2019.5.31 ツイッターから転載…仙覚の所小説覚書(136)権威に対する怒りの発見とか・・・、タウンニュース鎌倉版令和初日号のことなど
5月29日
おはようございます 昨日の事件 残されたご家族のこと 被害に遭って治療されている方たち 私などが思ってもどうしようもないことだから思わないようにしてもずっと心に重く せめてご冥福をお祈りします とか いつか微笑むことのできる日のこられますように としか呟けないのですが 辛いですね
昨日は城崎陽子先生のご訃報も TLで『万葉集を訓んだ人々』を話題にしたばかり 小川靖彦先生主催の青学と 田中大士先生主催の日本女子大のシンポとの 二回ご講演を拝聴しました まだまだお若いこれからの方と思っていたから驚きました 心して「万葉文化学」を受け止めさせて頂きます
私は今日から来週に迫った小さな発表の準備 『吾妻鏡』の会で年に二回担当がまわってきます 建久二年の項 今日は静かに過ごします
順徳天皇妃立子さんが浮上してわかったこと それは私に欠けていたことで 仙覚さんや竹御所を書くには不可欠だったこと それは怒り 世を呪うとかでなく 根元的に怒りを持っていなければならないんです 人は 私はそうでなかったから 怒りに目覚めて やっと人として一人前になった気分 堂々と怒りたい
権威に対する怒りです 従順だったから自分を責めて悩んだけど 責める必要なく怒るべきだった 今ならそれができる ということは覚醒したんだなあと ということは 覚醒していなかったんですね これでは本物が書けるわけなかった 身を引いて遠くから眺められるようになったからわかりました
昨夜もぶらぶら美術館博物館でモロー展を見たけど 先日の日曜美術館でも言っていたモローは引きこもりだったの言 現代は モローほどの才能もなく努力をしない人が 人として平等とばかりに 自分たちと同じ次元に安易に引きずり落とす言動が当たり前のようになって 絶体に違うのにと とても嫌です
それと 立子さんの浮上でもう一つ 大事なことがわかったのは 苦しみは当事者にしかわからないということ 立子さんが承久の乱で順徳天皇が佐渡に流される運命を背負ったことを認識した時 立子さんなら甥と結婚した竹御所の苦しみをいち早く察し 手を差し伸べただろうと直感しました これは 私が鎌倉の
源氏物語で権威との軋轢で苦しんでいても 身近に接している方たちでさえ どうしてそんなふうに考えるの? と理解して頂けなかった経験があったから 応援はして頂いてもそれは社会的活動であって偉大ですが 本質のところの苦しみは当事者にしかわからない 竹御所しかり 事件の被害にあった方しかり です
私も 立子さんに手を差し伸べて頂いて救われたのかも
そういえば 鎌倉の源氏物語で苦しんでいた時 具体的なことは誰にも言えないから 心境をtwitterで呟いていました そうしたら 何かあったんですかって 鎌倉のある方がメールを下さって その方は国語の教師をされていたから 事象の察知が鋭くいられて 励まして頂いた その方のご訃報を先日頂いて まさかと
信じられない思いをしたのです ロートレックの絵から抜け出したような素敵な方でした 一回しかお目にかかっていないけど 終生忘れないだろう方 心からご冥福をお祈り申し上げます
5月30日
@図書館 発表準備に全訳吾妻鏡を借りにきました 漢文読み下しのための虎の巻 気分転換も兼ねての外出です 立子さんのこともあるから思い出して坂井孝一先生『承久の乱』を探したらあったので 一緒に借りてきました
明日で五月も終わり 令和になってまだ一か月経っていないんですね その間になんといろいろあったことでしょう 令和初日号のタウンニュース鎌倉版 結局鎌倉の知人が送って下さった一枚しか入手できなかったのですが 吾妻鏡の会の方々にと思ってスキャンしました マーカーは知人の引いたものです笑
この記事は 連載していたコラムの中で仙覚さんのことを書いたのを 編集者さんが思いだしてインタビューのお電話を下さったもの 私がしかつめらしく仙覚さんの写本のことばかりにこだわってお話したから 見出しが「学僧・仙覚」 これは嬉しかったです あと 竹御所のお名前を載せて頂いたことも
タウンニュース鎌倉版の記者さんとは三回お電話でやりとり その度に 竹御所 竹御所 と強調したものだから 私の中で竹御所の余韻が居座って それから書くものの中に変化が顕れてきて いまではすっかり竹御所さまが生きてきています そこに立子さんまで 実り多き令和初年五月でした
5月31日
今日は気持ちがワサワサ 諸事をこなしているあいだに どんどん時間が経って メッセンジャー経由の連絡事もやはり私にはまだダメ 古傷が痛みます TLを追っていると気づくこと多く こういうことだったのかと 日々更新して深まる 権威の裏に利権ありだったんですね 利権が絡むと 個人に降りかかるのは非情
という斧 現実に非情な目にあった者でないとわからない世界があり 今まで私はその自覚がなかったから文学をただ文化として美しく捉えていた でも仙覚さんの小説はそうはいかないから 私はそれを実体験させて頂いたと思っています 仙覚さんの小説に昇華させます