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2019.5.31 ツイッターから転載…仙覚の所小説覚書(136)権威に対する怒りの発見とか・・・、タウンニュース鎌倉版令和初日号のことなど

5月29日

おはようございます 昨日の事件 残されたご家族のこと 被害に遭って治療されている方たち 私などが思ってもどうしようもないことだから思わないようにしてもずっと心に重く せめてご冥福をお祈りします とか いつか微笑むことのできる日のこられますように としか呟けないのですが 辛いですね

 

昨日は城崎陽子先生のご訃報も TLで『万葉集を訓んだ人々』を話題にしたばかり 小川靖彦先生主催の青学と 田中大士先生主催の日本女子大のシンポとの 二回ご講演を拝聴しました まだまだお若いこれからの方と思っていたから驚きました 心して「万葉文化学」を受け止めさせて頂きます

 

私は今日から来週に迫った小さな発表の準備 『吾妻鏡』の会で年に二回担当がまわってきます 建久二年の項 今日は静かに過ごします

 

順徳天皇妃立子さんが浮上してわかったこと それは私に欠けていたことで 仙覚さんや竹御所を書くには不可欠だったこと それは怒り 世を呪うとかでなく 根元的に怒りを持っていなければならないんです 人は 私はそうでなかったから 怒りに目覚めて やっと人として一人前になった気分 堂々と怒りたい

 

権威に対する怒りです 従順だったから自分を責めて悩んだけど 責める必要なく怒るべきだった 今ならそれができる ということは覚醒したんだなあと ということは 覚醒していなかったんですね これでは本物が書けるわけなかった 身を引いて遠くから眺められるようになったからわかりました

 

昨夜もぶらぶら美術館博物館でモロー展を見たけど 先日の日曜美術館でも言っていたモローは引きこもりだったの言 現代は モローほどの才能もなく努力をしない人が 人として平等とばかりに 自分たちと同じ次元に安易に引きずり落とす言動が当たり前のようになって 絶体に違うのにと とても嫌です

 

それと 立子さんの浮上でもう一つ 大事なことがわかったのは 苦しみは当事者にしかわからないということ 立子さんが承久の乱で順徳天皇が佐渡に流される運命を背負ったことを認識した時 立子さんなら甥と結婚した竹御所の苦しみをいち早く察し 手を差し伸べただろうと直感しました これは 私が鎌倉の

 

源氏物語で権威との軋轢で苦しんでいても 身近に接している方たちでさえ どうしてそんなふうに考えるの? と理解して頂けなかった経験があったから 応援はして頂いてもそれは社会的活動であって偉大ですが 本質のところの苦しみは当事者にしかわからない 竹御所しかり 事件の被害にあった方しかり です

 

私も 立子さんに手を差し伸べて頂いて救われたのかも

 

そういえば 鎌倉の源氏物語で苦しんでいた時 具体的なことは誰にも言えないから 心境をtwitterで呟いていました そうしたら 何かあったんですかって 鎌倉のある方がメールを下さって その方は国語の教師をされていたから 事象の察知が鋭くいられて 励まして頂いた その方のご訃報を先日頂いて まさかと

 

信じられない思いをしたのです ロートレックの絵から抜け出したような素敵な方でした 一回しかお目にかかっていないけど 終生忘れないだろう方 心からご冥福をお祈り申し上げます

 

5月30日

@図書館 発表準備に全訳吾妻鏡を借りにきました 漢文読み下しのための虎の巻 気分転換も兼ねての外出です 立子さんのこともあるから思い出して坂井孝一先生『承久の乱』を探したらあったので 一緒に借りてきました

 

明日で五月も終わり 令和になってまだ一か月経っていないんですね その間になんといろいろあったことでしょう 令和初日号のタウンニュース鎌倉版 結局鎌倉の知人が送って下さった一枚しか入手できなかったのですが 吾妻鏡の会の方々にと思ってスキャンしました マーカーは知人の引いたものです笑

 

この記事は 連載していたコラムの中で仙覚さんのことを書いたのを 編集者さんが思いだしてインタビューのお電話を下さったもの 私がしかつめらしく仙覚さんの写本のことばかりにこだわってお話したから 見出しが「学僧・仙覚」 これは嬉しかったです あと 竹御所のお名前を載せて頂いたことも

 

タウンニュース鎌倉版の記者さんとは三回お電話でやりとり その度に 竹御所 竹御所 と強調したものだから 私の中で竹御所の余韻が居座って それから書くものの中に変化が顕れてきて いまではすっかり竹御所さまが生きてきています そこに立子さんまで 実り多き令和初年五月でした

 

5月31日

今日は気持ちがワサワサ 諸事をこなしているあいだに どんどん時間が経って メッセンジャー経由の連絡事もやはり私にはまだダメ 古傷が痛みます TLを追っていると気づくこと多く こういうことだったのかと 日々更新して深まる 権威の裏に利権ありだったんですね 利権が絡むと 個人に降りかかるのは非情

 

という斧 現実に非情な目にあった者でないとわからない世界があり 今まで私はその自覚がなかったから文学をただ文化として美しく捉えていた でも仙覚さんの小説はそうはいかないから 私はそれを実体験させて頂いたと思っています 仙覚さんの小説に昇華させます

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2019.5.29 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(135)慈光寺本承久記のことなど

5月28日

『承久記』 読もうとして取り出したのは初めて 何回も試みては失敗していて 必要がきたらと思っていたのが やっとその時がきたみたい 古書店で買って持っていました

 

開いたらこの本凄かった 巻末に慈光寺本が添付されてました しかも詳細な解説まで 従来の説では慈光寺本の慈光寺は 比企のあの慈光寺ではなく 山科のなんですよね 調べたことがあって 私の結論では山科説もそう確かなものではなかった あの論考 『源氏物語と鎌倉』に反映させていたかしら 忘れました

 

(友達に好かれようなどと思わず、 友達から孤立してもいいと腹をきめて、 自分を貫いていけば、 本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる)

恐れずに自分は自分らしくあれという言葉をRTさせて頂いたけど ほんとうにそうすべきだと思う というのがここのところの実感 遠慮してたから 今まで 影響を怖れていたから 今まで だったもの なんかすっかり自分が変わって それで今まで敬意を表してきた権威ある立場も 怖くなくなりました

 

昨日から順徳天皇妃(道家姉)を考えているのですが 彼女も承久の乱によって人生を抹殺された 甥にあたる頼経と結婚した竹御所に対して人より以上の深い理解を持ったと思う 竹御所 彼女を通して京と繋がっていたかもしれない

 

などと 突然降って湧いたように登場した立子さまです で 先の自分は自分ツイートに戻ると そういう強い自覚でもって これからを書き進めたい ということと そうありたい ということ 遠慮してました ほんとうに今まで

 

声をあげなくてはダメ 抗わなかったらダメ 皇后さまの見事なご復活に 心癒されました

 

慈光寺本承久記が片仮名表記で え また~ となっています 仙覚さんの万葉集註釈がそうで 光行さんの原中最秘抄がそうで たぶん光行さんの万葉集がそう と思ったら慈光寺本まで 他にあまり見ない気がするけど 片仮名表記の系譜って なにか意味ある気がする

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2019.5.28 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(134)道家と順徳天皇妃立子さんが加わりました

5月25日

夜の柏葉紫陽花 まだ開きはじめで咲いてません 文学は掘り起こすものってほんとうですね 今日のうちに原稿を手放そうと朝から頑張っていたのに 夜になって突然今まで見え隠れしていた陰のテーマが浮上して これはもう覚悟してかからなければならないと 原稿の送付を見送りました 今日終えて 次に小さな

 

発表をして そうしたら夏の研究発表に向けて専念 の予定が崩壊 6月までかかりそうだから一旦中止して 小さな発表にかかります

 

文学は掘り起こすものって ほんとうにそう 仙覚さんの小説にかかっていくら頑張っても 学術的体質でいるあいだは広がらなかった 文学的体質になったらいくらでも掘り起こしていける 見え隠れしていたテーマ これを入れたら うん 完璧 と思っても また広がるかも 魅力が出てきました

 

5月26日

朝のうちに図書館へ その前に見たTLのある言葉をずっと引きずっていて それを呟いておきます 黄色いベスト運動のことを綴られて文章の中 あいつらに喋らせてはいけない これって 今の諸々の問題の本質ですね こんな人たち発言以来 まさかと思っていたのですが 現代にあってもなお 支配層の意識はそこ

 

現代はtwitterがあるから 少しは声をあげることができる アイドルの方だってtwitterで抗っての今日のニュース 私は鎌倉で何が何だか分からず見えない圧力と闘っていたけど 行政でも業界でも その中の人でない私はいわゆる下級階層民だったんです だから あんな奴に喋らせてはいけない だったんでした

 

今朝 それがはっきりわかって そういうことだったのか とさっぱりしました 文学に根ざしたらそんなことはどうでもいい 仙覚さんの小説に生かしていけるし さあ これからです!

 

5月27日

おはようございます 昨日から道家 仙覚さんの小説に登場させるのですが まだまだだから検証を怠っていました が 突然閃いて必要に 先日の原稿送付見送りになった件です で 図書館で借りてきた本を拝読しています 道家の姉立子が順徳天皇妃 頼経の叔母になるんですね 立子さん 深まりそう

 

ずっと学術的体質で仙覚さんを追っていた時には全然動かなかった原稿 伝記にしかならないからつまらなくて 文学的体質に戻ったら華が出てきて動き出した と思ったらまた立子さんという女性 承久の乱の時仙覚さんは19歳で 頼経はまだ4歳 竹御所も19歳です

 

もうひとつ 昨日から気になっているのが慈光寺本承久記 この慈光寺本にだけ佐渡に流された順徳院と道家の長歌の贈答があるんですよね 誰が取次いだ? ということより 慈光寺に近い仙覚さんと承久記 その関係が気になっていたのを思い出しました このあたりを膨らませたら面白いと思う

 

メモ: 承久の乱の年、仙覚19歳(16歳で上洛) 竹御所19歳(28歳で将軍頼経と結婚) 九条道家29歳(将軍頼経の父) 立子30歳(道家の姉・順徳天皇中宮) 順徳天皇25歳 後鳥羽上皇42歳 頼経4歳

 

(ものの見方を変えることで、世界ががらっと変化する、ということはさまざまな作家、思想家が言っている。世界の見方を変えるようなメガネが欲しい…。)

 

村瀬憲夫先生『万葉びとのまなざし 万葉歌に景観をよむ』素敵な内容のご本です 『承久記』を取ろうとしたらその上の棚にあって (『万葉集を訓んだ人々』の隣) そうっか また拝読してみようかしらと 仙覚さんも浸った世界ですものね

 

『承久記』 読もうとして取り出したのは初めて 何回も試みては失敗していて 必要がきたらと思っていたのが やっとその時がきたみたい 古書店で買って持っていました

 

開いたらこの本凄かった 巻末に慈光寺本が添付されてました しかも詳細な解説まで 従来の説では慈光寺本の慈光寺は 比企のあの慈光寺ではなく 山科のなんですよね 調べたことがあって 私の結論では山科説もそう確かなものではなかった あの論考 『源氏物語と鎌倉』に反映させていたかしら 忘れました

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2019.5.26 ツイッターから転載…日々雑感 東博東寺展真言七祖像のこと、権威との闘いだったことなど

5月24日

おはようございます 昨日の東博東寺展の印象が今もずっしり応えています 時間がたつにつれ 入館早々展示されていた真言七祖像に撃たれたのが大きかったかと 狭い通路でガラス越しに接するばかりに通りながら拝観した七祖像 そのお陰で名号や行状文の文字をまじまじ見ながら不思議だったのですが

 

今 検索でみつけたご論考でその意味がわかりました 明らかに空海の書とは別の書体は嵯峨天皇だったんですね それから七祖像の年代順がばらばらな謎も 空海が唐より請来したのは五祖で 最後の二祖は空海が日本で加えたものとか 立体曼荼羅にばかり話題が集中していたので この七祖像は衝撃でした

 

加藤詩乃氏「東寺所蔵『真言七祖像』の再検討―その名号及び行状文の執筆者をめぐる問題について―」 http://www.bijutsushi.jp/c-zenkokutaikai/pdf-files/2016-5-27-08_kato.pdf …

 

昨日は嬉しいことがありました 先日 この牡丹の花の切手綺麗! で欲しいと呟いたから 鎌倉の方が送って下さったのです 金沢文庫のチラシと一緒に 牡丹の切手 金色に縁取られてますます綺麗 80円切手は便利だから欲しかったのに これでは勿体なくて使えません 大事にとっておきます 感謝多謝です

 

スマホを出したついでに スマホで撮った昨日の帝釈天様を スマホ(デジカメ)は簡単ですね 一眼レフではISO感度を合わせたり 久々だから四苦八苦している間に皆様がどんどん撮ってらっしゃる しかも画面いっぱいに 私もそれでスマホに切り替えて撮りました 帝釈天様はこちら側からのお顔がいい気がします

 

5月25日

おはようございます 家人が持ってきてくれたチラシ 原三渓コレクション展@横山美術館 この孔雀明王像 拝観したいですね

 

昨日 城崎陽子先生『万葉集を訓んだ人々』をTLで見たので 出してみたら ここにすでに『金沢文庫本万葉集』が載っていて マーカーまで引いてある! 古筆の先生に教えて頂いた時初めて知ったと興奮して それで研究発表にまで進んだのになんていうこと! と呆れています 当時はまだ時宜でなかったんですね

 

昨夜夜道を歩いていてふっと気づく 私が戦ってきたのは権威だったのだと 行政とか業界とか 思い出せばお名前やお顔が浮かぶ個々ではなく 権威ある立場が容易に個人を潰そうとかかってきたことなのだと 私は新人賞を受賞した時に一度潰れていて立ち直るのに何十年とかかったから 今潰れたら余命が

 

ないのは必定とばかりに頑張ってきました 初めてだったらとっくに潰れていたでしょうね と こんなことを呟くのは昨今の出版社問題&国会の政治問題が みんな 権威ある立場が容易に個人(国民)を潰そうとかかっているのを日々TLで見ているから 抗わなっかったら 潰れます 容易に個人は

 

私の鎌倉の源氏物語と仙覚さんの問題は ある意味 それくらい命がけの戦いでした(はじめてだったら倒れてます 新人賞受賞のあとは一年間通院しました) と こんなふうに呟けるのも やっと掴んだから やっと文学の本質にたどり着いて もうなにをどう言われても怖くない次元にきたからです

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2019.5.24 ツイッターから転載…仙覚の小説覚書(133)敗者の想像力 & 日々雑感、東京国立博物館の東寺展に行くなど

5月22日

おはようございます 睡蓮の庭の写真添付が楽しみになったツイートです 美しいっていいですね! TLで美しい写真をたくさん見せて頂いて それで感性をふくよかにして頂いて でも自分は穴蔵生活真っ最中 でよかったのですが 同じTLで睡蓮の庭を教えて頂いたら これは行こう! となりました

 

私の書くものは鎌倉時代の仏教や学問をする男性諸氏がメインだったから 史跡には色がないし 男性諸氏には華がないし で私のTLの殺風景だったこと! 諦めていたのですがRTでTLを飾らせて頂いたら自分の感性が変わりました そうしたら なんと 執筆の感性までがふくよかになって… 視覚って大事

 

ここだけの話(って 何がここだけ?) 気分に妖艶さまで出てきて(ギュスターブ・モローの影響大) 原稿に妖艶さが加わって 大変化 氷川きよしさんの本性出してきたツイートがありましたが そうありたいです!

 

(沼野充義氏「加藤典洋は「敗者が敗者であり続けているうちに…生まれてくるだろう想像力」を、「敗者の想像力」と呼んだ。自分自身が敗者であるという経験と自覚を通じて手に入れられる「ものの見方」にこだわった人だった」)↓

RT 沼野充義氏による加藤典洋氏論 敗者の想像力とは【つまり自分自身が敗者であるという経験と自覚を通じて手に入れられる「ものの見方、感じ方、考え方、視力」のことだという】 ……そうっか、これが仙覚さんの万葉集への立ち位置かと 敗者の極みの仙覚さん 読んで頂きたかった

 

先ほどの沼野充義先生による加藤典洋論の敗者の想像力 成る程と思ったのですが 敗者であることによって抑圧された感性が研ぎ澄まされた想像力になるってこと 今まで私は単に苛酷な運命に耐えられたのは万葉集があったから だけの論理で考えていたから ぐっときました(感じてはいたけど言葉にまでは)

 

5月23日

おはようございます 今朝 勝ち得たんだなあとしみじみ 勝つとか敗けるとか好きでないけど こと鎌倉の源氏物語と仙覚さんのことでは 見えない圧力と諸々で十五年も戦ってきたから 昨日 その集大成的手応えを得ておのずとこの言葉になったのだと思う ほんとうに長かった ここにくるまで

 

まさか 鎌倉の源氏物語をはじめて万葉集に至り 仙覚さんの小説を書くことになるとは 夢にも思っていませんでした(鎌倉の源氏物語で 光行さんの小説を書こうとは思っていましたが・・・) 文学は個人の思惑を越えて向こうからやってくるもののよう

 

今日はお出かけ なにもこんな日にと思わないこともないけれど 相手の都合もあることだから仕方ない 今は時間待ちでPCを開きました 集大成したことにかかりたいけど 来週ひとつ発表を控えているし それが終わったら研究発表に向けて専念しなければならない いったいいつになったら… です

 

@東博 ユリノキの花が咲いていました そういう季節なんですね

 

西美ではモネの睡蓮予告

 

そういえば 東寺展は70分待ちでした

 

東博東寺展から帰って休息していました 感慨をなんとまとめたらいいか 仁和寺展も運慶展も 同じように素晴らしかったのに 今回は感慨が別 カルチャーの規模でしかないけど 一時期密教に傾倒していた私には 後七日御修法の壇とか真言七祖とか 畏れ多くて こういうことってしていいのかしら と複雑でした

 

行く前と帰ってからと全然気持ちが違う 行く前は帝釈天様を撮らせて頂けるのだからと いそいそと一眼レフを用意し 運慶が円城寺大日如来像の制作に魅入ったという菩薩像をよく観ようと力んでいたのに 再現されている空間を通っていたら厳かな感慨が込み上げて 気持ちがしんと静まったままです

 

やはり言葉にできないけど 空海のいた密教空間 今も東寺で引き継がれている空間 それは凄いし 素敵でした 密教は血脈という その血脈を感じたのかも 支離滅裂ですみません

 

畏怖しながら撮らせていただいた帝釈天様@東博東寺展 PCに取り込みながら魅入ってしまいました 二枚アップさせて頂きます 今まで全体像でしか眼に入ってこなかったのですが 一眼レフ効果でこのようなお顔が この深い思索のお顔はなんでしょう・・・

 

写仏を習っていた時を思い出してしまいました 写仏はほんとうに眼の表情が難しかった・・・

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2019.5.22 ツイッターから転載…日々雑感、西武百貨店池袋店空中庭園【睡蓮の庭】に行きました

5月19日

終日原稿に向っていたから思考が浮世離れ TLで世の情勢と繋がっているから社会から離れている気がしないので というか 家族より情勢に詳しかったりするのに 家族とのコミュニケーションに支障 キミ 大丈夫? など真剣に心配されます 原稿に入るとこうなのはもうずっとなのに馴れてくれません笑

 

5月20日

夢のようでした お天気が下り坂なので早いうちにと頑張って出てきました TLで見てこれは行きたいと思ったのです 西武百貨店池袋店 空中庭園モネの睡蓮の庭 もう満足で これ以上薔薇やガーデニングを追わなくていいくらい

 

久しぶりに一眼レフを持って出ました 重い荷物で目眩がしてからもう使えないと思っていたのですが 最近大丈夫になった気がしていて 何より スマホで撮るのと一眼レフでは大違い 着地感が確かだから 今日だけでも一眼レフで撮りたかった(これはスマホです)

 

池袋は小川町に通っている時に東武東上線に乗り換えた駅だから ふっと乗って行ってしまいたくなる 久々にかつて通っていた頃の駅構内のカフェスタンドでお昼してきました

 

北発生の午後の雲 東の空の雲がいつもと違う感じがしてスマホを向けたら 北までターンして見るはめになって そうしたら北から発生している形状がくっきりに

 

加藤典洋氏のご訃報 新人賞受賞式のパーティーであちらから寄っていらしてお声かけを頂きました 批評的なお話でなくご感想でした 日記を書いていたら文章で残っているのでしょうけれど 今は忘れて いい と仰って頂いたような ずっと静かな自信になっていました 心からご冥福をお祈り致します

 

5月21日

今日の初投稿 昨日の西武百貨店池袋店9Fの空中庭園【睡蓮の庭】から睡蓮の写真をお届けしますね PCに取り込んで見ているのですが ほんとうに眼の覚めるよう 久々の一眼レフ 前に撮った写真が消去されてなくて 見たら 昨年3月の桜が咲いているのに雪が降った時 そんなに長く使ってなかった!

 

しばらくこの睡蓮の庭の写真を添付しながらツイートさせて頂くかも(それくらい私的に満足だし ご紹介したい美しさ)

 

昨日の加藤典洋氏のご訃報以降 なにかを思い出して私のなかで蠢いているものがあって それは昨日明確になっただけで ほんとうは突然原稿にかかってしまったその原稿から発信されているもので それがなんなのかわかっているけどわからなくて… みたいなところに今います 変わったんですね 自分が

 

詩を読みたい パウル・ツェランとか 誰でもない者の薔薇 とか

 

睡蓮の庭には柳が不可欠と思い とにかく最初にこのショットを頑張って収めました でも長く一眼レフを使ってなかったから 絞りがF5.6になっているとわかっていて変える仕方を思い出せなくて そのまま撮ったから柳にピントが合ってません笑 機械オンチで 一瞬 あれっ 電源どこだったかしらなど

 

妄想が文学には不可欠 といったら弊害あるけど 私の場合は研究と文学をいっしょくたにいっぺんにしてしまったから どっちかにつくとどっちかににらまれる(笑) 戦いの日々でした だから精神も委縮して気は強いのに飛翔ができない と そんな状況だったのを ここにきて突然抜けた気がします

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2019.5.19 ツイッターから転載…日々雑感 仙覚さんの小説構想にかかって研究発表の準備を中断しています

5月16日

写真を整理してたら 地元で撮ったネモフィラがありました アップしてなかったと思うので

 

ほんの小さな舗道の一画なのですが 地元で撮れるなんて! と夢のようでした

 

字数制限○○字 とあると今までちょっと苦労していたのですが ワードを原稿用紙設定にして使うと原稿用紙何枚とすぐわかる それで打って読み直すのだけれど とても読みづらい それで原稿用紙設定をはずしてふつうの文章で読んだら推敲がすらすら と 最近こんなふうな原稿の打ち方をしています

 

5月17日

おはようございます 雪の下が咲いていました TLの方々に倣って活けてみました こんなこともTwitter効果 世の厳しい現実を突きつけてくるのもTwitterですが 自分独りの世界にはなかった豊かさに眼を向けさせてくれるのも Twitterです

 

昨日 蹴鞠の方から嬉しいご連絡を頂いたのですが それで思い出したのが中断している「花の蹴鞠」 仙覚さんの小説に取り込むことにしているのだけれど 忘れそう それに気づかせられたお知らせでした 承久の乱の時 雅経は最晩年 仙覚さんと会っていると思います 為家が蹴鞠をしているから

 

頂いたお便りの切手 牡丹のこの切手綺麗で欲しい 80円切手だから随分前の発行 でも80円というこういう消費税の端数がない切手って 結構便利ですよね 最近は切手を貼るのに計算器がないと困ること多いから

 

5月18日

おはようございます 今洗っていて気づいたのですが これ 花瓶ではなくピッチャーだったのですね 柄がついているし注ぎ口も 吉祥寺ヨドバシが近鉄百貨店だった頃 よく作家さんの試作品みたいな工芸品を廉価で販売していて ガラスの花瓶を2、3個買った時の一品だから てっきり花瓶とばかり思ってました

 

でも これからも花瓶として使います 昨日までカラーを活けていました こういう茎の長い花に便利です

 

それにしても 近鉄百貨店だった頃の生活の優雅だったこと! 京都に行かなくても京都小路という一画があって 湖月とか京の名産品が日常に手に入りました 二階のワンフロアは和紙やそういった趣きある品々を揃えていて 料紙好きな私の趣味はそこで培われました 今は吉祥寺の街全体が風情から遠いです

 

休日の吉祥寺 街はバンドが出たり賑わって 私は人混みの合間を縫ってあてどもなくぶらつく 次に書く文章の冒頭が湧いてくるまで 家にいるとどうしても日常に引きずられてしまう 義憤も悲憤慷も薄らいでちっとも浮かんで来ない そんな時 吉祥寺に出てきます

 

5月19日

おはようございます 昨日は高遠先生のプルーストの会だったのですね TLで拝見しながらそういう華やかな世界に出て行かれない自分を寂しく思いながら こういう時いつも 仙覚さんの運命がそうだったのだと 仙覚さんの気持ちを追体験している思いに捉われます 仙覚さんはずっと世の中をそう見て生きたと

 

それにしても ここのところずっと仙覚さんにかかって「文学」をしてるから 感情が物凄いゆたかなのですが 同じ年に生まれて一度も相見ることなかった二人が 一方の崩御でもう一方が呼ばれて菩提を弔う ってなんか凄いですよね 仙覚さんと竹御所のことです そしてそれが万葉集に繋がったなんて

 

私は仙覚さんをやってなかったら絶対に政治には眼が向かなかったしTLに政治ツイートをRTして流すなんてことは絶対にしなかった 仙覚さんの苛酷な人生が政治情勢によってもたらされたものだから 現代の世の中にも眼を向けるようになった かつてのシナリオの師の言葉「大切なのは洞察力」を終始胸に

 

文学は感性 とばかり思っていたから180度の転換です 目覚めた感じで仙覚さんに感謝 シナリオの師というのは東宝の企画部長だった方 もう亡くなられているけど最近よく思い出します

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2019.5.16 ツイッターから転載…研究発表に向けての備忘録的雑感(25)

5月15日

おはようございます 白薔薇が咲いていたのを落ちていた花びらで知りました 見上げるとやはり一輪 手入れを怠ると蔓薔薇だから高いところに咲いて見逃すことがよくあります 文学に籠ることなかった以前は きちんと咲き初めから見てあげられたのに泣 もっといい写真があればいいけど過去写真です

 

研究発表のための調査を中断してべつの原稿にかかっているのですが 発想の転換で起こった構想の転換 すっかりのめり込んでいます こうしてみるとやはり文学は体質の問題 研究は小説の骨子と背景のためのものだったけれど 研究を続けているかぎり文学体質から遠のく を実感 もう戻りたくない…

 

もう少ししたらもう真剣に研究発表に向けて取りかからなければならないのだけれど 今ようやく勝ち得たこの文学体質 放り出したくないです 夏の発表が終わったら もう研究には手を出さないでおこう・・・ などと思うのですが・・・ 写真は昨年撮った桐の花 図書館に行く道にて 今頃ですね

 

そういえば令和について 先日の吾妻鏡の会でのこと 歴史の方々は吾妻鏡などで「令」を命令として読んで というよりそれしか読めないくらいに馴染んでいるから 令和 に対してよくない思いを抱いていられる 皆様が… 私は国文学と史学の両方にいるから 麗しいほうの説明をしても反論ばかりでした

 

野いばら? 自信ないのですけど そうですよね 野の花はお店にある花と違って名札がないから自信ないままずっと 玉川上水べりに咲いていました 小さな蕾がピンク色 可愛いです

 

5月16日

おはようございます 昨日の玉川上水べりの野ばらです TLで皆様が大きな花木を見上げて撮ってらっしゃるのが羨ましくて そういう環境にないものですから この野ばらが見上げて撮れるのに気がついて 嬉しくなって 何枚も撮ってしまいました笑

 

白薔薇の救出 朝から木香薔薇の枝切りを 咲かないなあと思っていたら もう咲いていて 散った花びらで知った落度 木香薔薇の繁みで日が当たらなくなっていたのでした 原稿に没頭するとこの始末 つくづく園芸失格と思います 蕾が一個折れてしまってショック 水に挿したけど咲くでしょうか

 

初めて手にするタウンニュース鎌倉版令和改元特別号 一面トップでインタビュー記事を載せて頂いているのに 記者さんからも何処からも送って頂いてなくて 今日鎌倉禅研究会でお会いしてた方から届きました 入手されてると思いますがとのお手紙付きで マーカーまで引いて下さって お心遣いに感涙です!

 

記者さんに一報すれば送って頂けるとわかっていて 私は向こうから来ないものは縁がないものと思って深追いしない質だから ずっとこのまま入手できないのかもと思っていました 執着はないけど 拒否しているわけでないから こうやって届いた人の心の温かさにはやはり嬉しくじんときます

 

タウンニュース鎌倉版令和元年特別号の記事 何が嬉しいって 竹御所 の名前を載せて頂いたこと 竹御所の生涯がなかったら 仙覚さんの万葉集はなかった でもこの史実を重要視される方はほぼ皆無だから 記者さんとのやりとりで しつこくしつこく言いました 竹御所様、良かったですね

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2019.5.15 ツイッターから転載…研究発表に向けての備忘録的雑感(24)

5月12日

おはようございます 仙覚さんの小説は日本版『薔薇の名前』といってもいいスケールと内容を備えているのに 元号が『万葉集』出典の令和になってもまだ小説化が進まない それは仙覚さんの生涯が今まで謎に包まれていて その生涯を描くための謎の解明が終わらないから でも焦っても無理は無理と諦め

 

ているので全然自然体です 昨日 久しぶりに『薔薇の名前』のことを思い出して呟きました エーコ 久しぶりに読んでみようかな 小説の森散策

 

普通に歴史小説として書くなら仙覚さんの生涯は解明できているから もう2,3年前から執筆にかかっていたのですが 私は仙覚さんの万葉集研究の実態を描くこと=万葉集を主人公に描くことを目指しているので それがまだ 夏の研究発表もその一端です

 

ちょっと別の角度から竹御所と仙覚さんを考えてみたら まったく違った視点の小説構想が浮かんでびっくり 研究にあまりに長く全身全霊を込めていたから 成果を放棄しかねてがんじがらめになっていました それが突然目に見えるようにわかって 開眼

 

5月13日

月一回の例会 先月は新元号令和が発表された日 まだ1ヶ月なんですね 日々の進展の速さに というのと同時に遅さに なんか気持ちがついていってません

 

例会の帰りの車内で見たTLに 西本願寺本万葉集 の文字が溢れていて いったい何が起きてるの? と訝ったのも記憶に新しい というか 遠い過去 のようでもありです

 

昨夜の晴天の霹靂のような小説構想の転換 研究は仙覚さんの小説の骨子を作るためで 肉付けのためでもあり と思っていたから 研究を切り離して考えることができなかった それで行き詰まってばかりいたんですね 昨夜の違った視点から見たら 全然違う構想が の続きで なんと 西本願寺本万葉集が消えました

 

私の研究はこの西本願寺本万葉集と尾州家河内本源氏物語から始まったから これを書かなくするなんて まさに晴天の霹靂です こんなことが起こるなんて

 

籠っているから 会話についていけなくて 喋っても滑舌の物凄い悪さ 出会い鼻ににこにことありがとうとお礼をいわれて何だろうとわからなかったのですが 思い出しました 遠隔複写でコピーをとって送って差し上げたのでした 思念がもうすっぽり仙覚さん世界に入っているから たぶんもうずっとこんなです

 

今日は吾妻鏡の日だったのですが 会員は永原慶二先生から佐藤和彦先生にと学び 古文書も読める強者の方ばかり そんな中で私は孫みたいに見守って育てて頂いてきたのですが 今日痛切に感じたのはTwitterをしていないと史学界の動向に乗り遅れるということ これはもう埋められないなあと愕然

 

5月14日

おはようございます 昨日からなぜか僥倖という言葉が浮かんで 私はそれを幸福の難しい用語程度に思っていたのですが ふっと ほんとかなあと疑問が生じ 調べたら幸運を願い待つことと 有島武郎「生死の境の中に生きることを―しなければならない運命」の用例があって 凄い語なんだなあと感服

 

テイカカズラ? ってこれでしょうか 最初 スイカズラと間違えて覚えてから自信なくて笑

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2019.5.12 ツイッターから転載…研究発表に向けての備忘録的雑感(23)

5月10日

おはようございます 懐かしい『原中最秘抄』 どういう事情でこの本に行ったのか忘れましたが 大学院の聴講生になって二年間携わりました 私の光行さん研究(鎌倉の源氏物語)の原点です とにかく片仮名表記が煩わしかった その光行さんが万葉集の片仮名訓本に関係しそうなので驚いてまた出して見ています

 

平成22年の竹柏園本万葉集展示会のリスト 西本願寺本万葉集が出ているときいて行ったのですが No.7の古葉略類聚鈔が親行筆かというので気になっていました 左側の汚い書き込みは見ながら写した花押です笑 この古葉略類聚鈔が片仮名訓本だということを田中先生のご論考で知って 改めて出して見ています

 

それにしてもこのリスト いつか何かの時に役立つ気がして 無くさないよう大切に別扱いでとっておいたんですよね 不思議

 

電話ボックスがここにあること 覚えておこうと思う@吉祥寺 コピス前のこの通りをペニーレインといいます ロフトのある通りです

 

5月11日

おはようございます ヘビイチゴ 紅い実が可愛いですね ヘビも食べる苺? 幼稚園帰りの女の子がママと一緒に摘んでいて 食べられるの? とママに聞いていました 人も食べられるのだったかしら

 

『原中最秘抄』を出したら これが一緒に出てきました(左) 文永三年の北条実時の奥書 右は尾州家本の夢浮橋巻末の奥書 文永三年のこのコピー とったことも忘れてました TLにあったけど 資料は時を経て自分が深まってから見るとまた違うものが見えてきますね

 

@吉祥寺 今日は出てくる予定なかったのに 昨日買った土鍋の蓋が割れていて交換に 交渉事の苦手な私は気が重いのに 家族は当然の権利として大丈夫だよと ビジネスの世界で生きた人と ずっと穴蔵生活だった人との違いはこんなところに出ます 私だって 文学世界では堂々とできます!笑 休日の吉祥寺は混雑

 

文化園の仔リスちゃん 帰りにまた寄ってみようかと思うのだけれど 先日行った時は連休中だったし無料日だったから リス園は初詣の参道並に人の列 リスちゃんたちも降りて来ません 前に行った空いている状態だと 寄ってきて脚に上られたりくるくる可愛い 休日の今日も混んでいるでしょうね

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2019.5.10 ツイッターから転載…研究発表に向けての備忘録的雑感(22)

5月9日

おはようございます 突然経路が見えて思い立ったのが応募締切直前で とにかく申込み それから考え出したような見切り発車の研究発表 でもそれにかかる前に溜めていた資料をこなし それから発表準備にかかろうと思って始めた田中大士先生のご論考拝読 なのにそれが発表の思いがけない展開を示唆し

 

てくれはじめて やはり ずっとやっていた鎌倉の源氏物語と万葉集のことだから 地下茎のように深いところで繋がっていて 研究者さんも含めて私たちの眼にみえなかっただけなのが 田中先生の丁寧な解きほぐすようなご研究の成果が端緒となって見えてくる気がします 突然 本気モードになりました

 

仙覚さん研究を始めた最初の最初にとっていた西本願寺本万葉集のコピー 今になってまた見ることになるとは! 田中大士先生のご論考にある片仮名訓本です 二枚目は平安時代写本の平仮名訓本 一目瞭然の違いがやっと把握できました 文章で読んではいたのですが意味の深さを知ってなのですね

 

嫌なことを思ってしまいました この流れでいったら論文を書くはめになる… もう論文は書かないと決めたのに 発表が8月 論文に9月か10月いっぱいかかるとして… 仙覚さんの小説がどんどん遠く泣

 

それにしても 光行さんと仙覚さん 似ているなあとつくづく思います たまたま鎌倉の源氏物語と万葉集を調べていて出逢った そのそれぞれに関わった人 というだけの関係だけど 写本に打ち込む姿勢がまったく同じ 学問って そういうことなのでしょうね

 

源氏物語古筆切の世界に戻りました こちらはこちらですることに考えることいっぱい 落ち着いたらノートにまとめつつ思考を整理します

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2019.5.9 ツイッターから転載…研究発表に向けての備忘録的雑感(21)

5月8日

おはようございます ほんとうはもう源氏物語の古筆切にかからなければならないのですが 連休疲れで万葉集の田中先生のご論考をまだ読み終えられなくて後一本 これからかかります 今はまだ関係が遠いけど きっと最後に一つになる 研究発表はそれを目指しています 写真は以前撮った梅花ウツギです

 

坪野哲久師 福島泰樹先生主宰短歌結社月光の会『月光』の今号が没後30年特集 ということで 季刊月光創刊号の巻頭インタビューで同道して撮らせて頂いた師のお写真が再掲されていました 遺影となってしまったお写真です もう30年も経つのですね 曼珠沙華のお歌も懐かしく

 

ふと紹介させて頂こうと思ったのは 坪野哲久先生のこのご風貌が 執筆中の仙覚さんの小説の玄覚のイメージだからです ジョルジュ・ブラッサンスの仙覚さんと 親子とするにはあまりに違う風貌 そこに意味があります 師は東洋哲学をなさる方でした 玄覚にぴったり

 

ウィキより ジョルジュ•ブラッサンス

 

長い長い旅をした気分で感動 国会図書館遠隔複写で得た田中大士先生のご論考8本は 写真の『美夫君志』掲載のご論考に至るまでの系譜 美夫君志掲載のご論考は拝読していたから その実証の旅でした 拝読したのはもう三年前 私もここまで深まってなかったから今にしてわかるの部分が大半 そして うろ覚え

 

だったけどやはり確かだったのは こんなところに源氏物語の光行さんが重要人物として関わってくるんですよね 旅の終わりは光行さん! という二重の感動でした つまり 源氏物語の光行さんが仙覚さんの万葉集に影響を及ぼしていたと (こんな関係あり得る? って思ってしまいました)

 

早春みたいな寒さ お花さんたちも冷たい風に揺れながら頑張っています

 

忘れないためのメモ: 光行さんが平仮名訓だった忠兼本を書写する際に片仮名訓にしたとして どうして光行さんがそんなことを と考えたら思い出しました 『原中最秘抄』 これが片仮名で私には読みづらく不満だったけど 光行さん 片仮名がお好きなのでしょうか・・・ これが河内学派と何か関係?

 

今まで注意して見たことなかったけど 万葉集の美しいあの平安時代の古い写本はみんな訓が平仮名で書かれているんですね 田中先生のご論考は鎌倉時代になって現れた片仮名訓の写本に関するもの その平仮名から片仮名に転じた一例に光行さんが関わっていると拝読して 気になりだしたことがあり 調査開始

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2019.5.8 ツイッターから転載…研究発表に向けての備忘録的雑感(20)

5月6日

先ほどの方のメールの閉じは 「お互い世を捨て最後の仕事に専念しましょう」 こういうことを共有できるお相手のいることの幸せ

 

深紅のツル薔薇の蕾 開くと大輪です

 

連休中に国会図書館遠隔複写で得た田中大士先生のご論考を読み終わりたかったので ひと息ついたこれから一気にかかります( 連休中のなんと疲れたこと! やっと自分の時間) それにしても楽しいです この一連のご論考の年代順の拝読

 

仙覚さんがどんなふうに幾種もの万葉集写本を借りたりして得て どんなふうにして自分の万葉集を作り上げていったかの 人脈的動向はつかんだから 田中先生のご論考でそれをどんなふうな様子で机に向かっていたかの情景乃至心境が浮かび上がる その楽しさです

 

田中大士先生「万葉集片仮名訓本と仙覚校訂本」より: 仙覚は校訂に際して、訓が従来の伝本にあるものか、自らが考案したものかについて厳密に区別を行っている ← こういうところにゾクッときます 仙覚さんの姿が見えるよう

 

5月7日

おはようございます 大輪の深紅の薔薇 咲き始めの姿が好きなのですが見逃しました 薔薇は手がかかるから好きだけど植えないと女優の河内桃子さんが言われてたのが心に残っています 私も生垣に憧れるけど無理 昨日アップした蕾はまだ蕾のままです

 

ロフト@吉祥寺に来ました システム手帳の復活でカレンダーのレフィルを買いに 研究発表することになったので締切等の見落としが起きるといけないから 発表用のメモや資料を一括してシステム手帳にまとめました 持ち歩くと重くて目眩になるので止めたのだけど大丈夫そう 健康になったんだなあとしみじみ

 

スケジュールはスマホで管理してたけど システム手帳を復活させたら 今までもなんとなく使ってはいたけどいい加減だったので 筆記具もなにをもってきても決まった感じがなかった なのに カレンダーのレフィルを買ってセットしたら気分がピンとして これはもうモンブランでしょとなって出しました

 

で、早々にスケジュールを書き込んで ひとまず五月末締め切りという電子データの送付を済ませました

 

アヤメでしょうか 毎年悩みます

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2019.5.6 ツイッターから転載…研究発表に向けての備忘録的雑感(19)

5月4日

おはようございます TLは藤の花の写真で溢れています 一生分の藤を見た というツイート そんなふうに藤に浸りたい! と憧れる思いと逆に私は仙覚さんの小説のためのご論考拝読の穴蔵の中 TLであでやかなこの世と繋がらせて頂いています 感謝です

 

田中大士先生のご論考は 仙覚さんがどの本を見てご自分の万葉集を作ったか というその本をあぶり出そうとされるもの それで 複数の万葉集の写本から 訓の付け方などの特徴を分別して 仙覚さんの作った写本と照合されています それが私には仙覚さんが訓を施す実際の映像となって浮かび上がります

 

仔リスちゃんに会いに文化園 入る予定ではなかったのですが 通り道で無料の看板につられて 走り回るからとてもスマホでは追えなくて この写真が一番可愛い目に写ってました笑

 

こんな感じ

 

とどまっているときは撮れますが

 

井の頭公園に隣接する文化園 リスの小路の近くに小さな遊園地があります 小さなメリーゴーランドも

 

駅ビルにいて出ようとしたら 外はどしゃ降り 駅ビルの通路は雨宿りの人でいっぱい 私も雨が止むまで待機です@吉祥寺 リス園ではあんなに晴れていたのに

 

5月5日

日曜美術館 ギュスターヴ・モロー 観ました (言葉にすることで失うものってあるんですね)

 

やっと垂れ下がる藤の花房を観ることができました 昨日仔リスちゃんに会いに入った文化園で 小さな藤棚でしたが私には今年の貴重な藤棚 GWも終盤 やはり疲れますね なんだか笑

 

TLでパリに住む方々のお写真で藤の花が玄関や窓を飾っていたり 塀を這わせて塀から花房が垂れ下がっていたり なんか日本と違うと思っていたら 今日やはりTLであちらでは壁面を這わせる風習があると 日本の藤棚と風情が違う訳ですね それなら我家も這わせてみようかしら など考えてしまいました

 

お近くの家では何軒か庭に藤棚を造られたのを見ていますが あまりに成育がいいからすぐ諦めて藤棚ごと伐採 一軒も残っていません 我家で壁を這わせたら 石造りのあちらの国の家々と違い 壁が耐えられないと思う

 

5月6日

いよいよ冬籠りならぬ仙覚籠りをされるようですね。仙覚のイメージは〇〇さんとか、同氏に対する何よりのご供養と思います…と比企の方からメール タウンニュース鎌倉版令和初日号をお送りした際に 鎌倉ではこれからだけれど私はもう普及活動は止めて籠ります とお伝えしたことに対してのお返事

 

仙覚さんのイメージはずっと前 CDジャケットにあったジョルジュ・ブラッサンスを見て この人! と思って人物像のモデルにしていたのですが 比企の〇〇さんは凄く似た方です お世話になっているうちにそれに気づいて 仙覚さんゆかりの方でもあるし と思っていたら急逝されて 私も供養と思います

 

写真は以前訪ねた比企の慈光寺様にて 慈光寺様の麓に晩年の仙覚さんが『万葉集註釈』を成した小川町があります おそらくしょっちゅう仙覚さんは登っていただろうということで 私も小川町ルートでの登攀を試みたかったのですが 体力的にもう山登りは無理と諦め 反対側からは車で登れます

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2019.5.4 ツイッターから転載…研究発表に向けての備忘録的雑感(18)タウンニュース鎌倉版令和元年1日号に学僧・仙覚さんが紹介されました

5月3日

おはようございます といってもじつは徹夜明け 鎌倉の方から令和元年1日号のタウンニュース鎌倉版の写真がメールで届きました 先日TELで記者さんとお話した件の号です 仙覚さんの妙本寺様境内での万葉集研究 核心をついた記事にして下さいました ほんとうに仙覚さんの功績あっての万葉集の鎌倉

 

写真の阿見みどり先生からメールで頂きました 仙覚さんの小説 楽しみに待っています と添えられて (阿見先生は穏やかで優しい方なのですが 強引で笑 私は鎌倉の源氏物語で終わりと思っていたのに 「次は万葉集ね」と その一言で万葉集研究に踏み込むはめになり 今に至っています)

 

おはようございます という時間ではないけれど笑 昨夜田中大士先生のご論考を夜明けまでたっぷり拝読して寝たので 朝の日常がおせおせで今までかかりました 久々のご論考拝読は楽しかったの一言 これからこういう日が続きます 写真はモロー展を観に行った途中の旧新橋停車場 発掘調査の時以来でした

 

田中大士先生「万葉集片仮名訓本と仙覚が見た諸本」拝読 冒頭からしてサスペンスタッチで堪能 これはすでに私が紀州本の結末を知っている上に 昨夜の「長歌訓から見た万葉集片仮名訓本」の下敷があるから 田中先生のご論考8部を取り寄せ 年代順に拝読しているから 紀州本へ至るまでの経緯を辿ってます

 

少し前にTLで田中先生のご講演が名古屋であるのを見たけど 行きたいと思いつつ諦めた そこが紀州本を所蔵されてるらしく 展示もあった あのご講演 終わったのかしら 紀州本 見てみたい

 

お一人の方のご論考をこんなに一気に集めて発表された年代順に拝読するのは初めて 近々のご研究にはすでに接して結果を知っているから その結果に至るまでの前提となった調査の経緯を見せて頂いていることになります 結果を知っていて読む というのはとても新鮮 かつ分かりやすいです

 

拝読した二本のご論考は 2004,2005年ご発表です

 

これから拝読するご論考に古筆切が これは目下拝読中の日比野浩信氏『はじめての古筆切れ』のはじめににある「古筆切をも加味した伝本・本文の再吟味が必要であると考える」ですね

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2019.5.3 ツイッターから転載…研究発表に向けての備忘録的雑感(17)

5月2日

元号とか皇室とか TLをたどっていて違和感がおこるのは 論旨が全部政治と結びついて語られていること 上手くいえないし 深めて語る時間もないから呟かないほうがいいかもしれないけど 私が昨夜ツイートした厳粛観崇高さは 政治とは絶対的に一線を画す TVの皇后様礼賛なども それは別の次元です

 

済みません ほんとうにこの問題はもっと大きな問題と思うから 安易に呟いてはいけないのかもしれないけど TLで違和感が絶頂に達しました 私はこれからもこの問題を深く考える余裕はないと思うけど 皇室がなかったら今の古典のほとんどは残っていない日本文化の根幹として やはり崇高さは思います

 

元号や皇室を政治利用してそれが成功するような世の中を阻止するためにこそ 古典を学び 教え 付和雷同することのない国民を作るのが教育なのではないでしょうか SNSの時代になって 付和雷同することがとても自然な世の中になってしまっているような危機を覚えています 靡きやすさは危険です

 

令和の最初のお便りは古筆切 こちらの方からのお便りは開封するのに緊張します 研究発表時に司会して下さる担当の先生も決まったそう いよいよ緊張してきそう まだ夏まで大分あるのに笑

 

ラベンダー 近隣にみつけてこんな写真が撮れるなんてと大喜びで撮りました

 

先の私の違和感ツイート 考えたのですが 私が万葉集や源氏物語の享受史をしているからなんですね 本文や内容のいわゆる一般的教養と違う古典研究 それをしていると 万葉集は〇〇天皇 源氏物語は〇〇天皇 と皇室がなかったら今の世に伝わっていない それどころか作られてもいない それを具に見てばかり

 

だから もう 私のなかでは畏怖と敬意しかなくなっていて そうした文化の継承の中で昨日の儀式があったのだ… という思いは深い感動でした 享受史は授業でしたりするのでしょうか

 

振り返って思えば思うほど平成の時代が嫌だったから 気持ちの定まりようがなく ご退位の礼を観ていても感慨がなかったのですが 令和になって即位の礼に接して心から打たれて私の中で何かが変わり 古典というものを厳粛に受け止め始めている 平成の最後の最後まで古筆切に没頭するより仙覚さんの小説に

 

かかりたくて 研究発表の夏までにはまだ日があるから 五月いっぱいは仙覚さんにかかろうと思っていました なのに 即位の礼の後 その気持ちは見事に消えて 厳粛な面持ちで古筆切の研究に取り掛かり始めました 生半可ではできない世界 それが研究 令和の時代は それを感じさせてくれる時代の気がします

 

なんだろう 新天皇ご夫妻に そういうお力を感じるのです 規範とされる過去の天皇のお一人が花園天皇ということもあって

 

令和に政府がどう関わったかなどの裏話が流れてきていますが それがどうであれ 即位の礼の崇高さはもうそんなことはどうでもいいくらいにはるかに凌駕して 古典の命がおのずとみずから屹立する 令和はそういう時代になる気がします そうなって欲しいです

 

目下の読書 日比野浩信氏『はじめての古筆切』 四月に刊行なったばかりなのですが 三月に古筆切からの源氏物語写本の研究に踏み行ったところで 飛び付いて購入しました 古筆切の読み方や利用の仕方が丁寧に解説されていて 分かりやすいです

 

はじめにより「古典は人類の貴重な経験や思想を書き留めた叡知の集積である、と私は思っています。古文・漢文を学ぶことは『日本人の叡知の集積を読み解く能力を身につける』ことであると考えています。」

 

やっと整理つきました 国会図書館遠隔複写で取得したご論考 全部田中大士先生 平成の最後 折角取り寄せたのに他の原稿にかかっていてそのままになっていました 仙覚本をやるには田中先生のご論考は不可欠 源氏物語為家本とどちらを先にするか悩みましたがこちらからまずはじめます

 

令和に政府がどう関わったかなどの裏話が流れてきていますが それがどうであれ 即位の礼の崇高さはもうそんなことはどうでもいいくらいにはるかに凌駕して 古典の命がおのずとみずから屹立する 令和はそういう時代になる気がします そうなって欲しいです

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2019.5.2 令和の時代になりました

5月1日

令和ですね 私は平成があまり好きでなかったから令和になって嬉しい なぜかありがとうございます の気分 これからよろしくお願いします と令和最初のツイート 昨日は平成最後を厳粛に受け止めてツイートしませんでした やりたいことしなければならないことがたくさん 頑張ります まずは万葉集

 

写真は紫の花 小川町の方が栽培されてました

 

令和早々の連ツイになりますが 平成はずっと呪縛にかかっていた感じ 最後の最後に気にすることはなかったんだと気がついたのは やはり令和という新しい時代がくることの解放感からだったのでしょう 仙覚さんのこと 鎌倉でも新しい関係がはじまりそう 将軍頼経の関係から

 

こういう方でもパワハラを受けた時代がおありだったのかと RTさせて頂いたご文章を拝読して思った そして そうっか私の平成の時代の嫌さはそれだったのかと今更に その方にはそれを察してそっと見守って下さる方がいた 私にもそいう方はいる 令和になっての清々しさの根源を確認した気分です

 

何回自分を取り戻せばいいのだろうと 何回目かの自分を取り戻した気分のツイートをしながら ここのところ取りかかれなかった古筆のご論考の拝読に これから入ります やっと自分の時間

 

朝から皇室の一連の行事を具に観て 厳粛な思いに打たれたまま気持ちがまとまりません 現実に崇高なもののあることを目のあたりにして 崇高さにまだ気分が漂ったまま 一応今日の記録として やっとこれだけ書きました 思考が日常に戻らなくて 明日になったら戻るでしょうか おやすみなさい

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