« June 2019 | Main | August 2019 »

2019.7.30 ツイッターから転載…日々雑感、小説を再開しました

7月29日

おはようございます 今日から小説 ずっと人称の問題で悩んで 書いては止め 書いては止め の繰り返しだったのですが 肝が据わって今日から仕切り直しと思ったらRTの高嶺様 芸術表現としてのバレエ 拝読したら「言葉を自由に用いるということは…」 そうなのよ! とはたと膝を打ちました

 

もう 毎回毎回の朝令暮改で恐縮ですが 発表用の資料が終わった(研究の結論が出たという)勢いでパワポを作り それから論文にかかって 小説は論文の後の気分でした なのにペンクラブの納涼会に行ったら集中が切れて さらに何枚書けた? 織田さんは遅い! の砲弾を浴びて 小説を先にするべきと

 

自主性がなさすぎる?笑 私にとってはどの分野も大切 だから取りかかっているその時の気分が優勢 そこに別の分野の方の客観的判断を下されると 研究発表がなんだよ… となって それより書かなくちゃだめ 活字にしておかないと となって とにかく活字 活字 となって そうだよなあ… と

 

ペンクラブの方だから 小説を書く という私の姿勢は 本にする事 なのです 私はそこが曖昧で 仙覚さんの生涯を世に出す の意義に重点を置いているから 仙覚さんの動向が見えてくる研究発表も大事 と そこが違うんですね 研究発表が仙覚さんの小説のため とは誰にも理解して頂けない泣

 

森山恵*『源氏物語』ウェイリー版様と そのご翻訳に対する近本洋一☆すばる5月号に最新作掲載様の 少し前のコメントですが全部RTさせて頂きました 奇しくもそこに私が悩んでいた人称の問題の解決があったからです じつは この一連のコメントを拝見した時から執筆再開の気が湧いていたのでした

 

私の文体の原点は『源氏物語』です ただ 現代小説を書こうとするとそれでは合わない気が 過去作品は何も悩まずに書いていたのですが 授賞式である方に言われたことがトラウマになって(文体を否定されて) それで書けなくなっていました 仙覚さんの小説も源氏物語ふうに書く内容ではないし… と

 

そこに この近本様の非過去形のお話 目の覚めるようでした 最後の「言文一致以降の《~た》文体とは一体何を獲得するためのものだったかも考えこんでしまいます」 は 素敵です

 

7月30日

おはようございます 昨日執筆再開といっても 古い原稿の記憶を引きずっているからどうにも動かなくて 先日降りて来た最初の一行 あら、鞠子さま。眠ってしまわれて をひとまず打ったまま進みませんでした 今朝やっと動き出したら やはり旧原稿とは違う展開 文体が違うと展開が変わるんですね

 

タイトルも全く変えました 存在を消して生きた男 の旧副題 気に入っていたのですが・・・

|

2019.7.29 ツイッターから転載…日々雑感、鎌倉ペンクラブの納涼会に行って、など

7月26日

おはようございます 今日からパワポ その前にパワポに使う写真を撮ります お預かりしていた古筆切 私には手に負えないと今まで封からも出していませんでしたが 配布資料を書き上げたら手にする怖さも自然に消えていました 人は自分のなかの観念の屹立が大切 二月にこのお話を頂いた時には考えら

 

れない堅固な今の自分です 今度の配布資料で思いがけない展開が見えて 『源氏物語と鎌倉』以来の疑問も払拭 こんなに明瞭な結論が出るなんて! と感慨 これはとても大切なことだから しっかり文章に残しておくことにして パワポが終わったら論文にとりかかります また仙覚さんの小説が彼方に泣

 

学問界はいわゆる重鎮といった方々の席巻する世界だし 尾州家本にとりかかった時に堀部正二先生のように埋もれさせられた研究者を最初に知ったから 一介の個人でしかない自分の運命をそこにみて とにかく堀部先生のようにはならない との覚悟でTwitterでの情報発信をはじめました 写真は伊勢集

 

慶應の佐々木孝浩先生が『源氏物語』を購入されたいと一人立ち上がられたそう いいですね! いい『源氏物語』のない研究機関なんて と私などでも思います お手伝いできるものならと思って詳細を読んだら これならとお眼鏡にかなう『源氏物語』は三億と 到底私の出る幕ではありませんでした笑

 

そういう一式を購入するのは手が出なくても 一頁とか短冊とかに切り分けたら そういうペラならなんとか個人でも入手できる それが古筆切 江戸時代あたりから発生したのでしょうか 集めてスクラップ帖にしたのが手鏡とか 古筆切 私も欲しい とは思わないけど 頒布の会場があったら見たいです

 

7月27日

道中のお供は定家の明月記の世界 ツンドクになっていたのをやっと持って出る余裕が 精神の屹立って 結局自分の中の問題の解決に尽きるかもしれない 頑張って なんとか自分らしくと思っても 未解決問題を抱えている間は 悶々が風情に出ますものね 私はやっと解放されました

 

今日は台風直撃でダメかと思っていたら 遅れて明日のようなので 出てきました 帰りが危ない 家人があまり遅くならないほうがいいよ など心配しています でもせっかくだから様子を見ながら楽しもうと 籠っているから今月二度目の外出です キンコーズは除外して

 

久々の鎌倉 懐かしむように 来ると必ず入っていたお店に 総会が終わって夜の懇親会までの時間待ち

 

鎌倉の夜の小町通 帰途です 懇親会のあとのお開きで鎌倉駅に向かっています 懇親会より後の会が重要 いっぱいいっぱい驚くべき話をききました

 

ワインを頂いたからうとうとしてしまって 気がついたら横浜を過ぎていました 懇親会で会うなりお二人の方に言われたのは 仙覚さんの小説 何枚できた? と 研究発表のことをしてたからまだこれからと言ったら 織田さんは遅い って もう三年前からだよ 書く書くって言ってるの と言われました

 

次 品川 って 湘南ラインでなかったんだ… 北鎌倉で降りる方と一緒に乗車したから 気がつきませんでした 次 降りて 品川(笑)

 

往路の決意…パワポが終わったら論文 帰途の気持ち…パワポが終わったら仙覚さんの小説 で目下の私自身の気持ちとしては 小説を書く それしかない

 

7月28日

「鎌倉の万葉集」は「人」を得ました 「鎌倉の源氏物語」の存在を知った時 即座に越前武生市の取り組みがピンときました 紫式部が父の赴任に伴って滞在したことを武生市が栄誉に思い 源氏物語アカデミーという二泊三日のイベントを開催されています 毎年北海道から沖縄まで全国各地から源氏物語の

 

ファンの方が殆ど常連化されて その為に貯金して 楽しみに集まってこられます 鎌倉に源氏物語があったのなら 鎌倉でもこういう企画があっていい と思い 講演で武生市の取り組みを紹介しながらお話させて頂いていました でも 残念ながら取り組んでいいと仰って下さる方が現れないまま今に至って

 

でも 「鎌倉の万葉集」は「人」を得ました 昨日の鎌倉ペンクラブの会でそれを確認して それが昨日の最大の収穫 嬉しい! 単なるイベントではない学問的な価値のある仙覚さん顕彰のための鎌倉での企画 一晩過ごしましたが これって ほぼ私が望んでいた理想的な展開? って思えてきています 

 

続)一昨年秋の ちょうど腰越で蹴鞠の講演をした頃でした 『源氏物語と鎌倉』の出版社さんから 大学で『万葉集』を専攻した方が鎌倉市の文化人権課の課長になられたと連絡を頂き すぐ『源氏物語と鎌倉』と仙覚さんの資料一式を出版社さんを通してお届けしました その方はすぐに妙本寺様に行かれ

 

イベントはそれに共感したり賛同したりの価値を知る方によって動きます いくら私が講演で「鎌倉の源氏物語・鎌倉の万葉集」の大切さを訴えても その動いて下さる方が現れない限り どうにもなりませんでした なので普及活動を続けていたのですが 鎌倉の万葉集に関しては 完璧に私の手を離れました

 

鎌倉で仙覚さんの顕彰に努めて下さる方のTwitterです 情報発信はここでもされるそうです 石川雅之 @kamakurah

 

ご参考までに 平成30年度の武生市源氏物語アカデミーのプログラムです http://genji-ac.jp/2018genji-academy.pdf 

|

2019.7.26 ツイッターから転載…日々雑感、配布資料の原稿を書き上げて、130部のプリントをして、終わりました!

7月22日

おはようございます 参院選が明けた朝 RTの最悪の結果を免れた以上に野党共闘の結果が顕著に出てなんかほのぼの やはりRTの都会の人より地方の方のほうが酷さの実感をの声も大切 人は生きている実感をもっと都会の人はもたないといけないと危機感 かくいう私の実感は目下金沢文庫本万葉集です

 

今回はSNSというかTwitterの勝利ですね この場がなかったら何も拡散しなかった 最後に流れてきた戦略的投票のアイデア これ 凄いと思いました 以前の私はこんなに政情に敏感ではなかったのに 仙覚さんを小説に! とはじめたことから すっかり 人の人生は政情次第 が痛感されてます

 

追記:少し前まで 頻繁に鎌倉に通っていたころですが まだ私は 戦時下では三島由紀夫が新古今に 川端康成は横須賀線で湖月抄を 谷崎は細雪 のように私もそうしようと考えていました でも今はそんなことしたら仙覚さんを書く資格ないととらえています 仙覚さんのためにもまっすぐありたいと思う

 

7月23日

おはようございます 素敵な色合い って思って撮りました グラデーション 色合いも人の心でも 徐々に徐々に変わりゆく ってことの大切さ 料紙を習っていた時に染めの料紙をしたかったけど それは上級者でさせて頂けなかったのが今も心残り (していたのは継ぎ紙 切って貼るだけですものね 初心者には)

 

昨日からずっと眠くて 今も休んでいるのですが たぶん これ 配布資料の大詰めにきてるから 一気にまとめ上げてしまう段階にくると いつもそう 眠るとたぶん脳の中で整理つくから 起きて仕上げ

 

では、そこに、なぜ、「金沢文庫」の名が冠されるようになったか、それを考察してみたい… と こんな文章が書けてしまってドキドキしています これを書きたくてここまで進んできたって感じ (眠くてたまらないのに なんか緊張して眠れないので起きてPCを打ってたら こんな文章が)

 

写真は今年の三月に小川町立図書館で開催された仙覚展にて 仙覚律師奏覧状です これと金沢文庫の関係 これを書けるのは私しかいない と自負しています(金沢文庫を知って 実時も知って 仙覚を知らないと書けません)

 

ひとまず書き切りました

 

7月24日

できたぁ~! と思わず両手を広げて天に 配布資料仕上げました これでやることなくなるなんて嘘みたい 夢みたい? というべきかなと考えて ううん やっぱり嘘みたいが実感 明日からの時間が白紙なんて・・・ A4で14頁 両面印刷で7枚です 確認したら100部と思っていたのが130部

 

確認しなかったら と思ったらギョッとしました プリントはデータ入力で頼めばいいのでしょうけれど したことないから不安 これから調べます 写真はラファエル前派展にて

 

プリントするのにデータ入稿すればこの夏日のさ中を行かなくて済む と思って初挑戦しようとしているのですが まず 店舗のサイトにいっても電話番号がなくてチャットでお問い合わせください とうことで 初チャットしてしまいました笑(極力避けてたのに…) 入稿もメール添付でなくログインでと笑

 

店舗まで行ったほうがいいのかなあ など まだアナログに行った方が間違いない など思っています笑

 

配布資料のプリント データ入稿しました 校正待ちです 見積も待ち 見積… ちょっとおっかない気が笑 たしか前回の時は一万いくら 程度で済んだのだけど 今回はその倍には・・・ 勤務先でコピーとれる方が羨ましいです

 

7月25日

おはようございます 今日はコピーを受け取りに行きます 郵送を待つより店頭で出来上がりを確かめたいから つくづく思うのですが 執筆は時の運だなあと 今までの蓄積があって書けても それには限界があります 今回の発表は2月に小川町図書館で講演させて頂いた時のパワポで見えてきた実時と仙覚

 

の関係 そしてそこで館長様から頂いた佐佐木信綱博士の書状 この書状 館長様が織田さんに必要と思ってと そこに書かれていた仙覚と金沢文庫の関係 この二点がなかったら今回の発表は書けなかった いくら書こう書こうと焦れても昨年では書けなかったんです 写真はラファエル前派展にて

 

お世話になりました! 参考文献 思えば田中大士先生のご教示頂いたご論考9本を遠隔複写で入手して 徹底的に仙覚さんの寛元四年本を理解したところから始まったのでした なぜこれが必要かわからないまま1日1本拝読して これがあったから 自信を持って考察が 終わったから いろいろ感慨が湧きます

 

無理矢理の道中のお供の撮影笑 今急に必要ではないけれど 知っていればいつか役立つ というか 書いていて迷わない こういう未読のご論考がたくさん 文学作品に戻りたいのに

 

久しぶりの立川 遺跡の発掘調査で通いました 立川氏館跡の遺跡でした(跡地に建つ禅宗寺院さまでしたが) ご縁のある地ってありますね 今は時々国文学研究資料館に来ます

 

受け取って来ました 配布資料のプリント 130部は直接学会に宅配して頂いて 自分用に10部 持ち帰ります 受け取りのカウンターでキョロキョロしたら オンデマンドとか いろいろあって楽しそう

 

配布資料 A4びっしりの文章で14枚はレジュメとしては異常な量だけど 配布資料のためというより 自分のための新しい考察になってしまったから 発表会場にきて下さる方にもこの興奮を共有して頂くいい機会と思って あえて減らしませんでした 家人が マニアックな奴がいたよと帰って話題にのぼるレベルと

 

そうしたら プリント代が前回の倍! データ入力の10%引きが有難かったです

|

2019.7.22 ツイッターから転載…日々雑感、研究発表の準備継続、『金沢文庫本万葉集』に

7月18日

おはようございます 今日から『万葉集』 正確には『金沢文庫本万葉集』 『源氏物語』の書写で孝行が浮上し そこまでの関連は書いたけど まだ金沢文庫本を詰めてませんでした それに気がついたのがついさっき笑 もう終盤と思っていたけど また大変なことになったらどうしよう・・・

 

写真は小川町立図書館で撮らせて頂いた仙覚律師奏覧状 研究書に載せられている写真はどれもこの冒頭部分で 私は奏覧状は一枚の紙と思っていました そうしたら巻物でびっくり 館長様のご好意で広げて頂いた時の写真です 冒頭が研究書に載る部分 巻尾に有名な仙覚さんの署名「慈覚門人権律師仙覚」

 

これにより 仙覚さんが天台宗の僧侶だということがわかる という貴重な記録です 仙覚の「覚」は 慈覚大師の「覚」かなあ などと私的に思っています

 

Twitterでは選挙も世界各地を旅する方々のツイートも みんな凄い広がりあるから 籠っている私には有難いのだけど 今は夏野菜の収穫期で 毎日家人が こんな小茄子が手に入ったとか 嬉しそうに農家から買ってくるから やはり美味しく漬けるには朝のうちにしなければならず 時間をとられてジレンマ

 

写真は先日の雨上がりの井の頭公園雑木林 私は料理が好きだから 料理をすることにはフラストレーションないけど 研究体制に入ると何もかも煩わしくなって 心のなかで時間の配分をしながらイライラ

 

メモ: 西本願寺本万葉集の変遷 足利義満が後小松天皇に献上→後奈良天皇から西本願寺の証如上人光教が下賜される→西本願寺の売立があって京都の書肆に出たのを佐佐木信綱博士が認め、その後博士の所有となる→博士の没後、お茶の水図書館に

 

金沢文庫本万葉集 一筋縄ではいかなそう

 

前にもアップしたかもしれませんが 金沢文庫本万葉集巻18が冷泉家時雨亭文庫で確認されたという記事 平成6年です この記事 私が金沢文庫本万葉集を調べ始めたとお伝えしたら 送って頂いたもの 古筆学大成(下になってます)にある金沢文庫本万葉集との関係がどうなのか ごっちゃになってしまって

 

この 巻第1、19が巻物の形で残っているが…が大成の解説のらしいです

 

ノートルダムドパリ 京アニ あり得ないこと 信じられないことが次々にいくつも

 

どうしてこんなに長く 研究というこの充実した世界から離れていられたのだろうと 自分の不甲斐なさに心及んで

 

7月19日

ほんとうは家族を送り出したら二度寝したいくらいだったけど 今日を逃したら行かれないから頑張って出て来ました 短歌の会で最初からお世話になっている方の写真展 受賞した時この方と先生と写真家のM氏とで鶯谷の小さなワインのお店でお祝いして頂いて以来 なんでこんなにして頂くのかわからないけど

 

写真は先日行った国会図書館の苑庭で

 

さすがニコライ堂がある街 お茶の水 駅に向かって歩いていたら眼に飛び込んだ白亜の殿堂 なにかしらと 駅の向こう側まで行ってみたらふつうにお店のよう でも眼福でした

 

7月21日

おはようございます 写真は再掲ですが この表の作成からはじまった研究発表の調査 思いもかけない明確な結論が出て後は詰めの金沢文庫本万葉集 と思ったらそれが曲者で 昨日一日熟考 今朝見通しがたって 明日明後日にはキンコーズ かな? と上手く行けばです笑 月末までに100部作って送らなければ

 

先日ある方に それは発表の学会関係ではなく 調査している内容に関心を持って下さっている方なのですが 途中経過である程度結論が見えてお送りしたら お返事に 縦三十センチの大型本から鎌倉将軍 そして源氏物語と万葉集へと至る筆致 と頂いて わかる方にはわかって頂ける醍醐味 世界を共有してるから

 

その縦三十センチの大型本を割り出したのが前掲の写真です 全国各地にばらばらに伝わっている源氏物語の写本 サイズを書き入れて一覧にしたら 縦三十センチの大型本の特異さが浮かび上がりました

|

2019.7.21 ツイッターから転載…日々雑感、研究発表の準備に没頭しています

7月13日

研究発表のための配布資料本文 たぶん半ばなのだけれど これで一応最大の結論は書いて 後はその補足 なのでひとまず今日これを手放そうとこれから準備 思いがけない展開になって自分で驚いているけど これは最初からずっと抱えていた問題 こんなかたちで解決するとは思いませんでした

 

写真は2010年11月に鎌倉ではじめて【源氏物語と鎌倉】の講演をした時のスライド 最初の頃は『尾州家河内本源氏物語』が鎌倉で作られたこと自体を訴えるのに必死でこの文言で 何回もこのラストで終わらせていました その『尾州家河内本源氏物語』の制作の実態がやっと見えてきています

 

長かったけど 結局私の歴史研究のスタートは金沢文庫で その金沢文庫の歴史をある意味網羅して観てきているから の結果になりました なんか なんでも物事って回帰するのかなあ という感じ 実時様! といった感じです

 

2005年に真鍋俊照先生の還暦記念論集『仏教美術と歴史文化』に載せて頂いた「北条実時と『異本紫明抄』」の一頁です。実時の源氏物語学習について考察し、親行と親交があったことを書きました。尾州家河内本に実時の奥書があると知った時、私の中ではこういう二人の世界が広がっていました

 

尾州家本について 複雑な修正跡や 実時の奥書問題を考察される研究者さんのたくさんのご論考を拝読しながら でも 何方も こういう人間的な交流をご存知なく書いていられるという 歯痒さを覚えながら でも私は専門家でないからと耐えていました が 今回 古筆切の観点から壁を突き崩すことができてほっと

 

本は 写本は 人の作るものですから いくら後世の私たちが 河内本だから と親行を考察しても 論点がずれているのです その時代の人の心情に即して考えたら 価値観が別にあることがわかります

 

7月14日

おはようございますってもう三時だけど笑 休日の時間帯ってこんなもの 朝の番組で岐阜のモネの池をやってました 行きたいなあと言ったら家人がこんなとこ行きたいの と不思議そう 逆にそれが不思議でした 研究発表の余波で思いがけず年来の疑問が解決されて世界ががらっと変わり 気分いいです

 

こんな変化 昨年までは ううん 今年の一月でもまだ 考えられなかった 人は自分が集中できる環境を確保すべきとつくづく思う(でも それが 大変なのが世の中・・・)

 

7月15日

おはようございます ふっと思いついて 秋の仙覚さんの講演 せっかくの機会だから鎌倉の方々に比企や京との文化の交流をお伝えしようと 京は九条家の文化メイン 比企は慈光寺 慈光寺に慈光寺経があること それは私は鎌倉の将軍頼経が九条家出身なことと密接な関係を持っているからと思っています

 

写真は慈光寺経 慈光寺経も京の九条家も 仙覚さんと密接な関係があるんですよ こういうこと ほとんど知られてないから 仙覚さんというと地味な学僧のイメージ 実は凄い華麗な人脈のなかにいます 研究発表で突然浮上した孝行さん 考えたらこの人も仙覚ワールドに入ると思います 小説に追加です

 

なぜ 関東の奥地のような比企の慈光寺に? が謎でしたが やっと気がついてみたら簡単でした 当時関東は東山道が京からの幹線道路 その関東への入り口にある慈光寺は 関東最大の天台宗別院でした 後世の鎌倉主体の思考では奥地 だけれど その当時は鎌倉こそ奥地だったわけ メインの起き方です

 

7月16日

孝行の本が大きいと光源氏物語本事にあり それで孝行を探っているのですが 為家の家司だったことは以前から知っていて それで為家筆本との関係を見ていたら そうっか 為家父の定家と孝行父の光行は親友だから 為家は孝行を生まれた時から知っているわけで 決して主従関係ではないと気づきました

 

ということは 何人かいる光行子息のなかで為家が孝行を取り立てたのには 孝行が文学者としての資質があったからでしょう ということにも気づいて それなら後年孝行が実時と親しくなったのもその文人気質で気が合ったからとなり さらに孝行が仙覚とも親しかったという拾遺采葉抄の記事も納得

 

孝行は十何年もこの分野を調べていて為家家司というただの点でしかなかったのに 古筆切の側から追って行ったらこんなに広がりが 十何年もやっていた光行さんとか仙覚さんとか実時とか ぞういう人物を書いている世界にかなりの親近者として存在していたんです ということで唖然としている昨日今日

 

昨夜 発表資料の原稿の最後にあたる部分を書いていて それが孝行と仙覚さんの関係なので 仙覚さんの説明をはじめたら まるでそれはそのまま小説世界になってしまって 研究発表にこれ必要? となって中断して就寝 そもそもなんかこの発表資料 私の今までたどったワールドの総決算みたい

 

だからこそ見えてきた世界で誰にもできるものではない自負もありますが 実証主義ではあっても論証できるものではないから どこまでこの発表が有効か 悩んではいませんが物議を醸すかも(最初の時 物議を醸して それを援護射撃で救って下さった方もいらして・・・など 有難かった)

 

昨日TLに政治ネタを書くとフォロワーさんが減る というのを拝見しましたが 私の場合 研究ネタを呟くと減る 私がツイッターをはじめたのは鎌倉の源氏物語の研究のためで 重要な情報源としてずっと大切にしています しばらく研究を呟かなかった間のフォロワーさんがびっくりされるのでしょうね

 

昨夜寝てないので朝の用を片付けてすぐ仮寝 起きたらこんな時間で もうまた夕刻 週末は疲れます といいたいし 連休だったからなお 発表の配布資料 もう終わるのだけれど詰めはもう一日おかないと(余裕だけど気分的に焦ってきました)

 

焦りぎみと書きながら 内心はでも絶対大丈夫なんだから~! の余裕でできあがっているところまでを印字しようとしたら ドキッ 大詰めの仙覚さんと金沢文庫の検証をするのを忘れていたことに気づいて ほんとうに焦ってきました 大変! 検証は先に延ばして できているところで一旦送付 にします

 

ぎりぎりに間に合って郵便局に投函してきました 配布資料 ひとまず決着がついた分までを関係されるお二人の先生に いつもは綺麗な切手を選んで貼るのだけれど 時間がないからとにかく封をして雨の中を駆け込み料金分のシールで これで思い切って調査にだけ専念できるからほっとしました

 

7月17日

やっとひと息ついてPCに 日常の用ってほんと疲弊します 配布資料の準備 結論に決着がついてるからもう安心 二章ほど付け足して終わりだから この日常の用さえなければとりかかってお終い でも これだけ浸ると生きている世界が現実より書いている文章のなかに 気持ちがゆたかです

 

今 室内干しで洗濯物を干しながら TVから流れてくる項羽と劉邦を観ていたのですが そういう時代とそういう話だったのかとはじめて理解 ところどころ挿入される西安とか長安とかの映像が興味深くて ずっと観てました 映画空海で造った長安のセットは まだ健在なのでしょうか そこ 行きたい

 

光源氏物語抄 今はこの名称だけど 私が実時の論文を書いた時はまだ異本紫明抄だった だから論文は「北条実時と『異本紫明抄』」 それからじきに鎌倉での講演活動がはじまり 数年して落ち着いた頃 このご本が刊行されていて名称が変わったのを知りました 驚きました その時は

 

今日は満月 見えるかな と期待して窓を開けたのですが あのあたりとわかる具合の雲間の月 ならば過去の満月の写真をと探していてこの写真をみつけました 実時の『源氏物語』とのかかわりを書いた論文 これがあったから 今回の大型写本での孝行の交流が難なく浮かび上がりました 満願に近いかも

 

なぜ異本紫明抄と呼ばれていたかは 素寂の紫明抄の異本にされてたから 素寂は親行の弟の保行(小川靖彦先生のご発見) でも 長いあいだ 孝行が素寂と言われてきました 私が『源氏物語と鎌倉』を書いたときはまだ曖昧だったから もしかして素寂かもしれない孝行 って思っていたのも懐かしいです

|

2019.7.15 ツイッターから転載…日々雑感、研究発表の調査大詰め&実時の自筆問題のことなど

7月10日

昨夜拝読のご論考は万葉集研究者さんの でも内容は源氏物語の河内学派 たぶん ふつうに万葉集をされる方には不必要 一方で源氏物語をされる方にはこのご論考自体が眼に入らないと思う 私はたまたま両方に関わっているから眼に入ったし 拝読していて楽しかった 研究には専門という垣根があるんですよね

 

あら、鞠子さま、眠ってしまわれて と 冒頭の一行 仙覚さんの小説を蹴鞠の章からはじめようと思っていたら 今朝 といってもほんのついさっき この言葉が降りてきました 竹御所は吾妻鏡では鞠子 妙本寺様のお墓ではヨシコ(女偏に美)ですが 父頼家が蹴鞠好きだったから私は鞠子を使います

 

声の主は基子さん 臨月近いお腹を抱えて よいしょ っと赤ちゃんの竹御所を抱く若狭局の隣に座ります 女たちが見遣る視線の先に 頼家率いるいつもの蹴鞠グループ 基子さんの夫時員は常連でこの日もいます そして時房 常連ですが 比企の乱で時員たち比企氏を滅ぼす時政子息なのでスパイ説も

 

早く仙覚さんの小説にかかりたい でも 研究発表も興に乗ってきてるし そのあと講演 でも みんな小説とリンクした世界のことだから 昨年までのようには他のことをしている違和感ないです

 

7月11日

おはようございます 研究発表の調査が大詰めにきてワクワクしています 資料を漁っている間じゅう 眠くて気が乗らなくて罪悪感いっぱいだったのに 展開が開けてなんか凄いことが見えてきているから集中力抜群 ゲンキンなものですね笑 写真は講演に使ったパワポのスライド これが解決しそうです

 

2015年2月に鎌倉ペンクラブで【鎌倉の源氏物語】を講演させて頂いた時のスライドです ペンクラブは知識人の方々の集まりだから この席でお話させて頂くのは最高の普及 でも この時から四年も経っているんですね 長かったけど やっとこの問題に終止符が打てそうです

 

鎌倉在住の書道家の方が興味を持って下さって ご自分で何度も何度も真似して書いてみたけど それでもこんなに似ては書けない 自筆以外にあり得ない と仰ってらした… 私は有難くそれを拝聴しながら まだ文献的に実証できないか模索しています

 

真空容器を頂いたのだけれど 乾物類を入れるほど保存食を使う料理をしないので クッキーを買ってきて入れました

 

思わず脱力してころげ落ちそうに 「その原因は文化の熟成度にあるのかも知れない」 まだ最初の方だから結論がどうなのかわからないけど 一応これ 遠慮複写で届いたご論考 京都の写本に比べて関東の写本が力を誇示するように大型で派手だと… 関東の人間だからムカっと笑 京都の先生のご執筆です

 

一段落かも たぶん研究発表の道筋が見えた 最初にこうではないかと推測して発表することにしたよりも明瞭な思いがけない展開になりました これはもともとずっと抱えていた実隆公記の記事への疑問があったから それが役立ちました 不審とか違和感って やっぱり調べる必要ありですね

 

7月12日

おはようございます 窓を開けて作業してたら 雨の庭の匂いが 寒いくらいですね(なのに窓を笑) 発表のための表づくりが終わり 気分も一段落したので配布資料は来週でいい など思っていたのですが ちょっと始めたらそのまま一気に完成させたくなって取り組んでいます 月末までに郵送には余裕

 

昨日完成させたと思った表を読み解きながら配布資料を打ち込んでいるのですが なんか またもや思っていた以上のことが見えてきて 最初に思い描いていたのと違っていく 深まっているということと思っていいと思うのだけど 書く力って 目で見て思っているより先を突き崩していくよう

 

なんか 文献のたった一行の記載から A4一枚(40×40)もの文章に膨らんでゆくのですが たぶんこれは一覧表やらなにやら作ったから 状況がわかるとこんなにも資料の読みって深くなるんですね

 

なんだ簡単なことだったんだ というべきか 大変なことになってしまった というべきか とにかく発想の転換をしたら一瞬にして今まで研究者さんたちを悩ませていたことが解決するとわかりました 最初から素直に読めばよかったんです それをたまたま河内本などという学問でメインな問題が想起される

 

写本だから 親行が… とか思考されて。 『尾州家河内本源氏物語』のこと 実時の奥書が自筆かどうかも問題でなくなりました なにしろ奥書に実時の花押があるのだから。 研究発表が終わったら論文は書かずに仙覚さんの小説に専念するつもりだったけど これはもう論文にしなければ…

 

孝行さんを追っていたら見えてきたこと 孝行さんなんて存在は知っていたけど今まで視界に入っていなかった 「河内本源氏物語」を作った親行の弟なのに この孝行さんを古筆切の件で追っていたらにわかに実時の奥書問題が解決 いつもそうですが 行き詰まった研究の打開は新しい分野の登場から

 

名もない人 立場の無い人が いくら論文を書いてもムダ ということはよく知っている 『尾州家河内本源氏物語』の研究で最初から堀部正二先生のようなご存在を見ていたから 正しい説を出しても無視されたまま戦争で亡くなられた その堀部先生のご論が正しかったことが今頃になって散見しています

 

幸い 所属する学会では先生方が親身になって眼を向けて下さるし だから研究発表もさせて頂くのだけれど 仙覚は誰かの発表をした時に これはもう論文を書いても結局普及にならないのなら いっそ小説にしようと転向しました なのに 今度は実時の奥書問題 これは 小説になりません泣

|

2019.7.11 ツイッターから転載…日々雑感、研究発表の準備に勤しんでいます

7月7日

おはようございます 今日は七夕 小さい頃はよく短冊に願い事を書いたり 久々にそんな灌漑 昨日の国会図書館で半分しかとれなかったご論文のコピー 拝読したら以前に読んだ記憶 ご論文集にまとめられいてそれを 新しく発見と思ったのは初出誌でした 調査は源氏物語に戻ってしまっています 尾州家本に

 

古筆切の先生からは 別の古筆切の件でお話頂いて ついでに添えられていたのが為家筆本 それがなんと私がこだわっている尾州家本と無関係どころか大変な問題 以前に読んでいたご論考を見たらすでに取り上げられていました まだこんなに重要だと気づけなかったんですね かつての資料再読に入っています

 

大内英範氏『源氏物語 鎌倉期本文の研究』より このご著書 2010年のご刊行 ちょうど私が『源氏物語と鎌倉』を出したころですが 中に「さらには最近注目されている伝為家筆本に言及して」とあります 最近 というか ちょうどこの10年間なんですね 注目されて 研究 進んでいるのかしら

 

筆力をためらわず ブンブンふるって翻弄して下さい! 21世紀に生きる私達より人間臭い魔力を宿した人物たちですもの… 鎌倉の方から頂いたエール 仙覚さんの小説のあらすじができてお送りしたら。 この方のこういう力強さに励まされてここまで来ました

 

メモ: ふうっ やっとここまで 尾州家本の本文は元の本文を河内本で訂正して河内本になっている と そこまでは従来言われてたけど その訂正回数が複雑でまだ何方もその経緯を読み解かれてない 個々の方々がそれぞれご論考を書かれて それを拝読しても混乱するばかり やっとそれを年譜的にまとめました

 

7月8日

おはようございます 今日は写本の歴史の年表作り 苦心惨憺した源氏物語の表が終わり 万葉集の表は簡単にできたから これから歴史の表 万葉集の梨壷の五人から 紫式部 仙覚さんの寛元本 親行の河内本 尾州家本と西本願寺本 そして足利義教と義尚将軍の時代まで どう作成しようか楽しみです

 

写本の研究なんていうと 展覧会でのあの墨文字で書かれた古びた冊子が浮かんで 関心外になる方多いと思うのだけど 私の研究の先にあるのは写本の学問的な解明でなく 写本を作った人たちの動き 写本は人が作るものだから そこに写本があるということは そこにその人がいたということ 人脈が見えてきます

 

写真は先日国会図書館に行った時の銀座線の車両です ピカピカの新しい車両でグリーンのシートが眼に飛び込んで 思わず振り返って撮りました 木の風合いとか レトロな感じに造ってあって素敵でした

 

『万葉集』と『源氏物語』の写本の歴史年表 だいたい作り終わりましたが 最初 ワードでA4縦の手書きふうの年表にしたかったのだけれどできず エクセルでなんとか まるで「表」でつまらない笑 知人のデザイナーさんはこういう時イラストレーターを使われるけど 私には無理 手書きふうって難しい

 

7月9日

昨夜連絡を頂き 秋に鎌倉で仙覚さんのお話をさせて頂くことに 万葉集をテーマにした四回連続講座のうちの一つ 詩と小説と俳句と歴史 私の担当は歴史だけど それぞれにそうそうたる方 歴史は万葉集なら研究者さんがいられますが 仙覚さんのお話をできるのは私独り 思えば遠く来たもんだ です!

 

仙覚さんに関わって何年たつのだろう 2010年ころからと思うけど 仙覚は誰か の研究発表をしたのが2016年 その時もまだ誰かばかりにこだわって自分の中では進展感はなかった 進んだ! と思ったのは今年二月の小川町での講演でパワポを作っていた時 北条実時=金沢文庫との繋がりが見えたからです

 

研究はほんとうに牛歩 そして関係性 小川町図書館での講演を館長の新田様からお話を頂いてなかったら パワポを作ることもなかったし 実時との関係性など見えてこなかった こんなふうに講演の度になにか一つ新しい発見があってここまで来ました なので秋の講演は今までの仙覚さんの講演とは違う

 

秋の連続講座は毎週土曜日 いつがいいですか? と尋ねられて いつでもいいですよ と答えたら絶句されました笑 そんなにスケジュールのない人って今どきいないでしょうね 目下籠っているからとにかく全部はずしています 仙覚さんの小説に向けて なので そうそうたる方々の都合で私の日程が決定

 

入手したくてもできずにいて やっと国会図書館遠隔複写で届いたご論考を拝読 思っていたとおりの展開で 今だからわかる の内容 入手できずにいた間にできて拝読していても 活かせなかったと思う 一覧表も年表もできて 後は配布資料としての本体を作るわけだけれど 遠隔複写のご論考をあと二本待ちです

 

これですっきり 日中は集中できなくて 深夜になってやっと拝読終了 とにかく今日のうちに読み終わりたかったからほっと これで心置きなく就寝できます

|

2019.7.7 ツイッターから転載…日々雑感、『万葉集』に移ったことや、国会図書館に行ったこと、七夕と鎌倉の源氏物語の関係など

7月5日

おはようございます 今日から万葉集 昨日源氏物語写本の一覧表が終わったので 作っている時も作る前に資料を漁っている時も 漠然とした予感すらなかったものが 完成した表を見た途端に閃くものが 今朝のことです たぶん これ 当たってる! でも実証のすべはないから 可能性として報告します

 

年譜や一覧表はほんとうに不思議 たくさんのご論考にばらばらに書かれていることは 皆様それを読んでられるのに 核心の一点が見えてられない でも表を作成すると一目瞭然に事実が並ぶから 一瞬にして見えてくるものがあります もちろん それまでのたくさんのご論考の背景あってのことですが

 

月下の薊 いいですね といろんな方から頂く 今日も お互いがんばりましょう と

 

『古筆学大成 万葉集』より: 桂宮本万葉集は万葉集最古の写本。筆者は源兼行で宇治平等院の内陣壁画や扉の色紙形を染筆した人! (←びっくり) 伝来は、加賀金沢の前田利家夫人芳春院→四男利常→利常娘福子が桂宮智忠親王に嫁ぐ→明治時代に桂宮家が廃絶して宮中に献上…こういう歴史は初めてで新鮮

 

『古筆学大成 万葉集』より: 元暦校本万葉。もと高松宮家旧蔵の六冊と古河虎之助所有の十四冊を合わせて二十冊にしたもので、それを成し遂げたのは佐佐木信綱博士。「現存せることの知らるるもの全部を蒐集して、元暦校本万葉集大成とのいひつべきこの書を刊行すべく」…つまり命名も佐佐木信綱博士! これもびっくり

 

私は万葉集の研究者ではないから 万葉集の写本として色々な刊行物で見ていたから 元暦校本万葉集 は最初から元暦校本万葉集として伝わってきているものとばかり そんなふうに読んでいました まさか 断簡まで一切を網羅して繋いで だったとは

 

そういえば校本とありますね 校本って何だろうと思っていたのですが そういうことだったのかと 校本の語 やっと最近尾州家本のことで調べたばかり まだ万葉集に応用するに至ってませんでした 以前はよく そんなことも知らないで とツイッターで食いつかれ(笑)ましたが さすがに最近はなくなりました

 

7月6日

出掛けのポストに鎌倉の方からのお便り 昨年七月の鎌倉同人会主催 妙本寺様での講演がHPに載っていたらしく プリントして同封されていました 明日は七夕 河内本源氏物語が鎌倉で完成した日です 講演はそのことで締めくくっていて 私のほうが改めて思い出されました 毎年 それをアピールしてたんでした

 

今年は研究発表の準備にかかっていて 七夕の日に完成という親行の識語がある蓬莱寺本源氏物語を目下探っているところ なのに 鎌倉へのアピールを失念してたなんて 帰ったら呟きます

 

国会図書館にコピーをとりに来たのですが 永田町駅構内にこんなエリアができて お陰で私はいつもの出口がわからなくて迷って結局初めての出口から 国会図書館内でも いつも行っていた喫茶室が新館だったなんて初めて知って迷子 でも 親行さんの識語がある蓬莱寺本のコピーが手に入ってほっと

 

でも 論文集のコピーは著作権の関係で半分まで 30頁だったから15頁に減らして下さいと言われてそうしたのですが 半分の論文なんて…泣 ですよね

 

国会図書館から見た今日の国会議事堂

 

国会図書館 通っていた時に毎日お昼に入っていた一階の喫茶室 今日もと思っていたら閉まっていたので 駅構内のあのエリアで 重厚な造りですが バルのでもお蕎麦でもオムライスでも どのお店のでも可 疲れたので 私は 熱い豚汁 惜しいけど バルのビールとエスカルゴ みたいな気分になりませんでした

 

帰ろうとして席を立ったら 背中側のインテリアがこうでした 何時間でもいたい

 

鎌倉の源氏物語と七夕の関係①「河内本源氏物語」は建長七年七月七日に、源親行により完成しました。それを記す識語が『鳳来寺本源氏物語』にあります。【嘉禎二年二月三日ニ校書ヲ始メ、建長七年七月七日、其ノ篇ヲ果ツ。時ニ雁字終点ノ朝也。更ニ紫式部ノ往情ヲ暗ンズ、牛女結交ノ夜也。遥カニ驪山

 

宮ノ昔ノ契リヲ思ヒ、翰ヲ染メ、牋ヲ操リテ、慨然トシテ記ス。朝儀大夫源親行 (花押)】建長七年七月七日の朝、「河内本源氏物語」の完成をみた親行の胸に去来したのは、まず紫式部のことであり、それから七夕の夜に関わって玄宗皇帝と楊貴妃のことでした。『源氏物語』なのですから、例えば光源氏とか

 

紫の上が挙げられてもいいところを、親行の胸に浮かんだのは玄宗皇帝と楊貴妃なのです。これほどに深く親行に染みついた「長恨歌」。そして、七夕。親行には父光行との思い出のエピソードで「長恨歌」は特別なのでした。「河内本源氏物語」は七夕の夜に完成したのでした

|

2019.7.5 ツイッターから転載…日々雑感、仙覚さんの小説のことなど

7月1日

やぁ それは嬉しいな とあまりに素直に喜んで頂いてこちらがびっくり 今年中に書いてくれたら僕が生きてるうちに読めると 仙覚さんの小説 貴方は鎌倉で忙しいからと諦められているの 申し訳なく思いながらわかっていました ほんと 生きていられるうちに読んで頂きたい

 

朝の車内で ちらっと眼に入った隣の人のスマホ画面の 文月 の文字が新鮮でした

 

7月2日

おはようございます 昨日 年内に仙覚さんの小説を完成 など抱負を語ったら 何の賞が欲しいの? 芥川賞? 直木賞? など小説というと必ずその話題に ううん 私は世界を目指してるの と答えても皆様ちんぷんかんぷん 私の小説の完成は仙覚さんという万葉集の完成者を世界にひろめることです!

 

なぜなら 世界に冠する万葉集 だから。 まして昨日は歴史の方々だから 仙覚さんの小説を時代小説ととらえてらして 世界に通用する文学にしたいの という私の目論見などとうてい理解して頂けない 私の出発点はヌーボーロマンだから どうしても仙覚さんを仏訳して世に出したいです! と豪語笑

 

時々ツイートするけど 私の憧れはセーヌ河畔の本屋さんに仙覚さんが平積みで並ぶこと なのでよくRTさせて頂いているノートルダムドパリの画像は 単なる趣味関心でなく いつかそこに という夢の終結点です 頑張らなくちゃ! (と、なんとなく健康に自信が戻ったから豪語もできてきました 感謝)

 

7月3日

昨日 仙覚さんの小説について呟いてから気持ちがもう世界に向けて走っているのだけれど 今はとにかく研究発表のための資料作り 今朝思いついたのは写本ができた時代の年表を作ろうと そこに実時と親行と仙覚さんの交流を書き込めば 写本のできた舞台が一目瞭然

 

原稿に専念するためにTwitterを休止しなくては とまで思ったのは G20とか境界線とか世情から目が離せなかったからで 今朝になったらそう振り回されずにTLを追えた でも目の酷使は相変わらずだから ほんとうに見流すだけみたいになってます

 

熟睡の仮寝して起きたからこんな時間でも快調 というか私はやはりこの時間にならないと快調でない 発表の準備に日中資料に眼を通しているのだけど 集中できていないもどかしさを感じていました 家族の生活に自分を合わせていると結局研究にしわ寄せが 難しいです 写真はずっと以前の大雪の井の頭公園

 

7月4日

国会図書館遠隔複写3本申込 以前から手元にメモっていたご論考 以前は遠隔複写を知らなかったから行かなければならないと思ったり 多分 遠隔複写も検索の仕方が不慣れで探し出せなかったもの いよいよ必要になってダメモトで検索したら まあまあの順調さで申込できました 慣れって重要笑

|

2019.7.2 ツイッターから転載…日々雑感、為家本のこと、プルーストのことなど

6月27日

為家筆源氏物語本の表を作っています 日常を優先すると いつも結局疲れてできなくなるから 今日は最優先ではじめました デスクトップにモローのサロメを置いているから 入力した表を一緒に考察して頂いているみたい

 

6月28日

おはようございます 憧れの大量投げ入れ TLで木立の花を溢れるほどに活けてられる写真に いいなあと 私もしてみたいなあと思っていて 今朝 道に張り出した西洋ニンジンボクを伐ったのでしてみました 丁寧な暮らしがしたいのに 丁寧にする気力は研究のための調査で使い果たして せいぜい飾る楽しみまで

 

パイロットのデスクペン 書き心地が好きで 調査のノートとりにはこれ と決めて愛用しているのだけれど ここのところの余裕のなさで何ヵ月もインクを切らしたまま使ってませんでした 今ふっとカートリッジを交換 試し書きをしたら 心地のいいこと! 慣れた書き味はやはりいいです!

 

6月29日

おはようございます 私もここのところ ツイッターを見れば心痛むことばかり ぐさっとくることばかりで RTためらってスルーすることも なので風景や綺麗な花の写真に癒されます 目下は文献調査で眼を酷使もしてるから 文字ツイートは失礼して見送ること多くなりました 絶対に平穏な世になって欲しいです

 

TLに流れてきた白アスパラガスのスパゲティ 作ってみました その美味しいこと! 独の方のtwです 私は音楽を封印しているのに 西欧で活躍される音楽家の方々のtwが素晴らしくて新鮮 鎌倉の会でもやはり世界の音楽業界で活躍される方とお話する仲になったのに 私はまだ世界に羽ばたいてないから遠慮がち

 

なるべく離れていたのですが その方は私が源氏物語の研究をしていることに関心を持って下さって 日本に帰ってくるとこんな方と知り合えた って近況報告に書いて下さった 私はそれを読んでなくて 遠慮がずっと続いていたら え〜っ 読んでなかったの? と 違う世界に取り組む人への畏敬って いいですね

 

鎌倉では 凄い! とこちらが気が引けるような方と何人もの方と知り合えました そういう方に共通しているのは 広さ 視野なのか 心なのか わからないけど お話していると気持ちいい方ばかり 今は籠っているけど 早く私も仙覚さんを仕上げて羽ばたきたいです 仙覚さんの小説は鎌倉の源氏物語の終結点です

 

今年はじめてクチナシを植えたく思ったのに 吉祥寺の花屋さんに売ってなくて諦めました 今朝唐突にグリーンスリーブスの曲が浮かんで なんだろう 何か変化あるのかなって思ったら 鎌倉の会の方々との交流が思い出されて ああ やっとこちら側に来たんだと 鎌倉の源氏物語でひとり勝手に鎌倉に乗り込んで

 

ずっと頭を下げてお願いしたり感謝したりだった日々 自分を殺して過ごした数年間でした やっと今年断ち切って 独り籠って やっと自分らしさを発揮していいところまで回復したのかも それで 広さ の心地良さを思い出すことになったよう 窮屈だったんだなあ この数年 としみじみ

 

6月30日

おはようございます 昨日の高遠先生がご紹介された中二でプルーストに出逢ったお嬢様の件 ずっと余韻が続いていて感慨 日本にプルーストが紹介された初期の頃は 中村真一郎先生方が自ら翻訳されたり享受されて そこから日本の文学が変わりました 一言で言って 素敵 に 私はその文学を享受して今がある

 

私のプルースト体験は バラバラな方の翻訳で拝読しつつもどかしかったところ 井上究一郎先生の個人全訳が刊行されて 一気に満たされました でもそれはもう大人になってから なのに昨日のお嬢様は中二で高遠先生のご翻訳でプルースト体験をされている ある意味ショックでした 文学との出逢いの最初が

 

プルースト! という方々がもう育っていられるんですね 中村真一郎先生方の時代の文学革命第二弾 のような新鮮さを覚えています また文学が変わるでしょう もしかして 私の知らなかったうちに それはもう進んでいるのかも!

|

« June 2019 | Main | August 2019 »