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2019.5.3 ツイッターから転載…研究発表に向けての備忘録的雑感(17)

5月2日

元号とか皇室とか TLをたどっていて違和感がおこるのは 論旨が全部政治と結びついて語られていること 上手くいえないし 深めて語る時間もないから呟かないほうがいいかもしれないけど 私が昨夜ツイートした厳粛観崇高さは 政治とは絶対的に一線を画す TVの皇后様礼賛なども それは別の次元です

 

済みません ほんとうにこの問題はもっと大きな問題と思うから 安易に呟いてはいけないのかもしれないけど TLで違和感が絶頂に達しました 私はこれからもこの問題を深く考える余裕はないと思うけど 皇室がなかったら今の古典のほとんどは残っていない日本文化の根幹として やはり崇高さは思います

 

元号や皇室を政治利用してそれが成功するような世の中を阻止するためにこそ 古典を学び 教え 付和雷同することのない国民を作るのが教育なのではないでしょうか SNSの時代になって 付和雷同することがとても自然な世の中になってしまっているような危機を覚えています 靡きやすさは危険です

 

令和の最初のお便りは古筆切 こちらの方からのお便りは開封するのに緊張します 研究発表時に司会して下さる担当の先生も決まったそう いよいよ緊張してきそう まだ夏まで大分あるのに笑

 

ラベンダー 近隣にみつけてこんな写真が撮れるなんてと大喜びで撮りました

 

先の私の違和感ツイート 考えたのですが 私が万葉集や源氏物語の享受史をしているからなんですね 本文や内容のいわゆる一般的教養と違う古典研究 それをしていると 万葉集は〇〇天皇 源氏物語は〇〇天皇 と皇室がなかったら今の世に伝わっていない それどころか作られてもいない それを具に見てばかり

 

だから もう 私のなかでは畏怖と敬意しかなくなっていて そうした文化の継承の中で昨日の儀式があったのだ… という思いは深い感動でした 享受史は授業でしたりするのでしょうか

 

振り返って思えば思うほど平成の時代が嫌だったから 気持ちの定まりようがなく ご退位の礼を観ていても感慨がなかったのですが 令和になって即位の礼に接して心から打たれて私の中で何かが変わり 古典というものを厳粛に受け止め始めている 平成の最後の最後まで古筆切に没頭するより仙覚さんの小説に

 

かかりたくて 研究発表の夏までにはまだ日があるから 五月いっぱいは仙覚さんにかかろうと思っていました なのに 即位の礼の後 その気持ちは見事に消えて 厳粛な面持ちで古筆切の研究に取り掛かり始めました 生半可ではできない世界 それが研究 令和の時代は それを感じさせてくれる時代の気がします

 

なんだろう 新天皇ご夫妻に そういうお力を感じるのです 規範とされる過去の天皇のお一人が花園天皇ということもあって

 

令和に政府がどう関わったかなどの裏話が流れてきていますが それがどうであれ 即位の礼の崇高さはもうそんなことはどうでもいいくらいにはるかに凌駕して 古典の命がおのずとみずから屹立する 令和はそういう時代になる気がします そうなって欲しいです

 

目下の読書 日比野浩信氏『はじめての古筆切』 四月に刊行なったばかりなのですが 三月に古筆切からの源氏物語写本の研究に踏み行ったところで 飛び付いて購入しました 古筆切の読み方や利用の仕方が丁寧に解説されていて 分かりやすいです

 

はじめにより「古典は人類の貴重な経験や思想を書き留めた叡知の集積である、と私は思っています。古文・漢文を学ぶことは『日本人の叡知の集積を読み解く能力を身につける』ことであると考えています。」

 

やっと整理つきました 国会図書館遠隔複写で取得したご論考 全部田中大士先生 平成の最後 折角取り寄せたのに他の原稿にかかっていてそのままになっていました 仙覚本をやるには田中先生のご論考は不可欠 源氏物語為家本とどちらを先にするか悩みましたがこちらからまずはじめます

 

令和に政府がどう関わったかなどの裏話が流れてきていますが それがどうであれ 即位の礼の崇高さはもうそんなことはどうでもいいくらいにはるかに凌駕して 古典の命がおのずとみずから屹立する 令和はそういう時代になる気がします そうなって欲しいです

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