7月13日
研究発表のための配布資料本文 たぶん半ばなのだけれど これで一応最大の結論は書いて 後はその補足 なのでひとまず今日これを手放そうとこれから準備 思いがけない展開になって自分で驚いているけど これは最初からずっと抱えていた問題 こんなかたちで解決するとは思いませんでした
写真は2010年11月に鎌倉ではじめて【源氏物語と鎌倉】の講演をした時のスライド 最初の頃は『尾州家河内本源氏物語』が鎌倉で作られたこと自体を訴えるのに必死でこの文言で 何回もこのラストで終わらせていました その『尾州家河内本源氏物語』の制作の実態がやっと見えてきています
長かったけど 結局私の歴史研究のスタートは金沢文庫で その金沢文庫の歴史をある意味網羅して観てきているから の結果になりました なんか なんでも物事って回帰するのかなあ という感じ 実時様! といった感じです
2005年に真鍋俊照先生の還暦記念論集『仏教美術と歴史文化』に載せて頂いた「北条実時と『異本紫明抄』」の一頁です。実時の源氏物語学習について考察し、親行と親交があったことを書きました。尾州家河内本に実時の奥書があると知った時、私の中ではこういう二人の世界が広がっていました
尾州家本について 複雑な修正跡や 実時の奥書問題を考察される研究者さんのたくさんのご論考を拝読しながら でも 何方も こういう人間的な交流をご存知なく書いていられるという 歯痒さを覚えながら でも私は専門家でないからと耐えていました が 今回 古筆切の観点から壁を突き崩すことができてほっと
本は 写本は 人の作るものですから いくら後世の私たちが 河内本だから と親行を考察しても 論点がずれているのです その時代の人の心情に即して考えたら 価値観が別にあることがわかります
7月14日
おはようございますってもう三時だけど笑 休日の時間帯ってこんなもの 朝の番組で岐阜のモネの池をやってました 行きたいなあと言ったら家人がこんなとこ行きたいの と不思議そう 逆にそれが不思議でした 研究発表の余波で思いがけず年来の疑問が解決されて世界ががらっと変わり 気分いいです
こんな変化 昨年までは ううん 今年の一月でもまだ 考えられなかった 人は自分が集中できる環境を確保すべきとつくづく思う(でも それが 大変なのが世の中・・・)
7月15日
おはようございます ふっと思いついて 秋の仙覚さんの講演 せっかくの機会だから鎌倉の方々に比企や京との文化の交流をお伝えしようと 京は九条家の文化メイン 比企は慈光寺 慈光寺に慈光寺経があること それは私は鎌倉の将軍頼経が九条家出身なことと密接な関係を持っているからと思っています
写真は慈光寺経 慈光寺経も京の九条家も 仙覚さんと密接な関係があるんですよ こういうこと ほとんど知られてないから 仙覚さんというと地味な学僧のイメージ 実は凄い華麗な人脈のなかにいます 研究発表で突然浮上した孝行さん 考えたらこの人も仙覚ワールドに入ると思います 小説に追加です
なぜ 関東の奥地のような比企の慈光寺に? が謎でしたが やっと気がついてみたら簡単でした 当時関東は東山道が京からの幹線道路 その関東への入り口にある慈光寺は 関東最大の天台宗別院でした 後世の鎌倉主体の思考では奥地 だけれど その当時は鎌倉こそ奥地だったわけ メインの起き方です
7月16日
孝行の本が大きいと光源氏物語本事にあり それで孝行を探っているのですが 為家の家司だったことは以前から知っていて それで為家筆本との関係を見ていたら そうっか 為家父の定家と孝行父の光行は親友だから 為家は孝行を生まれた時から知っているわけで 決して主従関係ではないと気づきました
ということは 何人かいる光行子息のなかで為家が孝行を取り立てたのには 孝行が文学者としての資質があったからでしょう ということにも気づいて それなら後年孝行が実時と親しくなったのもその文人気質で気が合ったからとなり さらに孝行が仙覚とも親しかったという拾遺采葉抄の記事も納得
孝行は十何年もこの分野を調べていて為家家司というただの点でしかなかったのに 古筆切の側から追って行ったらこんなに広がりが 十何年もやっていた光行さんとか仙覚さんとか実時とか ぞういう人物を書いている世界にかなりの親近者として存在していたんです ということで唖然としている昨日今日
昨夜 発表資料の原稿の最後にあたる部分を書いていて それが孝行と仙覚さんの関係なので 仙覚さんの説明をはじめたら まるでそれはそのまま小説世界になってしまって 研究発表にこれ必要? となって中断して就寝 そもそもなんかこの発表資料 私の今までたどったワールドの総決算みたい
だからこそ見えてきた世界で誰にもできるものではない自負もありますが 実証主義ではあっても論証できるものではないから どこまでこの発表が有効か 悩んではいませんが物議を醸すかも(最初の時 物議を醸して それを援護射撃で救って下さった方もいらして・・・など 有難かった)
昨日TLに政治ネタを書くとフォロワーさんが減る というのを拝見しましたが 私の場合 研究ネタを呟くと減る 私がツイッターをはじめたのは鎌倉の源氏物語の研究のためで 重要な情報源としてずっと大切にしています しばらく研究を呟かなかった間のフォロワーさんがびっくりされるのでしょうね
昨夜寝てないので朝の用を片付けてすぐ仮寝 起きたらこんな時間で もうまた夕刻 週末は疲れます といいたいし 連休だったからなお 発表の配布資料 もう終わるのだけれど詰めはもう一日おかないと(余裕だけど気分的に焦ってきました)
焦りぎみと書きながら 内心はでも絶対大丈夫なんだから~! の余裕でできあがっているところまでを印字しようとしたら ドキッ 大詰めの仙覚さんと金沢文庫の検証をするのを忘れていたことに気づいて ほんとうに焦ってきました 大変! 検証は先に延ばして できているところで一旦送付 にします
ぎりぎりに間に合って郵便局に投函してきました 配布資料 ひとまず決着がついた分までを関係されるお二人の先生に いつもは綺麗な切手を選んで貼るのだけれど 時間がないからとにかく封をして雨の中を駆け込み料金分のシールで これで思い切って調査にだけ専念できるからほっとしました
7月17日
やっとひと息ついてPCに 日常の用ってほんと疲弊します 配布資料の準備 結論に決着がついてるからもう安心 二章ほど付け足して終わりだから この日常の用さえなければとりかかってお終い でも これだけ浸ると生きている世界が現実より書いている文章のなかに 気持ちがゆたかです
今 室内干しで洗濯物を干しながら TVから流れてくる項羽と劉邦を観ていたのですが そういう時代とそういう話だったのかとはじめて理解 ところどころ挿入される西安とか長安とかの映像が興味深くて ずっと観てました 映画空海で造った長安のセットは まだ健在なのでしょうか そこ 行きたい
光源氏物語抄 今はこの名称だけど 私が実時の論文を書いた時はまだ異本紫明抄だった だから論文は「北条実時と『異本紫明抄』」 それからじきに鎌倉での講演活動がはじまり 数年して落ち着いた頃 このご本が刊行されていて名称が変わったのを知りました 驚きました その時は
今日は満月 見えるかな と期待して窓を開けたのですが あのあたりとわかる具合の雲間の月 ならば過去の満月の写真をと探していてこの写真をみつけました 実時の『源氏物語』とのかかわりを書いた論文 これがあったから 今回の大型写本での孝行の交流が難なく浮かび上がりました 満願に近いかも
なぜ異本紫明抄と呼ばれていたかは 素寂の紫明抄の異本にされてたから 素寂は親行の弟の保行(小川靖彦先生のご発見) でも 長いあいだ 孝行が素寂と言われてきました 私が『源氏物語と鎌倉』を書いたときはまだ曖昧だったから もしかして素寂かもしれない孝行 って思っていたのも懐かしいです