?

 

私はやっぱり竹御所を大河にしたい とそう思った 新元号発表の日を終えて 眠りにつくにあたって 出典が万葉集ということで 出版社における万葉集の大量増刷のニュースを見て湧いた思い その印刷される万葉集は総て『西本願寺本万葉集』が底本で それは仙覚さんが校訂した万葉集 その仙覚さんは竹御所

 

が難産で亡くなったのを悲しんだ将軍頼経が 彼女の菩提を弔うために建てた比企谷の新釈迦堂に住持として呼ばれ そこで頼経に命じられて万葉集の研究をした 竹御所の早い崩御がなかったら 仙覚さんの万葉集はなかった 今の活字本の万葉集はできなかった 竹御所の命は 万葉集の中に永遠に生きています

 

4月2日

おはようございます 深夜のこの呟き ほんとに実現させたい その為に仙覚の小説を書いている様なところもあります 竹御所は二代将軍頼家と比企能員娘の若狭局の子 四代将軍頼経の正室になります 源家の血を唯一継ぐ人として御家人たちに慕われ 京にいて崩御の報に接した彼らは急いで鎌倉に帰ったそう

 

昨夜の発見 これはほんとに重大で いつかなんとかしなければならないとわかるのだけれど 論文にはまだ至らない… と悩んでいて ふっと さっき そうだ 夏の学会で発表しよう と思いつきました

 

4月3日

一昨夜だったか発見して学会で発表しようと考えた件 古筆切できっかけを下さった方にご相談したら 発表する価値があると思います とお返事頂きました 古筆切の世界に入るのにあれほどためらったのに いざ入ったらもうこの展開 発表のための応募が今月中旬だからうかうかしていられなくなりました

 

4月4日

おはようございます 写真は金沢文庫本万葉集 古筆切の世界で金沢文庫切という万葉集があると教えて頂いたら その解説に冷泉家本という完全な本があると知って 図書館で借りて見ています 綺麗な筆跡! さっき鎌倉の方からお電話を頂いて しばし古筆切の世界を話してしまいました

 

金沢文庫長でいらした関靖先生の『武家の興學』 Twitterでいつも京都のことを助けて頂いているフォロワーさんから頂きました そうしたら今 古筆切の先生からこの本をお持ちかも知れませんがお送りしましたとメール 沢山の方に助けて頂いています

 

↓RT TVを見ないから西本願寺本万葉集ばかりが写し出されているのを知らなかった 西本願寺本万葉集は尾州家河内本源氏物語と双子のような料紙サイズ共にそっくり同じ写本 それを教えて下さったのが金沢文庫の学芸員さんで 小川靖彦先生がブログにそう書いてられますが どういうことでしょうと

 

私が尾州家本を研究していて それをその学芸員さんが知ってらしたからのお尋ね すぐ小川先生のブログを確認して確かめ そこから尾州家本の研究に西本願寺本万葉集が加わり 源氏物語だけでは行き詰まっていた研究をに新たな展開ができて その過程で私は仙覚という万葉学者の存在を知り 今その小説にとり

 

かかっています 西本願寺本万葉集と仙覚さんの関係は 西本願寺本万葉集が仙覚さんが作った万葉集を底本としているから 西本願寺本万葉集の背後には仙覚さんの業績が厳然としてあります

 

39万のキリ番を撮り逃しました笑 メンテナンスで不具合だったniftyブログ 思いついた時の呟き程度に復活させていたらキリ番に気づき 撮ろうと思ってスマホを出している間にカウンターが一個進んでしまいました

 

都立多摩図書館でコピーしてきた佐々木孝浩氏の『尾州家河内本源氏物語』に関するご論考を ある方にお送りしようと思って探したら 無い と焦って探したら 『源氏物語』の資料の中にありました 当たり前! 金沢文庫本万葉集にかかっているから 『万葉集』の資料の中を探してしまっていたのでした

 

昨日とったコピー これからこれと取り組むのですが さあ どういう展開になるでしょう はらはら

 

最近眠くて 何もしないで早々に寝る日が続いたのにまだ眠くて 日中も疲労感 体力落ちたなあ 研究発表大丈夫かしら と心配しながら でも少しやってから寝ようと 今夜はこうして机に向かったら なんか だんだん快調に 思い出しました 家族との生活優先にしばらく朝型を続けるとこうなるってこと 私は夜型

 

ネットでみつけた「『万葉集』寂印成俊本系統の書式について」をこれから拝読します 昼に冷泉家時雨亭叢書『金沢文庫本万葉集』の解題を読んだから 楽に読めそう (ざっと見て 順が逆だったら 厳しかったと思う) だけど そろそろ一々の事柄を年譜に落とさなければ

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2019.4.4 突然ですが夏に学会で研究発表をすることにしました。

ご無沙汰していました。いろいろあって。経緯を書かせて頂きますね。

ある方から、『尾州家河内本源氏物語』と同じサイズの古筆切があると教えて頂きました。その方は古筆切を蒐集されていて、私が『尾州家河内本源氏物語』の研究をしているのをご存じだったから。

古筆切というのは、古の写本の頁を半分とか三分の一とかに切り取って、その小さな一枚を販売・蒐集する世界です。なので、今はもう現存しない物語が古筆切にはあって、それが国文学者さんの研究の対象に、というようなこともある不思議な世界です。なにより、「古筆」の筆跡が美しい! ほれぼれします。その古筆切をスクラップ帳のように張って冊子にしたのが手鏡です。展覧会でよく拝見します。

その方とのメールのやりとりの中で鶴見大学に「金沢文庫切万葉集」というのがあると知り、金沢文庫は私の歴史研究の原点・出発点ですから関心を持ってそのサイトを拝見しました。

そこにはカラー版のその古筆切と解説があり、解説のなかに「切」という断簡でなく、「本」という刊本の『金沢文庫本万葉集』が、冷泉家時雨亭叢書にあると書かれていました。それで図書館に行って冷泉家時雨亭叢書を借りてきました。

そうしたら、なんと、もしかして? というような『尾州家河内本源氏物語』に結び付きそうな気配がそこにありました。興奮して、これは何とかしなければ!と思い、でもまだ論文を書くほどには資料が足りない、それをしている時間は仙覚さんの小説にかかっている以上、私にはない、と悩んだ挙句、「そうだ、研究発表しよう」と思いついたのでした。発表なら、少しの梗概で済みますし、時間がかかりません。

それで、古筆切を教えて下さった方にその旨をお伝えし判断を仰ぎました。

その方からすぐに、「発表する価値はあると思います」とのお返事を頂きました。

というわけで、昨日から、その発表のための準備にとりかかっています。といっても、まだ資料をコピーするなどの段階ですが。

研究発表のための応募の締切が今月の中旬なので、それまでに見解をまとめなくてはならなくなり、急にうかうかしていられなくなりました。

(校正なしでアップさせて頂きます。済みません)

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